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2009年1月31日 (土)

尼崎市(兵庫県)の坂

2009年1月15日

阪神元町駅→武庫川駅・・・素盞嗚(スサノオ)神社・・・雉が坂伝承地(尼崎市)・・武庫川橋・・・岡太(おかた)神社(西宮市)・・・武庫川駅(阪神電鉄)→梅田駅・大阪駅→新大阪駅

 神戸からの帰りに、尼崎市の雉が坂に寄ってみた。本能寺の変を知った秀吉が急遽、備中から引き返した時の伝承の残るところだ。武庫川の上の武庫川駅は西側の西宮市と、東側の尼崎市の両方に出入口がある。尼崎市側に降り、北に行くと素盞嗚神社ではどんど焼をやっていた。そのすぐ先が雉が坂伝承地だ。坂といっても今は武庫川堤に上る石段で、ここに伝わる話が残るだけではあるが。武庫川橋を渡って西宮市に入るとゆるやかに下って行く。この道は旧国道で、道沿いに岡太神社ある。ここでもどんど焼の最中だった。境内には狛猪、恵美須宮、白山大神、岡太社の石標などの見所も多かった。予定より短時間で回れてしまったが、これで今回の坂道散歩の終わりとした。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_7045 素盞嗚(スサノオ)神社 【ルート地図】の②

江戸時代までは牛頭天王社といい、西新田と呼ばれていたこのあたりの氏神社。

今日は小正月の1月15日で、「どんど焼き」が行われている。「どんどん焼」、「さいと焼」、「左義長」ほか地方によって呼び名も様々ある。

Img_7043 由緒碑

Img_7056 雉が坂伝承地 【ルート地図】の③

「本能寺の変」を知った羽柴秀吉が明智光秀を討つべく中国街道を引き返し、小松の岡太神社あたりまで来ると、このあたりの農夫が対岸に明智勢が潜んでいると注進した。見るとまだ夜明け前なのに、川向こうの藪からあわただしく雉が飛び立った。異常を悟った秀吉勢は進路を西国街道に変え、背後から明智勢を攻め主君、織田信長の仇を討った。後に太閤となった秀吉はその時の農夫を探したが再会することはできなかった。秀吉はこの地での雉の捕獲を禁じ、土地の人々に田と池とを与えたという。中国街道が武庫川にさしかかるところを地元では雉が坂、かつての坂下の池を礼田池(いやでん)と呼んでいる。

Img_7051 説明板

Img_7050 案内図

Img_7062 坂上の武庫川の堤防から

Img_7060 坂下の雉ケ坂こども広場

ここが礼田池跡か

Img_7070 武庫川橋から 【ルート地図】の④

明治の中頃まで幾度も氾濫し、「あばれ川」、「人喰い川」と恐れられていたという。今は川幅が広い穏やかな流れだ。

Img_7077 岡太神社から武庫川、雉が坂方向

秀吉の軍勢はこのあたりで、川向こう(今の雉が坂あたり)で雉が飛び立つのを見て、明智方の伏兵がいると察知したのだろう。

Img_7089 岡太(おかた)神社(おかしの宮) 【ルート地図】の⑤

寛平5年(893)に広田の人、岡司(おかし)氏がこの地を開く。狛猪の静止(しし)像の参道。社殿の前には狛犬像もある(と思う。)

Img_7083 猪は恵美須大神のお使いで、水害を防止(静止(しし))と猪(しし)をかけたものという。

Img_7079 由緒

Img_7082 猪(静止)像説明板

Img_7087 恵美須宮

本来ならここに猪(静止)像があるはずだが、狛犬だ。

Img_7080 ここでもどんど焼きをやっている。

Img_7091 白山大神

当地では歯の神様という。

Img_7090 説明板

Img_7093 岡太社の石標

Img_7092 説明板

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2009年1月24日 (土)

神戸市の坂ー1

2009年1月14日

Img_6826 新神戸駅(東海道新幹線)・・・北野遊歩道・・・不動坂上・・・おらんだ坂・エリオン邸(本家オランダ館)・・・北野天満神社・・・天神坂・・・北野通り(旧パナマ領事館・英国館・仏蘭西館・ベンの家)・・・三本松不動院・不動坂・・・神戸パブテスト教会・・・北野坂・・・ハンター坂(上の写真)・・・異人館通り(異人館倶楽部・グラシアニ(レストラン)・シュウエケ邸)・・・神戸外国倶楽部・・・トアロード・東天閣(中華料理店)・・・元町駅(JR神戸線)→須磨駅・・・国道2号・山陽須磨駅・・・たぬき坂・・・きつね坂・・・国道2号・・・村上帝社・・・いなり坂・・・関守稲荷神社・・・あおば(青葉)坂・・・桜坂・黙禅地蔵・潮見坂・・・リボン坂・・・ちどり(千鳥)坂・・・ちもり(千森)坂・・・現光寺・・・ちもり坂・・・智慧の道・・・須磨寺・・・堂谷池・・・須磨霊泉・・・離宮坂・・・須磨離宮公園・・・離宮坂・・・べんり(便利)坂・・・むすめ(娘)坂・・・頼政薬師寺・・・平重衡捕れの松跡・・・須磨寺駅(山陽電鉄)・・・諏訪神社・・・網敷天満宮・・・JR須磨駅→元町駅・・・阪急三宮駅→春日野道駅・・・かすがの坂・・・稲荷神社・・・筒井八幡神社・・・JR灘駅(JR神戸線)→元町駅

 神戸市中央区の北野の丘と、源氏物語、源平の一の谷の合戦、歌枕で名高い須磨区の坂道散歩です。北野遊歩道を上り、史跡三本松の不動坂の坂上からさらに上って、おらんだ坂へ向う。坂下に「本家オランダ館」の大きな無粋な看板が立っていて興ざめだ。「おらんだ」坂だから、「本家」なんていう日本的な商売根性丸出しも致し方なしか。坂上近くから西に入ると「香りの家オランダ館」がある。「元祖オランダ館」でなくてほっとする。

 北野天満神社に下り、境内からの眺めを楽しんだ後、天神坂を下り、異人館の並ぶ北野通りを東へ、再び不動坂の坂上に出た。坂の由来の不動明王が祀られている三本松不動院へ入る。境内の不動明王の石像を写真に撮ろうとしたら、寺のおばさんから50円で線香とろうそくを買ってお参りするように言われた。金を取るならきちんと拝観料として取ればいいものを。写真代と思い払ったが、なんだがすっきりしなかった。不動坂を下り、西に平行する北野坂、ハンター坂、トアロードを上り下りする。どれも北に上る直線の途中に異人館があるものの平凡な坂で面白味は薄い。

 JR神戸線で元町駅から須磨駅に向う。駅の裏の須磨の浦は夏は海水浴で賑わうらしいが、むろん今は寒々として閑散としている。国道2号に出て商店の建物ような駅庁舎の山陽須磨駅をくぐって細いきつね坂を上る。工事中でなおさら狭く、人一人通れるのがやっとの所もある。きつね坂と思っていたがどうも坂沿いの町名と番地が違う。このあたりは関守町1、2丁目と潮見台1、2丁目で同じ番地が多くややこしい。『須磨の坂道マップ』は略(地)図のようなもので、地元の人ならともかくこれだけでは歩けないだろう。遠方はるばる来る、「坂マニア」、「坂おたく」、「坂馬鹿」(そこまで自嘲することもなかろうが)用に作ったものではないからしょうがないか。マップもこんなものだから、坂標などの設置はない。地域振興用につけた坂名とはいえ中途半端なやり方だ。坂上からあちこち回ってやっと、きつね坂と思っていたのはたぬき坂だったことが分かった。このあたりには確かに今でも狐狸妖怪の類いが棲んでいるのだろう。きっと狐か狸がよそ者を化かして面白がっていることだろうよ。

 1つの坂が分かると後は楽だ。住宅街のたぬき坂、きつね坂から国道2号に出て東へ、村上帝社の所から関守稲荷神社へ「いなり坂」を上る。坂名もひらがな、カタカナ、漢字と様々な表記だ。漢字の方が坂名の由来を連想しやすいのでは。あおば坂を上り、桜坂、潮見坂を下り、潮見坂の坂上あたりからリボン坂を下って、再び関守稲荷へ出た。ここから東へちどり坂を下る。坂の南側の学校の庭から子ども達の遊ぶ声が聞こえてくる。よく聞くと外国語だ。ここはマリスト国際学校だが、どこの国の子供も遊ぶ姿、声は同じようでなぜかほっとする気分になった。

 ちどり坂は坂下でちもり坂の途中に出る。坂沿いの源氏物語ゆかりの現光寺あたりに一時期、須磨の関があったようだ。ちもり坂を上って智慧の道から、須磨寺に入る。広い境内をざっと歩いて、堂谷池を眺め、智慧の道の五叉路のところの須磨霊泉から離宮坂を上る。天皇の別荘跡の須磨離宮公園は坂上の歩道橋から眺めただけで、離宮坂を下り返し、途中からちょっとしたべんり坂を上り、娘さん(神戸女子大生?)の歩いていない「むすめ坂」を下る。そのかわり坂の途中の幼稚園から、母親に手を引かれて小さな娘さんが坂を下って行った。まあ「むすめ坂」の面目躍如とまでは言えないだろうが。これで『須磨の坂道マップ』の12坂は打ち上げた。坂自体の傾斜や風情、情緒はいまいちだが、歴史散歩にはいいところだ。

 むすめ坂は坂下で智慧の道に突当たり、すぐそばに「平重衡捕われの松跡」がある。山陽電鉄の須磨寺駅を渡り智慧の道を南に行き、綱敷天満宮へ寄る。受験シーズン到来で土日は大学センター入試だ。合格祈願の学生、親子連れの姿が多い。受験なんてもう遠い世界の出来事でなんとなく懐かしい。

 JR須磨駅から元町駅まで戻り、阪急電車で春日野道駅まで行こうとしたが、阪神電車しか走ってなく、春日野道駅まで歩きはじめたが、人通りの多い商店街を歩くのは疲れる。阪急三宮駅まで歩いて一駅だが阪急電車に乗る。「かすがの坂」は地図で見つけた坂で、春日野道駅から北に商店街を抜けて上る何の変哲もない坂だが、見つけたからには行かねばと思うのが坂馬鹿のいい所?、悪い所?か。かすがの坂を上り下りして、途中から東へ入り祭礼日が近い筒井八幡神社に寄ってからJR灘駅に向った。

  【ルート地図】(1)(北野の坂)・【ルート地図】(2)(須磨の坂)

  参考:『Ijinkan.Net』・『須磨の坂道マップ』(『須磨観光協会』)

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Img_6757 新神戸駅から不動坂上へ上る北野遊歩道

Img_6768 おらんだ坂(坂上方向) 北野2丁目の本家オランダ館の方へ上る。【ルート地図】(1)の①

こんなでかい看板を掲げないで、少しは景観に配慮してほしいよ。看板の左に「おらんだ坂」の坂標が立つ。

Img_6770 エリオン邸

オランダ貿易商チャーリー・エリオン氏の邸宅。「本家オランダ館」だそうだ。

Img_6771 坂下方向

Img_6775 北野天満神社へ下る坂

おらんだ坂の2本西側の坂。

Img_6785 北野天満神社

治承4年(1180)、平清盛が福原遷都の際に、禁裡守護、鬼門鎮護として、京都の北野天満宮を勧請して建立。

Img_6780境内から風見鶏の館、神戸港方向

Img_6787 天神坂(坂下方向) 北野2丁目の北野通りの旧パナマ領事館の西側から北に上る。【ルート地図】(1)の②

坂上に北野天満宮

Img_6791 坂上方向

右は北野神戸異人館

Img_6792 パラスティン邸(天神坂の坂下近く)

明治末に、ロシア貿易商によって建てられた。1階は喫茶店となっている。

Img_6795 天神坂の西側の坂

Img_6796 坂上方向

Img_6797 風見鶏の館(右上)

ドイツ人貿易商トーマス氏の旧邸

Img_6786 坂上の北野天満宮の石段下から

この坂の方が北野天満宮の真下に出るので天神坂にふさわしい気もするが。

Img_6800 旧パナマ領事館(北野通り)

Img_6805 北野通りの仏蘭西館と英国館(奥)

仏蘭西館は2軒が左右対称の建物で、もとは外人向けのアパート。英国館はコロニアル洋式で、夜はバーになるそうだ。

Img_6808 不動坂(坂上から) 北野1丁目と2丁目の境の北野通りから南方向に下る。【ルート地図】(1)の③

坂上に不動明王を祀る北野山三本松不動院(写真の右側)がある。

Img_6763 境内の不動明王像

霊石生不動明王とある。

Img_6810 坂下方向

Img_6812 坂上方向

Img_6799 北野坂(坂下方向) 山手通1丁目と2丁目の間を北に上る。【ルート地図】(1)の④

Img_6819 坂標

Img_6823 坂上方向

Img_6816 パブテスト教会

Img_6829 ハンター坂(坂上方向) 山手通2-3と2-4の間を北に上る。北野坂の2本西側の坂。【ルート地図】(1)の⑤

坂上にハンター邸があった。

Img_6831坂標

Img_6830 坂下方向

Img_6840 レストラン「グラシアニ」

Img_6845 シュウエケ邸

英国人建築家ハンセル氏が明治29年(1896)に自邸として建築。反対側が正面のようだ。

Img_6843 説明板

Img_6851 トアロード 中山手通2丁目と3丁目の間を北に上る。

坂上の神戸外国倶楽部のところに明治40年開業のトアホテル(TorHotel)があった。

Img_6850 坂上近く

トアホテルがあった神戸外国倶楽部(正面突当たり)

Img_6854 東天閣(中華料理店) トアロードの途中

旧ビショップ邸で1894年(明治27年)建築の現存する最古の異人館。

Img_6858 JR須磨駅前の須磨海岸

今は殺風景の浜辺だが夏は駅から直行の海水浴場になるらしい。

Img_6859山陽須磨駅

遠くから見ると商店のような感じで駅とは分からなかった。

Img_6860 たぬき坂へ山陽須磨駅の下をくぐる。

Img_6861 たぬき坂(坂上方向) 関守町1丁目と潮見台1丁目の間を北西に上る。【ルート地図】(2)の①

たぬきが出没したのか。

Img_6863 坂下方向

Img_6864 坂上近く

Img_6870 きつね坂(坂下方向) 国道2号から山陽須磨駅西側のガードをくぐり潮見台1丁目と2丁目の間を北西に上る。【ルート地図】(2)の②

ここはきつねが出たのだろう。

Img_6874 坂下方向

Img_6877 坂上方向

Img_6879 坂上方向(坂下の山陽電鉄のガード下から)

Img_6881 村上帝社

もとは前方後円墳だったとか。今は山陽電鉄が上を通る。

Img_6883 説明板(村上天皇にまつわる伝説)

Img_6887 村上帝社(右)・天降稲荷大明神(左)

村上天皇にまつわる伝説から村上天皇を祀ったと伝う。

Img_6884 謡曲「玄象」と村上帝社

Img_6890 琵琶塚碑

Img_6889 いなり坂(坂上方向) 村上帝社から山陽電鉄のガードをくぐりマリスト国際学校の西側に沿って北西に上る。【ルート地図】(2)の③

坂上に関守稲荷神社がある。坂下の村上帝社にも天隆稲荷大明神がある。

Img_6900 坂下方向

右が関守稲荷神社

Img_6897 関守稲荷神社(関守町1丁目)

須磨の関の守護神として祀られたという。

Img_6895 須磨の関の由来

Img_6896 石標

由来によると、千森川(現在は暗渠)の東(現光寺の裏手あたり)に一時期、須磨の関があったようだ。「川東左右関屋跡」とある。須磨の関の場所については諸説ある。

Img_6894 須磨の関の古歌

ここにはないが百人一首にある源兼昌の「淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に 幾夜寝覚めぬ 須磨の関守」が一番なじみ深いだろう。境内に碑があるようだ。

Img_6903 あおば(青葉)坂(坂上方向) 関守稲荷から北西に須磨裏幼稚園、須磨浦小学校沿いに北西に上る。《地図

源平の一の谷の合戦で熊谷直実に討たれた笛の名手、平敦盛の愛用の「青葉の笛」に由来する坂名。

Img_6909 坂上近く

坂上で桜坂に出る。

Img_6914 桜坂(坂上方向) あおば坂の坂上を西に上る。【ルート地図】(2)の④

坂沿いの桜(ソメイヨシノ)による坂名。

Img_6920坂下方向

黙禅地蔵から潮見坂へと続く。

Img_6921 坂上方向

左側に黙禅地蔵。

Img_6923 黙禅地蔵

由来が分からず。

Img_6926 潮見坂(坂下方向) 桜坂から続いて東方向に下る坂。桜坂との境ははっきりしない。

昔は南方向に海が見えたのだろう。

Img_6929 坂上方向

Img_6931 リボン坂(坂下方向) 関守稲荷から千守1丁目と2丁目の間を北に上る。坂上で潮見坂の坂上近くに出る。《地図

山麓リボンの道」(その中に「須磨のみち」がある。)から名づけられた。リボン坂がその道筋にあたるのかは分からず。

Img_6936 坂上方向

Img_6935 坂下は関守稲荷神社

Img_6939 ちどり(千鳥)坂(坂下方向) 関守稲荷からマリスト国際学校の北側を東に下る。《地図

百人一首にある源兼昌の「淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に 幾夜寝覚めぬ 須磨の関守」にちなむ坂名。漢字で千鳥坂としたほうが分かりやすいだろうに。

Img_6941 坂上方向

Img_6942 坂下方向

Img_6944坂上方向

Img_6946 ちもり(千森)坂(坂上方向) 国道2号の千守交差点から須磨寺町1丁目と千守町1丁目を北に上る都市計画道路千森線。《地図

これも千森坂の方が分かりやすいよ。 

Img_6958 坂下方向

Img_6955 現光寺

千森川の東岸にあり、源光寺、源氏寺とも呼ばれていた。 永正11年(1514)浄教上人の開基といわれ、本尊は阿弥陀如来の浄土真宗西本願寺末。光源氏の住居跡とも伝えられる。写真の松は「光源氏月見の松」 明治初期に裏手から「川東左右関屋跡」の石柱(今は関守稲荷神社境内にある。)が掘り出され須磨の関跡との説もある。

Img_6953 謡曲「須磨源氏」

Img_6951 芭蕉句碑

「見渡せば  ながむれば  見れば須磨の秋」 三段切の名句だそうだ。「ば」が三回続くちょっと変わった句だ。

Img_6963 須磨寺(須磨寺町)

龍華橋と仁王門

Img_6960 境内図

Img_6961 略記

Img_6979 本堂(右)・大師堂(左)

真言宗須磨寺派の大本山。須磨寺派というのは初めて知った。

Img_6976 三重塔

昭和59年の再建

Img_6982 源平の庭

右が熊谷直実、左が平敦盛。左は「笛の音に波もよりくる須磨の秋」の蕪村句碑

Img_6968 由来碑

Img_6984 堂谷池(須磨寺公園)

Img_6987須磨霊泉(智慧の道の五叉路の離宮坂の坂下)

「命の水」とも呼ばれ、阪神淡路大震災の時には水を求めて長い行列ができたという。

「智慧の道」は、須磨寺と国道2号沿いの綱敷天満宮を結ぶ1km弱の道で、天神さんもお大師さん(須磨寺は真言宗の寺)も学問・智慧に深く関わることから、平成12年に、お大師さんと天神さんを結ぶ道を「智慧の道」と名づけた。

Img_6990 離宮坂(坂上方向) 堂谷池の東側から北東に上る。坂上に須磨離宮公園。《地図

Img_6993 坂下方向

Img_6994 坂上近く

Img_6997 坂上の歩道橋から須磨海岸方向

Img_6996 須磨離宮公園

大正3年に完成した天皇の別荘「須磨離宮(正式名称・武庫離宮)」の跡地の公園。須磨離宮は昭和20年の空襲で焼失した。

Img_7002 べんり坂(坂上方向・左側の坂) 離宮坂の途中から東へ緩やかに上る。天理教会の南側の坂。坂上を進むと「むすめ坂」の坂上近くに出て、さらに進むと離宮道へ突当たる。《地図

離宮道から須磨寺方面への近道、抜け道として「便利な道」ということのようだ。

Img_7003 坂下方向

Img_7009 むすめ(娘)坂(坂下方向) 智慧の道から桜木町1丁目と須磨寺町2丁目の間を北方向に緩やか上る。【ルート地図】(2)の⑤

神戸女子大へ通う女子大生()がよく通るというので期待?したが、それらしき姿は見当たらず。大勢歩いていても写真を撮るのには困るが。須磨寺駅から神戸女子大須磨キャンパスまでは2km近くある。彼女達は歩いて通学しているのだろうか? 

Img_7010 坂上方向

天理教会の所で「べんり坂」と交差する。

Img_7011 坂下方向

前方を歩いているのは神戸女子大生か? 聞くわけにもいかず。

坂下近くを左に入ると頼政薬師寺がある。

Img_7018 頼政薬師寺

寺号は浄福寺だが、源三位頼政が再興したので俗にこう呼ばれている。

Img_7015 説明板

Img_7019平重衡捕われの松跡

須磨寺駅の北側の智慧の道沿い

Img_7020 由来

Img_7022 諏訪神社(諏訪本町1丁目)

Img_7023 説明板

Img_7027 網敷天満宮(諏訪神社の前・国道2号沿い)

菅原道真が九州へ左遷の際、風波をさけて須磨へ一時上陸した。漁師たちは網の大綱を巻き、円座を作り、その上に休息させた。後に、道真が天満天神として祀られるようになり、ここに天神社が天元2年( 979年)に創建されたと伝えられている。

明日(1月15日)が初天神だが、受験生らしい親子連れで境内は賑わっていた。

Img_7026 由緒

Img_7028 かすがの坂(坂上方向) 春日野道駅(阪急神戸線)前から北西に上る。《地図

Img_7030坂上方向

Img_7037 筒井八幡神社

境内は子どもの遊び場、溜まり場のような感じだった。

Img_7038 小祠

JR灘駅近く

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2009年1月21日 (水)

名古屋市の坂-2

2009年1月13日

栄町駅・・・含笑寺・・・千早公園・・・鶴舞公園・・・八幡山古墳・・・八幡神社・・・古井の坂・・・菊坂・二つ池公園・・・日泰(にったい)寺・・・(覚王山駅)・・・月見坂・・・県道30号・・・国道153号(飯田街道)・・・隼人池・・・興正寺・・・八事八つの坂(①参道坂・・・②大学坂・・・③山手坂・・・④雲雀(ひばり)坂・・・⑤天道坂・五社宮・高照寺・・・⑥音聞坂・・・善光寺・・・音聞山仏地院・・・八事神社・・・塩竈神社・・・⑦塩釜坂・・・八事交差点・・・⑧石屋坂・浄久寺・・・塩釜口駅(地下鉄鶴舞線)→平針駅・・・梅森坂・牧野ケ池緑地・・・梅森坂バス停→星ケ丘駅(地下鉄東山線)→栄駅

 含笑寺の門前まで来たら風に乗ってかなりの雪が舞い始めた。含笑ではなく思わず苦笑してしまった。傘をさし、フードを被り、手袋をして雪と風の中を南に向かう。千早公園はうっすら白くなっていたが、鶴舞公園まで来ると雪も上がって陽が射しはじめてきた。歩いて1時間もかからないのに含笑寺は東区、千早公園は中区、鶴舞公園は昭和区だ。今日はこの後、千種区、天白区、日進市との境の名東区まで行くことになる。名古屋市の区は横浜市の区などと比べても1区の面積はかなり小さい。

 鶴舞公園に隣接する八幡山古墳を一周して北へ向うとすぐ千種区に入り、高速をくぐり八幡神社から飯田街道(国道153号)の古井の坂に出る。直線的な車道で古井戸があったような昔の面影はない。古井の坂交差点から北西に入り、千種通りを越え東に進むと椙山女学園南の交差点に出る。女学園の西側に沿って末盛通り(県道60号)までカーブして上るのが菊坂だ。菊とどんなゆかりがあるのか(あったのか)は分からず。

 菊坂上から県道60号を渡って日泰寺へ寄る。山門をくぐると広い境内の正面に本堂、右に五重塔が建っていてゆとりのある空間がいい。参道を戻り茶店でみたらし団子を食べ、店のおばちゃん二人とお喋りしてしばしの休憩。再び県道60号を渡り月見坂を下る。今は住宅街の間の平凡な坂だが、坂上に月見坂町、坂沿いに観月町の名が残るようにかつては月見の名所だったようだ。

 月見坂下から県道30号に出て南西に進み、国道153号を左折する。みたらし団子2本では腹はもたない。隼人池の手前の吉野家で牛丼だ。このあたりは学校が多いのだろう学生の姿が目立つ。隼人池から興正寺前を通り八事交差点の方へ上るのが「八事八つの坂」のひとつの参道坂だ。このあたりは「茶屋ケ坂」と同じで「八事」がつく地名、建物が多い。八事山興正寺は今日が縁日で参道から境内へ露店がぎっしり並んでいて、さすがに学生の姿はなく、おばちゃん連中が圧倒的に多いのは巣鴨の地蔵通り商店街と同じだ。

 興正寺境内を一巡りして、残りの八事八つの坂に取りかかる。八事の商店街が地域振興のためにつけた坂名だが、残念ながら坂自体は面白味、風情には欠ける。むしろ天道坂、音聞坂周辺の坂、塩竈神社前の坂などが坂らしく歩きがいがあった。八つの坂の最後に石材店の並ぶ石屋坂を上り下りし、塩釜口に出た頃はかなり予定時間より遅れてしまっていた。ここから梅森坂までは5km以上はあるだろう。塩釜口駅から地下鉄で平針駅まで行くことにした。梅森坂は予想はしていたが、それ以上の期待はずれの坂でせっかくここまで来た甲斐がなかったとちょっと残念な気分になった。それも夕闇が迫り、かなり歩いて疲れてきたせいなのだろう。きっと後になればあの時行っていてよかったと思うようになるだろうよ。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_6545 含笑寺(東区東桜2-15)

織田信秀(信長の父)が、母の「含笑院殿茂獄涼繁大禅定尼」を弔うために清洲に建立した寺で、清洲越の際にここに移された。寺名にふさわしく「含笑長屋 落語を聴く会」が催されている。門前の寺標(写真右)は寄席文字で書かれている。

急に雪が降り出した。それもかなりの降りだ。

Img_6544 「長屋乃納屋」

落語会用の小道具などが入っているのか。

Img_6548 千早公園(中区新栄1-45)

うっすら雪化粧している。

Img_6558 胡蝶ケ池(鶴舞公園・昭和区鶴舞1丁目)

雪は止んでしまった。名古屋で最初に整備された公園で、当初は「つるま公園」だった。

Img_6554 公園案内図

Img_6568 八幡山古墳(鶴舞公園の南東に隣接)

東海地方最大の円墳で直径82m、高さ10m、5世紀中頃の築造。整形されて元の墳形ではない。

Img_6572 説明板

Img_6575 八幡社(千種区千種2丁目)

Img_6576 古井の坂(坂下方向) 千種区千種1丁目と2丁目の間を南東に上る国道153号(飯田街道(岡崎街道))。坂上近くに古井の坂交差点。 【ルート地図】の①

高牟神社に由来となった古井戸がある。『高針街道』に記載。吹上という地名も残り、坂近くに「ヴァンクール吹上」・「メゾン吹上」などのマンションがある。坂沿いは古井之坂通り商店街。

Img_6579 坂上方向

Img_6586菊坂(坂上方向) 千種区菊坂町と丘上町の間を南東に椙山女学園の方へ下る。右は椙山女学園 【ルート地図】の②

坂名の由来は? 菊と関連するのだろうが。

Img_6594 坂上近く

坂上は県道60号の覚王山交差点近く。

Img_6596 坂下方向

Img_6606覚王山日泰寺山門・本堂(奥)

明治33年シャム国王から寄贈された仏舎利(釈迦の遺骨)を奉安するために明治37年に日本で唯一の超宗派の寺として覚王山日暹寺して創建。「覚王」とは釈迦の別名。昭和24年にシャム国からタイ王国の改名に合わせて日本とタイ王国を表す日泰寺となる。

Img_6604 境内図

Img_6612 山門・五重塔

Img_6615 子育観音?(山門の外の御詠歌堂の脇)

Img_6619 月見坂(坂下方向) 千種区観月町2丁目の田代小学校の北側から北西に覚王山交差点の方へ上る。 【ルート地図】の③

観月町、月見坂町の名の通り月見の名所だったのだろう。田代小学校の筋向いには坂本屋という茶店もあったという。

Img_6621 坂下近く

正面右奥が田代小学校

Img_6625 坂上方向

Img_6626 田代小学校の前には茶店ではなく洒落れた建物が。レストランだったか?

Img_6628 隼人池(昭和区隼人町)

桜の名所のこの池は、もとは犬山城主の成瀬隼人正によってつくられた農業用灌漑池で、池の水は檀渓通り付近に樋を架け、山崎川を空中で横断して藤成新田に引かれていた。

Img_6646 「八事八つの坂」案内図

Img_6630 ①参道坂(坂上方向) 《地図

八事山興正寺の前を南東に八事交差点に上る国道153号。

Img_6632 興正寺参道

今日は縁日で露店が並び賑わっている。衣料品の店が多いようだ。5日と13日が縁日。

Img_6638 八事山興正寺境内図

Img_6633 中門

Img_6634 五重塔

文化5年(1808)建立の現存する五重塔では県内最古。

Img_6635 説明板

Img_6639 能満堂

本尊は日本三大虚空蔵菩薩の一つとか。

Img_6642 説明板

Img_6645 東門

Img_6648 サーウインストンホテル

参道坂の坂上近く、大学坂への分岐の所。下は地下鉄八事駅

Img_6649 ②大学坂(坂上方向) 参道坂から山手坂へ上って抜ける坂。《地図

坂の北側に中京大学がある。短く傾斜もゆるい。八つの坂にするために加えられた坂だろう。

Img_6652 坂上で山手坂に出る。

Img_6654 ③山手坂(坂上方向)

八事交差点から北東に上る山手通り。坂沿いに中京大学、南山大学、名古屋大学と続く。《地図

Img_6655 坂下方向

Img_6658 ④雲雀坂(坂上方向) 《地図

八事交差点から西方向へ雲雀ケ岡へ上る。始めだけ傾斜があり、坂の感じはしない。

Img_6661 坂下方向

Img_6664 五社宮(天道坂の坂上近く)

もとは天道宮と称した。寛保元年(1741)に天道山高照寺自貞尼により当地に遷座した。日・月・星・神明・天王の五社を祀るため五社宮と称す。

Img_6663 由緒碑

Img_6665 ⑤天道坂(坂下方向) 天道山高照寺の前を南西に下る。八事天道と弥生が岡の間の坂。 【ルート地図】の④

Img_6671 坂上方向

Img_6670 坂下方向

Img_6668 天道山高照寺

史跡散策路「天道・塩釜と坂道コース」の4

Img_6679 ⑥音聞坂(坂下方向) 八事石坂、音聞山と弥生が岡の間を南東方向に下る県道220号。《地図

音聞山名勝地(現在の御幸山)による坂名

Img_6685 坂下方向

八事音聞山バス停から

Img_6681 善光寺境内への坂

この坂は昔、「やんたの為」が狐に化かされたという「きよの坂」か?

きよの坂」は、音聞坂のことと「なな」さんからコメント(下記)をいただきました。『天白の民話と昔話』の「きよの坂」にも、「島田地蔵寺へ抜ける近道だったので「地蔵みち」とも言われて・・・・」とあります。『天白歴史探訪マップ』(天白ガイドボランティア歴遊会作成)に位置が載っています。
坂名の由来は何でしょうか? 「きよ」とは狐が化けた若い娘が名乗った名前だったのでしょうか?(2014年6月8日追記)

Img_6682 南側の急坂を下って音聞坂へ

Img_6683 坂下から

坂下は音聞坂

Img_6694 八事神社(天白区御幸山1339)

Img_6693由緒

Img_6690 歌碑(右) 「君がよを 千世もとよばふ松風の おとのたえせぬ音聞の山」 正二位 源清綱 大正天皇の即位式で詠まれた歌。源清綱は画家黒田清輝の養父(伯父)の黒田清綱のことで、明治天皇と大正天皇のお歌所の一人だった。音聞山一帯ははきれいな松林で風情豊かな景勝地だったという。

Img_6689 歌碑のいわれ

Img_6697 塩竈神社へ上る坂

「八事八つの坂」の塩釜坂からはだいぶ離れているが、この坂の方が塩釜坂と呼ぶにふさわしい見事な急坂で坂上近くからの眺めもいい。左側に塩竈神社。

Img_6700 塩竈神社(天白区御幸山1328)

東北鎮護・陸奥国一ノ宮の宮城県塩竈市の旧国幣中社「鹽竈神社」より弘化年間(1844~48)に愛知郡天白村豪農の山田善兵衛が分霊を賜り奉祀したのが始まりという。

Img_6701 由緒

Img_6706 坂下方向

南東方向が開けていい眺めだ。

Img_6728 ⑧塩釜坂(坂下の愛知銀行八事支店(左)の所) 八事交差点から南東方向に塩竈神社方向に上る。国道153号の一本南側の道。《地図

八事旧道といわれ、起伏のある街道の両側は桜が多く、かつては人通りの途絶えることがないほどの賑わいであったという。塩竈神社までは上り下りを繰り返しかなり距離がある。

Img_6730 ⑨石屋坂(坂上方向) 八事交差点から西へ上って下る国道153号(飯田街道) 【ルート地図】の⑤

坂の北側に八事霊園があり、坂沿いに墓石の石材屋が並んでいる。石屋に「人生最終住宅建設所」とある。

Img_6740 下りとなる。

Img_6745 浄久寺(石屋坂の坂下近く)

山門は清洲越当時のものという。

Img_6742 説明板

Img_6747 梅森坂(坂下方向) 名東区梅森坂1丁目と牧野ケ池緑地の間を南に上るゆるやかな坂。《地図

梅の木の森が坂上の天神社にあったためという。

Img_6751 坂下方向

Img_6754 牧野ケ池

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2009年1月16日 (金)

名古屋市の坂-1

2009年1月12日

  名古屋駅・・・伝馬橋(堀川)・・・泥江縣(ひじえあがた)神社・・・伝馬町通り・・・久屋大通公園・・・久屋橋・・・清水橋・・・枳殻(きこく)坂・・・観音院・・・七尾天神社・・・清水坂・清瀧寺・・・長久寺・・・尼ケ坂・尼ケ坂公園・地蔵院・尼ケ坂駅(名鉄瀬戸線)・・・坊ケ坂・片山神社・・・県道215号・・・神明社・・・東界寺・・・成蓮院・・・愛宕神社・・・茶屋坂通り・茶屋ケ坂・・・茶屋が坂交差点・・・赤坂・茶屋ケ坂公園・・・茶屋ケ坂駅(地下鉄名城線)

 今冬一番の寒さの中、名古屋と神戸の3日間の坂道散歩です。昨日は少し寒く風が強い中を八丈島ロードレースを走り、今日の一番便で羽田へ戻り、新幹線で名古屋へ昼過ぎに着いた。伝馬橋を渡り東へ進み、久屋大通りから北へ向うと冷たい北風が痛く感じる。名古屋城の外堀に架かる清水橋を渡り、堀沿いの柳原街道の枳殻坂を下る。かつては坂の西側にからたち(枳殻)が植えられていて、城壁の防御をしていたという。坂下近くから東へ入り、観音院前から七尾天神社へ寄る。受験シーズンも始まり、どこの天神さんも合格祈願の若者、親子連れで繁盛しているようだ。境内には名前の由来となった七つの尾を持つ亀の像がある。背中に柄杓で水を七度かけると諸願が成就するとか。

 七尾天神社の東の清水坂は国道41号の西側の上街道といわれた旧道で、県道215号の清水口交差点まで上っている。県道を東に行き白壁交差点から北に入ると長久寺で、その先を尼ケ坂が尼ケ坂駅まで下っている。昔は樹木が茂る中を縫うような薄暗い寂しい坂で辻斬りが出たという。坂の西側の尼ケ坂公園前の地蔵院は辻斬りにあった人々の霊を弔う地蔵が祀られている。坊ケ坂は片山神社の東側に上る坂で、「尼ケ坂、坊ケ坂の悲話伝説」(後述)が残っている。

 片山神社から県道215号に出てひたすら東に向う。前方の東の空は雲で真っ暗で雨か雪でも落ちてこないかと心配になる。茶屋ケ坂歩道橋を過ぎると茶屋坂通りとなってゆるやかに下るが坂らしい感じはしない。坂下の茶屋が坂交差点から茶屋ケ坂公園の方へ上る赤坂の方が傾斜もあり、茶屋ケ坂公園は赤土のむき出した小山みたいで昔の坂沿いの面影を残している。とにかくこのあたりは、「茶屋ケ坂」(茶屋が坂、茶屋坂)がつく所だらけという感じで少しうんざりする。坂名の由来となったかんじんの茶店跡は今は跡形もないようだ。だんだん寒さも増し暗くなってきた。地下鉄茶屋ケ坂駅から左回りで名古屋中心部の栄町へ向った。

  *参考:『中京の坂だより

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_6423 伝馬橋(堀川)

五街道の脇往還の美濃街道(美濃路)に架かる橋。慶長15年(1610)の堀川開削とともに架けられた堀川七橋の一つ。かつては堀川で一番賑わった橋というが、今は車も人の通行も少ない静かな橋だ。

Img_6425 泥江縣(ひじえあがた)神社

貞観元年(859)に豊前国の宇佐八幡宮から勧請したという。

Img_6426 由緒

Img_6431 清水橋

名古屋城の外堀(空濠)に架かる橋。かつてこの堀の中を名鉄瀬戸線が走っていた。現在は地下を通っている。

Img_6434 枳殻(きこく)坂(坂下方向) 名古屋城の外堀と明和高校の間を北に下る。【ルート地図】の①

からたち(枳殻)の木が坂の西側の名古屋城の外堀(写真の左側が外堀)に植えられて城壁の防御の役割をしていた。

Img_6436 坂上方向

Img_6440 七尾天神社

七尾の亀が菅原道真の木像をここに運んだという。

Img_6438 由緒

Img_6442 七尾の亀

Img_6441 説明板

Img_6443 清水坂(坂上方向) 国道41号の清水口交差点の西側から南方向に下る。【ルート地図】の②

近くに清水口、清瀧寺などがある。このあたりに清水が湧いていたのだろう。

Img_6445坂上方向

Img_6446 坂下方向

Img_6453 長久寺山門

慶長15年(1610)の清洲越(尾張の政治の中心地が清洲から尾張に移り、名古屋城の築城も始まる。)の時にここに移された寺。

Img_6451 説明板

Img_6454 本堂・庚申堂(左)

Img_6455 庚申塔

寛文8年(1668)に武家から寄進された。六臂青面金剛像庚申塔では市内最古。

Img_6449 案内図

長久寺前を尼ケ崎駅の方へ下るのが尼ケ坂。片山神社の東側が坊ケ坂でいずれも南方向に下る。

Img_6457 尼ケ坂(坂下方向) 【ルート地図】の③

「昔このあたりに住んでいた権現小町と呼ばれた美人の村娘が高位の青年武士と恋仲になり身ごもった。しかし身分の差から仲を引き裂かれ、娘は男の子を産み、尼となって一緒に暮らしていた。それでもなお青年武士のことを忘れえず、気が触れて或る雨の夜に坂道の杉の木に首を吊って命を断った。男の子は近所の人に引き取られたが、母を慕って蔵王の杜をさ迷い餓死してしまう。こうして尼が亡くなった坂を尼ケ坂、男の子が亡くなった坂を坊ケ坂と呼ぶようになったという。」 蔵王の杜とは片山蔵王権現(片山神社)、尼ケ坂公園あたり一帯をいう。昔はこの坂は樹木が生い茂る薄暗い寂しいところで辻斬りが出たという。

Img_6458 坂下方向

Img_6468 尼ケ坂の由来と伝説

Img_6469 坂上方向

Img_6461 蔵王山地蔵院

尼ケ坂あたりに出没した辻斬りの被害者の霊を弔う。

Img_6465 地蔵さん

Img_6474 坊ケ坂(坂上方向) 【ルート地図】の④

坂上(写真の右側)が片山神社

Img_6478坂下方向

Img_6481 片山神社

和銅二年(709)創建と伝う古社。

Img_6483説明板

Img_6484社殿

Img_6488東界寺(東区出来町3-1)

名古屋二十一大師第7番札所。

東の空は真っ暗

Img_6494 茶屋ケ坂(茶屋ケ坂歩道橋下から坂下方向) 千種区の県道215号の茶屋が坂交差点から西に上る茶屋坂通り。 【ルート地図】の⑤

空には黒い雲だが夕日を受け赤映えしている。この道は名古屋城の清水口から秀吉が家康に敗れた長久手に至る山口街道(長久手街道)と呼ぶそうだ。

Img_6508 坂上方向

Img_6512 赤坂(坂上方向) 茶屋が坂交差点から南東に、赤坂町交差点、茶屋ケ坂公園の方へ上る。

長久手の戦の夜明けに軍勢が通ったという。

Img_6516 坂下方向

Img_6520 茶屋ケ坂公園

Img_6529 茶屋ケ坂池(茶屋ケ坂公園内)

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2009年1月10日 (土)

三郷七福神②

2009年1月7日

新三郷駅(JR武蔵野線)・・・萬音寺(寿老人)・・・小谷堀橋(大場川)・・・光福院(弁財天・布袋尊)・・・丹後稲荷神社・・・高応寺(大黒天)・・・武蔵野線・・・大場川・・・(常磐自動車道)・・・新三郷浄水場・・・円光院(福禄寿)・・・稲荷社・日枝神社・・・(常磐自動車道)・・・三郷市斎場・・・(つくばエクスプレス)・・・興禅寺(弁財天・毘沙門天)・・・草庵寺(恵比寿)・・・三郷中央駅(つくばエクスプレス)

 昨日の続きで三郷七福神を歩く。円光院の近くは車の往来が激しく歩きづらい所もあるが思ったより短時間で24ケ寺目の草庵寺まで歩けた。草庵寺では「健康十訓」の書かれた手拭をいただく。今年も健康で歩けるよう祈願して三郷七福神巡りを終えた。

 【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_6390_3 萬音寺(ばんのんじ) 

慶安3年(1650)萬勝寺開山 明治42年半田村観音寺と合寺し萬音寺と称す真言宗の寺。

Img_6392 寿老人

Img_6393 庚申塔(光福院手前の道脇)

右は明和元年(1764)、左は寛政10年(1798)の建立。どちらも風化が激しくくずれかけている。

Img_6397 光福院(早稲田8-15)

元和元年(1616)に流山鰭ケ崎東福寺の別院として開山。江戸時代の2回の江戸川改修により現在地に移転。七堂伽藍があったといわれていたが明治元年に全焼。真言宗

Img_6400 布袋尊

Img_6401 弁財天堂

Img_6399 弁財天

Img_6402 丹後稲荷神社(早稲田8-17)

Img_7833「萬葉遺跡葛飾早稲発祥地」碑

裏面に万葉集の「鳰鳥(にほどり)の 葛飾早稲を饗(にへ)すとも その愛(かな)しきを 外(と)に立てめやも」の歌が刻まれている。

Img_7831社殿横の新しい歌碑

Img_7942説明板

三郷中央駅そばの「におどり公園」に設置。

詳しくは、『万葉歌碑散歩』で。

Img_6405 高応寺(こうおうじ) 早稲田2-14

江戸初期に大広戸村を開墾した高橋甚左エ門夫妻が八町歩の田畑を寄進し、日達上人を招き開かれた学問寺。学業成就、受験合格祈願の寺。

Img_6409 円光院(南蓮沼614)

福禄寿

真言宗の寺

Img_6410 稲荷社・日枝神社(南蓮沼)

扁額に「稲荷大明神 山王大権現」とある。

Img_6417 興禅寺(幸房1073)

福井の永平寺、神奈川横浜市の総持寺を本山とする曹洞宗の寺。

Img_6412 毘沙門天・弁財天堂

Img_6415毘沙門天(左)・弁財天の小祠(右)

Img_6418 草庵寺(谷中183)

Img_6419 恵比寿

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2009年1月 9日 (金)

三郷七福神①

2009年1月6日

Img_6349_2 新三郷駅(JR武蔵野線)・・・女体神社(采女)・・・女体神社(彦糸)・・・安養院(弁財天)・・・庚申塔・・・円明院(弁財天)・・・慈眼寺(大黒天)・・・(外環自動車道・潮郷橋)・・・玉蔵院(弁財天)・・・密蔵院・・・郷土資料館・・・延命院(壽老人)・虚空蔵堂・・・香取神社(上口)・・・東光院(毘沙門天)・・・善照寺(布袋尊)・・・迎摂院(弁財天)・・・神明社・・・香取神社(彦沢)・・・円能寺(福禄寿)・・・(常磐自動車道)・・・密乗院・・・西善院(大黒天)・・・庚申塔・(地蔵寺)・・・(花和田香取神社)・・・稲荷神社(谷口)・・・成就院(恵比寿)・弁天堂・・・稲荷神社(栄)・・・(つくばエクスプレス)・・・香岩寺(寿老人)・・・三郷放水路・・・二郷半領用水遊歩道・・・前川大橋・・・西福寺(布袋尊・上の写真・・香取神社(戸ヶ崎)・・・天王橋(二郷半領用水)・・・第2大場川・・・長沼白山神社・正円寺(恵比寿)・・・大正橋(大場川)・・・天豊受神社・・・円福寺(弁財天)・・・稲荷神社(東町)・・・稲荷神社(高洲)・・・本隆寺(毘沙門天)・・・宝蓮寺(福禄寿)・・・香取神社(高洲)・・・大雄寺(大黒天)・・・高須大入バス停→三郷中央駅(つくばエクスプレス)

 江戸川と中川(古利根川)に挟まれた埼玉県三郷市には24の寺に七福神を祀っている。北の吉川市との境の安養院から中川の左岸沿いの昔の岩槻街道(慈恩寺道、吉川道)を南下し、葛飾区の水元公園近くまで行き、東に江戸川右岸の大雄寺までの18ケ寺を初詣を兼ねて歩く。前から陽を浴び暖かく、追い風で車の往来もさほでない道で歩きやすかった。平坦な所で坂がないのはちょっと物足りなかったが致し方なし。

 三郷七福神24ケ寺の内訳は、弁財天が7ケ寺、大黒天が4ケ寺、寿老人・毘沙門天・恵比寿・布袋尊・福禄寿がそれぞれ3ケ寺だ。(2神を祀る寺が2寺ある。) 七福神中で唯一の女神、弁財天はやっぱり人気があるようだ。それとも女好きが多いのか。(三郷市に限ることではないが) 七福神はこの七神が一般的なメンバーだが、南極寿星の化身で異名同神ともいわれる寿老人と福禄寿から寿老人を除いて吉祥天を加えることもあるという。だが人々から吉祥天が弁財天と混同されて一般的にはならないらしい。毘沙門天と吉祥天は夫婦なので、二神同体とも、吉祥天は格下とも思われる。確かに福禄寿と寿老人は区別がつけにくい。女神が2人になった方があとの男の五神が喜ぶだろうし、七福神も華やかになって七福神巡りももっと広がる気がするが。そうなると人気を独占している弁天さんが、やっかんで吉祥天に意地悪をするかも。でも旦那の毘沙門天が黙っていないだろう。

 正月で幾つかの寺で甘茶や飴を振舞われ、四国遍路道のお接待を受ける気分にもなった。また「三郷七福神」の幟は立っているもののどこに七福神が祀ってあるのか分からない寺もあった。三郷市の寺は圧倒的に真言宗が多いのは何故なのか。それもほとんどが昔は円明院の末寺だったようだ。

 半日ほどで回れると思っていたが途中の寺社にも寄ったのと、香岩寺から先が寺と寺の間の距離が長くなったために1日仕事になってしまったが天気も良く、気持ちのいい七福神巡りの初詣だった。

  【ルート地図

  *参考:『三郷七福神めぐり』(今日歩いたのは彦成コースと八木郷・戸ケ崎コース)・

  『七福神のおはなし』・『全国の七福神巡りガイド

  写真をクリックすると拡大します。

Img_6389 女体神社(采女)

もとはJR武蔵野線(昭和48年開通)の操車場用地の所にあった。今は広大な操車場もなくなり開発が進んでいる。

Img_6193 女体神社(彦糸)

三郷市は平坦な低地で稲作の農家が多かった。女体神社で豊作を願ったのだろう。

Img_6195 安養院(彦糸1-10)

山号を甘露山という宗教法人真言宗の寺で円明院の末寺。明治時代には小学校の校舎として使用された。左は樹齢約600年の「厄除け大銀杏」で、以前は樹高28mもあり、銀杏(ぎんなん)も一石三斗も実ったという。昭和57年の台風で被害を受け、10mの高さに切り詰められた。

Img_6197 説明板

Img_6200 大銀杏説明板

Img_6205 彦糸弁財天(彦糸集会所の所)

安養院の別当で、近郷の人々の弁天講により雌雄の蛇が祀られているというが、それらしき物は見当たらず。時間が早すぎたのか閉まっていて弁財天も拝めず。

Img_6206 庚申塔道標(文政3年(1820)建立)

昔の岩槻道(吉川道岩槻慈恩寺道)沿い。右側面に「北 吉川道」とある。後ろは安養院の鎮守の稲荷社。

中川から元荒川へ出て岩槻市の慈恩寺へ通ずる道。(綾瀬川沿いの道(県道蒲生岩槻線)も慈恩寺道というようだが) 赤羽岩淵から川口、鳩ヶ谷を通り岩槻に通ずる日光御成街道の一部も岩槻道。

Img_6210 常夜燈(文政13年(1830)建立)・水盤には「八百屋源太郎」?とある。

Img_6220 円明(えんみょう)院(彦糸1-179)

山号を長江山聖伝寺という真言宗の寺。江戸時代には末寺23ケ寺を支配し本寺と称していた。

Img_6224 説明板

Img_6222弁財天(本堂の中)

「七福神の中の唯一の女神です。愛嬌を示し、音楽、弁舌才智、水の神、芸術の神として古来日本では市来姫(いちきひめ)と同一神として信仰されています。」 『三郷七福神巡り』

Img_6221 不動明王像説明板

Img_6218弁財天堂(境内)

Img_6217 弁財天

位牌のような文字石柱型。

Img_6227 慈眼寺(彦川戸1-138)

本堂前に七福神像が並ぶ。山号を普門山という曹洞宗の寺で、将軍家光が狩場の休憩地としたと伝える。

Img_6230 潮郷橋

中川に架かる八潮市と三郷市の境の橋。右は外環自動車道。三郷市で坂らしいのは中川を越える橋と武蔵野線の跨線橋くらいだ。

Img_6231 中川下流方向

潮郷橋から

Img_6239_2玉蔵院(天神1-59)

山号を北野山という真言宗の寺。江戸時代には寺子屋が開かれ、明治時代には浩養学校として使用された。弁財天は見当たらず。

Img_6235 説明板

Img_6236 説明板

Img_6241密蔵院(彦野1-25)

盤寿量山密蔵院大聖寺という真言宗の寺。

Img_6240 由来碑

謎の人物石川数正の菩提寺とある。

Img_6243 郷土資料館

もとは彦成小学校の講堂。

Img_6257 延命院(彦倉1-183)

山号を明星山如意輪寺という真言宗の寺。奥は虚空蔵堂。

Img_6246 説明板

Img_6244 虚空蔵堂

弘法大師の作とも伝える虚空蔵菩薩像は古利根川(中川)の洪水の時に見つかったという。

Img_6249 虚空蔵尊縁起

徳川吉宗、弘法大師、弟橘媛、織田信長など登場人物がにぎやかだ。

Img_6247 テレビ放送予定

Img_6248 寿老人

「寿老神と書く人もいます。長寿の神様で、老子の化身の神とも言われています。長命、富財、与宝、諸病平癒の神でもあります。」 『三郷七福神巡り』

Img_6251 うなぎ供養塔

球の中にリアルなうなぎ像がくねっている。

Img_6250 虚空蔵菩薩とうなぎ

うなぎは虚空蔵菩薩の使者とか化身といわれるそうだ。

Img_6255 力石

昔、若者達が力くらべに使った石。力持興行もあったという。

Img_6254 説明板

Img_6260 香取神社(上口)

祭礼に二郷半囃子、里神楽が行われていた。

Img_6262 説明板

Img_6265 東光院(上口1-108)

真言宗の寺

Img_6267 毘沙門天

「印度の神様で、多聞天とも言われ仏教四天王の一人です。左手の塔は八万四千の法蔵、十二部経の文義を具し、右手の宝棒は悪霊を退散させ財宝をさずけるといいます。」『三郷七福神巡り』

Img_6269 善照寺(上口1-37)

真言宗の寺

Img_6271 布袋尊

「中国五大聖人の一人で、弥勒菩薩の化身ともいわれ、大量を表現し、堪忍と和合を教えてくれる神様です。」 『三郷七福神巡り』

Img_6273 迎摂院(こうしょういん) (番匠免1-157)

山号を彦峰山観音寺という真言宗の寺。

Img_6283 説明板

鎌倉時代の行基の作」というのは誤りだ。

Img_6276 観音堂

室町時代に建立されたという三郷市最古の建造物。江戸時代に大修理をしたらしい。准胝観音菩薩像は行基の作と伝う。

Img_6275 説明板

Img_6277 弁財天堂

Img_6278 弁財天

Img_6285 神明社

Img_6290 香取神社(彦沢)

Img_6292 力石

白い矢印の指す穴は力持ちの文八の親指跡とか。

Img_6291 力石の由来

Img_6298 円能寺(彦沢1-71)

山号を悲願山正蓮院という真言宗の寺。明治時代には彦成小学校の前身の培殖学校として使用されていた。

Img_6299 説明板

Img_6296 説明板

Img_6297 不動明王像か?

Img_6300「忍者の松」の切り株?

上野戦争で敗れて逃げてきた彰義隊の若者が登って隠れたという「人助けの松」の切り株か? 

Img_6302 旧家

Img_6306 密乗院(彦江1-207)

山号の狩場山は弘法大師を手助けしたという狩場大師にちなむ。別名を狩場明神ともいう。ここも真言宗。

Img_6305 説明板

Img_6318西善院(花和田189)

中川両岸六阿弥陀霊場

Img_6316説明板

Img_6314 大黒天堂

Img_6315 大黒天

「印度の神様で有福を示し、有徳、財宝、闘戦の神様で、二俵の米俵に立ち糧食を司る神です。」『三郷七福神巡り』 

これは「三面六臂の大黒天」

Img_6312_2 説明板①

右上の写真の大黒天が見慣れた大黒天像。

Img_6313_2 説明板②

Img_6309 庚申塔(地蔵寺前)

前の石柱に天明3年とある。

Img_6320 稲荷神社(谷口)

Img_6326 成就院(谷口1251)

神谷山谷口不動尊という真言宗の寺。

Img_6327 説明板

Img_6325_2 勝海舟の碑文

一世の秀観翁を讃える碑文だそうだ。

Img_6323 恵比寿堂

Img_6324 恵比寿

「イザナギノミコトの第三子蛭子尊ともいい大国主命の御子とも伝えられています。(清廉、漁業、商売繁盛、交易)の神様と言われ、エビス顔といわれるように尊顔です。」 『三郷七福神巡り』

Img_6330 弁天堂

成就院の隣りにあるが三郷七福神には入っていない。すぐ左に中川が流れる。

Img_6331 稲荷神社(栄)

Img_6338 香岩寺(栄221)

市内で唯一の浄土宗の寺。門前の道は昔の岩槻街道で、坂東88札所第十二番、岩槻市の慈恩寺へ通ずる慈恩寺道ともいわれ、水戸への裏街道でもあり水戸光圀(黄門さん)もこの寺に立ち寄ったという。

Img_6333 説明板

Img_6336 寿老人

新しい石の祠の壁に描かれている。

Img_6337 七福神の人形。

右端の忍者みたいのは毘沙門天だろう。

Img_6341 門前の昔の岩槻街道(岩槻慈恩寺道・吉川道)

三郷放水路から北方向。正面はつくばエクスプレスの高架線。昔の道の面影は皆無だ。

Img_6345 三郷放水路(江戸川方向)

正面は外環自動車道、その向こうは三郷排水機場、江戸川。

Img_6343 中川方向

三郷水門

Img_6346二郷半領用水の遊歩道

中世まで三郷市域は下総国に属していたが、近世初頭に武蔵国に編入され、江戸時代には三郷は武蔵国葛飾郡二郷半領に属していた。吉川、彦成の二郷に、彦成以南の一郷に満たない地域の下半郷を加えて二郷半と称したとされる。「二郷半」を切り上げて「三郷」にしたのと思いきや、彦成村、早稲田村、東和村の3村が合併し昭和31年に三郷村になり、昭和47年に三郷市になった。

Img_6352 西福寺(戸ケ崎2-62)

戦国時代に戸ケ崎郷を支配していた千葉氏の一族の匝瑳(そうさ)氏が開基という。千葉県北東部に匝瑳市がある。昔は下総国の匝瑳郡だったようだ。真言宗の寺。鐘楼の四柱山門は天明6年(1786)の建立。

布袋尊(一番上の写真)は「中国五大聖人の一人で、弥勒菩薩の化身ともいわれ、大量を表現し、堪忍と和合を教えてくれる神様です。」 『三郷七福神巡り』

Img_6354 戸ケ崎香取神社

Img_6357 三匹の獅子舞説明板

2人の若者が洪水の時に対岸の桜堤の堤防を破壊して村人の命を守って濁流に呑まれれ犠牲になった。その時の有様を舞っているという。堤防を破壊された水元公園側の対岸の村はどうなったのだろうか?

Img_6358 ここにも力石

Img_6360 正円寺(鷹野2-44)

真言宗

Img_6361 恵比寿

Img_6363 長沼白山神社

Img_6365 説明板

Img_6367大場川

大正橋から上流方向

Img_6369 天豊受神社(鷹野1丁目)

Img_6370 由来書

長戸呂胤能とは、伊豆北条氏の代官で明応9年(1498)に八丈島へ渡った長戸路家の祖に当たるのか?

Img_6374 円福寺(鷹野1-159)

山号を長流山という真言宗の寺

Img_6375 弁財天

Img_6376 稲荷神社(東町)

Img_6377 稲荷神社(高洲1丁目)

Img_6378 本隆寺(高洲1-206)

日蓮宗の寺で、明治時代には久兵衛学校となった。昔は久兵衛村で、今も「久兵衛」というバス停がある。

Img_6379 毘沙門天

Img_6380 宝蓮寺(高洲3-123)

山号を香取山阿弥陀院という真言宗の寺。ここも昔の岩槻街道の道筋にある。

Img_6381 説明板

Img_6382 福禄寿

「中国の神様で、人名というより、中国道鏡の理想である幸福、俸禄の意味をもち南極老人星の化現として現れた神とされています。(大望、長命) 『三郷七福神巡り』

Img_6383 香取神社

宝連寺の隣り。

Img_6385 大雄寺(だいおうじ)(高洲4-138)

山号を正光山という日蓮宗の寺。室町時代末期の開創で、真間山未下総国松戸大雄寺と称した。江戸時代に太日川(江戸川)の掘り替えで移転、更に大正、昭和と移転し現在地に安住。初めは江戸川対岸の今の松戸市にあったのだろう。

Img_6387 大黒天

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