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2008年11月30日 (日)

四国遍路道(高知県-17)

2008年11月18日

Img_4714_3民宿はっと・・・県道27号・・・難の大岩・・・夕日ケ崎・・・遍路休憩所(「トオルマの夕日」鑑賞地)・・・松尾天満宮・松尾のアコウ(絞殺木)・・吉福家住宅・・・女城(めじろ)神社・女城岬・・・灯明台(金刀比羅宮)・・・鴉(からす)ノ岬展望台・・・影山椿園・・・払川・・・みなと橋・・・蛭子橋(大浜川)・・・皇太神宮・・・中浜(ジョン)万次郎生誕地・・・六部堂・・・厚生橋・唐船島・清水港・鹿島神社・・・国道321号・・・以布利第2・第1トンネル・・・大岐海岸・・・民宿いさりび 

 今日は足摺岬の西岸を行き、清水港から国道321号を北上し、以布利港の先で昨日歩いた道に出て、逆に進み久百々までの打戻りの行程で距離的にもたいしたことはない。遅い朝食の後、女将から民宿経営の苦労話(外人客、釣りの団体客のことなど)を聞いて8時近くに宿を発った。途中、遍路道沿いや少し離れた所に寄り道する見所がけっこうあって好都合だ。

 松尾天満宮裏の絞殺木(こうさつもく)のアコウの大木を見た後、女城岬の平家落人伝説の女城神社に下り、小高い灯明台に上り、鴉ノ岬展望台へ下ってから戻って遍路道に入る。山道を抜けると舗装された緑の多い静かな道になり、途中に椿園などもあって歩いていて気分がいい。県道27号に出てしばらく行くと大浜から中浜へ入る。(上の写真は大浜から中浜への境あたりから大浜方向) 中浜はジョン万次郎の生まれた所で、帰国後は旗本になって中浜の姓をつけた。中浜万次郎生誕地記念碑の先の食料品店で昼の菓子パンを買って店を出ようとしたら、客のおばあさんがお接待にと千円札を差し出した。ちょっと多すぎると言ってみても引っ込めようともしないのでいただくことにする。39番延光寺でおばあさんの健康、長寿を願うことにしよう。再び遍路道に入り六部堂の下あたりでパンをかじる。けっこう長い木々の間の遍路道は清水港に架かる厚生橋のそばまで続いていた。唐船島が浮かぶ港岸沿いを進み、鹿島公園の先から国道321号を北に上る。

 以布利トンネルを抜け下りかけた所が窪津港方向と以布利港、大岐海岸方向の分岐点だ。道標を確認していたら窪津方向へ行く車が止まった。乗せてくれるというが、歩きますのでと丁重に断る。まあ方向も違うが。下って以布利の交番の先で、昨日、以布利港へと下った遍路道の分岐点に着いた。ここから先は昨日と逆に同じ道をゆっくり歩く。大岐海岸で一休みして波打ち際に手を入れてみた。さぞかし冷たいだろうと思いきや暖かくてびっくり。ちょうど海から上がってきたサーファーの青年に海の中は冷たいだろうと聞いてみると、海の中の方が外より全然暖かいと言われまた驚いた。青年は静岡から車でいい波を求め全国?を回っているという。88の寺を歩いて巡っている人もいれば、サーフィン海岸巡りをしている人もいる。十人十色の楽しみ方があるものだ。(四国遍路は道楽ではないと目くじらを立てる輩もいるだろうが。)

 午後から風が少し強まってきたようで、北に向って歩いているので半袖だと少し寒く感じてきた頃に民宿いさりびに着いた。この宿は国道沿いの少し小高い所にあって海の眺めがいい。晴れていれば明日の日の出が拝めそうだ。今日の泊り客は神戸の区切り打ち歩き遍路のSさんと3人組みの若者と私の5人。Sさんは足を少し痛めているので明日、足摺岬の38番を今回の打止めとし、バスで中村まで戻って帰宅するいう。当初は隣りがSさんの部屋だったが若者たちと部屋を変えたようで、遅くまで3人で喋っていて耳障りでなかなか寝つけなかった。

  【ルート地図

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Img_4624_3                    

難の大岩

何の大岩なのか調べても分からず。

Img_4629 遍路休憩所 

「トオルマの夕日」の案内板がある。

Img_4630トオルマの夕日」案内板

Img_4631 トオルマの夕日の写真

春分、秋分の日の前後数日間に太平洋に沈む夕日が洞穴内に差込み、揺れる海面を赤く染める。

Img_4633 トオルマの夕日が差し込む洞穴だろう。(正面下) 【ルート地図】の①

Img_4641 松尾天満宮

拝殿の中に廻り舞台があるようだ。

Img_4640 説明板

Img_4644 アコウの大木

Img_4642 説明板

Img_4646 中は空洞になっている。他の木に寄生して成長したアコウの気根が元の木を覆い絞め殺して枯らしてしまい空洞になった。アコウは恐ろしい絞殺木なのだ。

Img_4652 吉福家住宅(国指定重要文化財)

明治34年に吉福家の二代目によって建築された。

Img_4648 説明板

Img_4650 主棟

Img_4654女城神社 【ルート地図】の②

平家落人伝説にまつわる生平さまを祭神とする子宝・安産の神様。

生平さまが出産の後、産衣を洗ったのが「女川」で、今も川に下りる坂は「女子ノ坂」と呼ばれているそうだ。次回に行って見たいが。次回はいつか、次回はあるのか・・・。

Img_4656 女城鼻監視哨跡(女城岬の女城神社境内)

太平洋戦争末期に米軍機をここから監視した。海面近くに飛来する米軍機をここから小銃で狙撃したという。子どもの戦争ごっこじゃあるまいし。

Img_4655 説明板

Img_4657 女城岬から足摺岬方向

下は磯釣場

Img_4674灯明台(金刀比羅宮の石灯籠)

灯台の役目をしていたのだろう。安政7年(1860)の建立。

Img_4672 灯明台から

Img_4678_2 鴉(からす)ノ岬展望台から 【ルート地図】の③

東(女城岬、足摺岬)方向

Img_4679西方向

Img_4687遍路道

Img_4695倒木が道をふさぐ

Img_4719中浜(ジョン)万次郎生誕地碑(中の浜地区)

Img_4722 六部堂

Img_4728 遍路道

Img_4738 唐船島(清水港の厚生橋の所) 【ルート地図】の④

応仁の乱で土佐に下向した一条家が中国に遣わした遣明船の前線基地だった。南海大地震(昭和21年)で80cm隆起して国の天然記念物となった。歴史学上ではなく、地質学上での指定のようだ。

Img_4735 説明板

Img_4743 清水港

Img_4749 鹿島神社

鳥居の向こうは清水港

Img_4745 由緒

Img_4752「お遍路さん優先いす」で一休み

国道321号沿いのコンビニ「スリーエフ」

Img_4755 以布利トンネルへ上る。

Img_4763トンネルを抜けた窪津と以布利、大岐方面の分岐。大岐方向へ進む。

Img_4766 昨日の道に出る。

昨日はここから以布港へ下った(正面右)。

Img_4768_2 幡陽小学校の先で右へ 大岐海岸へ下る。

Img_4771 小さな流れを木を足場にして渡る。

Img_4774 大岐海岸は今日もいい波が来ている。 【ルート地図】の⑤

Img_4781 遍路道

Img_4793 磨り減った石仏が2体

Img_4381 民宿いさりび

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2008年11月29日 (土)

四国遍路道(高知県-16)

2008年11月17日

Img_4460 民宿安宿・・・国道321号・下ノ加江大橋(下ノ加江川)・・・やすらぎ大師・・・鍵掛(かいかけ)橋・・・久百々川・・・大岐海岸・・・県道27号・・・以布利港・天満宮・・・魚つき保安林・・・窪津漁港・恵比寿神社・・・王子神社・・・桃ノ木谷橋・・・足摺岬・38番金剛福寺・・・白山洞門・・・木の股地蔵・・・白山(白皇)神社(38番奥の院)・・・民宿はっと

 朝食が終わると4人はさっさと出発した。ここから足摺岬までは25kmほどでそんなに急ぐ必要はないがそれでも7時前には宿を出た。足摺岬までは海岸沿いの平坦な単調な道かと思っていたが、アップダウンを繰り返すカーブの続く道でこの方が飽きずに歩ける。時々、旧道のあしずり遍路道に入るがあまり通られていない荒れている所もある。

 大岐海岸で国道を離れ、小さな木橋を渡り砂浜を行く。いい波が立ちサーファーたちが楽しんでいる。国道に戻って進み以布利港へ遍路道を下る。波打ち際を行くと前は崖で行き止まりになりそうでちょっと不安になるが、手前から草むらの中を細い遍路道が上っていた。魚つき保安林近くの遍路道(上の写真)の途中で前から来た中年女性のバイクが止まった。お菓子か果物のお接待かと思ったら歩いている所の写真を撮らせてくれという。歩く姿を前から写真に収めて満足そうだったが、編み笠を被っていればもっとよかったのになんて贅沢なことを言っていた。

 窪津漁港を過ぎたあたりで遍路道に入り上って行く。下に広がる漁港の町並みの眺めがいい。かつては毎日のように鯨が来遊し、鯨の生け捕りで賑わったという。桃ノ木谷橋を過ぎるとそこは足摺岬という感じだ。夏の太陽のような陽射しが降り注ぐ天狗の鼻から足摺岬灯台方向の眺め、展望台からの天狗の鼻と断崖絶壁の景色を楽しんだ後、38番金剛福寺へ向う。参拝を済ませ大師ゆかりの足摺七不思議の残る遊歩道を進み、急な石段を白山洞門へ下る。荒波が岩を穿って造られた花崗岩の洞門はなかなか見ごたえがあった。そろそろ背中のリュックの重さがこたえてきたが石段を上り返し、木の股地蔵、白山神社から民宿「はっと」に入った。

 この宿の釣り船(渡船)「はっと丸」は映画の「釣りバカ日誌」にも使われたそうだ。釣り客と遍路と観光客が泊まるという。女将さんの話によると「はっと」は帽子で以前は「ドライブインハット」だったが漏電事故で廃業になった。繁盛して名前も知られていた店だったのでハットはひらがなに変えて残し、主人(船長)が民宿を開いたそうだ。今日は釣り客2人と私。夕食は何種類もの豪華な魚料理で満腹になった。ただ釣りの話が中心となり門外漢にとってはちょっと残念な気分ではあった。

  【ルート地図

  *参考:『土佐清水市観光ガイド

  写真をクリックすると拡大します。

Img_4355下ノ加江川からの朝日

Img_4359 やすらぎ大師(右) 【ルート地図】の①

Img_4824 堂内には可愛い大師さんが。

Img_4372 下ノ加江海岸

Img_4374 起伏のある国道321号を行く。

Img_4398 大岐松原説明板

松原は見当たらなかった。

Img_4403 大岐海岸 【ルート地図】の②

水量が多い時は小さな木橋は渡れず国道を歩くことになる。

Img_4404 説明板

Img_4416 サーファーたちが季節を問わず訪れる浜辺。

Img_4434 以布利港へ下る坂

Img_4447 以布利港

Img_4444天満宮

Img_4451 波打ち際の遍路道

小さな木橋を渡り右奥の崖下あたりまで波打ち際を行く遍路道。海岸なので道筋はついていない。

Img_4454 ここから海岸から離れ上って行く。

Img_4459木々の間の遍路道に出る。

Img_4462 魚つき保安林の標識

森林が魚を寄せるという。人間も魚も森林に守られて生存しているのだろう。

Img_4467倒木などで荒れている遍路道もある。

Img_4482 窪津漁港へ向う県道27号から

Img_4486 窪津漁港 【ルート地図】の③

Img_4487 鯨の生捕り説明板

Img_4500 遍路道から窪津漁港

Img_4527 岩が御神体か

Img_4547 足摺岬案内図

Img_4540 天狗の鼻から足摺岬灯台

逆行で強い陽射しだ。

四国最南端の地で昔から観音浄土に一番近い所と信じられ、ここから補陀洛渡海を夢見て船出した者も多くいた。今でも身投げが多い。ただし補陀洛信仰の捨身行ではなく、ただの自殺だ。

Img_4549 展望台から天狗の鼻

Img_4556 38番金剛福寺 【ルート地図】の④

Img_4568 本堂(左)・大師堂(中央)・多宝塔(右奥)

Img_4564 多宝塔は源満仲の建立

Img_4570ジョン万次郎の銅像

Img_4572 足摺七不思議

①地獄の穴

すぐ下の賽銭の所が底だ。

Img_4571 説明板

Img_4575 ②大師の爪書き石

Img_4574 説明板

Img_4578_2③亀呼場

右下が不動岩か?

Img_4577 説明板

Img_4581 ④大師一夜建立ならずの華表(とりい)

鳥居ではなく足摺岬灯台が立つ。

Img_4580 説明板

Img_4587 ⑤ゆるぎ石

Img_4586 説明板

Img_4590 ⑥根笹

この地に生える笹はこれ以上大きくならないというが笹は少ない。

Img_4597 ⑦亀石

右を向いている亀に見える。

Img_4596 説明板

Img_4592 汐の満干手水鉢

これを入れると足摺八不思議になるが? 土佐清水市の足摺七不思議にはこれが入っている。 「竜の駒」・「竜灯の松」などを七不思議に入れる説もあり、諸説様々のようだ。

Img_4591 説明板

Img_4599 急な石段を下って白山洞門へ

Img_4603 白山洞門 【ルート地図】の⑤

密教における胎蔵界で、金剛福寺が金剛界。

Img_4613 説明板

Img_4611 木の股地蔵

根っこ近くの間に地蔵さん。

Img_4610 地蔵さんが二体

Img_4616 白山神社(38番奥の院)

もとは白皇権現を白皇山頂(433m)に祀っていた。明治の神仏分離で白皇神社となり、その後白山洞門上の白山権現と合祀され当地に社殿を造営し、遷座した。

鳥居には「白山神社」、社殿の扁額には「白皇山」とある。

Img_4620民宿はっと

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2008年11月28日 (金)

四国遍路道(高知県-15)

2008年11月16日

Img_4322 高知駅(JR土讃線・土佐くろしお鉄道)→中村駅・・・渡川大橋・・・県道20号・・・四万十大橋・・・国道321号・・・大文字山の送り火・・・庵寺・・・津蔵渕橋(津蔵渕川)・・・伊豆田坂・・・今大師寺・新伊豆田トンネル(1620m)・・・伊豆田橋(市野瀬川)・・・真念庵(番外霊場)・・・ドライブイン水車・・・市野々橋(市野々川)・・・下ノ加江川・・・神母神社・・・民宿安宿

 四万十市の中村から足摺岬の38番金剛福寺を回り、三原村、宿毛市を通り、「修行の道場」の土佐から「菩提の道場」の伊予国愛媛県に入り、松山市の道後温泉そばの51番石手寺までの四国遍路道の坂道散歩です。

 前回の続きで足摺岬を目指して中村駅から歩き始める。四万十大橋を渡り国道を歩いていると散歩中の犬が自動車に当て逃げされて倒れている。薄目を開け、触ってみるとまだ体は温かく血は流れていないようだ。ちょっとうろたえている飼い主のおばさんに近所の人と医者に運ぶように勧める。今日も大坂でバイクで新聞配達中の青年が飲酒運転の乗用車に引き逃げされて死んだらしい。最近の運転者のモラルの低下に憤りながら早足で進む。

 しばらく行くと右手の小さな大文字山の山肌に「大」の文字が見える。応仁の乱を避けて中村へ下向した一条家が京の大文字焼を懐かしんで始めたもので、ここ間崎地区の人々によって500年以上受け継がれてきているという。緩やかな伊豆田坂を上って今大師寺の先から新伊豆田トンネルに入る。1620mもある長いトンネルで車の騒音を心配したが、通行量は意外に少なく歩行者用通路の幅も広いし、照明も明るく抜けるのはさほど苦ではなかった。

 土佐清水市に入り、「四国遍路の父」とも称されるの真念を祀る真念庵に寄る。苔むした石段(上の写真)の上に小さな庵がひっそりと佇んでいる。夕刻も近い国道を下ノ加江川沿いを急ぎ、今夜の宿の民宿「安宿」(「やすやど」ではなく「あんしゅく」)に着いた。ここは下の加江川の河口近くで、ちょうど38番へ向う遍路と、38番から打戻り三原村から宿毛市の39番延光寺へ向う遍路の出会う宿で今日の泊まりは一人歩きの5人。うち2人が38番へ、2人が39番へ、もう一人は逆打ちのご老体遍路という顔ぶれ。夕食は情報交換などで賑やかだ。隣に座った酒好き遍路は、ビール(大びん)、酒を2本、その後でまたビールを飲んでいる。毎日こんなペースだという。さぞかし金がかかることだろう。ご老体遍路は体調が良くないという。宿の主人も話好きでいろんなアドバイスをしてくれるが、ちょっと話し過ぎと感じるのは私だけか。明日はいよいよ足摺岬だ。

  【ルート地図

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Img_4278アンパンマン電車(土佐くろしお鉄道)で高知駅から四万十市の中村駅へ。

漫画の「アンパンマン」の作者、やなせたかしは高知県香美市の出身。

Img_4281 四万十大橋(正面奥) 【ルート地図】の①

四万十川の河口近くで中筋川(手前が)四万十川に合流するあたり。

Img_4291 大文字山の送り火 【ルート地図】の②

Img_4289 説明板

Img_4293 庵寺?

Img_4301 今大師寺 【ルート地図】の④

高野山も今大師と呼ぶことを認めて許したという「玉還喜伝坊」と、弘法大師、不動尊を祀る。

Img_4303 由来碑

Img_4298 伊豆田坂(坂上方向) 【ルート地図】の③

新伊豆田トンネルへ上って、下る坂。

Img_4306 新伊豆田トンネル(1620m)

トンネルを抜けると四万十市から土佐清水市に入る。

Img_4313 伊豆田坂(坂下方向)

土佐清水市に入って下る。

Img_4323 真念庵の石段上

88ケ寺の寺名を彫った石仏が並ぶ。

Img_4325 石仏

顔の表情がユーモラスというか稚拙というか。右は28番大日寺、左は29番国分寺。

Img_4324 真念庵(番外霊場) 【ルート地図】の⑤

真念は遍路がここに一泊し、荷物を置いて38番を打った後、打ち戻ってここに立ち寄り、39番延光寺に向えるように庵を建てたという。

Img_4320 説明板

Img_4339 下ノ加江川から

山合いに日が沈みかけている。

Img_4341 神母神社

Img_4345 民宿安宿(あんしゅく)

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2008年11月15日 (土)

四国遍路道(高知県-14)

2008年10月27日

和加松旅館・・・玉姫の墓・・・四万十市郷土資料館・中村城跡・・・幸徳秋水の墓・・・祇園社(須賀神社)・・・四万十川橋(赤鉄橋)・・・一條神社・・・(土佐くろしお鉄道)・・・太平寺・・・長池神社・・・天御中主神社・・・不破八幡宮・・・四万十川・・・中村駅(土佐くろしお鉄道・JR土讃線) → 高知駅・・・安楽寺(30番奥の院・元30番札所)・・・大川筋武家屋敷資料館・・・豊栄橋(江の口川)・・・大町桂月誕生地・・・高知城・・・坂本龍馬誕生地・・・思案橋・・・龍馬の生まれたまち記念館・・・旧山内家下屋敷・・・高知大神宮・・・武市瑞山殉節地・・・吉田東洋殉難地・・・はりまや橋・・・高知橋・・・高知駅

 土佐の小京都、四万十川と後川に挟まれた中村の町を散策し、高知駅に出て元の30番札所だった安楽寺へ寄り、高知城から玉水町の思安橋(跡)まで足をのばし、はりまや橋で今回の四国遍路道の坂道散歩の打ち止めとした。

  *参考:『四万十タウンマップ』・『高知城周辺史跡マップ

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Img_4084 玉姫の墓

土佐一条家第二代房冬の夫人。

Img_4088 四万十市立郷土資料館

Img_4089 後川、石見寺方向

Img_4094 四万十川橋(赤鉄橋)・渡川大橋方向

Img_4106 中村城石垣

中村城は為松山頂にあった4つの城の連立式城郭。

Img_4105 説明板

Img_4116 幸徳秋水の墓

Img_4117 説明板

Img_4124 祇園社

Img_4125 説明板

Img_4127 四万十川橋(赤鉄橋)

Img_4128 四万十川

Img_4133 一條神社

応仁の乱で京から下向した一条氏の中村御所跡に建つ。

Img_4130 説明板

Img_4132咲かずの藤」説明板

Img_4135 御化粧井戸

Img_4134 説明板

Img_4136 今も水を溜めている。

Img_4137 本殿・天満宮(左)

Img_4141 説明板

Img_4142 天神社由来

Img_4139 中村御所説明板

Img_4140 配置図

Img_4145 リュックのベルトにじゃれる子猫

Img_4148 太平寺

Img_4097 説明板

Img_4149 本堂

Img_4153 長池神社

Img_4167 天御中主神命神社

Img_4155 不破八幡宮

Img_4160 説明板

Img_4157 本堂

Img_4159 神木の楠

Img_4164 四万十川原から

確かに水は澄んでいる。

******ここからは高知城下******

Img_4171 安楽寺(30番奥の院・元30番札所) 《地図

平成6年までは善楽寺とこの寺の二つの30番札所が存在し、「遍路迷わせの三十番」と言われてきた。

Img_4169 多宝塔

Img_4175 一言地蔵

Img_4180 薫的神社(洞ケ島神社) (安楽寺の隣り)

土佐の「イゴッソウ」の元締めのような薫的和尚を祀る。四万十市中村にも薫的神社があり、訴訟事、勝負事の神様、試験合格の神様として人気がある。

Img_4182 薫的和尚が自害した牢屋

頑固で激情型の人物だったようだ。

Img_4181説明板

Img_4185 薫的和尚の廟。

Img_4191 大川筋武家屋敷資料館

Img_4187 説明板①

Img_4188 説明板②

Img_4199 高知城

Img_4207 詰門

Img_4208 説明板

Img_4215 天守閣から東方向

正面奥の丘が岡豊城跡

Img_4219武者隠

正面の襖の後ろに畳敷きの小部屋がある。

Img_4223 黒鉄門

Img_4225 城内のこの鐘はもとは一時廃寺となった善楽寺にあったものともいうが。

Img_4238 坂本龍馬誕生地 《地図

Img_4241 思案橋(跡) 玉水町1と2の間 《地図

ここ玉水町にあった遊郭「上の新地」(玉水新地)へ、「行こか、戻ろか」思案した橋。ちなみに「下の新地」は鏡川の河口の埋立地にあったが戦災で廃業した。ここは戦後まで赤線地帯だったという。どこかに高知城へ向う武士たちが、ここでどの道を通って城へ行こうか思案したなんて書いてあったがそうだろうか。長崎の思案橋は『長崎市の坂-2』、金沢のは『金沢市の坂-4』、津山は『出雲街道(津山宿)』に記載。

Img_4240 思案橋

低い橋柱の下に水が流れているから今も現役の橋か。橋の上は道路と一体化しているので橋とは気がつかないだろう。もう一方の橋柱に「大正十五年五月架換」とある。

Img_4251 露店の市

思案橋の手前の上町5の通り。

Img_4253 龍馬の生まれたまち記念館

Img_4259 旧山内家下屋敷長屋跡 《地図

現在は三翠園の敷地の一部になっているようだ。

Img_4254 説明板

Img_4255 内側から

Img_4266 高知大神宮

Img_4267 よさこい稲荷(大神宮境内)

京都河原町の土佐藩主山内邸にあった土佐稲荷を遷し、平成11年に「よさこい稲荷神社」と改称した。昭和40年頃まで縁の下に狐が棲んでいたという。

Img_4277 はりまや橋(播磨屋橋)とお馬と純信の石像。《地図

「日本三大がっかり名所」の一つ。「がっかり橋」か。

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2008年11月10日 (月)

四国遍路道(高知県-13)

2008年10月26日

民宿みやこ・・・浮津橋(東分川)・・・大師堂・・・湊川・・・松原大橋・・・入野松原・・・大方あかつき館・・・賀茂八幡宮・賀茂神社・・・(土佐くろしお鉄道中村線)・・・国道56号・・・蛎瀬(かきせ)川・・・逢坂・逢坂トンネル(210m)・・・古津賀古墳・古津賀神社・・・県道333号・・・春日神社・・・八宗田排水機場・・・石見寺(番外霊場)・厳島神社・・・安並運動公園・・・後川橋(後川)・・・奥御前宮・・・幡多郡奉行所跡・・・行余館跡(藩校)・・・中村大神宮・・・旅館和加松

 小雨の中を国道56号を進み大師堂の先で入野海岸、入野松原の方へ遍路道に入る。日曜のせいか雨にもかかわらず朝早くから車で来ている家族連れ、サーフィンを楽しむ若者たちで海岸は賑わっている。38番金剛福寺へは海岸寄りを行って県道42号に出て南下し、四万十大橋を渡った方が近道だが、今回の四国遍路道の坂道散歩もそろそろ打ち止めにするので、賀茂八満宮のあたりで海岸から離れ、土佐入野駅近くで土佐くろしお鉄道を渡り国道56号に出て、四万十川と後川に挟まれた中村の町を目指す。照明がやけに明るい焼坂トンネルを抜けると黒潮町から四万十市(旧中村市)に入る。黒潮町の手前に四万十町(旧窪川町)もある。ポピュラーな四万十(川)の名をつけたいのだろう。

 古津賀駅を過ぎ、古津賀神社が乗る古津賀古墳の石室を見て、後川の手前で国道56号から離れ、後川の上流へ県道333号を石見寺を目指す。八宗田排水機場あたりから道がはっきりしない。道標もなく、田畑の中の道で聞こうにも誰も通らない。石見寺は70mの高さにある。右前方の丘上にお堂のようなものが見えるが高さが70mもあるようには見えないが、取り合えず行って見ることにする。集落の一角に「古刹石見寺」の石柱があった。しかしその後ろは民家で上る道はない。ちょうど通りかかった男性に脇から上る道を教わる。途中から薄暗い急坂になり最後は石段が山門へ続いていた。やっぱりこの道が表参道なのだろう。昔は札所の一つだったという境内はけっこう広く、静かで落ち着いた雰囲気だ。

 石見寺から下って後川橋を渡り、一条教房が応仁の乱を避け京から下向して幡多地方の中心地として栄えた中村の町に入る。雨も降っているし、3時を過ぎているので町中の散策は明日にして早めに旅館和加松に入る。今日の泊り客は私一人。先週の四万十川ウルトラマラソン(100km)の時はてんてこ舞いの忙しさだったそうだ。旅館で経営する近くの割烹わかまつで夕食だ。明日はのんびりと中村の町を歩いてから高知駅に向うだけなので気楽な気分だ。旨い酒と料理で久しぶりにゆっくりとくつろいでから旅館に戻り、女将と長話し。今日は少し夜更かしして、(といっても11時頃までだが)静かな部屋で少し?酔っ払って朝までぐっすりだった。

  【ルート地図

  *参考:『四万十タウンマップ

  写真をクリックすると拡大します。

Img_3947 大師堂

Img_3948 にぎやかな堂内

Img_3961 入野松原 【ルート地図】の①

長さ4km、幅550mに数万本の松が並ぶ。天正年間(1573年~92年)に長宗我部氏の中村城代谷忠兵衛が植えたのが始めと伝える防潮林。

Img_3962 野宿遍路ではない、日曜なので昨日から家族連れのキャンプだろう。

Img_3966 いい波が来てサーフィンを楽しんでいる。ウエットスーツを着ていても冷たいだろう。

Img_3969大方あかつき館

郷土出身の作家、上林暁文学館などが入っている。

Img_3973 安政津波の碑

磨り減っていて今は判読困難だ。

Img_3971 碑文

冒頭の嘉永七甲寅は、この年の10月27日に安政に改元されていて、碑文作成者の勘違いらしい。

Img_3974賀茂八幡宮

入野の総鎮守。境内に賀茂神社もある。

Img_3975 賀茂神社(八幡宮境内)

Img_3978 足摺山は38番金剛福寺のこと。

Img_3980土佐くろしお鉄道中村線

特急のようだ。

Img_3988 逢坂 

逢坂峠、逢坂トンネルへ上る。

Img_3990逢坂トンネル

こんなに明るいと歩きやすく有りがたいが、ちょっともったいない気もする。

Img_3993_2 逢坂 【ルート地図】の②

トンネルを抜けて黒潮町から四万十市へ下る。

Img_4015 古津賀古墳横穴石室 【ルート地図】の③

6世紀後半から7世紀前半の円墳

Img_3996_2 説明板

幡多郷土資料館は四万十市郷土資料館のこと。

Img_4002 横穴石室内

Img_4012 石室の上

天井石か

Img_4096 古墳全景

四万十市郷土資料館にて(10/27)

Img_4013 古津賀神社

古墳の上に建つ。

Img_4021 春日神社

石見寺への途中

Img_4027 「古刹 石見寺」の石柱

こちらから上るのが本来の表参道だったのだろう。今は五輪塔?の先には民家が建ち道は続いていない。

Img_4032薄暗い道を上る。

Img_4038 石見寺山門 【ルート地図】の④

Img_4039_2 縁起

Img_4041 本堂

昔は八十八ヵ所札所の一つだったという。境内は広く、以前はユースホステルもあった。

Img_4042 大師堂

Img_4045 ぼけ封じ地蔵

観音さんのような小さな木像。

Img_4049 厳島神社への急な参道(石見寺へ上る参拝用の車道の入口近く。)

この上に小社がある。

Img_4058 後川橋から中村城跡方向

正面の城は愛知県の犬山城をモデルに建築された、四万十市立郷土資料館

Img_4062 奥御前宮

承久の昔(1221年頃)、土御門上皇の遷幸の際の行在所跡(仮の御所)で、上皇が鞍馬の貴船神社から勧請した神社。境内に一条教房の墓もあるようだ。

Img_4066 幡多郡奉行所跡 【ルート地図】の⑤

今は中村拘置支所

Img_4063 説明板

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2008年11月 7日 (金)

四国遍路道(高知県-12)

2008年10月25日

末広旅館・・・国道56号・・・四国電力産業廃棄物保管場所・市野瀬遍路道・片坂・・・国道56号・・・拳ノ川・・・佐賀温泉・・・文殊堂・・・身代り地蔵・・・伊与木城跡碑・・・八幡宮・・・熊井トンネル・・・(土佐くろしお鉄道中村線)・・・衰(水)神坂・・・(土佐佐賀駅)・・・佐賀橋(伊与木川)・・・国道56号・・・鹿島ケ浦・・・井の岬トンネル(320m)・・・天満宮・・・伊田トンネル(172m)・・・観音寺・・・有井川橋・・・土佐東寺庵・・・王無の浜・海の王迎駅・・・民宿みやこ

 37番岩本寺から足摺岬の38番金剛福寺までは80km以上で88寺の札所間では最長距離。今回の遍路道歩きは途中の四万十川沿いの町、中村まで。国道56号に出てゆるやかに上って行く。広い道でさほど上った感じはしないが、峰の上交差点の手前は標高290mほどあった。四国電力の敷地から市野瀬遍路道に入り、片坂を下って国道を短絡する。再び国道に出ると起伏のある単調な道が続き少し飽きてくる。

 伊与木駅の先で遍路道に入り、八幡宮の脇を上って、旧県道だった熊井トンネルを抜ける。今は車も通らず静かな昔を感じさせるトンネルで気に入った。トンネルを抜けた所で学者風遍路のKさんが休憩していた。昨日は岩本寺の宿坊に泊まったそうだ。土佐くろしお鉄道を渡り、国道56号に出たがこの先、国道を進んでよいものか迷ったので、Kさんを待つ。やっぱり国道を行って土佐佐賀駅へ出るようだ。国道の坂を上り始めたら衰神(水神)坂の説明板があるのに気がついた。もちろんKさんには先に行ってもらう。この坂は坂自体に面白味はないが、昔話の残る坂だ(昔話もそれほど面白くはないが)。

 土佐佐賀駅で休憩して時刻表を見ると10分ほどで電車が来る時間だ。急いで近くの伊与木川まで行き、川を渡る電車の写真を撮ることにする。伊与木川を渡り国道56号に出て、鹿島ケ浦から海岸沿いに佐賀公園、白浜と過ぎる。灘で海岸から離れ井の岬トンネル、伊田トンネルを抜け観音寺で一休み。南北朝時代の逸話の残る王無しの浜から、変わった駅名の「海の王迎」駅に寄って今夜の宿「民宿みやこ」に着いた。ちょうど隣りの民宿日の出にKさんが入って行った。まだ4時前で一人で大きなフロでゆったりとくつろぐ。5時頃、静岡のOさんともう一人がやって来た。夕食は土地の中年グループが10人ほどが一緒で賑やかで、今日は土曜日でここに泊まったようだった。

  【ルート地図】  

  写真をクリックすると拡大します。

Img_3778峰の上交差点近く(290m位か) 

Img_3784

四国電力産業廃棄物保管所

ここを左に曲がって市野瀬遍路道へ。

Img_3787 民家の前

Img_3789 扉を開けて四国電力の敷地?内を抜ける。

Img_3791 片坂 【ルート地図】の①

市野瀬遍路道

Img_3795 片坂第2トンネル

市野瀬遍路道保全橋から

Img_3804 片坂(国道56号)

Img_3808 猿田神社の案内板

Img_3812 佐賀温泉

Img_3820 文殊堂

Img_3817 説明板

Img_3818 文殊菩薩

Img_3823 身代り地蔵

ここを通るお遍路、通行人のために遍路の有志が建てたもののようだ。

Img_3825 伊与木城跡の石柱

近くの山頂にあった城というが詳細は分からず。

Img_3831 スクールバス停留所跡

今は歩き遍路の格好な休憩所、野宿遍路用の宿。

Img_3833 八幡宮 《地図

Img_3836 熊井トンネルへ 【ルート地図】の②

Img_3838 説明板

Img_3837 「トンネルというものは入口は大きいが出口は小さいものぢゃのう」と言った土地の老人の気持ちはよく分かる。

Img_3843 中は歴史を感じる。これが県道だったとは。車のすれ違いは出来ない。

Img_3845 抜けて土佐くろしお鉄道の方へ下って行く。

Img_3849 土佐くろしお鉄道を渡る。

Img_3858 衰神(水神)坂(坂上近く) 【ルート地図】の③

「衰神坂の昔話」:「昔、飢饉の時にこの村に一人の山伏がやって来て村人に物乞いをした。自分たちのその日の食べ物にも困っていた村人たちはどの家でも断った。山伏は怒ってこの坂から村めがけて村が衰えるようにとホラ貝を吹きはじめた。するとあたりは暗くなり、強風、雷、豪雨となった。この時、異変に気づいた伊与木川岸に住んでいた修験者が、庭先から衰神坂めがけてホラ貝を吹き返した。この音色が作法通りの格上だったため山伏は金縛りにかかってしまった。山伏は反省して村人に許しを願い、村人も快く山伏を許した。金縛りも解け、山伏は村人に見送られて西国へ旅立ったという。」 (下の昔話からの要約)

Img_3855 「衰(水)神坂」の昔話①

Img_3853その②

Img_3860 坂下方向

Img_3862 坂上から土佐佐賀駅の方へ下って行く。

Img_3869 伊与木川を渡るJR土讃線

Img_3877 鹿島ケ浦 《地図

Img_3892 鹿島ケ浦(土佐西南大規模公園佐賀から)

正面左が鹿島だろう。「(土佐西南)大規模地震」を連想してしまう公園の名だ。まだ地震は起きていないが。

Img_3907 井の岬トンネルを抜けて

Img_3911 天満宮

Img_3914 観音寺 【ルート地図】の」④

Img_3926朝鮮国女の墓」入口

慶長の役の時の長宗我部軍の捕虜の女子。言葉も通じない異国で一人さびしく暮らし、機織の技術を近郷に広めてひっそりと生涯を閉じたという。

Img_3927 土佐東寺庵

無料接待所らしいが、閉まっていてよく分からない。

Img_3929 王無の浜 【ルート地図】の⑤

「王」とは後醍醐天皇の第一皇子の尊良親王のこと。説明板ではなぜ「王無し」なのか分からない。『尊良親王哀歌』によれば、「有井三郎が宮を迎えにこの浜に来た時には、すでに大平弾正が宮を警護してこの浜を立ち去った後だったので、「王無しの浜」と呼ぶようになった。」 有井三郎が一族の者を待たせた有井川村と上川口村の間にある坂を「待つ王坂」(椎の木坂)という。(有井川駅と土佐上川口駅の間の近くか)

Img_3931 説明板

Img_3932「尊良親王御上陸地」碑

Img_3936 「海の王迎」(うみのおうむかえ)駅から「王無しの浜」

ユニークな駅名だ。

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2008年11月 6日 (木)

四国遍路道(高知県-11)

2008年10月24日

Img_3700_2柳屋旅館・・・国道56号・・・新庄川橋・・・角谷トンネル(420m)・・・久保津トンネル(130m)・・・安和トンネル(245m)・・・桜川橋・・・焼坂・焼坂峠(228m)・・・(JR土讃線)・・・長沢川・・・久礼八幡宮・・・(JR土讃線)・・・大坂橋(大坂谷川)・・・大坂・不動の滝・大坂遍路道(上の写真)・・・七子峠(287m)・・・国道56号・・・お雪椿・・・活禅寺窪川別院・・・(JR土讃線)・・・替坂橋(仁井田川)・・・東又川・・・道の駅あぐり窪川・・・県道19号・・・呼坂・呼坂トンネル(153m)・・・吉見川橋・・・37番岩本寺・・・末広旅館

 夜中の雨音はすごかったが、今朝は雨は上がっている。相当降ったので焼坂峠、七子峠への大坂遍路道は大丈夫かちょっと心配だ。一番先に宿を出る。ご老体遍路は電車で土佐久礼まで行くらしい。いくつかトンネルを抜け、安和駅の先で焼坂峠への遍路道に入る。やっぱり下はぬかるんでいて所々道に水が浮いている。それよりも蒸し暑いのとやぶ蚊と蜘蛛の巣には参った。焼坂峠から下って道路工事現場からJR土讃線を越え、線路沿いに土佐久礼の町中に入る。久礼八幡宮に寄ってから、大坂谷川沿いに大坂遍路道に入る。途中、テントの中から足を出して寝ている人がいる。埼玉から来た野宿旅行青年のようだ。起こさないようにそっと通りすぎる。不動の滝?のところでは流れが道にあふれていたが、難なく七子峠へ出た。晴れてきて土佐湾方向の眺めが素晴らしい。風が強く、地図のコピーを谷へ吹き飛ばされてしまった。

 七子峠から国道56号を下り、影野駅近くで遍路道の近道に入り、再び国道に合流し、土讃線を右に見て国道を行く。午後になって疲れも出てきてやっぱり国道歩きはつらい。道の駅あぐりで休憩し、県道19号に入り、呼坂トンネルを抜けて下ると窪川の町中に入る。37番岩本寺は本堂にさまざまな現代の天井画が書かれて面白く、見上げていると首が疲れる。宿坊前のベンチに静岡のOさんと、ご老体遍路が腰掛けていた。Oさんはここへ、ご老体は近くの宿へ泊まるとのこと。こちらも宿坊は苦手(食わず嫌いか)なので末広旅館へ向った。6時を過ぎても夕食の声がかからないので下へ行くと、夕食は部屋へ運ぶとのこと。なんだか一人だと味気ない。量は多いが料理は冷めていて、一人で飲むビールの味もイマイチだった。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_3621 新庄川橋の先から

雲が切れかけて明るくなってきた。

Img_3629 土佐湾

久保津トンネルを抜けた所から。

Img_3638 焼坂峠への道標

Img_3639 焼坂峠へ

Img_3640 遍路道標

Img_3647_2 焼坂 【ルート地図】の①

Img_3652 焼坂峠近くから土佐湾

Img_3653 焼坂峠あたり(標高228m)

Img_3658 昨日の雨で滝?の流水が増え道を覆っている。

Img_3666 遍路休憩所

Img_3668 「そえみみず遍路道」は今年一ぱい通行止

Img_3671 長沢川の土手

ここから土佐久礼の町並みに入る。

Img_3674 西岡酒造店

Img_3677久礼八幡宮 【ルート地図】の②

由緒書によると佐竹氏が勧請した神社。水戸家の前の常陸の領主で秋田に国替えになった佐竹氏の一族で、鎌倉時代に常陸国からここに来住し、後に幡多郡(中村市)の一条氏の重臣となったが、長宗我元親の軍門に下り、大坂夏の陣(1615年)で長宗我盛親と共に滅んだ。近くの久礼城跡は佐竹氏の居城だった。佐竹氏の系図にある佐竹義直は明暦2年(1656)に死んでいるので由緒書の佐竹信濃守源義直(天正9年(1581)に死去とある。)とは別人物だ。(佐竹東家にも義直が、また(額田)義直(佐竹氏4代義重の次男)もいるがこれも別人物だ。) 由緒書の「義直の祖父・・(中略)・・応永年代でないことは明らかである。」はおかしい。由緒書にある「藩庁に出した記録」にあるように、室町時代の応永年中(1394~1428)に佐竹氏の当主が関東から勧請した神社なのだろう。鎌倉時代に最初にこの地に来たのは佐竹家の誰だったのだろうか?

Img_3675 由緒書①

Img_3676 由緒書②

Img_3678 町立美術館

Img_3680 大谷川

Img_3685 青木坂の五輪塔群(池田氏五輪塔群

大谷川を渡った所にあるようだ。青木坂と言っても傾斜はほとんどないようだ。

Img_3693 大坂

新しい道路の工事中、トンネルも掘られている。

Img_3695 米の二期作か

Img_3697 大坂遍路道を上って行く。

Img_3698 埼玉からの野宿旅行青年のようだ。

起こさず静かに通り過ぎる。

Img_3706 不動の滝?

左上に不動像

Img_3717 七子峠(287m)から久礼湾、土佐湾 【ルート地図】の③ (大坂遍路道を上った所)

七子峠哀歌:「この峠の北山の城主だった白皇千助兵衛は戦いに敗れ討死した。妻女は七人の子と共にここから谷へ身を投じた。翌年の春から美しい鶴がこの峠の上を舞うようになった。毎年春の7日間、7年間舞った後、8年目から鶴は来なくなった。里人たちはこの鶴こそ子どもを失った母親の化身と思い、この峠を「七子峠」と名づけたという。」

七つの集落「七郷」からきているとも、七戸の茶屋があったからともいわれている。

Img_3711 七子峠哀歌①

Img_3715 七子峠哀歌②

Img_3723 お雪椿(四万十町) 《地図

Img_3720_2 説明板

Img_3731 遍路道

国道56号から離れ影野駅の先でJR土讃線を越え、また国道56号に合流する。

Img_3754 呼坂トンネルを出て下る。

Img_3758 苔むした崖がいい。

Img_3757 呼坂(坂下方向) 【ルート地図】の④

Img_3761 37番岩本寺 【ルート地図】の⑤

Img_3765_2 本堂

この寺には七不思議の伝説がある。①子安桜、②戸たてずの庄屋、③筆草、④尻なし貝、⑤三度栗、⑥口なし蛭、⑦桜貝、というが説明板もないようで(見逃したのかも)どれか分からず。⑤の三度栗のお菓子は門前の店で売っていた。

Img_3764 本堂の天井画

いろんなジャンルの絵が見下ろしている。

Img_3766 説明板

Img_3767 大師堂

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2008年11月 4日 (火)

四国遍路道(高知県-10)

2008年10月23日

国民宿舎土佐・・・宇佐大橋・・・県道23号・・・水産試験場・・・深浦漁港・・・浦ノ内小学校・・・・・・鳴瀧八幡宮・・・出見公民館・・・花山院廟(番外霊場)・・・浦ノ内トンネル・・・東立目川・・・浦ノ内中学校・・・鳴無神社・・・笠松橋(東分川)・・・県道314号・・・仏坂遍路道・・・仏坂不動尊(岩不動)(番外霊場)・光明峯寺・・・仏坂・・・県道314号・・・(新川橋)・・・塩木橋(桜川)・・・(源蔵橋)・・・(大峰橋)・・・須崎(すさき)港・・・御手洗川橋・・・(JR土讃線)・・・観音寺(番外霊場)・・・須崎市役所・・・(国道56号)・・・お馬堂(お馬神社)・・・めがね橋通り・・・土佐藩中砲台跡・・・須崎八幡宮・西鴨神社・・・今清神社・・・大善寺(番外霊場・別格第五番札所)・・・柳屋旅館

 雨の中をカーブが続く車道を下って宇佐大橋まで打ち戻り、浦ノ内湾沿いに横浪三里を行く。37番岩本寺までは58kmほどで、今日は須崎までの坂道散歩。西へ進んでいるのだが、入り組んだ小さな入江を曲がり回りながら行くので、なんだが湾を一回りしているようで前に進んでいる気がしない。浦ノ内小学校への上りの所で土地の人らしき青年に道を確認する。後で知ったがこの青年は埼玉県の熊谷から歩いて来ている野宿旅行者で沖縄まで行くという。札所は全部は回らないそうだ。浦ノ内小学校の前に「どうして歩いているのですか。」という質問棚が置いてある。疲れた顔で黙々と坂を上って来るお遍路が不思議なのだろうか。

 県道から離れ花山院廟への道に入る。花山院廟は直接、弘法大師とは縁はないが、西国三十三観音霊場巡りを再興したとされる花山法皇に敬意を払ってか、古くからの番外霊場になっているようだ。浦ノ内中学校先のコンビニの前で昼飯のパンを食べていると、篭を背負った僧侶風のお遍路がやって来た。僧ではなくこの人も野宿遍路だった。毎日、歩ける所まで行き、疲れたら公園、海岸などで寝て、川で水浴びをしてフロ代わりにするという。ただ、主に国道・県道を歩き、起伏があり遠回りになる遍路道には入らないようだ。この先の仏坂遍路道には上らずに県道23号を行くという。僧侶風遍路が発った後に、埼玉の野宿旅行者がやって来た。すごい荷物だ、大きなリュックに両手にも重そうな袋をぶらさげて引きずるように歩いている。ノートパソコンまで入っているという。熊谷からここまでもよく歩いて来たが、この先沖縄まで行くとは。こんな調子で歩いていたら沖縄に着くのは来年になるだろうか? その後はどうするのか聞きたかったが止めといた。

 昼飯を食べている野宿青年に励ましと別れを告げ、県道23号から離れ県道314号に入り仏坂遍路道を目指す。ちょうど県道から遍路道に入るあたりで小降りだった雨が激しくなってきた。車を止め煙草をふかして休憩している郵便配達員が怪訝そうな顔でこっちを見ている。坂道散歩人はこれしきの雨はどうってことはないと遍路道に入る。急な山道となり、傘をさして雨具を着ているので蒸し暑くて参った。一旦県道に出て少し行くと仏坂不動尊への下りの遍路道に入る。急な石畳は雨でつるつるで滑ること。折れ枝を杖に道の端っこを通ってなんとか仏坂不動尊(岩不動)に下りた。小さなお堂に岩の不動さんが納まっているが、他に不動堂、光明峯寺などがあってけっこう広い空間だった。岩不動の前で休憩している間に雨も小降りになってきた。なだらかで静かな仏坂を下る。滑る心配もなく気分がいい。

 県道314号に合流し、桜川沿いを進み大峰橋で須崎港を渡る。JR土讃線を渡り国道56号に出ると番外霊場の観音寺は近い。後ろから土地のおじさんに話しかけられる。東北から歩いて来た人がいたという。埼玉からといい、東北からといい兵(つわもの)限りなしということか。須崎市役所前を通り、「よさこい節」ゆかりのお馬神社から市街地に入る。商店街は繁盛している方か。近くをざっと一回りしてから大善寺の鐘楼に上る。須崎港の眺めがいい。すぐ下に今夜の宿、柳屋旅館の宿が広がっている。この宿は昔ながらのどっしりした造りで落ち着ける。平成18年のNHKドラマの「ウオーカーズ」のロケにも使われたそうだ。夕食は昨日、国民宿舎土佐で一緒だった、一人歩きのご老体遍路と中年の学者風遍路の三人。二人が日本酒を旨そうに飲むので、こっちもビールの後、熱燗を飲むとする。今夜から明日の朝にかけて大雨になるらしい。明日の焼坂峠越え、大坂遍路道から七子峠へは大丈夫だろうか。大坂遍路道は流水で通行不能の時もあるという。そんなことを話しているうちに気持ち良く酔っていった。 

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_3485 浦ノ内湾

Img_3489 浦ノ内漁港

Img_3494 浦ノ内小学校の方へ上って行く。

少し浦ノ内湾から離れる。

Img_3495 浦ノ内小学校前

「どうして歩いているんですか」の質問の紙と、返事用のはがき、地蔵の顔が書かれた小石(10円)が置いてある。なかなか答えが難しい。坂道散歩の延長だといっても分からないだろうし、弘法大師への信心があるでもないし。自分探しの旅、触れ合いを求めての旅なんて全くの嘘だし。ちなみに我家の宗派は真言宗だ。だったが正確か。

Img_3497 下って行くとまた浦ノ内湾に出る。

Img_3499 鳴滝八幡宮

Img_3506 花山院廟(番外霊場) 【ルート地図】の①

もとは春日山阿弥陀寺といい、花山院の位牌を安置していたという。花山院西国三十三カ所観音霊場巡りを再興したともいわれる。四国札所の番外博士、客員教授というところか。今年は花山院没後1000年にあたる。

Img_3509 浦ノ内トンネル

Img_3523 仏坂へ

Img_3526 雨が激しくなってきた。

ここから右に山道へ入ったと思う。

Img_3527 山も煙っている。

Img_3529 下って仏坂不動尊(岩不動)へ

Img_3531 少し下った所から見上げる。

雨で滑る石畳を折れ木を杖に慎重に下る。(上の小堂は不動堂ではない。)

Img_3539 仏坂不動尊(岩不動) 【ルート地図】の②

Img_3540 仏坂不動尊(岩不動)

岩に字が書かれているのか。大師がこの坂を越えた時、紫雲がたなびき諸仏が現れ、大師が正面の岩に触れた時、不動明王が現れたという。

Img_3542 不動堂

Img_3541 ここには不動明王像

Img_3551 仏坂(坂下方向) 仏坂不動尊から下る坂。【ルート地図】の③

Img_3584 須崎港

Img_3590 観音寺(番外霊場) 《地図

百済の仏師達が帰路、海上安全を祈り堂宇を建立し、正観音像を安置したという。

一年に三度栗が実る「三度栗」の伝説がある。(説明板)

Img_3591 説明板

Img_3592 三度栗

Img_3595お馬堂(お馬神社) 【ルート地図】の④

「よさこい節」のヒロインのお馬さんを祀る。縁結びにご利益あり。「よさこい節秘話」、「お馬さん」については、『四国遍路道高知県⑤』に記載。

Img_3596 説明板

Img_3600 中砲台跡 《地図

跡といっても跡形もない感じだ。西浜公園の西砲台の方が跡がしっかり残っているようだ。

Img_3599_2 説明板

Img_3602 須崎八幡宮

Img_3601 説明板

Img_3606 ノルマントン号事件の碑(須崎八幡宮の前)

不平等条約改正にきっかけの一つになった事件とか。

Img_3605 説明板

Img_3608 今清神社

Img_3609 大善寺(番外霊場・別格第五番札所) 【ルート地図】の⑤

細く上に伸びている境内だ。大師の海上安全、守護にまつわる話を伝え、「二つ石大師」といわれる。(説明板②)

Img_3610 説明板①

Img_3611 説明板②

Img_3615 大善寺から

下は旅館柳屋の屋根。かなり広い敷地だ。

Img_3941 仏坂不動尊近くで拾った栗。

家に持ち帰ったが、皮が堅くてむけないという。

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2008年11月 3日 (月)

四国遍路道(高知県-9)

2008年10月22日

Img_3382 高知屋・・・県道278号・・・竃戸神社・・・長浜川の切り抜き・・・新川川橋・・・県道279号・・・34番種間寺・・・若宮八幡宮・・・恵比寿神社・・・涼月橋・春野神社・新川の落とし・・・仁淀川大橋・・・(国道56号)・・・(高知自動車道)・・・高岡町軍人墓地・・・流汗坂(八丁坂)(上の写真)・・・35番清滝寺・・・(高知自動車道)・・・三島神社・・・土佐市役所・・・長池地蔵・・・県道39号・・・弥九郎橋(波介川)・・・宇佐坂・塚地峠・・・県道23号・・・福島戎神社・・・龍の串の渡し跡あたり・・・宇佐大橋(浦ノ内湾)・・・横浪スカイライン(県道47号)・・・竜の浜・・・36番青龍(しょうりゅう)寺・・・36番奥の院不動堂・・・国民宿舎土佐

 遍路宿の朝は早い。静岡のOさんは6時の朝食で出発した。こちらも7時過ぎには宿を発った。新川川沿いに西に少し行くと右へ高知競馬場への道がある。7、8年前までは札所巡礼ならぬ地方競馬巡礼をやっていて、この競馬場にも来たことがある。「ハルウララ」で一時盛り上がったが今はどうなのか。まあ客もまばらでよく存続している方だろうが、近い将来廃止になるのでは。

 34番の奥の院に寄ってから34番種間寺への予定だったが、宿が取れず36番青龍寺まで行くことになったので、奥の院はカットして34番種間寺へ向う。長浜川の「切り抜き」あたりで、後ろから「おはようございます」と外人娘遍路Nさんが追い抜いて行った。昨日は高知屋に泊まったのだろうか。ちょうど小学校の通学時間で生徒が5.6人珍しがって後を追い話しかけている。(もちろん日本語で) Nさんも日本語で応対し、何かの英語を教えている。いい光景だ。遍路道に入る所をそのまま県道を進んでしまったようで、ちょっと遠回りをしたようだ。地蔵さんが並ぶ辻で、農作業中のおじさんから「前の人が道を間違えると、後ろも間違える。」と(方言)でいわれた。確かに高知屋を後に出た中年二人連れの歩き遍路が前を行っている。

 種間寺で一休みして、西へこれも野中兼山の手がけた涼月橋の新川の落とし、兼山を祀る小さな春野神社を過ぎ、国道56号をくぐって仁淀川大橋を渡る。こっち側は歩道がついているが、仁淀川の堤を歩いてきた二人連れは反対側の車道を歩いている。車の通行量も多く危ない感じだが、意に介せずといった様子で長い橋を平然と足早に渡って行く。きっとお大師さんと一緒だから平気なのだろう。仁淀川を渡って川沿いに行くか、一本西側の国道56を行こうか迷ったので堤防上で休憩しながら様子を見て考える。二人連れはそのまま国道を行った。Nさんは川沿いに、後から来た一人も川沿いだ。こっちも川沿いを歩き始めたがどうも心配で、途中からそれて国道を行くことにした。国道も工事中で分かりにくかったが、電柱の小さな遍路道シールを頼りになんとか35番清滝寺近くの高知自動車道をくぐり、八丁坂の坂下に着いた。坂の途中で二人連れ遍路が休憩している。山門近くの急な所を流汗坂と呼ぶようだ。山門をくぐり急な石段を上り、汗を拭き拭き本堂の石段を上って行くと、後ろから声が掛かった。静岡のOさんだった。参拝を終えて36番に向う所だった。こっちも時間的には順調にきているようだ。

 来た道を引き返し、高岡の市街地のスーパーでパンを買って土佐市役所のロビーで昼飯だ。市街地を抜け、県道39号を波介川を渡り西へ、塚地峠へ向う。ゆるやかに上って塚地峠越えの遍路道と県道の塚地坂トンネルへの分岐の休憩所で小休止。先に来ていた二人のうち一人は遍路道へ入り、一人はトンネルへと向った。折角、遍路道が残っているのになぜトンネルを抜けるのか。少し距離は長く、上りもきついが天気も良くもったいない。塚地峠へは宇佐坂を上って行く。この道は宇佐浦と清滝寺のある高岡を結ぶ交易の道としてにぎわい、宇佐からは「かつおの夜売り」の道、「塩の道」でもあった。高岡からは米や生活物資が運ばれた。峠あたりからは下に宇佐漁港が望める。

 宇佐漁港へ下り、海岸沿いに進み宇佐大橋を渡る。長い橋だが浦戸大橋に比べれば半分以下の長さだ。浦ノ内湾が奥に長く伸びている。横浪スカイラインを竜の浜の先で36番への道に入る。前から参拝を終えた静岡のOさんがやって来た。今日は近くの三陽荘?に泊まるそうだ。こちらはこれから青龍寺から奥の院の不動堂まで上らねばならない。仁王門をくぐり、滝の行場を横に見て石段を上ると本堂だ。お堂の拭き掃除をしている女性にここから奥の院へ直行する道を教わり、薄暗い急坂を上って奥の院不動堂へ向った。不動明王を拝み、参道を少し下って右に入るとすぐに国民宿舎土佐に出た。疲れてきた足には奥の院のすぐそばを今夜の宿にしておいて正解だった。海の見える露天風呂もあり、設備もいい。食堂は観光客の方がお遍路より多く食事も良かった。明日は雨らしい。仏坂不動尊へ山道を越えるが大した降りでなければよいが。

  【ルート地図

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Img_3325 竈戸神社

Img_3333 長浜川(唐戸)の切り抜き

烏山を切り抜き新川川を長浜川につなぎ、浦戸湾と結んで仁淀川上流の物資を高知城下へ運んだ。野中兼山の手がけた工事の一つ。正面が切り抜いた所か。

Img_3327 説明板

Img_3340 地蔵さん

種間寺への遍路道沿い

Img_3341 新川川橋の脇

Img_3343 新川川橋から

Img_3346 34番種間寺 【ルート地図】の①

この寺は安産の守り仏で、底の抜けた柄杓がたくさん納められているというが見当たらず。「種」から「安産」なのだろう。

Img_3347 本堂

Img_3348 大師堂

Img_3349 若宮八幡宮(種間寺のそば)

Img_3351 遍路道から

Img_3352 恵比寿神社

Img_3356 涼月橋(メガネ橋) 【ルート地図】の②

Img_3355 説明板

Img_3361 「新月の落とし」説明板(涼月橋の下で流れが早くなっている。)

ここから新川川、長浜川の切り抜きを通って浦戸湾へ物資が運ばれたのだろう。

Img_3359 春野神社(涼月橋のそば)

土佐藩初期の家老野中兼山を祀る。

Img_3367 仁淀川大橋から

石鎚山が源流の「神河」と呼ばれた124kmの大河。

Img_3368 仁淀川次郎兵衛の碑(橋を渡った所)

江戸時代の力士だそうだ。

Img_3373 35番清滝寺へ

山の中腹にある。

Img_3376 八丁坂(流汗坂) 清滝寺へ上る坂。【ルート地図】の③

坂が長さ8丁続くのか、8つの坂のことか? 流汗坂は別名か8つの坂のうちの一つか。

Img_3384 35番清滝寺仁王門 《地図

Img_3387 天井画(仁王門)

Img_3385 説明板

Img_3389 本堂

この寺には平城天皇の第3皇子の高岳親王の逆修塔(生存中に建てる墓)がある。薬子の変に連座して土佐に下向し、この寺で修行し唐に渡り、さらに天竺へ向い、途中で虎に喰われてくたばったらしい。高岳親王を四国遍路の祖とする説もあるとか。

Img_3390 本堂横の清滝

大師が金剛杖を突くと清水が湧き出し滝になったという。

Img_3392お茶堂の泣き(涙)大師像

本堂前の休憩所内

Img_3398 三島神社 《地図

Img_3401 長池地蔵

Img_3402 ここにも名無しの地蔵さん

Img_3408 塚地峠へ

Img_3412 休憩所(右側)

真っ直ぐ県道を行けば塚地坂トンネルをくぐり宇佐漁港に出る。

Img_3414 大師の泉(休憩所)

Img_3415 塚地峠への上り口

Img_3420 宇佐坂の石畳 【ルート地図】の④

宇佐漁港から高岡へカツオや塩を運んだ道だ。

Img_3421 塚地峠へ上って行く。

Img_3422 薄暗い木立の中を上る。

Img_3428 どれが「手やり石」やらはっきりせず。

Img_3430 宇佐漁港が見える。その向こうの岬に36番青龍寺がある。

Img_3431 塚地峠からの下り

Img_3436 ユニークな顔の地蔵さん

Img_3439 安政津波の碑

この津波は大きかったようであちこちに碑が立つ。

Img_3438 説明板

Img_3440 宇佐大橋(645m・昭和48年竣工)(正面奥) 《地図

昔は「龍の串の渡し」で浦ノ内湾を渡っていた。大師が青龍寺に渡るとき八人の船頭が案内したということで、この渡しの権利はその子孫が受けついできたという。渡しは有料だったのか? 橋が出来て利権は消滅してしまって船頭の子孫一族はどうなったのか? まあ、どうでもいいことだが。このあたりに渡し跡の碑があるというが見逃す。

橋は便利だが高さと長さが難儀なので、「しんどい橋」と呼ぶそうだ。

Img_3443 浦ノ内湾(宇佐大橋から)

Img_3455 36番青龍寺 《地図

大師の作という梵字像の波切不動明王が本尊。

Img_3456 三重塔

Img_3458 本堂

Img_3459 大師堂

Img_3461 奥の院不動堂へ

Img_3463 寺の参道なのに鳥居が立っている。神仏習合時代には当たり前のことだったのだろう。

Img_3464 奥の院不動堂 【ルート地図】の⑤

履物を脱いでお参りする習わしでスリッパが置いてあるそうだが気がつかなかった。土足でお参りしたのでバチがあたるかも。

Img_3465 説明板

Img_3470 不動明王

こちらは文字ではなくちゃんとした不動像だ。

Img_3472 宇佐漁港方向

国民宿舎土佐から

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2008年11月 2日 (日)

四国遍路道(高知県-8)

2008年10月21日

Img_3211 レインボー北星・・・土佐神社・30番善楽寺・・・県道251号・・・土佐神社お旅所・・・(JR土讃線)・・・国分川・・・文殊通駅(土佐電鉄御免線)・・・舟入川・・・絶海池・・・お馬邸跡あたり・・・牧野植物園・・・31番竹林寺・・・百々軒橋(下田川)・・・(遍路橋)・・・武市半平太旧宅・瑞山神社・・・石土トンネル・・・石土池・石土神社・・・32番禅師峯寺・・・県道14号・・・浦戸大橋(浦戸湾)・・・浦戸城跡・坂本龍馬記念館・・・南浦地蔵尊・石丸神社・一領具足碑・・・桂浜花海道(県道14号)・・・宇賀神社・・・住吉神社・・・新川川・・・嶋宮神社・・・秦神社・長浜城跡・西宮神社・33番雪蹊寺・・・高知屋

 土佐国一の宮の土佐神社の境内から善楽寺へ入る。沖縄の青年野宿遍路が参拝を終え出て行く所だった。こちらが寺を出る頃、昨日同宿だった外人娘遍路がやって来た。この後、彼女とは36番青龍寺の先まで、先になったり後になったりして進むことになる。中高年おじさん一人歩き遍路が圧倒的に多い中の花遍路だろう。善楽寺から南に向う道路は通勤時間帯でもあり車で混雑し歩きにくい。小学生の通学路にもなっていて危なっかしい感じだが子どもは慣れたものですいすい歩いて行く。

 路面電車の文殊通駅を越え、絶海池を渡ると遍路道に入り五台山への登りとなる。このあたりに「よさこい節」の娘、お馬さんの実家の鋳掛屋があったようだ。登って牧野植物園の中を進むと竹林寺に出る。竹林寺からは不規則に石が転がる急な遍路道(上の写真)を下って行く。下田川を渡り川沿いに進み県道247号に出て南下し、途中の武市半平太旧宅、瑞山神社に寄る。石土トンネルを抜け、石土池に沿って左に曲がり進むと32番禅師峰寺への登りとなる。船の安全航行を見守ってきた船魂観音だけに境内からの眺めがいい。

 ここから33番雪渓寺へは種崎渡船場へ出て、フェリー(無料)で浦戸湾を渡るのが普通のルートだが、浦戸城跡などに寄りたいので浦戸大橋(1480m)を渡ることにする。この橋には両側に歩行者通路がついているが狭く、一人通るのがやっとですれ違いは無理。といっても歩いている人はいないが。かなりの高さまで上って行き、風が強くそばを大型ダンプが通ると吸い込まれて通路から落ちそうに感じる。風雨だったら渡るのをやめたかも。

 どうにか橋を渡り、遊歩道を坂本龍馬記念館や日時計、国民宿舎桂浜荘の建つ浦戸城跡に登る。ちょうど2時頃で暑い。強い陽射しが海に反射している。一回りして元の遊歩道に戻りかけたら、外人娘遍路が日時計の所から海の方を眺めている。確か禅師峯寺では見かけたが、いつ浦戸大橋を渡ってきたのか。浦戸城跡か坂本龍馬記念館に興味があるとも思えず、それとも種崎渡船場へ行くつもりで道を間違えたか。それなら橋の手前で気づくはずだが。まあどうでもいいことを考えながら海岸沿いの桂浜花海道(県道14号)へ下り、山内一豊入城の際の浦戸一揆のゆかりの地などに寄り、フェリー乗場の対岸の新川川沿いを西に進み33番雪蹊寺に向う。もう4時近くなのに雪蹊寺には参拝者が多い。隣りの秦神社は誰もいない。ここも長宗我部氏に縁のある神社なのだが。

 今日の泊まりは雪蹊寺前の高知屋だ。宿泊者が8組なので大きな風呂を沸かすという。8組といってもほとんどが一人歩き遍路。普段は2.3人、泊まり客が0の日もあるのだろう。夕食は狭い畳敷きの食堂が一杯の感じだ。テーブルに座るとすぐに向かいの人とビールを飲み、飯を食べながらお喋りが始まる。これが楽しい。私の向かいは静岡のOさん、区切り打ちで今回はここから、愛媛県まで入る予定という。情報交換などしながら皆わいわい賑やかに盛り上がっているが、どこかの会社の宴会のようにはダラダラとは続かない。今日の疲れと明日の予定のこともあり、30分もすればお開きで皆、さっと引上げる。部屋に戻って35番清滝寺近くの明日の宿の手配をするが3軒ともダメ。(①満員、②電話が通ぜず、③食事なし)。予定を変更し36番青龍寺の奥の院そばの国民宿舎土佐を予約し9時過ぎには寝てしまった。

  【ルート地図】 

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Img_3177 土佐神社楼門

神光門とも呼ばれる、国の重要文化財。

Img_3167 本殿

「しなねさま」とも呼ばれる土佐国の一の宮、総鎮守。入蜻蛉(とんぼ)形式の本殿。

Img_3166 説明板

Img_3170鼓楼

Img_3168 説明板

Img_3163 礫石(つぶていし)

Img_3162 説明板

Img_3172 30番善楽寺 【ルート地図】の①

もう一つの30番札所だった安楽寺(今は30番の奥の院)は高知駅の近くにある。(10月27日に参拝の予定)

Img_3173 大師堂

Img_3175 梅見地蔵

首から上の病気にご利益があるそうだ。

Img_3174 説明板

Img_3181 土佐神社お旅所

Img_3180 説明板

Img_3186 文殊通駅

土佐電鉄御免線の路面電車

Img_3188 絶海池 【ルート地図】の②

絶海中津(ぜっかいちゅうしん)にゆかりのある池なのか。池というより河口の感じだ。

Img_3191 お馬邸跡あたり 

「よさこい節」のヒロイン、お馬さんは竹林寺の下のこのあたりの鋳掛屋の娘だった。27番神峯寺近くにもゆかりの地がある。『四国遍路道(高知県⑤)

Img_3195 31番竹林寺へ上って行く。

Img_3196 牧野富太郎記念館(牧野植物園)

Img_3197 植物園の庭を通る。

Img_3198 31番竹林寺山門 《地図

Img_3199 本堂

本尊は文殊菩薩。「よさこい節」の坊さん、純信はこの寺の脇坊の僧。かんざしを贈ったお馬さんと駆落ちし、讃岐で捕まり、追放され寺子屋の先生になったとか。

Img_3200 大師堂

Img_3202 五重塔

明治32年に台風で倒壊した三重塔を昭和55年に五重塔として再建。

Img_3206 一言地蔵

ひとつの願いをかなえる地蔵さん。

Img_3218 百々軒橋(下田川)から竹林寺方向

正面上に五重塔の先端部分が見える。下は五台山小学校。

Img_3223 武市半平太旧宅(正面中央) 【ルート地図】の③

本名は小楯、号は瑞山、通称が半平太。尊王攘夷論者で公武合体派の吉田東洋を暗殺、山内容堂に憎まれ投獄、自刃させられた。坂本龍馬とは遠縁にあたる。旧宅といっても今でも人の居住する普通の住宅。

Img_3225 説明板

Img_3227 瑞山神社

Img_3228 武市半平太の墓

Img_3235 石土池

Img_3238 石土神社

Img_3237 説明板

Img_3243 32番禅師峯寺仁王門 《地図

Img_3244 本堂・大師堂(左)

通称峰寺(みねんじ)、本尊の十一面観音は海上守護の船魂観音。

Img_3250 説明板

Img_3246 桂浜方向(境内から)

Img_3255 浦戸大橋へ上る。

Img_3256 歩いて渡るのには長い橋だ。1480mもある。

Img_3261浦戸大橋から高知新港、禅師峯寺方向

Img_3273浦戸城跡の詰の段から 【ルート地図】の④

長宗我部氏から山内氏の城になり、山内氏が高知城に移った後は廃城になった。

Img_3276 説明板①

Img_3277 説明板②

Img_3283 浦戸城の井戸跡

Img_3280 浦戸城跡の坂本龍馬記念館と日時計

ちゃんと2時を指している。

Img_3288南浦地蔵尊 《地図

浦戸一揆(関が原の合戦で豊臣方に与した長宗我部元親の子・盛親は除封され、替わって山内一豊が入城した。 これに抵抗して長宗我部氏の遺臣の一領具足(有力農民の長宗我部氏の下級武士団)たちが起こした一揆)の慰霊、供養のために建立された六地蔵。

Img_3287 説明板

Img_3290 石丸神社

これも浦戸一揆の鎮護の神社。一揆で討たれた273人の一領具足たちの胴体を埋めたという塚の上に立つ。首は塩づけにして大坂に送られた。

Img_3289 説明板

Img_3291 一領具足碑

Img_3299 宇賀神社 《地図

神社のある小丘を宇賀塚、糠塚と呼び、天武天皇時代の宇賀長者の伝説がある。

Img_3298 説明板

Img_3301 浦戸漁港?から浦戸大橋

Img_3304 住吉神社 《地図

石段上に小社がある。

Img_3305 説明板

Img_3306 新川川から浦戸湾

正面左がフェリーの長浜乗船場。正面右奥が浦戸大橋。

Img_3310 嶋宮神社

Img_3315 秦神社(雪渓寺の隣り)

祭神は長宗我部元親。長宗我部氏の祖先は信濃の渡来系豪族の秦氏ともいわれている。

Img_3314 説明板

Img_3313 長浜城跡(秦神社と雪渓寺の背後の山)

本山氏の家臣の大窪美作守の城。永禄3年(1560)に長宗我部国親によって落城した。

Img_3316 長浜城址説明板

Img_3318 西宮神社(秦神社境内)

Img_3317 説明板

Img_3321 33番雪蹊寺(正面が本堂・右が大師堂) 【ルート地図】の⑤

臨済宗の寺、長宗我部家の菩提寺。雪渓は元親の法名からとった。

Img_3322 説明板

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2008年11月 1日 (土)

四国遍路道(高知県-7)

2008年10月20日

のいち駅・・・県道22号・・・香南市役所・・・烏川・・・(龍馬歴史館)・・・28番大日寺・爪彫薬師堂(奥の院)・・・烏川・・・戸板島橋(物部(ものべ)川)・・・松本大師堂・・・(国道195号・JR土讃線)・・・県道45号・・・へんろ石饅頭店・・・廿枝(はたえだ)坂・・・国府橋(国分川)・・・古今集の庭・紀貫之邸跡・・・土佐国庁跡・・・比江廃寺塔跡・・・祖母神社・・・日吉(ひえ)神社・熊野神社・・・永源寺・・・国分川・・・地蔵の渡し跡・・・29番国分寺・・岡豊橋・・・岡豊(おこう)城跡(高知県立歴史民俗資料館)・・・県道384号・・・小野神社・・・(高知自動車道)・・・毘沙門の滝(番外霊場・29番奥の院)・龍門院宗円寺・・・逢坂・逢坂峠・・・レインボー北星

 今日も晴れて暑いぐらいの陽気だ。28大日寺から住宅街を抜け、物部川を渡り田園の中の遍路道を行く。車の通行も少なく静かでのどかだ。松本大師堂で休憩し、土讃線を渡り、遍路道沿いのへんろ石饅頭屋で饅頭を2個買って食べてみる。これがほどよい甘さでけっこういける。店の人の話では、「へんろ石」はこのあたりの地名で、へんろ石はないというが・・・。店の北側から国分川の方へ下るのが廿枝坂だ。偶然、廿枝坂のバス停があるのに気づいて知った坂で坂道散歩人には大いに嬉しい。これも地名に由来する坂名のようだ。

 国府(国分?)橋を渡り遍路道から離れ北へ、紀貫之邸(国司館)跡、土佐国庁跡、比江廃寺塔跡や比江山史跡の方へ向う。白鳳時代から江戸時代までの遺跡が残る見ごたえがある所だ。国分川まで戻り、川沿いに行くと地蔵の渡し跡で、今でも地蔵さんが渡しの方を向いて座っている。ここが旧遍路道で田畑の中を行くと29番国分寺に出る。金堂の杮葺(こけらぶき)の屋根がいい。芝生の雑草を一本一本丁寧に抜いているお婆さんとしばし雑談。少しの間でもしゃがんで話をするのはきつい。何時間も同じ姿勢で、目立たず地味な作業をしているお婆さんにはきっと大師の加護、ご利益があるだろう。

 国分寺の先から遍路道に入り、途中道を間違ったかと半信半疑で進んだが、なんとか岡豊城跡の下の県道384号に出た。標高100m近くの岡豊城跡の頂上部(詰)まで上る。疲れてきた足にはちょっとこたえた。東方向の眺望が開け、国分川、国分寺方向が望める。県道に戻り西へ、番外霊場の毘沙門の滝を目指す。高知自動車道をくぐり、右に曲がる。札所と違って番外霊場への道標、道案内標示はきわめて少ない。ここも標識はなく、聞く人も通らず、どんどん上って行ったら行き止まり。龍王院の案内標示がある分岐まで戻る。確か毘沙門の滝があるのは宗円寺の脇の池の奥だったはずだが、かまわず龍王院の方への道を行ってみる。前を歩いていた女性に追いつき聞くと、毘沙門の滝は真っ直ぐ行った突き当りという。さっきの行き止まりに見えた所からも行けたそうだ。道は池と龍王院(=宗円寺だった)の前に出た。池の前の「レストラン毘沙門」からカラオケで演歌を歌うおばちゃんの声が流れてくる。歌声、調子はここも東京も変わらない聞きなれた歌い方だ。滝といっても山の中でもなく期待はしていなかったが、まあまあという所、予想以上というべきか。

 県道384号に戻り、逢坂を逢坂峠へ上り、下って30番善楽寺手前の今夜の宿、レインボー北星に着いた。ここは民間のアパートの一部を宿の部屋としている。部屋に案内されてから相部屋になるかも知れないといわれた。それは宿側のルール違反で、予約の段階でいうべきことだ。相部屋でいいと思う時もあるし、一人でいたい時もある。疲れているし、もう5時近くで、今更キャンセルして他の宿を探して行くのも面倒だしあきらめる。しばらくして同室の沖縄の青年が入ってきた。野宿中心で回っているという。夕食後、部屋であれこれと話をしているうちに、いつの間にか今日の疲れと、ビールの酔いで寝入ってしまった。

  【ルート地図

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Img_2976龍馬歴史館 《地図

蝋人形はどうも好きになれない。それにまだ開館時間前だ。

Img_2981 大日寺へ上る遍路道

Img_2984 28番大日寺山門 【ルート地図】の①

Img_2993 本堂(右)・大師堂(左)

Img_2992 爪彫薬師堂(28番奥の院)

Img_2991 説明板

Img_2994 参道の地蔵さん

どう見ても赤ん坊の人形だ。

Img_2999戸板島橋から物部川 《地図

Img_3001 田畑の中を行く遍路道

Img_3005まだひまわりだ。

Img_3008 松本大師堂・へんろ小屋

まだ新しいお堂だ。

Img_3012 お遍路休憩所

泊まり用のフトンも置いてある。

Img_3018 JR土讃線

野田踏切あたり(御免駅と土佐長岡駅の間)

Img_3020 へんろ石饅頭店

明治25年創業という老舗。店の人によると、このあたりの地名(字名か?)を「へんろ石」といい、へんろ石はないというが、「へんろ石」と呼ばれた石造物があったから地名になったのだろう。店の前に古い道標があったが、それに類似したものか。近くに「へんろ石」バス停もある。

Img_3024 廿枝坂(坂下方向) 廿枝坂バス停から国府橋へ下る県道45号。 【ルート地図】の②

これもここの地名に由来する坂。廿は「二十」だが、20の枝を持つ木でもあったのか?

Img_3026坂上方向

Img_3039 「古今集」の庭

Img_3046 紀貫之邸跡(国司館跡) 《地図

Img_3045 説明板

Img_3044 紀氏旧跡碑

Img_3043 碑文

Img_3051 土佐国庁跡

Img_3050 説明板

Img_3056 比江廃寺塔跡

塔は礎石から推定すると32mの高さだったという。向うの香南市のごみ焼却施設の煙突より高かったのだろう。

Img_3053 塔の中心の礎石

最長幅が3.24mあり、石の外孔に五重塔の中心柱が立ち、内孔には仏舎利を納めた。その他の礎石は藩政時代に国分川の改修に使われてしまったという。

Img_3055 説明板

Img_3054 想像図

この寺は土佐国分尼寺に代用されたとする説もある。

Img_3060 比江城跡(正面の山)

長宗我部の一族の比江山親興の居城。親興は長宗我部家の相続問題で、吉良親実とともに元親を諌め討伐された。

Img_3058祖母神社

神社の上が比江城跡で、親興を祀る比江神社もある。

Img_3063 比江山史跡説明板

比江は「比叡」あるいは「日吉(ひえ)」に由来とか。

Img_3068 日吉(ひえ)神社

Img_3064 説明板

Img_3066 熊野神社

Img_3067 説明板

Img_3069 永源寺 《地図

土佐藩山内家の初期の家老、乾(いぬい)家の菩提寺

Img_3070 説明板

Img_3074 卵塔

卵形の乾家の墓石

Img_3073 説明板

Img_3079 地蔵の渡し跡あたり 【ルート地図】の③

遍路はここを舟で渡り国分寺に向った。正面向こうが国府橋。

Img_3077 地蔵

文化7年(1810)の建立。説明板には、「国分橋」となっているが、橋の標示は「国府橋」となっていた。

Img_3032「国府橋」

Img_3078 説明板

Img_3081 地蔵の渡しから29番国分寺へ

Img_3083 29番国分寺仁王門 《地図

Img_3085 説明板

Img_3086 金堂(本堂)

Img_3087説明板

Img_3088大師堂

Img_3090 酒断地蔵尊

地蔵さんの姿は見えず。別に今さら酒を断とうとは思わないが。

Img_3092 蛇(大師堂の前の芝生)

まだ子どものようだ。

Img_3102岡豊橋から 《地図

右が国分川で、左が笠ノ川

Img_3107 県立歴史民俗資料館

Img_3114 岡豊城跡二の段から 《地図

中央左の木がこんもりしている所が国分寺、その左後ろが国庁跡、その左に比江廃寺塔跡。右の川は国分川。

Img_3108 説明板①

Img_3109 説明板②

Img_3110 説明板③

Img_3121 詰(城の中心部分)礎石建物跡

13~14世紀頃築城の長宗我部氏の城で、後に大高坂城(高知城)、浦戸城に移る。

Img_3130 小野神社

Img_3139 毘沙門の滝(番外霊場) 【ルート地図】の④

大師が滝に打たれて修行した地。毘沙門天を彫り、祀ったのが毘沙門堂という。

Img_3146毘沙門堂

Img_3137毘沙門池

あひると鴨か? 仲が良さそうだ。

Img_3147 信貴山高知別院龍王院宗円寺

昭和58年開山の新しい寺で、境内の観音や不動像も新しい。

Img_3149 白瀧観音(境内)

Img_3148滝本不動尊(境内)

Img_3150 逢坂(坂上の峠近く) 【ルート地図】の⑤

Img_3159 坂上から30番善楽寺の方へ下って行く。

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