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2009年2月16日 (月)

尾道市の坂-1

2009年2月8日

Img_7259_2 尾道駅・・・土堂小学校・・・二階井戸・・・持光寺・・・光明寺・・・海福寺・・・吉備津彦神社(一宮さん)・宝土寺・・・千光寺新道・・・志賀直哉旧居・・・文学記念室・・・千光寺道・・・天寧寺坂・・・天寧寺・・・艮(うしとら)神社・ロープウエイ山麓駅・・・妙宣寺・・・慈観寺・・・正授院・・・善勝寺・・・猫の細道・・・天寧寺坂・・・千光寺道・・・千光寺・石鎚山鎖修行女鎖場・・・観音坂・ポンポン岩・岩割の松・・・・千光寺公園展望台・・・尾道市立美術館・・・尾道城・・・土堂小学校・・・尾道港・・・尾道駅

 春のような陽気の中を坂と猫の街、尾道の古寺を巡る坂道散歩です。尾道駅北側の丘の目立つ建物は尾道城だが本物の城ではない。今日の最後に千光寺公園から下って寄ることにして、山陽本線を渡り土堂小学校の前から細い坂道を上り始める。横浜、横須賀、神戸、長崎の坂風景にも似通った所がある道だ。日曜のせいか千光寺新道あたりから散策している人たちが多くなる。

 千光寺道へ出て途中から天寧寺の海雲塔(三重塔)を回り込むように天寧寺坂を下る。(上の写真) 坂下の千光寺山ロープウエイ山麓駅から善勝寺まで巡り、今日はここまでで引き返す。艮(うしとら)神社脇の猫の細道を上り、天寧寺坂の途中に出て、千光寺道を上って千光寺へ。舞台造りの本堂は参拝客(観光客か?)で賑わっていた。このあたりは玉の岩、三重岩、ポンポン岩、石鎚山修行鎖場など巨岩が多い。女鎖場(男鎖場は閉鎖されている。)から小祠のある岩に上ってみる。観音坂から展望台へ上る。標高140mくらいあるようだ。尾道水道方向の眺望を楽しんだ後、市立美術館の前を通り尾道城の方へ下る。こっちの方は歩いている人は皆無だ。

 廃墟となって放置されたままの模擬城(千光寺公園の西展望台跡)は痛々しい感じだ。駅前の尾道港でしばし休憩。尾道水道を挟んで向島までは300mもないだろう。渡船や行き交う船を見ていると落ち着いた気分になり、いつまでも飽きない。今日は歩いた距離は短いものの、起伏があり見所も多いので半日近くかかった。少し暗くなりかけた頃、港を後にして宿に向った。

  【地図

  *参考『古寺めぐりコース』・『おのなびマップ』(尾道観光協会)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_7099 尾道城(尾道駅近くから)

Img_7103 土堂小学校の前から右へ細い道を上る。

Img_7108 二階井戸

Img_7106 説明板

Img_7107 下にあった井戸から水を汲み上げたのだろう。坂の街の暮らしの工夫。

Img_7111 持光寺

石の山門をくぐって境内へ。「絹本著色普賢延命像」は国宝。

Img_7112_2説明板

Img_7117 光明寺への道

Img_7120 光明寺

Img_7123 説明板

Img_7133 蟠龍(ばんりゅう)の松

Img_7129 海福寺

『三つ首様伝説』の寺

Img_7127 説明板

Img_7128 三ツ首様

処刑された盗賊の首を祀ってたもの。首から上の病に霊験あらたか。

Img_7135 宝土寺へ

Img_7138 吉備津彦神社(一宮(いっきゅう)さん)

11月3日には奇祭「ベッチャー祭」が行われる。

Img_7137 由緒

Img_7142 宝土寺

Img_7141 説明板

Img_7145 観音堂

Img_7147 千光寺新道

Img_7153 坂上方向

Img_7154 坂下方向

Img_7157 坂下方向

正面向こうは尾道水道

Img_7152 志賀直哉旧居(おのみち文学の館)

大正元年に移り住んだ家。その後、我孫子でも暮らし、さらに奈良にも移住し、新薬師寺近くに旧宅が残る。

Img_7151 説明板

役人的な偉そうな文章でいただけない。

Img_7161 林芙美子の「放浪記」碑(文学記念室(2020年3月閉館)の前)

幼少時代に尾道で暮らす。終の棲家は新宿区落合(中井)で、「四の坂」沿いに林芙美子記念館として公開されている。

Img_7166 千光寺道へ

Img_7168 千光寺道の上り口

石段を少し上った所をJR山陽本線が通る。むろん昔は線路に分断されることなく、千光寺まで上っていた。

Img_7169 踏切を渡って上って行く。

Img_7172 坂下方向  

Img_7178 坂下方向

Img_7264 天寧寺坂の坂上から

三重塔、尾道水道、新尾道大橋(右上)、そして右手前の塀の上に猫が・・・。ここは撮影スポットで、猫もそれを知っていて、ここでポーズをつくって座り、餌をくれる観光客を待っているのだろうと勝手に想像した。猫はニャンとも言わないので、真偽のほどは分からないが。

Img_7184 天寧寺坂(坂下方向) 千光寺道の途中から天寧寺の海雲塔(三重塔)に沿って、千光寺山ロープウエイ山麓駅の方へ下る坂。 

Img_7204 坂下方向

Img_7209 坂上方向

Img_7211 坂下方向

Img_7226 天寧寺山門

Img_7216 本堂

Img_7220 説明板

Img_7218 五百羅漢

Img_7227艮(うしとら)神社

旧市内で最古の寺。右は樹齢900年という大クス。

Img_7229 妙宣寺

Img_7230 説明板

Img_7233 慈観寺

“ぼたん寺”で「夫婦松」もある。

Img_7235 説明板

Img_7236  正授院

Img_7237 説明板

Img_7239 時計店

時計の模型はいつも12時を指したままなのか?

Img_7241 善勝寺

ちょうどロープウエイがすれ違う。

Img_7240 説明板

Img_7243 四国八十八ヶ所御砂踏霊場(善勝寺境内)

各霊場の砂が埋めてある。

Img_7246 猫の細道  

右は艮神社、上って行くと天寧寺坂の途中に出る。左は「招き猫美術館」?

Img_7253 坂下方向

Img_7271 千光寺

正面は三重岩(みかさねいわ)

Img_7296 説明板

Img_7277 石鎚山鎖修行の女鎖

鎖の大きい輪に足を掛けて登る。

Img_7291 石鎚山の小祠

Img_7292

祠の岩上から

尾道水道、 新尾道大橋、尾道大橋方向

その昔、岩の頂の光る玉が、このあたり一帯を照らしていたとの言い伝えがあり、尾道水道は別名「玉の浦」とも呼ばれている。

志賀直哉の『暗夜行路』の一節、「玉の浦については、この千光寺にある玉の岩のてっぺんに昔、光る珠があって、どんな遠くからでも見られ、その光で町は夜戸外(そと)に出るにも灯りがいらなかったが、ある時、船で沖を通った外国人が、この岩を見て売ってくれと言いに来た。町の人々は山の大きな岩を売ったところでまさかに持って行かれはしまいと、承知すると、外国人は上の光る所だけをくり抜いて持って行ってしまった。それからは、この町でも、月の光のない夜はほかの土地同様、提灯を持たねば戸外を歩けぬようになったという話である。(中略)彼は町の人々が祖先の間抜けだった伝説をそのまま言い伝えているところが、なんとなくのんきで、おもしろい気がした。」

Img_7287千光寺山ロ-プウエイ

Img_7298 観音坂(坂上方向) 

千光寺の本尊、千手観音による坂名。

Img_7302 坂下方向

Img_7304 坂上方向

Img_7308 坂上近く

右は「ポンポン岩」(鼓岩)

Img_7309 説明板

Img_7319 展望台から新尾道大橋方向

Img_7324 尾道水道、向島方向

Img_7328尾道城(中央)・市立美術館(手前右)

Img_7331 尾道城

1964年(昭和39年)に千光寺公園の西展望台としてに建てられた模擬天守。1990年代に閉鎖され、今は廃墟と化したまま放置されている。屋根上の鯱も一つだけになっている。今後、この建物をどうするかは結論が出ていないそうだ。

Img_7335 「全国の城博物館 尾道城」の入口跡

Img_7333 雑草が蔓延り、番兵もむなしく立っている。

「兵どもが夢の跡」か

Img_7343 天守台がやけに長く大きいアンバランスな造りだ。

Img_7352 下って市街へ

Img_7356 土堂小学校の脇へ下る。

Img_7368 尾道港

向島への福本渡船で、運行は随時の「ひんぱん運行」、近くに駅前渡船、尾道渡船もあり住民の橋、足代わりになっているようだ。

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