四国遍路道(高知県-10)
2008年10月23日
国民宿舎土佐・・・宇佐大橋・・・県道23号・・・水産試験場・・・深浦漁港・・・浦ノ内小学校・・・・・・鳴瀧八幡宮・・・出見公民館・・・花山院廟(番外霊場)・・・浦ノ内トンネル・・・東立目川・・・浦ノ内中学校・・・鳴無神社・・・笠松橋(東分川)・・・県道314号・・・仏坂遍路道・・・仏坂不動尊(岩不動)(番外霊場)・光明峯寺・・・仏坂・・・県道314号・・・(新川橋)・・・塩木橋(桜川)・・・(源蔵橋)・・・(大峰橋)・・・須崎(すさき)港・・・御手洗川橋・・・(JR土讃線)・・・観音寺(番外霊場)・・・須崎市役所・・・(国道56号)・・・お馬堂(お馬神社)・・・めがね橋通り・・・土佐藩中砲台跡・・・須崎八幡宮・西鴨神社・・・今清神社・・・大善寺(番外霊場・別格第五番札所)・・・柳屋旅館
雨の中をカーブが続く車道を下って宇佐大橋まで打ち戻り、浦ノ内湾沿いに横浪三里を行く。37番岩本寺までは58kmほどで、今日は須崎までの坂道散歩。西へ進んでいるのだが、入り組んだ小さな入江を曲がり回りながら行くので、なんだが湾を一回りしているようで前に進んでいる気がしない。浦ノ内小学校への上りの所で土地の人らしき青年に道を確認する。後で知ったがこの青年は埼玉県の熊谷から歩いて来ている野宿旅行者で沖縄まで行くという。札所は全部は回らないそうだ。浦ノ内小学校の前に「どうして歩いているのですか。」という質問棚が置いてある。疲れた顔で黙々と坂を上って来るお遍路が不思議なのだろうか。
県道から離れ花山院廟への道に入る。花山院廟は直接、弘法大師とは縁はないが、西国三十三観音霊場巡りを再興したとされる花山法皇に敬意を払ってか、古くからの番外霊場になっているようだ。浦ノ内中学校先のコンビニの前で昼飯のパンを食べていると、篭を背負った僧侶風のお遍路がやって来た。僧ではなくこの人も野宿遍路だった。毎日、歩ける所まで行き、疲れたら公園、海岸などで寝て、川で水浴びをしてフロ代わりにするという。ただ、主に国道・県道を歩き、起伏があり遠回りになる遍路道には入らないようだ。この先の仏坂遍路道には上らずに県道23号を行くという。僧侶風遍路が発った後に、埼玉の野宿旅行者がやって来た。すごい荷物だ、大きなリュックに両手にも重そうな袋をぶらさげて引きずるように歩いている。ノートパソコンまで入っているという。熊谷からここまでもよく歩いて来たが、この先沖縄まで行くとは。こんな調子で歩いていたら沖縄に着くのは来年になるだろうか? その後はどうするのか聞きたかったが止めといた。
昼飯を食べている野宿青年に励ましと別れを告げ、県道23号から離れ県道314号に入り仏坂遍路道を目指す。ちょうど県道から遍路道に入るあたりで小降りだった雨が激しくなってきた。車を止め煙草をふかして休憩している郵便配達員が怪訝そうな顔でこっちを見ている。坂道散歩人はこれしきの雨はどうってことはないと遍路道に入る。急な山道となり、傘をさして雨具を着ているので蒸し暑くて参った。一旦県道に出て少し行くと仏坂不動尊への下りの遍路道に入る。急な石畳は雨でつるつるで滑ること。折れ枝を杖に道の端っこを通ってなんとか仏坂不動尊(岩不動)に下りた。小さなお堂に岩の不動さんが納まっているが、他に不動堂、光明峯寺などがあってけっこう広い空間だった。岩不動の前で休憩している間に雨も小降りになってきた。なだらかで静かな仏坂を下る。滑る心配もなく気分がいい。
県道314号に合流し、桜川沿いを進み大峰橋で須崎港を渡る。JR土讃線を渡り国道56号に出ると番外霊場の観音寺は近い。後ろから土地のおじさんに話しかけられる。東北から歩いて来た人がいたという。埼玉からといい、東北からといい兵(つわもの)限りなしということか。須崎市役所前を通り、「よさこい節」ゆかりのお馬神社から市街地に入る。商店街は繁盛している方か。近くをざっと一回りしてから大善寺の鐘楼に上る。須崎港の眺めがいい。すぐ下に今夜の宿、柳屋旅館の宿が広がっている。この宿は昔ながらのどっしりした造りで落ち着ける。平成18年のNHKドラマの「ウオーカーズ」のロケにも使われたそうだ。夕食は昨日、国民宿舎土佐で一緒だった、一人歩きのご老体遍路と中年の学者風遍路の三人。二人が日本酒を旨そうに飲むので、こっちもビールの後、熱燗を飲むとする。今夜から明日の朝にかけて大雨になるらしい。明日の焼坂峠越え、大坂遍路道から七子峠へは大丈夫だろうか。大坂遍路道は流水で通行不能の時もあるという。そんなことを話しているうちに気持ち良く酔っていった。
【ルート地図】(296→314-2)
写真をクリックすると拡大します。
少し浦ノ内湾から離れる。
「どうして歩いているんですか」の質問の紙と、返事用のはがき、地蔵の顔が書かれた小石(10円)が置いてある。なかなか答えが難しい。坂道散歩の延長だといっても分からないだろうし、弘法大師への信心があるでもないし。自分探しの旅、触れ合いを求めての旅なんて全くの嘘だし。ちなみに我家の宗派は真言宗だ。だったが正確か。
もとは春日山阿弥陀寺といい、花山院の位牌を安置していたという。花山院は西国三十三カ所観音霊場巡りを再興したともいわれる。四国札所の番外博士、客員教授というところか。今年は花山院没後1000年にあたる。
ここから右に山道へ入ったと思う。
雨で滑る石畳を折れ木を杖に慎重に下る。(上の小堂は不動堂ではない。)
岩に字が書かれているのか。大師がこの坂を越えた時、紫雲がたなびき諸仏が現れ、大師が正面の岩に触れた時、不動明王が現れたという。
仏坂(坂下方向) 仏坂不動尊から下る坂。【ルート地図】の305
観音寺(番外霊場) 《地図》
百済の仏師達が帰路、海上安全を祈り堂宇を建立し、正観音像を安置したという。
一年に三度栗が実る「三度栗」の伝説がある。(説明板)
「よさこい節」のヒロインのお馬さんを祀る。縁結びにご利益あり。「よさこい節秘話」、「お馬さん」については、『四国遍路道高知県⑤』に記載。
中砲台跡 《地図》
跡といっても跡形もない感じだ。西浜公園の西砲台の方が跡がしっかり残っているようだ。
不平等条約改正にきっかけの一つになった事件とか。
細く上に伸びている境内だ。大師の海上安全、守護にまつわる話を伝え、「二つ石大師」といわれる。(説明板②)
下は旅館柳屋の屋根。かなり広い敷地だ。
家に持ち帰ったが、皮が堅くてむけないという。
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