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2009年1月16日 (金)

名古屋市の坂-1

2009年1月12日

  名古屋駅・・・伝馬橋(堀川)・・・泥江縣(ひじえあがた)神社・・・伝馬町通り・・・久屋大通公園・・・久屋橋・・・清水橋・・・枳殻(きこく)坂・・・観音院・・・七尾天神社・・・清水坂・清瀧寺・・・長久寺・・・尼ケ坂・尼ケ坂公園・地蔵院・尼ケ坂駅(名鉄瀬戸線)・・・坊ケ坂・片山神社・・・県道215号・・・神明社・・・東界寺・・・成蓮院・・・愛宕神社・・・茶屋坂通り・茶屋ケ坂・・・茶屋が坂交差点・・・赤坂・茶屋ケ坂公園・・・茶屋ケ坂駅(地下鉄名城線)

 今冬一番の寒さの中、名古屋と神戸の3日間の坂道散歩です。昨日は少し寒く風が強い中を八丈島ロードレースを走り、今日の一番便で羽田へ戻り、新幹線で名古屋へ昼過ぎに着いた。伝馬橋を渡り東へ進み、久屋大通りから北へ向うと冷たい北風が痛く感じる。名古屋城の外堀に架かる清水橋を渡り、堀沿いの柳原街道の枳殻坂を下る。かつては坂の西側にからたち(枳殻)が植えられていて、城壁の防御をしていたという。坂下近くから東へ入り、観音院前から七尾天神社へ寄る。受験シーズンも始まり、どこの天神さんも合格祈願の若者、親子連れで繁盛しているようだ。境内には名前の由来となった七つの尾を持つ亀の像がある。背中に柄杓で水を七度かけると諸願が成就するとか。

 七尾天神社の東の清水坂は国道41号の西側の上街道といわれた旧道で、県道215号の清水口交差点まで上っている。県道を東に行き白壁交差点から北に入ると長久寺で、その先を尼ケ坂が尼ケ坂駅まで下っている。昔は樹木が茂る中を縫うような薄暗い寂しい坂で辻斬りが出たという。坂の西側の尼ケ坂公園前の地蔵院は辻斬りにあった人々の霊を弔う地蔵が祀られている。坊ケ坂は片山神社の東側に上る坂で、「尼ケ坂、坊ケ坂の悲話伝説」(後述)が残っている。

 片山神社から県道215号に出てひたすら東に向う。前方の東の空は雲で真っ暗で雨か雪でも落ちてこないかと心配になる。茶屋ケ坂歩道橋を過ぎると茶屋坂通りとなってゆるやかに下るが坂らしい感じはしない。坂下の茶屋が坂交差点から茶屋ケ坂公園の方へ上る赤坂の方が傾斜もあり、茶屋ケ坂公園は赤土のむき出した小山みたいで昔の坂沿いの面影を残している。とにかくこのあたりは、「茶屋ケ坂」(茶屋が坂、茶屋坂)がつく所だらけという感じで少しうんざりする。坂名の由来となったかんじんの茶店跡は今は跡形もないようだ。だんだん寒さも増し暗くなってきた。地下鉄茶屋ケ坂駅から左回りで名古屋中心部の栄町へ向った。

  *参考:『中京の坂だより

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_6423 伝馬橋(堀川)

五街道の脇往還の美濃街道(美濃路)に架かる橋。慶長15年(1610)の堀川開削とともに架けられた堀川七橋の一つ。かつては堀川で一番賑わった橋というが、今は車も人の通行も少ない静かな橋だ。

Img_6425 泥江縣(ひじえあがた)神社

貞観元年(859)に豊前国の宇佐八幡宮から勧請したという。

Img_6426 由緒

Img_6431 清水橋

名古屋城の外堀(空濠)に架かる橋。かつてこの堀の中を名鉄瀬戸線が走っていた。現在は地下を通っている。

Img_6434 枳殻(きこく)坂(坂下方向) 名古屋城の外堀と明和高校の間を北に下る。【ルート地図】の①

からたち(枳殻)の木が坂の西側の名古屋城の外堀(写真の左側が外堀)に植えられて城壁の防御の役割をしていた。

Img_6436 坂上方向

Img_6440 七尾天神社

七尾の亀が菅原道真の木像をここに運んだという。

Img_6438 由緒

Img_6442 七尾の亀

Img_6441 説明板

Img_6443 清水坂(坂上方向) 国道41号の清水口交差点の西側から南方向に下る。【ルート地図】の②

近くに清水口、清瀧寺などがある。このあたりに清水が湧いていたのだろう。

Img_6445坂上方向

Img_6446 坂下方向

Img_6453 長久寺山門

慶長15年(1610)の清洲越(尾張の政治の中心地が清洲から尾張に移り、名古屋城の築城も始まる。)の時にここに移された寺。

Img_6451 説明板

Img_6454 本堂・庚申堂(左)

Img_6455 庚申塔

寛文8年(1668)に武家から寄進された。六臂青面金剛像庚申塔では市内最古。

Img_6449 案内図

長久寺前を尼ケ崎駅の方へ下るのが尼ケ坂。片山神社の東側が坊ケ坂でいずれも南方向に下る。

Img_6457 尼ケ坂(坂下方向) 【ルート地図】の③

「昔このあたりに住んでいた権現小町と呼ばれた美人の村娘が高位の青年武士と恋仲になり身ごもった。しかし身分の差から仲を引き裂かれ、娘は男の子を産み、尼となって一緒に暮らしていた。それでもなお青年武士のことを忘れえず、気が触れて或る雨の夜に坂道の杉の木に首を吊って命を断った。男の子は近所の人に引き取られたが、母を慕って蔵王の杜をさ迷い餓死してしまう。こうして尼が亡くなった坂を尼ケ坂、男の子が亡くなった坂を坊ケ坂と呼ぶようになったという。」 蔵王の杜とは片山蔵王権現(片山神社)、尼ケ坂公園あたり一帯をいう。昔はこの坂は樹木が生い茂る薄暗い寂しいところで辻斬りが出たという。

Img_6458 坂下方向

Img_6468 尼ケ坂の由来と伝説

Img_6469 坂上方向

Img_6461 蔵王山地蔵院

尼ケ坂あたりに出没した辻斬りの被害者の霊を弔う。

Img_6465 地蔵さん

Img_6474 坊ケ坂(坂上方向) 【ルート地図】の④

坂上(写真の右側)が片山神社

Img_6478坂下方向

Img_6481 片山神社

和銅二年(709)創建と伝う古社。

Img_6483説明板

Img_6484社殿

Img_6488東界寺(東区出来町3-1)

名古屋二十一大師第7番札所。

東の空は真っ暗

Img_6494 茶屋ケ坂(茶屋ケ坂歩道橋下から坂下方向) 千種区の県道215号の茶屋が坂交差点から西に上る茶屋坂通り。 【ルート地図】の⑤

空には黒い雲だが夕日を受け赤映えしている。この道は名古屋城の清水口から秀吉が家康に敗れた長久手に至る山口街道(長久手街道)と呼ぶそうだ。

Img_6508 坂上方向

Img_6512 赤坂(坂上方向) 茶屋が坂交差点から南東に、赤坂町交差点、茶屋ケ坂公園の方へ上る。

長久手の戦の夜明けに軍勢が通ったという。

Img_6516 坂下方向

Img_6520 茶屋ケ坂公園

Img_6529 茶屋ケ坂池(茶屋ケ坂公園内)

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