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2008年12月14日 (日)

四国遍路道(愛媛県-8)

2008年11月27日

Img_6133 松山ワシントンプラザホテル・・・六角堂稲荷・八股榎木大明神(常楽寺)・・・道後公園(湯築城跡)・・・県道187号・・・51番石手寺・・・義安寺(番外霊場)・・・橋本地蔵尊・・・伊佐爾波(いさにわ)神社・・・宝厳(ほうごん)寺(番外霊場)・・・ネオン坂(上の写真)・・・伊佐爾波坂・・・湯神社・・・道後温泉本館・・・椿の湯・・・護国神社・・・御幸寺・一草庵・・・松山城周辺・・・松山WPH・・・松山駅→松山空港

 今回の四国遍路道の坂道散歩の最終日だ。ホテルに荷物を預け身軽になって昨日の道を逆に石手寺に向う。土産物の店が並ぶ参道が庶民的な感じでいい。河野氏の菩提寺の義安寺に寄り、伊佐爾波神社の石段下に出る。石を並べた幅広い石段は急で見事だ。境内裏から一遍上人誕生の地という宝厳寺に入る。山門の背後にきれいに色づいた木が聳えたっている。

 宝厳寺の山門から下る坂がネオン坂だ。かつては坂沿いに松ケ枝町の遊郭があったところで、漱石の『坊ちゃん』に登場し、正岡子規、山頭火も歌を残している。花街が寂れて、うらぶれた雰囲気の漂う貴重な?一画だが近い将来この光景も無くなって一変してしまい、ネオン坂の名も消えてしまうだろう。ネオン坂を下り、再び伊佐爾波神社の石段下に出て、伊佐爾波坂を下って右へ湯神社へ上り、道後温泉本館前、椿の湯から途中、風俗店の並ぶ今の色街っぽい通りを抜けて山頭火の終の棲家の一草庵に向った。敷地の回りは工事中で、小さな一草庵も内装工事中のようで雑然としていた。松山城の石垣に沿って、城へのリフト乗場を通りホテルに向った。

  【ルート地図

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Img_6067 伊予鉄道の市内路面電車

Img_6068 六角堂稲荷と八股榎大明神(常楽寺)

もとは六角堂八股榎大明神という一つの社なのか?

Img_6069 八股榎大明神

大榎木の古株の洞穴に大正時代の中頃まで狸の一家が棲んでいたという。『八股榎お袖大明神の伝説』。

Img_6073 六角堂稲荷

稲荷なのにここにも『六角堂狸の話』が伝わるようだが。「稲荷山六角堂常楽寺」の石柱も立っている。

Img_6080 湯築城跡(道後公園)

14世紀前半に伊予国守護河野氏が築城。

Img_6091 51番石手寺参道 【ルート地図】の①

土産物の店が並んでいる。道後温泉の湯治客、観光客も多く訪れる。

Img_6087 仁王門

Img_6084 本堂

Img_6085 大師堂

Img_6095 義安寺(番外霊場)

河野義安の創立。天正13年(1585)河野家滅亡の際は家臣たちは当寺で自刃したという。遍路にゆかりのある河野家の霊を弔うための遍路がよく訪れた。(河野息方は遍路の元祖衛門三郎の生まれ変わりといわれる。) 境内で死んだ六十六部廻国行者の霊を祀っていて、「お六部さま」でも知られている。

 このあたりを姫塚という。元寇の役の時、河野通有の叔父である通時は一人娘の姫を置いて戦さに行き博多湾で戦死した。通有は父の帰りを待つ姫に、父の遺骨を持ち帰った。姫は一生この義安寺にとどまり父の墓守りをしたという。

Img_6097 説明板

Img_6098 橋本地蔵

Img_6103 伊佐爾波神社石段

Img_6104 石段上から伊佐爾波坂方向

Img_6105 伊佐爾波(いさにわ)神社 【ルート地図】の②

仲哀天皇、神功皇后が道後温泉に来浴した時の行在所の跡に建てられたという。

Img_6102 説明板

Img_6123宝厳寺(ネオン坂の坂上から) 【ルート地図】の③

時宗の一遍上人誕生の地という。

Img_6117 本堂

Img_6113 説明板

Img_6116_2 子規歌碑

「色里や十歩はなれて秋の風」

色里は寺の前のネオン坂沿いの松ヶ枝町の遊郭のこと。

Img_6115 説明板

Img_6121_2 ネオン坂(宝厳寺の門前から) 【ルート地図】の④

夏目漱石は『坊ちゃん』で、「北へ登って町の間をはずれに出ると、左に大きな門があって、門の突きあたりがお寺で、左右が妓楼である。山門の中に遊廓があるなんて前代未聞の現象だ。」と描写している。

山頭火も、「をなごまちのどかなつきあたりは山門」と歌っている。

Img_6125_2 坂上近く

Img_6127 坂上方向

Img_6128 坂下方向

今はネオン街も寂れ、スナックバーなどが何軒かあるだけで、ネオン坂の看板や標示もない。

Img_6129遊郭の建物だったのか。

Img_6149 ネオン坂(中央右上)・伊佐爾波坂(左下方)が載っている。

Img_6140 伊佐爾波坂(坂下方向) 伊佐爾波神社の石段下から下る坂。 《地図

Img_6147 坂上方向

正面突当たりが伊佐爾波神社。

Img_6141 湯神社へ

Img_6144 湯神社 《地図

道後温泉の守護神

Img_6142 説明板

Img_6153 道後温泉本館

Img_6157 椿の湯

道後温泉本館の姉妹湯。聖徳太子がこの地の椿を褒め称えたという伝説から名づけられた。

Img_6156聖徳太子碑説明板

Img_6158 聖徳太子「道後温泉碑」の模造品

聖徳太子が碑を建てたというのは疑わしく伝説に過ぎないようだが。

Img_6160 今はこのあたりが色街か。

Img_6163 一草庵・御幸寺へ

Img_6164 御幸寺

Img_6165 一草庵 【ルート地図】の⑤

山頭火の臨終の家。内部は改築工事中だった。

Img_6166 山頭火の日記から

およそ10ヶ月後(昭和15年10月11日)に死ぬ時には、「おちついて死ねそうな草萌ゆる」

Img_6174 松山城の石垣に沿って

Img_6179 松山城

JR松山駅へ向う途中から

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2008年12月12日 (金)

四国遍路道(愛媛県-7)

2008年11月26日

Img_5913 国民宿舎古岩屋荘・・・八丁坂下・・・県道12号・・・住吉神社・・・遍路道・・・御堂峠(715m)・・・44番大宝寺(560m)・・・総門橋(久万川)・・・和霊宮・・・国道33号・・・仰西渠(こうさいきょ)・・・高殿神社・・・三坂・三坂峠(710m)・・・三坂遍路道・鍋割坂・・・坂本屋・・・網掛大師堂・網掛石(番外霊場)・・・中之坂・・・出口橋(御坂川)・・・県道194号・・・46番浄瑠璃寺・・・47八坂寺・・・文殊院(番外別格二十霊場の第九番札所)・・・久谷川・・・札始大師堂(番外霊場)・・・県道40号・・・重信川(久谷大橋)・・・(松山自動車道)・・・杖(じょう)の渕(番外霊場・48番奥の院)・・・48番西林寺・・・遍路橋(小野川)・・・(伊予鉄道)・(県道40号)・・49番浄土寺・・・日尾八幡神社・・・50番繁多寺・・・桑原八幡神社・三島神社・・・県道40号・・・石手川・・・県道187号・・・(51番石手寺前)・・・松山ワシントンプラザホテル

 38番金剛福寺から7ケ寺を巡るのに10日間かかった。今日は1日で松山駅近くまでの6ケ寺を巡る。距離もけっこうある。健脚遍路Kさんは今日は途中の駅(といっても49番浄土寺そばの伊予鉄道の久米駅まで行かなければ駅はないようだが。)から伊予大洲に車を取りに戻るといい、出発はゆっくりだ。こちらは朝食後、7時半頃に出発した。古岩屋荘は500mくらいの高さにあり朝は冷えて、遍路道は朝もやに覆われている。

 八丁坂の坂下から昨日の逆に進み、住吉神社の脇から峠御堂トンネルの方へ上り、トンネルの手前で峠への遍路道に入る。正面左方向から木々の間を朝日が差し込み何となく神々しい雰囲気の中を上る。(上の写真) 御堂峠から下ってまだ朝もやの消えていない、人もまばらで静かな44番大宝寺の境内に入る。大宝寺の門前町の久万高原町は海抜500m近く、土佐街道の宿場町、材木の集散地でもある。久万は熊野の「くま」と同じく奥深い所、隈、辺土の幽界の意だという。なるほど大宝寺は杉木立が林立する薄暗く、古色蒼然たる雰囲気がある。

 境内から参道、山門へと逆にたどり、門前の通りを行くと国道33号に合流する。住吉神社からの46番浄瑠璃寺への遍路道が国道と合流する所の仰西渠の案内板を読んでいたら遍路道を女人野宿遍路がやって来た。話ながらゆっくり歩いているとKさんが追いついて来た。ここからは三坂峠(710m)までの長い国道上りが続く。まだ先が長いのでこちらはペースを上げて進むことにする。

 三坂峠の頂上あたりで北方向に遍路道に入り下って行く。途中、鍋割坂と坂名のついた急な所もあるが、のどかで、静かやな里山歩きという感じの道で気持ちがいい。網掛石を通り、中之坂を下り出口橋で御坂川を渡って1kmくらいで47番浄瑠璃寺で、そのすぐ先が48番八坂寺だ。文殊院、札始大師堂は四国遍路の元祖ともいわれる衛門三郎ゆかりの地。松山自動車道をくぐると48番奥の院の杖ノ渕がある。公園としてきれいに整備されていて市民の憩いの庭園という風で、番外霊場といった雰囲気はない。

 48番西林寺から遍路橋(小野川)を渡り、伊予鉄道を越えると正面が49番浄土寺で、だいぶ疲れてきて隣の日尾八幡神社の石段が足にこたえた。遍路道に入り小高い50番繁多寺へ急ぐ。80mほどの高さしかないがリュックの重さが倍増したように感じてきた。夕日が傾いた境内で一休みする。今日は遍路宿ではなくビジネスホテル泊まりだから急ぐ必要はないが、もう5時近くで51番石手寺は無理だ。暗くなると道も分かりづらくなる。地図を念入りに確認し、溜池前を下って県道40号に出て北へ、石手川を渡り、石手寺前を通り、道後公園沿いを進み、伊予鉄道の路面電車を見ながら勝山町の交差点に出てほっと一安心。もう真っ暗という中をホテルにたどり着いた。

 今日は41km、昨日は36km、おとといは33kmと起伏のある道を重いリュックを背負って歩いたせいか風呂から上がると足がガタガタで力が入らない感じだ。夕食は久しぶりの外食だ。遍路宿の食事には少しあきがきて、油っこい、こってりしたものを食べたかったので近くの中華屋に行って、?千円も飲み食いした。やっぱり遍路宿は安い。

  【ルート地図

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Img_5897 八丁坂下

朝霧で霞んでいる。

Img_5901 遍路道も朝もやが立っている。

Img_5903 遍路休憩所

住吉神社の近く、15軒もの遍路宿があったという。

Img_5902 説明板

Img_5905 遍路道沿い

Img_5909 峠御堂トンンネル前から左へ上る遍路道。

Img_5915 峠手前の休憩所

Img_5916 峠あたり(715m)

Img_592044番大宝寺 【ルート地図】の①

Img_5921 大師堂

何でこんな写真になったのか?

Img_5923 掘出観音堂

昭和9年に石田そよさんというお婆さんが、「掘出せ、掘出せ」という観音様のお告げによって土中から掘出された観音像を安置するという。

Img_5928 仁王門

Img_5929 仁王門の大ワラジ

Img_5938 仰西渠(こうさいきょ)

安山岩の岩山を掘りぬき造った用水路。中央の流れとその向こうの穴(トンネル)のことだろう。

Img_5937 説明板

Img_5940 三坂

三坂峠へ上る国道33号

Img_5942 坂上方向

Img_5944 三坂峠あたり(710m)

右へ三坂遍路道へ入り松山市へ下る。

Img_5947 遍路道から松山市街

Img_5949 鍋割坂(坂下方向) 【ルート地図】の②

急坂で遍路が滑って転び、背負っていた鍋を割ったというが、それほど急ではない。

このみちは国道ができるまでは松山と高知を結ぶ重要な街道だった。

Img_5950 坂標

「仰西翁偉績」とある。仰西渠を造った仰西は、この道も開発したのか。

Img_5953 久万街道説明板

Img_5958 のどかな遍路道

Img_5960 坂本屋

明治末から大正初期に建てられた旧遍路宿。

Img_5962 説明板

Img_5964 遍路墓

天保13年とある。

Img_5967 遍路道

車も人も通らない気持ちのいい道。

Img_5971 緩やかに下って行く。

Img_5972 網掛大師堂(番外霊場)

Img_5974_2網掛石

確かに網のような目がついている。ここを通る遍路は石の割れ目に納め札を挟み込んだり、賽銭をあげる慣わしがあった。

Img_5973 由来

Img_5977 中之坂

出口橋の方へ下る県道207号。中之坂バス停がある。

Img_5987 46番浄瑠璃寺 【ルート地図】の③

本堂

Img_5988 大師堂

Img_5993 説明板

Img_5991 九横封じ石

九横とは、薬師如来が救う九つの災難で、一、不治の病の患る。二、暴力非行に会う。三、淫酒に耽れる。四、火熱傷をおう。五、水難にあう。六、獣蛇に咬まれる。七、崖から転落する。八、毒呪に中る。九、渇き飢える。こと。

Img_5994 47番八坂寺へ

Img_5995 47番八坂寺

Img_6004_2 山門の天井画

Img_5996 説明板

Img_5997 本堂

Img_5998 大師堂

Img_6000 閻魔堂

Img_6002 十二社権現

修験者の道場として栄えた名残り。

Img_6005 溜池

正面のこんもりしている所は諏訪神社

Img_6011 諏訪神社

Img_6013 文殊院(番外別格二十番霊場の第九番札所)

大師を邪険に扱ったため、8人の子どもが死に、四国遍路懺悔の旅に出た、衛門三郎菩提寺。屋敷跡ともいわれている。

少しくらい粗略な扱いを受けたからといって、何の罪もない子ども8人を仏罰とはいえ死なせてしまうとは大師とは恐ろしい人物だ。そんな大師を慕い、追っかけとなって旅に出た衛門三郎も単純な可哀そうな男だ。

Img_6012 説明板

Img_6019 札始大師堂(番外霊場)

大師を追った衛門三郎は、ここ小村の大師堂を尋ね大師自刻の大師像に懺悔して大師の帰来を待ったが現れず、札に国所姓名を書き堂に貼って納めた。それ故に、ここを衛門三郎札始所という。

Img_6020 由来

Img_6027 杖ノ渕(番外霊場・48番奥の院) 【ルート地図】の④

大師がここに杖を突くと清水がほとばしり出て渕となったという。

Img_6030 全国名水百選の清水という。

Img_6026 杖ノ渕公園

Img_6032 48番西林寺仁王門

左手前に正岡子規の句碑

Img_6033 句碑説明板

Img_6036 本堂・大師堂(右)

山頭火もここで「水音のたえづしてみ仏あり」と詠んだ。

Img_6043 49番浄土寺へ伊予鉄道の線路を渡って突当たり。

Img_6044 49番浄土寺仁王門

空也上人立像(重文)がある。

Img_6049 説明板

Img_6046 本堂・大師堂(右)

Img_6051 日尾八幡神社

天平勝宝4年(752)宇佐八幡から勧請して孝謙天皇の勅願所として建立された。

Img_6052 由緒

Img_6055 どっしりした風格の 山門。

Img_6054 社殿へ

Img_6056 50番繁多寺 【ルート地図】の⑤

時宗の一遍上人が修学した寺。荒廃、衰退していたのを源頼義が再興した。

Img_6062 由緒

Img_6057 本堂・大師堂(右)

Img_6060 前の池から

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2008年12月11日 (木)

四国遍路道(愛媛県-6)

2008年11月25日

Img_5846_4 ふじや旅館・・・国道380号・・・出合橋(小田川)・・・三島神社・・・畑峠遍路道分岐・・・真弓トンネル(710m)・・・久万高原町・・父ニ峰橋(二名川)・・・県道42号・・・農祖峠(のうそのとう)遍路道・農祖峠(651m)・・・(国道33号)・・・県道153号・・・三島橋(久万川)・・・越ノ峠・・・県道153号・・・県道209号・・・日の出橋近く・・・県道153号・・・住吉神社・・・県道12号・・・遍路道・・・八丁坂・茶屋跡(760m)・・・不動堂・逼割(せりわり)行場・45番岩屋寺・・・岩屋寺橋(直瀬川)・・・古岩屋トンネル・・・杖立てさん・礫岩峰・国民宿舎古岩屋荘

 今日は国道380号を行き、真弓トンネルから久万高原町に入り、農祖峠を越えて44番大宝寺には寄らずに、越ノ峠、槙の谷、八丁坂上から先に45番岩屋寺に行くつもりだった。越ノ峠(【ルート地図】の②)を越えて下った県道153号と209号の分岐の所までは快調に進んだが、道筋の判断ミスから県道209号を引き返したり、県道153を行ったり来たりしてしまった。道を聞く人もおらず、遍路道の標示が見当たらなかったことにもよるが、時間に追われちょっと冷静さを失っていたようだ。

 結局、安全策を取って大回りになるが県道153号を進み、住吉神社前から45番岩屋寺へ向うことにした。住吉神社まで県道を早足で行き、境内で一休みしていたら、健脚遍路Kさんと女人野宿遍路が一緒に前を通った。44番大宝寺から峠御堂へ上り、下って来たのだ。Kさんは45番を打ち、国民宿舎古岩屋荘に泊まるという。私と同じだ。女人野宿遍路は古岩屋荘で温泉に入り、洗濯してから古岩屋荘前の屋根付きバス停に寝るそうだ。

 県道12号を進むうちに、ゆっくりペースの女人遍路とはだんだん離れていった。遍路道に入り八丁坂を上る。坂上あたりが急だがそれほどのことはない。(上の写真は八丁坂を上るKさん。) 上り切って茶屋跡から標高760mの最高点を過ぎ、岩屋寺の奥の逼割(せりわり)行場へ下る小石の多い道の方が歩きにくく、疲れが溜まってきた足には応えた。不動堂、逼割行場あたりはそそり立つ礫岩峰や木々の下で4時前なのにもうかなりの暗さだ。2人で女人遍路のことを心配するが、取越し苦労というものだろう。楼門、本堂、大師堂から山門に下り、岩屋寺橋を渡り県道12号に出て古岩屋荘に向った。

 このあたりでも600mくらいの高さがあり、夜はかなり冷え込んできた。暖かい食堂でKさんとビールを飲みながら、外で寒い夜を過ごす女人野宿遍路のことを思うとちょっと複雑な気持ちになった。でも彼女にとっては毎日のことで、きっと寝袋の中で暖かく眠るのだろう。

  【ルート地図

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Img_5795 出合橋から

国道380号を上る。

Img_5802 三島神社

Img_5805 遍路道へ入る。

Img_5807 農祖峠越え(直進)と畑峠越え(左へ登る。)の遍路道の分岐。

Img_5809 真弓トンネル(710m)

Img_5820 何の石像か

Img_5822 農祖峠遍路道

Img_5824 農祖峠(651m) 【ルート地図】の①

見晴らしはない。

Img_5835 45番岩屋寺への道路標識

この標識の通り進んだつもりなのだが、日の出橋になかなか着かず引き返す。遍路道標もないようだった。

Img_5836 大回りして国道153号を行き、住吉神社から45番を目指す。

Img_5841 住吉神社 【ルート地図】の③

Img_5842 周辺案内図

Img_5848 八丁坂 【ルート地図】の④

上り始めは緩やかだが坂上近くは急になる。

Img_5844 八丁坂説明板

Img_5849 坂上の茶店跡、道標

予定としては日の出橋から槙の谷を通ってここへ出るはずだった。5~6km以上の迂回となった。

Img_5850 説明板

Img_5851_2 馬の背

Img_5853 不動堂

八丁坂を上っての山道経由で本堂から600mくらい離れたここに出る。

Img_5855 逼割(せりわり)行場

岩の裂け目を鎖と梯子でよじ登ると白山権現に出る。「胎内くぐり」の行場か。入口の鍵は納経所で借りるようだが、時間がないので割愛。

Img_5854 説明板

Img_5858 楼門

Img_5874 45番岩屋寺 【ルート地図】の⑤

山号の「海岸山」は境内からの朝霧が海のように見えることから。大師が「山高き谷の朝霧海に似て 松吹く風を波にたとえむ」と詠んだ。

Img_5860 説明板

Img_5875 礫岩峰が本堂の後ろに覆いかぶさる。

Img_5871 穴禅定

Img_5876 山門

Img_5896 礫岩峰(左下は「杖立てさん」の小堂)

礫岩の堆積した約4000万年前には古岩屋一帯に北東方面からの大河があり
扇状地をつくっていたと考えられている。この礫岩層が浸食されて、現在の岩峰や逼割(せりわり)が形成された。

Img_5887 古岩屋礫岩峰説明板

Img_5888 国民宿舎古岩屋荘

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2008年12月10日 (水)

四国遍路道(愛媛県-5)

2008年11月24日

Img_5743 ときわ旅館・・・国道56号・・・永徳寺・十夜ケ橋(とよがばし)(番外別格二十霊場の第八番札所)・・・(JR予讃線・松山自動車道)・稲田橋・・・矢落橋・・・神南(かんなん)堂(遍路休憩所)・・・内子町・・・遍路道・・・内子運動公園・・・駄場池・思案堂?・・・(内子駅)・・・内子の町並み(上の写真)・・・内子橋・道の駅内子フレッシュパークからり・・・国道379号・・・長岡山トンネル・・・遍路無料宿・・・三島神社・・・明応寺・・・大瀬地区・・・(曽我十郎首塚)・・・千人宿大師堂・・・楽水大師(番外霊場)・・・新田橋・・・梅津トンネル(87m)・・・突合・・・農祖峠(のうそのとう)遍路道・・・観音橋(小田川)・・・火祭橋・・・登貴姫橋・・・道の駅小田の郷せせらぎ・・・ふじや旅館

 やっぱり雨だ。覚悟はしていたが時々、車から雨水を跳ねかけられながら国道56号を進み、十夜ケ橋の下で傘を置いて小休止。JR予讃線を渡り松山自動車道をくぐり、遍路道に入る。再び国道に出る手前に休憩所の神南堂がある。五右衛門風呂もあり、野宿遍路には喜ばれていることだろう。五十崎(いかざき)駅近くから遍路道に入る。草木の間の未舗装の道で、雨水が流れる所やぬかっている所もあるが国道歩きよりは全然気が楽な道だ。

 内子運動場を過ぎ、駄場池の方へ下って、内子駅そばから内子の町並みに入る。三連休最後の日ともあって内子座や古い家並みの残る通りなどは観光客が多い。ゆっくり見て回りたかったがまだ先が長い。遍路道に戻ることにしたが、どこを歩いているのか分からず当てずっぽうにこの方向だろうと行くと、店の人が声を掛けてくれて遍路道への道順を丁寧に教えてくれた。地元の買い物客ですごく混んでいる「道の駅内子フレッシュパークからり」のマーケット?で弁当を買って雨の国道379号を上り始める。途中、屋根付のバス停で弁当を広げる。前を夫婦連れ遍路が過ぎ、その後から編み笠を被ったポンチョ姿の遍路が、(傘を差さずに足早に歩く姿は颯爽とした渡世人風だ。岡っ引きかやくざに追われているようでもあるが。)通り過ぎて行った。靴の中はびっしょりで座っていると寒くなってきた。半分食べてまた歩き出す。

 長岡トンネル前で夫婦連れ遍路を追い抜き、しばらくしてポンチョ姿の遍路に追いついた。挨拶をして横顔を見ると、健脚遍路のKさんだった。19日に出会った以来のご対面だ。お互いのあれからのことなどを話しながら進むと雨もさほど気にならない。Kさんはここ2、3日は女人野宿遍路と先になったり後になったりして歩いて来たそうだ。今夜は突合の徳岡旅館に泊まり、明日は鴇田(ひわた)峠越えの遍路道で44番大宝寺へ向うという。こちらは突合から農祖峠(のうそのとう)遍路道を行き、今夜は小田に泊まり、明日は45番岩屋寺へ行く予定だ。突合まではもう近い。遍路休憩所で残りの弁当を食べることにしてKさんと別れる。

 歩き出してすぐに左手に曽我十郎首塚登山口の案内板が立っている。徒歩20分とある。ちょうど通りかかった農家風のおばさんに聞くと、上りの山道でこの雨では大変だからよした方がいいと言われ、すんなり「そうですね」とあきらめる。ここ大瀬地区は作家の大江健三郎の故郷でもある。日本三大仇討ちの「曽我物語」とノーベル賞作家の組み合わせが妙だ。だが、なぜ東国、伊豆の相模国の仇討ち話の主人公の首塚がここにあるのだろうか?(曽我兄弟の菩提寺は小田原市の城前寺で墓もあるとか。) 

 楽水大師を過ぎ、突合から農祖峠(のうそとう)遍路道に入る。小田川を渡った広い道(県道?)を行こうか手前の道を行こうか迷っていると、車を止めて運転しているおじさんが身を乗り出し、手前の方が近道だと教えてくれた。疲れてきた足にはあり難い。火祭橋を渡って小田の町中に入る。もとは小田町だったのが内子町に吸収されたが、市にはなれず町のままだ。小田川に架かる橋の名がいい。観音橋、火祭橋、登貴姫橋、出合橋などいわれのありそうな名が並ぶ。火祭橋は近くの「山の神の火祭り」のことで、登貴姫は平清盛の娘で、ここにも平家落人伝説が残り、灯籠祭もこれにちなむという。

 明日の昼飯のことを考えて少し遠回りしてスーパーに寄る。明日の開店は8時で、出発時にはまだ開いていない。菓子パンなどを買い込みふじや旅館へ入った。古い昔風の部屋で、今日の客は2人。夕食は私一人だけだったが、大きな土鍋の寄せ鍋で腹一杯になり満足した。

  【ルート地図

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Img_5676 雨で山は煙っている。

Img_5678 永徳寺

霊跡の十夜ケ橋を管理する寺。以前は北方3kmの山裾にあった。

Img_5686 十夜ケ橋(番外別格二十霊場の第八番札所) 【ルート地図】の①

橋の下に大師が寝ている像がある。遍路は大師の安眠を妨げないよう、橋の上では金剛杖はつかない慣わしがある。

Img_5680説明板

Img_5690 JR予讃線・松山自動車をくぐる遍路道

Img_5696 遍路道から

Img_5699 神南(かんなん)堂 【ルート地図】の②

ここに事務所がある建設会社の好意による遍路休憩所ようだ。堂の名は近くの神南山から。五右衛門風呂(神南風呂)(左)もある。

Img_5702 国道を離れ遍路道に入る。

Img_5703 雨でぬかるんでいるが国道歩きよりはましだ。

Img_5707 内子運動公園にある説明板

Img_5713 駄場池

高知、愛媛には駄場がつく地名が多い。どんな意味なのか?

Img_5714 池のほとりの地蔵さん

細顔と丸顔の面白い地蔵さんだ。

Img_5716 白鳥は常盤公園からやって来たそうだ。餌箱に首を突っ込んでいる黒いのが白鳥か?

Img_5719 説明板の大師ゆかりの思案堂か?

Img_5722内子座 【ルート地図】の③

Img_5723 説明板

Img_5725 内子町案内板

Img_5726 図書館

Img_5730 児童館

Img_5729 説明板

Img_5731 八幡神社

Img_5737 下芳我

蕎麦、つみ草料理の店。まだ開店前のようだった。

Img_5744 内子の町並み

Img_5745

Img_5747

Img_5746

Img_5757 長岡山トンネル手前

夫婦遍路が前を行く。

Img_5758 お遍路無料宿

Img_5761 三島神社

Img_5760 説明板

炷森(とぼしがもり)とはどんな森なのか?

Img_5759 大瀬地区

大江健三郎の故郷

Img_5763曽我十郎首塚登山口

弟の五郎の首塚もそばにあるようだ。曽我五郎十郎兄弟の仇討ちは日本三大仇討ちの一つ。

Img_5767 千人宿大師堂

Img_5772 筏流しの里「川登」

昭和20年代に姿を消した筏流しを平成5年に復活させ毎年4月に川祭りを実施しているそうだ。

Img_5770 説明板

Img_5777 楽水大師堂(番外霊場)(右) 【ルート地図】の④

行脚中の大師が当地で休み、呑んだ水が大変おいしかったので、これで楽になったと喜ばれたことから、ここに大師堂を建てたという。

Img_5775 大師像

寛政元年とある。

Img_5778 隣りの祠にはなぜか妖しげな人形が。

Img_5783 遍路道分岐(突合の所)

Img_5784 小田川沿いの遍路道

Img_5789観音橋を過ぎたあたりから

Img_5790 登貴姫橋 【ルート地図】の⑤

平清盛の5女でここに落ち延びて来て、病没したという。清盛寺の境内に墓がある。

Img_5793 ふじや旅館

Img_5794 昔風の部屋

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2008年12月 9日 (火)

四国遍路道(愛媛県-4)

2008年11月23日

Img_5580 民宿とうべや・・・歯長(はなが)橋①・・・歯長坂・歯長峠(480m)・送迎庵見送り大師(番外霊場)・西予(せいよ)市(旧宇和町)・・・県道31号・・・歯長地蔵・・・歯長橋②・県道29号・・・道引大師(番外霊場)・・・見守大師・・・稲生橋(赤瀧川)・・・(松山自動車道)・・・白王権現(43番奥の院・番外霊場)・・・43番明石寺(めいせきじ)・・・宇和町の町並み・・・国道56号・・・信里庵・・・鳥坂(とさか)番所跡・鳥(と)坂・鳥坂峠(470m)・大洲市・・仏陀懸山札掛大師堂(番外霊場)・・・国道56号・・・(松山自動車道)・・・子持坂・子持橋・・・金山橋(嵩富川)・・・梁瀬橋・・・大洲神社・臥龍山荘・大洲の町並み・・・肱川橋(肱川)・・・旅館ときわ

 民宿のとうべえさんは歯長トンネルを通ることを勧めたが、もちろん歯長峠越えの遍路道を行く。峠へは上り始めが急坂で鎖がついている所もある。上って行くと前に横浜のOL女史の姿がある。彼女もトンネルではなくこっちの道を選んだのだ。先になってゆるやかになった道をしばらく行くと送迎庵見送り大師の小祠のある歯長峠で眺望が開ける。歯長地蔵へと下りかけると下の木々の上に雲海が広がっている。標高400m少しで雲ではなく、朝霧が上昇したものだ。幻想的な光景にしばし見惚れる。

 歯長地蔵で休憩し、道引大師堂から松山自動車道をくぐり、43番明石寺奥の院の白王権現に寄る。社殿はなく石の祀檀があるだけで、少し荒れている感じだ。祀檀の盤石が明石寺のいわれとなった、「あげいし」という話もある。黄葉、紅葉が見事な神社から43番明石寺へ入る。境内の元の札所だった熊野十二社権現は荒れて寂れた様子だった。宇和文化の里の案内に従って遍路道を下って宇和町に入る。歴史を感じさせるきれいな町並みで、今日は休日のこともありけっこう観光客も来ている。ぐるっと一回りして、文化の里休憩所でお茶を飲んで、町のことなどを聞いていたら随分と時間が経って昼近くになってしまった。

 ここから鳥坂峠を越え、大洲までは20km以上ある。民具館と開明小学校の間を光教寺まで上り(上の写真)、足早に途中、国道は走り遍路となって鳥坂トンネル近くまで行く。道脇で遅い昼飯をとり。トンネルの手前から下って鳥坂番所跡から遍路道を上る。鳥坂峠までは思ったほどでもなく着いてしまったが、大洲市に入ってからの下りの方がカーブしながらの緩やかな道で長く感じた。小走りに下ったので途中いくつか直線的に横切る道を見逃したようだ。

 札掛大師堂から道を間違えながらなんとか国道56号へ出て、大洲の方へ長い子持坂を下る。嵩富川を渡りしばらく行くと、道脇にシートを敷いて偏食青年遍路が休んでいた。今日は大洲のビジネスホテル泊まりだそうだ。こちらは大洲の町も見所が多いので話もそこそこに先を急ぐ。大洲神社の急な石段を上り、境内から大洲の古い家並みの中を通り、賦龍山荘に向う。山荘の塀に沿う坂がなかなかの風情だ。おはなはん通り、赤煉瓦館から肱川に向う道で、バイクに乗ったおばさんからお茶代にでもと150円のお接待をいただく。もう5時近く、大洲城は肱川大橋の上から眺めるだけで今日の宿のときわ旅館に向った。

 この旅館は若夫婦2人でやっていて、お遍路への気遣い、心配りの行き届いた宿だ。泊り客は一人歩き遍路4人。2人組高年遍路のうちの一人と、横浜のOL女史とは顔なじみ、もう一人は札所巡りは3度目というご老体遍路。6時前から夕食は、OL女史もいける口で、飲み食いしながら賑やかに盛り上がり、気がつくと7時を回っていた。こんなに長い時間の遍路宿での夕食は初めてだった。明日は雨になるらしい。国道歩きはつらいだろう。

  【ルート地図

  *参考:『大洲市観光スポット

  写真をクリックすると拡大します。

Img_5472 民宿とうべや方向

Img_5475 歯長峠へ

Img_5477_5 石畳

Img_5487_2 歯長坂

鎖もついている急坂

Img_5491 歯長峠の送迎庵見送り大師(番外霊場) 【ルート地図】の①

この地にあった歯長寺は昭和35年の失火で焼失。昭和42年に地元の大師講の人々によって当庵が建立され石仏が安置され、手厚く管理されている。

Img_5489 歯長(はなが)峠由来

源氏の出自ながら平氏側についた足利又太郎忠綱は、源氏に追われこの地に逃れ庵を結んだ、歯の長さが一寸もあり、又の名が歯長又太郎という巨人伝説の残る峠。

Img_5494 峠から

向こうは宇和海だろう。

Img_5496 雲海の上にいるようだ。

朝霧が上昇して出来る現象。

Img_5504 歯長地蔵

右は遍路の墓

Img_5503 堂内

Img_5508 道引大師(番外霊場)

古くから草庵霊場として祀られているが、創建、由来は不詳。地元では願いを掛けると、色々導き助けてくれる霊験ありと尊信をあつめている。

Img_5511 大師

Img_5520 白王権現(43番奥の院) 【ルート地図】の②

43番明石寺の由来話の一つに、「18、19の娘が大石を両腕に抱え歩いてきたが、ここで夜が明けたので、石を置いて去ってしまった。その女は観音の化身か龍女か、その石を白王権現と崇め、祠を奉り、上げ石から明石という寺名になった。」 奥の祀檀の盤石が娘の運んできた大石という伝説がある。明石(めいせき)寺は、もとは(あげいし)寺と呼ばれていた。

Img_5527 ?神社

Img_5526紅葉

Img_5528

Img_5530 43番明石寺 【ルート地図】の③

天台宗の寺。源頼朝が「現光山」を「源光山」に改めた。

Img_5531 説明板

Img_5534 本堂

Img_5533 大師堂

Img_5535 熊野十二社権現社

神仏分離まではこれが本堂だった。

Img_5547 神武天皇像(白井雨山作) (歴史文化博物館の薬草園の所)

Img_5546 説明板

Img_5552 宇和町の家並み

Img_5554 鳥居門

奥のからくり部屋には高野長英がかくまわれていたこともある。

Img_5558 説明板

Img_5557 二宮敬作住居跡(女医イネ発祥の地)

シーボルトの娘、楠本イネは日本最初の西洋医の女医。ここで二宮敬作から医学の指導を受けた。

Img_5556 説明板

Img_5559 町並み

Img_5562 文化の里休憩所

Img_5563 高野長英隠れ家

Img_5564 説明板

Img_5568 ヤマミ醤油

Img_5579 開明学校・光教寺へ上る坂。

Img_5578開明学校(国重要文化財)

明治15年に建築された小学校舎。

Img_5582 光教寺

始めは嘉禎2年(1236)に松葉城(岩瀬)山麓に創建された臨済宗の寺。西園寺氏の菩提寺

Img_5576 略縁起

Img_5584 松葉城跡(岩瀬)

中世の南予地域の領主、西園寺氏の居城。戦国時代にここから黒瀬城に移った。

Img_5585 説明板

Img_5592 信里庵

信里はここの地名

Img_5594 鳥(と)坂トンネルへ

Img_5598 トンネル入口前

トンネル内は暗く、車の往来の激しく歩くのは怖いだろう。

Img_5601 鳥坂峠への遍路道

Img_5603 大洲藩鳥坂番所跡

戦国時代には鳥坂城があり、鳥坂合戦があった。

Img_5602 説明板

Img_5605_2 鳥坂 【ルート地図】の④

鳥坂峠への坂

Img_5610 日天月天様

Img_5607 説明板

Img_5614 長い下りとなる。

Img_5617 仏陀懸山札掛大師堂(番外霊場)

大師がここで休憩した時に、釈尊の御影札を松の木に掛けたという。

Img_5630 子持坂 

嵩富川の方へ下る国道56号。

Img_5642 大洲案内図

Img_5643_2 大洲神社の石段

Img_5645_2 説明板

Img_5644 社殿

大洲の総鎮守

Img_5656 臥龍山荘前

Img_5652 臥龍山荘 【ルート地図】の⑤

Img_5654 説明板

Img_5647 臥龍山荘に沿う坂(坂上方向)

Img_5653 坂下方向

Img_5661 おはなはん通り

Img_5659 おはなはん通り

Img_5662 説明板

Img_5668 赤煉瓦館

明治34年に大洲商業銀行として建築された。

Img_5673 肱川から大洲城

肱川の鵜飼は日本三大鵜飼(長良川・岐阜/肱川・愛媛/木曽川・愛知/三隈川・大分 )の一つ。(4つあるが)

Img_5675 ときわ旅館

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2008年12月 7日 (日)

四国遍路道(愛媛県-3)

2008年11月22日

よしのや旅館・・・国道56号・・・松尾峠遍路道・・・採石場・・・国道56号・・・来村川・・・子安地蔵堂・・・千歳橋(来村川)・・・普達橋(来村川)・・・馬目木大師(番外霊場)・・・神田川・・・泰平寺・・・泰平橋・・・勧進橋・・・児島惟謙誕生地・・・木屋旅館(跡)・・・六兵衛(六兵エ)坂・・・辰巳橋(辰野川)・・・寺町(真教寺・西江禅寺・選仏寺)・・和霊神社・・・宇和島城・・・辰野川・・・龍光院(番外別格二十番霊場第六番札所・41番奥の院)・・・(JR予土線)・・・明海寺・・・国道320号・・・千文川・・・県道57号・・・(JR予土線)・・・遍路休憩所21号・・・窓峠(160m)・・・(務田(むでん)駅)・・・渡瀬橋(三間川)・・・41番龍光寺・・・遍路道・・・コスモス街道(県道31号)・・・則橋(長谷川)・・・42番仏木寺・・・民宿とうべや

 国道56号の松尾トンネルの手前から峠越えの遍路道に入る。峠から下って行くと、道沿いに「ワサあり 犬注意」の看板が掛かっている。野犬でも出るのかとちょっと気になる。(後述) 採石場を抜け再び国道に出て北へ、子安地蔵堂を過ぎて右へ宇和島市街地へ入る。民家の奥にひっそりと馬目木大師堂がある。神田川沿いの泰平寺を出て、大村益次郎生誕地の説明板を読んでいると、後ろから車の大きな警笛。振り向くと運転している女性が能面の鬼のような顔でこちらを睨んでいる。どう見ても「愛媛」という顔ではない。

 遍路道から離れ寺町の方へ行く。木屋旅館(跡)の先から緩やかな六兵衛坂を上り、下って辰巳橋を渡り西江禅寺、選仏寺へ寄ってみる。戻りかけると西江禅寺へ墓参りの檀家の人が寺の裏の枯山水の庭へ案内してくれた。手入れの行き届いた端正な庭だった。さらに前原巧山の墓にもご一緒した。司馬遼太郎、吉村昭なども墓参りに来たという。遍路道に戻り、和霊神社から宇和島城に上り、商店街のそば屋で昼食とした。昭和30、40年代の映画ポスターが貼ってあって懐かしい。41番奥の院龍光院は明るく広く、堂も新しい。脇から市営闘牛場へ行けるようだ。

 JR予土線沿いに国道320号を進み、北宇和島駅の先で線路を渡ると県道57号の長い上りが務田駅近くまで続きけっこう疲れてきた。務田駅手前から北へ標高200近くの平地の広がる中を行と41番龍光寺だ。ここでも偏食青年遍路、女人野宿遍路、高年2人組遍路に会う。今日は42番仏木寺の先の歯長峠を越え、民宿みやこまで行くという。ここからまだ12kmくらいはあるだろう。今からだと6時は過ぎてしまうのではとちょっと心配だが。歯長峠は越えずにトンネルを通ったのだろうか。41番龍光寺は「三間のお稲荷さん」と親しまれているように、神社の中の寺という感じだ。参道前に鳥居、石段上に狛犬、本堂、大師堂の上に稲荷社の立派な社殿が下を見下ろしている。

 龍光寺から42番仏木寺への近道の遍路道があるはずだが分からず参道を戻りかけると、売店のおばさんが呼びとめて駐車場から上る遍路道を教えてくれた。ずっと県道を行くのと20分は違うそうだ。疲れてきた足には有り難い。遍路道から県道31号に出て仏木寺を目指す。コスモス街道の看板か架かっているが、もう遅いのかそれほどのコスモスではない。仏木寺は牛馬の守り仏というように、家畜慰霊堂が建ち、鐘楼の屋根も茅ぶきで農家風だ。一時期、無住の時があり、納経は龍光寺で兼ねていてお遍路の間では「死(しに・四二)番」と呼ばれたこともあったという。

 ここから今日の宿の民宿「とうべや」は近い。玄関前に何人かが話していたが近所の人のようで、この宿はなかなかユニークなおじさんが一人で切り盛りしている。「とうべや」は屋号の「とうべえ(藤兵衛か?)」からで、当主は15代目だとか。今日の泊まり客は、横浜のOL女史と私の2人。OL女史は連休などを利用して歩いて88ケ寺を回っているという。今回は21日から24日までの4日間。歩き始めて調子が出てきたら帰る感じでちょっともったいなく、可哀そうにもなったが、それでもしっかりと回って距離的には2/3くらい来ているのだから立派なものか。夕食後、民宿のとうべえさんが、狸に餌をやるのをOL女史は見せてもらったそうだ。何匹もの狸が寄ってきたという。「狸のとうべえ」と呼ばれていると翌日泊まった「ときわ旅館」の主人が話していた。今日は坂で「兵衛さん」、和霊神社で「山家清兵衛さん」、ここで「とう兵衛さん」に出会った坂道散歩の1日だった。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_5296 岩松川

川霧が立っている。

Img_5305 松尾トンネル手前から左へ遍路道に入る。

Img_5306 案内図

Img_5309 遍路休憩所

Img_5313 松尾峠(220m)あたり

Img_5317 遍路休憩所

Img_5320 「ワサ有り犬注意」の看板

ワサは猪除けの針金の仕掛けで、散歩中の犬が引っ掛からないための警告板。道自体には仕掛けられていないそうだ。(「とうべや」のあるじの話)

ワナ(罠)のことを「ワサ」というのだろう。

Img_5321 下って採石場を抜ける。

Img_5328 採石場

Img_5329 闘牛のポスター

宇和島では今でも闘牛が盛んなのか。龍光院の奥の方に市営闘牛場がある。このポスターは10月26日の大会でもう終わったものだが。

Img_5332 子安地蔵堂(松ケ鼻バス停そば)

縁起を要約すると、「大師が一夜の宿を借りた柿ノ木在の兄弟に2体の石仏を与えた。兄は地蔵菩薩を松ケ鼻に、弟は青面金剛像を松尾坂の麓に小祠を作り安置し崇敬した。石仏はその後、土中に埋もれ幾百年か経った。延宝5年(1677)頃、深田の庄屋の河野某の夢に地蔵菩薩が現れ、土中から掘出して堂に安置せよ。さすれば災いを除き、婦人の産生安泰を守ろうとのお告げがあった。庄屋は土中から地蔵菩薩像を掘出し、堂を作って遷座安置して祀った。」 弟の青面金剛像は土中に埋もれたままか。

Img_5333 縁起

Img_5336 よだれ掛けがいくつも。

Img_5343 馬目木大師(番外霊場) 【ルート地図】の①

宇和島港の対岸の九島鯨谷にあった願成寺の遥拝所で、大師が札掛け用の馬目木(ウバメガシ)の枝を立てた。これが根付いて葉が繁り、ここ元結掛に大師堂が建立された。

左の木が馬目木(ウバメガシ)か?

Img_5345 由来書

Img_5344 大師さん

Img_5352 児島惟謙誕生地

大津事件の時の大審院長で司法権の独立を守ったとされる。

Img_5351 説明板

Img_5353 木屋旅館

1995年に廃業した。

Img_5373 説明板

Img_5354_2 六兵衛坂(坂上方向) 【ルート地図】の②

傾斜は緩やかだ。宇和島で坂の名のある唯一の坂というが、まだあるのでは。近くに六兵衛さんの家があったのか、六兵衛さんが作った坂なのか。

Img_5356 坂上近くの右側の塀に

Img_5357 坂上から

Img_5364寺町界隈

西江禅寺

Img_5368 枯山水の庭(西江禅寺)

Img_5367 寺町の坂

選仏寺から西江禅寺方向、左は辰野川。

Img_5366 選仏寺

Img_5369 前原巧山の墓

幕末の宇和島藩で蒸気船を製造した科学技術者。

Img_5370 説明板

Img_5375和霊神社

宇和島藩草創期の家老で宇和島藩のお家騒動(和霊騒動・山家事件)で殺された山家(やんべ)清兵の邸宅跡。本社は和霊町にある。

Img_5378 説明板

Img_5377 中島神社(和霊神社境内)

常世の国から「非時香菓」(ときじくのかぐのこのみ)を持ち帰ったという田道間守(タジマモリ)はお菓子の神様。兵庫県豊岡市に本社が鎮座する。

Img_5376 説明板

Img_5379 宇和島城武家長屋門

Img_5380 説明板

Img_5388 宇和島城

Img_5381 説明板

Img_5391 宇和島城から九島方向

Img_5402 龍光院(40番観自在寺奥の院・番外別格二十霊場第六番札所) 【ルート地図】の③

九島鯨谷の願成寺が、寛永8年(1668)に元結掛の大師堂に移された。さらに明治年間に現在の龍王院に統合された。

右が本堂、左は稲荷社

Img_5411 JR予土線

Img_5414 明海寺

Img_5424 三間町へ上って行く。

Img_5430 務田駅(JR予土線)

Img_5434 41番龍光寺へ

Img_5437 41番龍光寺 【ルート地図】の④

「三間のお稲荷さん」と呼ばれる。山号が稲荷山で、参道前に鳥居が立ち、一番高い所に稲荷社が立っている。

Img_5440 説明板

Img_5441 本堂

Img_5442 大師堂

Img_5443 稲荷神社

ここが元の札所。本堂、大師堂の上にある。明治の神仏分離で新しく本堂を建てた。

Img_5444 由緒

Img_5445 社殿

Img_5446 稲荷神社から本堂、大師堂を見下ろす。

Img_5452 仏木寺への遍路道に入る。

Img_5453 下ってコスモス街道(県道31号)へ出る。

Img_5467 コスモス街道

Img_546043番仏木寺 【ルート地図】の⑤

「お大日さま」と呼び、牛馬の安全の守り仏とされている。

Img_5466 説明板

Img_5464 茅ぶきの鐘楼

Img_5468 民宿とうべや

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2008年12月 6日 (土)

四国遍路道(愛媛県-2)

2008年11月21日

Img_5162 ビジネスホテル春日・・・国道56号(宿毛街道)・・・八百坂峠・八百坂(はっぴゃくざか)(右の写真)・・・菊川橋(菊川)・・・厳島神社・・・室手海岸・・・柏坂・柳水大師・柏坂峠(460m)・清水大師(番外霊場)・宇和島市・つわな奥展望台・思案の石・思案坂・・・茶堂大師・・・番頭橋(芳原川)・・・地主橋(芳原川)・・・(国道56号)・・・鴨田橋(芳原川)・遍路休憩所・・・芳原川・・・巽橋(芳原川)・・・津島大橋(岩松川)・・・よしの屋旅館

 国道56号を八百坂峠に上り、八百坂を下って菊川小学校の前を通り、そこから間違って相川橋を渡ってどんどん進んでしまった。かなりのロスタイムだ。戻って国道に出て早足で進み室手海岸の上あたりで休んでいると、高年2人組遍路と女人野宿遍路が追い抜いて行った。そのすぐ後から偏食青年遍路がやって来た。今日も柏坂峠は越えずに国道56号を行くという。なんだかもったいない気がする。

 柏郵便局で、内海中学校の生徒が作った『柏坂越えのみち』(柏坂へんろ道マップ)のイラスト地図付きの6枚の案内図をもらい、いざ柏坂峠へ出発だ。案内図と道沿いの道標、説明板などで歩くのが楽しくなる。所々におかしな「トッポ話」が掲げてある。下ネタ風の話もあり、さすがに中学生のコメントはない。疲れない飽きさせない遍路道だ。標高460mの柏坂峠のすぐ下に清水大師がある。峠を越えると宇和島市で緩やかに長い下りとなる。すぐ先のつわな奥展望台からの由良半島、由良岬方向の眺めも素晴らしい。途中、思案坂なんて思ってもみなかった坂にも出会えて坂道散歩人としては大満足といったところだ。 

 下り切って地主橋から国道56号に沿って流れる芳原川の川岸を進み、途中、鴨田橋を渡った所の遍路休憩所を兼ねた店で菓子パンを買って遅い昼飯とし、津島大橋を渡って今日の宿、よしのや旅館に早めに入った。泊り客は私と車で札所を回っているらしい夫婦連れの2組。夫婦は外へ食べに行って夕食は私一人。湯豆腐の鍋が嬉しかった。

  【ルート地図

  *参考:『柏坂へんろみちマップ

  写真をクリックすると拡大します。

Img_5160 八百坂(坂下方向) 【ルート地図】の①

八百坂バス停がある。

Img_5173 菊川石灯籠(相川橋の所)

Img_5178 遍路道

国道56号へ上る。

Img_5194 室手海岸から

Img_5202 石灯籠

柏坂への遍路道沿い

Img_5203 坂上り21丁(2289m) よこ28丁(平らな所872m) 下り36丁(3924m)で柏坂越えは全長7085mとなる。(内海中学校の生徒の計算)

Img_5207 柏坂

Img_5210 石畳

Img_5211 所々に童謡詩人野口雨情の歌碑が7本立つ。

昭和12年頃に柏に1週間ほど滞在したそうだ。

Img_5214 柳水大師(番外霊場)

Img_5213 説明板

Img_5215 今も水が流れる。

Img_5216 明るい所へ出る。

Img_5219内海か

Img_5222 癒しの椅子で一休み。

Img_5223 猪から作物を守る石垣で猪垣という。

Img_5228 清水大師(番外霊場) 【ルート地図】の②

右の湧き水は涸れているようだ。このあたりで愛南町から宇和島市に入る。

Img_5227 説明板

Img_5231 ゴメン木戸

このあたりが柏坂峠(460m)

Img_5230 説明板

Img_5234 接待松

切り株だけ残る。

Img_5233 説明板

Img_5239 つわな奥展望台から由良半島方向 【ルート地図】の③

「つわな」は、「つわ菜」で「つわぶき」のことか? 展望台あたりにたくさんあるそうだが、どれか分からず。また、つわな「奥」とはどういう意味なのか?

Img_5241猪のヌタ場

Img_5240 説明板

Img_5243 牛の背

Img_5245 女兵(おんなひょう)さんの思案の石

Img_5244 説明板

Img_5248 思案坂 【ルート地図】の④

Img_5252 トッポ話「狸の尾曲がり」

Img_5254 トッポ話

他人をだますようなホラ話ではなく、滑稽で聞く人を笑わせる内容のホラを吹く話を「トッポ話」というそうだ。

Img_5256 クチヒメ屋敷

Img_5257 屋敷の厠跡の石組みの片鱗すらない。

Img_5259馬の背駄場

Img_5260馬の背

Img_5266 トッポ話

Img_5269 茶堂大師

Img_5268 大師さん

顔がちょっと・・・、耳も大きすぎるよ。

Img_5276 行ってみたが見当たらず。行き過ぎてしまったようだ。

Img_5279 造り酒屋(津島町上畑地)

Img_5287_3 芳原川(国道56号沿い)

巽橋の先で岩松川と合流し、岩松港へ注ぐ。

Img_5291 津島大橋(岩松川)から岩松港、北灘湾方向 【ルート地図】の⑤

Img_5294 よしのや旅館

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2008年12月 5日 (金)

四国遍路道(高知県-19・愛媛県-1)

2008年11月20日

Img_4987 旅館ひらた荘・・・国道56号・・・遍路道・・・井堰の鼻橋・・・39番延光寺・・・押ノ川神社・・・碑田川・・・宿毛大橋(松田川)・・・宿毛歴史館・小野氏邸跡・・・清宝寺・・・貝塚橋・宿毛貝塚・・・八坂・厳島・愛宕神社・・・松尾坂口番所跡・松尾坂(上の写真)・・・松尾峠(300m)・松尾大師一夜庵(番外霊場)・国境碑(土佐・伊予)・・・純友城址(331m)・・・・愛媛県愛南町・・・小山番所井戸跡・・・春日神社・休憩所・・・札掛・篠山(ささやま)神社一の鳥居・・・赤坂街道(赤坂遍路道)・・・大宮神社・休憩所・・・上大道(うわおおどう)・・・いっぷく堂(遍路休憩所)・・・僧都(そうづ)川・・・とよた茶堂・・・観栄橋・・・40番観自在寺・・・県道56号・・・八幡神社・・・ひかりビジネスホテル・・・ビジネスホテル春日

 昨夜から冷え込んでエアコンをつけたまま寝た。国道に設置してある温度計は1℃を指していた。冷えて凍った雨水が溶けたのだろう、電線から水滴が落ちてきた。39番延光寺から国道56号に出てしばらくして、休憩している偏食青年遍路のN君に会った。延光寺近くの民宿などの宿泊施設のいくつかは潰れていて、昨日は民宿嶋屋の泊まったという。今日は松尾峠越えではなくこのまま国道56号を行くという。若いのにと思いながらN君を置いて先に宿毛市へと向う。

 宿毛貝塚を過ぎ、しばらく遍路道を行くと松尾坂の上りとなる。この道は藩政時代からの重要な道で、番所が土佐、伊予側に置かれ、松尾峠には国境碑が2基立っている。峠から少し海寄りに入って上ると純友城址で、展望台からの宿毛湾方向の眺めは180度?の絶景だ。

 松尾峠から下って愛媛県愛南町に入る。遍路道沿いにきれいで新しい休憩所などが設置され、道標もしっかりしていて歩きやすい。何度も車道を横切る旧赤坂街道の赤坂遍路道から上大道の遍路道に入り、古い家並み中を通って僧都川に出た。下流へ観栄橋を目指すが、いくつかの橋を過ぎてもなかなか観栄橋が現れずけっこう疲れた。先に番外霊場の仏眼寺へ寄るつもりだったが、観栄橋を渡ったらすぐに40番観自在寺で、仏眼寺からはだいぶ離れてしまっていたのであきらめる。

 延暦寺系の荘園があったという御荘平城(もとは御荘町だった。)の40番観自在寺の境内でN君、高年2人連れ遍路(一人歩き遍路が何日間も一緒に歩いているらしい。)と女人野宿遍路に出会い、一緒に国道56号を今夜の宿に向う。私はひかりビジネスホテルだ。昨日、電話をした時、おばあさんが出てちょっと頼りなさそうで心配だったが、不安が的中、結局そこには泊まれず(食事の用意が出来ないのだろう。) すこし先のビジネスホテル春日を紹介してもらう。そこにはN君がいて自転車を借りて外食チェーン店まで夕食に行くという。さすが偏食遍路だ。でもご苦労なこった。

  【ルート地図

  *参考:『松尾坂へんろ道

  写真をクリックすると拡大します。

Img_4931国道56号から離れ 39番延光寺へ

Img_4932 遍路道沿い

Img_4935 39番延光寺 【ルート地図】の①

「修行の道場」土佐、高知県の最後の寺。

Img_4941 縁起

Img_4936山号「赤亀山(しゃっきざん)の由来となった梵鐘を背負った亀。もとは海辺に近い所にあった寺か。

Img_4937 本堂(右)・大師堂(左)

Img_4940 本物の国指定重要文化財の銅鐘

延喜11年(911年)の銘があるという。一時期、高知県庁で県議会の開会、閉会用の合図用に鳴らされていたという。

Img_4939_2眼洗い井戸

大師が宝医水と名づけた霊水。

Img_4938 縁起

Img_4942 押ノ川神社

このあたりに押ノ川一里塚があったのか。

Img_4947 宿毛大橋(松田川)から

Img_4952 小野氏邸跡

宿毛歴史館の敷地になっている。

Img_4950 宿毛の説明板

Img_4956 キッコーマルキ醤油(谷坂醸造)

キッコーマン醤油ではない。

Img_4959 宿毛一里塚跡

Img_4965 宿毛貝塚 【ルート地図】の②

縄文時代中期の貝塚

Img_4966説明板

Img_4971 宿毛湾

Img_4982 土佐褐毛牛

Img_4980 説明板

Img_4979先を急ぐで

Img_4985 松尾坂口番所跡

藩政時代には四国遍路の土佐への出入口はここと、甲ノ浦の2ヶ所しか許されていなかった。

関守だった長田氏は今も居住している。

Img_4984 説明板

Img_4988 松尾坂

Img_4993 松並木があったあたりか。

Img_4992 説明板

Img_4995 石畳

Img_4994 説明板

Img_5001 茶屋跡説明板

松尾峠そば

Img_5004 松尾大師堂一夜庵(番外霊場) 【ルート地図】の③

Img_5002 説明板

跡とあるが平成13年に再建された。

Img_5005 松尾峠説明板①

Img_5006 説明板②

Img_5013 国境碑(土佐側)

元禄元年(1688)の建立。

Img_5010 伊予側

貞享4年(1687)の建立

Img_5014 松尾峠から純友城址へ

藤原純友の乱

Img_5015 説明板

Img_5021 純友城址から宿毛湾方向

沖ノ島(後方右)・ビロー島(後方中央の小島)・柏島(後方左の岬の突端か)・手前は宿毛新港

Img_5016 展望図

Img_5038 小山番所井戸

宇和島藩の番所の井戸。民家の敷地中にあるらしく写真は撮れず。「関の戸を越えゆく末は 伊予なればいよいよ 故郷遠ざかるらむ」なんてしゃれた坊さんの歌。

Img_5042 春日神社・休憩所

Img_5049 篠山(ささやま)神社一の鳥居(札掛)

40番観自在寺の奥の院観世音寺の前札所の一の鳥居。『松尾坂へんろ道』の説明。

『へんろ道保存協力会 解説編』には、篠山神社(もとは観自在寺の奥の院)、篠山観音寺(跡)(観世音寺か?)、歓喜光寺(篠山権現前札)とある。

Img_5054札掛から赤坂遍路道へ下る坂。

Img_5061 赤坂遍路道

Img_5064 赤坂遍路道 【ルート地図】の④

Img_5074明るい所へ出る。

Img_5081 大宮神社・休憩所

Img_5091 いっぷく堂

遍路休憩所

Img_5086 上大道案内番

満倉小学校の前

Img_5092 気持ちのいい上大道だ。

Img_5096 何ともいえない顔の地蔵さん。

Img_5097 古い家並みの通り

Img_5102 とよた茶堂(休憩所だ。)

道路の右側は僧都(そうづ)川。僧都の由来は何なのか?延暦寺(天台宗)系の僧とかかわりがあるのか。

Img_5104 豊田窯跡説明板

Img_5112 観栄橋(僧都川)から御荘港方向

Img_5114 40番観自在寺【ルート地図】の⑤

地名の御荘平城と山号の平城山は、平城天皇が藤原薬子の乱に連座してこの地にしばらく逃れて来たことに因むともいう。「菩提の道場」の伊予、愛媛県の最初の寺。

Img_5113 説明板

Img_5115 本堂

Img_5116 説明板

Img_5117 大師堂

Img_5118 説明板

Img_5119独鈷杵

大師堂の賽銭箱の上

Img_5121 説明板

Img_5124篠山大権現

もとは奥の院だった篠山神社の分社か。

Img_5125 宝聚殿文殊堂

Img_5128 芭蕉句碑

「春の夜や 籠人ゆかし 堂の隅」

Img_5130 門前の坂

Img_5135 ビジネスホテル春日

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2008年12月 1日 (月)

四国遍路道(高知県-18)

2008年11月19日

Img_4879_2 民宿いさりび・・・やすらぎ大師・・・五味橋・・・五味天満宮・・・国道321号・・・ドライブイン水車・県道346号・・・市野瀬橋(市野瀬川)・・・(三原村)・・・へんろ道跡・・・どぶろく街道(五輪さん・狼内城址・みみごさん・天満宮・真念石)・・・宮ノ川トンネル・・・船ケ峠(140m)・・・県道21号・・・遍路休憩所・・・(宿毛市)・・・梅ノ木橋(中筋川)・梅ノ木トンネル・中筋川ダム(蛍湖)・黒川大橋・黒川トンネル・・・稲荷社・・・平田橋・・・(土佐くろしお鉄道)・・・旅館ひらた荘

 昨日の夜からぐっと冷え込んできた。部屋の窓は水滴で濡れている。明け方は曇っていたが雲の切れ目から太陽が昇って来た。なかなかの光景だ。今日は幡多地方で唯一海に面していない山間部にある三原村を越え、宿毛市に入り39番延光寺を目指す。途中に店がなく昼飯はどうしようかと思っていたら宿からお接待におにぎりと果物の弁当をいただく。大助かりだ。

 やすらぎ大師を過ぎてしばらくして、下ノ加江小学校へ登校する小学生の女の子2人と挨拶を交わし、一緒に歩く。3年生ぐらいか、「お寒くなりましたね」なんてなかなか心得ている。確かに昨日までとは違い冬の寒さだ。遍路は見慣れているという。どこまで行くのか聞いてきた。松山まで行くというと、「松山からお家に帰るの、お家はどこなの」と心配?そうだ。私かお遍路は帰る家がないか、帰れない事情があるか、四国をぐるぐる回っているとでも思っているようで可笑しかった。生徒は全校で65人だそうだ。おじさんの頃は一学年で何百人もいたよと言ってもピントこない様子だった。2人は手を振って下ノ加江川を渡って小学校へと向って行った。

 こちらは五味橋を渡り、天満宮の先で国道321号に出て、真念庵の下を通り、道標の立つ市野瀬橋から三原村へ県道346号を上り始めた。しばらくすると晴れていた空が妖しげになり雨が降り出した。前からの風もけっこう強い。峠を過ぎるとなだらかな平地となり、道脇の三原村の案内図には、ここの県道は「どぶろく街道」とある。お接待にどぶろくを出されたらどうしようなんて(飲むのに決まっているが)勝手なことを考えながら歩いていたら帽子がないことに気づく。どぶろくではなく変な妄想?に酔って風に飛ばされたのをうっかりしたようだった。帽子はあきらめかけたが雨の中を少し戻ってみたら、幸い道の真ん中に落ちていた。ちょうどそこへ遍路が一人、いいペースで歩いてきた。しばし一緒に話しながら進む。1番から通しで回っているという。自動車も持ってきていて、一つのビジネスホテルなどを基点にして何日間か置いておき、何日間か歩いた後に電車で取りに行き次ぎの基点まで車を移動させながら歩きの道筋はつなげて札所を回っているという。いろんな遍路がいるものだ。毎日30km以上も歩いた後に電車に乗って戻り、知らない暗い道を運転するなんてとてもできる芸当ではない気がするが、彼氏はなかなかの健脚だ。

 真念石の所から健脚遍路のK氏は真念遍路道へ(上の写真)こちらはなお、どぶろく街道の県道を進むので別れる。船ケ峠(峠といっても標高140mの町中だが。【ルート地図】の④)を越え、宿毛市の方へ下っていると後ろから大きな荷物の青年遍路がやって来た。話しながら歩いていると前から来たライトバン?が止まり、運転していたおじさんからビニール袋入りのお菓子をいただく。運転席にはダンボール箱に入ったお菓子の袋がぎっしり。きっと遍路道を逆打ち運転し、出会う遍路にお接待しているのだろう。清水川荘前の遍路休憩所で青年遍路と一休み。静岡から来て通しで回っているという。好き嫌いが激しく宿の料理は食べられず、いつも素泊まりだそうだ。何十日もの間、コンビニや外食で札所を全部回るのは大変なことだ。費用も余計にかかるだろうにと同情とちょっと哀れむ。電話中の偏食青年遍路を後に残し、先に休憩所を出る。

 牛が放牧されているのどかな風景を過ぎ、宿毛市に入り梅ノ木橋を渡る。下の中筋川ダムの蛍湖の眺めがいい。県道21号を下り、稲荷社の前の分岐を左に入り平田駅方向に進む。途中の平田郵便局の前で休んでいたら高年2人組遍路が追い越して行った。土佐くろしお鉄道を越え、近くのコンビニへ寄ると、偏食青年遍路と高年2人組み遍路、と女性の遍路(後で知ったが野宿で通しで回っている。)が一人、店の前で話していた。ここ後、健脚遍路のK氏を含め、今日出会った遍路たちとは前になったり後になったりして何日間も進むことになる。

 少し戻って平田駅そばの旅館ひらた荘へ入る。今はおじいさんとおばあさんの2人でやっている宿で、今日の泊まりは私一人。ビールと焼酎を飲んですっかり暖まった夕食後、玄関のロビーでおじいさんと話す。客は少なく、固定資産税だけはガッポリ取られ、2人の年金だけでは旅館はやっていけないと嘆かれた。厚木にいる息子が旅館を継いでくれるというが、おじいさんのはかない希望でなければよいが。話をしているうちに寒くなってきた。今夜は冷えるという。酔いが残っているうちに寝ることにする。

  【ルート地図

  *参考:『三原村ホームページ

  写真をクリックすると拡大します。

Img_4816 日の出

民宿いさりびから

Img_4830 五味橋(下ノ加江川)から

Img_4833 五味天満宮 【ルート地図】の①

Img_4844 道標

市野瀬橋の所

Img_4843 説明板

Img_4855 三原村へと上って行く。

Img_4859 へんろ道跡

Img_4863 左が遍路道跡

三原と下ノ加江を結ぶ米売り、魚売りの道。

Img_4862 遍路墓

左の説明板の後ろが伊平さんの墓だろう。他にもいくつかある。

Img_4860 説明板

へんろのことを「へんど」と呼んでいる。

Img_4864 峠近くから

Img_4872 どぶろく街道沿い 【ルート地図】の②

五輪さま(左の五輪塔) これが三原村で最大の五輪塔という。

Img_4871 説明板

Img_4874 狼内(おおかみうち)城址

狼内はここの地名、昔は狼が出たのだろうか?

Img_4873 説明板

Img_4875 みみごさん

Img_4878 天満宮

Img_4877 説明板

Img_4881 真念石 【ルート地図】の③

船ケ峠越えの遍路道と地蔵峠超えの真念遍路道分岐に立つ道標。真念著「四国遍路道指南」には、「・・・・いにしへハ左へゆきし、今は右へゆく」とあるそうだ。右は真念遍路道のこと。今回は左の道を行く。健脚遍路のK氏は右へ行った。距離的には真念遍路道の方が1km弱長い。

Img_4880 説明板

Img_4886 どぶろく街道の道標

Img_4897 八坂神社

Img_4907 牧場

Img_4909 宿毛市に入って道路の下にあるこれは何なのか?

Img_4911 梅ノ木橋・梅ノ木トンネル

Img_4916中筋川ダム(蛍湖) 【ルート地図】の⑤

中筋川は宿毛市の白皇山(458m)を源とする。足摺岬の白皇山(433m)と同じく白皇権現を祀っていた山なのか?

Img_4925 稲荷社

かなり上っても社殿に行き当たらず。

Img_4930 旅館ひらた荘

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