四国遍路道(阿波国-6)
2009年5月13日
民宿金子や・・・水呑大師・・・20番鶴林寺(500m)・・・八幡神社・・・地蔵堂・・・(県道283号)・・・県道19号・・・神光本宮・・・水井橋(那賀川)・・・若杉山遺跡・・・21番太龍寺(520m)・・・舎心ケ嶽(530m・番外霊場)・・・太龍寺山(ふだらく山・618m)・・・ふだらく峠・・・持福院・・・国道195号・・・(八鉾八幡神社)・・・道の駅わじき・・・大根峠(200m)・・・22番平等寺・男坂・女坂・・・民宿山茶花
今日は焼山寺と並び、阿波の3難所といわれた鶴林寺、太龍寺から22番平等寺までだ。距離はたいしたことはないが高低差はある。昼のおにぎりを頼むのを忘れ、近くのコンビニまでパンを買いに行ってから出発する。鶴林寺へは緩やかに上って行くが、水呑大師を過ぎたあたりから傾斜が増す。MT氏、OT夫妻に追いつき、石畳の暗い参道から山門をくぐる。
境内で一休みした後、一緒に太龍寺へ向う。階段状の下りは急で、けっこう長い。MT氏が遅れ始めた。下りの方が足が痛むという。県道19号まで下り、那賀川を水井橋で渡り、若杉山遺跡を過ぎたあたりから太龍寺への上りが始まる。ここも林道は緩やかだが、後はきつい上りとなって山門へ通じる舗装道路へ出る。今は22番平等寺へはここまで戻って下るコースが一般的なようだ。
中門を抜け大師堂から本堂へ逆回りをし、石段を下ってロープウエイ駅で小休止してから大師の修行場の舎心ケ嶽へ向う。岩上の大師の背中を拝んで(眺めてか)から、ふだらく峠越えの遍路道に入る。途端に、「遭難者が後を絶ちません。引き返してください。」の立て札だ。ふざけるな、ここは遍路道で道標もついている。かまわず上って行くと、持福院とふだらく山(太龍寺山)への分岐に出た。ついでだからと山頂まで上ってみる。ここから持福院への遍路道まで下れるはずだが道跡が見えず分岐まで引き返す。途中、落葉の積もる中を道を見失い、あらぬ方向へ入ってしまう。危うく今日も遭難者の一丁上がりというところか。
分岐まで戻り、落葉の積もった、少し荒れた山道を下って行く。いらぬ立て札のせいでここを通る遍路も減り、こんな険路道になってしまうのだろう。道端にはちゃんと昔からの丁石も立っているというのに。何度も滑ったり、バランスを崩したりしてどうにか持福院へ着いて、お堂の下で休憩とする。しばらくすると上からがさがさと音がして、求職青年遍路(Q君と呼ぶ)が下りて来た。彼も立て札は気になったが戻るのも癪なので、この道を来たという。しばし話してみると、Q君はイケメンで、やさしい感じのする好青年だ。この若さで一人で歩き遍路をしているのだから芯も強いのだろう。なぜ就職できないのか、きっと遍路中に何かを見つけ、気づいて自分に合った仕事に就職できることだろう。
国道195号に出て、だらだらと上って行く。ちょうど暑い盛りで陽射しも強く、車道歩きはつらい。道の駅わじきでまた小休止をして大根峠越えに向う。たいした峠ではないが、疲れてきた体と足にはこたえてくる。前方にOT夫妻の姿が見えてきた。奥さんの方が元気だ。旦那はバランスが悪く、足取りも重いが奥さんは軽快だ。フルマラソンで奥さんの方が早く走るという、その差が歩く後ろ姿に出ている。「またお会いしましたね。」と声を掛け、先に大根峠を越えて平等寺へ向った。
今夜の宿の山茶花はすぐ隣りだ。平屋建てで、今夜の泊まりはOT夫妻、Q君、中高年歩き遍路が一人づつ、そして私の5組、6人、これで満員という。ラッキーだった。昨夜、私より少し後で電話したMT氏はここに泊まれずに新野駅そばの旅館を紹介してもらい、ここから車で送迎してもらうことになった。この宿は今回の遍路道歩きで、私としては一番気に入った。おかみさんが切り盛りし、応対もてきぱき、はっきり、料理もうまく、夕食後もおかみさんを交え長い時間、歓談?した。酒も入り、飲めないQ君も席を立たず、みんなでわいわいがやがやと、ちょっと長すぎて悪いな、もうそろそろお開きにしないと、誰もが?思い始めた頃、Q君が気をきかせて、「ビール、もう一本」。それを言っちゃあおしまいよ。案の定、おかみさんの鶴の一声、「ここは宴会場じゃあないんだから」、真にごもっとも、一同、さあーとお開きで、各自の部屋にお引取りの運びとなった。
少し飲み過ぎたのと昼間の疲れから明け方までぐっすりだった。次回もこの宿に泊まるコース設定にしようなんて随分先のことまで考えてしまうほど気分のいい宿だった。
【ルート地図】(123→136)
写真をクリックすると拡大します。
アカテガニではないようだ。
大師の加持による湧き水だろうが、詳しいいわれは分からず。
20番 霊鷲山鶴林寺山門 【ルート地図】の124
山号は釈迦説法の霊場のインドの霊鷲山に見立てたもの。後ろは六角堂
鶴林寺は、「おつる」とか「つるさん」と呼ばれ親しまれている。
雌雄2羽の白鶴に守護されて、黄金の地蔵菩薩がここに降臨したという。その黄金像を胎内に納める大師の作という本尊の地蔵菩薩像は国宝に指定されている。
前が奥さんで2人ともフルマラソンを走る市民ランナーだ。奥さんの方が早いそうで、歩きを見ていてもそれが分かる。
どういう神社なのか?
ゆったりと流れている。昔は渡し舟で渡ったらしい。
弥生時代の終わりから古墳時代にかけ、顔料「水銀朱」の原石の辰砂を採掘し、石杵や石臼などの石器を用いてこれを朱に加工していた。
21番 舎心山太龍寺山門
「西の高野」と呼ばれ、大師が虚空蔵求聞持法を修した地。寺名は修行中の大師を守護した、大龍(竜神)からという。
ここからは大師が迎えにくるという。
本来は、「捨身ケ嶽」で大師が虚空蔵求聞持法を捨て身で修練したところ。
岩上の大師は虚空蔵菩薩の化身の東方の明けの明星を拝している姿。
鎖を伝わって大師さんの所まで行けそうだが、無信心な私など近づいても喜ばれそうもないのでやめとく。
ついでだから山頂まで上ってみる。
ここから持福寺への遍路道に下りる道がありそうだが見当たらず、分岐の道標まで戻る。途中、落葉で道を見失い少し方向違いへ下ってしまった。危ない、危ない。
屋根の下で休んでいたら、求職青年遍路が下りてきた。
22番 白水山平等寺 【ルート地図】の135
大師が祈祷に使う水を求め井戸を掘り、一切の衆生を平等に救済するため、こう名づけたという。
上に本堂
本堂には、イザリ車やギブスなどが納められているという。これらもその類か。
大師が掘った井戸でどんな日照りでも枯れることはないという。
下の扉を開いて湧き水を汲む。大師が掘った時は乳白色の水だったというが、今は普通の水だろう。万病に効き、開運の霊泉だそうだ。
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