四国遍路道(愛媛県-12)
2009年3月11日
敷島旅館・・・大明神川橋・・・円照寺・・・新町代官所跡・・・出合橋(新川)・・・天満宮・・・古戸川橋・・・恵美州神社・・・丹原温泉・・・福岡八幡神社・生木(いきき)地蔵(別格二十霊場第11番札所正善寺)・・・県道147号・・・石鎚橋(中山川)・・・(国道11号)・・・石土神社・妙雲寺(番外霊場)・・・(松山自動車道)・・・(河内八幡神社)・・・湯浪橋(妙之谷川)・・・尾崎八幡宮・・・60番横峰寺・星ケ森(820m・番外霊場)・・・白滝奥の院(番外霊場)・・・(松山自動車道)・大谷池・・・高鴨神社・・・61番香園寺・・・三嶋神社・・・(国道11号・JR予讃線)・・・清楽寺(番外霊場)・・・62番宝寿寺・・・(JR予讃線)・・・一国一之宮神社・・・(JR予讃線)・・・ビジネス旅館小松
大明神橋を渡り、県道150号から155号に入り、南へ60番横峰寺を目指す。途中の丹原町今井で西に入り生木地蔵に寄る。小さな丹原温泉を過ぎ、立派な施設が並ぶ丹原東中学校の隣りが福岡八幡神社でその隣りが正善寺の生木地蔵だ。ちょうどバスで来た巡拝の団体さんが本堂で経を唱えていた。ここは別格二十霊場の一つで参拝者が多いのだろう。
石鎚橋を渡り、石鎚信仰の石土神社、妙雲寺を過ぎ、松山自動車道をくぐるとゆるやかで長い県道147号の上りとなる。車がほとんど通らないのはいいが、妙之谷川沿いの大きなカーブが続く単調な道で、いい加減に飽きがくる。湯浪集落の尾崎八幡神社の先でやっと横峰寺への山道となる(上の写真) 横峰寺までは2.2km、ここは標高300mで横峰寺は745mけっこうきつい上りだが車道歩きよりはましだ。
途中で、前を大きなリュックの一人歩きの女性遍路が上って行く。歩く遍路に出会うのは久しぶりだ。「頑張って」、「気をつけて」のあいさつを交わして追い抜いて行く。彼女は長野の清里でペンションをやっているというK子さんで、この後、横峰寺、小松の宿で一緒になる。上りきって横峰寺の山門前から先に奥の院の星ケ森へ上る。石鎚山の姿を拝めるとは期待していなかったが、くっきりと雪の残る頂を目の前にして疲れもぶっ飛んだ? 山を見ながらコンビニで買ったパンをかじって昼飯とする。道標には820mとある。陽射しはあるもののじっとしていると寒くなってくる。山門へ下り、境内へ入ると野宿遍路リチャードと、K子さんがいた。2人とも星ケ森には行かないようだ。ちょっと惜しいような気がしたが、人それぞれの巡り方で歩いているのだ。
白滝奥の院(61番奥の院)へは横峰寺の境内から下って行く。滑って転ばないように注意して下りて行くが、やっぱり下りの方が気楽だ。リチャードが歌いながら(英語の歌)すたすたと追い抜いて行った。平坦な一般道に出るあたりに白滝奥の院がある。61番香園寺の大聖堂を感じさせる堂が立ち、奥の白滝の上にコンガラとセイタカ童子を従えた不動明王が立っている。小さな滝だがここはれっきとした滝の行場なのだ。車で来ていた地元のおばさんはこの滝を知らなかったようで感心?していた。上に松山自動車道が走る大谷池を過ぎると、さっきのおばさん達が道端の草を摘んでいる。見ると土筆(つくし)とよもぎだった。リチャードもいておばさん達に小さなブローチみたいなものをお接待?していた。
61番香園寺の大聖堂の前は何とか祭りの準備らしく賑わっていた。リチャードは数珠を持ち般若心経を唱え、その後で尺八の音色を納音?している。とても真似のできるものではない。こちらは大聖堂の中に入って、お参りというより見学をして退散する。三嶋神社から国道11号と予讃線を越え清楽寺に寄ってから62番宝寿寺へ向う。今は国道と予讃線に挟まれ縮んだ感じの寺だ。元は線路向こうの一国一之宮神社の所にあって予讃線も通ってなく寺域も広かったようだ。
伊予小松駅近くのビジネス旅館は混んでいるらしく、別館(肉屋の2階)に案内された。6時過ぎにやっと夕食のお呼びがかかる。4人連れの高年婦人たちの隣りに座らせられる。テーブルの上は鍋だ。それも昨日と同じシャブシャブだ。肉は猪ではないが、2日続くとは。といっても腹が空いているから何でもいい。鍋をつつきながらビールを飲んでいると前の席にK子さんが座った。今回の遍路歩きで夕食で話相手がいるのは初めてだ。ペンションを経営しているだけあって泊まった宿の話が多くなる。いくつか同じ宿に泊まっているが、こちらの印象と彼女の評価が違うのが面白い。K子さんも缶ビールをおかわりし、こちらは焼酎に切り替えお湯割りを頼んだら1合?のワンカップと湯のポットが出てきた。全部飲んだらちょっと飲み過ぎだとは思ったが、残すようなもったいないことをする酒飲みではない。すっかり気持ち良くなって別館に戻る。明日の宿を予約するのも面倒になって、テレビを見ているうちに寝てしまった。
【ルート地図】(560→576)
写真をクリックすると拡大します。
【ル-ト地図】の561今は新町駐在所
共同浴場か?
古代より周敷一円の神で、後に石清水八幡神社の別宮を合祀した。爾来、武家武将の厚い尊崇を受けてきた。
生木地蔵尊は腰から上の病いに御利益あり。
大師が一夜でこの楠に地蔵菩薩を刻んだという。本堂と大師堂の間に立っていたが、昭和29年の洞爺丸台風で倒れた。
垂仁天皇の時に神託により社殿を建立し、忌部氏の氏神としたと伝う。中世には、石鎚山の西登山口として、この地に石土蔵王権現を祀る。剣山城主黒川氏累代の武神として崇敬を受けた。
60番前札の旧跡。ここで遍路は前行懺悔をするそうだ。
「火除大師」
書道が得意の小松藩主一柳直郷が書いたもの。実報寺にも奉納額がある。
妙之谷川沿いの長い上りが続く。
水曜は休み
【ル-ト地図】の567役の行者小角はこの地から石鎚山を遥拝し、蔵王権現を感得した。弘法大師は42歳の時に再度来山し、厄除けの星祭りの行を修した。寛保2年(1742)建立の「鉄の鳥居」から石鎚山を遥拝する。
四国の最高峰
60番横峰寺本堂
権現造りで、内部に左大臣を祀る。神仏混交の表れだ。
(61番香園寺奥の院)
香園寺の大聖堂のような現代的な造りの本堂
滝の修行場で、手前に更衣小屋がある。下にコンガラ童子(右)、セイタカ童子(左)を従えている。
上は松山自動車道
雄略天皇の時に大和の葛城山麓の高鴨神社の分霊を勧請したのが創始。霊峰石鎚山を開いた役の行者小角の祖神で、古来より周桑郡民の信仰厚く、江戸時代には小松藩主一柳家の崇敬を受ける。境内周辺には弥生時代から奈良時代にかけての古墳が散在する。
61番香園寺
新興宗教の建物のような大聖堂で、中は劇場のようで固定椅子席が827も並んでいる。
本尊は大日如来だが、安産、子育てに霊験ありと信仰が厚い。
あまりいい音色、節ではないように聞こえたが、自己流ではなく、ちゃんと習ったそうだ。
古来、井出郷の総鎮守として国司領主等の尊崇が厚く、寛永15年(1638)小松藩主一柳直頼が本殿を再建、八代勅紹の時にこの舟山の地に遷宮した。ここにも勅郷の扁額が保存されている。舟山の西部には6~7世紀頃の築造の舟山古墳群がある。
行基の開基、大師が当時に逗留し、護摩供を修したという。本尊は阿弥陀如来
62番宝寿寺 【ルート地図】の574
天平年間に伊予一国一之宮(大三島の大山神祇神社)の御法楽所として建立。大正13年に予讃線開通のため現地に移転。石柱は「一国一之宮 別当 宝寿寺」
*2013年3月に「四国八十八箇所霊場会」から脱退したそうだ。『四国遍路ニュース』よりここも今治の別宮大山祇神社と同じで、大三島の伊予国の一の宮、大山祇神社の別宮、遥拝所だろう。
芭蕉が「奥の細道」で加賀の小松で詠んだ句。それに因んで小松藩士がここ伊予の小松に立てたもの。
「当時の宝寿寺境内(現在地)に建て・・・」とある。
古い造りの医院
肉屋の2階が今日の宿、だから夕食が「しゃぶしゃぶ」だったのだろう。
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