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2009年4月24日 (金)

笛吹峠・物見山・岩殿観音

2009年4月22日

武蔵嵐山駅(東武東上線)・・・(国道254号)・・・学校橋(都幾川)・・・鎌倉街道上道・・・向徳寺・・・県道172号・・・根岸観音堂(子育観音)・・・源義賢墓・・・大蔵館跡・大蔵神社・・・安養寺・・・大行院・・・縁切橋・・・日吉神社・将軍神社・・・明光院・・・笛吹峠・・・巡礼街道・・・地球観測センター・・・(鳩山高校)・・・県道343号・・・(山村学園短大)・・・物見山(135m)・・・岩殿観音・・・熊野神社・・・鳴かずの池(弁天池)・・・県道212号・・・(関越自動車道)・・・彫刻通り・・・高坂駅(東上線)

 陽射しが強く初夏のような陽気の中を、比企丘陵を嵐山町から鳩山町、東松山市へと歩きました。

  【ルート地図

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Img_0939 学校橋から都幾川

Img_0943 向徳寺

鎌倉時代の創建という時宗の寺で藤沢市の遊行寺の末寺。

山門の右側に古い板碑が十数枚収められている。

Img_0951 説明板

Img_0950 右がこの中で一番古く、建長年間(1250年頃)の「阿弥陀如来」の板碑、左は康永3年(1344)で「阿弥陀三尊」、手前は正応6年(1293)で「阿弥陀三尊」

Img_0954鎌倉街道上道

Img_0960 根岸観音堂

子育観音で、2月20日と10月20日が縁日

Img_0972源義賢の墓

鳥居をくぐった新藤家の敷地内にある。

Img_0970 説明板

Img_0968 古式五輪塔

五輪塔の火・水の部分だけが残存していた。墓というより供養塔か。

Img_0967説明板

Img_0963 源氏三代供養塔

大行院が平成18年に建てたもの。

Img_0962  説明板

Img_0982 大蔵館跡

源氏と平氏一族を供養する新しい馬頭観音が立っている。

Img_0981 大蔵館説明板

Img_0979 大蔵館跡の大蔵神社 【ルート地図】の①

木曽義仲の父、源義賢の居館の中心部。

Img_0978 説明板

Img_0985 安養寺

Img_0988 安養寺山門

天保10年(1839)建立の天台宗の寺。

Img_0986 説明板

Img_0993 大行院

稲荷に山伏(役の行者?)、地蔵さんその他、様々な神仏を祀っている。

Img_0998 二宮金次郎の像も立っている。

Img_1015 縁切橋跡あたり

岩殿山の悪龍退治の準備をしていた坂上田村麻呂のもとへ、妻がはるばる京から訪ねてきた。田村麻呂は妻をこの橋のところで縁を切ると怒って追い返した。退治した龍の頭を埋めた所が弁天池になったという伝説がある。

乃木将軍が師団長として四国の第76番金倉寺を住まいとしていた時に、訪ねてきた妻を追い返したという話と似ている。

Img_1016 説明板

Img_1019 縁切橋跡

今も下を水が流れている。橋は残っていないが坂はある。縁切坂と呼んだらどうか。

Img_1022 日吉神社

境内に将軍神社もある。

Img_1023 日吉神社

Img_1026 将軍神社

征夷大将軍の坂上田村麻呂を祀る。

Img_1031 笛吹峠へ

Img_1034 説明板

Img_1035 笛吹峠の石碑から岩殿観音への巡礼街道に入る。 【ルート地図】の②

正平7年(1352)新田義貞の三男義宗らが宗良親王を奉じて武蔵野の小手指ケ原で戦い、この峠で最終的な決着がついた。義宗らは越後に落ちて行き、足利尊氏はこれ以後関東を完全に制圧していった。この戦いで、月明かりの中、宗良親王が笛を吹いたことからこの名がついたという伝承がある。

峠といって標高80mくらいで、今は見晴らしもきかない。

Img_1043 虫が寄ってくる暑い道を行く。

Img_1048 地球観測センター

2003年10月、宇宙科学研究所(ISAS)、航空宇宙技術研究所(NAL)、宇宙開発事業団(NASDA)が統合して誕生した、独立行政法人 宇宙航空研究開発機構 JAXA(ジャクサ)の観測施設の一つ。

Img_1067 物見山 【ルート地図】の③

坂上田村麻呂が奥州征伐の際に、ここから国見をしたことにちなむ名という。色とりどりのつつじが咲き誇っている。

Img_1065 説明板

Img_1078 

Img_1103 岩殿観音 【ルート地図】の④

坂東三十三観音霊場第10番札所

Img_1092 説明板

Img_1104 境内図

Img_1090 薬師堂(手前)・百地蔵堂

Img_1105 四国八十八ケ所仏

Img_1107 鐘楼

銅鐘は元亨2年(1322)の鋳造、鐘楼は元禄15年(1702)の再建。

Img_1093 説明板

Img_1098 門前の町並み

Img_1121 説明板

Img_1116 参道から仁王門

右は旅館だったのだろう。

Img_1120 今は門前町の家並み、風情はない。

Img_1122 弁天沼(鳴かずの池) 【ルート地図】の⑤

弁天島(正面)には弁天堂がある。

Img_1123由来

Img_1126弁財天とお使いの蛇、それとも坂上田村麻呂に退治された龍か?

Img_1131彫刻通り

高坂駅近く

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2009年4月17日 (金)

嵐山町(鬼鎮神社・大平山・菅谷館跡)

2009年4月15日

武蔵嵐山駅(東武東上線)・・・鬼鎮神社・・・県道69号・・・地産団地・・・県道196号・・・志賀小学校・(東上線)・・・国道254号・・・平沢団地・・・白山神社・平沢寺・・・大平山(178m)・雷電神社・・・塩沢冠水橋(槻川)・・・嵐山渓谷・・・べったら地蔵・・・(県道73号)・・・鎌形郷土棺・・・八幡橋・銭形八幡神社・・・班渓寺・・班渓寺橋(都幾川)・・・八幡橋(都幾川)・・・二瀬橋(都幾川)・・・菅谷館跡・・・武蔵嵐山駅

 木曽義仲、畠山重忠ら坂東武者、鎌倉武士ゆかりの比企丘陵の嵐山(らんざん)町を歩く。武蔵嵐山駅東口から鬼鎮神社へ向うが道が分からなくなる。以前に来た時も迷った。鬼にまで嫌われて、喜ぶべきか悲しむべきか。地産団地の中を通り、県道196号に出て志賀小学校沿いに上って東上線を越える。平沢団地を上って下って抜け、国道254号を渡って静かな道に入る。白山神社、平沢寺から大平山は一登りだ。

 大平山頂から下って槻川の塩沢冠水橋を渡る。このあたりから上流が嵐山渓谷だ。昭和の初めにこの地を訪れたえらい博士が京都の嵐山の景観に似ていると言ったことから武蔵嵐山の名が生まれた。たいした渓谷美でもないが戦前には年間100万人もの観光客を集めたというからびっくりもんだ。

 嵐山渓谷から上ってのどかな道を行くと「べったら地蔵」で、その先で県道73号を渡ると旧日赤埼玉県支部の社屋を移築した郷土館がある。ここにあった鎌形小学校は閉校(2007年)したようで町立幼稚園になっていた。子どもが減っていく中、小学校は潰れても幼稚園は存続可能なのだろうか。木曽義仲ゆかりの鎌形八幡神社、班渓寺に寄り、班渓寺橋を渡り大蔵館を目指すが道を間違えて再び八幡橋に出てしまい、大平山の眺めがいい都幾川沿いを歩く。槻川が都幾川に合流する二瀬橋を渡り、畠山重忠の菅谷館跡を散策して武蔵嵐山駅に戻った。

  【ルート地図

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Img_0799 鬼鎮(きじん)神社 【ルート地図】の①

畠山重忠の菅谷館築造の際に、鬼門除けの守護神として祀られた。節分には、「福は内、鬼は内、悪魔外」と赤鬼、青鬼が豆をまく。勝負事、受験の神様として人気が高い。屋根の下に金棒を持った赤鬼、青鬼の扁額?が掛かっている。(写真正面)

Img_0798 由緒

Img_0805 白山神社前

手前の大きな石は旧平沢寺の礎石

Img_0806_2 説明板

Img_0810 不揃いで上りづらいが、いい感じの石段。

上は不動堂(平沢寺?)で白山神社はさらに石段を上る。

Img_0815 白山神社

Img_0818 太田資康(すけやす)詩歌会跡碑

父、太田道灌の仇、(扇谷)上杉定正を討つべくここに陣を張っていた。その時に道灌の詩友の万里集九がここを訪れて滞在した。万里が去る時に資康は送別の詩歌会をここで催したという。

Img_0808 説明板

Img_0807 経筒

白山神社裏手の長者塚から出土

Img_0825 平沢寺(へいたくじ)

Img_0806 説明板

Img_0828 赤井の井戸

古来より共同利用してきた井戸を復活保存して名水を後世に伝えたいそうだが、水は汚れたままで放置されている。こんなことなら復活しない方がましだ。

Img_0827 説明板

Img_0834 大平山(178m)へ

Img_0838 山頂近くから嵐山町方向

Img_0832 案内図

Img_0840 山頂の雷電神社の小祠 【ルート地図】の②

Img_0839 説明板

Img_0843 塩沢冠水橋へ下る。

Img_0848 塩沢冠水橋から槻川 【ルート地図】の③

嵐山渓谷はもう少し上流の所が眺めがいいようだ。

Img_0849 嵐山渓谷説明板

Img_0851 地蔵さん

これが「べったら地蔵」かと思ったが違っていた。宝暦8年(1758)の建立。

Img_0864 くよづかの「べったら地蔵堂」

横から見ると平たい石なので、「平石地蔵」、「べったら地蔵」と呼ばれている。宝永6年(1709)の建立。

Img_0857 説明板

Img_0859 堂のすき間から地蔵の上半身

確かに頭も体も普通の地蔵より平たい。

Img_0866 郷土館

19世紀末にアメリカで流行した建築様式の影響を受けたとされる明治時代の旧日赤埼玉県支部の社屋(埼玉県浦和市(現さいたま市))を移築。

Img_0868 説明板

Img_0873 鎌形八幡神社 【ルート地図】の④

延暦年間(782~805年)に坂上田村麻呂が九州の宇佐八幡宮を勧請したのが創始という。

Img_0874 説明板

Img_0881 本堂(石段上)

右が義仲産湯の清水

Img_0879 竹筒から水が落ちている。

Img_0883班渓寺

門前に「木曽義仲公誕生之地」の碑が立つ。義仲の妻の山吹姫の墓もある。

Img_0885 説明板

分かりにくい文章だ。

Img_0887 班渓寺橋(都幾川)

Img_0891 昔からの農家か

Img_0894 八幡橋

Img_0898 大平山

都幾川のニ瀬橋近くから

Img_0903 ニ瀬橋から

槻川(右)が都幾川に合流する流れが早い「瀬」のところだが今はさほど急でもない。

Img_0917菅谷館(すがややかた)跡の空堀と土塁 【ルート地図】の⑤

元は中世の畠山氏の居館で、戦国時代に現在に残る大規模な遺構となった。館というより城郭だ。

Img_0920 出枡形土塁(出っ張っている所)と空堀

Img_0918 説明板

Img_0921 説明板

Img_0931 案内図

Img_0924 空堀を渡って本廓へ

Img_0926 本廓(ほんぐるわ)

Img_0930 畠山重忠

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2009年4月16日 (木)

巡礼坂・吉見観音・ポンポン山

2009年4月13日

Img_0698 東松山駅(東武東上線)・・・下沼公園(女沼)・福聚寺・・・東松山市ウオーキングセンター・・・市の川橋(市野川)・・・岩室観音・松山城跡・巌窟ホテル高荘館跡・・・吉見百穴・・・大沼・・・天神沼・・・横見用水路・・・(吉見中学校)・・・息障院(源範頼館跡)・・・横見神社・・・巡礼坂・黒岩配水場・・・吉見観音(岩殿山安楽寺)・・・八丁湖・・・黒岩横穴墓群・・・高負彦根神社・ポンポン山・・・県道171号(今泉東松山線)・・・八坂神社・北向地蔵・・・龍性院・・・(吉見百穴)・・・市の川橋・・・東松山駅

 古代からの史跡と豊かな自然が残る比企丘陵の吉見町の坂道散歩です。日本スリ-デ-マーチの時は賑わう東松山駅に久しぶりに降ると駅庁舎は新しくなっていた。下沼公園を通る遊歩道を抜け、市の川橋を渡ると吉見町に入る。正面の小高い丘が松山城跡で市野川が堀の役割を果たしていたようだ。その崖下に岩に挟まれた岩室観音堂、その隣りには奇妙な「巌窟ホテル高荘館」、道路を挟んで吉見百穴と見るべきものが多く時間がかかる。吉見百穴の下部の横穴墓は地下軍需工場に転用のため破壊され無惨で痛々しい。まさに空虚だ。

 大沼、天神沼から広い道を北東に向い、横見用水路沿いに進むと吉見中学校の北に息障院がある。落ち着いた佇まいの、品のいい感じの寺でゆったりした気分になる。このあたりは御所という字名で源範頼の館があった所という。北の横見神社前から西へ向うと巡礼坂(上の写真)の上りとなる。この道は坂東三十三所の巡礼道だったが今は廃道に近い感じだ。昔は坂上の黒岩配水場の所を真っ直ぐに突っ切って進み11番札所の吉見観音へ通じていたのだろう。

 吉見観音脇を上って下ると八丁湖公園へ出る。静かな湖畔沿いを半周して黒岩横穴墓群から公園を抜けてポンポン山へ向う。山といっても高負彦根神社の裏の小高い岩場で、東の荒川方向に田園風景が広がっている。ここを今日の終点として、八丁湖公園の北側から、吉見観音の西側を下り県道171号に出て西方向に行き、北向地蔵から南に入り、龍性院から吉見百穴に出て朝来た道を東松山駅に向った。

  【ルート地図

  *参考:『吉見町の観光・文化財

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Img_0796 東松山駅

Img_0622 下沼公園(女沼)

正面は中の島の弁天堂

松山小唄「・・・恋の上沼下沼あたり くるり日傘の紅が散る・・・」 2つの沼を結ぶ夢小路を通り、上沼(男沼)の松山神社と、下沼の弁天様を参拝すれば2人の恋も成就するとか。

Img_0620 説明板

Img_0625東松山市ウオーキングセンター

Img_0626 市の川橋から

松山城跡(正面の丘)、岩室観音堂(中央左)

Img_0793 岩室観音(比企西国三十三所の第三番札所)

弘法大師が観音像を刻み、ここの岩窟に納めたという。京都の清水寺観音堂と同じ、懸造りの建築様式。

Img_0630 龍性院の説明板

Img_0635 四国八十八札所の本尊を模した石仏。これを拝めば88箇所を巡拝したのと同じ功徳があるとされているが、そんな安直なことは大師は認めないだろう。

Img_0631吉見町の説明板

Img_0633 堂の後ろから松山城跡に上る道だが、今は通行止めになっている。(大沼へ向う城跡沿いの坂の坂上あたりから入れる。) 平成20年(昨年)すでに国指定であった菅谷館跡(嵐山町)に、杉山城跡(嵐山町)、小倉城跡(ときがわ町・嵐山町・小川町)が加わり、比企城館跡群として国指定史跡となる。

Img_0641 説明板

Img_0794 巌窟ホテル高荘館跡

高橋峰吉翁が手堀で築いた人工名所。ホテルとして営業していたのではなく、「巌窟掘ってる」から。詳しくは『吉見見聞録』で 。

ずっと横穴墓の一部と思っていた。以前はこの前に巌窟売店もあったそうだ。

Img_0643 吉見百穴(ひゃくあな) 【ルート地図】の①

古墳時代後期から終末期(6C末~7C末)の横穴墓群。現在確認できる横穴は219基。安閑天皇の時に設置された横渟屯倉(よこぬみやけ)に伴い、移住してきた渡来系の壬生吉志(みぶきし)氏などがもたらした墓制と推測されている。ヒカリゴケが自生している横穴墓もある。

Img_0644 説明板

Img_0660 横穴墓内の棺座

ここに遺体を置いた。

Img_0646 地下軍需工場(中島飛行機)に転用された横穴墓

数十基の横穴墓が破壊された。先祖の墓を壊したりするから戦争に負けるのも当然。まあ、そうでなくても負けていただろうが。これじゃ先祖の霊も浮かぶ瀬もなしだ。

Img_0650 東西にかなり広く掘られている。

Img_0666 石仏

大沼への道で

Img_0669 大沼

百穴湖とも呼ばれ、冬はバードウォッチングが楽しめるそうだ。

Img_0672 天神沼

沼辺に天神さんのお堂か祠でもあるのか(あったのか)、見当たらず。

Img_0677 息障(そくしょう)院 【ルート地図】の②

源頼朝の異母弟の範頼(のりより)の館があった所と伝え、大字「御所」という地名になったという。息障院はかつては安楽寺(吉見観音)と敷地続きで一体化していた。寛永年間(1624~44)に当地へ移った。

Img_0680 説明板

Img_0681 本堂

「息障」は平将門調伏の護摩を修した功により下賜されたというが、どういう意味なのか?

Img_0682 地蔵堂

茅葺きの屋根が美しい。

Img_0686 源範頼の館の空堀跡か

Img_0688 横見神社の森

Img_0689 横見神社

延喜式内社で旧八ヶ村の鎮守

吉見は古代は横渟(よこぬ)といい、それが横見になり、吉見となった。明治29年に横見郡が比企郡に編入された。

Img_0692 巡礼坂の上り口 【ルート地図】の③

左に小堂、右に供養塔、地蔵などが並ぶ。坂東三十三所第11番の吉見観音への巡礼道の坂。

Img_0693供養塔、地蔵

Img_0694 巡礼坂(坂下から)

ここに道があるのを知らないと入りにくい。

Img_0696木々が覆う暗い道

Img_0700 坂下方向

Img_0703 上は扉が閉まっているようだ。

Img_0706 黒岩配水場で行き止まり

Img_0709 手前で左に折れて上る。

Img_0714 吉見観音(岩殿山安楽寺)の三重塔が見えてきた。

Img_0716 吉見観音仁王門

坂東三十三所札所第11番

比企地方には、「比企西国三十三所」・「入比(にっぴ)三十三所」(入間郡と比企郡)がある。

Img_0728 仁王さん

正面奥が本堂

Img_0727 説明板

Img_0715吉見大仏と呼ばれている阿弥陀如来像(本堂前)

寛政3年(1791)の建立

Img_0718 子宝、子授けにご利益があるのだろう。

Img_0723 野荒しの虎(左甚五郎の作と伝える)

伝説:「昔、一頭の虎が田畑を荒らし村人を困らせたせていた。 ある夜、村人が総出で虎狩りをして、足を槍で突いたが虎の力は強く逃げられてしまった。村人が血の跡をたどってみると、お堂まで続いていて、欄間の虎の後足にたくさんの血がついていた。」

Img_0719 三重塔

源範頼が建立したが戦国期に北条氏との戦いで焼失し、寛永年間に再建した。

Img_0721 太子堂

聖徳太子を祀る。仏教を広めて寺院を建立し、土木事業を促進したということで、大工や物づくりをする人たちの信仰を集めた。

Img_0734 八丁湖へ下る坂

Img_0740 八丁湖

水田耕作用に造られた52000㎡の溜め池

Img_0750 案内図

Img_0745 ウグイス(中央上)

大きな声でさかんにさえずっているが、鳴き方はあまりうまくない。鶯ではないのだろうか?

Img_0756 黒岩横穴墓群(古墳時代後期~終末期)

吉見百穴より多く、推定500基以上あるという。近くには延喜式内社が3社(横見神社・高負彦根神社・伊波比神社)もあり、古代にはこの地域が政治的に重要な役割を果たしていたことを物語る。

Img_0751 説明板

Img_0758 公園内を抜けて

Img_0764 高負彦根(たかおひこね)神社 【ルート地図】の④

ここも延喜式内社。後ろが「ポンポン山」で、名前が面白いせいか、近くに「ポンポン山歯科医院」なんてのもある。

Img_0768 説明板

Img_0767 獅子封じ塚

柊は二代目

Img_0766 由来話

Img_0769 ポンポン山

ここの巨岩が高負彦根神社の神体だったのだろうか。足を踏んでも普通の音しかしないよ。

Img_0774 三猿庚申塔が立つ山頂

山といっても小高い岩の丘。

Img_0772 荒川方向

Img_0783 八坂神社

Img_0780 北向地蔵堂 【ルート地図】の⑤

Img_0781 説明板

Img_0782 北向地蔵

台石は観音霊場巡りの道標にもなっている。

Img_0786北向地蔵(正面方向)から下って龍性院への道

宝暦7年?の庚申塔

Img_0790 龍性院前の坂

Img_0791 龍性院

岩室観音はこの寺の境外仏堂

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2009年4月12日 (日)

獅子ケ滝・鎌北湖・宿谷の滝

2009年4月10日

東毛呂駅(東武越生線)・・・出雲伊波比(いずもいわい)神社・・・(JR八高線)・・・高福寺橋(毛呂川)・・・稲荷社・・・高福寺・・・庚申堂・・・新川橋(阿諏訪川)・・・八坂神社・・・獅子ケ滝・・・一本杉峠分岐・・・鎌北湖・・・宿谷(しゅくや)の滝・・・宿谷地蔵尊・山根六角塔婆・・・毛呂山総合公園・・・県道30号・・・(八高線)・・・新しき村・・・武州長瀬駅(東武越生線)

  初夏のような陽気の下、散り始めた桜吹雪が舞う中を鶯の音を聞きながら、のどかな毛呂山町の坂道散歩です。

  【ルート地図

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Img_0456出雲伊波比神社 【ルート地図】の①

本殿は亨祿元年(1528)に毛呂顕繁が再建。一間社流造、県内最古の神社建築で、棟札二面と併せて国の重要文化財に指定。

Img_0457 狛犬(獅子)親子と猫

Img_0476 高福寺橋あたりから

Img_0466 稲荷社

Img_0469 高福寺

慶長10年(1605)に開山の曹洞宗の寺。道元禅師が説いた典座経典から生まれた「典座料理」(精進料理)で有名。

Img_0471 本堂

Img_0480麻原酒造

Img_0481 庚申堂(正面)

右は桂木観音から大高取山への道、獅子ケ滝へは左の道。

Img_0484 庚申塔

Img_0488 もう鯉のぼりが泳いでいる。実際、今日は五月晴れだ。

Img_0491 雷電神社、瘡守稲荷神社参道だが上って行くと・・・

Img_0495 鶴ヶ島ゴルフ倶楽部で行き止まり、扉を開けて入れるようだが、そこまでして行く気にもなれず。後で調べると雷電神社はここから20分ほど上った竜谷山城の山頂にあるそうだ。

Img_0502 引き返して緩やかに上って行く。

Img_0506 左に石仏、右にキリスト教の小屋(物置?礼拝堂?) 奥は墓地の奇妙な空間。

「我らの国籍は天に在り」毛呂教会

Img_0512

Img_0514 八坂神社(正面)

Img_0515 八坂神社

Img_0517 獅子ケ滝入口

Img_0518 少し入る

Img_0520獅子ケ滝 【ルート地図】の②

高さ3m、まあこんなものだとは思っていたが、予想通りで少しがっかり。

Img_0533

Img_0534

Img_0539 鎌北湖 【ルート地図】の③

昭和10年に完成した周囲約2kmの農業用貯水の人造湖。「乙女の湖」とも呼ばれている。

正面の桜が湖面に倒れかかって咲いている。

Img_0540「身投げ桜」とでも呼ぼうか。

Img_0551 犬魂碑拝殿(鎌北湖第一駐車場)

三匹の犬の像が祀ってある。猟犬の魂を鎮めるために猟友会の有志により建立 されたそうだ。

Img_0552 宿谷の滝へ上って山道に入る。

Img_0555宿谷の滝へ

Img_0573 宿谷の滝 【ルート地図】の④

別名信太の滝ともいわれ古くは修験の場でもあった。

Img_0565 落差12mの細い滝

まあ獅子ケ滝よりは少しは滝らしいか。

Img_0581 宿谷地蔵尊

正面の小堂

Img_0582 地蔵(高さ1m33cm)

豊臣秀吉との小田原合戦の時、田波目(たわめ)城主(「新しき村」の南東の城山・坂戸市多和目)の宿谷本重は北条方として参戦した。廃城後、本重は先祖ゆかりの宿谷の地に身を寄せた。本重の孫の重本は川越城主、松平信綱に重用された。重本は寛文12年(1672)にこの地蔵を建立した。

Img_0590 山根六角塔婆 (宿谷地蔵尊の裏側) 

貞和2年(1346)の建立。一枚は失われている。

Img_0588説明板

Img_0592小石仏

Img_0593 「新しき村」入口 【ルート地図】の⑤

Img_0598 案内板

財団法人新しき村」とある。こんな汚れて古ぼけて読みづらいものは、「新しき」ものと取り替えたほうがよいのでは。

Img_0601 白樺派らしい文句が書いてある門。

Img_0604 実篤記念美術館

土、日曜しか開館していない。

Img_0607 新しき村案内図

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2009年4月11日 (土)

伊豆ケ岳・子の権現

2009年4月8日

正丸駅(西武秩父線)・・・安産地蔵堂・・・馬頭観音(正丸峠分岐)・・・泣き坂・・・男坂(鎖場)・女坂分岐・・・女坂・・・伊豆ケ岳(851m)・・・古御岳(830m)・・・高畑山(695m)・・・中ノ沢の頭(イモグナの頭・622m)・・・天目指峠(475m)・・・愛宕山・・・子の権現・・・浅見茶屋・・・不動堂・・・秩父御岳神社・・・諏訪神社

 伊豆ケ岳までは1時間ちょっとで登れるがそれからが長い。登り下りを繰り返し古御岳、高畑山、中ノ沢の頭、天目指峠、愛宕山を越えて行く。小さなコブのアップダウンも多く、滑りやすい下り、岩が転がり木の根のむき出した足場の悪い道が続き、慎重に気を使いながら歩くので足も気持ちもけっこう疲れる。子の権現からはカーブの続く道を下り、静かな舗装道路に出て芳延橋まで下り、西武秩父線沿いを吾野駅へ向った。

  《地図

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Img_0262 西武秩父線のガードをくぐり小さな流れに沿って上る。

Img_0263 安産地蔵堂

Img_0264 説明板

Img_0267 安産地蔵さん

Img_0268 馬頭観音(正丸峠との分岐)

Img_0269 文字の馬頭観音

Img_0270 山道に入る。

Img_0275 沢に沿って登る。

Img_0283 泣き坂下から

写真だと傾斜がよく分からないが、泣きたくなるほどの急坂。それほどでもないか。

Img_0286 坂下方向

Img_0296 泣き坂上から

二人連れが登ってくる。

Img_0298 男坂、女坂の分岐へ

Img_0305 男坂の鎖場下

「落石注意 自己責任」の看板が立っている。

Img_0308 女坂

Img_0315 伊豆ケ岳山頂(851m) 《地図》の①

Img_0317 山頂から

Img_0316 伊豆ケ岳の名の由来

「アイヌ語」説など、4説あり。

Img_0322 古御岳へ

滑りやすい急斜面下る。

Img_0328登り返して古御岳へ

Img_0330 古御岳(830m)から伊豆ケ岳を振り返る。

Img_0333 足場の悪い斜面を下る。

Img_0337 石がゴロゴロ、落石注意

Img_0340 高畑山(695m) 《地図》の②

Img_0343_2 また下りとなる。

Img_0345 中ノ沢の頭(622m)

Img_0351 天目指峠 《地図》の③

ここから愛宕山へアップダウンを繰り返しながら最後の登りが始まる。

「天目」とは柿の一種の豆柿の方言。「指(さす)」は、焼畑耕作のこと。

Img_0353 由来

Img_0348 伝説

竜神の一族の鰻を取って食べた祟り。

Img_0361 愛宕山へ登って行く。

Img_0364 足が疲れてきてけっこうきつい登り。

Img_0367 あと一息か

Img_0370 愛宕山の小祠

Img_0374 子の権現と竹寺への分岐

愛宕神社の鳥居

Img_0381 子の権現の境内へ入って行く。

Img_0394子の権現天龍寺 《地図》の④

Img_0405由来

Img_0384 子の権現本堂

Img_0389 鉄の大わらじ

重さ2トン、世界一

Img_0387 新しい鉄下駄も奉納されている。

Img_0395境内から

ここもかなりの高さがある。

Img_0397 仁王像から黒門

Img_0399 仁王さん

Img_0403 黒門

Img_0408 吾野駅へ下る。

Img_0412 舗装道路に出る。

Img_0415 車はまったく通らない。

Img_0416 浅見茶屋

水曜は定休日

Img_0419 不動堂

Img_0425 末廣庵

二の宮金次郎の石像が立っている。何の庵なのか?

Img_0431 芳延橋(高麗川)近く

Img_0433 秩父御岳神社

Img_0435 芳延橋の手前から吾野駅へ

Img_0437 諏訪神社 《地図》の⑤

Img_0441 また短い林間コースへ入る。

Img_0443 左下は西武秩父線

Img_0447 線路下の歩行者通路を抜けて吾野駅へ

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2009年4月 9日 (木)

鐘撞堂山・円良田湖

2009年4月6日

Img_0161_2 寄居駅(東武東上線)・・・寄居町役場・・・(国道140号)・・・大日堂・・・菅原公園・・・天正寺・・・大正池・・・鐘撞堂(かねつきどう)山(330m)・・・円良田(つぶらた)湖・・・羅漢山(247m)・五百羅漢の道・・・少林寺・・・(秩父鉄道)・(国道140号)・・・寄居町休養村センター・・・玉淀ダム(荒川)・・・常光寺・・・鉢形城跡・・・搦手橋(深沢川)・・・正喜橋(荒川)・・・寄居駅

 春爛漫、桜満開の北条氏ゆかりの寄居町の坂道散歩です。東上線は川越が舞台のNHKTV「つばさ」のヒロインの大きな写真のラッピングトレインが走っている。寄居駅北口から国道140号を横断し、大日如来の小さなお堂の前からゆるやかに上って天正寺から大正池へ出る。どこも桜、桜で春真っ盛りだ。

 大正池の先で山道に入ると、何だか呆気なく鐘撞堂山の山頂へ着いてしまう。平日でも天気のいい絶好のハイキング日和で何組かが山頂でくつろいでいる。敵の襲来を鐘をついて鉢形城へ知らせたという鐘撞堂は今はないが、代わりに小さな木造りの展望台があり、そこでは5、6人のおばちゃん仲間の賑やかなこと。鐘はなくともおばちゃん達の大きな声が鉢形城へ届くだろう。円良田湖への下りも気分のいい道だ。この湖は桜と釣りの名所の人造湖でへらぶなの釣り人が並んで座って釣りを楽しんでいる。魚が餌に食いつくのをじっと待っているなんて悠長なことはとてもだめだ。尊敬に値する連中だ。

 羅漢山へは少しの上りだ。少林寺へは五百羅漢の道と千体荒神板碑の道が下っている。今日は足元を注意しながら喜怒哀楽の表情豊かで、様々な姿の羅漢さんが並ぶ道(上の写真)を楽しみながら下って行く。四国の66番雲辺寺の五百羅漢は大きく、精緻でリアルで不気味な感じもしたが、こっちの方は小さな石像でこっけいさ溢れる像も多く親しみを感じる。

 少林寺から秩父鉄道を渡り、荒川の上に出て玉淀ダムの施設内に入る。この中にダムの上を対岸へ渡る歩行者用の通路がある。知らないとダムの施設内には入る気にはならないだろう。このダムを撤去して荒川の自然の流れを戻そうという運動があるそうだ。作ったり壊したりするのが人間の性(さが)、懲りない生き物なのだろう。ダムを渡って上郷、折原の集落の中の道を行くと寄居七福神の常光寺で、「折原歴史かるた」の立て札が立つ庚申塔群、材木問屋の前を通って、JR八高線を渡り鉢形城跡へと入って行く。広い城跡を抜け、深沢川、荒川を渡り寄居駅に南口に着いた。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_0615 東上線

NHKTV「つばさ」のラッピングトレイン

Img_0072 大日堂

Img_0071 大日如来

Img_0081 天正寺

天正時代に再建された曹洞宗の寺

Img_0089 大正池へ

Img_0095 大正池 【ルート地図】の①

大正時代に造られた人造湖なのだろうか?

Img_0099 鐘撞堂山へ

Img_0103 林間を抜ける。

Img_0116もう山頂だ。

Img_0119 鐘撞堂山(330m) 【ルート地図】の②

山頂展望台

Img_0123 展望台から

Img_0131 円良田湖へ下る

Img_0136

Img_0145円良田湖から鐘撞堂山 【ルート地図】の③

ヘラブナの釣り人が並ぶ。

Img_0150 羅漢山へ上る

Img_0153 山頂間近か

Img_0159 釈迦と文殊菩薩、普賢菩薩、十六羅漢(羅漢山山頂・247m)

Img_0154 説明板

Img_0158 千体荒神の道

板碑が並んで少林寺へと下る道。

Img_0168 五百羅漢の道 【ルート地図】の④

Img_0164 この鐘が徳利ならいいのに。

Img_0165うるさいな、 お盆を持ってそんなに騒ぐなよ。

Img_0172 どじをやらかした。参った、参った。

Img_0173 つまらん修行で眠くもなるよ。

Img_0174そんなに急がないで、休んでいけよ。

Img_0175 俺はもう悟ったよ。

Img_0176 何が可笑しくてそんなに笑っているんだ。

Img_0177 世の中いいことないよ。

Img_0178 ああ無情(無常?)

Img_0180 もういやだ、こんな生活

Img_0191 少林寺

Img_0183 説明板

Img_0200玉淀ダム

上は国道140号

Img_0203 周辺図

今日歩いたコースが載っている。

Img_0204 ダムの施設の中を通る。

Img_0205 歩行者専用通路(左側)

Img_0206 歩行者通路

Img_0212 皆野寄居バイパス(国道140号)の橋

奥は折原橋

Img_0213 玉淀ダム湖

Img_0225 常光寺

寄居七福神の大黒天

Img_0222 説明板

Img_0223 大黒天

武州寄居七福神は5ケ寺で七福神を祀っている。

Img_0227 庚申塔

Img_0228 折原歴史かるた

Img_0231 材木問屋だった旧家か

Img_0232 折原歴史かるた

Img_0238鉢形城 【ルート地図】の⑤

文明8年(1476)に長尾景春が築城。荒川と深沢川に挟まれた24万㎡の広大な城跡。天正18年(1590)北条氏邦の時、豊臣秀吉勢に攻められ落城。(写真は土塁の上から)

Img_0241 説明板

Img_0243鉢形城歴史館

月曜は休館日、4月12日は「寄居北条まつり

Img_0242 城跡配置図

Img_0244 外曲輪あたり

Img_0252 搦手橋から深沢川

鉢形城の内堀の渓谷で、渕は釜と呼ばれ「四十八釜」と総称された。ここは何釜か?

Img_0247 「四十八釜」説明板

Img_0254 正喜橋から荒川

Img_0259 山崎旅館

左のレトロな建物は理容点だが、今は営業していないようだ。それとも今日は月曜で休みか?

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2009年4月 5日 (日)

四国遍路道(香川県-9)

2009年3月16日

Img_0003_2 ながお路・・・(北向地蔵)・・・(椰木神社)・・・一畑御坊宗林寺・・・塚原橋(鴨部橋)・・・一心寺・・・前山ダム・・・前山おへんろ交流サロン・・・女体宮の一の鳥居・・・来栖神社・・・来栖渓谷・・・譲波休憩所・・・太郎兵衛館・・・女体山(774m)・・・胎蔵峰(88番奥の院)・・・88番大窪寺・厄よけ坂(バス)→長尾駅(琴電長尾線)→瓦町駅

 県道3号を南に、塚原交差点から鴨部川沿いの旧道に入る。前山ダムの手前から入る遍路道はあるが前山おへんろ交流館に寄りたいのでダム沿いを進む。ちょうど8時で開館したところだった。遍路資料などを見るべき物は豊富だが、先を急ぎたい気分もありなんとなく落ち着かない。「四国八十八ケ所遍路大使任命書」とバッジをいただく。(別に欲しくはないが無料なので) 

 女体宮の一の鳥居の先から遍路道に入る。来栖神社、来栖渓谷を過ぎ、標高500mほどの太郎兵衛館で車道に出てしばらく行くと女体山越えの上り口に出る。陽当たりのいい所で一休みして大窪寺からのコースを考える。当初は10番の切幡寺へ下ろうと思っていたがやっぱり右足の脛が痛く、下りの方が体重がかかるせいか痛む。おへんろ交流サロンでけっこう時間を食ったこともあり、大窪寺からはバスで長尾駅に戻ることにする。

 そうと決まれば時間はたっぷりある。天気もいいしゆっくりと最後の女体山越えを楽しむことにする。(上の写真) たいしたこともなく越えてしまいそうだと思っていたら最後の急な岩登りが待ち構えていた。遍路道は最後までいろんな仕掛けで飽きさせず、楽しませて(苦しませてか)くれるシステムだと感心している場合ではない。両手を使い岩をよじ登りたいが杖がじゃまになり、リュックの重さでバランスも悪い。わずかな登りだが岩にへばりつくようにしながら、なんとか青木神社女体宮の小祠と休憩所のある山頂(774m)にたどり着く。

 ここから大窪寺まではかなり下って行く。ゆっくりと名残を惜しみながら慎重に下る。途中奥の院の胎蔵峰に寄るがまだまだ時間は早い。女体山と大窪寺の屋根が望める展望台で高松のビジネスホテルを予約し、椅子で昼寝だ。風は強いが陽射しが暖かくて気持ちがいい。大窪寺へ下ると富山県のご老体遍路がいる。WBCの日本対キューバ戦を少し見てから宿を出て、女体山越えではなく車道を歩いてきたそうだ。バス停を確認しに茶屋が並ぶ方へ下りて行くと、ニ天門近くで厄よけ坂の案内板を見つけた。ただの石段だが88札所の結願寺で新しい坂と出会えてよかった。13時30分のコミュニティバスを長尾駅近くで下り、琴電で瓦町へ出て1回目の四国遍路道歩きの打ち止めとした。

 写真をクリックすると拡大します。

Img_9944 一畑御坊宗林寺 《地図

案内道標には「俳諧の里」とある。「弁慶の馬の墓」柱が立つ。

Img_9964 説明板(高地蔵の所のもの)

Img_9947 山頭火句碑(宗林寺参道入口)

「しぐるるや しぐるる山へ 歩み入る」

「うしろ姿の しぐれて ゆくか」

Img_9949_2 石灯籠

Img_9953 釈迦堂・供養塔・道標

Img_9951 釈迦の石像は珍しい

Img_9950 説明板

Img_9961 遍路休憩所

Img_9956周辺案内図

Img_9959 一心庵

ここで各地からの出張接待が行われたという。

Img_9960 説明板

Img_9962 高地蔵・大師堂

Img_9965 高地蔵

文久元年(1861)の建立で高さ4m」

Img_9963 説明板

Img_9970 道標

「是より大窪寺まで二里半」

Img_9969 説明板

Img_9972前山ダム

昭和50年3月鴨部川に、洪水調節、流水の正常な機能の維持、上水道用水の供給を目的として建設された多目的ダム。

Img_9973 遍路道案内板

Img_9974前山おへんろ交流サロン 《地図

Img_9976 女体宮の一の鳥居

前山ダムの建設で湖底に沈んだ女体山山頂の青木女体宮参道の一の鳥居をここに移設。

Img_9975説明板

Img_9978 磐根橋の銘石

湖底に沈んだ磐根橋の銘石

Img_9977 説明板

Img_9979 来栖神社

Img_9983 来栖渓谷

渓谷というほどではないが。

Img_9985 鴨部川源流付近

Img_9989 いったん下って女体山を目指す。

Img_9992 太郎兵衛館

猟師とも修験者ともいわれる太郎兵衛の名がこのあたりの地名になっている。

Img_9991 由来

Img_9993 古大窪(ふろくぼ)

大窪寺は初めはこのあたりに創建された。

Img_9994 女体山への上り口

Img_0007 岩を上って下方向

Img_0008 あと一息だ

Img_0010 青木女体神社の祠

地域の守り神として、 雨乞いの神として農家の崇拝が厚い。

Img_0013 女体山山頂

Img_0015 女体山山頂(774m)の休憩所 《地図

Img_0019 88番奥の院胎蔵峰へ

Img_0022 奥の院 胎蔵峰

お堂というよりは小屋だ。左に不動明王像、その少し右上に着飾っている観音像。少し先の後ろの岩盤に迫割禅定の行場があるが、崩落の危険があるためロープが張られ閉鎖されている。

Img_0023 不動明王

Img_0024 観音さん

Img_0025 奥の院の中

Img_0028 展望台から

あの峰を越えてきたのだ。

Img_0027 展望台から

右下に88番大窪寺の屋根が見える。

Img_0030 88番大窪寺大師堂 《地図

Img_0031 宝杖堂

Img_0037 ニ天門

八十八番結願所の石柱が立つ。仁王門と鐘楼は大師堂の西側にあったのを見逃がした。

Img_0043 厄よけ坂(上り口)

すぐ左に曲がって上る石段坂。

Img_0042 説明板

Img_0044 坂上方向

不動尊の方へ上って行く。

Img_0045 坂上の不動尊の石柱

Img_0046 厄よけ不動明王と本堂(左)

Img_0033 阿弥陀堂

右下に山頭火句碑

Img_0034 山頭火句碑

「ここが打留の水があふれている」

Img_0048 コミュニティバス

一律200円は安い。

Img_0049 琴電

長尾駅→高松築港駅行き

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2009年4月 3日 (金)

四国遍路道(香川県-8)

2009年3月15日

Img_9918_2  ホテルニューセンチュリー坂出・・・板江橋・・・雲井橋(綾川)・七本杉跡・・・高屋橋(神谷川?)・・・松浦寺(遍照院・番外霊場)・・・塩釜神社・信楽寺・・・血の宮(高家神社)・観音寺・・・偉摩大師・・・旧参道入口・西行の道・・・煙の宮(青海神社)・・・西行の道・・・稚護が滝・旧参道・・・崇徳天皇白峯陵・81番白峯(しろみね)寺・・・下乗石・・・閼伽井・・・十九丁・・・足尾大明神・・・中山休憩所・・・みかん園・・・82番根香(ねごろ)寺・・・桑崎池・・・新池・・・奥の堂池(勝賀廃寺跡)・・・平賀神社・・・香西寺(別格二十霊場第19番)・・・御旅地蔵・・・大内堂・・・薬師寺・・・鬼無駅(JR予讃線)→高松駅・高松築港駅(琴電)→長尾駅・・・民宿ながお路

 昨年の8月に雷雨の荒天で見送った81番と82番を歩く。崇徳上皇の血の宮、煙の宮に寄りたいので松浦寺経由のコースを行く。雲井橋、高屋橋を渡って東へ直進すると番外霊場の松浦寺にぶつかる。墓参りの人は多いが寺は荒れているようで、山門の屋根瓦は崩れたままで仁王さんもいない。厄除寺の元祖ともいうが、自分の寺の厄は除けられなかったようで、厄払いでもしたらどうか。

 高屋町あたりは古代は網の浦という海浜で、製塩が行われていたという。塩釜神社の前に万葉集の歌碑がある。隣りの廃寺のような信楽寺から血の宮(高家神社)に向う。崇徳上皇のお棺から血が流れ落ちたという台石が残っていて、怨念渦巻くというほどでもないが、ちょっと暗い感じの神社だ。隣りの観音寺に寄り、大きくカーブする車道を白峯寺へ向う。瀬戸内海の眺めのいい道で車もそんなに通らない。かなり上ると車道から分かれる白峯陵、白峯寺への旧参道に出る。この道は西行の道として整備されていて、西行と崇徳上皇の歌碑が両側に立つ新しい石段を下ると煙の宮(青海神社)に出る。折角上ってきたのに平地近くまで下るはめになってしまった。再び西行の道を上り返し、急な旧参道の石段をさらに上り崇徳天皇白峯陵から白峯寺境内へ入る。日曜日で車、バスでの参拝客が多く、境内のスピーカーから縁起やらご詠歌?が流れ、なんだか落ち着いた気分になれない寺だ。崇徳上皇の怨念など漂う雰囲気などはなく、怨霊もこれではすぐに退散だろう。

 82番根香寺への遍路道へ入るとすぐに下乗石が立っている。車で参拝する人たちに見せたいものだ。もっとも車はここは通れないから見るのは無理だが。雨水が流れるぬかるんだ、けっこう気疲れする道を進む。80番国分寺から上ってくる遍路道との分岐の三叉路の十九丁を過ぎ車道へ出て、足尾大明神、食堂みち草の前を通り、みかん園の前から遍路道に入り、怪獣映画の悪役のような牛鬼像が立ち、香川の名の由来ともなったという根香寺へ着いた。

 根香寺からは晴れていて瀬戸内海の眺め(上の写真)のよさそうな香西寺経由の道をとる。遍路道を下って車道に出るまではすんなり下ったが、その後は道標がなく電柱に貼ってある小さな丸いシールの矢印を頼りにあちこち随分曲がりながら歩かされた。なんだか遠回りをさせられているような気分にもなった。これも疲れてきているからだろうか。なんとか香西寺にたどり着き、県道177号を南下して鬼無駅へ出た。これで87番長尾寺まで歩いた遍路道とつながったことになる。昨日の雲辺寺からの下りの雪道で滑りそうになってふんばった時に、右足の脛の筋肉を傷めたようだ。高松駅から琴電の高松築港駅へ歩いている時に、かなり痛くなって歩きづらい。明日はいよいよ88番大窪寺だ。天気も良さそうなので女体山越えで行きたいが大丈夫だろうか。ちょっと心配になってきた。

 今夜の宿は87番長尾寺前の民宿ながお路だ。泊り客は富山県の区切り打ちのご老体遍路と夫婦の車遍路と私。明日は結願寺のこともあり話もはずみ、前祝い?でかなり飲んでしまった。近くの薬局で買った鎮痛消炎剤を足にベタベタ貼ってぐっすり眠り込んだ。

  *参考:『崇徳上皇』(坂出市)

  【ルート地図】 

  写真をクリックすると拡大します。

Img_9720_2 潮止神社(鳥洲神社)

元禄の頃、岡浜築造にあたって、その堤防となった寄洲(鳥洲)に潮止社が祀られたのが初めという。文政年間に当地に社殿を建立した中新開の守護神。

Img_9724 綾川の雲井橋(前方)を渡る。

Img_9728 七本杉跡

雲井橋を渡った所。

Img_9730 高屋橋から白峰寺方向

Img_9731 松浦寺(遍照院・番外霊場)

大師が自像を刻み、大岩の上で42歳の厄除祈願の秘法を修したという。

Img_9734 山門

屋根の瓦は崩れ、鐘は残っているが仁王さんはいない。

Img_9732 本堂前の「求聞持石」

大師がこの大岩の上で厄除の秘法を修した。

Img_9741 塩釜神社

古代に製塩の行われていた網の浦の守護神か。

Img_9740 網の浦の歌碑(塩釜神社前)

舒明天皇が御幸でこの地に立ち寄った時に、同行した軍王(コニキシノオオキミ)の詠んだ歌。(万葉集巻一)

Img_9742 信楽寺?

Img_9746 血の宮(高家神社) 【ルート地図】の①

凄まじい怨念を抱いて自害して果てた崇徳上皇の棺を白峰に運ぶ途中、雷雨に遭いこの神社で棺を休めたところ、棺から血が流れた落ちたことから血の宮と呼ばれるようになった。また、「朱(あけ)の宮」ともいう。

Img_9747 「崇徳天皇高家神社」の扁額

Img_9753 由緒

読みづらいが、「血の宮」と呼ばれるようになった伝承が書かれている。

Img_9748「御棺台石」の石柱

石囲いの中に、棺から崇徳天皇の血がしたたったという、お棺を置いた台石が。

Img_9749 お棺の台石

赤く血に染まったようにも見える。何にでもお賽銭をあげるのが日本人か?

Img_9751 観音寺

新四国曼荼羅霊場第14番札所

Img_9760 偉摩大師

Img_9761 大師堂はどれか?

Img_9765 白峯寺への道から瀬戸大橋方向

Img_9768 湧き水の上に石仏が祀られている。

Img_9769 崇徳天皇白峯陵・81番白峯寺への旧参道

左へ西行の道を下る。

Img_9773 西行の道

まだ新しい石段で、西行と崇徳上皇の88の歌碑が立つ。

西行は崇徳上皇鎮魂のためこの地を訪れた。上皇は怨霊となって配下の天狗の相模坊を従えて現れる。いまだ燃え盛る怒り、怨みと、呪いの言葉をはく上皇に、西行は「よしや君 昔の玉の床(とこ)とても かからんのちは何にかはせん」(生きている時は天皇だからといって死んでしまえばそれが何だと言うのか)と語りかけると上皇の怨霊は静かに去っていった。「雨月物語(白峰)」より。そんな簡単に成仏してしまうとは怨霊大魔王の名が泣くよ。

Img_9839 西行の道説明板

Img_9778 西行法師と白峯伝承①

Img_9770

Img_9776 中央の林の中の屋根が「煙の宮」の青海神社

Img_9782 西行の道の上り口から白峯陵・白峯神社方向

Img_9779保元(白峯)伝承

Img_9783 煙の宮(青海神社) 【ルート地図】の②

Img_9787 本殿

崇徳上皇の玉体を白峯山で荼毘に付した時、この地に紫煙が降りて一時、この地にとどまり文字になり、その後都の方へたなびいて消え去った。そしてこの地に一霊の玉が残った。そこで,福家安明宮殿を造営して上皇の霊を奉斎したといわれている。

Img_9788 由緒

Img_9796 稚護が滝?

ここ崖の上で崇徳上皇を荼毘に付したという。

Img_9797 伝崇徳院の歌

Img_9799 急な石段を上って白峯陵へ

Img_9802 標高280mくらい

Img_9833 五色台案内図

白峯・黒・赤・黄・青峰、五色の由来は道教の五行に基づくという。白峯寺には役の行者を祀る行者堂があり、五色台は古くから神仏の霊場として山岳修験者によって開かれていたようだ。

Img_9806崇徳天皇白峯陵 【ルート地図】の③

Img_9803 説明板

Img_9827頓証寺殿勅額門

崇徳天皇の鼓岡御殿をここに移し、頓証菩提を弔ったところから頓証寺と追号された。
 応永21年(1414)、後小松天皇から頓證寺の勅額を賜ったのにちなみ頓証寺殿と呼ばれ、勅額を揚げた山門を勅額門と呼ぶようになった。現在の建物は頓証寺、勅額門とも延宝年間(1673~1681)松平頼重の再建という。

左手前は伝承の玉章(たまずさ)の木の二代目

Img_9822扁額

これは後世の模刻で実物は宝物殿にある。

Img_9823 説明板

Img_9825 玉章(たまずさ)の木の伝承

「鳴けば聞く 聞けば都の恋しきに この里過ぎよ 山ほととぎす」 都を偲んだ崇徳上皇の歌。ほほとぎすはこの木の葉を口ばしに巻いて声を忍ばせて鳴いたという。その落葉を「ほととぎすの落とし文」という。

Img_9813 石灯籠

源頼朝の寄進ともいうが、鎌倉時代後期の作。

Img_9812 説明板

Img_9830 81番白峯寺

相模坊と称する天狗が鎮守で、金毘羅の金光坊、八栗寺の中将坊とともに讃岐の三天狗で、日本八大天狗の一つ。怨霊崇徳上皇は相模坊を守護神、配下にしていたという。

Img_9817 説明板

Img_9816 本堂(千手観音堂)

Img_9819 大師堂

Img_9811_2 相模坊大権現

もとは相模の大山の大行者だったそうだ。

Img_9834 瀬戸大橋がかすんで見える。

Img_9838 十三重石塔(重文)

源頼朝が崇徳上皇の菩提を弔うため建立したと伝えるが、東塔(左)鎌倉中期、西塔(右)は鎌倉末期のもの。

Img_9835 説明板

Img_9842 82番根香寺へ

Img_9846 右の下乗石(摩尼輪塔)は元応3年(1321)、左は天保7年(1836)の建立。

下乗とは、ここから先は聖地なので、一切の乗り物を禁ずるというということ。

Img_9843 説明板

Img_9847 説明板

Img_9852 閼伽井

Img_9850 説明板

Img_9854 十九丁の三岐路

「十九丁打ちもどり」の道標

Img_9855 説明板

Img_9861 足尾大明神

通称「足ばさん」と呼ばれ、足の病気を治す神様として有名で、毎年元旦と、8月4日に近い日曜日に祭りが行われ大勢の人で賑わうという。一礼しただけで通り過ぎてしまった。ちゃんとお参りしていれば足痛(右の脛)は治ったかも。

Img_9869 82番青峰山根香寺山門 【ルート地図】の④

寺名は本尊千手観音を刻んだ霊木の根が永く香気を放ったためといい、その香が川に流れたので香川県と名づけられたとか。

Img_9872 説明板

Img_9873 木々の間の急な石段を上って本堂へ

Img_9874 役の行者像

この寺も修験者の手で早くから開かれた山岳寺院。左は牛頭観音

Img_9878 本堂

回廊式で全国の遍路が奉納した万体観音が並ぶ。

Img_9882 万体観音

Img_9883 五大明王堂

Img_9884 説明板

Img_9876 白猴けやき

山王権現の化身の白猿がこの木に棲み、智証大師の開山を助けたという。

Img_9875 説明板

Img_9886 牛鬼(うしおに)像

昔、この地で人々を苦しめていた牛鬼という怪獣を弓の名人、山田蔵人高清が当山の千手観音に祈願し、見事射止めた。高清が奉納した牛鬼の角が根香寺に残っている。(テレビで見たことがあるが何かの動物の骨だろう。) 山田蔵人高清は秀吉の家来だったという。長宗我部は嫌われているのだろう。

Img_9871 牛鬼伝説

Img_9889 香西寺へ下る道から瀬戸内海

Img_9892

Img_9896 勝賀城跡(正面の山上)

承久の乱(1221)で幕府方について手柄をあげた香西氏の勝賀山(384m)の城跡

Img_9895 説明板

Img_9907 桑崎池

江戸時代以前に築造されたらしい。

Img_9908 説明板

Img_9923瀬戸内海方向

Img_9924 奥の堂池(勝賀廃寺跡)

ここにもとの香西寺があったのだろう。

Img_9927 香西寺(別格二十霊場第19番) 【ルート地図】の⑤

勝賀山に逗留した行基が開創した勝賀寺(勝賀廃寺のことか?)が始まりで、弘法大師が再建し現地に移した。鎌倉時代にこの地の豪族香西資村が幕命をうけ堂塔を再建し香西寺と名づけた。「ボケ封じ観音」として親しまれている。

Img_9926 お迎え毘沙門

Img_9929 御旅地蔵

Img_9930 地蔵さん

Img_9933 大内堂

香西氏が周防の大内義興を祀った堂

Img_9932 説明板

Img_9934 薬師寺

Img_9937 鬼無駅

 

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2009年4月 2日 (木)

四国遍路道(香川県-7)

2009年3月14日

Img_9651 民宿岡田・・・(徳島自動車道)・・・66番雲辺寺(910m)・・・県道240号・・・白藤大師堂・・・岩鍋池・・・67番大興寺・・・金神神社・・・大通寺・・・心光院・仁池・・・常照庵・・・(高松自動車道)・県道6号・・・薬師堂・観音堂・・・赤土池・・・観音寺駅(JR予讃線)→坂出駅・・・ホテルニューセンチュリー坂出

 小雨の降る寒く薄暗い中を雲辺寺を目指す。山道に入り、急登となると汗が噴き出てきた。先に宿を出た富山県遍路が前をあえぎながら登って行く。しばらく行くと、米国遍路がリュックを背負い、手にも袋をぶら下げて進んで行く。こんな急な山道は歩きにくいだろうに。2人を追い抜いて登って行くと雨から雪に変わってきた。天気予報で冬型の気圧配置になるとは言っていたが、雪になるとは。

 標高650m付近で車道と合流し、標高800mくらいまで緩やかな登りだ。車は1台も通らなかった。再び山道に入り、白くぼやけた幻想的な林間を進む(上の写真)。うっすらと雪化粧した雲辺寺はロープウエイで登ってきた4、5人の団体さんが読経していた。じっとしていると汗で濡れた体が冷やされてやはり寒い。そのうちに米国遍路がやってきた。富山県遍路はあのペースだとまだ時間はかかりそうだ。

 境内をゆっくり巡って、67番大興寺への下りにかかる。途中、迂回コースになるが萩原寺へ寄ってからのつもりだった。民宿岡田でもらった詳しい手書きの地図の分岐点まで雪道を慎重に下る。分岐点はまだかなり先と勘違いしていたのと、下ばかり見て歩いてせいで分岐点をだいぶ通り越してしまったらしい。登り返すのもしんどいので大興寺へ直行することにする。しばらく行くと、前方5mほどでガサッと音がして、猪が1頭続いてまた1頭、道を直角に猛スピードで横切って反対側の茂みに飛び込んで行った。びっくりして写真、と思ったが遅かれしで残念、とまた少し小さなのが2頭飛び出してきて前の2頭を追って行った。この間わずか3、4秒か。コースを変えたおかげでいい物を見せてもらった。

 昨日、民宿岡田で猪の話になり、主人は猪は夜行性だから昼間は出ないと言っていたが、こんな真っ昼間でもちゃんと行動しているよ。自分も秩父の山の中でも見かけたことはあるし。今回は猪鍋も食べたし、猪たちにも出会えたし、そういえば自分も猪年だった。こんなことを考えながら歩いていたら、かなり下ったのだろう、雪から雨に変わっていた。車道に出て粟井川沿いを北方向に向うと風が冷たく、時々ひょう(雹)のようなのがパラパラと降ってきた。

 67番大興寺へ着いた頃には青空も見えてきた。土曜のせいもあり車での参拝客が多い。参拝を済ませ陽の当たる場所で民宿岡田のお接待のにぎり飯を食べ昼休みとする。ここからは平坦な道だ。仁池を過ぎ、高松自動車道をくぐり、県道6号を観音寺駅に向った。

 *68番神恵院・69番観音寺から87番長尾寺までは、『四国遍路道』(香川県-1~(香川県-6)に記載。(ただし、81番白峰寺と82番根香寺は明日、巡拝する。)

 ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_9605 雲辺寺への薄暗い遍路道に入る。ここはまだ雨だが寒い。

Img_9606 下に徳島自動車道

Img_9610 雪がちらつく山道を登る。

Img_9613 車道に出て緩やかな登りとなる。

Img_9618 遍路道に入り雪の中を進む。雲辺寺は近い。

Img_9624 山門

仁王さんは相変わらず裸で頑張っている。

Img_9627 66番雲辺寺 【ルート地図】の①

札所中で一番高所(900m)にある寺。

「裏山問答」:長宗我部元親がこの寺の裏山に登り、四国統一の野望を語ったとき、住職の僧俊崇「それは茶釜の蓋で水桶に蓋をしようとするもの」、と分不相応なことは止しなさいと諫めた。すると元親は「自分の蓋は名人の鋳たる蓋」と答えた。確かに元親は一旦全四国を手中にしたものの、秀吉によって奪い返されてしまう。名人の蓋ではなかったようだ。

Img_9628 仮本堂

Img_9629 雪化粧している。ここは標高900m、じっとしているとさすがに寒い。境内のトイレには「凍結のため水が出ません」の貼り紙。

Img_9632おたのみなすの腰掛

冷たくてゆっくり願いをこめて座ってなんかいられない。

Img_9631 説明板

Img_9636 大師堂

Img_9637 「雲辺寺の観音さま」(香川のむかしばなし)

Img_9642 五百羅漢

リアルで生々しい感じの像だ。五百人五百色の表情とか。

Img_9643 雪の中を下って行く。

Img_9645_2 乳銀杏

Img_9644 説明板

Img_9647 木も雪を被っている

Img_9648 下りだから気が楽で気分がいい。

Img_9649滑らないように慎重に下る。(写真は坂上の雲辺寺方向)

猪の親子連れ4頭がこの道を猛スピードで横切ったのはここを少し下ったあたり。

Img_9655 観音寺市(香川県)の町並み方向

溜池が多い

Img_9656 鰻渕の伝説

Img_9658 このあたりまで下りると雪から雨に変わっている。

Img_9659 車道歩きとなって大興寺へ

Img_9662 白藤大師堂 【ルート地図】の②

「四国八十八ケ所番外」とある。

Img_9665 岩鍋池

Img_9669?池

Img_9676 瓦・須恵器窯跡群

大興寺のそば

Img_9684 67番大興寺仁王門 【ルート地図】の③

仁王像は札所中最大という。

Img_9679 説明板

Img_9680 本堂

Img_9681 大師堂

Img_9682 天台大師堂(本堂の右側)

昔は真言宗24坊、天台宗12坊があって栄えていた。

Img_9686 観音寺市街への遍路道

Img_9687

Img_9688 青空が広がってきた。

Img_9690 金神神社(三宝大荒神) 【ルート地図】の④

Img_9693 東面山大通寺

天台宗の寺

Img_9697 宝珠山心光院 【ルート地図】の⑤

Img_9699 寺の前に並ぶ丁石仏

Img_9702 仁池

北風でさざなみが立っている。

Img_9703 常照庵

Img_9708 遍路休憩所跡か?

Img_9709 赤土池から

Img_9716 薬師堂(右)・観音堂

Img_9717 観音寺(かんおんじ)駅

Img_9719_2ホテルニューセンチュリー坂出

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2009年4月 1日 (水)

四国遍路道(愛媛県-14)

2009年3月13日

Img_9581_3  松屋旅館・・・県道126号・・・古子川・・・村山神社・・・面白川・・・平八幡神社・・・鎌谷川・・・豊岡川・・・西谷川・・・天地親師神社・長谷川・・・喜蔵川・・・樋之尾谷川・・・大谷川・・・ひよけ大師・・・井関川・・・不老谷川・・・宮川・・・(松山自動車道)・・・銅山川発電所・・・65番三角寺・・・ゆらぎ休憩所(平山)・・・(高知自動車道)・・・椿堂秋葉神社・・・椿堂(常福寺・別格二十霊場第13番札所)・・・国道192号・・・境目トンネル(855m)・・・(徳島県三好市)・・・民宿岡田

 雨、時々突風の中を65番三角寺に上り、椿堂に下り、境目峠を越えて徳島県三好市に入り、66番雲辺寺の麓の民宿岡田までのお遍路です。松屋旅館を雨衣上下を着、傘をさして県道126号を東へ向う。突風にあおられ傘は役立たずで壊れそうになり雨衣だけで歩く。この方が全然歩きやすい。雨は滲みこまず寒くもない。

 赤星駅の近くに番外霊場の三福寺があるが、地図を見るのが面倒で行き過ぎてしまい今回はパス。燧灘(ひうちなだ)の港に注ぐ小さな川をいくつも越えて先を急ぐ。国道11号を逆打ちだろうか、自転車遍路が3.4人雨に打たれ、突風に煽られ止まりそうになりながら進んで行く。こんな日は平坦な道でも自転車も楽ではないだろう。

 伊予三島駅の手前で県道から遍路道に入り、ひよけ大師で小休止する。松山自動車道をくぐると道標が立っていて、その先を右に曲がり銅山川発電所の前を通って三角寺の山道へ入る。山の中の方が風も弱く、山道も木々に覆われ濡れていない所が多くて歩きやすい。途中一ヶ所直進すべき所を道なりにカーブして上り、そのまま道が途切れて林間に入ってしまったが、さほどの時間も苦労もかからず車道と合流した。ここは標高330mで、後は三角寺(標高500m)までの車道歩きとなり、急勾配の蹴上げの高い石段を上ると山門だ。

 65番三角寺はこんな天気のせいか閑散としていた。ぐるっと、ざっと参拝して椿堂へ向う。椿堂まではどんどん下って行くばかりで楽な道のりと思っていたがそうでもない。車の往来も少なく歩きやすい道だがけっこうな起伏があり、雨と風で疲れも増してきた。平山の「ゆらぎ休憩所」で休んで、高知自動車道をくぐり(上の写真)、国道192号と合流する所にある椿堂へと下って行った。椿堂からは国道192号の境目峠越えとなる。以前から地図を見てこの道は長い上りで、道沿いには見るべきものもなく、車の通行量の多い、いやな道だと思い込んでいた。まして雨風だし気が重いが、まだ時間も早いしゆっくり前進することにする。確かに歩きがいのある道ではないが、歩道もついているし車の往来もさほどではない。

 本来なら自動車の爆音が轟くトンネル歩きは苦手なので、バス停の七田から旧道を上り、境目峠を越えるのだがこの天気だし境目トンネルを抜けることにした。トンネル内は明るく、もう何度かトンネルを通って慣れてきているのだろう、難なく?抜けて徳島県三好市へと入った。ちょうどここは愛媛県と香川県と徳島県が境を接する所で、それで境目峠だ。国道を下り左に入り、生徒がいるのだろうか、ひっそりとした感じの佐野小学校の先の民宿岡田に着いた。まだ4時前だ、今回で一番早い宿入りとなった。「雨にも負けず、風にも負けず」?に歩けてまあ納得の1日だった。

 今日の泊り客は3人で、米国人の男性は親子連れの歩き遍路だが、子の方が足を痛めて先に電車で観音寺の方へ向ったそうだ。もう一人は富山県射水市の人で歩き中心で時々電車も利用しながら巡っているという。岡田の主人は夕食中、給仕をしながら話に加わりいろんな情報、遍路の話、写真などを見せてくれて楽しいひと時だった。やっぱり夕食は歩き遍路と一緒なのがいい。明日は雲辺寺への上りだ。冬型の気圧配置になり北風が強まるという。今日一日中、雨と風の中を歩いたせいか、少しぐらいの悪天候でもなんとかなるような気がしてきた。でも雲辺寺は900mの高さだ。天気がいいに越したことはないが。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_9542 山は雨に煙っている。

Img_9544 村山神社

宇摩郡の総鎮守

Img_9543 説明板

Img_9545 平八幡神社

Img_9547 造り酒屋

Img_9548 ひよけ大師 【ルート地図】の①

石柱は「石床大師堂」、由来等は分からず。

Img_9550 遍路石

Img_9549 説明板

Img_9551雨の中を行く遍路を見守る地蔵さん

Img_9554道標

松山自動車道をくぐった所。

Img_9552 説明板

Img_9559 三角寺への途中から瀬戸内海

Img_9564

Img_9566 65番三角寺 【ルート地図】の③

石段は急で、一茶の「これでこそ登りがいある山桜」の句碑がある。山頭火も「上へ下へ別れ去る坂のけはしい紅葉」と詠んで雲辺寺へ向い、松山へ引き返す俳友の高橋一洵との別れを惜しんだ。

Img_9569 略縁起

Img_9571本堂

ニ層の金閣寺造りで、大師が降伏護摩秘法を修した護摩壇が三角なのでこの寺名になった。三角池もある。

Img_9572 大師堂

Img_9574 椿堂への遍路道から川之江方向

Img_9575 川之江のまち

今は四国中央市

Img_9576 川之江

Img_9578 ゆらぎ休憩所(平山バス停そば)

Img_9577案内板

雲辺寺は29kmか。

Img_9580 ここにも休憩所

Img_9582 国道192号へと下る。

Img_9583 椿堂秋葉神社

Img_9587 椿堂(常福寺・別格二十霊場第13番札所) 【ルート地図】の④

大師が病封じの祈祷をして立てた杖から椿が芽吹き大樹になった。

Img_9584 説明板

Img_9586 おさわり大師

Img_9585由来

Img_9591 火伏不動尊

Img_9592 境目トンネル(855m) 【ルート地図】の⑤

愛媛県と徳島県の境で標高は300mぐらい。

Img_9593_2 トンネル内

明るいので車の轟音もさほど苦にならず。

Img_9597 地蔵尊

トンネルを抜けて下る途中

Img_9598 ここにも地蔵さん(大宗谷バス停の所)

Img_9601 民宿岡田

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