尾道市の坂-1
2009年2月8日
尾道駅・・・土堂小学校・・・二階井戸・・・持光寺・・・光明寺・・・海福寺・・・吉備津彦神社(一宮さん)・宝土寺・・・千光寺新道・・・志賀直哉旧居・・・文学記念室・・・千光寺道・・・天寧寺坂・・・天寧寺・・・艮(うしとら)神社・ロープウエイ山麓駅・・・妙宣寺・・・慈観寺・・・正授院・・・善勝寺・・・猫の細道・・・天寧寺坂・・・千光寺道・・・千光寺・石鎚山鎖修行女鎖場・・・観音坂・ポンポン岩・岩割の松・・・・千光寺公園展望台・・・尾道市立美術館・・・尾道城・・・土堂小学校・・・尾道港・・・尾道駅
春のような陽気の中を坂と猫の街、尾道の古寺を巡る坂道散歩です。尾道駅北側の丘の目立つ建物は尾道城だが本物の城ではない。今日の最後に千光寺公園から下って寄ることにして、山陽本線を渡り土堂小学校の前から細い坂道を上り始める。横浜、横須賀、神戸、長崎の坂風景にも似通った所がある道だ。日曜のせいか千光寺新道あたりから散策している人たちが多くなる。
千光寺道へ出て途中から天寧寺の海雲塔(三重塔)を回り込むように天寧寺坂を下る。(上の写真) 坂下の千光寺山ロープウエイ山麓駅から善勝寺まで巡り、今日はここまでで引き返す。艮(うしとら)神社脇の猫の細道を上り、天寧寺坂の途中に出て、千光寺道を上って千光寺へ。舞台造りの本堂は参拝客(観光客か?)で賑わっていた。このあたりは玉の岩、三重岩、ポンポン岩、石鎚山修行鎖場など巨岩が多い。女鎖場(男鎖場は閉鎖されている。)から小祠のある岩に上ってみる。観音坂から展望台へ上る。標高140mくらいあるようだ。尾道水道方向の眺望を楽しんだ後、市立美術館の前を通り尾道城の方へ下る。こっちの方は歩いている人は皆無だ。
廃墟となって放置されたままの模擬城(千光寺公園の西展望台跡)は痛々しい感じだ。駅前の尾道港でしばし休憩。尾道水道を挟んで向島までは300mもないだろう。渡船や行き交う船を見ていると落ち着いた気分になり、いつまでも飽きない。今日は歩いた距離は短いものの、起伏があり見所も多いので半日近くかかった。少し暗くなりかけた頃、港を後にして宿に向った。
【地図】
*参考『古寺めぐりコース』・『おのなびマップ』(尾道観光協会)
写真をクリックすると拡大します。
下にあった井戸から水を汲み上げたのだろう。坂の街の暮らしの工夫。
石の山門をくぐって境内へ。「絹本著色普賢延命像」は国宝。
『三つ首様伝説』の寺処刑された盗賊の首を祀ってたもの。首から上の病に霊験あらたか。
11月3日には奇祭「ベッチャー祭」が行われる。
正面向こうは尾道水道
志賀直哉旧居(おのみち文学の館)
大正元年に移り住んだ家。その後、我孫子でも暮らし、さらに奈良にも移住し、新薬師寺近くに旧宅が残る。
役人的な偉そうな文章でいただけない。
林芙美子の「放浪記」碑(文学記念室(2020年3月閉館)の前)
幼少時代に尾道で暮らす。終の棲家は新宿区落合(中井)で、「四の坂」沿いに林芙美子記念館として公開されている。
石段を少し上った所をJR山陽本線が通る。むろん昔は線路に分断されることなく、千光寺まで上っていた。
三重塔、尾道水道、新尾道大橋(右上)、そして右手前の塀の上に猫が・・・。ここは撮影スポットで、猫もそれを知っていて、ここでポーズをつくって座り、餌をくれる観光客を待っているのだろうと勝手に想像した。猫はニャンとも言わないので、真偽のほどは分からないが。
天寧寺坂(坂下方向) 千光寺道の途中から天寧寺の海雲塔(三重塔)に沿って、千光寺山ロープウエイ山麓駅の方へ下る坂。
天寧寺山門
旧市内で最古の寺。右は樹齢900年という大クス。
“ぼたん寺”で「夫婦松」もある。時計の模型はいつも12時を指したままなのか?
ちょうどロープウエイがすれ違う。
各霊場の砂が埋めてある。
右は艮神社、上って行くと天寧寺坂の途中に出る。左は「招き猫美術館」?
正面は三重岩(みかさねいわ)
鎖の大きい輪に足を掛けて登る。
祠の岩上から
尾道水道、 新尾道大橋、尾道大橋方向その昔、岩の頂の光る玉が、このあたり一帯を照らしていたとの言い伝えがあり、尾道水道は別名「玉の浦」とも呼ばれている。 志賀直哉の『暗夜行路』の一節、「玉の浦については、この千光寺にある玉の岩のてっぺんに昔、光る珠があって、どんな遠くからでも見られ、その光で町は夜戸外(そと)に出るにも灯りがいらなかったが、ある時、船で沖を通った外国人が、この岩を見て売ってくれと言いに来た。町の人々は山の大きな岩を売ったところでまさかに持って行かれはしまいと、承知すると、外国人は上の光る所だけをくり抜いて持って行ってしまった。それからは、この町でも、月の光のない夜はほかの土地同様、提灯を持たねば戸外を歩けぬようになったという話である。(中略)彼は町の人々が祖先の間抜けだった伝説をそのまま言い伝えているところが、なんとなくのんきで、おもしろい気がした。」千光寺の本尊、千手観音による坂名。
右は「ポンポン岩」(鼓岩)
1964年(昭和39年)に千光寺公園の西展望台としてに建てられた模擬天守。1990年代に閉鎖され、今は廃墟と化したまま放置されている。屋根上の鯱も一つだけになっている。今後、この建物をどうするかは結論が出ていないそうだ。
「兵どもが夢の跡」か
向島への福本渡船で、運行は随時の「ひんぱん運行」、近くに駅前渡船、尾道渡船もあり住民の橋、足代わりになっているようだ。
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