四国遍路道(阿波国-2)
2009年5月9日
民宿寿食堂・・・撫養街道(県道12号)・・・六番安楽寺・・・熊野神社・・・七番十楽寺・・・林観音庵・・・県道235号・・・御所大橋(宮川内谷川)・・・板野十六地蔵4番札所・・・御所神社・・・(徳島自動車道)・・・八番熊谷寺・・・(徳島自動車道)・・・号・・・毘沙門堂・・・九番法輪寺・・・翫城地(がんじょうじ)橋(九頭宇谷川)・・・(教覚寺)・・・小豆洗大師(番外霊場)・・・円光寺・・・秋月城址・・・称念寺・・・森神社・・・(徳島自動車道)・・・女やくよけ坂・男やくよけ坂・十番切幡寺・・・(徳島自動車道)・・・県道237号・・・四国電力変電所・県道12号・・・堂ケ池大師堂・・・八幡神社・粟嶋神社・・・大野島橋(吉野川)・・・善入寺島・宝憧寺跡・・・川島橋(吉野川)・・・川島神社・川島城・・・伊予街道(国道192号)・・・川島東橋(JR徳島線)・・・県道240号・・・十一番藤井寺・・・ふじや本家旅館
寿食堂から六番安楽寺は近く、7時半前には着いて鐘楼門の階段を上る。すると人の気配がして、若い青年が何か作業をしている。てっきり寺の若い僧が鐘楼内の朝の清掃をしていると思い、鐘をついてもいいかと聞くと、何だかはっきりしない返事だ。よく見るとここに泊まった野宿遍路だった。これからどこまで回れるのかちょっと先行きが心配な感じがする。このあたりはまだよちよち歩きの遍路が多い。12番の焼山寺を越え、室戸岬を回ってやっと半人前の歩き遍路というところか。ことに重い荷物の野宿遍路は11番まではすいすい来て、12番の焼山寺越えでギブアップすることが多いと聞いた。まあどうでもいいこったが。
安楽、十楽と名のとおり平坦な楽な道を進み、御所大橋を渡り、北へ徳島自動車道をくぐると8番熊谷寺の大きな山門がそびえている。南に田んぼの中の道を行くと9番法輪寺に出る。ここの納経所はきれいでトイレもピカピカだ。団体さんで賑わっている境内の休憩所で土地の老人と元タクシーの運転手と長話しをして再出発。小豆洗大師を過ぎ、秋月城址の手前でおばあさんに引き留められまた小休止だ。この間に追い越して行ったのが神戸のOT夫妻で、この後、23番まで遍路道、宿で何度も一緒になる歩き遍路仲間だ。
10番切幡寺は400段以上の石段を上った小高い所にある。今日はかんかん照りでだんだん暑さがこたえてきた。切幡寺から下り、徳島自動車道をくぐり、四国電力変電所の所で遍路道から離れ県道12号に入り、堂ケ池大師堂に寄る。その先で遍路道に出ようと勘で歩いていたがどうも道に自信がなく、自転車に乗った女学生に聞いてみたが聞き方が悪いのか、「わかりません」とつれない返事。すると反対方向に歩いて行くのを見かねたのか自転車に乗ったおばさんが追いかけてきて、親切にも道順を教えてくれた。感謝、感謝だ。
八幡神社の先で右に曲がり、吉野川を大野島橋(上の写真は大野島橋へ下る遍路道)で無人島の善入寺島に渡り、川島橋を渡って遍路道から離れ川島神社、川島城へ寄る。なんだかやけに腹が減ってきて徳島線を越えた国道沿いのそば屋へ入る。冷房が効いていて疲れがとれていい休憩になった。ここから藤井寺はもう一息だ。
藤井寺門前の今夜の宿、ふじや屋本家旅館は歩き遍路でほぼ満員か。皆、明日は焼山寺への上りだ。昨日、民宿寿食堂で一緒だった狛犬遍路氏もいる。4人組老婦人は3度目の歩き遍路だそうだ。東海道を大坂まで歩いてきたという新潟のHK氏は、明日は13番の大日寺まで行くので4時に起きるという。私も前回は大日寺前まで行った。確かに大変な道のりだがいくら何でも4時は早すぎはしないか。でも旧東海道の箱根越えが大変だったというから登りは得意でないのだろう。酒が入り話もはずんでかなり時間を楽しんだ。明日は天気は良さそうだ。あまり暑くならねばいいが。
【ルート地図】(35→59)
写真をクリックすると拡大します。
六番 温泉山安楽寺 【ルート地図】の35
阿波蜂須賀藩が遍路や旅人のための宿とした8つの駅路寺(えきろじ)の一つで、犯罪者や不審者を監視、取締まるねらいがあったという。特にこの寺は阿讃山脈からの越境者の抑えとして重要だった。慈善というより、治安、いざという時の軍事上の拠点としたのだろう。
阿波の蜂須賀の殿様も泊まった部屋が残っている。右が今の宿坊。温泉も湧いているようだ。
前の田んぼの中に丸山古墳があるというが見当たらず。
七番 光明山十楽寺
リュック姿は神戸のOT夫妻。ふたりとも市民ランナーでフルマラソンも走るというマラソン遍路。
この地で崩御した土御門天皇を祀る。
八番普明山熊谷寺(くまだにじ)仁王門 【ルート地図】の43
札所中最大の山門
中門
これは多聞天
安永3年頃の建立
左奥の橋を渡ると弁天堂
寺の起源は紀州熊野権現と関わりがあり、熊の字が共通する。
秋月城の細川氏が北朝方で暦応という北朝の年号が使用されている。
門前で托鉢している遍路がいた。
九番 正覚山法輪寺
田んぼの中に建ち、「田中の法輪さん」で親しまれている。
本尊は釈迦涅槃像
小豆洗大師(番外霊場) 《地図》
当地に水がなく農民が苦労しているのを大師が哀れみ、小豆の洗水に加持して水を得たという。
だいぶ濁っているようだ。
山号を「秋月山」
入口とあるので曲がって行ってみるが見当たらない。後日、調べるとここから500mくらい離れている。距離標示をすべきだろう。
南北朝時代に細川氏が建立した安国寺の経蔵跡が今の輪蔵庵のあたりとされている。
秋月城址 《地図》
土豪秋月氏の居城で、細川阿波守和氏が秋月氏に迎えられ、秋月に居館を構え四国の拠点とし、大きな勢力を誇ったが天正7年(1579)に長曽我部軍より落城した。
今は、草ぼうぼうの「兵どもが夢の跡」だ。
森家代々のの氏神か
民宿、遍路用具屋などが並んでいて門前町の面影がある。
十番 得度山切幡寺 【ルート地図】の52
「得度山」はこの寺の縁起の得度して千手観音の姿になったという機織りの娘による。
読むのがめんどうだ。
豊臣秀頼が大坂の住吉神社に建立したものだが、明治の神仏分離でこの寺が買い受けここへ解体移築した。日本三大塔の一つ。
得度して、千手観音になったという機織りの娘の観音像。はさみと長い布を持っている。曲線美が艶かしい。
7人の大工が一夜で建立したという。いつ頃のことなのか?
後ろは八幡小学校
明治から大正にかけての善入寺島からの強制立退きで移転した島民が、粟島村の数社を合祀して、粟嶋神社とした。
ここは吉野川の中の無人島の善入寺島。大正4年までは約500戸、3,000人が生活していた。
ここも潜水橋
この地は古代は忌部族の支配地で、当社のもとの浮島八幡宮(善入寺島にあった。)は式内社の忌部神社にも擬せられる古社という。
ここは川島城の二の丸跡で、川島公園の一部となっている。
阿波九城の一つ。城内はギャラリー喫茶や模擬天守のレストランなどの観光施設になっている。
蔵が2つも並ぶ。
十一番 金剛山藤井寺 【ルート地図】の59
臨済宗の寺で、本尊の薬師如来像は四国霊場最古の仏像という。
大師が境内に五色の藤を植えたので藤井寺の寺号となったという。花の時期は過ぎてしまった。
何が本家なのかよく分からん。
| 固定リンク
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 坂道散歩(2021年11月~2022年6月)追加分(2022.06.20)
- 結城街道⑥(下館駅→日光街道合流地点)(2020.07.02)
- 結城街道⑤(岩瀬駅→下館駅)(2020.06.29)
- 結城街道④(稲田駅→岩瀬駅)(2020.06.23)
- 結城街道③(内原駅→稲田駅)(2020.06.19)
コメント