四国遍路道(阿波国-1)
2009年5月8日
阿波大谷駅(JR鳴門線)・・・東林院(種蒔大師・一番奥の院・番外霊場)・宇志比古神社・・・阿波神社・・・土御門天皇火葬塚・・・(JR高徳線)・・・十輪寺(談義所・番外霊場)・・・春日神社・・・樋殿谷川・・・(JR高徳線)・・・撫養街道(県道12号)・一番霊山寺・・・(高松自動車道)・・・祓川橋(板東谷川)・大麻比古神社・メガネ橋(鏡池)・ドイツ橋・・・二番極楽寺・・・諏訪神社・釈迦庵・・・三番金泉寺・・・亀山神社・・・郡頭跡碑・大坂越碑・(JR高徳線)・・・岡上神社・・・宝国寺(導引大師・番外霊場)・・・振袖地蔵・・・諏訪神社・・・(徳島自動車道)・・・蓮花寺・・・愛染院(三番奥の院・番外霊場)・・・藍染庵・・・(徳島自動車道)・・・山神社・・・四番大日寺・・・(徳島自動車道)・・・・・・五百羅漢(番外霊場・五番奥の院)・五番地蔵寺(上の写真は五百羅漢から五番へ下る石段から)・泉福寺・・・八坂神社・・・神宅(かんやけ)橋(大山谷川)・・・殿宮・葦稲葉神社・・・泉谷橋(泉谷川)・・・小柿遍路休憩所・・・板野十六地蔵6番札所・・・民宿寿食堂
3月に八十八番大窪寺を打ち終えたばかりなのに、すぐ四国病が再発したようだ。新型インフルエンザよりもこっちの方が難敵だ。遍路道のどこかが私の「死国」になるのだろうか。一巡目は鳴門の浜から歩いたが今回は一番奥の院の東林院(種蒔大師)から番外霊場、神社仏閣、史跡、遺蹟などを訪ねながら1番霊山寺から23番薬王寺の先の土佐国境まで、ゆっくりのんびりと坂道散歩を楽しむつもりだ。
今日は1番から5番までの行程だ。このあたりは古代からの交通の要衝で、義経一行ゆかりの地、ドイツ村など見るべき所も多い。阿波国は「発心の道場」、さすがどこの札所も団体遍路、車遍路、歩き遍路で賑やかだ。こちらは今更何の発心などもなく、ただの物見遊山観光客の一人だろう。やはり一度歩いた道は歩きやすい。道順、風景などを思い出しながらの遍路は気楽でいい。
阿波大谷駅を8時に出発して札所で休み休み(札所は休憩所ではないことは重々承知)、途中あちこち寄りながらぶらぶらと歩いたが、3時過ぎには今夜の宿の民宿寿食堂に着いた。泊り客は歩き遍路の3組で、一人は神社の狛犬が趣味というご老体遍路だ。今日も遍路道沿いの神社に寄ってきたそうだ。これから先、神社は多い。それも長い石段を上らねばならない所もある。だんだん歩きと気持ちに余裕がなくなってきて、たぶん神社の狛犬に出会うのも少なくなっていくような気がした。
【ルート地図】(1→34)
*参考:『四国八十八ヶ所霊場会』
写真をクリックすると拡大します。
天平5年(733)に行基の開基による阿波国八門首の一寺。「新四国曼荼羅霊場一番札所」
当地に逗留した弘法大師が自ら種を蒔いて農業を奨励したという。寺宝に「種蒔きの鉄鉢」、「緋の衣」、「数珠」などがあるそうだ。
「阿波北嶺薬師第16番霊場」
祭神は宇志比古尊。明治時代までは八幡神社と称していた。
祭神は土御門天皇。ここにあった村社の丸山神社を改築、改称して1943年に竣工し県社となった。
広い境内で神門の屋根の色がいい。
周囲に濠があり、もとは古墳(円墳)だったのでは。京都府長岡京市に「土御門天皇金原陵」がある。
この地に逗留した大師が当寺で本尊を刻み、説法を談義したので「談義所」と呼ばれてきた。今は札所、番外霊場の雰囲気はない。
一番 竺和山霊山寺 【ルート地図】の8
阿波国は「発心」の道場。
山号寺名は、釈迦が説法した天竺(インド)の鷲峰山の霊山を和国に移すという意。
ドイツ館(大麻比古神社の参道から)
第一次世界大戦の際に、中国の青島で捕虜となったドイツ兵およそ1000人がこの地に収容されていた。兵たちは新技術などを教え、地元の人々とも親しく交流した。ベートーヴェンの第九の演奏は本邦初演という。こうした背景を記念してドイツ館が建てられた。昔から遍路などの客人(まれびと)を受け入れてきた「お接待」の心が、外国の捕虜をも自然と暖かく迎え入れたのだろう。
大麻比古神社参道
「おわさはん」と呼ばれ親しまれている阿波国の一の宮。
参道の入口で幼児と散歩中の母親とあいさつを交わす。はっきりとした日本語だったが外人、たぶんドイツ人だろう。
樹齢千年余とか。
1番霊山寺は当社の別当寺で、明治まで社の裏手に求聞持堂が建っていて修行する僧もいたという。
二番 日照山極楽寺
「日照山」は、大師が刻んだ阿弥陀如来像から発する光が遠くの海原まで達し、航海や漁を妨げたので前面に山を築いて光を遮ったという故事から。
今回はここから遥拝のみ。社殿の裏側方向に愛宕山古墳がある。
三番 亀光山金泉寺
のぞいて顔が映れば、無病息災、長寿をもたらす霊験ありという。映らなければもちろん・・・・。さて拙者の顔は映ったのか、映らなかったのか。That is the questionだ。
平家追討で屋島へ向う義経一行がこの寺に立ち寄った際に弁慶が持ち上げたという石。
不動明王の化身という。
大寺(金泉寺にちなむこのあたりの地名)一円の氏神で、祭神は須佐之男(スサノオ)命。
大坂越の碑(左)・郡頭駅(こうずのえき)跡碑・遍路道標(右の2つ)
撫養街道が大坂越の道と分かれる高徳線の板野駅近くの踏切の手前。「郡頭」は律令時代の南海道の宿駅で、都と国府を結ぶ官道の要衝として栄えた。ここから南へ吉野川を渡ると阿波の国府で、山に向って大坂峠を越えると讃岐に出る。義経一行は大坂峠越えで屋島に向った。
大楠は地上ですぐに分岐している一本の大木。大麻比古神社のより巨木か。
【ル-ト地図】の18扁額には「大師庵」とある。昔から遍路接待所として利用されてきた。後ろは墓地。本堂は別にあるのか?
赤沢信濃守は、この先の連花寺、愛染院にもゆかりのある戦国時代の板西(ばんざい)城主。
子どもを守る地蔵さん。振袖を着せればいいのに。
寺というにはちとお粗末な造りだが。「西国熊谷寺別院金龍山蓮花寺」
那東の「お不動さん」と呼ばれている。不動明王の座像はここと高野山、成田山だけで、刷毛書きの納経書(右の立て看板のような)は四国では当院のみという。
前の石像とくっつき過ぎて後ろが読めない。
祠前に大わらじ、腰からから下の病いに霊験あらたか。
犬が暇そうに寝そべっている。
阿波藍の名声を高めた人物。
遍路道は藍の出荷の道でもあった。藍は「タデ科」の植物で、ことわざに「蓼(たで)食う虫も好き好き」
正面は徳島自動車道
四番 黒厳山大日寺
本尊は大師が彫ったという1寸8分の大日如来像。
暑いのか、くたびれているのか、よたよたと足どりも重く下って行く。行き倒れになっても遍路墓には葬ってもらえないぞ。
【ル-ト地図】の26弥勒堂→釈迦堂→大師堂へと木像の羅漢が並ぶ回廊を通る。拝観料がいる。今回はパス。
堂内には木像の様々な表情の羅漢がぎっしり並んでいる。(前回撮影)
五番 無尽山地蔵寺 【ルート地図】の27
樹齢800年
腰から下の婦人病、子授け、安産、子育てにご利益あり。
遍路道沿いの大師像と道標の後ろ側。
古来雨乞いの神で、かつて大山参り(別格二十霊場第一番札所の大山寺)を済ませた近郷の馬が集まり競馬(くらべうま)を催した所。
社殿は一つで、殿宮にはスサノオ命、葦稲葉神社には倉稲魂命、鹿江比売命を祀る。
前の道は大山寺(標高450m)へ通じている。
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