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2008年10月29日 (水)

四国遍路道(高知県-6)

2008年10月19日

Img_2925 安芸駅(土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線)・・・江湖川橋(江ノ川)・・・本町通り・・・港公園(安芸駅跡・カリヨン時計)・安芸漁港・・恵比寿神社・・・穴内川橋・・・恵比寿堂・・・八流(やながれ)山極楽寺(番外霊場)・・・「雨」の歌碑(赤野休憩所)・・・八流(矢流)の坂・御殿ノ鼻古戦場跡あたり・・・(高知安芸自転車道)・・・遍路休憩所・・・琴ケ浜松原・海水健康プール芸西・・・道の駅やす(ヤ・シイパーク)・・・峯本神社(月見山・姫倉城跡)・・・飛鳥神社・・・明神橋(香宗川)・・・伊能忠敬測量地・・・絵金蔵・弁天座・・・赤岡橋(香宗川)・・・一本松(塩の道分岐)・・・烏川・・・戎神社・・・のいち駅(ごめん・なはり線)

 前回に続き安芸駅から28番大日寺へ向う。古い家並みが残る本町通りを西へ進むと安芸漁港の手前の港公園から土佐電鉄安芸線の廃線跡を利用した自転車道に入る。やがてゆるやかな上りとなり、「レストラン矢流」の前の極楽寺(番外霊場)に出る。寺の下の御殿ノ鼻あたりは安芸国虎と長宗我部元親が戦った古戦場だ。自転車道の赤野休憩所から御殿ノ鼻の方へ下る未舗装の坂が元の八流(矢流)の坂だろう。(上の写真) 

 赤野駅を過ぎると安芸市から芸西村に入り、琴ケ浜の松原の中を行く。日曜日のせいか海水健康プール(屋内)からは子ども達の声が聞こえてくる。香南市の「道の駅やす」の先で自転車道から離れ国道55号に出るとまもなく岸本神社がある。背後の月見山は土御門上皇ゆかりの地で、戦国時代には姫倉城があり、今は月見山こどもの森になっている。香宗川を渡り、赤岡町の絵金蔵に寄ってみた。照明を落とし工夫された展示室に並ぶ大胆な筆使いの妖しげな屏風絵は見ごたえがある。

 国道55号をのいち駅の方へ歩いていたら横に自動車が止まった。中から黒の礼服を着て運転している中年の女性が、香南斎場はどこかと聞いてきた。こっちは暑いので白衣は着ていなかったが、リュックを背負い半袖のポロシャツに短パン姿の一目見の旅行者なのに。こんな調子だと葬儀に間に合ったかどうか。

  【ルート地図

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Img_2965 安芸の本町通り

菊水酒造などの蔵造りの商店が並ぶ。

Img_2956 カリヨン時計・旧安芸駅跡(港公園内) 【ルート地図】の① 

複数の鐘で音楽を奏でるカリヨンとからくり時計を組合わせたモニュメント。

Img_2937極楽寺の方へ上って行く。

Img_2934八流山極楽寺(番外霊場) 【ルート地図】の②

大師修行の千丈岩といわれる岩場の上の御霊跡。四国三十六不動第15番霊場。

Img_2935下は八流の御殿ノ鼻古戦場あたり

安芸国虎長宗我部元親に敗れた地。激しい戦いを示す大量の矢が海に流れていたことから、「矢流」ともいわれる。

Img_2927八流(矢流)の坂(坂上の極楽寺方向) 極楽寺あたりから赤野駅の方へ下る坂。 【ルート地図】の③

Img_2921 ♪「」♪の歌碑(赤野自転車道休憩所)

安芸市生まれの作曲家、弘田竜太郎の歌碑。

Img_2919 八流の坂(坂下の赤野駅方向)

今は土佐電鉄の廃線跡を利用した高知安芸自転車道(全長15.4km)の一部。

Img_2908 お遍路休憩所

休んでいるのは人形だけ

Img_2904 琴ケ浜松原(右が琴ケ浜) 《地図

Img_2899 説明板

Img_2902 お龍、君枝(姉妹)の銅像

お龍は坂本龍馬の妻。

Img_2901 説明板

Img_2882 トンネルを抜ける自転車道

Img_2871峯本神社 《地図

背後は月見山(68m)で、承久の乱で土佐国幡多へ流された土御門上皇が土佐から阿波に遷る途中に常楽寺(現宝憧院)に滞在し、名月を眺め都を偲んだという伝承から月見山の名が生まれたとか。

Img_2869 月見山・姫倉城跡方向 【ルート地図】の④

その後、戦国期には姫倉右京が姫倉城を構えたが、安芸国虎に味方したため長宗我部軍に攻め落とされた。現在は「月見山こどもの森

Img_2872岡本弥太の詩碑(岸本神社境内)

Img_2867 飛鳥神社 《地図

Img_2868 安政の地震の碑(飛鳥神社内)

Img_2865 説明板

Img_2860伊能忠敬測量地

Img_2859 説明板

Img_2856 絵金蔵 【ルート地図】の⑤

元は幕末土佐藩の狩野派の御用絵師で、「絵金」こと弘瀬金蔵の屏風絵を展示。暗い展示室で見る妖しげで迫力のある屏風絵は一見の価値がある。

Img_2854 弁天座(絵金蔵の前)

Img_2852医院の建物ようだ

Img_2847塩の道」との分岐点の一本松

今は新しい松が植えられている。

Img_2845 戎神社(のいち駅そば)

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2008年10月15日 (水)

四国遍路道(高知県-5)

2008年9月29日

二十三士温泉・・・国道55号(土佐浜街道)・・・二十三士の墓(福田寺)・・・八幡神社・・・安田川・・・八幡宮・・・(土佐くろしお鉄道)・神峯神社鳥居・・・坂本橋(東谷川)・・・真っ縦・・・27番神峯寺・・・神峯神社・・・唐浜化石(食わず貝)・・・安田明神?・・・国道55号・・・名村川橋(名村川)・・・大山岬・・・浜千鳥公園・・・道の駅大山・・・防波堤歩道・恵比寿神社・・・国道55号・・・伊尾木川橋・・・安芸川橋・・・楫橋(江の川)・・・妙山寺・・・江湖川橋(江の川)・・・安芸駅(土佐くろしお鉄道・ごめん・なはり線)

 今にも雨が落ちてきそうな中を、神峯寺(標高430m)へ上るまでは降りださないようにと願いつつ国道を行く。安田川を渡り、安田町の町並みを過ぎ、道標の立つ四辻から右へ入り、土佐くろしお鉄道の線路下に出る。ここに『よさこい節』のヒロイン?、坊さんにかんざしを買わせた娘のその後の「よさこい秘話」の案内板が立っていてこれがなかなか面白い。神峯寺は『よさこい節』の一節にも登場する。そばに神峯神社の鳥居が立ち、東谷川を渡ると上りとなる。はじめはゆるやかだが次第に急坂となり、大きく何回もカーブして上るようになる。

 団体さんがマイクロバスやタクシーで追い抜いて行く。その道を縫うように「真っ縦」と呼ばれる急坂の遍路道が直線的に駐車場近くまで上っている。運動靴のかかとを踏んで前を歩いていた若い外人遍路が靴をちゃんと履き直して真っ縦を上り始める。まだ雨が落ちて来ないのが有難い。真っ縦も思ったほど急でも長くもなかった。普通の山道というところか。駐車場に出るとちょうどバスを降りて来た連中と一緒になる。足早に先に出ると後ろから「お兄さん、ずいぶん足が早いのね。」とおばちゃんの声。嫌味だろうか、感心しているのか。めんどうなので振り返りもせず足を早める。本堂、大師堂を参拝している間にとうとう降ってきた。まあここまでもったのだから結構なことだ。上の神峯神社まで上って見る。神峯の寺と神社は神仏習合の形で信仰されてきた。ここまで来る団体さんはいないが、さっきのとは別の若い外人遍路が上って来ていた。どこでも通じるような軽い挨拶を交わす。

 この先、30分足らずで室戸岬、足摺岬が望めるという展望塔(標高570m)があるのだが、この天気では眺めは望めそうもなく元の道を引き返す。雨は本降りとなり滑るだろうから、真っ縦は降りずに車道を下る。カーブの大回りで距離はかかるが、やはり下りは楽でスピードは出る。雨の中を上ってくる何組かの歩き遍路とすれ違う。挨拶する時の顔が羨ましそうに見える。これからの上りはご苦労さんだ。下って虎縞模様の1輌の「阪神タイガース号」が走る土佐くろしお鉄道沿いを進み、唐浜駅の先で国道55号に出る。雨が強くなり車に雨水を跳ねかけられるので、ポンチョを被り傘をさしての行軍だ。建物のガラス戸に写るポンチョ姿は、まるでほおずきの化け物のようだが、山用だけあって軽くてムレず着心地はいい。格好なんかどうでもいいという気分だ。しかし、だんだん雨の中を一人で歩いているのが馬鹿らしく、みすぼらしく思えてくる。大山岬、浜千鳥公園を過ぎて、道の駅大山で小休止する。ちょうど、夫婦連れの歩き遍路が出発するところだった。お互いこの雨の中、同類項に会えてほっとした気持ち。ちょっとの会話で元気づけられる。ここで二十三士温泉でお接待でいただいた握り飯をほうばる。

 国道から離れ防波堤歩道に入る。雨の中、国道歩きよりは全然歩きやすい。伊尾木駅の先で国道に戻り、伊尾木川、安芸川を越え国道を離れ安芸市街地から安芸駅へ出た。今回の四国遍路道の坂道散歩はここが打ち止め。ほぼ予定通りというところだ。宿に早めに着く余裕を持った日程にしているのが正解なようだ。安芸駅から若い女性の車掌さんが乗っている一輌編成の土佐くろしお鉄道で高知駅へ向った。

  【ルート地図

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Img_2749 二十三士の墓(福田寺) 【ルート地図】の①

清岡道之助を首謀とする土佐勤王の23名は元治元年(1864)9月5日、奈半利川のほとりで斬首された。

Img_2748 説明板

Img_2752 八幡神社(田野駅先の国道55号沿い)

手前に大師堂があるはずだが見当たらず。

Img_2756 安田川河口

正面は国道55号の安田川大橋、その向うは太平洋。安田川にはダムがなく、アユ、アメゴなどの川魚の宝庫とか。

Img_2759 道標などが立つ辻

27番へは山の方へ進む。

Img_2761土佐くろしお鉄道の線路をくぐる。

Img_2762 『よさこい節』の由来の娘(お馬さん)の「よさこい秘話」の説明板(その①)

31番竹林寺の坊さんがかんざしを買った相手の鋳掛屋(いかけや)の娘のお馬さんは、追放され神峯寺の登り口の旅籠「坂本屋」で奉公していた。『よさこい節』の8番には「神の峯」も登場する。

Img_2763 その②

Img_2764 その③

お馬さんはここから須崎池ノ内に預けられ、所帯を持ちニ男二女をもうけ、その後、東京の小石川に引越し余生を送り、北区豊島で病没した。北区の西福寺(豊島2-14)《地図》に墓がある。『六阿弥陀道』で訪れた。

31番竹林寺の近くにお馬の家跡、37番岩本寺への遍路道から近い須崎市池ノ内には「お馬神社」もある。次回に寄ってみたい。

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Img_3595 お馬神社(お馬堂)

神社というより小さなお堂だ。縁結びにご利益があるという。

(10月23日撮影)

Img_3596 説明板

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Img_2765 神峯神社の一の鳥居?

随分と離れてはいるが。

Img_2768_2 神峯寺への上りとなる。お馬さんが働いていた旅籠「坂本屋」があったのはこのあたりか。「坂本橋」があったがこの橋だったか、もっと手前だったか。

Img_2775 太平洋が広がる。

Img_2777 外人遍路が上って行く。

Img_2779 真っ縦の上り口 【ルート地図】の②

Img_2783何度も車道を横切り、直線的に上って行く。

Img_2786 ここまで団体さんはマイクロバスで上って来る。ハイヤーはもっと先の門前まで行く。

Img_2788 27番神峯寺仁王門

Img_2799 うすさま明王

すべての不浄を払う神。トイレに入口に祀られている。

Img_2792本堂

Img_2795 大師堂

Img_2801神峯神社への石段

Img_2813 神峯神社本殿 【ルート地図】の③

明治初年の神仏分離まではここが27番札所で、観音堂と呼ばれ本尊の十一面観音像を納めていた。

Img_2806説明板

Img_2810 砲弾か?

Img_2812燈明巌だろうか?

どうも違うようだ。もっと高い所にあるのか?

Img_2809 説明板

Img_2822土佐くろしお鉄道(ごめん・なはり線)

黄色に黒の縦線の虎柄の「阪神タイガース号」(唐浜駅付近。向こう側が太平洋)

安芸市営球場(球場前駅そば)を毎年、キャンプ地とする、阪神タイガースを応援するために運行されている。

Img_2825 唐浜化石出土地

「食わず貝」の大師伝説は「食わず芋」、「食わず梨」と同じ話だ。ここは「番外霊場」にはなっていない。あまり知られていないようだ。

Img_2824 説明板

Img_2826 安田明神?

遍路道が国道55号に出る安田明神バス停の所。

Img_2831 浜千鳥公園 【ルート地図】の④

Img_2832♪「浜千鳥」♪歌碑

Img_2834 防波堤歩道

道の駅大山の先から伊尾木駅の間。右に土佐くろしお鉄道。

Img_2837 恵比寿神社(防波堤道の終点)

Img_2835 道案内板

Img_2838 安芸川大橋から

前方の山は雨で煙っている。

Img_2839 妙山寺 【ルート地図】の⑤

源道上人により開かれ、もとは土居村(安芸市土居)にあったのを戦国時代にここに移す。木造聖観音像は鎌倉時代の作で国の重文。

Img_2841 江湖川橋から江の川

Img_2843 安芸駅(土佐くろしお鉄道)

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2008年10月10日 (金)

四国遍路道(高知県-4)

2008年9月28日

Img_2620 太田旅館・・・室津川・・・奈良師かめたろうバス停・・・平等津(ならし)橋(奈良師川)・・・岩戸神社・・・元橋(元川)・・・川村与惣太墓・・・厄坂・・・26番金剛頂寺・・・法満宮・法満坂・・・国道55号・不動堂・不動岩(番外霊場)・・・喫茶法満坂・・・道の駅キラメキメッセ岩戸・・・東ノ川・・・吉良町(重要伝統的建造物群保存地区)・シチヤ段・・・御田八幡宮・・・西ノ川・・・国道55号・・・羽根川橋・・・市営住宅・・・中山峠越え遍路道・・・加領郷漁港・・・大師堂・御霊跡(番外霊場)・・・十一面観世音堂・・・ミニ遍路駅奈半利・・・三光院・・・八幡宮・・・長谷川・・・奈半利の町並み・・・高札場(野根山街道起点)・・・土佐日記那波泊碑・奈半利川橋・・・田野町・二十三士公園・二十三士温泉

 室津川、奈良師川、元川を渡り26番金剛頂寺への遍路道に入る。元橋の手前に女人結界標があるというが見逃した。山道に入ってしばらく上ると参道の厄坂下に出る。境内で見かけた顔に出会い挨拶を交わす。この先、少し遠回りになるが「行の道」だった行当岬の番外霊場の不動岩へ下り、27番神峰寺へ向うことにする。途中までは27番への遍路道を行くと分岐点らしい辻へ出た。右へ27番の道標が掛かっているが、左へ行けば法満宮を通り不動岩へ下るのかはっきりしない。ちょうど木からスダチのような実を棒で落としている人がいた。食用ではなく油を絞るという。堅い実で鳥もつつかないらしい。不動岩へは左へ行けばいいのか聞く。不動岩は知らないが、お宮の前を通って国道55号へ下りられるという。お宮は法満宮のことなのか、これもはっきりしないが国道へ下れればまあ良しとして、この道を行くことにする。しばらく行くと二又の所に小さな古い道標があり指が右を指しているので入ると小さなお宮だ。扁額の薄れた文字は法満宮のようだ。ここから先が難路だった。薄暗く何度も急角度で折れ曲り、砕けた石と倒木と蜘蛛の巣だらけ。それでも波の音が聞こえ出し、前方がポッカリ明るくなってきた。やっと国道に出られた。不動岩近くならしめたものと思っていたら、国道を挟んでお堂が建っている。不動堂で隣りが不動岩だった。

 不動岩からは国道を進み右に遍路道に入る。東ノ川を渡ると吉良川町の古い町並みの中に入る。西ノ川との間の、海岸沿いの下町と山側の上町の家々はなかなかのもので見ごたえがある。(上の写真は御田八幡宮前から海の方へ下る坂。) 吉良川町をぐるっと回り、国道に出て羽根川を越え遍路道に入り、中山峠越えの道を目指す。市営住宅の前で地図で道筋を確認していると。住宅からおばさんが飛び出してきて道筋を詳しく何度も身振り手振りを加えて説明してくれた。ここを通るお遍路にはいつもこうしているのだろう。有難いことだ。峠越えの道は思ったより高く上り、長かった。下りかけた所の民家のおばさんと少し一緒の歩きとなる。ここは昔からの遍路道で菅さん(菅直人)が、最近ではNHKの番組(『街道てくてく旅』)で○○さんが通ったとのこと。菅さんはともかく、NHKの番組ではスタッフ、カメラマンを従えた護送船団の大名行列だったのだろう。

 国道で出ると加領郷漁港で、右へ「琵琶ケ瀧」の標識が掛かっていた。行きかけて神社前で聞いてみるとそんなに遠くはないが道は荒れているとのことで止めにする。波が結構高い海岸の大師堂、御霊跡に寄り奈半利町に入る。ここも古い町並み残っている所だ。町中を歩き、高札場から奈半利川そばの「土佐日記那波泊碑」から奈半利川橋を渡り、二十三士温泉に向った。明日は雨のようだ。27番神峯寺は標高430mある。大した降りでなければよいが。

  【ルート地図

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Img_2521 奈良師バス停「かめたろう」

平等津(ならし)橋の手前のユニークなバス停。金剛頂寺を建立の時、南都の番匠(大工)を招いたので、「奈良師」の名がつけられたとも。

Img_2525 岩戸神社

Img_2528 26番金剛頂寺へ

Img_2531 川村与惣太墓(左側の墓のようだ)

『土佐一覧記』の筆者。

Img_2530 説明板

Img_2533 26番への上り

Img_2535 途中から

Img_2536 厄坂 【ルート地図】の①

Img_2538 26番金剛頂寺

女人禁制の寺だった。24番最御崎寺の東寺に対し西寺と呼ばれる。

Img_2539 説明板

Img_2540 本堂

Img_2541 一粒万倍の釜

大師が一粒の米を入れて炊くと万倍に増えたとか。

Img_2543 捕鯨八千頭鯨霊供養塔

Img_2546 27番神峯寺、不動岩への遍路道

Img_2549 細い道を行く。

Img_2550 丁石地蔵

Img_2551 不動岩(左)・27番神峯寺(右)の分岐だが左への標識はない。

Img_2553 右へ法満宮から法満坂を下って不動岩へ。中央に小さな道標。

Img_2554 道標

右を指している。右に入るとすぐに法満宮がある。

Img_2556 法満宮

Img_2560 法満坂(坂下方向) 【ルート地図】の②

倒木、蜘蛛の巣、割れた石の道で難儀する。

Img_2561 坂下方向

正面の明るい所は国道55号

Img_2562 坂下

向い側が不動堂と不動岩

Img_2564 不動堂

金剛頂寺が明治初年まで女人禁制だったので、ここが女人堂として賑わった。

Img_2575 不動岩(番外霊場) 【ルート地図】の③

波切不動を祀り、漁師の守護尊として信仰を集める。行当岬にあり、大師が行に当たられた窟がある。行当西寺とも呼ばれる。神聖な岩や木、建物の周りを休まずにぐるぐる回る修験の修行のひとつが「行道」で、26番西寺と不動岩の間は行の道であったことから、以前は行当岬は行道崎と呼ばれていた。木に覆われ、岩のてっぺんが出ている。

Img_2573 説明板

Img_2566 不動岩から

Img_2569 不動岩の窟

海側にある。

Img_2570 ここにも祠

Img_2571 祠内

Img_2579 喫茶法満坂 《地図

Img_2592吉良川町の町並み(重要伝統的建造物群保存地区)

海岸に近い下町(浜地区)と山側の上町(丘地区)にそれぞれ特徴ある家並みが続く。それほどの標高差はない。

Img_2595 池田家「蔵空間茶館」

下町は切妻造りの町家が並び、強い風雨から壁面を守る土佐漆喰と水切り瓦の建築物が並ぶ。

Img_2600シチヤ段 【ルート地図】の④

シチヤ段の「つるべ下がり」(吉良川の昔ばなし) 「とっとの昔、吉良川の里シチヤ段は竹薮に囲まれ、大きな松の木が一本生えていました。この松の木に「つるべ下がり」という妖怪が潜んでいました。妖怪は松の木の高い枝から「子とろか、子とろか」「これにのれぇ これにのれぇ」と恐ろしい声でスルスルとつるべを降ろして通行人を脅かしていました。近所の子供達は「泣いたらつるべ下がりにとられる」とよく聞き分けて「利口もん」にしていたそうです。」 (室戸市教育委員会の吉良川町のパンフレットより)

Img_2601 坂上方向

「シチヤ」は「質屋」か? 聞くのを忘れた。坂上に農具、包丁を造る「鍛冶屋」があったというが。

Img_2603坂下方向

Img_2607 「いしぐろ」塀の家並み

上町は農家形の地割りが残り、家の回りにいしぐろと呼ばれる石垣塀を巡らせ台風の強風から守っている。

Img_2609 御田八幡宮 《地図》

御田祭は重要無形民俗文化財

Img_2610 説明板

Img_2613 細木家住宅

明治24年建築で、当初は呉服業だった。

Img_2615 武井家住宅

明治44年建築、米穀商と遠洋漁業。

Img_2616下町の商家

Img_2623 熊懐家住宅

大正11、12年の建築で、昭和40年頃まで郵便局だった。

Img_2627 上町の井戸

下町には屋敷内に井戸があり、水を得にくい上町では共同使用、管理の井戸が多かった。

Img_2647 中山峠越えの遍路道

Img_2651 石畳が残る。

Img_2656 峠近くあたりから

Img_2662 峠の最高点あたり

標高は110m位らしいがけっこう上った気がする。

Img_2665 下って国道へ

Img_2666 国道の手前

人とカメラに慣れているのか逃げもせず、じっとこちらを見つめて(睨んで)いる。ぺルシャ猫か?

Img_2672 大師堂・大師霊跡碑(右奥) 《地図

大師修行の地。南方50mの海岸に霊石大岩があり、上部の窪みの中の霊水がゆっくり右旋回しているといい、大師が法衣を洗い清めた跡と云い伝う。左の岩のうちの一つだろうか?

Img_2677 堂内

Img_2692 十一面観世音菩薩堂

Img_2693 国道を横切って十一面観音を拝みに行ったが対面できず。

Img_2698 ミニ遍路駅奈半利

何だか雑然としている感じ。

Img_2702 三光院

Img_2704 八幡宮

Img_2710 奈半利町の町並み

「オットピン」なんて薬の幟が立っている薬屋さん。薬で立たせるのは・・・・。興味のある方は自分で調べるように。

Img_2713 竹崎家住宅

Img_2714 説明板

Img_2716 浜田家

Img_2717 説明板

Img_2722 野村家

Img_2721 説明板

Img_2718 斉藤家

Img_2719 説明板

Img_2726 二重(ふたえ)柿

内皮と外皮の二重。

Img_2727 説明板

Img_2730 藤村製絲(株)の繭蔵 《地図

Img_2729 説明板

Img_2736 高札場

ここから東洋町野根に「野根山街道」が通じている。

Img_2737 説明板

Img_2738 旧家の廃屋か。

Img_2741 土佐日記那波泊碑(奈半利川橋の手前の警察署の前) 【ルート地図】の⑤

紀貫之は都への帰途、奈半利で二泊し、室津港へ向う。

Img_2743 奈半利橋から二十三士公園(正面川岸)・二十三士温泉(正面・2013年9月20日で閉店) 《地図

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2008年10月 8日 (水)

四国遍路道(高知県-3)

2008年9月27日

ロッジおざき・・・国道55号・・・尾崎橋・・・夫婦岩・鹿岡(かぶか)鼻・鹿岡坂跡・・・旧道・・・捕鯨山見跡・・・丸山海岸・・・海洋深層水研究所・・・北明神・・・旧道・・・杉尾神社・・・三高小学校・・・国道55号・・・杉尾神社・・・青年大師像(番外霊場)・・・乱礁遊歩道(ビシャゴ岩・大師行水の池)・・・御蔵洞(みくろど)(番外霊場)・天狗岩・・・水掛地蔵・・・観音窟(番外霊場・24番最御崎寺奥の院)・・・捻(ねじ)り岩・・・24番最御崎(ほつみさき)寺・・・室戸岬灯台・・・室戸スカイライン(県道203号)・・・昭和9年海嘯(かいしょう)襲来地点碑・・・王子宮・兼山神社・・・室戸岬港(津呂港)・紀貫之泊舟所碑・野中兼山開鑿之室戸港碑・・・室津港・梅香(まいご)の井戸(紀貫之舟泊の地)・・・願船寺・25番津照寺(しんしょうじ)・・・太田旅館

 今日はやっと室戸岬を回り、24番最御崎寺から西海岸へ出る。青年大師像あたりから観光ホテルなどが見え始め少し観光地の雰囲気になる。乱礁遊歩道に入り岩の上で太平洋を眺めながら、ロッジおざきでお接待でいただいた昼飯だ。しばらく休憩して大師修行の地、「空海誕生」の御蔵洞に入る。今は国道が間に入って海とは隔たりがある。岬の先端の方へ行き、観音窟から最御崎寺へ亜熱帯の植物の間の上りとなる。途中、前を行く女性との間を蛇が横切った。カーブで一休みする女性に「今、蛇が出たよ。」というと、「え、本当ですか。」とびっくりした表情。知らぬが何とかだろう。

 標高165mほどの24番最御崎寺にはさほど苦もなく着いた。思えば23番薬王寺から5日がかりの道中だった。境内から少し下って室戸岬灯台へ寄り、室戸スカイライン(県道203号)のヘアピンカーブを下る。車は少なく、下に広がる海辺の景色を眺めながら下るのはいい気分だ。下って所々に「昭和9年海嘯(かいしょう)襲来地点」碑が立つ町中を進む。海嘯とは津波のことで、昭和9年の室戸台風の時の津波襲来のことだろう。王子宮を過ぎると室戸岬港(津呂港)で、その先、2kmほどで室津港がある。どちらも『土佐日記』の紀貫之が停泊した港としている。10日間も泊まったのはどっちなのか? 

 室津港上の25番津照寺の本尊の延命地蔵は、土佐藩主山内一豊が室津沖で暴風雨に巻き込まれた時に舵(楫・かじ)を取って救ったという。(『今昔物語集』に載る話を改変したらしい。) それ以来、「楫取地蔵」の名で呼ばれている。大師堂は石段の下にあり、石段を上ると竜宮門のような鐘つき堂の上にこれもユニークな造りの本堂が建っている。境内には室津港づくりに貢献した一木権兵衛さんを祀る一木神社もあり札所の中でもちょっと変わった風情だ。今日の宿、門前に近い太田旅館に向う。間口は狭いが奥行きがある昔ながらの旅館だ。

  【ルート地図

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Img_2363 日の出

「ロッジおざき」の部屋から。

Img_2369 鹿岡(かぶか)鼻の鹿岡坂跡 【ルート地図】の①

左の小岩が夫婦岩。右の大岩は国道を通した時に削り崩した岩盤の残骸とか。本来、国道と大岩は一体で、その上の鹿岡坂を通り室戸へ向ったそうだ。

Img_2372 夫婦岩

神火ではなく横切っているのは飛行機雲か。

Img_2371夫婦岩碑

「南路志に云う 往古より大晦日の晩 夫婦岩の間鵜の碆に「竜燈」がともると この神火を地元では「かしょうさま」と云い 立岩の峯々を越えて大滝の上に舞上がり四方山麓の家々請じ入れられて大年を迎える浄火となったと云う」 「碆」(は)とは、海水、樹木によって見え隠れする岩のこと。

なんとも神々しい情景が目に浮かぶようだ。

Img_2374

綿あめのような雲。

Img_2380 捕鯨山見跡 【ルート地図】の②

来遊する鯨を発見するため山見小屋が置かれ、山見番が詰めていた。標高約50mで、明治末期まで使われてきた。

Img_2379説明板

Img_2387海洋深層水研究所 《地図

日本では最初の研究所。

Img_2388 説明板

Img_2389 北明神(深層水研究所の前)

Img_2391 杉尾神社

Img_2397 ここも杉尾神社

Img_2402 青年大師像(番外霊場)

ちょっと不気味だ。

Img_2406 室戸岬の乱礁遊歩道

Img_2411 大師行水池

山頭火の日記(昭和14年11月6日)から、「室戸岬の突端に立ったのは三時頃であったろう、室戸岬は真に大観である、限りなき大空、果しなき大洋、雑木山、大小の岩石、なんぼ眺めても飽かない、眺めれば眺めるほどその大きさが解ってくる、……ここにも大師の行水池、苦行窟などがある・・・」 「かくれたりあらはれたり岩と波と岩とのあそび」

苦行窟は御蔵洞のこと。このあと山頭火は最御崎寺で小犬に噛まれている。

Img_2412 説明板

Img_2415 ビシャゴ岩

Img_2424 御蔵洞(みくろど)(番外霊場) 【ルート地図】の③

大師修行の地で、『三教指帰』(さんごうしいき)に、「土州室戸の崎に勤念(ごんねん)す。谷、響きを惜しまず、明星、来影す」

Img_2421 御蔵洞内から太平洋(今は国道55号を挟んでいるが。)

修行中の大師の口の中に明星が飛び込み悟りを得たという。「空海」の誕生である。

Img_2426 天狗岩

Img_2429 水掛地蔵

Img_2427 説明板

Img_2433 観音窟(番外霊場・最御崎寺奥の院) (最御崎寺への登り口)

「大師一夜建立の岩屋」(空海の七不思議の一つ)の伝説がある。大師が唐から請来したという、如意輪観世音像は現在は最御崎寺に展示されているという。洞内には七観音が鎮座する。

Img_2436 洞窟奥

Img_2437 観音さんの浮き彫り石像。新しいもののようだ。

Img_2438 24番最御崎寺へ上り

Img_2440 捻(ねじ)り岩(空海の七不思議の一つ)

大師の母が修行中の大師を訪れた時、大師が念仏を唱え、岩をねじ伏せ嵐を鎮めたという。明治初年まで女人禁制の寺だったので、このような伝説が生まれたのだろう。

Img_2439由来

Img_2441 24番最御崎寺 【ルート地図】の④

Img_2446 鐘楼堂

Img_2445 説明板

Img_2447 本堂

Img_2449 鐘石(空海の七不思議の一つ)

大師堂のすぐそばにある。団体さんが経を上げているので、小さく叩いてみた。

「空海の七不思議」とは、①一夜建立の岩屋、②捻り岩、 ③鐘石、 ④喰わず芋、⑤目洗いの池、 ⑥灌頂ケ浜  ⑦行水の池  だろうか?

Img_2448説明板

Img_2450 大師堂

Img_2453 岩見重太郎の塚

「狒々(ひひ)退治」で有名な岩見重太郎の墓?がここにあろうとは。墓ではなく供養塔みたいなものか?

Img_2452 説明板

薄田隼人(兼相)は岩見重太郎と同一視される人物。墓は大阪市天王寺区と大坂府羽曳野市にあるそうだ。『薄田隼人の墓

Img_2456 室戸岬灯台

四国南東端の灯台、向うは太平洋。

Img_2458 説明板

Img_2473 ヘアピンカーブを下って室戸岬の西海岸へ。

Img_2479 昭和9年海嘯(かいしょう)襲来地点碑

海嘯(かいしょう)は、津波のこと。

Img_2482 王子宮(室戸岬郵便局前) 《地図

鯨の神社として漁業関係者の信仰が厚い。

Img_2485 兼山神社(王子宮内)

野中兼山は、室戸岬港(津呂港)、室津港、手結港の港の建設に携わった土佐藩の家老。

Img_2484 説明板

Img_2486_2 室戸岬港(津呂港) 

紀貫之泊舟所の碑(右)・野中兼山開鑿之室戸港碑(左) 《地図》(ここだと思うが)

Img_2488 説明板

Img_2496室津港と梅香(まいご)の井戸跡(手前の石囲い) 《地図

ここも紀貫之の泊舟の地としている。(梅香の井戸の説明板) 室戸岬港(津呂港)とは2km少し位の距離だ。紀貫之が承平5年(935)1月12日から10日間も滞在したのはどっちの港だったのか?

土佐日記』(青空文庫より) 土佐日記がこんなに短いとは知らなかった。

Img_2495 説明板

Img_2500 願船寺(25番津照寺の門前)

Img_2499 説明板

Img_250425番津照寺(津寺) 【ルート地図】の⑤

石段上は竜宮門のような鐘つき堂。

Img_2513 大師堂

石段の下にある。

Img_2503 説明板

Img_2512鐘つき堂

舟の楫の紋がついている。

Img_2509 本堂

本尊の延命地蔵は土佐藩主山内一豊を楫を取って暴風雨の海から救ったといい、「楫取地蔵」と呼ばれている。『今昔物語集』巻17の6の津寺の「地蔵菩薩の霊験譚」がもとになっているようだ。

Img_2507 一木神社(津照寺内)

野中兼山と室津港の改修に努め、難工事のため切腹して人柱となった一木権兵衛を祀っている。

Img_2505 権兵衛が難儀したという港の入口を塞いでいたお釜岩か?

 

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2008年10月 7日 (火)

四国遍路道(高知県-2)

2008年9月26日

Img_2308 民宿谷口・・・国道55号(土佐東街道・土佐浜街道)・・・相馬坂・相馬トンネル(288m)・・・相馬川・・・八幡宮・・・東洋大師明徳寺(番外霊場)・・・六部堂・・・港久保橋(野根川)・・・地蔵堂・・・伏越ノ鼻・・・ゴロゴロ浜・・・淀ケ磯・・・法海上人堂・・・ナゲ谷橋・・・水尻谷橋・・・仏海庵(番外霊場)・・・薬師堂・・・佐喜浜中学校・佐喜浜八幡宮・・・浜宮神社・・・佐喜浜橋(佐喜浜川)・・・佐喜浜港・源内槍掛けの松碑・・・磯辺神社・・・ロッジおざき

 朝から雨で時々強く降る。昼前には上がるというので出発を遅らし8時過ぎに宿を出る。昨日の三人組が前を行く。今日はロッジおざきまでの22km位の道のりだ。海岸沿いの道で迷うこともなく、降られて濡れることを覚悟でゆっくり進む。右足の親指が靴にあたるのか、圧迫されて爪下が内出血して痛みのピークだ。爪下血腫というやつだ。靴の中敷をはずして歩くがやっぱり痛い。相馬トンネルを抜け、遍路道に入り東洋大師から野根まんじゅうの店が並ぶ野根の町中を行く。野根から奈半利町までは山沿いの野根山街道が通じている。35km位で昔の街道の風情が残っているようだ。一度歩いて見たいが。

 野根川を渡り、地蔵堂から国道55号へ出る。伏越の鼻、ゴロゴロ浜、淀ケ磯と海岸沿いを進む。(上の写真は淀ケ磯近くから室戸岬方向) 雨もほとんど上がってきたようだ。国道から離れ仏海庵への遍路道に入る。田畑の中の道でアスファルトと車と海ばかり見てきたのでほっとする。仏海庵は屋根のトタンの一部はがれているのか時々風で音をたてているだけで静かだ。しばし堂内で横になって小休止する。

 一旦国道に出て、遍路道に入り佐喜浜八幡宮を過ぎ、佐喜浜の町中に入る。ここまで店もなく、まだ昼飯を食べていなかった。近くの喫茶店に寄ってみたが、店は空っけぱなしで店の人も客もいない。しばらくスポーツ新聞を見て待ったが戻ってくる気配もない。呑気なものだ。仕方なく先のコンビニにまで行って店前のベンチで遅い昼飯にした。佐喜浜港の「源内槍掛けの松」の古ぼけた石柱を過ぎ、国道沿いの旧道に入り、再び国道に出ると遠くに夫婦岩が見え出した。今晩の宿、海岸沿いのロッジおざきはすぐ先だ。この宿はいい。くだくだとは書かないが。

 【ルート地図

 写真をクリックすると拡大します。

Img_2274_2 相馬坂 【ルート地図】の①

相馬トンネルへ上って下る坂。

Img_2276相馬トンネルを抜け下って上っていく。

Img_2281東洋大師へ右へ入る遍路道。

Img_2282 八幡宮?

Img_2284東洋大師明徳寺(番外霊場) 【ルート地図】の②

大師がこの地の涸れ谷に錫杖(しゃくじょう)を突き立てて祈願したところ、清水が流れ出し滝になった。以降全長2mに満たないこの谷は涸れることがなくなったという。寛永18年(1641)には、番外札所、遍路宿泊所の記録があり、真念の著した「指南書」と「功徳記」にも大師堂、宿の記録がある。元は野根大師といったが、野根と甲浦が合併し東洋町になってからはこう呼ぶようになった。
境内の弘法の滝を見逃した。

Img_2285 通夜堂

野宿遍路が泊まれるようになっている。

Img_2286 シャワーも使わしてもらえるようだ。

Img_2287 六部堂

東洋大師の前

Img_2289 野根の町中

野根まんじゅうの店が数軒ある。

Img_2294

野根川(港久保橋から) 《地図

野根から野根山連山の尾根づたいに奈半利町まで、約35kmの「野根山街道」が通じている。古くは『土佐日記』の著者紀貫之の入国の道として、また、藩政時代には参勤交代の通行路として使用された。現在は「四国のみち」環境省ルートとして整備されている。標高1082m装束峠を越す道だが室戸岬を回る海沿いの道よりかはるかに短い。

Img_2296 地蔵堂 

野根川の港久保橋を渡って進んだところ。

Img_2303 伏越の鼻あたりから

Img_2306 ゴロゴロ浜 【ルート地図】の③

「ごろごろ浜のごろごろ石 まるいまるい 波に磨かれ磨かれた石だ」 山頭火の日記(昭和14年11月5日)

Img_2304ゴロゴロ浜の由来

Img_2316 法海上人堂 《地図

廻国行者で即身成仏した法海上人を祀った堂。

Img_2317 堂内

Img_2327

国道から離れ仏海庵へ

Img_2330 仏海庵(番外霊場) 【ルート地図】の④

仏海は諸国行脚、霊場巡礼を続け、宝暦10年(1760)仏海庵を建立し、難渋する遍路の援護にもあたり、明和6年(1769)にここで即身成仏した。

Img_2329 説明板

Img_2331筐印塔

仏海上人の墓。

Img_2332 堂内

遍路が泊まれるようだ。

Img_2333薬師堂

お堂はこの先、割れて急な石段上のようだ。

Img_2340 佐喜浜八幡宮 《地図

佐喜浜中学校の隣り

Img_2339 説明板

Img_2343 浜宮神社

Img_2351 源内槍掛けの松碑 【ルート地図】の⑤

説明板に「長宗我部元親の阿波侵攻をはばむため戦った佐喜浜合戦・・・」とある。『土佐の嵐』によると、「元親は永禄12年に安芸氏を滅ぼしたが、安芸領東部は服属していなかった。天正2年に、室戸から野根にかけての武士らが同盟を結んで抵抗する姿勢を示したので、元親は軍を派遣して羽根(室戸市西部)付近で同盟軍を破り、室津、吉良川など室戸岬周辺の豪族を降伏させた。しかし、佐喜浜は降伏しなかったので、翌年、阿波侵攻作戦と併せてここを攻撃したと考えられる。」とある。佐喜浜城主はもともと反元親勢力であって、別に阿波に味方して阿波侵攻をはばむために戦ったわけではないのでは。

Img_2350 説明板

Img_2354 右に入る遍路道

Img_2356 磯辺神社

Img_2360 夫婦岩方向(ロッジおざき前から)

正面の小さな岩。右の2つは国道工事の際に切り崩した岩の残骸とか。左の重なって見える2つの岩が夫婦岩。

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2008年10月 5日 (日)

四国遍路道(徳島県-3・高知県-1)

2008年9月25日

Img_2146民宿海山荘・・・萩坂・・・大砂海水浴場(大綱・苧綱・帯綱浜)・・・粟浦の坂・・・粟ノ浦(浜)・・・伊勢田川橋・・・県道196号・・・天神社・・・借戸(かろうと)坂跡・三浦浜跡あたり・弥勒菩薩石像・・・地蔵堂・観音庵・中世代の底痕群・・・浅川漁港・クヌッセン機関長の碑・・・浅川橋(浦上川)・・・スベリ坂・・・大里古墳・・・県道299号・・・海部川橋(海部川)・・・県道197号・・・楠神社・・・(海部駅)・・・国道55号・・・延命地蔵堂・・・那佐湾・乳ノ崎狼煙台跡・島弥九郎事件跡・・・県道309号・・・願行寺・・・宍喰橋(宍喰川)・・・古目大師(番外霊場)・・・(国道55号)・・・宍喰浦の化石漣痕・みとこ湾・・・金目番所跡・・・東洋町(高知県)・・・甲浦漁港・・・熊野神社・・・小池橋(小池川)・・・五社神社・・・小池川橋・・・河内川橋・・・国道55号・・・白浜海水浴場・・・甲浦(かんのうら)坂・甲浦坂トンネル(150m)・・・民宿谷口

 八坂八浜を過ぎ、海陽町から宍喰町を通り、高知県に入り東洋町までの坂道散歩です。八坂八浜最後の三浦浜は埋立てられ、借戸坂も名残跡ほどになってしまっているが、弥勒菩薩石像の由来碑、寛永の津波供養地蔵碑にその名は刻まれている。遍路道の道案内標示どうりに行ったら国道55号に出てしまった。国道よりも浅川橋からスベリ坂を通る道の方を歩きたいので戻る。浅川橋の手前で漁港で働く女性?に呼び止められ缶コーヒーのお接待を受ける。親切にもこっちの道は遠回りではとアドバイスされる。国道よりこの道の方がいいのでと言うと大きくうなづいてくれた。浅川橋を渡るとスベリ坂の上りとなる。今は広く新しい車道で、全然「すべり」はしない。車も少なくて気分がいい。新しい坂にも出会えたし、やっぱりこの道を選んで正解だ。近くに「まぜの岡」があり、スベリ坂を下ると老人施設のデイサービス「まぜの里」がある。「まぜ」は何かの植物かとも思っていた。「まぜの里」の庭で作業中の女性職員に聞いてみると、まぜとは「南風」という答え。南風は「はえ」とばかり思っていたが、後で調べると四国、瀬戸内海地方では「まぜ」というそうで勉強になった。「聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥」ということか。

 海部川橋を渡り海部の町中を過ぎ、海部駅の手前で国道55号に入る。緩やかに上って行くと左側に河口のような穏やかな那佐湾が広がってくる。(上の写真左が那佐湾、右が国道55号) 対岸の乳ノ崎上には幕末に狼煙台が築かれていた。宍喰川を渡ると古目大師で、ここは土佐藩との境で、古目番所が置かれていた。国道55号をくぐって水床(みとこ)トンネルを迂回し、みとこ湾沿いを進む。化石漣痕、湾の景色を見ながら上って下るとここにも藩境の金目番所跡があった。

 水床トンネルの反対側の国道55号に出て高知県に入った。すぐに甲浦の町へ下る道に入る。甲浦港を眺めていると自転車に乗ったおじさんが話かけてきた。つい先だってくらげの大群がここまで押し寄せてきたという。下を見るとプカプカとけっこうな数のくらげが浮いていた。昔の遍路道、今の歩き遍路ことなどを聞きながらしばし小休止。歩き出してすぐ、熊野神社の下で女の人が、「お遍路さん、気をつけて行ってらっしゃ-い。」と大きな声で。疲れが増してきた時だけにすごく元気づけられる。

 海岸沿いの国道55号に出て、白浜海水浴場を過ぎ甲浦坂を上り、甲浦坂トンネルの手前から右に迂回路に入る。少し上ってトンネルを越え反対側に下れると思っていたがなかなか下りにならない。途中右にさらに高く上って行く道もあったが。結局、行き止まりになってしまった。後で民宿谷口のお婆さんに聞いたところ、歩いて来た道は果樹園への道で、途中で右に上る道を行けば国道へ下りて来られるという。しかし大回りの相当な距離で、ずっと民宿も通り越してしまう。地図にもトンネルの手前から迂回し、反対側に出られる大した距離でもない道筋が載ってているのだが。往復30分以上余計な道草をしてしまったが、天気も景色も良く、時間も早く、宿も近かったのが幸いというべきだろう。民宿谷口屋はお婆さん一人で切り盛りしているようだった。客は私と中年?(60代)の三人組の2組だけ。お婆さんはお孫さん(孫娘?)のサーフィンの選手が自慢のようで、三人組のおじさん連中に話を聞かせていた。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_2052 萩坂(八坂の一つ) 【ルート地図】の①

鯖瀬トンネルの手前から左へ大砂海水浴場へ下る坂。右は国道55号の鯖瀬トンネル(98m)。八浜の一つ大綱(苧綱・帯綱)浜が大砂になったのだろう。

Img_2055 坂下方向

Img_2063大砂海水浴場(坂下)

八浜の一つ大綱(苧綱・帯綱)浜

Img_2067 粟浦の坂(八坂の一つ) 【ルート地図】の②

八浜の一つ粟の浦(浜)へ下る国道55号

Img_2069 坂上方向(坂下の粟ノ浦バス停から)

左に小堂

Img_2070 粟ノ浦

八浜の一つ粟の浦。

Img_2075 天神社

伊勢田川を渡って遍路道に入った所。 

Img_2084 弥勒菩薩石像など 《地図

借戸坂(八坂の一つ)の坂下の三浦浜(八浜の一つ)跡あたり。

Img_2077 石像の由来

「天保5年(1834)この浅川湾をのぞむ景勝の地三浦浜に造立」 とある。三浦浜は八坂八浜の借戸坂の坂下の浜。

Img_2080 三浦浜跡(弥勒菩薩石像前)

埋め立てられてしまった。その向う側は浅川漁港。

Img_2085 借戸坂跡あたりの新しい切通しの坂

右側が弥勒菩薩石像のある丘、手前が三浦浜跡。

Img_2089 浅川漁港

Img_2091 周辺の避難地図

観音庵の所に津波供養地蔵堂がある。観音庵は見当たらず。左下に「スベリ坂」がある。

Img_2095 寛永4年(1627)の津波供養地蔵堂

Img_2093 由来碑

文中に「大潮指込浦上村カラウト坂ノ麓マデ上リ・・・」とある。カラウト坂は八坂の一つ「借戸(かろうと坂」のこと。

Img_2094 津波供養地蔵尊

正徳2年(1712)7月の造立。

Img_2098 中世代の底痕群

岩石の表面に残る水流や古生物の生態を示す底痕。というがよく分からない。

Img_2097 説明板

Img_2101ヨハネス・クヌッセン機関長の碑

紀伊水道で水難した日本人を助けようとして殉難死した、デンマークの貨物船の機関長の追悼碑。この時クヌッセン40歳。この航海を最後に郷里で念願の農園生活に入る予定であった。

自国の漁船にぶつかり、知らん顔で責任も認めないどこかの国の海上自衛隊に聞かせたい話だ。自衛隊にとって自衛とは国民を守ることでなく、自分達を守ることなのだろう。

Img_2100 説明板

Img_2105 スベリ坂(坂上方向) 【ルート地図】の③

ここは海陽町浅川字スベリ石。

Img_2108 下りとなる。

Img_2112 まぜの里(デイサービス)

「まぜ」は「南風」のこと。

Img_2120 大里古墳

直径約20mの円墳。6C末~7C初の築造。横穴式石室。

Img_2114 説明板

Img_2117 石室の天井石

Img_2127 海部川橋から愛宕山

愛宕山の海部川河口近くに海部城があった。

Img_2139 海部川橋と海部城跡

の所

Img_2130 楠神社

Img_2131 海部駅(JR牟岐線の終点)

Img_2134 延命地蔵堂(国道55号沿い)

Img_2142那佐湾

左先端が乳ノ崎 《地図

Img_2148 左が国道55号で徳島方向、正面は太平洋。

Img_2150 湾の奥

正面は二子島か。

Img_2160 乳ノ崎狼煙台

幕末の海上警備のため対岸の乳ノ崎の山頂に設置された。

Img_2157 狼煙台説明板

Img_2158 島弥九郎事件跡説明板

島弥九郎は長宗我部元親の末弟。元親の阿波侵攻の口火となった事件という。

Img_2167 旧土佐街道入口

Img_2169 出口

Img_2175 願行寺

Img_2181 古目大師(番外霊場) 《地図

地元では清水大師という名で親しまれている。清水の豊かな古くからの大師堂だが、番外霊場としての記録は」不明という。

Img_2179 昭和21年12月21日の津波襲来地点(古目大師前)

この上の弁天山が津波避難場所に指定されている。

Img_2183 宍喰大橋(宍喰川・(国道55号)をくぐる。

Img_2190 化石漣痕 【ルート地図】の④

砂質泥板岩の薄い表面に「さざなみ」の跡が化石として残った、「波の化石」。露出面積と規模は日本一とか。

Img_2189 説明板

Img_2193 みとこ(水床)湾

阿波の松島?

Img_2194 説明板

Img_2202 金目番所跡

阿波藩が土佐藩との国境においた関所。古目大師のある古目にも置かれていた。

Img_2208迂回した水床トンネル(638m) 《地図

高知県に入る。

Img_2211 右へ旧道に入り甲浦の町へ下って行く。左は国道55号。

Img_2222 熊野神社

Img_2226甲浦漁港

Img_2232 五社神社

Img_2243 白浜海水浴場 《地図

Img_2250 甲浦(かんのうら)坂 【ルート地図】の⑤

甲浦坂トンネルへ上って下る。

Img_2252 トンネルの手前で迂回路だと思って入ったが・・・。

Img_2265トンネルの反対側の見晴らしのいい所まで上って来たがこの先で行き止まり。同じ道を引き返し甲浦坂トンネルを抜ける。下の海岸は生見サーフィンビーチだろう。

Img_2266 甲浦坂トンネル(150m) 《地図

Img_2269 トンネルを抜け下って民宿谷口へ。

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2008年10月 3日 (金)

四国遍路道(徳島県-2)

2008年9月24日

Img_2029 国民宿舎うみがめ荘・・・厄除橋・・・蛇責めの石・・・水産高校・・・国道55号弁財天交差点・・・奥潟トンネル(100m)・・・馬頭観音堂・・・日和佐トンネル(690m)・・・見守り観音・・・打越寺・・・吉野神社・・・山河内トンネル(124m)・・・寒葉坂・峠・・・遍路道・・・小松大師(番外霊場)・・・国道55号・・・牟岐橋(牟岐川)・・・長尾屋跡(山頭火宿泊宿)・・・旧土佐街道・・・(牟岐駅)・・・満徳寺・・・牟岐津神社・・・八坂橋(瀬戸川)・・・旧遍路道・・・大坂・大坂峠・・・草鞋大師(番外霊場)・・・内妻浜・・・国道55号・・・旧国道55号(あじさいの道)・・・内妻橋・・・(JR牟岐線)・・・目あき大師・・・春日神社・・・松坂・松坂峠・かずら大師・松坂隧道(88m)・・・古江浜・・・国道55号・・・福良坂・・・福良浜・・・鯖大師(番外霊場別格第四番)・・・土佐浜街道・馬ひき坂(上の写真)・・・民宿海山荘

 23番薬王寺から室戸岬の24番最御崎(ほつみさき)寺までは約80km。ほとんど国道55号を歩くことになる。今日の坂道散歩のメインは八坂八浜だ。日和佐駅そばに蛇責めの石がある。陰惨な由来話(後述)で歩き始めからこれではという感じだ。水産高校の弁財天交差点で国道55号に出る。昨日、うみがめ博物館近くですれ違った若い男女4人の遍路と牟岐駅近くまで先になったり、後になったりして進む。ここから先、幾つものトンネルを抜けて行く。遍路道の難所を「遍路ころがし」というが、最大の遍路ころがしはトンネルだろう。最近では歩行者用の安全設備がつけられて以前よりは歩きやすくなってはいるが。まあトンネルは本来の遍路道ではなく、遍路ころがしには入らないのかも。なるべくトンネルを迂回する旧道を歩くことにする。

 寒葉坂を上って美波町から牟岐町に入りカーブしながら下って行く。思ったより車の通行は少なく歩きやすい。坂下近くで遍路道に入る。国道から離れるとやっぱりほっとする。田園と民家の間を行くと小松大師がある。ここで国道に出て牟岐橋から牟岐川沿いを進む。山頭火の泊まった宿跡を過ぎ、牟岐の町中に入る。舞帳造りの民家や古い家並みが残っている。八坂橋を過ぎると国道55号と平行して旧道が大坂峠の方へ上っている。その途中で旧遍路道の山道が分かれて峠へと続く。遍路ころがしの一つ、八坂八浜の最初の大坂だ。今ではトンネルなどによって八坂の中いくつかは消滅し、幻の八坂になってしまった。また、坂の名、浜の名についても時代によるのか、人によるのかまちまちだ(後述)。

 大坂峠から内妻浜に下り、旧国道55号を上ると松坂峠で「かずら大師」が祀られ、昔ながらの松坂隧道を抜け松坂を下ると古江浜に出る。国道へ出て進むと福良トンネルの手前から左へ福良浜へ下る福良坂と、右へ上って鯖瀬大師へ下る土佐浜街道の馬ひき坂が通じている。ことに馬ひき坂の方は古道の面影が残り、大師の伝説(後述)もある坂で気に入った。 国道55号を少し進んで海側に上り今夜の宿、民宿海山荘に着いた。今夜の泊まりは自転車遍路と私の二人だけ。自遍はまだ到着してなく、夕食は舞台、カラオケ付きの大広間で一人きり。波の音、虫の声と有線だろうか拓郎の『結婚しようよ』など古いフォークの流れる中で、ビールを飲むうちにすっかり気持ちよくなっていった。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_1842 朝の大浜海岸

Img_1845 蛇責めの石 《地図

Img_1844 由来

うまい料理ができるなら蛇の煮汁でもよいのでは。殿様は蛇神の信奉者か、自身が蛇の化身だったのだろうか。

Img_1847 奥潟トンネル(100m) 《地図

Img_1848 馬頭観音堂

Img_1852日和佐トンネルへ緩やかに上る国道55号。

Img_1854 トンネルの手前

ボックスにはタスキ・リストバンドはなく、納め札が入っていた。

Img_1855_2 日和佐トンネル(690m) 《地図

歩き出すと少し前の歩行者専用の照明灯がつくようになっている。

Img_1860 見守り観音(打越寺前の国道55号の交差点の所)

Img_1858駅路山打越寺 《地図

慶長3年(1598)に初代阿波藩主蜂須賀家政が定めた藩内の重要な街道に沿った真言宗の8つの駅路寺(えきろじ)の一つ。

旅人やお遍路の休憩、宿泊の便宜を図ることよりも、主要街道の軍事、治安のためだったのだろう。

Img_1859 縁起

Img_1863吉野神社(打越寺前の国道上)

Img_1866 山河内トンネル(124m) 《地図

Img_1872 寒葉坂

美波町から寒葉峠へ上り、牟岐町へ下る国道55号。 【ルート地図】の①

Img_1876 坂上方向

Img_1885 寒葉峠を越えて牟岐町に入り下る。

峠に棲んでいた猿の主の『ひひ猿退治』の伝説がある。

Img_1887 坂沿いの石仏

Img_1890 国道55号から離れ右へ入る遍路道。

Img_1892 田園の中を行く遍路道

Img_1894 彼岸花と蝶々

Img_1898 旧家

Img_1900小松大師(番外霊場) 《地図

およそ370年位前のこと、大坂難波の里に住む石工が、来客から注文を受けた「三尺あまりの弘法大師座像石仏」を彫刻して仕上げ、引渡しを待っていたところ、夢枕に立った弘法大師から再三にわたり「石仏を阿州小松の里に送るように」との霊告を受け、船便に託してこの地に送り届けて来た仏像であり、霊験あらたかなり。という。

Img_1903 大師座像石仏(後ろ)

Img_1909 牟岐川

正面は牟岐橋

Img_1912 山頭火が泊まった宿跡

酒は置いてなかったようで、数町先の酒屋へ買いに行っている。同じ酒飲みとして気持ちは良くわかる。今はどこの民宿にもビールは置いてある。有難や、有難や。

山頭火も「酒好き酒飲みの心裡は酒好き酒飲みでないと、とうてい解るまい。」とこの日の日記に書いている。次ぎの日は風雨激しい中を八坂八浜を行っている。

Img_1911説明板

昭和14年11月3日の山頭火『四国遍路日記

「しぐれてぬれてまつかな柿もろた」

Img_1914 旧土佐街道へ

Img_1917牟岐駅

Img_1918 舞帳(ぶちょう)造りの民家

舞帳とは上下に開く二枚の板で中程でぴったりと合さる。夜は雨戸の役目をし、昼間は縁側の延長として使われるもので、商家などでは商品の陳列などにも使われていた。

Img_1921 縁側を上げ、上の板を降ろすと雨戸となる。

Img_1924 牟岐町の町並み

Img_1930満徳寺 《地図

門前の松は樹齢380年以上

Img_1929 由来

Img_1927満徳寺

Img_1931 牟岐津神社

Img_1937 大坂峠へ

右は国道55号

Img_1940 右へ旧道へ入る。

Img_1942 旧遍路道へ

Img_1944 大坂

八坂八浜の最初の坂。大坂峠に上り、内妻浜へ下る。 【ルート地図】の②

「八坂八浜」は、
①大坂・内妻浜、②松坂・古江浜、③福良坂・福良浜、④鯖瀬坂・鯖瀬浜、⑤萩坂・大綱浜、⑥鍛冶屋坂・鍛冶屋浜、⑦粟浦の坂・粟の浜、⑧借戸(かろうと)坂・三浦の浜 『徳島県の歴史散歩』 

①大坂・内妻浜 ②松坂・古江浜 ③歯朶(しだ)坂・丸島浜 ④福良坂・福良浜 ⑤萩坂・おしろぼの浜 ⑥鍛冶屋坂・苧綱(おおづな)浜 ⑦楠坂・桶島浜 ⑧借戸坂・三浦浜 『空海の風景』(司馬遼太郎)

①大坂・内妻浜 ②松坂・古江浜 ③しだ坂・福良浜 ④鯖瀬坂・鯖瀬浜 ⑤萩の坂・大綱浜 ⑥鍛冶屋坂・鍛冶屋浜 ⑦楠坂 ⑧借戸坂・三浦浜 『さあ 巡礼だ』(加賀山耕一)などさまざま。

今回歩いて確認できた(と思う)のは、①大坂・内妻浜 ②松坂・古江浜 ③福良坂・福良浜 ④鯖瀬坂(馬ひき坂?)・鯖瀬浜(福良浜か?) ⑤萩坂・大綱浜(大砂海水浴場) ⑥粟浦の坂・粟の浜(粟浦) ⑦借戸坂跡・三浦浜跡。

Img_1946 大坂峠あたりから太平洋。

Img_1947 峠あたり

Img_1954 内妻浜

Img_1958 草鞋大師(番外霊場)《地図

石仏座像台座に「草鞋供養」と刻まれている。江戸時代のものらしい。もとは大坂峠にあったものをこの地に遷座した。難所の八坂八浜を無事通過できるよう、旅の安全と身体の息災を祈願して、遍路らが新しい草鞋を供えてきたという。この大師像が盲目の相であることから、眼病平癒を祈願した遍路がこの地に留まり、大師に祈願し続けた結果、不治の眼病が治ったという。それ以来、眼に霊験のあらたかな大師といわれるようになった。

Img_1971 牟岐線

松坂峠・松坂隧道へ続く旧国道55号の「あじさいの道」の上。

Img_1975 内妻浜

民宿内妻荘の前

Img_1978 目あき大師

Img_1979 春日神社

Img_1982松坂(坂上方向)

松坂峠へ上り、古江浜へ下る旧国道55号。 【ルート地図】の③

Img_1983 松坂峠・松坂トンネル

Img_1985_2 かずら大師(松坂隧道入口の松坂峠の所)

お遍路、旅人は松坂峠付近のマタタビの古木のかずらで草鞋を修理し、旅の安全を願って大師像を建てたという。

Img_1986_2由来碑

Img_1988松坂隧道(88m・旧国道55号) 《地図

1921年(大正10)完成。

Img_1994松坂

古江浜への下りとなる。

Img_1998 古江浜

Img_2002 福良トンネルへ国道55号

Img_2008福良坂

福良トンネルの手前から右へ福良浜の方へ下って行く。 【ルート地図】の④

Img_2010 福良浜へ

Img_2017 福良浜

Img_2018 鯖大師(番外霊場別格第四番)

馬頭観音堂

Img_2020 馬頭観音

Img_2019 説明板

Img_2021 本坊

Img_2023 馬ひき坂へ 【ルート地図】の⑤

Img_2026 坂上方向 

Img_2028 坂上近く

鯖大師伝説:「大師がこの坂を通りかかった時、塩鯖を運ぶ馬方に出会った。大師が鯖を一つ所望すると馬方は断ってさっさと行ってしまったが、しばらくすると馬が腹痛を起こし止ってしまった。弱った馬方は大師に薬を頼んだ。大師が作った加持水を飲ませるとたちまち治ってしまった。驚き喜んだ馬方が鯖を差し出すと大師はその鯖を海に放ってしまった。すると腹を割かれた塩鯖が生き返って泳いで行くように見えたという。馬も人も難儀する所ゆえ大切なのは布施の心という教え。

Img_2030 馬ひき(引き・曳き)坂(土佐浜街道)

八坂八浜の「鯖瀬坂」のことだろう。「馬止(うまじ)坂」ともいったという。

Img_2039 下りとなって

Img_2035_2福良トンネルの手前に出る。

Img_2036案内板

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2008年10月 1日 (水)

四国遍路道(徳島県-1)

2008年9月23日

Img_1801_2 徳島駅(JR牟岐線)→日和佐駅・・・国道55号(土佐東街道)・・・23番薬王寺男厄坂・女厄坂・還暦厄坂)・・・厄除橋(日和佐川)・・・御陣屋跡(美波町役場)・・・弘法寺・・・日和佐八幡神社・・・うみがめ博物館・大浜海岸・国民宿舎うみがめ荘

 徳島駅から日和佐駅までは55km足らずだが、待ち時間などで2時間近くかかった。以前来た時には日和佐町だったが、平成18年に由岐町と合併して美波(みなみ)町なっていた。「うみがめの来る町日和佐」のイメージが強く、「美波町」はどうもなじめない。ここから海岸沿いに高知県に入り、室戸岬を回り、27番神峯寺の先の土佐くろしお鉄道の安芸駅あたりまで、1週間かけて遍路道沿いを行く坂道散歩で、主に国道55号を行くことになるが、なるべく旧道や町中に入りゆっくり歩くつもりだ。

 駅前の国道55沿いの「道の駅日和佐」は物産館、足湯などもあり、休日で賑わっている。厄除け寺の23番薬王寺の厄坂の石段下には薬師本願経の経文を書いた小石が埋められていて、踏むごとに厄が払われるといい、厄年の人は一段ごとに一円玉のお賽銭を置いて上って行く。還暦厄坂上の瑜祗(ゆぎ)塔(上の写真)からは日和佐の町が一望できる。なかなかの景観だ。この寺は吉川英治の『鳴門秘帖』にも登場する。駅の反対側に出て日和佐川の河口の厄除橋を渡り、海亀が産卵に来る大浜海岸の方へ向う。町役場あたりが日和佐御陣屋跡で、その先に弘法寺、海岸近くに日和佐八幡神社がある。ここも鳴門秘帖の舞台となっている。海岸に出ると「うみがめ博物館」で、屋外の飼育プール、屋内の子ガメ水槽で泳ぐ亀を見ているとあきない。

 隣りの国民宿舎うみがめ荘が今夜の宿だ。今日の泊まり客は5、6組か。潮騒の音だけで静かだ。あまり歩いていないせいか疲れてなくなかなか寝つけない。さあ、明日からが本番だ。先月(香川県)のように雨に祟られなければよいが。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_1804 JR牟岐線(道の駅日和佐の所)

中央奥は薬王寺の瑜祗塔(ゆぎとう)

Img_1787 23番薬王寺

Img_1788 説明板

Img_1790 女厄坂

33段

Img_1793 男厄坂

42段

Img_1794 本堂

本堂の右手からさらに上る。

Img_1797 還暦厄坂

61段。石段上は瑜祗塔。「瑜祗」の意味は?

Img_1798日和佐の町(瑜祗塔の前から)

日和佐城(右上)・立島(正面)・日和佐川の河口と厄除橋(左中央)・大浜海岸・うみがめ博物舘(立島の左手前)

Img_1786 案内図

写真と同方向

Img_1807 厄除橋から日和佐川河口、日和佐城(右上)

日和佐城は城山(65m)という小高い丘の上にある。

Img_1812 日和佐御陣屋跡(町役場の所)

海部郡代所が文化4年(1804)にここに移転された。

Img_1809 説明板

Img_1813 矢見立岩(的石)?

御陣屋の射場に立っていて、この岩陰で矢が的を射とめたかどうかを判定したという。

Img_1816 弘法寺法印堂

Img_1815 説明板

Img_1818 日和佐八幡神社

秋祭りには8台のチョ-サ(太鼓屋台)が大浜海岸へ練り出す、勇壮な「チョ-サお浜出で」が見もの。

Img_1819 説明板

Img_1824 うみがめ博物館

Img_1828子ガメ水槽

Img_1831 アカウミガメの子どもたち

Img_1838 大浜海岸

5月中旬から8月上旬に海亀が上陸して産卵する。

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