« 四国遍路道(愛媛県-9) | トップページ | 四国遍路道(愛媛県-11) »

2009年3月26日 (木)

四国遍路道(愛媛県-10)

2009年3月9日

Img_8841 民宿四国・・・県道347号・・・粟井坂・粟井坂大師堂・粟の井・・・蓮福寺大師堂・・・粟井川・・・常楽院・・・河野川・・・西ノ下大師堂・・・西福寺・・・三穂社・・・養護院(杖大師・番外霊場)・・・(JR予讃線)・・・夜がらす地蔵堂・・・大師橋(立岩川)・・・鎌大師(番外霊場)・鴻の坂・・・地蔵堂・・・(JR予讃線)・・・国道196号・・・原地蔵堂・・・原大師堂・・・小竹地蔵堂・・・(今治市)・・・(砥鹿トンネル)・三穂社・砥鹿(とが)神社・・・船が浦・竜神宮・遍路接待所「ぶじカエル」・・・遍照院(厄除け大師・番外霊場)・・・菊間川・・・青木地蔵堂(番外霊場)・・・貴布禰神社・・・円福寺・・・五郎兵衛大師・・・大井八幡神社・・・旧庄屋井手家・・・大池・・・54番延命寺・・・(瀬戸内しまなみ海道)・・・大谷霊園・・・県道38号・・・姫坂・姫坂神社・・・別宮大山祇(おおやまづみ)神社(元55番札所・番外霊場)・55番南光坊・・・今治ステーションホテル

 曇り空の下を海沿いの県道347号を北に向う。予讃線が粟井坂トンネルを抜けるあたりに粟井坂大師堂と粟井坂の旧道の一部、県道を挟んで粟の井が残っている。粟井坂は未舗装の昔ながらの細い道で車の通行は無理。今はあまり通られていないようで忘れ去られていく坂なのだろう。旧北条市の伊予北条駅近くの養護院に寄り、少し戻って予讃線を渡り、聖カタリナ短大そばの小さな夜がらす地蔵堂から遍路道に出て、大師橋で立岩川を渡る。緩やかに上って行くと鎌大師堂だ。思ったより明るい感じの境内で一休みする。

 鎌大師から鴻の坂を上って新道に合流し、振り返ると松山市街(上の写真)が、上りきって下りとなると浅海から今治市方向の景色がいい。浅海駅近くの原地蔵堂、大師堂に寄り、海岸沿いを行くと今治市に入る。松ケ崎を過ぎ菊間の町に入ると国道沿いに瓦工場が並んでいて、菊間陶芸愛好会のお接待処「ぶじカエル」もある。すぐ先の厄除け寺の遍照院は参拝人も多く、テント張りの売店も出ている。そこでお菓子のお接待を受ける。太陽石油の工場群を左に見て緩やかに上って行くと青木地蔵堂で、ここでも篭の中にお接待のみかんが置いてある。一ついただき一休みする。今日は日影に座っていると寒いくらいだ。

 星の浦海浜公園を過ぎ、予讃線を渡り、大西駅近くの旧家の井出家、鴨頭病院から国道196号に出る。ここのコンビニの前に座り込んでまた小休止だ。大池を右に見て2kmほど進み、左に曲がると54番延命寺は近い。53番円明寺からここまでは34kmぐらいだ。今日は55番南光坊を打ち、今治駅そばまでの行程だ。ちょっと疲れてきた。延命寺境内からの遍路道は瀬戸内しまなみ海道をくぐり、大谷霊園の中を抜けて行く。霊園の中で道を間違えたようで、県道38号に下りてしまい少し遠回りをして姫坂神社に着いた。城郭建築?のようなマンションを見ながら予讃線をくぐり、元の札所別宮大山祇神社から55番南光坊へ入った。

 古来から日本は神仏混交で、大師も国中の神を敬い、遍路も神仏両詣りの習わしだった。今の遍路は隣りに元の札所の神社があっても見向きもせず、素通りしてしまうようだ。これが初詣となるといそいそと神社へ参詣するのだから現金なものだ。そう言う自分は神も仏への信仰心も薄い(全くないに近い)のだからこんなことを言う資格などないのだろうが。5時近くの南光坊境内は誰もいない。団体のお遍路が大勢なのもいやだが、誰もいないのもちょっと寂しい感じだ。いつの間にか降り出し雨と疲れで寒くなってきた。高野山今治別院に寄り、県道157号に出て、今夜の宿の今治ステーションホテルに向う。禁煙ルームが満室で煙草の匂いのしみ込んだ部屋だったのには少々参った。そんなに混んでいそうもないようで本当に満室だったのだろうか。駅の近辺には飲食店が少なく、ホテルで聞いた○○食堂へ夕食に行った。この食堂はちょっと変わった感じだったが書くのは控えておこう。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_8750 粟井坂トンネル(右)・県道347号・瀬戸内海(左)

JR予讃線光洋台駅近く

Img_8770 粟井坂大師堂・粟井坂新道碑(中央右)・粟井坂(右端)

子規・漱石の句碑も立つ。

Img_8755 粟井坂大師堂説明板

Img_8756 子規句碑

「涼しさや 馬も海向く 淡井坂」

Img_8769子規・漱石句碑

「志保ひ潟(しほひがた) 隣の国へ つづきけり」 子規

ここは、昔は風早郡と和気郡の境、近くは松山市と旧北条市の境だった。

「釣鐘の うなる許(ばかり)の 野分かな」 漱石

Img_8760 粟井坂(坂上方向) 【ルート地図】の①

カーブしながら上り、JR予讃線を越えて国道196号方向へ下って行く。

坂名の由来は大師堂の向かい側の「粟の井」から。

Img_8767 坂の途中から瀬戸内海方向

Img_8762 左に曲がってさらに上る。

Img_8766 小石仏

Img_8763 坂上

コンクリート製の物置?のような施設がある。

Img_8765 下りとなって国道196号の方へ続いている。

Img_8752 粟井坂新道碑

Img_8771 粟の井(大師水)

県道347号を挟んで粟井坂大師堂の向かい側

Img_8774 由来

Img_8773 句・歌碑説明板

井戸の右が歌碑で、左が句碑だったか?

Img_8780 蓮福寺大師堂(県道347号の粟井川の手前)

本尊が大日如来の真言宗醍醐派の寺。

Img_8790 西ノ下大師堂(県道347号の河野川の先)と遍路墓

「道の辺に 阿波のへんろの 墓あわれ」の高浜虚子の句碑が立っているというが見逃した。ここは阿波ではないのだが。虚子は幼年期をこの地で過ごしたという。

Img_8789 堂内の大師さんと地蔵?

Img_8793 三穂社

Img_8799 由緒

Img_8794 旧家

Img_8795 養護院(杖大師)(番外霊場)

遍路大師の夢想、縁起による杖を伝える。永禄年間(1558~1570)に修験道場として、旧北条市中西外に創建。大正9年ここに移転した。

Img_8797 由緒

Img_8802 夜がらす地蔵堂 【ルート地図】の②

Img_8803 夜がらす地蔵

「夜がらす」の由来は何なのか?

Img_8804 大師橋へ向う遍路道

Img_8811 大師橋(高岩川)から

Img_8814 鎌大師へ右の道

Img_8818 鎌大師(番外霊場)

悪疫流行に苦しむ村に、大師が鎌で刻んだ自像を与えたところ無事平癒したという。

Img_8819 説明板

Img_8817 観音菩薩

Img_8820 十八人塚

南北朝の戦乱で敗れた赤橋重時主従の墓所という。

Img_8821 内部

古墳の横穴石室のようだ。

Img_8822 芭蕉塚

Img_8825 「一茶の道」説明板

Img_8828 一茶の道

寛政7年小林一茶は、鴻の坂を下り、この道を通り門田邸(師の茶来が住職の最明寺?)に向ったそうだ。

Img_8829 石碑

Img_8826 一茶の道案内図

鴻の坂がある。

Img_8833 鴻の坂(坂上方向) 鎌大師前から北方向に上る坂。【ルート地図】の③

真念の「道指南」に、「かうの坂、ふもとに大師堂」と記す。

Img_8837 車道に出てさらに上る。

Img_8849 坂上から下って浅海(あさなみ)方向

Img_8851 「松山札辻より五里」

味栗集会所の前

Img_8853 地蔵堂

Img_8854 地蔵さん

どう見てもおしろいを塗った可愛い女の子だ。

Img_8855 六地蔵もお人形さんのようだ。

Img_8859 JR予讃線

ここも「アンパンマン電車」だ。

Img_8861 原地蔵堂(浅海駅近くの国道196号沿い)

原はこのあたりの地名のようだ。

Img_8865 原大師堂

Img_8866 遍路は泊まれる通夜堂だ。

Img_8868 小竹地蔵堂

「風早四国番外十八番」の石柱が立つ。小竹も地名か?

Img_8879 三穂社(砥鹿トンネルの海沿い)

Img_8880 砥鹿(とが)神社

右は砥鹿トンネル

Img_8882 船が浦(菊間町)

Img_8888 瓦製造屋が並んでいる。

瓦のふるさと公園、かわら館、実習館などもある。「菊間瓦」の起源は弘安年間(1278~87)で、伊予の豪族河野氏の支配の時に製造が始まったという。温暖少雨の気候が瓦の乾燥に適し、原料の粘土や燃料の松葉にも恵まれ、輸送のための船の便が良かったことが瓦製造業を発展させたという。今は一般の家庭用には瓦の需要は減ってきて、転業する工場も多いと遍照院境内で土地の人から聞いた。

Img_8883 厄除け鬼瓦

Img_8893 接待所「ぶじカエル」

Img_8891

Img_8892中学生が瓦で作った置物が並んでいる。

Img_8895 遍照院(番外霊場)山門

弘仁6年(815)大師が厄除けのため聖観音を安置し、自作の像を遺したと伝える。「厄除け大師」と呼ばれ、節分には厄除け大祭が行われる。

Img_8897左のテントの売店でお菓子の接待を受ける。

Img_8901 鐘楼門から

Img_8907 臍(へそ)島か

Img_8910 太陽石油の工場群

菊間町の瓦と並ぶもう一つの産業だ。

Img_8914 青木地蔵堂(番外霊場)

大師が杖で示したところを掘ると清水が湧き出、記念に青木を植えたという霊場。腰から下の病に霊験があり、「腰、しもの地蔵さん」と親しまれている。

Img_8915 地蔵堂

Img_8916 通夜堂もある。

円福寺で管理している。

Img_8924貴布禰神社

Img_8934 霊厳山円福寺

奈良の長谷寺の末寺らしい。

Img_8930 本堂

Img_8929 説明板

Img_8933 山門から

Img_8943 五郎兵衛大師

Img_8942悪病、悪霊を防ぐ五郎兵衛大師さん

Img_8940 参道は反対側でかなりの距離がありそうなのでパスする。

Img_8949 予讃線の特急

Img_8953 大井八幡神社

Img_8956 旧庄屋井手家

屋根上の天水瓶は大阪夏の陣で徳川方に味方した功績により置くことを認められたという。参勤交代の時には本陣になった屋敷。

Img_8957井手家説明板

Img_8959 クスノキ

Img_8960 鴨頭病院

ここも昔からの旧家のようだ。

Img_8962 大池

Img_8970 54番延命寺山門

今治城の城門の一つだったもの。往時は近見山に100坊も配していたという寺。本尊は不動明王で36番青龍寺、45番岩屋寺と同じ。

Img_8969 説明板

Img_8968 梵鐘

戦国時代に長宗我部の兵士達に略奪されそうになった時、自ら海中へ沈んで難を逃れたという言い伝えがあるがこの鐘とは鋳造年代とは合わない。一代前の鐘の話か。また戦時中に供出命令を受けたが、何とか供出の免除を受けたといういわくつきの鐘だ。

Img_8967 説明板

Img_8973 大師堂内

Img_8978 標石などが立つ一画

Img_8974 左端

慈悲深い庄屋と書かれているが、越智家はキリシタン狩りにも一役買った庄屋だ。いいことだけ書いて都合の悪いことは目をつぶるのは「阿方文化連盟」に限ったことではないが。

Img_8976 右端が真念建立の標石

Img_8983 このあたりが近見百坊のあったところか。

Img_8982 説明板

Img_8981 遍路道は瀬戸内しまなみ海道をくぐり、大谷霊園を抜けて今治市街地へ。

Img_8989 今治城ではない。「高井城今治ハイツ」というマンションだ。

Img_8996 姫坂神社

祭神は市杵島姫神。鳥居をくぐり、社殿へ上る参道の坂が姫坂だろう。途中が道路工事中で写真はこの一枚だけ。「ひめ坂に 立る梢のいろいろに 神のみそぎの 錦なるらん」の古歌がある。【ルート地図】の④

Img_8994 社殿

Img_8995由緒

Img_8992 青木神社(姫坂神社境内)

祭神は医学の神の少名彦命。「咳」の守護神だそうだ。

Img_8993由緒

Img_9000別宮大山祇神社

大三島の伊予国の一の宮、大山秖神社の別宮。明治の神仏分離まではここが55番札所だった。

Img_9003 由緒

Img_9001 拝殿説明板

Img_9007 55番南光坊 【ルート地図】の⑤

明治の神仏分離令により、隣りの元の札所の別宮大山祇神社より大通智勝如来ほかを薬師堂(戦災で消失)に遷座して札所となった。河野氏がその名に「通」の字を使用したのは、大通智勝如来にあやかったという説もある。札所88ケ寺中、坊がつくのはここだけ。

Img_9004 本堂

Img_9005大師堂(左)

Img_9012 高野山今治別院

Img_9010 日切地蔵尊

別院境内

|

« 四国遍路道(愛媛県-9) | トップページ | 四国遍路道(愛媛県-11) »

「旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/161343/44469623

この記事へのトラックバック一覧です: 四国遍路道(愛媛県-10):

« 四国遍路道(愛媛県-9) | トップページ | 四国遍路道(愛媛県-11) »