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2009年3月31日 (火)

四国遍路道(愛媛県-13)

2009年3月12日

Img_9458_2 ビジネス旅館小松・・・讃岐街道・・・常盤神社・・・林昌寺・・・氷見組大庄屋高橋家・・・芝之井(番外霊場)・・・63番吉祥寺・・・浄光寺・・・阿弥陀寺・・・丹民部守神社・・・石鎚神社・64番前神寺・・・宮前橋・(伊曽乃神社)・・・伊曽の橋(加茂川)・・・武丈(ぶじょう)公園・・・(常福寺)・・・地蔵原地蔵庵・・・(王至森(おしもり)寺)・・・上室川橋(室川)・・・西原の大地蔵・・・六地蔵の接待堂跡・・・堂の本の地蔵屋敷跡・・・(新居浜市)・・・渦井橋・・・旧街道・・・国領橋(足谷川)・・・国道11号・・・(四国中央市)・・・熊谷橋(関川)・熊谷地蔵尊・・・(JR予讃線)・・・三度栗大師堂・・・延命寺(別格二十霊場第12番)・・・島屋跡(小林一茶宿泊地)・・・松屋旅館

 造り酒屋や旧庄屋家の並ぶ氷見の家並みを通り、芝之井から国道11号と予讃線に挟まれた63番吉祥寺に出る。この寺の本尊は札所中唯一の毘沙門天だ。古来、水陸の軍事交通上の要衝のこの地の守護神として毘沙門天が祀られたのだろう。旧道に戻り東へ進むと石鎚神社の広い参道前に出る。ここも元の札所だ。石段を上っていたら杖の持ち手のカバー(お接待で頂いた)が無いことに気がついた。参道の途中で落としたらしい。引き返そうとしたら、境内を掃き清めていた若い巫女さん?が気づいて石段を上って持ってきてくれた。やはり神も仏もあるものだ。彼女の顔が吉祥天のように見えてきた。感謝、感謝だ。

 石鎚神社の境内は広い。隣の64番前神寺は狭いのだろうと思っていたが、これが意外に広く奥行きもあった。参拝を終え、大師堂前のベンチまで来ると、ちょうどK子さんがやってきた。彼女はここが今回の打ち止めという。野宿遍路のリチャードもいて、昨日は初めて民宿に安く泊めてもらったという。今日は距離を短くして、国領橋近くのビジネスホテルMISORAにするつもりだ。天気が良く気持ちのいい遍路道をゆっくり進む。

 伊曽の橋を渡り加茂川から石鎚山を眺め(上の写真)、 武丈公園で一休みして、ホテルに電話するが通じない。結局この後、何回か掛け直しても通じなかった。遍路道は地蔵原地蔵庵を通り室川を渡る。渡って道筋を確認しているとそばの小屋から中で休んでいけと声が掛かった。中に入るとリチャードがいた。まだ作りかけの小屋には石鎚大権現の掛軸などが掛けられている。リチャードは泊まるのにはちょうどいいと気に入った様子だった。通夜堂としてお遍路を泊めることにするのかは確認しなかった。

 リチャードと一緒に小屋を出て、しばらく一緒に歩いていたが、国道11号に出たあたりで彼はコンビニへ行ったようで別れてしまった。この後、雨の三角寺、雪の雲辺寺でも会うことはなかった。無事に野宿をしながら進んでいることだろう。西条市から新居浜市に入り、渦井橋を過ぎると遍路道は国道から離れ旧街道に入る。昔ながらの商店街などが残る通りを行くと国領橋に出てしまった。まだ1時半だ、宿に入るのには早すぎる。近くのBHMISORAに電話が通じなくてよかった。

 国領橋のそばに座り込んで遅い昼飯のパンを食べながら今夜の宿をどうするか考える。ここから8kmぐらい先の旅館五葉松食堂がちょうどいいと思って電話するが、どうも泊めるのにあまり乗り気でないようだ。それならと伊予土居駅近くの松屋旅館にする。ここから13kmはあるか。四国中央市との境の国道11号の上りもあるし、のんびりとはしていられない。ピッチを上げて歩くが午後になると疲れのせいかけっこう時間がかかる。急いだせいか国道11号に入るとあるはずの坂下大師堂が見つからず、かなり上ってしまいあきらめた。

 四国中央市に入って少し下り、旧道に入り熊谷橋を渡り、熊谷地蔵尊の前で小休止だ。ここからは伊予土居までは5kmほどで、5時頃には着く、一安心だ。ちょうど小学校の下校時間で、生徒たちがあいさつやら、話しかけてくる。歩き遍路はかまってくれると疲れも忘れるものだ。国道11号を突っ切り、予讃線を2度渡ると別格霊場の延命寺で「いざり松」の残骸が保存されている。伊予土居駅を過ぎ旧道沿いの松屋旅館に入った。泊り客は一人だ。慣れてしまったが何となく申し分けない気分にもなる。

 今日も予定より歩いてしまった。今夜から天気は崩れ、荒れ模様になるらしい。明日は標高500mの三角寺、明後日は900mの雲辺寺の予定だ。どうなることやらだが、風呂に入り、一杯飲んで、腹一杯食べたら後は寝るだけ。明日のことはケセラセラよ。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_9375 常盤神社

Img_9376 由緒

Img_9379 いろんな酒が展示されていて朝から目の毒だ。

Img_9380 氷見組大庄屋高橋家

近くに城跡がある高尾城主高橋美濃守の直系の子孫が氷見に土着して帰農し、藩政時代を通じて代々氷見組大庄屋を務めてきた。大屋根上にあるのは何か?屋根付きだから天水瓶ではないだろうが・・・。

Img_9385 造り酒屋

氷見あたりは芝之井のような湧き水が豊富で、酒造りが盛んなようだ。あちこちに「うちぬき」という井戸があるそうだ。

Img_9386 芝之井(番外霊場)

大師のお加持水で、古くからの水洗い場、井戸端会議の場所でもあった。

Img_9387 由来

Img_9388 63番吉祥寺 【ルート地図】の①

Img_9394 説明板

Img_9390 山門

Img_9391 本堂(右)・大師堂

本尊は札所で唯一の毘沙門天で、吉祥天との子の禅尼子(善賦師)童子を従えた像がある。門柱に「七福神の寺」とある。「毘沙門寺」でなく、「吉祥寺」なのがいい。寺宝の「マリア観音」も安置されている。

Img_9395 成就石

本堂前から目をつぶって進み、金剛杖が穴に通ったら念願成就という。この石はその昔、石鎚山麓の滝壺にあったとか。

Img_9396 くぐり吉祥天・お迎え大師

Img_9398 小鳥

Img_9400 浄光寺

武蔵国豊嶋郡??村とゆかりのある寺らしい。

Img_9399 由緒

Img_9403 阿弥陀寺

右の石柱に「阿弥陀寺」・左の石柱は「新四国二十五番霊場 清水寺」とある。

Img_9408 いろんないきさつがあった寺のようだ。

Img_9410 丹民部守神社

丹家は河野氏の出自で、天正13年(1585)に討死した丹民部を祀る。「民部さん」、「民部塚」ともいわれる。

Img_9414石鎚神社 【ルート地図】の②

霊峰石鎚山を神体山とし、山頂に頂上社、中腹に成就社と土小屋遥拝殿、そしてこの本社の四社を合わせて石鎚神社という。すぐ東側にある64番前神寺はかつて石鎚神社と一体だった。

Img_9415 説明板

Img_9416 境内図

Img_9418 神門

Img_9419 神門の大天狗

Img_9420 小天狗

Img_9422 本殿への石段

中央の鉄の鎖は安永8年(1779)に石鎚山に掛けられたもの。

Img_9424 本殿

Img_9425 本殿から瀬戸内海

Img_9428 祖霊殿

Img_9427 説明板

「別当寺時代の前神寺」と記す。

Img_9434 64番前神寺惣門

明治の神仏分離で廃寺となり、前上寺(廃仏毀釈で神という字は使えなかった)として再興され、前神寺に戻った。本尊は阿弥陀如来で、石鎚蔵王権現を祀る石鎚山の東の遥拝所(西は横峰寺)。真言宗石鉄派の総本山。

Img_9435 説明板

Img_9437 境内図

思ったより広い。

Img_9439 大師堂

本堂とはだいぶ離れている。

Img_9441 本堂

Img_9440 御滝不動尊

Img_9442 石鉄山権現堂への石段

本堂より高い所にある。

Img_9443 権現堂

石鎚蔵王権現を祀る。本尊阿弥陀如来が姿を現したのが蔵王権現。

Img_9447伊曽乃神社の鳥居だろう。遥拝で済せたが行けばよかった。

天照大神、武国凝別命を祭る。社殿は総檜の神明造り、鬱蒼とした樹木が広がり、境内正面の神木のクスノキは、樹齢500年と推定。

Img_9451 伊曽の橋から加茂川橋方向

Img_9453 加茂川

左に武丈公園

Img_9462 武丈(ぶじょう)公園 【ルート地図】の③

桜の名所だそうだ。

Img_9464 説明板

Img_9460説明板

Img_9466 常福寺

その向こうは松山自動車道

Img_9468 遍路道

Img_9470 地蔵原地蔵庵

大師が四国巡錫のみぎり、この地で一夜にして刻んだという地蔵尊を安置。幼稚園の散歩か遠足で賑やかな境内。

Img_9472 由来

Img_9474 王至森(おしもり)寺

「王(舒明天皇)が至った森」という伝説からの寺名。

Img_9475 説明板

Img_9478 新しく地元の人たちで作っている小屋。石鎚大権現の掛軸などが掛かっている。(上室川橋の所)

ここにリチャードが休憩していた。

Img_9480 西原の大地蔵

Img_9483 大師堂・六地蔵・接待堂跡

江戸時代中期に建立されたが接待堂は老朽化により消滅。大師堂は平成に改修された。

Img_9482説明板

Img_9485 堂の本の地蔵屋敷

地蔵さんの祠が屋敷なのか、屋敷は別にあったのか?

Img_9492 国領橋(足谷川)

ここの川沿いで小休止

Img_9493 国領橋から

Img_9497 国道11号を上る。

Img_9503 四国中央市に入り少し下り旧道に入る。

Img_9510 熊谷地蔵尊(関川の熊谷橋を渡った所)

Img_9508_2  由来

Img_9509 熊谷地蔵

Img_9511 千足神社

ここも遥拝のみ。

Img_9512 由緒

Img_9518 三度栗大師堂(三栗山地蔵院) 【ルート地図】の④

高知県須崎市の番外霊場の観音寺にも「三度栗」の伝説があった。昔はこのあたりは栗の木が多かったようだ。

Img_9516_2 由来

Img_9522 JR予讃線

特急はアンパンマン電車

Img_9527 鈍行は一輌

Img_9529 延命寺(別格二十霊場の第12番札所) 【ルート地図】の⑤

大師が自ら植えた松の傍らにいた足の悪い人に千枚通しの霊符を授けると足が治った、という霊験談からこの松を「いざり松」と呼ぶようになった。

Img_9532 説明板

Img_9535 いざり松の残骸

樹齢700~800年で枝張りは東西30mもあったというが昭和43年に枯れてしまった。

Img_9534 説明板

Img_9538 島屋跡(小林一茶宿泊地)

延命寺のそばのこの宿に泊まって三角寺へ向ったのだろう。

Img_9541_2松屋旅館

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2009年3月29日 (日)

四国遍路道(愛媛県-12)

2009年3月11日

Img_9273 敷島旅館・・・大明神川橋・・・円照寺・・・新町代官所跡・・・出合橋(新川)・・・天満宮・・・古戸川橋・・・恵美州神社・・・丹原温泉・・・福岡八幡神社・生木(いきき)地蔵(別格二十霊場第11番札所正善寺)・・・県道147号・・・石鎚橋(中山川)・・・(国道11号)・・・石土神社・妙雲寺(番外霊場)・・・(松山自動車道)・・・(河内八幡神社)・・・湯浪橋(妙之谷川)・・・尾崎八幡宮・・・60番横峰寺・星ケ森(820m・番外霊場)・・・白滝奥の院(番外霊場)・・・(松山自動車道)・大谷池・・・高鴨神社・・・61番香園寺・・・三嶋神社・・・(国道11号・JR予讃線)・・・清楽寺(番外霊場)・・・62番宝寿寺・・・(JR予讃線)・・・一国一之宮神社・・・(JR予讃線)・・・ビジネス旅館小松

 大明神橋を渡り、県道150号から155号に入り、南へ60番横峰寺を目指す。途中の丹原町今井で西に入り生木地蔵に寄る。小さな丹原温泉を過ぎ、立派な施設が並ぶ丹原東中学校の隣りが福岡八幡神社でその隣りが正善寺の生木地蔵だ。ちょうどバスで来た巡拝の団体さんが本堂で経を唱えていた。ここは別格二十霊場の一つで参拝者が多いのだろう。

 石鎚橋を渡り、石鎚信仰の石土神社、妙雲寺を過ぎ、松山自動車道をくぐるとゆるやかで長い県道147号の上りとなる。車がほとんど通らないのはいいが、妙之谷川沿いの大きなカーブが続く単調な道で、いい加減に飽きがくる。湯浪集落の尾崎八幡神社の先でやっと横峰寺への山道となる(上の写真) 横峰寺までは2.2km、ここは標高300mで横峰寺は745mけっこうきつい上りだが車道歩きよりはましだ。

 途中で、前を大きなリュックの一人歩きの女性遍路が上って行く。歩く遍路に出会うのは久しぶりだ。「頑張って」、「気をつけて」のあいさつを交わして追い抜いて行く。彼女は長野の清里でペンションをやっているというK子さんで、この後、横峰寺、小松の宿で一緒になる。上りきって横峰寺の山門前から先に奥の院の星ケ森へ上る。石鎚山の姿を拝めるとは期待していなかったが、くっきりと雪の残る頂を目の前にして疲れもぶっ飛んだ? 山を見ながらコンビニで買ったパンをかじって昼飯とする。道標には820mとある。陽射しはあるもののじっとしていると寒くなってくる。山門へ下り、境内へ入ると野宿遍路リチャードと、K子さんがいた。2人とも星ケ森には行かないようだ。ちょっと惜しいような気がしたが、人それぞれの巡り方で歩いているのだ。

 白滝奥の院(61番奥の院)へは横峰寺の境内から下って行く。滑って転ばないように注意して下りて行くが、やっぱり下りの方が気楽だ。リチャードが歌いながら(英語の歌)すたすたと追い抜いて行った。平坦な一般道に出るあたりに白滝奥の院がある。61番香園寺の大聖堂を感じさせる堂が立ち、奥の白滝の上にコンガラとセイタカ童子を従えた不動明王が立っている。小さな滝だがここはれっきとした滝の行場なのだ。車で来ていた地元のおばさんはこの滝を知らなかったようで感心?していた。上に松山自動車道が走る大谷池を過ぎると、さっきのおばさん達が道端の草を摘んでいる。見ると土筆(つくし)とよもぎだった。リチャードもいておばさん達に小さなブローチみたいなものをお接待?していた。

 61番香園寺の大聖堂の前は何とか祭りの準備らしく賑わっていた。リチャードは数珠を持ち般若心経を唱え、その後で尺八の音色を納音?している。とても真似のできるものではない。こちらは大聖堂の中に入って、お参りというより見学をして退散する。三嶋神社から国道11号と予讃線を越え清楽寺に寄ってから62番宝寿寺へ向う。今は国道と予讃線に挟まれ縮んだ感じの寺だ。元は線路向こうの一国一之宮神社の所にあって予讃線も通ってなく寺域も広かったようだ。

 伊予小松駅近くのビジネス旅館は混んでいるらしく、別館(肉屋の2階)に案内された。6時過ぎにやっと夕食のお呼びがかかる。4人連れの高年婦人たちの隣りに座らせられる。テーブルの上は鍋だ。それも昨日と同じシャブシャブだ。肉は猪ではないが、2日続くとは。といっても腹が空いているから何でもいい。鍋をつつきながらビールを飲んでいると前の席にK子さんが座った。今回の遍路歩きで夕食で話相手がいるのは初めてだ。ペンションを経営しているだけあって泊まった宿の話が多くなる。いくつか同じ宿に泊まっているが、こちらの印象と彼女の評価が違うのが面白い。K子さんも缶ビールをおかわりし、こちらは焼酎に切り替えお湯割りを頼んだら1合?のワンカップと湯のポットが出てきた。全部飲んだらちょっと飲み過ぎだとは思ったが、残すようなもったいないことをする酒飲みではない。すっかり気持ち良くなって別館に戻る。明日の宿を予約するのも面倒になって、テレビを見ているうちに寝てしまった。

  【ルート地図

  参考:『鎮守の杜 えひめ』(西条市の福岡八幡神社・石土神社・高鴨神社・三嶋神社)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_9189 新町代官所跡

今は新町駐在所

Img_9190 旧家

Img_9192 常夜灯

Img_9207 恵美洲神社

Img_9208 由来

Img_9209 丹原温泉

共同浴場か?

Img_9223 福岡八幡神社

古代より周敷一円の神で、後に石清水八幡神社の別宮を合祀した。爾来、武家武将の厚い尊崇を受けてきた。

Img_9218 生木(いきき)地蔵堂・大師堂(右)【ルート地図】の①

生木地蔵尊は腰から上の病いに御利益あり。

Img_9217 生木地蔵のクスノキの霊木

大師が一夜でこの楠に地蔵菩薩を刻んだという。本堂と大師堂の間に立っていたが、昭和29年の洞爺丸台風で倒れた。

Img_9216 由来書

Img_9229 石土神社の高灯篭

Img_9230 説明碑

Img_9233 石土神社 【ルート地図】の②

垂仁天皇の時に神託により社殿を建立し、忌部氏の氏神としたと伝う。中世には、石鎚山の西登山口として、この地に石土蔵王権現を祀る。剣山城主黒川氏累代の武神として崇敬を受けた。

Img_9235 由緒

Img_9236 妙雲寺(番外霊場)

60番前札の旧跡。ここで遍路は前行懺悔をするそうだ。

Img_9242 大師堂

「火除大師」

Img_9240 「蔵王宮」の扁額

書道が得意の小松藩主一柳直郷が書いたもの。実報寺にも奉納額がある。

Img_9249 60番横峰寺へ

妙之谷川沿いの長い上りが続く。

Img_9252 山の喫茶店「てんとうむし」

水曜は休み

Img_9259 尾崎八幡神社(湯浪集落)

Img_9266 横峰寺2.2kmの道標

Img_9267 山道に入る

Img_9268 山道を登る

Img_9274沢を渡る。

Img_9282 60番横峰寺山門 【ルート地図】の③

Img_9287 星ケ森(60番奥の院・番外霊場)

役の行者小角はこの地から石鎚山を遥拝し、蔵王権現を感得した。弘法大師は42歳の時に再度来山し、厄除けの星祭りの行を修した。寛保2年(1742)建立の「鉄の鳥居」から石鎚山を遥拝する。

Img_9293 由来

Img_9299 石鎚山(1982m)

四国の最高峰

Img_9286大師像の祠

Img_9303 60番横峰寺本堂

権現造りで、内部に左大臣を祀る。神仏混交の表れだ。

Img_9304 説明板

Img_9305 大師堂

Img_9310 白滝奥の院へ

Img_9319

Img_9325 白滝奥の院 【ルート地図】の④

(61番香園寺奥の院)

香園寺の大聖堂のような現代的な造りの本堂

Img_9324 説明板

Img_9322 白滝不動

滝の修行場で、手前に更衣小屋がある。下にコンガラ童子(右)、セイタカ童子(左)を従えている。

Img_9327 大谷池

上は松山自動車道

Img_9330 野宿遍路リチャードが前を行く。

Img_9337 高鴨神社

雄略天皇の時に大和の葛城山麓の高鴨神社の分霊を勧請したのが創始。霊峰石鎚山を開いた役の行者小角の祖神で、古来より周桑郡民の信仰厚く、江戸時代には小松藩主一柳家の崇敬を受ける。境内周辺には弥生時代から奈良時代にかけての古墳が散在する。

Img_9341 61番香園寺

新興宗教の建物のような大聖堂で、中は劇場のようで固定椅子席が827も並んでいる。

Img_9339 説明板

Img_9344 子安大師

本尊は大日如来だが、安産、子育てに霊験ありと信仰が厚い。

Img_9346 尺八を奉音するチャード

あまりいい音色、節ではないように聞こえたが、自己流ではなく、ちゃんと習ったそうだ。

Img_9350 三嶋神社

古来、井出郷の総鎮守として国司領主等の尊崇が厚く、寛永15年(1638)小松藩主一柳直頼が本殿を再建、八代勅紹の時にこの舟山の地に遷宮した。ここにも勅郷の扁額が保存されている。舟山の西部には6~7世紀頃の築造の舟山古墳群がある。

Img_9348 船山古墳説明板

Img_9349 案内図

Img_9353 清楽寺(番外霊場)

行基の開基、大師が当時に逗留し、護摩供を修したという。本尊は阿弥陀如来

Img_9355 御夢想観音(ひとこと観音)

Img_9354 説明板

Img_9360 62番宝寿寺 【ルート地図】の⑤

天平年間に伊予一国一之宮(大三島の大山神祇神社)の御法楽所として建立。大正13年に予讃線開通のため現地に移転。石柱は「一国一之宮 別当 宝寿寺」

Img_9362 本堂

Img_9363 大師堂

Img_9365 予讃線を挟んで元の札所の一国一之宮神社がある。

Img_9366 一国一之宮神社参道

Img_9369 社殿

ここも今治の別宮大山祇神社と同じで、大三島の伊予国の一の宮、大山祇神社の別宮、遥拝所だろう。

Img_9368 芭蕉句碑

芭蕉が「奥の細道」で加賀の小松で詠んだ句。それに因んで小松藩士がここ伊予の小松に立てたもの。

Img_9367 説明板

「当時の宝寿寺境内(現在地)に建て・・・」とある。

Img_9372

古い造りの医院

Img_9373 ビジネス旅館小松

Img_9374 別館

肉屋の2階が今日の宿、だから夕食が「しゃぶしゃぶ」だったのだろう。

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2009年3月27日 (金)

四国遍路道(愛媛県-11)

2009年3月10日

Img_9077_2今治ステーションホテル・・・56番泰山寺・龍泉寺(番外霊場・56番奥の院)・・・山手橋(蒼社川)・・・57番栄福寺・八幡神社・・・犬塚池・・・58番仙遊寺五郎兵衛坂・・県道156号・・・(JR予讃線)・・・国分橋(頓田川)・・・59番国分寺・・・県道156号・・・道の駅今治湯ノ浦温泉・・・(JR予讃線・今治小松自動車道)・・・(西条市)・・・栴檀寺(世田薬師)(番外霊場)・永納山城跡・・・自安橋(北川)・・・春日神社・天満宮・・・道安寺・・・臼井御来迎(番外霊場)・・・実報寺(番外霊場)・・・天ケ城址・・・興雲庵・・・日切大師(弘福寺・番外霊場)・光明寺・・・敷島旅館

 今日はいい天気だ。今治駅を抜け西に向う。このあたりは学校が多く通学時間帯でいろんな生徒とすれ違う。真っ直ぐに高校野球で有名な今治西高、県道156号、国道196号を越えると住宅街に56番泰山寺がある。裏の奥の院龍泉寺から蒼社川までの遍路道も、ほぼ一直線だが工事中だ。違う道を迂回すると道を間違うこともあるので工事関係者にことわり工事中の遍路道を突っ切る。

 蒼社川にぶつかると昔の道標は川を渡るように指をさしているが、ここは迂回して山手橋を渡る。小高い57番栄福寺へ上り、面白い伝説の犬塚池の畔から58番仙遊寺へと上って行く。山門の脇に大きなリュックが置いてある。歩き遍路の物だろう。少し上の大師のお加持水を金髪の青年がうまそうに飲んでいた。これがリュックの持ち主の英国の青年野宿遍路(仮にリチャードと呼ぶ)だ。ここから本堂までもけっこうな石段の上りが続く。本堂脇の小さな売店で、熱くて甘く美味しいゆずジュースのお接待をいただく。

 五郎兵衛坂を下り上の写真は下って少し平らになったあたり)、59番国分寺との分岐で道標に従い右へ番外霊場の竹林寺の方へ下る。少し行くと平坦な一般道になるが道標は見当たらない。民家の人に聞いても竹林寺は知らないようだ。池沿いに歩いていたらいつの間にか国分寺への遍路道に出てしまった。伊予富田駅の南側で予讃線を渡る。伊予の国府はこのあたりらしいが、所在地ははっきりしていないようだ。59番国分寺は駐車場は広いが境内は狭く、昔の面影も残っていない寺ですぐに立ち去り、近くの国分寺七重塔跡を見に行く。周辺は住宅街で、ここに高さ60mもの塔が立っていたとは。

 県道156号に出て南へ、伊予桜井駅を過ぎてしばらく行って「道の駅今治湯ノ浦」で小休止。予讃線をくぐり、今治小松自動車道沿いの殺風景な道を上って世田薬師の栴檀寺へ着く。奥の院のある世田山(280m)までは1.5kmの遊歩道が続いていてどうしようか迷ったが今回は遠慮?した。古代の山城の永納山城跡を後ろに見て下り、まだ時間も早いので北川の自安橋の手前のベンチで30分ほど昼寝だ。風は少し強いが、陽射しがちょうどいい暖かさで気持ちがいい。

 予讃線を挟んで道安寺と臼井御来迎という大師の加持水井戸がある。井戸端で老婦人たちと少しお喋りをして、西へ北川を越えて実報寺へ寄り、古い家並みの道を通り、日切大師を抜け光明寺門前のもとの道に戻った。野宿遍路のリチャードはこの寺の境内に泊めてもらったそうだ。札所の寺はもとより、今では泊めてくれる寺はほとんどないという。そんなことにもめげず(気にかけずか)歩き通しているのだから大したものだ。

 ちょうど5時近くで宿に入るのにはいい時間だ。大明神川沿いに進み、交差点から左に入ると右に敷島旅館が見えるはずだが見えない。かなり進んでまた戻ってゆっくり探していると反対側の路地の奥から○○さんと呼ぶ女の声が。むろんこんな所で私の名を知っているのは旅館のおかみだけ。地図の標示が間違いか、見方が悪いのか、まあそんなことはどうでもいい。裏口から玄関に回って明るい部屋に通され早速フロだ。洗濯のお接待もしてもらい有り難い限りだ。泊まりは私一人。3日連続夕食の相手がいないのはちと寂しいが、今夜の料理は近所の人が近くの山で生け捕った猪の肉のしゃぶしゃぶだ。大きい鍋に肉と大盛りの野菜とビールですっかり満腹、満足で早寝とした。

 明け方だろうか、サイレンのような、犬の遠吠えのような音が長く聞こえたような気がした。まだ夢うつつで起きたらその事はすっかり忘れて何の音だったのかおかみさんにも聞かなかった。後で知ったのだが、光明寺に泊まったリチャードの話では港か海(東予港か燧灘)で火災があったという。空が真っ赤に染まっていたという。昨日食べた猪の怨念の声でなくてほっとした。

  【ルート地図

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Img_9013 56番泰山寺の参道

Img_9014 泰山寺

泰山は、①延命地蔵経十大願の第一「女人泰産」から。②中国の道教の五岳の一つ東岳泰山からとの説がある。道教・仏教・神道→修験道→四国遍路はつながりがあるようだ。

Img_9015 本堂

本尊は地蔵菩薩像

Img_9018 龍泉寺(56番奥の院)

本尊は十一面観音で、「穴場さま」、「穴観音」と呼ばれ婦人病に霊験あり。

Img_9020 鏝絵の十一面観音

Img_9021説明板

Img_9023 57番への遍路道

Img_9024 蒼社川土手の道標

昔、遍路は川の水量が少ない時はここを渡った。道標の指が川を渡れと指している。水量が少なくてもこんな草ぼうぼうの所はごめんだ。

Img_9025 今は山手橋を渡って栄福寺へ

昔は蒼社川は氾濫を繰り返し、「人取川」と恐れられていた。元は「総社川」だった。伊予富田駅の南に神宮寺総社があったらしい。

Img_9031 府頭山57番栄福寺

本尊は阿弥陀如来像。山頂(府頭山)の石清水八幡宮が元の札所でここは別当寺だった。八幡は阿弥陀の本地仏、権現という。59番国分寺近く(伊予富田駅近くの富田小学校あたり)に伊予の国府があったことから府頭山の山号がある。

Img_9034 栄福寺前から

Img_9032栄福寺前から上った岩清水八幡宮が元の札所。

栄福寺を通り越して、この石段を上って八幡宮の境内をウロウロする遍路もいた(いる)とも。

Img_9041 犬塚池 【ルート地図】の①

犬塚池の伝説:「昔、栄福寺と仙遊寺を兼務していた住職がいた時、その愛犬に二つの寺の使いをさせていた。ある時、使いの合図の鐘が両方の寺で同時に鳴ったので、犬はどちらに先に行くか迷って、困り果て遂に狂って、寺の間のこの池に飛び込んで死んでしまった。村人は犬を池の畔に葬り、犬塚を設け、この池を犬塚池と名づけたという。」

八幡山は栄福寺で、作礼山は仙遊寺のこと。静かできれいな池で、犬が死んだ池というより、水鳥の浮かぶ池にふさわしい。

Img_9046_2 58番への遍路道から

Img_9052 58番仙遊寺

養老年間にこの山で40年間も読経三昧で暮らしていた阿坊仙人が、ある日突然雲の如くいなくなったという伝説にちなむ寺号。これも道教の飛仙を想像させる話。

Img_9064大師の加持水(山門から少し上った所)

ここで英国の青年野宿遍路(仮にリチャードと呼ぶ)に出会う。

Img_9054 由来

Img_9065 加持水あたりから山門方向

Img_9059 鐘楼・本堂

本尊は「竜女一刀三礼」の作という千手観音

Img_9058 説明板

Img_9060 大師堂

Img_9070 五郎兵衛坂(坂上) 仙遊寺の門前から下る坂。【ルート地図】の②

仙遊寺の太鼓の騒音で、魚が逃げてしまい、生活を脅かされ、あげくの果てはこの坂で転び、仏罰で死んでしまった漁師の五郎兵衛さんは哀れだ。転ぶと三年以内に死ぬという「三年坂」と同じで、「急坂なので気をつけて下れ」という戒め坂名だ。

Img_9069 由来話

Img_9074 坂下方向

Img_9081 59番国分寺(左)と竹林寺(右)への分岐

「智慧文殊尊道」とある。番外霊場の竹林寺への道だが、この後、道標も見あたらず、里の道に出て民家の人に聞いても竹林寺を知らないようだった。

Img_9091 59番国分寺

山門がなく狭い境内で、創建当時の大伽藍の様子を偲ぶよすがもない。回りに木が少なく明るいというより、殺風景な感じの寺だ。藤原純友の乱から戦国時代の長宗我部の兵火まで4回も焼かれてしまったが、宗派は真言律宗を守っているのがこの寺の歴史。

Img_9094 大師堂

Img_9100 国分寺塔跡

この礎石の上に高さ60mもの七重塔が立っていたという。

Img_9102 説明板

Img_9103 繰型突起、繰型座の柱受け部分

Img_9104 法華寺(新四国曼荼羅霊場)への道だがパスした。

Img_9107_2 JR予讃線が右側を走る。

Img_9108 道の駅今治湯ノ浦温泉

Img_9111 JR予讃線・今治小松自動車道をくぐり殺風景な道を行き西条市に入る。

Img_9120 栴檀寺(世田薬師) 【ルート地図】の③

行基の創建し、大師が逗留して日光、月光菩薩像を安置。「病封じ」の寺という。

Img_9122 案内図

本堂は世田山の奥の院にあるようだ。ここは何国立公園なのだろうか?

Img_9119大師堂

Img_9116 三宝荒神社

右の石柱が伊予の守護の世田城主、大館氏明の位牌か?

Img_9115説明板

Img_9117「日本初神仏結合の霊場の集大成」とある。

Img_9134 永納山城跡・永納山トンネル方向

吉備の鬼城と同じ古代の山城跡

Img_9128 説明板

Img_9140 春日神社(左)・天満宮

Img_9141 説明板

Img_9144 供山廃寺の宝篋印塔

鎌倉時代のもの。

Img_9143 説明板

Img_9145知足庵の馬頭観音

Img_9146写真だけで堂内の鎌倉時代の作という馬頭観音像は見えず。

Img_9147 道安寺

大師が四国巡錫のみぎりこの寺に逗留し、掘った井戸が臼井御来迎という。今日は祭事日なのか土地の人が多い。

Img_9148 説明板

Img_9155 臼井御来迎(番外霊場)

大師が掘ったというお加持水。

Img_9154 井戸の前の小さな小屋

ここに座っていた5人のご老女たちと、しばらくお喋り。この井戸のことはあまり知らないようだった。

Img_9156_2 実報寺への道

Img_9157 実報寺(番外霊場) 【ルート地図】の④

この寺にも大師が逗留し、閼伽井戸を掘ったという。本尊は地蔵菩薩

Img_9160 本堂

Img_9164 釜堂?

Img_9167 天ケ城址あたり(実報寺の南側)

Img_9166 説明板

Img_9169 興雲庵

Img_9168 説明板

Img_9175 おやまはん常夜灯

このあたりの道筋、家並みは落ち着いたいい雰囲気だ。

Img_9174 説明板

Img_9178 日切大師(弘福寺・番外霊場) 【ルート地図】の⑤

大師が当時で日切の誓願を立てたと伝える。数多くの霊験談が残っているそうだ。

Img_9181 光明寺

リチャードはこの境内に泊まらせてもらったと後で(60番横峰寺で)聞いた。

Img_9184 敷島旅館

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2009年3月26日 (木)

四国遍路道(愛媛県-10)

2009年3月9日

Img_8841 民宿四国・・・県道347号・・・粟井坂・粟井坂大師堂・粟の井・・・蓮福寺大師堂・・・粟井川・・・常楽院・・・河野川・・・西ノ下大師堂・・・西福寺・・・三穂社・・・養護院(杖大師・番外霊場)・・・(JR予讃線)・・・夜がらす地蔵堂・・・大師橋(立岩川)・・・鎌大師(番外霊場)・鴻の坂・・・地蔵堂・・・(JR予讃線)・・・国道196号・・・原地蔵堂・・・原大師堂・・・小竹地蔵堂・・・(今治市)・・・(砥鹿トンネル)・三穂社・砥鹿(とが)神社・・・船が浦・竜神宮・遍路接待所「ぶじカエル」・・・遍照院(厄除け大師・番外霊場)・・・菊間川・・・青木地蔵堂(番外霊場)・・・貴布禰神社・・・円福寺・・・五郎兵衛大師・・・大井八幡神社・・・旧庄屋井手家・・・大池・・・54番延命寺・・・(瀬戸内しまなみ海道)・・・大谷霊園・・・県道38号・・・姫坂・姫坂神社・・・別宮大山祇(おおやまづみ)神社(元55番札所・番外霊場)・55番南光坊・・・今治ステーションホテル

 曇り空の下を海沿いの県道347号を北に向う。予讃線が粟井坂トンネルを抜けるあたりに粟井坂大師堂と粟井坂の旧道の一部、県道を挟んで粟の井が残っている。粟井坂は未舗装の昔ながらの細い道で車の通行は無理。今はあまり通られていないようで忘れ去られていく坂なのだろう。旧北条市の伊予北条駅近くの養護院に寄り、少し戻って予讃線を渡り、聖カタリナ短大そばの小さな夜がらす地蔵堂から遍路道に出て、大師橋で立岩川を渡る。緩やかに上って行くと鎌大師堂だ。思ったより明るい感じの境内で一休みする。

 鎌大師から鴻の坂を上って新道に合流し、振り返ると松山市街(上の写真)が、上りきって下りとなると浅海から今治市方向の景色がいい。浅海駅近くの原地蔵堂、大師堂に寄り、海岸沿いを行くと今治市に入る。松ケ崎を過ぎ菊間の町に入ると国道沿いに瓦工場が並んでいて、菊間陶芸愛好会のお接待処「ぶじカエル」もある。すぐ先の厄除け寺の遍照院は参拝人も多く、テント張りの売店も出ている。そこでお菓子のお接待を受ける。太陽石油の工場群を左に見て緩やかに上って行くと青木地蔵堂で、ここでも篭の中にお接待のみかんが置いてある。一ついただき一休みする。今日は日影に座っていると寒いくらいだ。

 星の浦海浜公園を過ぎ、予讃線を渡り、大西駅近くの旧家の井出家、鴨頭病院から国道196号に出る。ここのコンビニの前に座り込んでまた小休止だ。大池を右に見て2kmほど進み、左に曲がると54番延命寺は近い。53番円明寺からここまでは34kmぐらいだ。今日は55番南光坊を打ち、今治駅そばまでの行程だ。ちょっと疲れてきた。延命寺境内からの遍路道は瀬戸内しまなみ海道をくぐり、大谷霊園の中を抜けて行く。霊園の中で道を間違えたようで、県道38号に下りてしまい少し遠回りをして姫坂神社に着いた。城郭建築?のようなマンションを見ながら予讃線をくぐり、元の札所別宮大山祇神社から55番南光坊へ入った。

 古来から日本は神仏混交で、大師も国中の神を敬い、遍路も神仏両詣りの習わしだった。今の遍路は隣りに元の札所の神社があっても見向きもせず、素通りしてしまうようだ。これが初詣となるといそいそと神社へ参詣するのだから現金なものだ。そう言う自分は神も仏への信仰心も薄い(全くないに近い)のだからこんなことを言う資格などないのだろうが。5時近くの南光坊境内は誰もいない。団体のお遍路が大勢なのもいやだが、誰もいないのもちょっと寂しい感じだ。いつの間にか降り出し雨と疲れで寒くなってきた。高野山今治別院に寄り、県道157号に出て、今夜の宿の今治ステーションホテルに向う。禁煙ルームが満室で煙草の匂いのしみ込んだ部屋だったのには少々参った。そんなに混んでいそうもないようで本当に満室だったのだろうか。駅の近辺には飲食店が少なく、ホテルで聞いた○○食堂へ夕食に行った。この食堂はちょっと変わった感じだったが書くのは控えておこう。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_8750 粟井坂トンネル(右)・県道347号・瀬戸内海(左)

JR予讃線光洋台駅近く

Img_8770 粟井坂大師堂・粟井坂新道碑(中央右)・粟井坂(右端)

子規・漱石の句碑も立つ。

Img_8755 粟井坂大師堂説明板

Img_8756 子規句碑

「涼しさや 馬も海向く 淡井坂」

Img_8769子規・漱石句碑

「志保ひ潟(しほひがた) 隣の国へ つづきけり」 子規

ここは、昔は風早郡と和気郡の境、近くは松山市と旧北条市の境だった。

「釣鐘の うなる許(ばかり)の 野分かな」 漱石

Img_8760 粟井坂(坂上方向) 【ルート地図】の①

カーブしながら上り、JR予讃線を越えて国道196号方向へ下って行く。

坂名の由来は大師堂の向かい側の「粟の井」から。

Img_8767 坂の途中から瀬戸内海方向

Img_8762 左に曲がってさらに上る。

Img_8766 小石仏

Img_8763 坂上

コンクリート製の物置?のような施設がある。

Img_8765 下りとなって国道196号の方へ続いている。

Img_8752 粟井坂新道碑

Img_8771 粟の井(大師水)

県道347号を挟んで粟井坂大師堂の向かい側

Img_8774 由来

Img_8773 句・歌碑説明板

井戸の右が歌碑で、左が句碑だったか?

Img_8780 蓮福寺大師堂(県道347号の粟井川の手前)

本尊が大日如来の真言宗醍醐派の寺。

Img_8790 西ノ下大師堂(県道347号の河野川の先)と遍路墓

「道の辺に 阿波のへんろの 墓あわれ」の高浜虚子の句碑が立っているというが見逃した。ここは阿波ではないのだが。虚子は幼年期をこの地で過ごしたという。

Img_8789 堂内の大師さんと地蔵?

Img_8793 三穂社

Img_8799 由緒

Img_8794 旧家

Img_8795 養護院(杖大師)(番外霊場)

遍路大師の夢想、縁起による杖を伝える。永禄年間(1558~1570)に修験道場として、旧北条市中西外に創建。大正9年ここに移転した。

Img_8797 由緒

Img_8802 夜がらす地蔵堂 【ルート地図】の②

Img_8803 夜がらす地蔵

「夜がらす」の由来は何なのか?

Img_8804 大師橋へ向う遍路道

Img_8811 大師橋(高岩川)から

Img_8814 鎌大師へ右の道

Img_8818 鎌大師(番外霊場)

悪疫流行に苦しむ村に、大師が鎌で刻んだ自像を与えたところ無事平癒したという。

Img_8819 説明板

Img_8817 観音菩薩

Img_8820 十八人塚

南北朝の戦乱で敗れた赤橋重時主従の墓所という。

Img_8821 内部

古墳の横穴石室のようだ。

Img_8822 芭蕉塚

Img_8825 「一茶の道」説明板

Img_8828 一茶の道

寛政7年小林一茶は、鴻の坂を下り、この道を通り門田邸(師の茶来が住職の最明寺?)に向ったそうだ。

Img_8829 石碑

Img_8826 一茶の道案内図

鴻の坂がある。

Img_8833 鴻の坂(坂上方向) 鎌大師前から北方向に上る坂。【ルート地図】の③

真念の「道指南」に、「かうの坂、ふもとに大師堂」と記す。

Img_8837 車道に出てさらに上る。

Img_8849 坂上から下って浅海(あさなみ)方向

Img_8851 「松山札辻より五里」

味栗集会所の前

Img_8853 地蔵堂

Img_8854 地蔵さん

どう見てもおしろいを塗った可愛い女の子だ。

Img_8855 六地蔵もお人形さんのようだ。

Img_8859 JR予讃線

ここも「アンパンマン電車」だ。

Img_8861 原地蔵堂(浅海駅近くの国道196号沿い)

原はこのあたりの地名のようだ。

Img_8865 原大師堂

Img_8866 遍路は泊まれる通夜堂だ。

Img_8868 小竹地蔵堂

「風早四国番外十八番」の石柱が立つ。小竹も地名か?

Img_8879 三穂社(砥鹿トンネルの海沿い)

Img_8880 砥鹿(とが)神社

右は砥鹿トンネル

Img_8882 船が浦(菊間町)

Img_8888 瓦製造屋が並んでいる。

瓦のふるさと公園、かわら館、実習館などもある。「菊間瓦」の起源は弘安年間(1278~87)で、伊予の豪族河野氏の支配の時に製造が始まったという。温暖少雨の気候が瓦の乾燥に適し、原料の粘土や燃料の松葉にも恵まれ、輸送のための船の便が良かったことが瓦製造業を発展させたという。今は一般の家庭用には瓦の需要は減ってきて、転業する工場も多いと遍照院境内で土地の人から聞いた。

Img_8883 厄除け鬼瓦

Img_8893 接待所「ぶじカエル」

Img_8891

Img_8892中学生が瓦で作った置物が並んでいる。

Img_8895 遍照院(番外霊場)山門

弘仁6年(815)大師が厄除けのため聖観音を安置し、自作の像を遺したと伝える。「厄除け大師」と呼ばれ、節分には厄除け大祭が行われる。

Img_8897左のテントの売店でお菓子の接待を受ける。

Img_8901 鐘楼門から

Img_8907 臍(へそ)島か

Img_8910 太陽石油の工場群

菊間町の瓦と並ぶもう一つの産業だ。

Img_8914 青木地蔵堂(番外霊場)

大師が杖で示したところを掘ると清水が湧き出、記念に青木を植えたという霊場。腰から下の病に霊験があり、「腰、しもの地蔵さん」と親しまれている。

Img_8915 地蔵堂

Img_8916 通夜堂もある。

円福寺で管理している。

Img_8924貴布禰神社

Img_8934 霊厳山円福寺

奈良の長谷寺の末寺らしい。

Img_8930 本堂

Img_8929 説明板

Img_8933 山門から

Img_8943 五郎兵衛大師

Img_8942悪病、悪霊を防ぐ五郎兵衛大師さん

Img_8940 参道は反対側でかなりの距離がありそうなのでパスする。

Img_8949 予讃線の特急

Img_8953 大井八幡神社

Img_8956 旧庄屋井手家

屋根上の天水瓶は大阪夏の陣で徳川方に味方した功績により置くことを認められたという。参勤交代の時には本陣になった屋敷。

Img_8957井手家説明板

Img_8959 クスノキ

Img_8960 鴨頭病院

ここも昔からの旧家のようだ。

Img_8962 大池

Img_8970 54番延命寺山門

今治城の城門の一つだったもの。往時は近見山に100坊も配していたという寺。本尊は不動明王で36番青龍寺、45番岩屋寺と同じ。

Img_8969 説明板

Img_8968 梵鐘

戦国時代に長宗我部の兵士達に略奪されそうになった時、自ら海中へ沈んで難を逃れたという言い伝えがあるがこの鐘とは鋳造年代とは合わない。一代前の鐘の話か。また戦時中に供出命令を受けたが、何とか供出の免除を受けたといういわくつきの鐘だ。

Img_8967 説明板

Img_8973 大師堂内

Img_8978 標石などが立つ一画

Img_8974 左端

慈悲深い庄屋と書かれているが、越智家はキリシタン狩りにも一役買った庄屋だ。いいことだけ書いて都合の悪いことは目をつぶるのは「阿方文化連盟」に限ったことではないが。

Img_8976 右端が真念建立の標石

Img_8983 このあたりが近見百坊のあったところか。

Img_8982 説明板

Img_8981 遍路道は瀬戸内しまなみ海道をくぐり、大谷霊園を抜けて今治市街地へ。

Img_8989 今治城ではない。「高井城今治ハイツ」というマンションだ。

Img_8996 姫坂神社

祭神は市杵島姫神。鳥居をくぐり、社殿へ上る参道の坂が姫坂だろう。途中が道路工事中で写真はこの一枚だけ。「ひめ坂に 立る梢のいろいろに 神のみそぎの 錦なるらん」の古歌がある。【ルート地図】の④

Img_8994 社殿

Img_8995由緒

Img_8992 青木神社(姫坂神社境内)

祭神は医学の神の少名彦命。「咳」の守護神だそうだ。

Img_8993由緒

Img_9000別宮大山祇神社

大三島の伊予国の一の宮、大山秖神社の別宮。明治の神仏分離まではここが55番札所だった。

Img_9003 由緒

Img_9001 拝殿説明板

Img_9007 55番南光坊 【ルート地図】の⑤

明治の神仏分離令により、隣りの元の札所の別宮大山祇神社より大通智勝如来ほかを薬師堂(戦災で消失)に遷座して札所となった。河野氏がその名に「通」の字を使用したのは、大通智勝如来にあやかったという説もある。札所88ケ寺中、坊がつくのはここだけ。

Img_9004 本堂

Img_9005大師堂(左)

Img_9012 高野山今治別院

Img_9010 日切地蔵尊

別院境内

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2009年3月18日 (水)

四国遍路道(愛媛県-9)

2009年3月8日

松山駅・・・姫原橋・・・軽之神社・姫池・六地蔵・比翼塚・・・蓮華寺(番外霊場)・・・礼拝(らわい)坂・生木の地蔵・・・一里塚石・・・福永神社・・・志津川池・・・志津川橋(大川)・・・井関橋(久万川)・・・(JR予讃線)・・・大将軍神社・・・入山田池・・・一の門・仁王門・一畑薬師堂・山門・52番太山(たいざん)寺・・・52番奥の院(経ケ森)・・・県道183号・・・中乃川橋(久万川)・・・県道39号・・・勝岡八幡神社・・・53番円明寺(えんみょう)奥の院(番外霊場)・・・県道39号・・・中乃川橋・・・恵比寿神社・・・53番円明寺・・・馬木橋(大川)・・・花見川橋(権現川)・・・堀江橋(郷谷川)・・・三穂神社・・・民宿四国

 松山駅から北に向かい、国道196号の姫原橋交差点で遍路道からはずれ東へ、木梨之軽太子と軽大郎女の悲恋物語、日本最初の心中事件?の伝承地、姫池、軽之神社、比翼塚に寄る。蓮華寺門前の周辺案内図に礼拝坂があるのを見つけた。遍路道からも近く、坂道散歩にはうってつけの坂だ。蓮華寺にゆかりのある坂名だが、「礼拝」は坂の途中の生木の地蔵のマリア像の方がピッタリする感じがする。

 菜の花が咲く川沿いから52番太山寺の参道に出て一の門、仁王門、山門と上って行く。奥の院は松山観光港のある高浜町への山道沿いの経ケ森で、お堂はなく360度の展望の見晴らしの所に観音像の塔が立っている。太山寺境内から53番奥の院経由で53番円明寺へ行ける遍路道があるはずだが見当たらず、聞いてもはっきりしない。仕方なく一の門へ戻り、県道183号から久万川沿いを進み、勝岡八幡神社前を通ってかなり大回りして、さらに途中で道を間違えかなりの時間をかけて53番の奥の院へたどり着いた。来た道を戻り、伊予和気駅近くの53番円明寺へ向う。

 53番の「和気の円明さん」は52番太山寺に比べると平坦な町中の寺でこじんまりとしている。ここにもマリア像を刻んだキリシタン灯ろうがある。松山から今治までの一帯は、隠れキリシタンが多くいたという。予定より時間を食ってしまいもう5時近い。県道39号を今夜の宿の民宿四国に向う。途中の民宿伊予路は閉まっていた。当初ここに泊まるつもりだったのだが電話が通じなかった。廃業したのだろうか。夕暮れの堀江港に寄ってから宿に入った。おかみさんは今夜は客が多くて大変だという。遍路ではなく工事関係者が泊まっているというが、まだ帰ってはいなかった。急いで風呂に入り、部屋に運んでもらった夕食を食べる。今夜はさぞかし騒々しくて眠れないかと覚悟していたが、何と言うことはなく静かな夜でいささか拍子抜けした感じだった。

  【ルート地図

  *『四国遍路道』(愛媛県-8)からの続き。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_8604 軽之神社、姫池への坂

Img_8596 軽之神社、姫池 【ルート地図】の①

同母の兄妹の木梨之軽太子(きなしのかるのみこ)と軽大郎女(かるのおおいらつめ)の悲恋物語

Img_8591 由来

Img_8594 姫池

六地蔵から軽之神社方向

Img_8601比翼塚と歌碑

Img_8602 木梨之軽太子と軽大郎女の歌碑 『古事記』

軽太子が伊予に流された時の歌と、軽大郎女が軽太子を追って行く時に作った歌。

Img_8605 蓮華寺山門 

Img_8608 本堂

延宝2年(1674)の建立。行基が当寺の山頂(室岡(しっこう)山)で見つけたという薬師如来像が本尊。山頂には1500年以上も昔の霊所遺跡(岩室)があるという。

Img_8625 近辺の説明板

Img_8614 礼拝(らわい)坂(坂下から) 北東に上る坂。【ルート地図】の②

蓮華寺山頂の室岡山の薬師如来像を村人がこの坂上から拝んだところからこの坂名がついたという。座拝(ざはい)坂ともいう。

Img_8615 由来書

Img_8616 坂上方向

Img_8618 生木の地蔵堂(坂の途中)

Img_8624 坂下方向

左正面が室岡山蓮華寺

Img_8619 生木の地蔵

隠れキリシタンが崇拝した石柱のマリア像が木の根元に植え込まれている。このマリア像を礼拝したから、「礼拝坂」と呼ぶようになったという方が似つかわしい感じだが、隠れキリシタンはおおっぴらに礼拝はせず、坂に名もつけたりはしないだろう。

Img_8620由来

Img_8621マリア像に見えるか?

Img_8627 一里塚石(復元)

「松山札の辻より壱里」

Img_8626 説明板

Img_8628 福永神社

Img_8633 志津川橋あたり

Img_8642 久万川

Img_8647 大将軍神社(大渕公園)

大将軍とは誰のことなのか? 

Img_8650菜の花盛り

Img_8654 入山田池

Img_8656 52番太山寺参道 

Img_8658 一の門

Img_8662 仁王門

Img_8661 説明板

Img_8663 山頭火句碑

「もりもり もりあがる 雲へ あゆむ」

Img_8664 句碑説明板

Img_8665 一畑薬師堂

眼病に霊験あらたかという。

Img_8668 茶屋

Img_8670 遍路宿跡?

Img_8675 山門

Img_8711 説明板

Img_8676 太山寺本堂(国宝)

札所の中では2番目に古い本堂。豊後の真野長者により建立され、鎌倉時代に河野氏により再建された。

Img_8679 説明板

Img_8682 大師堂

右下の石をたたいてお参りする。

Img_8680_2 真野長者堂

「一夜建立の御堂」の伝承のある太山寺の創建者という豊後国の真野長者とその娘の般若姫を祀る。この姫は用明天皇がその婿になろうと草刈童にまでなって近づいたという程の美人だったとか。

Img_8677 鐘楼天井の地獄絵

Img_8685 奥の院(経ケ森)へ

Img_8690 瀬戸内海

下は松山観光港か

Img_869152番奥の院(標高203m) 【ルート地図】の③

堂はなく観音像だけが立っている。「聖武天皇埋経の地」の石碑があるそうだ。それで経ケ森というのか。

360度の展望で眺めがいい。

Img_8696 松山市街地方向

Img_8714 53番円明寺奥の院へ

古い家並みの道

Img_8717旧家 

Img_8716 53番円明寺奥の院 【ルート地図】の④

元の円明寺があった所。

Img_8729_2 円明寺近くの家並み

Img_8719 53番円明寺八脚門 【ルート地図】の⑤

Img_8720 説明板

Img_8721 中門?

Img_8725 本堂

慶安3年(1650)の銅製の納札が保存されている。龍の彫り物は左甚五郎作と伝える。

Img_8722 大師堂

Img_8727 天井画(大師堂)

Img_8723 キリシタン灯ろう

マリア観音

Img_8724説明板

Img_8737 三穂神社

Img_8736 由緒

Img_8741 堀江港 

広島方面へのフェリーが出ている。

Img_8739 民宿四国

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