四国遍路道(阿波国-3)
2009年5月10日
ふじや本家旅館・・・11番奥の院・・・端山休憩所・・・長戸庵(440m・番外霊場)・・・柳水庵(500m・番外霊場)・・・(県道245号)・・・一本杉庵(745m・浄蓮庵・番外霊場)・・・左右内谷川・・・一番坂・・・12番焼山寺(700m)・・・杖杉庵(番外霊場)・・・鍋岩・・・玉ケ峠(450m)・・・鏡大師(番外霊場)・・・植村旅館
今日もいい天気だ。HK氏は予定通りまだ暗い4時過ぎに出発したそうだ。こちらは今回は鏡大師の先の鮎喰川沿いの植村旅館までの余裕の行程だが、6時半過ぎには宿を出る。焼山寺道に入り、すぐに11番奥の院があるが堂はなく案内板がなければ気づかず通り過ぎてしまうだろう。遍路道は整備されていて、まだ傾斜もゆるく歩きやすい。湧き水を過ぎ、長戸庵で先に出発した4人組おばさん遍路に追いつく。
柳水庵への道はよく整備されていて傾斜も緩くそんなにしんどくない。遍路ころがしの急坂を下るとうまい水が湧き流れている柳水庵に着く。休憩していると4人組おばさん遍路と、OT夫妻がやって来た。夫妻は旅館吉野に泊まったそうだ。お先に県道245号へ下り、一本杉庵へのけっこうきつい上りにかかる。途中、大きな荷物の野宿遍路を追い抜く。かなりバテ気味のようでこの先ちょっと不安な有様に見えた。
まだかまだかと思って上って行くと目の前に石段が現れ、石段上に大師像が建っていて、その後ろに大杉がそびえている。ここが一本杉庵で、お堂前の椅子で休んでいた大坂の野宿遍路のSZ氏(40才台)と長話しをして大休止だ。OT夫妻、4人組おばさん遍路、野宿遍路も到着して皆、一息、二息の休憩だ。ここからは350mほど下ることになる。折角、ここまで上ったのがもったいない気分だがこれも大師の与えた試練なのだろうよ。
下って左右内川を渡ると一番坂で、ここからが最後の遍路ころがしだ。暑さが増す中、汗かき汗かきやっと車道が近くなった頃、見上げると見覚えのある顔が上からこっちを見ている。なんと4時半前に出発したHK氏だった。歩きながらもうとっくに焼山寺を打って大日寺へ向っている頃と思っていたのに。びっくりして心配にもなった。ここまで7時間近くかかっている勘定だ。こんなペースでは大日寺までは無理というものだが。
焼山寺は団体さん、車での遍路で賑わっていた。陽射しが強く、じりじり焦げてしまいそうな暑さだ。ふじや旅館のにぎり飯で昼食休憩して、杉杖庵へ向う。途中、白装束で顔も白い布で覆った若い娘遍路とすれ違い、「まだ、(焼山寺まで)だいぶありますか」と聞かれ、つい「20分ぐらいでしょう。」と答えてしまった。上りはもっと時間がかかるものを。娘遍路は荷物はあまり持っていないようだったが歩き遍路なのだろうか。急に現れた天女のようにも思えてきて歩きが軽快になってきた。(舗装道路で下りだから楽なのは当たり前)
杉杖庵の先で一緒に歩いて行くHK氏とSZ氏に追いつく。3人で鍋岩近くの休憩所で休んでいるとOT夫妻もやって来た。夫妻は県道43号を下り、神山の民宿に泊まるという。こっちは玉ケ峠越えだ。HK氏もSZ氏も峠越えの道を選ぶ。野宿のSZ氏はともかく、HK氏は今夜の宿は大日寺前だ。今からはとても無理だとは思うのだが。焼山寺への上りで一仕事終えた足には玉ケ峠越えの遍路道はこたえる。何度も曲がりながらやっと峠近くの車道に出た。かなりの時間が経ってからHK氏が全身汗でずぶ濡れになって上って来た。脱水症状で倒れそうになったという。
結局、HK氏は大日寺まで行くのをあきらめ宿をキャンセルして、私と同じ植村旅館に泊まることになった。もう4時近くだ。ここから宿までは5kmはある。5時前には着きたいし、鏡大師にも寄りたので先に行くことにする。宿に着くともう一人の予約客が道を間違え遅くなるという。この遍路は福岡のMT氏(60才台)で、宿へ向う途中、通りかかった地元の人の車に乗せてもらって6時頃に到着した。いい寝場所が見つからなかった野宿遍路のSZ氏もこの宿に泊まることになった。夕食の時、福岡のMT氏は足のマメがひどくて明日は徳島に出て帰るなんて弱気なことを言っている。今からそんな弱音を吐かずに、明日の朝また考えて行ける所まで行ったらどうかとアドバイス(余計なお世話)をしてみたが、どうなることやら。
【ル-ト地図】(60→71)写真をクリックすると拡大します。
藤井寺境内から12番への焼山寺道へ入る。《地図》
ちょっと大げさな目安時間とは思うが、まあいろんな遍路がいるから。
奥の院といってもお堂はない。
焼山寺までは一気の上りだけでなく、3度の上りと2度の下りの山歩きだ。
ここが端山休憩所あたりだったか。
あと約12km
ここから先、柳水庵まで水はない。
【ル-ト地図】の61大師が焼山寺へ登った時にここで休憩した。
4人組老婦人遍路が休憩中。休憩するのに、丁度(長戸)いい塩(庵)梅な所。
かすれて読みづらい。
まだ三分の一足らずだ。
柳水庵(番外霊場) 《地図》
大師がここで休息した時、水がないので柳の枝を採って加持すると清水が湧き出した恵水の霊地。
一本杉庵(浄蓮庵・番外霊場) 《地図》
大師がここで仮眠した時に、夢の中に阿弥陀如来が現れたので尊像を刻み、堂宇を建てて安置した。その時、大師が植えたのが一本杉の老大木。
ここは焼山寺よりも標高がある。ここから急坂を下り、左右内川を渡り、一番坂の急な上りとなる。
柳水庵からの下りだ。
前回来た時は、こんなに下って何だか大師さんにだまされているような気がした。
折角登ったのにもったいない感じだ。
あと約1km、これでやっと「あと一息」だろう。
70才はとっくに過ぎていて、腰は曲がり耳もだいぶ遠いようだ。無事到着されるように。
ここまで来るとバス、車で来た人たちが涼しい顔で歩いている。
HK氏はうまそうに飲んでいた。
【ル-ト地図】の65山号寺名は縁起にちなむ。
境内はけっこう混んでいる。バスの団体遍路、車遍路がほとんどだ。「 楽して、お参りして、ご利益を授かる。」 これが一番賢明な札所巡りかも。
由来によると、随分と我がまま(自己主張の強い)な鐘のようだ。
この先で焼山寺へ向う娘遍路とすれ違う。
杖杉(じょうさん)庵(番外霊場) 《地図》
この弘法大師像はただの老僧という風で威厳が感じられない。
前にも書いたがこの縁起話は好きになれない。66番雲辺寺の麓の民宿岡田の主人も私と同意見だった。
衛門三郎最期の地
HK氏(右)は元気を取り戻したようだ。野宿遍路のSZ氏はサンダルをぶら下げている。
鍋岩はどれなのか?
HK氏は脱水症状でバテバテでなかなか上って来なかった。
ここから少し下る。
鏡大師(番外霊場) 《地図》
大師がここで休息し、そばの石を撫でたところ輝きはじめ人の顔が映るようになったという。明治の初年まではよく映ったが、少しの曇りを惜しんで研ぎ屋に研がせたが、それからはもとの輝きを失ってしまったという。正面の石が鏡岩か? もとから鏡の輝きなどなかったただの小岩という感じだ。
植村旅館から鮎喰川、福原橋 《地図》
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