四国遍路道(阿波国-10)
2009年5月17日
徳島駅(JR牟岐線)→羽ノ浦駅・・・秋葉神社・・・天神社・・・取星寺(番外霊場)・・・羽ノ浦駅→徳島駅(JR徳島線)→下浦駅・・・石井廃寺跡・・・厄除坂・童学寺(別格二十霊場第2番)・・・城ノ内橋(渡内川)・・・地福寺・・・石井駅(JR徳島線)→徳島駅・・・徳島中央公園・徳島城跡・清玄坊神社・・・徳島市立図書館
昨日で今回の阿波国の遍路道歩きは予定通り終了した。余った1日を番外霊場の取星寺、童学寺と徳島駅北側の徳島中央公園の散策にあてた。
【ル-ト地図】写真をクリックすると拡大します。
龍山で修行中の大師が秘法を修して天空に現れた悪星を失墜させ、落下した星体を当地に納め、本尊(虚空蔵菩薩)と妙見大菩薩(北極星を神格化した神)を刻んで堂宇を建立したという。
このあたり一帯は岩脇公園で、《地図》の青雲城(城郭風の老人憩の家)あたりが戦国時代に藤原高則(三枝紀伊守)の岩脇砦跡。
ここから北西に約10kmの「星の岩屋」(5月12日巡拝)も、大師が秘法を修して悪星を失墜させた霊地で、やはり妙見菩薩を安置している。両者とも19番の奥の院ともいわれる。
紫雲庵から移された鎌倉初期の阿弥陀如来像(県重文)を安置する。
大師が刻んだ妙見大菩薩を祀る「妙見宮」で、明治になって明現神社と改称され、祭神も天御中主神(妙見信仰と習合される。)に改められた。
文化11年(1814)に住職の快典上人が着手し、以後3代にわたって続行完成させたという。
奈良時代初期の創建といい、粟一族の私寺と推定されている。説明板の後方の小高い所が童学寺で、俗に童学寺跡ともいう。
小雨が降っている。正面が童学寺
壁には落書きがひどい。
『解説編(へんろみち保存協力会)』には、「飛鳥時代の古刹で、大師が16才の時に当寺に逗留し学問に親しんだ。「いろは四十八文字」もこの寺で創作したという。」とあるが、16才は遅すぎやしないか? その頃にはとうに普通の学問は身につけていただろう。大師はこの寺で7才から15才くらいまで過ごしたという説もある。
竿石(さおいし・普通は台石の上にあって火袋をささえる柱状の石)の上部が十字にかたどられているというが、そう見れば見えるか。 寛永の末頃の奉納という。切支丹弾圧が強まった時期だ。
切支丹灯篭の特徴を記している。
【ル-ト地図】の85-3藤の寺として知られ、国分尼寺から移されたという礎石があるという。
徳島城鷲の門(復元)
前の建物は徳島城博物館
天守は一段下の東二の丸にあった。藩主は城山の麓の御殿で暮らしていた。
阿波藩から現代まで清玄坊一族は徳島にゆかりがあるようだ。
本丸跡から眉山(280m)方向
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