笛吹峠・物見山・岩殿観音
2009年4月22日
武蔵嵐山駅(東武東上線)・・・(国道254号)・・・学校橋(都幾川)・・・鎌倉街道上道・・・向徳寺・・・県道172号・・・根岸観音堂(子育観音)・・・源義賢墓・・・大蔵館跡・大蔵神社・・・安養寺・・・大行院・・・縁切橋・・・日吉神社・将軍神社・・・明光院・・・笛吹峠・・・巡礼街道・・・地球観測センター・・・(鳩山高校)・・・県道343号・・・(山村学園短大)・・・物見山(135m)・・・岩殿観音・・・熊野神社・・・鳴かずの池(弁天池)・・・県道212号・・・(関越自動車道)・・・彫刻通り・・・高坂駅(東上線)
陽射しが強く初夏のような陽気の中を、比企丘陵を嵐山町から鳩山町、東松山市へと歩きました。
【地図】
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鎌倉時代の創建という時宗の寺で藤沢市の遊行寺の末寺。
山門の右側に古い板碑が十数枚収められている。
右がこの中で一番古く、建長年間(1250年頃)の「阿弥陀如来」の板碑、左は康永3年(1344)で「阿弥陀三尊」、手前は正応6年(1293)で「阿弥陀三尊」
子育観音で、2月20日と10月20日が縁日
源義賢の墓
鳥居をくぐった新藤家の敷地内にある。
五輪塔の火・水の部分だけが残存していた。墓というより供養塔か。
大行院が平成18年に建てたもの。
源氏と平氏一族を供養する新しい馬頭観音が立っている。
木曽義仲の父、源義賢の居館の中心部。
天保10年(1839)建立の天台宗の寺。
稲荷に山伏(役の行者?)、地蔵さんその他、様々な神仏を祀っている。
二宮金次郎の像も立っている。
岩殿山の悪龍退治の準備をしていた坂上田村麻呂のもとへ、妻がはるばる京から訪ねてきた。田村麻呂は妻をこの橋のところで縁を切ると怒って追い返した。退治した龍の頭を埋めた所が弁天池になったという伝説がある。
乃木将軍が師団長として四国の第76番金倉寺を住まいとしていた時に、訪ねてきた妻を追い返したという話と似ている。
今も下を水が流れている。橋は残っていないが坂はある。縁切坂と呼んだらどうか。
境内に将軍神社もある。
征夷大将軍の坂上田村麻呂を祀る。
正平7年(1352)新田義貞の三男義宗らが宗良親王を奉じて武蔵野の小手指ケ原で戦い、この峠で最終的な決着がついた。義宗らは越後に落ちて行き、足利尊氏はこれ以後関東を完全に制圧していった。この戦いで、月明かりの中、宗良親王が笛を吹いたことからこの名がついたという伝承がある。
峠といって標高80mくらいで、今は見晴らしもきかない。
2003年10月、宇宙科学研究所(ISAS)、航空宇宙技術研究所(NAL)、宇宙開発事業団(NASDA)が統合して誕生した、独立行政法人 宇宙航空研究開発機構 JAXA(ジャクサ)の観測施設の一つ。
坂上田村麻呂が奥州征伐の際に、ここから国見をしたことにちなむ名という。色とりどりのつつじが咲き誇っている。
坂東三十三観音霊場第10番札所
銅鐘は元亨2年(1322)の鋳造、鐘楼は元禄15年(1702)の再建。
右は旅館だったのだろう。
弁天島(正面)には弁天堂がある。
高坂駅近く
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