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2009年5月30日 (土)

四国遍路道(阿波国-4)

2009年5月11日

植村旅館・・・福原橋(鮎喰川)・・・駒坂峠・・・鮎喰川・・・(須賀橋)・・・(長瀬橋)・・・赤松峠・・・河野橋(鮎喰川)・・・県道21号・・・建治寺遍路道・・・八幡神社・・・建治寺(310m・番外霊場・13番奥の院)・鎖行場・滝行場(建治の滝)・・・県道21号・・・あずま橋(南谷川)・・・14番大日寺・一宮神社・一宮城跡・・・一の宮橋(鮎喰川)・・・瑜伽大権現・常楽園・・・14番常楽寺・・・八幡神社・・・慈眼寺(14番奥の院・番外霊場)・・・若宮神社・・・岩船地蔵尊・八祖大師・・・興禅寺・・・15番国分寺・・・16番観音寺・・・大御和神社・・・千福寺・・・(JR徳島線)・・・八坂神社・・・17番井戸寺・八幡神社・・・(JR徳島線)・・・上鮎喰橋(鮎喰川)・・・地蔵池・地蔵院(番外霊場)・・・八幡神社・女厄坂・男厄坂峰の薬師法谷寺(番外霊場)・厄越橋・厄坂・・清水寺・・・諏訪神社・・・お松大明神・・・(三島神社)・・・東光寺・・・御睦経王大明神・・・阿波おどり会館・天神社・姫宮さん・・・徳島ワシントンプラザホテル

 MT氏は歩く気になった。こちらは番外霊場の建治寺に寄るのでお先に出発する。遍路道は福原橋を渡り、駒坂峠へ上ってまた鮎喰川まで下って行く細い木を渡しただけの板橋はやけに弾んでバランスを崩しそうで慎重に渡る。広野の河野橋で鮎喰川を渡り返して県道21号を進む。ちょうど通学時間帯で、出会う子らは「おはようございます。」と挨拶をしてくれる。朝から気持ちのいいものだ。

 県道から離れて建治寺への遍路道を上る。神山森林公園への道を横切り、下草が生い茂り、少し荒れている所もある道を抜けて行く。明るい建治寺境内で一休みして、立派な宿坊の前の石段を下って鎖行場、滝行場から大日寺への遍路道に入る。鎖行場の下の崖には梯子が立て掛けてあった。後で気づいたがこれは梯子行場なのだろう。梯子が新しくてうっかりした。建治の滝あたりは暗く静かで冷気が漂い、昔の行場の雰囲気を残している。ただ滝の水量が少ないのと、ちょっと荒れているのが惜しい感じがした。

 建治の滝の前から下って車道と合流し、県道21号へ出て強い陽射しの中を13番の大日寺へ向う。大日寺ではHK氏とSZ氏が納経所の前のベンチで休んでいた。しばらくするとMT氏もやって来た。建治寺回りで来たという。今のところ快調のようでこれなら徳島駅から帰らなくても済みそうだと思って、一緒に14番常楽寺へ歩き始めたがやはり足が痛むようですぐに遅れ出した。

 13番大日寺から17番井戸寺までは8km足らずの間にある。地元ではこの道筋を「5ケ所まいり」といい1日で巡拝する。このあたりは気延山の裾野で古代から開け、宮谷古墳、矢野古墳、国府跡、国分寺跡、国分尼寺跡、矢野城跡などが残り、阿波史跡公園として整備され考古資料館もある。国府町、府中(こう)駅なども往時の名残だ。前回見ているので今回はパスする。流水岩の庭に建つ14番常楽寺、七堂伽藍を誇った面影はない15番国分寺、町筋の一角に押し込められ、窮屈な感じで長居はしたくない16番観音寺から徳島線を渡り、17番井戸寺へ向う。まだ5月だというのに、町中を歩いているせいもあるのかとにかく暑い。白衣も脱ぎ、半袖、短パンで歩いているのに、真夏はどんな格好で歩けばいいのか。去年は8月の終わりから歩き始めた。その暑さに比べればたいしたことはないはずだが、のど元過ぎれば何とやらで、当時のことはすっかり忘れている。

 井戸寺を出た時に、HK氏、SZ氏、MT氏が連れだって入ってきた。3人とも暑さと疲れで、歩き遍路ならではの姿、顔になっている。自分もきっと同じなのだろう。JR徳島線をくぐり、国道192号に出て上鮎喰川を渡り、番外霊場の地蔵院を目指すが、近道を歩いているつもりが、どうも方向違いに歩いている気がしてきた。老人ホームそばの民家のおじさんに聞くと、あの山(眉山だろう)の方向に田んぼに沿って行けばいい、との返事。だがはっきりした道筋ではない。まあとにかく行って見ようと歩き始めたが、やっぱり分からず、いい加減疲れも増してきてあきらめかけたら、寺や神社なんかがある雰囲気というか匂いのする所へ出た。そして「地蔵池公園」?の標示も見つけた。白黒コピーの地図で地蔵院前に池があるのを見落としていた。目的地にたどり着いたのと、自分の勘が当たったのも嬉しく疲れもぶっ飛んだ? 

 明るい地蔵池の回りは公園になり、ベンチでお年寄りたちがくつろいでいて、池の畔に地蔵院の山門が立っている。ここは町中の札所の安楽寺なんかよりずっと和めるロケーションだ。境内も広く、穴不動古墳の立派な石室も保存されていて来た甲斐があった。ここからは地蔵越えの遍路道を通り、園瀬川沿いの八万町に抜けられる。今日は峰の薬師法谷寺に寄るので地蔵越えは次回だ。

 後は峰の薬師へ寄って、徳島駅近くのビジネスホテルへ行くだけだ。夕食の時間も気にすることはない。ベンチに座り、池と水鳥を眺めしばし、ぼぉーとしていた。歩く気力も戻って、いざ出発すると池畔の土手で草を摘んでいる青年がいる。食べられる草かと思い、何の草なのか聞いてみると、飼い猫に食べさせるという。猫が自分の体をなめて飲み込んだ毛を吐き出させるのだそうだ。青年は地元の人で、学生時代に盲腸か何かの病気で1ヶ月の中断はあるものの、通しの歩き遍路をしたという。その時出会った人たちとの交流が今でも続いて財産になっているという。物的・知的・人的財産、どれか一つでもあればいい。何もない自分はどうしようもないと自嘲気味になるのも疲れのせいとしておこう。

 城西高校から東に入り、峰の薬師に寄って徳島の市街地を行く。夕刻間近で学校、病院、公園、団地などで行き交う人も多く気分的にも疲れてきて、リュックの重さもこたえてきた。清水寺、諏訪神社を過ぎ、南へ曲がってホテルも近くなりやっとほっとした。ついでに阿波おどり会館裏の天神社境内の、「姫宮さん」の「絶妙なる自然石の形」の「他に例のない秘物」も拝ませてもらって、やっとホテルに着いた。今日はけっこう歩いた。夜は中華料理店で大いに飲み食いし明日からに備えた。あの3人はどうしているか、無事で今日の寝場所に着いたのだろうか。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_1914 福原橋を渡って駒坂峠への遍路道に入る。

Img_1916 鮎喰川(福原橋から)

Img_1922 駒坂峠から再び鮎喰川へ下り、細い板橋を渡る。

Img_1924板橋は歩くとトランポリンのように弾んで不安定でちょっと怖い。

Img_1940 県道21号から離れ右へ建治寺への遍路道に入る。

Img_1942 案内板

Img_1946 随分上った感じだ。今日も晴れて暑くなりそうだ。

Img_1947 なかなかいい山号だ。

Img_1949 遍路道沿いの大師堂

Img_1955 地蔵さん

Img_1957山道に入る。

Img_1958 倒れそうな石仏

Img_1959 森林公園への道を横断し上って行く。

Img_1961 樹林帯を抜ける。

何の木だったか。

Img_1965 建治寺(こんじじ)の駐車場

Img_1966 駐車場から

標高300mくらいか

Img_1968 建治寺(番外霊場・13番奥の院) 【ルート地図】の①

役の行者の開基で、本尊は金剛蔵王大権現。13番奥の院の修験根本道場として発展した。

Img_1970 縁起

Img_1976 本堂(奥)・宿坊(右)

Img_1975 本堂

Img_1974修験の道場にふさわしく本堂に天狗の面が掛けられている。

Img_1977 鎖行場、梯子行場、滝行場を下って行く遍路道

Img_1981迂回路もあるがむろん鎖坂道へ

Img_1984 鎖行場を下る。

Img_1987鎖を頼りに岩場を下る。

これも行の一つ。

Img_1988さらにロープを伝わって下る。

下の崖に新しい梯子が立て掛けてある所がある。崖くずれの補修をしているのかと思って写真は撮らなかったが、梯子行場ということを後で思い出す。

Img_1991 建治の滝

岩肌を流れ落ちているのだが、水量が少なく迫力がない。ここ滝で身を清め、梯子行場、鎖行場と行をしながら山門をくぐった修験の霊場。

Img_1990 滝の前の不動明王(念怒尊?)

Img_1993 不動堂の前から下って行く薄暗い遍路道

Img_1995 案内図(車道との合流点)

Img_1997 車道と合流しゆるやかに下って行く。

Img_2001 県道21号へ出て13番へ

右は地蔵堂

Img_2012 13番 大栗山大日寺

向かいの一宮神社の別当寺で本尊は大日如来だった。神仏分離の際に一宮神社の十一面観音を移して本尊とし、大日如来は脇仏となった。十一面観音よりも大日如来の方が格上で、寺名も大日寺なのに、なぜ十一面観音を本尊としたのか?

Img_2014 本堂

Img_2015 大師堂

Img_2016 しあわせ観音

Img_2013_2 一宮神社 【ルート地図】の②

神仏分離以前は元の札所で、ここでお参りをして大日寺で納経した。「阿波国一宮」の石柱が立つ。大麻比古神社も「阿波国一宮」といっているがどっちだろうか。

Img_2007 略記

Img_2006 一宮神社

Img_2010 一宮城跡入口(一宮神社の前)

一宮氏(小笠原氏)の居城で、蜂須賀家政が最初に入城したのがこの城だった。徳島城に移ってからは支城となり、後に廃城となった。

Img_2009 説明板

Img_2008 城内図

Img_2018 14番へ一の宮橋を渡る。

Img_2024 瑜伽大権現?

神仏混交の神社なのか。

Img_2022 常楽園

常楽寺で運営する児童擁護施設。

Img_2025 14番 成寿山常楽寺

「人生即遍路」(山頭火)の石柱が立つ参道。曲がって上るちょっと変わった参道だ。

Img_2029 流水岩の庭の上に建っている。本尊は弥勒菩薩で、四国札所ではここだけ。

Img_2030 あららぎ大師

アララギ(櫟(いちい)の木)の股の間の小さな大師さん。

Img_2033 慈眼寺(14番奥の院)

Img_2034 生木地蔵堂

Img_2035 由来

Img_2038 生木地蔵尊

杉の木に刻んだ地蔵さん。

Img_2041 八祖大師・岩船地蔵尊堂

Img_2043 八祖大師とは、「真言八祖」のこと。七祖+空海

Img_2045 興禅寺(臨済宗)

ひっそりと落ち着いた佇まいの寺だ。

Img_2050 興禅寺の白塀

Img_2046 六地蔵板碑(興禅寺前)

かすれてはいるが、上に3体、中央に3体の地蔵が線刻されている。

Img_2047 説明板

Img_2051 15番 薬王山国分寺

Img_2052 本堂(正面)

Img_2053 説明板

Img_2054 七重塔礎石

Img_2055 説明板

Img_2056 本堂

縦長で他寺とは違う感じがする。

Img_2059 烏瑟沙摩(うすさま)明王堂。

うすさま明王は、不浄を清浄と化す神、トイレの神。

Img_2062 国分寺の白い塀沿いに16番に向う。

Img_2064 気延山(212m)方向

このあたりは古代の政治、文化の中心部。

Img_2067 16番 光耀山観音寺 【ルート地図】の③

Img_2069 本堂

Img_2070 大師堂

Img_2071 八幡惣社両神社(観音寺前)

2つの社を合祀したのか。もとは観音寺の境内にあったようだ。

Img_2073 つばめが2羽

Img_2077 大御和神社

阿波国府の鎮守で、国司の官印や役所の蔵の鍵を紛失しないように祈り、「印鑰(いんやく)大明神」と呼ばれた。現在は「府中(こう)の宮」として親しまれている。

Img_2076 略記

Img_2087 17番 瑠璃山井戸寺

阿波藩の大谷別荘の武家門を寄進したものという。どっしりした和風門で、竜宮門風の山門より落ち着きと風格がある。

Img_2094 四国一の大ワラジとか。

Img_2093 縁起

Img_2089 日限大師堂

堂内に大師一夜掘りの「おもかげの井戸」と日限大師像。

Img_2090 由来

Img_2091 井戸をのぞきこんで姿が映れば無病息災、映らなければ3年以内に不幸が訪れるとか。三年坂も、この坂で転ぶと3年以内に死ぬというが、これは急坂なので転ばぬように気をつけて歩けという戒めだ。この井戸の場合のただのこけおどしとは違う。

Img_2097 隣りの八幡神社が明治時代までは井戸寺と同じ境内にあり、井戸寺は当社の別当寺だった。

Img_2098 JR徳島線をくぐって国道192号へ

Img_2101 上鮎喰橋を渡る。

正面は眉山方向

Img_2106 地蔵池(正面が地蔵院)

ここは阿波藩主の舟遊び場だった。

Img_2120 日なたで散歩か

Img_2109 地蔵院(番外霊場・新四国曼荼羅霊場第75番札所) 【ルート地図】の④

流水潅頂の道場で、安産祈願所として栄えた。

Img_2110 縁起

Img_2111 本堂

Img_2112 十三仏

Img_2114 大師堂

Img_2115 穴不動古墳(地蔵院境内)

7世紀中頃築造の直径20mの円墳。

Img_2116 説明板

Img_2118 横穴石室

中央の台石は後から置かれた物。

Img_2126 峰の薬師法谷寺参道 【ルート地図】の⑤

縁起では開山は聖徳太子だ。厄除祈祷の寺として栄えた。本尊の薬師如来は兵火(天正年間)を避けるため、大木の二股に飛び移り避難したと伝え、「二股薬師」の異名を持つ。「二股」とはあまりいい意味では使われていない。薬師さんもこの異名には異議を唱えると思うが。

Img_2130 縁起

Img_2128八幡神社(参道の途中)

Img_2132 女厄坂

33段か

Img_2134 男厄坂(42段?)と続いて本堂へ

Img_2135 本堂

Img_2137 厄越橋を渡って厄坂を下る。

Img_2138 (男女共通61才)厄坂

Img_2139 清水寺(せいすいじ)(真言宗)

山門は勝瑞城あるいは一宮城(13番大日寺の前)からの移築という。

Img_2142 諏訪神社

もとは城山の北東にあったが徳島城築城の際にここへ移転した。蜂須賀氏の尊崇厚く、渭津(いのつ)五社(寺町春日神社・富田浦八幡神社・福島四所神社・助任八幡神社・当社)の随一といわれた。渭津(いのつ)は徳島城が、漢詩に「 渭城の朝雨軽塵を潤す」と歌われた中国の渭水に似ていることから名づけられた。今も「佐古のお諏訪はん」と親しまれている。石段の左下に「まよいご石」

Img_2140 まよひご(迷子)石

貴重な民俗文化財だろう。

Img_2141_2由来

もう少し簡潔な文章にしてもらいたいよ。

Img_2146 お松大明神

四国各地にある狸話の一つ

Img_2147 由来

Img_2148 三島神社に関係あるものか? 多分違うだろう。三島神社には県内最古の石造狛犬がある。狛犬老人遍路は寄って見ただろうか。

Img_2150 寺町の東光寺

以前に来た時には、塀の中の墓地に「伝写楽の墓」があったはずだが墓地内を探しても見当たらず。

Dsc05042 「写楽の墓所」の標識(2004年5月2日撮影)

なぜかこの時も墓の写真は撮っていなかった。

Dsc05043 「論争発端の地」とある。(2004年5月2日撮影)

まだ新しい案内板だ。道が一本違うのか? 論争が終結して写楽の墓でないことに決着したか。佃島(東京都中央区)の住吉神社境内にも、「東洲斎写楽終焉の地」の石碑が立っている。

Img_1181 御睦経王大明神

Img_1179 強運勝利のご利益があるそうだ。

Img_1183 阿波おどり会館

Img_1184 天神社

Img_1195 菅原道真と牛

Img_1191 姫宮さん

鳥居の向こうの岩の形が・・・・

鳥居やなんかは邪魔だなんて言いなさんな。

Img_1192 「ふる里」・「絶妙なる形成の自然石」

Img_1193 「母なる胎内」・「絶妙にして幽玄なる存在」・「他に例のない秘物」

まあ、お察しのとおりです。これで分からない人は聖人君子か、よほどの朴念仁だろうよ。

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2009年5月28日 (木)

四国遍路道(阿波国-3)

2009年5月10日

  ふじや本家旅館・・・11番奥の院・・・端山休憩所・・・長戸庵(440m・番外霊場)・・・柳水庵(500m・番外霊場)・・・(県道245号)・・・一本杉庵(745m・浄蓮庵・番外霊場)・・・左右内谷川・・・一番坂・・・12番焼山寺(700m)・・・杖杉庵(番外霊場)・・・鍋岩・・・玉ケ峠(450m)・・・鏡大師(番外霊場)・・・植村旅館

 今日もいい天気だ。HK氏は予定通りまだ暗い4時過ぎに出発したそうだ。こちらは今回は鏡大師の先の鮎喰川沿いの植村旅館までの余裕の行程だが、6時半過ぎには宿を出る。焼山寺道に入り、すぐに11番奥の院があるが堂はなく案内板がなければ気づかず通り過ぎてしまうだろう。遍路道は整備されていて、まだ傾斜もゆるく歩きやすい。湧き水を過ぎ、長戸庵で先に出発した4人組おばさん遍路に追いつく。

 柳水庵への道はよく整備されていて傾斜も緩くそんなにしんどくない。遍路ころがしの急坂を下るとうまい水が湧き流れている柳水庵に着く。休憩していると4人組おばさん遍路と、OT夫妻がやって来た。夫妻は旅館吉野に泊まったそうだ。お先に県道245号へ下り、一本杉庵へのけっこうきつい上りにかかる。途中、大きな荷物の野宿遍路を追い抜く。かなりバテ気味のようでこの先ちょっと不安な有様に見えた。

 まだかまだかと思って上って行くと目の前に石段が現れ、石段上に大師像が建っていて、その後ろに大杉がそびえている。ここが一本杉庵で、お堂前の椅子で休んでいた大坂の野宿遍路のSZ氏(40才台)と長話しをして大休止だ。OT夫妻、4人組おばさん遍路、野宿遍路も到着して皆、一息、二息の休憩だ。ここからは350mほど下ることになる。折角、ここまで上ったのがもったいない気分だがこれも大師の与えた試練なのだろうよ。

 下って左右内川を渡ると一番坂で、ここからが最後の遍路ころがしだ。暑さが増す中、汗かき汗かきやっと車道が近くなった頃、見上げると見覚えのある顔が上からこっちを見ている。なんと4時半前に出発したHK氏だった。歩きながらもうとっくに焼山寺を打って大日寺へ向っている頃と思っていたのに。びっくりして心配にもなった。ここまで7時間近くかかっている勘定だ。こんなペースでは大日寺までは無理というものだが。

 焼山寺は団体さん、車での遍路で賑わっていた。陽射しが強く、じりじり焦げてしまいそうな暑さだ。ふじや旅館のにぎり飯で昼食休憩して、杉杖庵へ向う。途中、白装束で顔も白い布で覆った若い娘遍路とすれ違い、「まだ、(焼山寺まで)だいぶありますか」と聞かれ、つい「20分ぐらいでしょう。」と答えてしまった。上りはもっと時間がかかるものを。娘遍路は荷物はあまり持っていないようだったが歩き遍路なのだろうか。急に現れた天女のようにも思えてきて歩きが軽快になってきた。(舗装道路で下りだから楽なのは当たり前)

 杉杖庵の先で一緒に歩いて行くHK氏とSZ氏に追いつく。3人で鍋岩近くの休憩所で休んでいるとOT夫妻もやって来た。夫妻は県道43号を下り、神山の民宿に泊まるという。こっちは玉ケ峠越えだ。HK氏もSZ氏も峠越えの道を選ぶ。野宿のSZ氏はともかく、HK氏は今夜の宿は大日寺前だ。今からはとても無理だとは思うのだが。焼山寺への上りで一仕事終えた足には玉ケ峠越えの遍路道はこたえる。何度も曲がりながらやっと峠近くの車道に出た。かなりの時間が経ってからHK氏が全身汗でずぶ濡れになって上って来た。脱水症状で倒れそうになったという。

 結局、HK氏は大日寺まで行くのをあきらめ宿をキャンセルして、私と同じ植村旅館に泊まることになった。もう4時近くだ。ここから宿までは5kmはある。5時前には着きたいし、鏡大師にも寄りたので先に行くことにする。宿に着くともう一人の予約客が道を間違え遅くなるという。この遍路は福岡のMT氏(60才台)で、宿へ向う途中、通りかかった地元の人の車に乗せてもらって6時頃に到着した。いい寝場所が見つからなかった野宿遍路のSZ氏もこの宿に泊まることになった。夕食の時、福岡のMT氏は足のマメがひどくて明日は徳島に出て帰るなんて弱気なことを言っている。今からそんな弱音を吐かずに、明日の朝また考えて行ける所まで行ったらどうかとアドバイス(余計なお世話)をしてみたが、どうなることやら。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_1719 藤井寺境内から12番への焼山寺道へ入る。《地図

Img_1724 ちょっと大げさな目安時間とは思うが、まあいろんな遍路がいるから。

Img_1725 弁財天堂

Img_1729 ミニ八十八ケ所霊場が並ぶ

Img_1730 11番奥の院

Img_1732 奥の院の大日如来か? あんまり有難味を感じない像だが。

奥の院といってもお堂はない。

Img_1736 最初の「遍路ころがし 1/6」

焼山寺までは一気の上りだけでなく、3度の上りと2度の下りの山歩きだ。

Img_1738 吉野川方向の展望が開ける。

ここが端山休憩所あたりだったか。

Img_1742 茶畑

Img_1743 百十丁の丁石

あと約12km

Img_1745 湧き水

ここから先、柳水庵まで水はない。

Img_1749 長戸庵(番外霊場)

大師が焼山寺へ登った時にここで休憩した。

4人組老婦人遍路が休憩中。休憩するのに、丁度(長戸)いい塩(庵)梅な所。

Img_1751 由来

かすれて読みづらい。

Img_1754 なかなかいい道だ。

Img_1758 標高500mくらいか

Img_1762 整備された道を行く。

Img_1763 不当表示

まだ三分の一足らずだ。

Img_1765尾根道を行く。

Img_17702/6は気がつかなかった。

Img_1773 柳水庵に下る急坂が「へんろころがし」の3番目ということ。

Img_1778 柳水庵(番外霊場) 《地図

大師がここで休息した時、水がないので柳の枝を採って加持すると清水が湧き出した恵水の霊地。

Img_1781 うまい水だ

Img_1782 下りとなる

Img_1795 へんろころがし4/6

Img_1799 一本杉庵(浄蓮庵・番外霊場) 《地図

大師がここで仮眠した時に、夢の中に阿弥陀如来が現れたので尊像を刻み、堂宇を建てて安置した。その時、大師が植えたのが一本杉の老大木。

Img_1800 一本杉と大師像

ここは焼山寺よりも標高がある。ここから急坂を下り、左右内川を渡り、一番坂の急な上りとなる。

Img_1803 説明板

Img_1802野宿遍路のSZ氏と長話して大休止。

Img_1809 へんろころがし5/6

柳水庵からの下りだ。

Img_1810 下の集落までの長い下りが続く。

前回来た時は、こんなに下って何だか大師さんにだまされているような気がした。

Img_1816 左右内(そうち)の集落まで下って行く。

折角登ったのにもったいない感じだ。

Img_1819 民家の脇を抜けて

Img_1829 左右内川を渡る。

Img_1837最後のへんろころがし6/6の「一番坂」の上り。

Img_1840 十六丁の丁石

Img_1841 けっこうな上りが続く。

Img_1848 薬師堂

Img_1851 九丁の丁石

あと約1km、これでやっと「あと一息」だろう。

Img_1853 焼山寺から藤井寺へ向う老人遍路

70才はとっくに過ぎていて、腰は曲がり耳もだいぶ遠いようだ。無事到着されるように。

Img_1854 車道の参道へ出る。

ここまで来るとバス、車で来た人たちが涼しい顔で歩いている。

Img_1855 石垣から湧き水が

HK氏はうまそうに飲んでいた。

Img_1858 山門への石段

Img_1860 12番 摩盧山焼山寺(山門をくぐった所から) 《地図

山号寺名は縁起にちなむ。

Img_1867境内はけっこう混んでいる。バスの団体遍路、車遍路がほとんどだ。「 楽して、お参りして、ご利益を授かる。」 これが一番賢明な札所巡りかも。

Img_1871 縁起

Img_1865 十二社神社?

Img_1873 梵鐘

由来によると、随分と我がまま(自己主張の強い)な鐘のようだ。

Img_1872 由来

Img_1868 境内から

Img_1876 杖杉庵へ下る。

この先で焼山寺へ向う娘遍路とすれ違う。

Img_1880 杖杉(じょうさん)庵(番外霊場) 《地図

Img_1882 大師にすがる衛門三郎(四国遍路の元祖といわれる。)

この弘法大師像はただの老僧という風で威厳が感じられない。

Img_1886 縁起①

前にも書いたがこの縁起話は好きになれない。66番雲辺寺の麓の民宿岡田の主人も私と同意見だった。

Img_1887 縁起②

Img_1885 杖杉庵

衛門三郎最期の地

Img_1889 HK氏(右)は元気を取り戻したようだ。野宿遍路のSZ氏はサンダルをぶら下げている。

Img_1890 鍋岩あたりの流れ

鍋岩はどれなのか?

Img_1894 玉ケ峠への上り口

Img_1895 足場が悪い道を登る。

Img_1896 長い上りが続く。

HK氏は脱水症状でバテバテでなかなか上って来なかった。

Img_1898 玉ケ峠(450m)の石仏群

Img_1902下の鮎喰(あくい)川まで下って行く。

Img_1905 下の橋は小野橋か?

Img_1906 鏡大師標識

ここから少し下る。

Img_1910 鏡大師(番外霊場) 《地図

大師がここで休息し、そばの石を撫でたところ輝きはじめ人の顔が映るようになったという。明治の初年まではよく映ったが、少しの曇りを惜しんで研ぎ屋に研がせたが、それからはもとの輝きを失ってしまったという。正面の石が鏡岩か? もとから鏡の輝きなどなかったただの小岩という感じだ。

Img_1907 大師さん

Img_1912 県道に出て植村旅館へ

Img_1913 植村旅館から鮎喰川、福原橋 《地図》

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2009年5月25日 (月)

四国遍路道(阿波国-2)

2009年5月9日

Img_1666 民宿寿食堂・・・撫養街道(県道12号)・・・六番安楽寺・・・熊野神社・・・七番十楽寺・・・林観音庵・・・県道235号・・・御所大橋(宮川内谷川)・・・板野十六地蔵4番札所・・・御所神社・・・(徳島自動車道)・・・八番熊谷寺・・・(徳島自動車道)・・・号・・・毘沙門堂・・・九番法輪寺・・・翫城地(がんじょうじ)橋(九頭宇谷川)・・・(教覚寺)・・・小豆洗大師(番外霊場)・・・円光寺・・・秋月城址・・・称念寺・・・森神社・・・(徳島自動車道)・・・女やくよけ坂・男やくよけ坂十番切幡寺・・・(徳島自動車道)・・・県道237号・・・四国電力変電所・県道12号・・・堂ケ池大師堂・・・八幡神社・粟嶋神社・・・大野島橋(吉野川)・・・善入寺島・宝憧寺跡・・・川島橋(吉野川)・・・川島神社・川島城・・・伊予街道(国道192号)・・・川島東橋(JR徳島線)・・・県道240号・・・十一番藤井寺・・・ふじや本家旅館

 寿食堂から六番安楽寺は近く、7時半前には着いて鐘楼門の階段を上る。すると人の気配がして、若い青年が何か作業をしている。てっきり寺の若い僧が鐘楼内の朝の清掃をしていると思い、鐘をついてもいいかと聞くと、何だかはっきりしない返事だ。よく見るとここに泊まった野宿遍路だった。これからどこまで回れるのかちょっと先行きが心配な感じがする。このあたりはまだよちよち歩きの遍路が多い。12番の焼山寺を越え、室戸岬を回ってやっと半人前の歩き遍路というところか。ことに重い荷物の野宿遍路は11番まではすいすい来て、12番の焼山寺越えでギブアップすることが多いと聞いた。まあどうでもいいこったが。

 安楽、十楽と名のとおり平坦な楽な道を進み、御所大橋を渡り、北へ徳島自動車道をくぐると8番熊谷寺の大きな山門がそびえている。南に田んぼの中の道を行くと9番法輪寺に出る。ここの納経所はきれいでトイレもピカピカだ。団体さんで賑わっている境内の休憩所で土地の老人と元タクシーの運転手と長話しをして再出発。小豆洗大師を過ぎ、秋月城址の手前でおばあさんに引き留められまた小休止だ。この間に追い越して行ったのが神戸のOT夫妻で、この後、23番まで遍路道、宿で何度も一緒になる歩き遍路仲間だ。

 10番切幡寺は400段以上の石段を上った小高い所にある。今日はかんかん照りでだんだん暑さがこたえてきた。切幡寺から下り、徳島自動車道をくぐり、四国電力変電所の所で遍路道から離れ県道12号に入り、堂ケ池大師堂に寄る。その先で遍路道に出ようと勘で歩いていたがどうも道に自信がなく、自転車に乗った女学生に聞いてみたが聞き方が悪いのか、「わかりません」とつれない返事。すると反対方向に歩いて行くのを見かねたのか自転車に乗ったおばさんが追いかけてきて、親切にも道順を教えてくれた。感謝、感謝だ。

 八幡神社の先で右に曲がり、吉野川を大野島橋(上の写真は大野島橋へ下る遍路道)で無人島の善入寺島に渡り、川島橋を渡って遍路道から離れ川島神社、川島城へ寄る。なんだかやけに腹が減ってきて徳島線を越えた国道沿いのそば屋へ入る。冷房が効いていて疲れがとれていい休憩になった。ここから藤井寺はもう一息だ。

 藤井寺門前の今夜の宿、ふじや屋本家旅館は歩き遍路でほぼ満員か。皆、明日は焼山寺への上りだ。昨日、民宿寿食堂で一緒だった狛犬遍路氏もいる。4人組老婦人は3度目の歩き遍路だそうだ。東海道を大坂まで歩いてきたという新潟のHK氏は、明日は13番の大日寺まで行くので4時に起きるという。私も前回は大日寺前まで行った。確かに大変な道のりだがいくら何でも4時は早すぎはしないか。でも旧東海道の箱根越えが大変だったというから登りは得意でないのだろう。酒が入り話もはずんでかなり時間を楽しんだ。明日は天気は良さそうだ。あまり暑くならねばいいが。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_1489_2 安楽寺近くの旧家

Img_1490 六番 温泉山安楽寺 【ルート地図】の①

Img_1500 由来

Img_1491 本堂

阿波蜂須賀藩が遍路や旅人のための宿とした8つの駅路寺(えきろじ)の一つで、犯罪者や不審者を監視、取締まるねらいがあったという。特にこの寺は阿讃山脈からの越境者の抑えとして重要だった。慈善というより、治安、いざという時の軍事上の拠点としたのだろう。

Img_1498大師堂

Img_1496客殿

阿波の蜂須賀の殿様も泊まった部屋が残っている。右が今の宿坊。温泉も湧いているようだ。

Img_1504 七番への遍路道

Img_1509 熊野神社

前の田んぼの中に丸山古墳があるというが見当たらず。

Img_1512 七番 光明山十楽寺

Img_1514 遍照殿をくぐる。

Img_1517本堂

リュック姿は神戸のOT夫妻。ふたりとも市民ランナーでフルマラソンも走るというマラソン遍路。

Img_1518 林観音庵

Img_1527 板野十六地蔵霊場4番

Img_1528 説明板

Img_1535 御所(ごしょ)神社

この地で崩御した土御門天皇を祀る。

Img_1544 八番 

普明山熊谷寺(くまだにじ)仁王門 【ルート地図】の②

札所中最大の山門

Img_1545説明板

Img_1552

中門

Img_1553 中門には持国天(右)と多聞天(左)が立っている。

これは多聞天

Img_1554 持国天

Img_1555 本堂

Img_1557 大師堂

Img_1550 多宝塔

安永3年頃の建立

Img_1567 弁天池

左奥の橋を渡ると弁天堂

Img_1561 説明板

Img_1565 熊野社

寺の起源は紀州熊野権現と関わりがあり、熊の字が共通する。

Img_1564 縁起

Img_1566 板碑(中央の細長い石柱)

秋月城の細川氏が北朝方で暦応という北朝の年号が使用されている。

Img_1563 説明板

Img_1568 九番への遍路道

Img_1571 毘沙門堂

Img_1570 毘沙門天

Img_1574田んぼの間を行く遍路道

Img_1581田んぼの前に山門、右は草餅屋

門前で托鉢している遍路がいた。

Img_1576 九番 正覚山法輪寺

田んぼの中に建ち、「田中の法輪さん」で親しまれている。

Img_1577 本堂・大師堂(右)

本尊は釈迦涅槃像

Img_1589 小豆洗大師(番外霊場) 《地図

当地に水がなく農民が苦労しているのを大師が哀れみ、小豆の洗水に加持して水を得たという。

Img_1592 堂内の大師

Img_1590 前の湧き水

だいぶ濁っているようだ。

Img_1593 円光寺

山号を「秋月山」

Img_1598 分かりやすい昔の道標

Img_1600 入口とあるので曲がって行ってみるが見当たらない。後日、調べるとここから500mくらい離れている。距離標示をすべきだろう。

南北朝時代に細川氏が建立した安国寺の経蔵跡が今の輪蔵庵のあたりとされている。

Img_1601 旧家

Img_1609 秋月城址 《地図

土豪秋月氏の居城で、細川阿波守和氏が秋月氏に迎えられ、秋月に居館を構え四国の拠点とし、大きな勢力を誇ったが天正7年(1579)に長曽我部軍より落城した。

今は、草ぼうぼうの「兵どもが夢の跡」だ。

Img_1606 説明板

Img_1604 的場跡

Img_1610 称念寺鐘楼門

Img_1614 森神社

森家代々のの氏神か

Img_1617 十番の参道

民宿、遍路用具屋などが並んでいて門前町の面影がある。

Img_1619 十番 得度山切幡寺 【ルート地図】の③

「得度山」はこの寺の縁起の得度して千手観音の姿になったという機織りの娘による。

Img_1622 八大龍王堂

Img_1623 杖無し橋

Img_1625_2 由来

読むのがめんどうだ。

Img_1626 333段の石段

Img_1630女やくよけ坂

Img_1631 男やくよけ坂

Img_1633 本堂・大師堂

Img_1638 大塔

豊臣秀頼が大坂の住吉神社に建立したものだが、明治の神仏分離でこの寺が買い受けここへ解体移築した。日本三大塔の一つ。

Img_1639 説明板

Img_1640大塔からの眺め

Img_1645 切幡寺縁起

Dsc05041_2 はたきり観音(前回撮影)

得度して、千手観音になったという機織りの娘の観音像。はさみと長い布を持っている。曲線美が艶かしい。

Img_1646 地蔵堂(11番への遍路道沿い)

Img_1655 堂ケ池大師堂(中央奥)

7人の大工が一夜で建立したという。いつ頃のことなのか?

Img_1652 堂内の大師さん

Img_1656 地蔵堂

後ろは八幡小学校

Img_1658 八幡神社

Img_1660 粟島神社

明治から大正にかけての善入寺島からの強制立退きで移転した島民が、粟島村の数社を合祀して、粟嶋神社とした。

Img_1659 再建記念碑

Img_1661 旧家の前で右に曲がる。

Img_1667 大野島橋へ

Img_1670 巾員3mの潜水橋の大野島橋を渡って善入寺島へ。

Img_1675 宝憧寺跡

ここは吉野川の中の無人島の善入寺島。大正4年までは約500戸、3,000人が生活していた。

Img_1673 善入寺島は田んぼはあるが人は住んでいない無人島。

Img_1679 川島橋へ下る

Img_1681 川島橋

ここも潜水橋

Img_1685 川面は近い

Img_1689 対岸から川島橋、善入寺島方向

Img_1693 川島神社

この地は古代は忌部族の支配地で、当社のもとの浮島八幡宮(善入寺島にあった。)は式内社の忌部神社にも擬せられる古社という。

ここは川島城の二の丸跡で、川島公園の一部となっている。

Img_1695 由緒

Img_1699 川島城 【ルート地図】の④

阿波九城の一つ。城内はギャラリー喫茶や模擬天守のレストランなどの観光施設になっている。

Img_1697 説明板

Img_1706 11番近くの旧家

蔵が2つも並ぶ。

Img_1708 入口も立派だ。

Img_1712 十一番 金剛山藤井寺 【ルート地図】の⑤

臨済宗の寺で、本尊の薬師如来像は四国霊場最古の仏像という。

Img_1718 縁起

Img_1713 藤棚

大師が境内に五色の藤を植えたので藤井寺の寺号となったという。花の時期は過ぎてしまった。

Img_1714 本堂・大師堂(右)

Img_1715 白龍弁財天堂

Img_1722 ふじや本家旅館

何が本家なのかよく分からん。

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2009年5月22日 (金)

四国遍路道(阿波国-1)

2009年5月8日

Img_1439  阿波大谷駅(JR鳴門線)・・・東林院(種蒔大師・一番奥の院・番外霊場)・宇志比古神社・・・阿波神社・・・土御門天皇火葬塚・・・(JR高徳線)・・・十輪寺(談義所・番外霊場)・・・春日神社・・・樋殿谷川・・・(JR高徳線)・・・撫養街道(県道12号)・一番霊山寺・・・(高松自動車道)・・・祓川橋(板東谷川)・大麻比古神社・メガネ橋(鏡池)・ドイツ橋・・・二番極楽寺・・・諏訪神社・釈迦庵・・・三番金泉寺・・・亀山神社・・・郡頭跡碑・大坂越碑・(JR高徳線)・・・岡上神社・・・宝国寺(導引大師・番外霊場)・・・振袖地蔵・・・諏訪神社・・・(徳島自動車道)・・・蓮花寺・・・愛染院(三番奥の院・番外霊場)・・・藍染庵・・・(徳島自動車道)・・・山神社・・・四番大日寺・・・(徳島自動車道)・・・・・・五百羅漢(番外霊場・五番奥の院)・五番地蔵寺(上の写真は五百羅漢から五番へ下る石段から)・泉福寺・・・八坂神社・・・神宅(かんやけ)橋(大山谷川)・・・殿宮・葦稲葉神社・・・泉谷橋(泉谷川)・・・小柿遍路休憩所・・・板野十六地蔵6番札所・・・民宿寿食堂

 3月に八十八番大窪寺を打ち終えたばかりなのに、すぐ四国病が再発したようだ。新型インフルエンザよりもこっちの方が難敵だ。遍路道のどこかが私の「死国」になるのだろうか。一巡目は鳴門の浜から歩いたが今回は一番奥の院の東林院(種蒔大師)から番外霊場、神社仏閣、史跡、遺蹟などを訪ねながら1番霊山寺から23番薬王寺の先の土佐国境まで、ゆっくりのんびりと坂道散歩を楽しむつもりだ。

 今日は1番から5番までの行程だ。このあたりは古代からの交通の要衝で、義経一行ゆかりの地、ドイツ村など見るべき所も多い。阿波国は「発心の道場」、さすがどこの札所も団体遍路、車遍路、歩き遍路で賑やかだ。こちらは今更何の発心などもなく、ただの物見遊山観光客の一人だろう。やはり一度歩いた道は歩きやすい。道順、風景などを思い出しながらの遍路は気楽でいい。

 阿波大谷駅を8時に出発して札所で休み休み(札所は休憩所ではないことは重々承知)、途中あちこち寄りながらぶらぶらと歩いたが、3時過ぎには今夜の宿の民宿寿食堂に着いた。泊り客は歩き遍路の3組で、一人は神社の狛犬が趣味というご老体遍路だ。今日も遍路道沿いの神社に寄ってきたそうだ。これから先、神社は多い。それも長い石段を上らねばならない所もある。だんだん歩きと気持ちに余裕がなくなってきて、たぶん神社の狛犬に出会うのも少なくなっていくような気がした。

  【ルート地図

  *参考:『四国八十八ヶ所霊場会

  写真をクリックすると拡大します。

Img_1205 福寿醤油

Img_1212 東林院 【ルート地図】の①

天平5年(733)に行基の開基による阿波国八門首の一寺。「新四国曼荼羅霊場一番札所」

Img_1215 略縁起

Img_1216 種蒔大師(東林院内・一番奥の院)

当地に逗留した弘法大師が自ら種を蒔いて農業を奨励したという。寺宝に「種蒔きの鉄鉢」、「緋の衣」、「数珠」などがあるそうだ。

Img_1217 由来

Img_1219 薬師堂

「阿波北嶺薬師第16番霊場」

Img_1220 縁起

Img_1207 宇志比古神社

祭神は宇志比古尊。明治時代までは八幡神社と称していた。

Img_1209 神門の後ろの石段上に社殿がある。

Img_1222阿波神社

祭神は土御門天皇。ここにあった村社の丸山神社を改築、改称して1943年に竣工し県社となった。
広い境内で神門の屋根の色がいい。

Img_1224 拝殿

Img_1227 土御門天皇火葬塚

Img_1229 周囲に濠があり、もとは古墳(円墳)だったのでは。京都府長岡京市に「土御門天皇金原陵」がある。

Img_1231 JR高徳線の線路を渡る。

Img_1234 十林寺への遍路道沿い

Img_1238 十輪寺(談義所・番外霊場・一番前札)

この地に逗留した大師が当寺で本尊を刻み、説法を談義したので「談義所」と呼ばれてきた。今は札所、番外霊場の雰囲気はない。

Img_1242 春日神社(十林寺の隣り)

Img_1247 一番 竺和山霊山寺 【ルート地図】の②

阿波国は「発心」の道場。
山号寺名は、釈迦が説法した天竺(インド)の鷲峰山の霊山を和国に移すという意。

Img_1248 山門

Img_1249 泉水池の向こうに大師堂

Img_1251 本堂

Img_1266 多宝塔

Img_1261 山門を抜け大麻比古神社へ向う。

Img_1273ドイツ館(大麻比古神社の参道から)

第一次世界大戦の際に、中国の青島で捕虜となったドイツ兵およそ1000人がこの地に収容されていた。兵たちは新技術などを教え、地元の人々とも親しく交流した。ベートーヴェンの第九の演奏は本邦初演という。こうした背景を記念してドイツ館が建てられた。昔から遍路などの客人(まれびと)を受け入れてきた「お接待」の心が、外国の捕虜をも自然と暖かく迎え入れたのだろう。

Img_1274 大麻比古神社参道

「おわさはん」と呼ばれ親しまれている阿波国の一の宮。
参道の入口で幼児と散歩中の母親とあいさつを交わす。はっきりとした日本語だったが外人、たぶんドイツ人だろう。

Img_1279 境内図

Img_1298 神木の楠

樹齢千年余とか。

Img_1285本殿

1番霊山寺は当社の別当寺で、明治まで社の裏手に求聞持堂が建っていて修行する僧もいたという。

Img_1299 由緒

Img_1288 メガネ橋(本殿の裏の鏡池)

Img_1287 説明板

Img_1291 ドイツ橋

Img_1289 説明板

Img_1293 漢字とドイツ語、右側面には、「どい津橋」と彫られている。

Img_1302 二番 日照山極楽寺

「日照山」は、大師が刻んだ阿弥陀如来像から発する光が遠くの海原まで達し、航海や漁を妨げたので前面に山を築いて光を遮ったという故事から。

Img_1308 本堂

Img_1309 大師堂

Img_1311 薬師堂

Img_1305 長命杉

Img_1313 説明板

Img_1307 仏足石

Img_1317三番金泉寺への遍路道

Img_1325 諏訪神社・釈迦庵(左)

今回はここから遥拝のみ。社殿の裏側方向に愛宕山古墳がある。

Img_1328 山門をくぐらず直接境内へ入る遍路道

Img_1344 三番 亀光山金泉寺

Img_1343 本堂

Img_1335黄金地蔵尊・黄金の井戸

Img_1336 黄金の井戸

のぞいて顔が映れば、無病息災、長寿をもたらす霊験ありという。映らなければもちろん・・・・。さて拙者の顔は映ったのか、映らなかったのか。That is the questionだ。

Img_1332 弁慶の力石

平家追討で屋島へ向う義経一行がこの寺に立ち寄った際に弁慶が持ち上げたという石。

Img_1331 由来

Img_1338 倶利伽羅龍王

不動明王の化身という。

Img_1340 多宝塔

Img_1341 観音堂

Img_1346 亀山神社

大寺(金泉寺にちなむこのあたりの地名)一円の氏神で、祭神は須佐之男(スサノオ)命。

Img_1350 大坂越の碑(左)・郡頭駅(こうずのえき)跡碑・遍路道標(右の2つ)

撫養街道が大坂越の道と分かれる高徳線の板野駅近くの踏切の手前。「郡頭」は律令時代の南海道の宿駅で、都と国府を結ぶ官道の要衝として栄えた。ここから南へ吉野川を渡ると阿波の国府で、山に向って大坂峠を越えると讃岐に出る。義経一行は大坂峠越えで屋島に向った。 

Img_1354_2 四番大日寺への遍路道

Img_1363 岡上(おかのうえ)神社

大楠は地上ですぐに分岐している一本の大木。大麻比古神社のより巨木か。

Img_1361 説明板

Img_1364 宝国寺導引大師(番外霊場)

扁額には「大師庵」とある。昔から遍路接待所として利用されてきた。後ろは墓地。本堂は別にあるのか?

Img_1366 振袖地蔵(左)・大師堂(右) 【ルート地図】の③

Img_1367 由来

赤沢信濃守は、この先の連花寺、愛染院にもゆかりのある戦国時代の板西(ばんざい)城主。

Img_1369 振袖地蔵

子どもを守る地蔵さん。振袖を着せればいいのに。

Img_1370 隣りのお堂の大師像

Img_1371 諏訪神社

Img_1372 四番への遍路道

Img_1373 このあたりは古代から瓦の生産地

Img_1374_2 徳島自動車道をくぐって遍路道に入る。

Img_1375 親切な道案内板

Img_1377_2 畑の中を行く遍路道

Img_1379 蓮花寺(右)・大師堂(左)

寺というにはちとお粗末な造りだが。「西国熊谷寺別院金龍山蓮花寺」

Img_1381 由来記

Img_1393 愛染院(番外霊場・三番奥の院) 【ルート地図】の④

那東の「お不動さん」と呼ばれている。不動明王の座像はここと高野山、成田山だけで、刷毛書きの納経書(右の立て看板のような)は四国では当院のみという。

Img_1389 由来

前の石像とくっつき過ぎて後ろが読めない。

Img_1391 赤沢信濃守の祠

祠前に大わらじ、腰からから下の病いに霊験あらたか。

Img_1392 祠内にもワラジがぎっしり奉納されている。

Img_1397_2 愛染院の山門にも大わらじ

犬が暇そうに寝そべっている。

Img_1401 四番への遍路道

Img_1402 遍路の墓か

Img_1408棚田の間を上る遍路道(写真は下方向)

Img_1411 藍染庵の説明板

Img_1413 犬伏久助像(左)

阿波藍の名声を高めた人物。

遍路道は藍の出荷の道でもあった。藍は「タデ科」の植物で、ことわざに「蓼(たで)食う虫も好き好き」

Img_1430 山神社

Img_1431 山神社から

正面は徳島自動車道

Img_1428_2 四番 黒厳山大日寺

Img_1427本堂

本尊は大師が彫ったという1寸8分の大日如来像。

Img_1429 野良犬遍路か

暑いのか、くたびれているのか、よたよたと足どりも重く下って行く。行き倒れになっても遍路墓には葬ってもらえないぞ。

Img_1435 五百羅漢(五番奥の院・番外霊場)

弥勒堂→釈迦堂→大師堂へと木像の羅漢が並ぶ回廊を通る。拝観料がいる。今回はパス。

Dsc05040 堂内には木像の様々な表情の羅漢がぎっしり並んでいる。(前回撮影)

Img_1452 五番 無尽山地蔵寺 【ルート地図】の⑤

Img_1450 説明板

Img_1451 境内図

Img_1442 本堂

Img_1441 たらちね銀杏

樹齢800年

Img_1446 淡島堂

腰から下の婦人病、子授け、安産、子育てにご利益あり。

Img_1453 泉福寺(地蔵寺の隣り)

Img_1454 中興記念碑

Img_1457観応(1350~51年)の板碑

遍路道沿いの大師像と道標の後ろ側。

Img_1463 八坂神社

Img_1462 古来雨乞いの神で、かつて大山参り(別格二十霊場第一番札所の大山寺)を済ませた近郷の馬が集まり競馬(くらべうま)を催した所。

Img_1466 神宅(かんやけ)橋からゆるやかに下る遍路道

Img_1469 旧家

Img_1470 殿宮神社・葦稲葉神社

社殿は一つで、殿宮にはスサノオ命、葦稲葉神社には倉稲魂命、鹿江比売命を祀る。

Img_1473 記念碑

Img_1475 別格一番大山寺への分岐の小祠、石造物

Img_1483 遍路小柿休憩所

Img_1484 板野十六地蔵6番札所

前の道は大山寺(標高450m)へ通じている。

Img_1487 民宿寿食堂

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