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2009年4月12日 (日)

獅子ケ滝・鎌北湖・宿谷の滝

2009年4月10日

東毛呂駅(東武越生線)・・・出雲伊波比(いずもいわい)神社・・・(JR八高線)・・・高福寺橋(毛呂川)・・・稲荷社・・・高福寺・・・庚申堂・・・新川橋(阿諏訪川)・・・八坂神社・・・獅子ケ滝・・・一本杉峠分岐・・・鎌北湖・・・宿谷(しゅくや)の滝・・・宿谷地蔵尊・山根六角塔婆・・・毛呂山総合公園・・・県道30号・・・(八高線)・・・新しき村・・・武州長瀬駅(東武越生線)

  初夏のような陽気の下、散り始めた桜吹雪が舞う中を鶯の音を聞きながら、のどかな毛呂山町の坂道散歩です。

  【地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_0456出雲伊波比神社 

本殿は亨祿元年(1528)に毛呂顕繁が再建。一間社流造、県内最古の神社建築で、棟札二面と併せて国の重要文化財に指定。

Img_0457 狛犬(獅子)親子と猫

Img_0476 高福寺橋あたりから

Img_0466 稲荷社

Img_0469 高福寺

慶長10年(1605)に開山の曹洞宗の寺。道元禅師が説いた典座経典から生まれた「典座料理」(精進料理)で有名。

Img_0471 本堂

Img_0480麻原酒造

Img_0481 庚申堂(正面)

右は桂木観音から大高取山への道、獅子ケ滝へは左の道。

Img_0484 庚申塔

Img_0488 もう鯉のぼりが泳いでいる。実際、今日は五月晴れだ。

Img_0491 雷電神社、瘡守稲荷神社参道だが上って行くと・・・

Img_0495 鶴ヶ島ゴルフ倶楽部で行き止まり、扉を開けて入れるようだが、そこまでして行く気にもなれず。後で調べると雷電神社はここから20分ほど上った竜谷山城の山頂にあるそうだ。

Img_0502 引き返して緩やかに上って行く。

Img_0506 左に石仏、右にキリスト教の小屋(物置?礼拝堂?) 奥は墓地の奇妙な空間。

「我らの国籍は天に在り」毛呂教会

Img_0512

Img_0514 八坂神社(正面)

Img_0515 八坂神社

Img_0517 獅子ケ滝入口

Img_0518 少し入る

Img_0520獅子ケ滝 

高さ3m、まあこんなものだとは思っていたが、予想通りで少しがっかり。

Img_0533

Img_0534

Img_0539 鎌北湖 

昭和10年に完成した周囲約2kmの農業用貯水の人造湖。「乙女の湖」とも呼ばれている。

正面の桜が湖面に倒れかかって咲いている。

Img_0540「身投げ桜」とでも呼ぼうか。

Img_0551 犬魂碑拝殿(鎌北湖第一駐車場)

三匹の犬の像が祀ってある。猟犬の魂を鎮めるために猟友会の有志により建立 されたそうだ。

Img_0552 宿谷の滝へ上って山道に入る。

Img_0555宿谷の滝へ

Img_0573 宿谷の滝 

別名信太の滝ともいわれ古くは修験の場でもあった。

Img_0565 落差12mの細い滝

まあ獅子ケ滝よりは少しは滝らしいか。

Img_0581 宿谷地蔵尊

正面の小堂

Img_0582 地蔵(高さ1m33cm)

豊臣秀吉との小田原合戦の時、田波目(たわめ)城主(「新しき村」の南東の城山・坂戸市多和目)の宿谷本重は北条方として参戦した。廃城後、本重は先祖ゆかりの宿谷の地に身を寄せた。本重の孫の重本は川越城主、松平信綱に重用された。重本は寛文12年(1672)にこの地蔵を建立した。

Img_0590 山根六角塔婆 (宿谷地蔵尊の裏側) 

貞和2年(1346)の建立。一枚は失われている。

Img_0588説明板

Img_0592小石仏

Img_0593 「新しき村」入口 

Img_0598 案内板

財団法人新しき村」とある。こんな汚れて古ぼけて読みづらいものは、「新しき」ものと取り替えたほうがよいのでは。

Img_0601 白樺派らしい文句が書いてある門。

Img_0604 実篤記念美術館

土、日曜しか開館していない。武者小路実篤の旧宅跡は我孫子市調布市(武者小路実篤記念館)にもある。

Img_0607 新しき村案内図

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