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2008年12月 9日 (火)

四国遍路道(愛媛県-4)

2008年11月23日

Img_5580 民宿とうべや・・・歯長(はなが)橋①・・・歯長坂・歯長峠(480m)・送迎庵見送り大師(番外霊場)・西予(せいよ)市(旧宇和町)・・・県道31号・・・歯長地蔵・・・歯長橋②・県道29号・・・道引大師(番外霊場)・・・見守大師・・・稲生橋(赤瀧川)・・・(松山自動車道)・・・白王権現(43番奥の院・番外霊場)・・・43番明石寺(めいせきじ)・・・宇和町の町並み・・・国道56号・・・信里庵・・・鳥坂(とさか)番所跡・鳥(と)坂・鳥坂峠(470m)・大洲市・・仏陀懸山札掛大師堂(番外霊場)・・・国道56号・・・(松山自動車道)・・・子持坂・子持橋・・・金山橋(嵩富川)・・・梁瀬橋・・・大洲神社・臥龍山荘・大洲の町並み・・・肱川橋(肱川)・・・旅館ときわ

 民宿のとうべえさんは歯長トンネルを通ることを勧めたが、もちろん歯長峠越えの遍路道を行く。峠へは上り始めが急坂で鎖がついている所もある。上って行くと前に横浜のOL女史の姿がある。彼女もトンネルではなくこっちの道を選んだのだ。先になってゆるやかになった道をしばらく行くと送迎庵見送り大師の小祠のある歯長峠で眺望が開ける。歯長地蔵へと下りかけると下の木々の上に雲海が広がっている。標高400m少しで雲ではなく、朝霧が上昇したものだ。幻想的な光景にしばし見惚れる。

 歯長地蔵で休憩し、道引大師堂から松山自動車道をくぐり、43番明石寺奥の院の白王権現に寄る。社殿はなく石の祀檀があるだけで、少し荒れている感じだ。祀檀の盤石が明石寺のいわれとなった、「あげいし」という話もある。黄葉、紅葉が見事な神社から43番明石寺へ入る。境内の元の札所だった熊野十二社権現は荒れて寂れた様子だった。宇和文化の里の案内に従って遍路道を下って宇和町に入る。歴史を感じさせるきれいな町並みで、今日は休日のこともありけっこう観光客も来ている。ぐるっと一回りして、文化の里休憩所でお茶を飲んで、町のことなどを聞いていたら随分と時間が経って昼近くになってしまった。

 ここから鳥坂峠を越え、大洲までは20km以上ある。民具館と開明小学校の間を光教寺まで上り(上の写真)、足早に途中、国道は走り遍路となって鳥坂トンネル近くまで行く。道脇で遅い昼飯をとり。トンネルの手前から下って鳥坂番所跡から遍路道を上る。鳥坂峠までは思ったほどでもなく着いてしまったが、大洲市に入ってからの下りの方がカーブしながらの緩やかな道で長く感じた。小走りに下ったので途中いくつか直線的に横切る道を見逃したようだ。

 札掛大師堂から道を間違えながらなんとか国道56号へ出て、大洲の方へ長い子持坂を下る。嵩富川を渡りしばらく行くと、道脇にシートを敷いて偏食青年遍路が休んでいた。今日は大洲のビジネスホテル泊まりだそうだ。こちらは大洲の町も見所が多いので話もそこそこに先を急ぐ。大洲神社の急な石段を上り、境内から大洲の古い家並みの中を通り、賦龍山荘に向う。山荘の塀に沿う坂がなかなかの風情だ。おはなはん通り、赤煉瓦館から肱川に向う道で、バイクに乗ったおばさんからお茶代にでもと150円のお接待をいただく。もう5時近く、大洲城は肱川大橋の上から眺めるだけで今日の宿のときわ旅館に向った。

 この旅館は若夫婦2人でやっていて、お遍路への気遣い、心配りの行き届いた宿だ。泊り客は一人歩き遍路4人。2人組高年遍路のうちの一人と、横浜のOL女史とは顔なじみ、もう一人は札所巡りは3度目というご老体遍路。6時前から夕食は、OL女史もいける口で、飲み食いしながら賑やかに盛り上がり、気がつくと7時を回っていた。こんなに長い時間の遍路宿での夕食は初めてだった。明日は雨になるらしい。国道歩きはつらいだろう。

  【ルート地図

  *参考:『大洲市観光スポット

  写真をクリックすると拡大します。

Img_5472 民宿とうべや方向

Img_5475 歯長峠へ

Img_5477_5 石畳

Img_5487_2 歯長坂

鎖もついている急坂

Img_5491 歯長峠の送迎庵見送り大師(番外霊場) 【ルート地図】の①

この地にあった歯長寺は昭和35年の失火で焼失。昭和42年に地元の大師講の人々によって当庵が建立され石仏が安置され、手厚く管理されている。

Img_5489 歯長(はなが)峠由来

源氏の出自ながら平氏側についた足利又太郎忠綱は、源氏に追われこの地に逃れ庵を結んだ、歯の長さが一寸もあり、又の名が歯長又太郎という巨人伝説の残る峠。

Img_5494 峠から

向こうは宇和海だろう。

Img_5496 雲海の上にいるようだ。

朝霧が上昇して出来る現象。

Img_5504 歯長地蔵

右は遍路の墓

Img_5503 堂内

Img_5508 道引大師(番外霊場)

古くから草庵霊場として祀られているが、創建、由来は不詳。地元では願いを掛けると、色々導き助けてくれる霊験ありと尊信をあつめている。

Img_5511 大師

Img_5520 白王権現(43番奥の院) 【ルート地図】の②

43番明石寺の由来話の一つに、「18、19の娘が大石を両腕に抱え歩いてきたが、ここで夜が明けたので、石を置いて去ってしまった。その女は観音の化身か龍女か、その石を白王権現と崇め、祠を奉り、上げ石から明石という寺名になった。」 奥の祀檀の盤石が娘の運んできた大石という伝説がある。明石(めいせき)寺は、もとは(あげいし)寺と呼ばれていた。

Img_5527 ?神社

Img_5526紅葉

Img_5528

Img_5530 43番明石寺 【ルート地図】の③

天台宗の寺。源頼朝が「現光山」を「源光山」に改めた。

Img_5531 説明板

Img_5534 本堂

Img_5533 大師堂

Img_5535 熊野十二社権現社

神仏分離まではこれが本堂だった。

Img_5547 神武天皇像(白井雨山作) (歴史文化博物館の薬草園の所)

Img_5546 説明板

Img_5552 宇和町の家並み

Img_5554 鳥居門

奥のからくり部屋には高野長英がかくまわれていたこともある。

Img_5558 説明板

Img_5557 二宮敬作住居跡(女医イネ発祥の地)

シーボルトの娘、楠本イネは日本最初の西洋医の女医。ここで二宮敬作から医学の指導を受けた。

Img_5556 説明板

Img_5559 町並み

Img_5562 文化の里休憩所

Img_5563 高野長英隠れ家

Img_5564 説明板

Img_5568 ヤマミ醤油

Img_5579 開明学校・光教寺へ上る坂。

Img_5578開明学校(国重要文化財)

明治15年に建築された小学校舎。

Img_5582 光教寺

始めは嘉禎2年(1236)に松葉城(岩瀬)山麓に創建された臨済宗の寺。西園寺氏の菩提寺

Img_5576 略縁起

Img_5584 松葉城跡(岩瀬)

中世の南予地域の領主、西園寺氏の居城。戦国時代にここから黒瀬城に移った。

Img_5585 説明板

Img_5592 信里庵

信里はここの地名

Img_5594 鳥(と)坂トンネルへ

Img_5598 トンネル入口前

トンネル内は暗く、車の往来の激しく歩くのは怖いだろう。

Img_5601 鳥坂峠への遍路道

Img_5603 大洲藩鳥坂番所跡

戦国時代には鳥坂城があり、鳥坂合戦があった。

Img_5602 説明板

Img_5605_2 鳥坂 【ルート地図】の④

鳥坂峠への坂

Img_5610 日天月天様

Img_5607 説明板

Img_5614 長い下りとなる。

Img_5617 仏陀懸山札掛大師堂(番外霊場)

大師がここで休憩した時に、釈尊の御影札を松の木に掛けたという。

Img_5630 子持坂 

嵩富川の方へ下る国道56号。

Img_5642 大洲案内図

Img_5643_2 大洲神社の石段

Img_5645_2 説明板

Img_5644 社殿

大洲の総鎮守

Img_5656 臥龍山荘前

Img_5652 臥龍山荘 【ルート地図】の⑤

Img_5654 説明板

Img_5647 臥龍山荘に沿う坂(坂上方向)

Img_5653 坂下方向

Img_5661 おはなはん通り

Img_5659 おはなはん通り

Img_5662 説明板

Img_5668 赤煉瓦館

明治34年に大洲商業銀行として建築された。

Img_5673 肱川から大洲城

肱川の鵜飼は日本三大鵜飼(長良川・岐阜/肱川・愛媛/木曽川・愛知/三隈川・大分 )の一つ。(4つあるが)

Img_5675 ときわ旅館

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