大王町の坂(三重県志摩市)
2009年2月13日
近鉄奈良→大和八木(近鉄特急)→鵜方 バス→波切(なきり)・志摩市観光協会大王町案内所・・・大慈寺・・・堂の山(汗かき地蔵・薬師堂・思案地蔵)・・・伝三(でんざ)坂・・・波切漁港・・・製氷工場跡裏の坂・・・産屋(おびや)坂・・・荒瀬丘(こうじゃおか)・・・ダンダラボッチ公園・・・仙遊寺・・・波切神社・・・崎山公園・・・大王埼灯台・・・波切九鬼城址(八幡さん公園)・・・宝門(ほも)の浜・・・龍王閣前の石段坂・・・伝三坂・・・大慈寺前の石段坂・・・桂昌寺・・・大王小坂バス停→鵜方駅
石畳の坂道、白亜の大王埼灯台、「絵かきの町」大王町の坂道散歩です。鵜方からのバスはご老人ばかり。ノンステップバスではなく乗降口の段差が大きいので、乗り降りがしんどくて可哀そうだ。これも都会と地方の格差の表れか。20分ほどで波切バス停に着く。そばの観光案内所で坂の位置を確認する。案内所の女性が大慈寺の「てんれい桜」(河津桜)が咲き始めているといい一緒に見に行く。確かに濃いピンク色の花が三分咲きほどで鮮やかだ。2.3日暖かい日が続くようなので一挙に開花してしまうだろう。(17日には見頃になったそうだ)
てんれい桜をめでた後、大慈寺の波切石の石積みの塀に沿う坂から坂道散歩に取りかかる。堂の山と呼ぶ小高い一画には、薬師堂、汗かき地蔵堂、思案地蔵堂や庚申堂、馬頭観音堂など民間信仰のお堂が並んでいる。伝三(でんざ)坂、産屋(おびや)坂(上の写真)は古びた石段と石畳、波切石の石垣の坂で、ここから風景写生でもしたくなる情緒あふれる坂だ。絵かき達にも親しまれているスポットだ。似たような坂は他にもあるが名前はついていないようだ。おびや坂はこの坂のどこかに帯屋があったのかと思っていたが産屋だった。ここは漁港だし帯屋よりは産屋(うぶや)の方が似つかわしいが。でも産屋はなく子安観音の小祠と災害避難所の産屋坂休憩所がある。
産屋坂の坂上から荒瀬(こうじゃ)丘へ寄り、ダンダラボッチ公園へ下る。各地にある巨人伝説がここにもある。波切漁港に沿って九鬼水軍ゆかりの仙遊寺から大王崎に入る。大王埼灯台は外から眺めるだけかと思っていたが中に入れた。展望台まで細い螺旋階段を上る。観光客が多い時の昇降は大変だろう。曇り空の下の眺望を楽しんだ後、波切九鬼城址の八幡さん公園へ下る。土産物屋が並ぶ通りを下り、宝門浜へ出て龍門閣前の味のある石段を上ると伝三坂の坂上に出る。再び大慈寺に出て前の石段坂を上ってみた。
大王町を「東海の尾道」、「東洋のニース」と呼ぶ人もいるそうだが、ちょっと大げさ過ぎるというのが今日歩いた感想だ。でも坂道好きには歩きがいのある町であることは間違いない。これで今回の坂道散歩を終え、鵜方から名古屋へ出て東京へ向った。名古屋からの新幹線の自由席は満杯の状態、東京駅の新幹線乗場も金曜の夜のせいか混み合っていた。しかし、新幹線の乗客数は昨年に比べ4%も減っているという。これも不況のせいか。
【地図】
写真をクリックすると拡大します。
「絵かきの岬」とある。
「てんれい桜」(河津桜)が咲いている。先代住職の秀森典嶺氏が1992年、静岡県河津町の人に枝を分けてもらい、花を咲かせることに成功した。現住職が先代の名前にちなんで名づけたという。
2月28日とあるが、17日には見頃を迎えたそうだ。
右は大慈寺の波切石の石垣。波切石は玄武岩のような硬い石で、海底から押し上げられた岩が砕けた石。
このまま行くと下りとなって宝門の浜へ出る。
火除け、火伏せの神
ある時、大王島の沖で漁師の網に掛かったという。この地蔵は吉祥の時は白い汗を流し、災難の時は民衆に代わって苦しみ黒い汗を流す。ゆえに代苦地蔵ともいう。数々の霊験譚が由来書に載っている。「汗かき地蔵祭」も行われる今も土地の人々の信仰が厚い地蔵さんのようだ。
由来:「波切騒動の顛末-①天保元年(1830)に大王島沖で幕府の御城米を積んだ船が難破。 ②翌日、村の漁民が船を発見し積荷の米を持ち帰る。 ③しばらくして幕府の役人が夜更けに覆面をして村に捜査に潜入した。 ④村人たちは役人たちを盗賊と思い殺した。(役人の一人を殺したとも)④幕府は庄屋以下14人を捕らえ処刑し、村人475名を罰した。 ⑤ほとぼりが冷めた頃、村の和尚がこの地蔵を彫り、犠牲者を弔った。」 なぜ、村の和尚は思案する地蔵像にしたのか? そもそもこの像は思案している姿なのか? 村人は積荷の米を猫糞(ねこばば)し、役人を役人と知っていて殺したというのが本当のところでは。
時代は定かではありませんが、地主岡松三郎が年貢米を運ぶ坂道を小作人のために整備した坂で、坂の途中に伝三屋という家があったためその名がつきました。(観光案内パンフの説明文)
左は秋葉山の祠
手すりのついているカーブする坂。坂上を進むと産屋(おびや)坂の坂上に出る。
左に稲荷の小祠
波切漁港、大王埼灯台方向
昔は、出産を不浄で汚れと考え、妊婦が産気づくと産屋と呼ばれる家に入れ、出産や静養をさせました。波切では子安観音を祀っていたおかげで、産屋に行かずにすみました。その子安観音を祀ってある坂を産屋(おびや)坂と呼んでいます。この坂は波切石工の技が光る石垣がすばらしく、絵の画題として、絵かきさん達にも親しまれています。(観光案内パンフの説明文) 産屋はなかったのになぜ産屋坂という名をつけたのか? 子安観音を産屋の代わりに考えているのだろうか?
左が子安観音の祠だが、観音像はなかった。
ここに産屋があったとは考え過ぎか。
各地に残る巨人伝説、ホラ話の一つ。「ダイダラボッチ」という所が多いようだ。
江戸時代に海賊大名の異称をとった、水軍波切九鬼氏の墓がある。
「波切のわらじ祭」:毎年9月の申(さる)の日に、ダンダラ法師の伝説により、畳一畳ほどの大わらじをかついだ若衆がこの浜から大わらじを流して海の安全を祈る。
映画監督の小津安二郎がフランスのニースに似ている情景と言った眺めだが・・・。この程度の風景ならニースもなんてことないだろうよ。
宝門(ほも)の浜方向、「宝門でホモと読むとはこれいかに」???
波切九鬼城のあった頃から祀られていたのだろうか。
八幡さん公園から 海産物、真珠の土産物屋が並ぶ通りを下って宝門の浜へ。
平日のこともあり閑散としている。真珠は安いらしいが・・・。
坂上を行けば伝三坂の坂上、龍門閣前から宝門の浜へ通じている。
前を猫が悠然と歩いている。
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