四国遍路道(高知県-7)
2008年10月20日
のいち駅・・・県道22号・・・香南市役所・・・烏川・・・(龍馬歴史館)・・・28番大日寺・爪彫薬師堂(奥の院)・・・烏川・・・戸板島橋(物部(ものべ)川)・・・松本大師堂・・・(国道195号・JR土讃線)・・・県道45号・・・へんろ石饅頭店・・・廿枝(はたえだ)坂(上の写真)・・・国府橋(国分川)・・・古今集の庭・紀貫之邸跡・・・土佐国庁跡・・・比江廃寺塔跡・・・祖母神社・・・日吉(ひえ)神社・熊野神社・・・永源寺・・・国分川・・・地蔵の渡し跡・・・29番国分寺・・・岡豊橋・・・岡豊(おこう)城跡(高知県立歴史民俗資料館)・・・県道384号・・・小野神社・・・(高知自動車道)・・・毘沙門の滝(番外霊場・29番奥の院)・龍門院宗円寺・・・逢坂・逢坂峠・・・レインボー北星
今日も晴れて暑いぐらいの陽気だ。28大日寺から住宅街を抜け、物部川を渡り田園の中の遍路道を行く。車の通行も少なく静かでのどかだ。松本大師堂で休憩し、土讃線を渡り、遍路道沿いのへんろ石饅頭屋で饅頭を2個買って食べてみる。これがほどよい甘さでけっこういける。店の人の話では、「へんろ石」はこのあたりの地名で、へんろ石はないというが・・・。店の北側から国分川の方へ下るのが廿枝坂だ。偶然、廿枝坂のバス停があるのに気づいて知った坂で坂道散歩人には大いに嬉しい。これも地名に由来する坂名のようだ。
国府(国分?)橋を渡り遍路道から離れ北へ、紀貫之邸(国司館)跡、土佐国庁跡、比江廃寺塔跡や比江山史跡の方へ向う。白鳳時代から江戸時代までの遺跡が残る見ごたえがある所だ。国分川まで戻り、川沿いに行くと地蔵の渡し跡で、今でも地蔵さんが渡しの方を向いて座っている。ここが旧遍路道で田畑の中を行くと29番国分寺に出る。金堂の杮葺(こけらぶき)の屋根がいい。芝生の雑草を一本一本丁寧に抜いているお婆さんとしばし雑談。少しの間でもしゃがんで話をするのはきつい。何時間も同じ姿勢で、目立たず地味な作業をしているお婆さんにはきっと大師の加護、ご利益があるだろう。
国分寺の先から遍路道に入り、途中道を間違ったかと半信半疑で進んだが、なんとか岡豊城跡の下の県道384号に出た。標高100m近くの岡豊城跡の頂上部(詰)まで上る。疲れてきた足にはちょっとこたえた。東方向の眺望が開け、国分川、国分寺方向が望める。県道に戻り西へ、番外霊場の毘沙門の滝を目指す。高知自動車道をくぐり、右に曲がる。札所と違って番外霊場への道標、道案内標示はきわめて少ない。ここも標識はなく、聞く人も通らず、どんどん上って行ったら行き止まり。龍王院の案内標示がある分岐まで戻る。確か毘沙門の滝があるのは宗円寺の脇の池の奥だったはずだが、かまわず龍王院の方への道を行ってみる。前を歩いていた女性に追いつき聞くと、毘沙門の滝は真っ直ぐ行った突き当りという。さっきの行き止まりに見えた所からも行けたそうだ。道は池と龍王院(=宗円寺だった)の前に出た。池の前の「レストラン毘沙門」からカラオケで演歌を歌うおばちゃんの声が流れてくる。歌声、調子はここも東京も変わらない聞きなれた歌い方だ。滝といっても山の中でもなく期待はしていなかったが、まあまあという所、予想以上というべきか。
県道384号に戻り、逢坂を逢坂峠へ上り、下って30番善楽寺手前の今夜の宿、レインボー北星に着いた。ここは民間のアパートの一部を宿の部屋としている。部屋に案内されてから相部屋になるかも知れないといわれた。それは宿側のルール違反で、予約の段階でいうべきことだ。相部屋でいいと思う時もあるし、一人でいたい時もある。疲れているし、もう5時近くで、今更キャンセルして他の宿を探して行くのも面倒だしあきらめる。しばらくして同室の沖縄の青年が入ってきた。野宿中心で回っているという。夕食後、部屋であれこれと話をしているうちに、いつの間にか今日の疲れと、ビールの酔いで寝入ってしまった。
【ルート地図】
写真をクリックすると拡大します。
蝋人形はどうも好きになれない。それにまだ開館時間前だ。
28番大日寺山門 【ルート地図】の①
どう見ても赤ん坊の人形だ。
戸板島橋から物部川 《地図》
まだ新しいお堂だ。
泊まり用のフトンも置いてある。
野田踏切あたり(御免駅と土佐長岡駅の間)
明治25年創業という老舗。店の人によると、このあたりの地名(字名か?)を「へんろ石」といい、へんろ石はないというが、「へんろ石」と呼ばれた石造物があったから地名になったのだろう。店の前に古い道標があったが、それに類似したものか。
廿枝坂(坂下方向) 廿枝バス停から国府橋へ下る県道45号。 【ルート地図】の②
これもここの地名に由来する坂。廿は「二十」だが、20の枝を持つ木でもあったのか?
古今集の庭
塔は礎石から推定すると32mの高さだったという。向うの香南市のごみ焼却施設の煙突より高かったのだろう。
最長幅が3.24mあり、石の外孔に五重塔の中心柱が立ち、内孔には仏舎利を納めた。その他の礎石は藩政時代に国分川の改修に使われてしまったという。
この寺は土佐国分尼寺に代用されたとする説もある。
長宗我部の一族の比江山親興の居城。親興は長宗我部家の相続問題で、吉良親実とともに元親を諌め討伐された。
神社の上が比江城跡で、親興を祀る比江神社もある。
比江は「比叡」あるいは「日吉(ひえ)」に由来とか。
永源寺 《地図》
土佐藩山内家の初期の家老、乾(いぬい)家の菩提寺
卵形の乾家の墓石
遍路はここを舟で渡り国分寺に向った。正面向こうが国府橋。
文化7年(1810)の建立。説明板には、「国分橋」となっているが、橋の標示は「国府橋」となっていた。
地蔵さんの姿は見えず。別に今さら酒を断とうとは思わないが。
まだ子どものようだ。
岡豊橋から 《地図》
右が国分川で、左が笠ノ川川
中央左の木がこんもりしている所が国分寺、その左後ろが国庁跡、その左に比江廃寺塔跡。右の川は国分川。
13~14世紀頃築城の長宗我部氏の城で、後に大高坂城(高知城)、浦戸城に移る。
大師が滝に打たれて修行した地。毘沙門天を彫り、祀ったのが毘沙門堂という。
あひると鴨か? 仲が良さそうだ。
昭和58年開山の新しい寺で、境内の観音や不動像も新しい。
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