神戸市の坂ー1
2009年1月14日
新神戸駅(東海道新幹線)・・・北野遊歩道・・・不動坂上・・・おらんだ坂・エリオン邸(本家オランダ館)・・・北野天満神社・・・天神坂・・ トーマス坂・・・北野通り(旧パナマ領事館・英国館・仏蘭西館・ベンの家)・・・三本松不動院・不動坂・・・神戸パブテスト教会・・・北野坂・・・ハンター坂(上の写真)・・・異人館通り(異人館倶楽部・グラシアニ(レストラン)・シュウエケ邸)・・・神戸外国倶楽部・・・トアロード・東天閣(中華料理店)・・・元町駅(JR神戸線)→須磨駅・・・国道2号・山陽須磨駅・・・たぬき坂・・・きつね坂・・・国道2号・・・村上帝社・・・いなり坂・・・関守稲荷神社・・・あおば(青葉)坂・・・桜坂・黙禅地蔵・潮見坂・・・リボン坂・・・ちどり(千鳥)坂・・・ちもり(千森)坂・・・現光寺・・・ちもり坂・・・智慧の道・・・須磨寺・・・堂谷池・・・須磨霊泉・・・離宮坂・・・須磨離宮公園・・・離宮坂・・・べんり(便利)坂・・・むすめ(娘)坂・・・頼政薬師寺・・・平重衡捕れの松跡・・・須磨寺駅(山陽電鉄)・・・諏訪神社・・・網敷天満宮・・・JR須磨駅→元町駅・・・阪急三宮駅→春日野道駅・・・かすがの坂・・・稲荷神社・・・筒井八幡神社・・・JR灘駅(JR神戸線)→元町駅
神戸市中央区の北野の丘と、源氏物語、源平の一の谷の合戦、歌枕で名高い須磨区の坂道散歩です。北野遊歩道を上り、史跡三本松の不動坂の坂上からさらに上って、おらんだ坂へ向う。坂下に「本家オランダ館」の大きな無粋な看板が立っていて興ざめだ。「おらんだ」坂だから、「本家」なんていう日本的な商売根性丸出しも致し方なしか。坂上近くから西に入ると「香りの家オランダ館」がある。「元祖オランダ館」でなくてほっとする。
北野天満神社に下り、境内からの眺めを楽しんだ後、天神坂を下り、異人館の並ぶ北野通りを東へ、再び不動坂の坂上に出た。坂の由来の不動明王が祀られている三本松不動院へ入る。境内の不動明王の石像を写真に撮ろうとしたら、寺のおばさんから50円で線香とろうそくを買ってお参りするように言われた。金を取るならきちんと拝観料として取ればいいものを。写真代と思い払ったが、なんだがすっきりしなかった。不動坂を下り、西に平行する北野坂、ハンター坂、トアロードを上り下りする。どれも北に上る直線の途中に異人館があるものの平凡な坂で面白味は薄い。
JR神戸線で元町駅から須磨駅に向う。駅の裏の須磨の浦は夏は海水浴で賑わうらしいが、むろん今は寒々として閑散としている。国道2号に出て商店の建物ような駅庁舎の山陽須磨駅をくぐって細いきつね坂を上る。工事中でなおさら狭く、人一人通れるのがやっとの所もある。きつね坂と思っていたがどうも坂沿いの町名と番地が違う。このあたりは関守町1、2丁目と潮見台1、2丁目で同じ番地が多くややこしい。『須磨の坂道マップ』は略(地)図のようなもので、地元の人ならともかくこれだけでは歩けないだろう。遠方はるばる来る、「坂マニア」、「坂おたく」、「坂馬鹿」(そこまで自嘲することもなかろうが)用に作ったものではないからしょうがないか。マップもこんなものだから、坂標などの設置はない。地域振興用につけた坂名とはいえ中途半端なやり方だ。坂上からあちこち回ってやっと、きつね坂と思っていたのはたぬき坂だったことが分かった。このあたりには確かに今でも狐狸妖怪の類いが棲んでいるのだろう。きっと狐か狸がよそ者を化かして面白がっていることだろうよ。
1つの坂が分かると後は楽だ。住宅街のたぬき坂、きつね坂から国道2号に出て東へ、村上帝社の所から関守稲荷神社へ「いなり坂」を上る。坂名もひらがな、カタカナ、漢字と様々な表記だ。漢字の方が坂名の由来を連想しやすいのでは。あおば坂を上り、桜坂、潮見坂を下り、潮見坂の坂上あたりからリボン坂を下って、再び関守稲荷へ出た。ここから東へちどり坂を下る。坂の南側の学校の庭から子ども達の遊ぶ声が聞こえてくる。よく聞くと外国語だ。ここはマリスト国際学校だが、どこの国の子供も遊ぶ姿、声は同じようでなぜかほっとする気分になった。
ちどり坂は坂下でちもり坂の途中に出る。坂沿いの源氏物語ゆかりの現光寺あたりに一時期、須磨の関があったようだ。ちもり坂を上って智慧の道から、須磨寺に入る。広い境内をざっと歩いて、堂谷池を眺め、智慧の道の五叉路のところの須磨霊泉から離宮坂を上る。天皇の別荘跡の須磨離宮公園は坂上の歩道橋から眺めただけで、離宮坂を下り返し、途中からちょっとしたべんり坂を上り、娘さん(神戸女子大生?)の歩いていない「むすめ坂」を下る。そのかわり坂の途中の幼稚園から、母親に手を引かれて小さな娘さんが坂を下って行った。まあ「むすめ坂」の面目躍如とまでは言えないだろうが。これで『須磨の坂道マップ』の12坂は打ち上げた。坂自体の傾斜や風情、情緒はいまいちだが、歴史散歩にはいいところだ。
むすめ坂は坂下で智慧の道に突当たり、すぐそばに「平重衡捕われの松跡」がある。山陽電鉄の須磨寺駅を渡り智慧の道を南に行き、綱敷天満宮へ寄る。受験シーズン到来で土日は大学センター入試だ。合格祈願の学生、親子連れの姿が多い。受験なんてもう遠い世界の出来事でなんとなく懐かしい。
JR須磨駅から元町駅まで戻り、阪急電車で春日野道駅まで行こうとしたが、阪神電車しか走ってなく、春日野道駅まで歩きはじめたが、人通りの多い商店街を歩くのは疲れる。阪急三宮駅まで歩いて一駅だが阪急電車に乗る。「かすがの坂」は地図で見つけた坂で、春日野道駅から北に商店街を抜けて上る何の変哲もない坂だが、見つけたからには行かねばと思うのが坂馬鹿のいい所?、悪い所?か。かすがの坂を上り下りして、途中から東へ入り祭礼日が近い筒井八幡神社に寄ってからJR灘駅に向った。
*参考:『Ijinkan.Net』・『須磨の坂道マップ』(『須磨観光協会』)
写真をクリックすると拡大します。
おらんだ坂(坂上方向) 北野2丁目の本家オランダ館の方へ上る。
こんなでかい看板を掲げないで、少しは景観に配慮してほしいよ。看板の左に「おらんだ坂」の坂標が立つ。
オランダ貿易商チャーリー・エリオン氏の邸宅。「本家オランダ館」だそうだ。
おらんだ坂の2本西側の坂。
治承4年(1180)、平清盛が福原遷都の際に、禁裡守護、鬼門鎮護として、京都の北野天満宮を勧請して建立。
天神坂(坂下方向) 北野2丁目の北野通りの旧パナマ領事館の西側から北に上る。
坂上に北野天満宮
右は北野神戸異人館
明治末に、ロシア貿易商によって建てられた。1階は喫茶店となっている。
2010年に「北野の小径の愛称」で命名されたようだ。名前の由来は風見鶏の館の初代所有者のドイツの貿易商、トーマス氏によるとか。ドイツ人貿易商トーマス氏の旧邸
この坂の方が北野天満宮の真下に出るので天神坂にふさわしい気もするが。
仏蘭西館は2軒が左右対称の建物で、もとは外人向けのアパート。英国館はコロニアル洋式で、夜はバーになるそうだ。
不動坂(坂上から) 北野1丁目と2丁目の境の北野通りから南方向に下る。
坂上に不動明王を祀る北野山三本松不動院(写真の右側)がある。
霊石生不動明王とある。
ハンター坂(坂上方向) 山手通2-3と2-4の間を北に上る。北野坂の2本西側の坂。
坂上にハンター邸があった。
英国人建築家ハンセル氏が明治29年(1896)に自邸として建築。反対側が正面のようだ。
坂上の神戸外国倶楽部のところに明治40年開業のトアホテル(TorHotel)があった。
トアホテルがあった神戸外国倶楽部(正面突当たり)
旧ビショップ邸で1894年(明治27年)建築の現存する最古の異人館。
元町駅(JR神戸線)→須磨駅今は殺風景の浜辺だが夏は駅から直行の海水浴場になるらしい。
遠くから見ると商店のような感じで駅とは分からなかった。
たぬき坂(坂上方向) 関守町1丁目と潮見台1丁目の間を北西に上る。
たぬきが出没したのか。
きつね坂(坂下方向) 国道2号から山陽須磨駅西側のガードをくぐり潮見台1丁目と2丁目の間を北西に上る。
ここはきつねが出たのだろう。
もとは前方後円墳だったとか。今は山陽電鉄が上を通る。
村上天皇にまつわる伝説から村上天皇を祀ったと伝う。
いなり坂(坂上方向) 村上帝社から山陽電鉄のガードをくぐりマリスト国際学校の西側に沿って北西に上る。
坂上に関守稲荷神社がある。坂下の村上帝社にも天隆稲荷大明神がある。
右が関守稲荷神社
須磨の関の守護神として祀られたという。
由来によると、千森川(現在は暗渠)の東(現光寺の裏手あたり)に一時期、須磨の関があったようだ。「川東左右関屋跡」とある。須磨の関の場所については諸説ある。
ここにはないが百人一首にある源兼昌の「淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に 幾夜寝覚めぬ 須磨の関守」が一番なじみ深いだろう。境内に碑があるようだ。
あおば(青葉)坂(坂上方向) 関守稲荷から北西に須磨裏幼稚園、須磨浦小学校沿いに北西に上る。《地図》
源平の一の谷の合戦で熊谷直実に討たれた笛の名手、平敦盛の愛用の「青葉の笛」に由来する坂名。
坂上で桜坂に出る。
坂沿いの桜(ソメイヨシノ)による坂名。
黙禅地蔵から潮見坂へと続く。
左側に黙禅地蔵。
由来が分からず。
潮見坂(坂下方向) 桜坂から続いて東方向に下る坂。桜坂との境ははっきりしない。
昔は南方向に海が見えたのだろう。
リボン坂(坂下方向) 関守稲荷から千守1丁目と2丁目の間を北に上る。坂上で潮見坂の坂上近くに出る。《地図》
「山麓リボンの道」(その中に「須磨のみち」がある。)から名づけられた。リボン坂がその道筋にあたるのかは分からず。
ちどり(千鳥)坂(坂下方向) 関守稲荷からマリスト国際学校の北側を東に下る。《地図》
百人一首にある源兼昌の「淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に 幾夜寝覚めぬ 須磨の関守」にちなむ坂名。漢字で千鳥坂としたほうが分かりやすいだろうに。
ちもり(千森)坂(坂上方向) 国道2号の千守交差点から須磨寺町1丁目と千守町1丁目を北に上る都市計画道路千森線。《地図》
これも千森坂の方が分かりやすいよ。
千森川の東岸にあり、源光寺、源氏寺とも呼ばれていた。 永正11年(1514)浄教上人の開基といわれ、本尊は阿弥陀如来の浄土真宗西本願寺末。光源氏の住居跡とも伝えられる。写真の松は「光源氏月見の松」 明治初期に裏手から「川東左右関屋跡」の石柱(今は関守稲荷神社境内にある。)が掘り出され須磨の関跡との説もある。
「見渡せば ながむれば 見れば須磨の秋」 三段切の名句だそうだ。「ば」が三回続くちょっと変わった句だ。
須磨寺(須磨寺町)
龍華橋と仁王門
真言宗須磨寺派の大本山。須磨寺派というのは初めて知った。
昭和59年の再建
右が熊谷直実、左が平敦盛。左は「笛の音に波もよりくる須磨の秋」の蕪村句碑
須磨霊泉(智慧の道の五叉路の離宮坂の坂下)
「命の水」とも呼ばれ、阪神淡路大震災の時には水を求めて長い行列ができたという。
「智慧の道」は、須磨寺と国道2号沿いの綱敷天満宮を結ぶ1km弱の道で、天神さんもお大師さん(須磨寺は真言宗の寺)も学問・智慧に深く関わることから、平成12年に、お大師さんと天神さんを結ぶ道を「智慧の道」と名づけた。
離宮坂(坂上方向) 堂谷池の東側から北東に上る。坂上に須磨離宮公園。《地図》
大正3年に完成した天皇の別荘「須磨離宮(正式名称・武庫離宮)」の跡地の公園。須磨離宮は昭和20年の空襲で焼失した。
べんり坂(坂上方向・左側の坂) 離宮坂の途中から東へ緩やかに上る。天理教会の南側の坂。坂上を進むと「むすめ坂」の坂上近くに出て、さらに進むと離宮道へ突当たる。《地図》
離宮道から須磨寺方面への近道、抜け道として「便利な道」ということのようだ。
むすめ(娘)坂(坂下方向) 智慧の道から桜木町1丁目と須磨寺町2丁目の間を北方向に緩やか上る。
神戸女子大へ通う女子大生(娘)がよく通るというので期待?したが、それらしき姿は見当たらず。大勢歩いていても写真を撮るのには困るが。須磨寺駅から神戸女子大須磨キャンパスまでは2km近くある。彼女達は歩いて通学しているのだろうか?
天理教会の所で「べんり坂」と交差する。
前方を歩いているのは神戸女子大生か? 聞くわけにもいかず。
坂下近くを左に入ると頼政薬師寺がある。
寺号は浄福寺だが、源三位頼政が再興したので俗にこう呼ばれている。
平重衡捕われの松跡
須磨寺駅の北側の智慧の道沿い
網敷天満宮(諏訪神社の前・国道2号沿い)
菅原道真が九州へ左遷の際、風波をさけて須磨へ一時上陸した。漁師たちは網の大綱を巻き、円座を作り、その上に休息させた。後に、道真が天満天神として祀られるようになり、ここに天神社が天元2年( 979年)に創建されたと伝えられている。
明日(1月15日)が初天神だが、受験生らしい親子連れで境内は賑わっていた。
JR須磨駅→元町駅・・・阪急三宮駅→春日野道駅かすがの坂(坂上方向) 春日野道駅(阪急神戸線)前から北西に上る。《地図》
境内は子どもの遊び場、溜まり場のような感じだった。
JR灘駅近く
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