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2009年3月27日 (金)

四国遍路道(愛媛県-11)

2009年3月10日

Img_9077_2今治ステーションホテル・・・56番泰山寺・龍泉寺(番外霊場・56番奥の院)・・・山手橋(蒼社川)・・・57番栄福寺・八幡神社・・・犬塚池・・・58番仙遊寺五郎兵衛坂・・県道156号・・・(JR予讃線)・・・国分橋(頓田川)・・・59番国分寺・・・県道156号・・・道の駅今治湯ノ浦温泉・・・(JR予讃線・今治小松自動車道)・・・(西条市)・・・栴檀寺(世田薬師)(番外霊場)・永納山城跡・・・自安橋(北川)・・・春日神社・天満宮・・・道安寺・・・臼井御来迎(番外霊場)・・・実報寺(番外霊場)・・・天ケ城址・・・興雲庵・・・日切大師(弘福寺・番外霊場)・光明寺・・・敷島旅館

 今日はいい天気だ。今治駅を抜け西に向う。このあたりは学校が多く通学時間帯でいろんな生徒とすれ違う。真っ直ぐに高校野球で有名な今治西高、県道156号、国道196号を越えると住宅街に56番泰山寺がある。裏の奥の院龍泉寺から蒼社川までの遍路道も、ほぼ一直線だが工事中だ。違う道を迂回すると道を間違うこともあるので工事関係者にことわり工事中の遍路道を突っ切る。

 蒼社川にぶつかると昔の道標は川を渡るように指をさしているが、ここは迂回して山手橋を渡る。小高い57番栄福寺へ上り、面白い伝説の犬塚池の畔から58番仙遊寺へと上って行く。山門の脇に大きなリュックが置いてある。歩き遍路の物だろう。少し上の大師のお加持水を金髪の青年がうまそうに飲んでいた。これがリュックの持ち主の英国の青年野宿遍路(仮にリチャードと呼ぶ)だ。ここから本堂までもけっこうな石段の上りが続く。本堂脇の小さな売店で、熱くて甘く美味しいゆずジュースのお接待をいただく。

 五郎兵衛坂を下り上の写真は下って少し平らになったあたり)、59番国分寺との分岐で道標に従い右へ番外霊場の竹林寺の方へ下る。少し行くと平坦な一般道になるが道標は見当たらない。民家の人に聞いても竹林寺は知らないようだ。池沿いに歩いていたらいつの間にか国分寺への遍路道に出てしまった。伊予富田駅の南側で予讃線を渡る。伊予の国府はこのあたりらしいが、所在地ははっきりしていないようだ。59番国分寺は駐車場は広いが境内は狭く、昔の面影も残っていない寺ですぐに立ち去り、近くの国分寺七重塔跡を見に行く。周辺は住宅街で、ここに高さ60mもの塔が立っていたとは。

 県道156号に出て南へ、伊予桜井駅を過ぎてしばらく行って「道の駅今治湯ノ浦」で小休止。予讃線をくぐり、今治小松自動車道沿いの殺風景な道を上って世田薬師の栴檀寺へ着く。奥の院のある世田山(280m)までは1.5kmの遊歩道が続いていてどうしようか迷ったが今回は遠慮?した。古代の山城の永納山城跡を後ろに見て下り、まだ時間も早いので北川の自安橋の手前のベンチで30分ほど昼寝だ。風は少し強いが、陽射しがちょうどいい暖かさで気持ちがいい。

 予讃線を挟んで道安寺と臼井御来迎という大師の加持水井戸がある。井戸端で老婦人たちと少しお喋りをして、西へ北川を越えて実報寺へ寄り、古い家並みの道を通り、日切大師を抜け光明寺門前のもとの道に戻った。野宿遍路のリチャードはこの寺の境内に泊めてもらったそうだ。札所の寺はもとより、今では泊めてくれる寺はほとんどないという。そんなことにもめげず(気にかけずか)歩き通しているのだから大したものだ。

 ちょうど5時近くで宿に入るのにはいい時間だ。大明神川沿いに進み、交差点から左に入ると右に敷島旅館が見えるはずだが見えない。かなり進んでまた戻ってゆっくり探していると反対側の路地の奥から○○さんと呼ぶ女の声が。むろんこんな所で私の名を知っているのは旅館のおかみだけ。地図の標示が間違いか、見方が悪いのか、まあそんなことはどうでもいい。裏口から玄関に回って明るい部屋に通され早速フロだ。洗濯のお接待もしてもらい有り難い限りだ。泊まりは私一人。3日連続夕食の相手がいないのはちと寂しいが、今夜の料理は近所の人が近くの山で生け捕った猪の肉のしゃぶしゃぶだ。大きい鍋に肉と大盛りの野菜とビールですっかり満腹、満足で早寝とした。

 明け方だろうか、サイレンのような、犬の遠吠えのような音が長く聞こえたような気がした。まだ夢うつつで起きたらその事はすっかり忘れて何の音だったのかおかみさんにも聞かなかった。後で知ったのだが、光明寺に泊まったリチャードの話では港か海(東予港か燧灘)で火災があったという。空が真っ赤に染まっていたという。昨日食べた猪の怨念の声でなくてほっとした。

  【ルート地図】(545→559)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_9013 56番泰山寺の参道

Img_9014 泰山寺

【ル-ト地図】の545

泰山は、①延命地蔵経十大願の第一「女人泰産」から。②中国の道教の五岳の一つ東岳泰山からとの説がある。道教・仏教・神道→修験道→四国遍路はつながりがあるようだ。

Img_9015 本堂

本尊は地蔵菩薩像

Img_9018 龍泉寺(56番奥の院)

本尊は十一面観音で、「穴場さま」、「穴観音」と呼ばれ婦人病に霊験あり。

Img_9020 鏝絵の十一面観音

Img_9021説明板

Img_9023 57番への遍路道

Img_9024 蒼社川土手の道標

昔、遍路は川の水量が少ない時はここを渡った。道標の指が川を渡れと指している。水量が少なくてもこんな草ぼうぼうの所はごめんだ。

Img_9025 今は山手橋を渡って栄福寺へ

昔は蒼社川は氾濫を繰り返し、「人取川」と恐れられていた。元は「総社川」だった。伊予富田駅の南に神宮寺総社があったらしい。

Img_9031 府頭山57番栄福寺

【ル-ト地図】の546

本尊は阿弥陀如来像。山頂(府頭山)の石清水八幡宮が元の札所でここは別当寺だった。八幡は阿弥陀の本地仏、権現という。59番国分寺近く(伊予富田駅近くの富田小学校あたり)に伊予の国府があったことから府頭山の山号がある。

Img_9034 栄福寺前から

Img_9032栄福寺前から上った岩清水八幡宮が元の札所。

【ル-ト地図】の547

栄福寺を通り越して、この石段を上って八幡宮の境内をウロウロする遍路もいた(いる)とも。

Img_9041 犬塚池 【ルート地図】の548

犬塚池の伝説:「昔、栄福寺と仙遊寺を兼務していた住職がいた時、その愛犬に二つの寺の使いをさせていた。ある時、使いの合図の鐘が両方の寺で同時に鳴ったので、犬はどちらに先に行くか迷って、困り果て遂に狂って、寺の間のこの池に飛び込んで死んでしまった。村人は犬を池の畔に葬り、犬塚を設け、この池を犬塚池と名づけたという。」

八幡山は栄福寺で、作礼山は仙遊寺のこと。静かできれいな池で、犬が死んだ池というより、水鳥の浮かぶ池にふさわしい。

Img_9046_2 58番への遍路道から

Img_9052 58番仙遊寺

【ル-ト地図】の549

養老年間にこの山で40年間も読経三昧で暮らしていた阿坊仙人が、ある日突然雲の如くいなくなったという伝説にちなむ寺号。これも道教の飛仙を想像させる話。

Img_9064大師の加持水(山門から少し上った所)

ここで英国の青年野宿遍路(仮にリチャードと呼ぶ)に出会う。

Img_9054 由来

Img_9065 加持水あたりから山門方向

Img_9059 鐘楼・本堂

本尊は「竜女一刀三礼」の作という千手観音

Img_9058 説明板

Img_9060 大師堂

Img_9070 五郎兵衛坂(坂上) 仙遊寺の門前から下る坂。【ルート地図】の550

仙遊寺の太鼓の騒音で、魚が逃げてしまい、生活を脅かされ、あげくの果てはこの坂で転び、仏罰で死んでしまった漁師の五郎兵衛さんは哀れだ。転ぶと三年以内に死ぬという「三年坂」と同じで、「急坂なので気をつけて下れ」という戒め坂名だ。

Img_9069 由来話

Img_9074 坂下方向

Img_9081 59番国分寺(左)と竹林寺(右)への分岐

「智慧文殊尊道」とある。番外霊場の竹林寺への道だが、この後、道標も見あたらず、里の道に出て民家の人に聞いても竹林寺を知らないようだった。

Img_9091 59番国分寺

【ル-ト地図】の551

山門がなく狭い境内で、創建当時の大伽藍の様子を偲ぶよすがもない。回りに木が少なく明るいというより、殺風景な感じの寺だ。藤原純友の乱から戦国時代の長宗我部の兵火まで4回も焼かれてしまったが、宗派は真言律宗を守っているのがこの寺の歴史。

Img_9094 大師堂

Img_9100 国分寺塔跡

この礎石の上に高さ60mもの七重塔が立っていたという。

Img_9102 説明板

Img_9103 繰型突起、繰型座の柱受け部分

Img_9104 法華寺(新四国曼荼羅霊場)への道だがパスした。

Img_9107_2 JR予讃線が右側を走る。

Img_9108 道の駅今治湯ノ浦温泉

Img_9111 JR予讃線・今治小松自動車道をくぐり殺風景な道を行き西条市に入る。

Img_9120 栴檀寺(世田薬師) 【ルート地図】の552

行基の創建し、大師が逗留して日光、月光菩薩像を安置。「病封じ」の寺という。

Img_9122 案内図

本堂は世田山の奥の院にあるようだ。ここは何国立公園なのだろうか?

Img_9119大師堂

Img_9116 三宝荒神社

右の石柱が伊予の守護の世田城主、大館氏明の位牌か?

Img_9115説明板

Img_9117「日本初神仏結合の霊場の集大成」とある。

Img_9134 永納山城跡・永納山トンネル方向

吉備の鬼城と同じ古代の山城跡

Img_9128 説明板

Img_9140 春日神社(左)・天満宮

Img_9141 説明板

Img_9144 供山廃寺の宝篋印塔

鎌倉時代のもの。

Img_9143 説明板

Img_9145知足庵の馬頭観音

Img_9146写真だけで堂内の鎌倉時代の作という馬頭観音像は見えず。

Img_9147 道安寺

【ル-ト地図】の554

大師が四国巡錫のみぎりこの寺に逗留し、掘った井戸が臼井御来迎という。今日は祭事日なのか土地の人が多い。

Img_9148 説明板

Img_9155 臼井御来迎(番外霊場)

【ル-ト地図】の555

大師が掘ったというお加持水。

Img_9154 井戸の前の小さな小屋

ここに座っていた5人のご老女たちと、しばらくお喋り。この井戸のことはあまり知らないようだった。

Img_9156_2 実報寺への道

Img_9157 実報寺(番外霊場) 【ルート地図】の556

この寺にも大師が逗留し、閼伽井戸を掘ったという。本尊は地蔵菩薩

Img_9160 本堂

Img_9164 釜堂?

Img_9167 天ケ城址あたり(実報寺の南側)

Img_9166 説明板

Img_9169 興雲庵

Img_9168 説明板

Img_9175 おやまはん常夜灯

このあたりの道筋、家並みは落ち着いたいい雰囲気だ。

Img_9174 説明板

Img_9178 日切大師(弘福寺・番外霊場) 【ルート地図】の557

大師が当時で日切の誓願を立てたと伝える。数多くの霊験談が残っているそうだ。

Img_9181 光明寺

【ル-ト地図】の558

リチャードはこの境内に泊まらせてもらったと後で(60番横峰寺で)聞いた。

Img_9184 敷島旅館

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