四国遍路道(阿波国-5)
2009年5月12日
徳島ワシントンプラザホテル・・・国道438号・・・(金刀比羅神社)・・・(二軒屋駅・JR牟岐線)・・・若宮神社・・・国道55号・・・沖須賀橋(冷田川)・・・大野橋(園瀬川)・・・三軒屋橋(新川)・・・大松川橋・・・勝浦川橋・・・(JR牟岐線)・・・接待場跡・・・大師御杖の水(番外霊場)・・・県道136号・・・八幡神社・・18番恩山寺・・・弦巻坂・・・弦張坂・・・釈迦庵(番外霊場)・・・県道136号・・・お京塚(番外霊場)・・・塩瀬橋(立江川)・・・19番立江寺・・・白鷺橋(立江川)・・・県道28号・・・櫛渕八幡神社(櫛渕城址)・・・県道22号・・・沼江大師(胎蔵寺)・・・県道16号・・・(民宿金子や)・・・星谷橋(勝浦川)・・・(県道212号)・・・星の岩屋(250m・番外霊場)・・・仏陀石(310m・番外霊場)・・・民宿金子や
昨日はよく眠れた。6時半前にホテルを発ち徳島市街地を南へ、二軒屋駅の先でJR牟岐線を渡り国道55号へ出る。この国道とはこれから長いつき合いとなる。いくつもの川を越え徳島市から小松島市に入る。今日の目当ては、義経ゆかりの弦張坂、弦巻坂、19番立江寺の黒髪堂のお京の「肉付き鉦の緒」、番外霊場の星の岩屋の裏見の滝だ。どれもあまり期待はしていないが、最後の星の岩屋の先の仏陀石までは300mほど上るので少し足早に進む。
小松島警察署の先で国道55号から離れ大師御杖の水に寄り、また国道に出て少し先で右に県道136号へ入る。このあたりは義経ゆかりの地で、「義経ドリームロード」の案内板が掛かっている。何が「ドリーム」なのだろうか。義経は夢とか野望などには無縁な男だったと思うのだが。18番恩山寺は大師の母ゆかりの地で、母の玉依御前の剃髪所が残っている。どうも今日は髪の毛に縁があるようだ。
恩山寺から下って、うまそうな黒毛和牛?の牛小屋の間を入ると、竹薮の中の道になる。これが弦巻坂と弦張坂で義経ゆかりの坂名だ。今回の遍路道歩きで始めて坂名も由来も、坂道散歩らしいに坂に出会えた。ここにも「義経ドリームロード」の標示板があるが、竹薮の中の「竹の子ロード」の方がふさわしいか。途中、舗装道路に出て、すぐ先を入るのだがうっかり舗装道路を歩き始めたら農作業のおじさんが大声で教えてくれた。確か前回も間違えたような気がする。
弦張坂下の釈迦庵から県道136号に出て南にお京塚に寄り、立江川を渡って、阿波の関所寺の19番立江寺に着く。目当ての黒髪堂には真っ黒で、艶のあるお京の黒髪が安置というより飾られている。亭主を殺して情夫と逃げたなんて話は古今東西にごろごろある。鉦の緒に髪が巻きつき、懺悔して許されるくらいならお京さんは後を絶たないだろう。今もお京さんは、あちこちに出没中だ。ほらあなたのそばにも・・・・。
懺悔の値打ちもない私だがお咎めもなく関所寺を過ぎ、白鷺橋を渡って県道28号を進む。今日も陽射しが強くだんだん暑さも増してきた。途中の櫛渕八幡神社では、2人組歩き遍路がフウの大木の影で休んでいた。今日はこちらと同じで民宿「金子や」までという。早く着き過ぎてしまうと思うのだが、星の岩屋へは行かないようだ。
県道22号へ出ると沼江大師の先のコンビニの前にHK氏が座っていた。昨日は17番井戸寺から徳島市街地を抜け、勝浦川まで来た時には真っ暗になり、心配して宿から迎えが来たそうだ。今日は勝浦川まで車で送ってもらって戻り、そこから歩き続けているという。20番の鶴林寺を打ち、その先の廃校舎で野宿遍路のSZ氏と泊まる約束という。徳島の市街地で買った寝袋を持っていた。荷物が増えるのはいかがなものか。50才台のHK氏は上りが苦手がようで、これから暑くなる中を鶴林寺までの上りが心配だが、なんとか歩き通してもらいたい。
しばらく休んでお先に出発する。少しピッチを上げたせいか12時半前には金子やに着き、玄関に荷物を置いて星の岩屋、仏陀石に向う。ここから片道4km強か、上りはあるが4時過ぎには帰って来れるだろうとの計算だ。勝浦川を渡り、県道212号を越え上って行く。車道が大きくカーブしてすぐに山道に入るのを間違って車道をどんどん上ってしまい、ついには下りになっておかしいと気づく。けっこうなロスタイムだが何とか星の岩屋へ着いた。境内は人影もなく静寂そのものだ。裏見の滝の流れは細く、水量も少ないので滝音すら響かない。涼しい岩窟から滝を裏から眺めていると汗も引っ込んだ。
ここから仏陀石からはひと上りだ。途中で中津峰山への道を右に分けて上り、少し下った所に仏陀石がある。なんとなく寂れて荒れた感じがいい。帰りに県道212号近くの星谷寺へ寄ろうと思ったが見当たらず、近所のおばさんに聞いてその方向へ行くが、民家ばかりで犬には吼えられるし、探すのもめんどうになってあきらめる。そういえばこのあたりは「星」のつく家が多いと聞いたので、2,3民家の表札を見たが星はついていない。あまり他家の玄関前をうろつくのも怪しまれそうで、これも簡単にあきらめた。
まだ4時前なので勝浦川沿いでのんびりと休憩してから金子やに向った。この宿は、鶴林寺、太龍寺への基点として好都合なのだろう、ほぼ満員の状態だった。隣りの部屋にはOT夫妻、3階にはMT氏、求職青年遍路や他にも顔なじみがいて楽しい夕食だった。MT氏は昨日は徳島駅前の旅館に泊まり、足のマメの痛さは相変わらずで、サンダルを買って平坦な所は歩いてきたそうだ。まだやる気充分なようで安心した。
【ルート地図】(100→122)
写真をクリックすると拡大します。
藍商人や海上関係者の信仰が厚い徳島城府の鎮守。石灯籠は藍商人が金にあかせて造った日本一の大きさの自慢物。
大師が四国巡錫のみぎり、飲み水を求めたが塩辛い水だった。里人の難渋を救おうと、杖で清水を湧き出ださせた。
後ろの小屋に電動モーターが置かれている。湧き水を汲み上げ田んぼに供給しているのか。
どんないわれがあるのか分からず。
このあたりは義経一行に関わる史跡が多い。
平家追討のため義経一行は摂津の渡辺からこの地に上陸し、大坂峠を越えて屋島に向った。近くの義経が源氏の白旗を立てたという旗山には義経の大銅像と妙見神社が祀られ、旗山の西に弁慶の岩屋がある。
18番 母養山恩山寺山門
山号寺号ともこの寺を訪ねてきた、大師の母の玉依御前にちなむ。今はこの山門へ通じる旧遍路道は途中で途切れて廃道になっているようで、山門をくぐらず「びらんじゅ」のところへ出てしまう。仁王さんも立っていなかったようだ。
女人禁制のこの地に、大師は女人開禁の秘法を修して母公を迎え入れた。その時の記念樹として大師が植えたという。
大師堂の左下は今年大学を卒業した求職青年遍路で、今回はここから巡り始めているそうだ。
ゆるやかに上って行く、ここも「義経ドリームロード」だ。
釈迦庵の方へ下って行く。竹の子がニョキニョキ
義経一行は弦張坂を上り、弦巻坂を下り大坂峠越えで屋島に向った。
奈良の薬師寺の仏足石(釈迦の足の裏の形)を写したと物といい、四国最古という。
大坂新町で芸者だったお京は、夫を殺し情夫と四国巡拝中に、立江寺の鉦の緒が頭髪が巻きつき取れなくなった。懺悔したお京はここに庵を結び、一心に地蔵尊を念じ当地で余生を送った。
石柱、小堂が木の葉で隠されうっかりすると通り過ぎてしまう。
右に大師像
19番 橋池山立江寺
罪人や邪心のある者は、ここで必ず大師のおとがめを受けるという、「阿波の関所寺」 関所寺は他に、27番神峰寺(土佐国)、60番横峰寺(伊予国)、66番雲辺寺(讃岐国)。
観音堂だったか。本堂にも天井絵が描かれている。
享和3年(1803)にお京が納めたという。今にもお京さんが振り向いて、艶然と微笑むような生々しく、真っ黒で、艶っぽい黒髪だ。髪が巻きついた鉦(かね)の緒も一緒にあるのかよく見えず。この髪もお京さんの物なのか、由来話そのものも疑えばきりがないが。
立江寺の縁起にかかわる橋。由来碑によれば、「橋の上に白鷺の姿を見ることなく渡った者は善男善女である。」 普通とは違って面白い。私みたいな善男でなくても白鷺の姿は見えなかったが。
「星の岩屋」、「取星寺」(5月17日巡拝)も奥の院といわれる。奥の院は一つに限らず、いくつあってもいいと思うだが、なんとなくすきりしない。
寛仁元年(1017)に後一条天皇が石清水八幡宮に櫛渕一帯の領地を寄進したため、その別宮の一つとして祀られるようになったという。社殿上の峰続きに秋元氏の居城だった櫛渕城跡がある。
右がクスノキ、左がフウの木
大師が悪星を失墜させるため、七昼夜秘法を修したところ。本尊は十一面観世音菩薩。
石仏の並ぶ岩屋の中から流れ落ちる滝を拝む。水量は少なく雨が降っている感じだ。妙見菩薩を安置してあるのはどこか? 確認するのを忘れた。
中央の岩窟内から眺めれば「裏見の滝」となる。このあたりの地名は猪王滝というようだ。猪王の由来は何なのか?
右に行くと中津峰山(773m)を経由して、番外霊場の如意輪寺へ通じているが、徳島市の五滝、多家良からの方がハイキングコースとしては整備され、一般的のようだ。次回に行ってみよう。
【ル-ト地図】の120巨岩上の73の仏像
台石の四面に仏陀石の由来を詳述しているというが見えず。
大師が太龍寺で修行の折、ここに滞在し薬師如来を祀ったという。
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