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2009年6月27日 (土)

出雲街道③(三日月宿→佐用宿→平福宿)

2009年6月16日

Img_3743 姫路駅(姫新線)→三日月駅・・・国道179号・・・新橋(志文川)・・・旧道・・・(姫新線)・・・市ノ上交差点(国道179号)・・・旧道・・・薬師堂・・・十二世神社・・・国道179号・・・六地蔵・・・卯ノ山峠・・・太田井橋(千種川)・・・法覚寺・・・旧道・・・国道179号・・・釜須坂・・・佐用坂・・・旧道・(智頭急行電鉄)・・・上町交差点・・・佐用宿・・・上町交差点・龍山神社・・・国道373号(智頭街道・因幡街道)・・・(智頭急行)・・・(中国自動車道)・・・(智頭急行)・・・宮本武蔵初決闘の場・六地蔵・金倉橋(佐用川)・・・天神橋・平福宿・道の駅「宿場町ひらふく」・・・平福駅(智頭急行)→上郡駅(JR山陽本線)→姫路駅

 昨日と同じ電車で、乗っている中学、高校生も同じ顔ぶれだ。小間切れ運転で播磨新宮からは佐用行きに乗り継ぐ。この電車も佐用高校の生徒の貸切状態だ。三日月駅から国道179号の卯ノ山峠、釜須坂と2つ峠を越えると佐用宿で、ここが出雲街道と因幡街道の分かれ目だが、佐用宿には宿場の面影はあまり残っていない。

 国道373号を北に進み佐用川、智頭急行に沿いながら因幡街道随一の平福宿に向う。戦国時代に城下町から宿場町に生まれ変わり、今も町並み、家並みに往時の面影を残す平福宿をのんびりと一回りする(上の写真は佐用川端からの眺め)。道の駅「宿場町ひらふく」でゆっくり昼食休憩をして、まだ2時前だが今日は早めに切り上げて、智頭急行で上郡へ出て姫路に向った。それにしても暑い日が続く。今日は30度くらいあったようだ。明日は荷物一式背負って万能峠を越えて美作国の土居宿へ入る。まあ暑くても雨に降られるよりはましだろう。

  【ルート地図

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Img_3606 三日月宿方向

旧道から国道179号に出たあたりの歩道から。下は姫新線

Img_3612 薬師堂

Img_3613 十二世神社 【ルート地図】の①

天神七代、地神五代を祀る神社

Img_3616 十二世神社

ここあたりは新宿という地名で、西の塔垣内には新宿廃寺跡があり、古代の中川駅の地と推定されている。

Img_3622 国道179号の卯ノ山峠への上りとなる。

左に六地蔵の祠

Img_3623 六地蔵

Img_3625 卯ノ山峠へ

Img_3628 峠から千種川、播磨徳久駅の方へ下る。

Img_3630 太田井橋の「全国名水百選 千種川」の標柱。昭和60年度の選定。

Img_3631 千種(ちくさ)川

それほどきれいとは思えない流れだが。「ちくさ」と濁らないのは清流だから?

Img_3634 太田井橋を渡って右に曲がり県道53号を200mほど行くと左に分岐した道脇に道標が立っている。

Img_3636「右 山さき ちくさ 道」

山崎、千種の方向からすると元は県道53号沿いか、分岐の所にあった道標だろうか?

Img_3641 播磨徳久駅の手前で旧道に入る。

Img_3644 崩れかけた塀と門の旧家

Img_3652 釜須坂 【ルート地図】の②

播磨徳久駅前の交差点から上る国道179号。戦国時代の戦さの攻防に登場する坂だ。

Img_3655 坂上近く

峠を一つ越える感じで、佐用坂が佐用宿へと下って行く。峠に名前はついていないようだ。

Img_3661 佐用坂

釜須坂の坂上から佐用宿へ下る。左に姫新線が通る。

Img_3667 国道179号から離れ、智頭急行電鉄のガードをくぐって左に 入る。

Img_3697 佐用宿の家並み

Img_3696佐用宿

Img_3672 佐用宿(佐用駅方向) 【ルート地図】の③

左に「松江藩役所並本陣跡」碑

Img_3675 「史蹟 雲州松江藩役所並本陣跡」碑

役所並本陣とは普通の本陣とは違うのか。後ろは佐用町の庁舎。

Img_3680 旧家

Img_3681 野村呉服店(左書)

Img_3683家並み

Img_3669 龍山神社

Img_3715 平福宿へ国道373号(智頭街道・因幡街道)を北に向う。佐用宿からは5km足らずだ。

右は佐用川

Img_3792 平福宿案内図

Img_3724 平福宿の入口近く

Img_3727 宮本武蔵初決闘の場と六地蔵(金倉橋のたもと) 【ルート地図】の④

時は慶長元年(1596)、金倉橋のたもとで、13歳の武蔵は新当流の達人有馬喜兵衛に初勝負をいどみ一刀のもとに倒したと伝える。また、ここは江戸時代の刑場跡で、供養のために六地蔵が建てられたという。

Img_3728五輪書の一節」の碑

Img_3726 説明板

Img_3725 説明板

Img_3741 利神(りかん)城址(373m)

雲を突く偉容から「雲突城」と呼ばれた。本丸、二の丸、大坂丸などの石垣群が昔の姿を偲ばせるという。40分ほどで登れるようだが、この暑さではご遠慮申し上げた。

下は智頭急行の殿町トンネル

Img_3779 由来記

文中に釜須坂が記されている。池田輝政がこの城の見分の途中で釜須坂にさしかかるや、北方の城郭群の偉容さに驚き、引き返して利神城の即刻の破却を厳命したという。もちろん江戸幕府を恐れてのこと。

Img_3733 平福宿

佐用川から

Img_3736 定番の写真スポット

Img_3745

Img_3766 平福宿の家並み 【ルート地図】の⑤

慶長・元和年間(1596~1623)に現在の町並みが形成され、その後、因幡街道随一の宿場町となる。街道に沿う町並みは昔ながらの姿で、南北に1.2kmほど続く。連子窓、格子戸の平入りの家々、佐用川の石垣に並ぶ白壁の川屋敷、川座敷、土蔵群は平福ならではの景観。

Img_3773 鋳物師瓜生原家

蔀帳(ぶちょう)造りの縁台で土地の老人がくつろいでいる。

Img_3772 説明板

Img_3778 昭和の初め頃まで居住していたという。

Img_3781 平福陣屋門・代官所跡

平福は利神城の廃城後、松平氏の旗本領となり代官支配となった。この陣屋門は元治元年(1864)に代官、佐々木平八郎が建てたもの。

Img_3782 説明板

Img_3794 正覚寺

江戸時代後期から地蔵菩薩を祀り、子授け・子育ての霊験あらかたで、近在近郷、関西方面からもお参りが絶えないという。

Img_3798平福郷土館

牢屋敷跡に建てられたようだ。土日と祝日しか開館していない。

Img_3800 案内板

Img_3804 家並み

Img_3805

Img_3806たつ乃屋醤油本店

元禄10年(1697)創業の三年熟成の自然醤油に老舗。

Img_3807

Img_3809 教岸寺

本堂は明治6年利神小学校として使われた。

Img_3812 宮本武蔵ゆかりの旧田住邸

武蔵は父の後妻、よし子に育てられた。武蔵が7歳の時に父が死去し、義母(よし子)は平福へ帰り田住政久の後妻となる。幼少時代の武蔵は当家で養育され、武芸も学んだといわれる。

Img_3813 説明板

Img_3817 左が田住家

Img_3820

Img_3822 金刀比羅神社

海の守護神がなぜ平福で祀られているかは不明という。

Img_3823 本陣跡

鳥取池田藩の本陣跡に、陣屋門をイメージした木造本瓦葺きの建物を、平成8年に整備。

Img_3824中はスサノオ神社のお旅所になっている。

Img_3830 左が本陣

Img_3825 道の駅「宿場町ひらふく

Img_3791 「黒豆ごはんセット」550円也は安い。 ビールは別よ。

Img_3838 平福駅(智頭急行電鉄)

鈍行しか止まらない。2つ先は武蔵の生まれ故郷の「宮本武蔵駅」

Img_3845 一輌の車内には2人しか乗っていなかった。

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2009年6月25日 (木)

出雲街道②(觜崎宿→千本宿→三日月宿)

2009年6月15日

Img_3406 姫路駅(姫新線)→東觜崎駅・・・觜崎(はしさき)宿・・・寝釈迦の渡し跡(揖保川)・・・古宮神社・・・觜崎の磨崖仏・・・觜崎橋(揖保川)・・・屏風岩・・・県道724号・・・船渡交差点(国道179号)・・・今宮権現神社・・・県道724号・・・馬立橋(栗栖川)・・・輪袈裟の清水・・・年宗橋(札楽川)・・・国道179号・・・旧道・・・金井橋(栗栖川)・・・県道434号・・・(千本駅)・・・千本街道踏切(姫新線)・・・千本宿・・・浄福寺・・・栗栖廃寺跡・依藤塚・・・鎮宅寺・・・大川稲荷神社・・・国道179号・・・旧道・・・(姫新線)・・・荒神社・・・栗町団地・・・国道179号・・・旧道・・・(西栗栖駅)・・・西栗栖小学校・・・西法寺・・・相坂第二踏切(姫新線)・・・県道44号・・・相坂荒神宮・・・国道179号・・・相坂・相坂峠・・・旧道・・・三日月宿・盤筒男神社・明光寺・・・桜橋(本郷川)・・・慶運寺・・・日限地蔵尊・・・新橋(志文川)・・・三日月藩乃井野陣屋跡・武家屋敷跡(上の写真)・烈祖神社・廣業館跡・日岡八幡神社・・・三日月駅(姫新線)→姫路駅・・・姫路城(菱の門→西の丸(渡櫓・化粧櫓)→見晴し坂・見返り坂→二の丸→本丸→大天守→腹切丸→お菊井戸→穴門(るの門))・・・総社(射楯兵主神社)・・・総社門・・・姫路駅

 6時55分発の播磨新宮行きに乗る。ちょうど通学時間帯で2輌編成の姫新線は出発時刻前には満席になる。東觜崎駅から觜崎宿を抜け、寝釈迦の渡しからまだ起きていないお釈迦さんの寝姿を眺め、磨崖仏、屏風岩に寄り道して出雲街道を千本宿、三日月宿に向った。梅雨とは思えない陽射しの下を、下調べがいいのか?意外とすんなり、さほど迷うこともなく歩くことができた。まあ旧道歩きといってもこのあたりは姫新線と国道179号につかず離れず行けばいいのだから、誰が歩いても大同小異ということか。

 姫路に戻り、まだ早いので姫路城見物だ。以前、姫路競馬のついでに寄ったことはあるが、その時の城の印象の記憶はない。今回はじっくり、といっても2時間ほどだがさすが見ごたえのある世界遺産の中を閉館のアナウンスまでうろついた。

  【ルート地図

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Img_3188寝釈迦の渡し 【ルート地図】の①

ここで出雲街道は揖保川を渡った。対岸の山並みが釈迦が横たわっている姿に見えるというが、ここからだとやけにメタボ腹のお釈迦さんだ。

Img_3186 道標

「寝釈迦のわたし」

Img_3152 説明板

Img_3147 古宮神社

Img_3150 付近の案内図(古宮神社前の県道724号の觜崎橋のそば)

Img_3156 磨崖仏

岩肌に舟型状の光背を彫り、胸に知恵の宝珠を抱き、右手に錫杖を持つ。昔から「いぼ神」さんと敬い祀る浮き彫りの地蔵菩薩。文和3年(1354)の銘があるという。

Img_3151 説明板

Img_3160 地蔵の浮き彫り

4体の地蔵さんの浮き彫り。右端の地蔵さんが薄れて消えかかっている。

Img_3166揖保川を渡る姫新線

磨崖仏、屏風岩近く

Img_3169 磨仏拝殿(揖保川の対岸)

8月23、24、日の地蔵盆の祭礼では豆茶がふるまわれるという。

Img_3171 拝殿から対岸の磨崖仏

正面中央だが肉眼では地蔵さんは拝めないよ。

Img_3174 屏風岩

樹木に覆われ形がはっきりしない。

Img_3153 説明板

左端の切れている続き「岩脈の上部はY字形に二分しており、山頂付近に登ってみると発達した節理の状態がよくわかります。」

Img_3199 このあたりは「馬立」という。古代の宿駅、越部駅があったのはこの地だとも、船渡だともいわれる。

Img_3212 田んぼの中に「輪袈裟の清水」

Img_3213 輪袈裟の清水 【ルート地図】の②

手前の柄杓の下に少し水が溜まっているが、枯渇寸前で飲用はできない。

Img_3230 旧道

Img_3233 姫新線

手前は栗栖川

Img_3238 旧道を行くと県道434号へぶつかる。

Img_3240 千本宿(右)へ

Img_3241 地蔵さん

Img_3242 千本街道踏切(姫新線)を渡って千本宿へ

Img_3244 千本宿

觜崎宿から二里十五丁(9.5km程)

Img_3246 千本本陣(内海家) 【ルート地図】の③

手打ちそばと田舎料理の店を営業している。開店は10時からで20分ほど待てばよいのだが、まだ腹も空いていないので外から眺めるだけで我慢。邸内を見学だけすることはできない。

Img_3252説明板

Img_3249 本陣の門

Img_3250 本陣内海家

伊能忠敬も泊まったそうだ。

Img_3253 千本宿の家並み

Img_3257 国重商店

昔の懐かしい匂いがする店だ。

Img_3270 依藤(よりふじ)塚(左)

嘉吉の乱」の時にここで自害した赤松満祐の家臣の依藤惟次の墓という。

このあたりは8世紀初頭の栗栖廃寺跡

Img_3268 依藤塚由来

Img_3266 説明板

Img_3274 大川稲荷神社(正面奥)

伏見稲荷の摂社か末社。このあたりは立派な家が多い。

Img_3278 大川稲荷の鳥居

向う側は姫新線の線路

Img_3280 鳥居から大川稲荷方向

少し暑いが晴れて空気が澄んでいて気持ちがいい。

Img_3281 姫新線が行く

この先、姫新線も出雲街道も国道179号も南西から北西に大きくカ-ブする。

Img_3286 踏切を渡って荒神社へ

Img_3287 荒神社(こうじんしゃ)

この地域には荒神社が多い。荒神信仰は、西日本特に瀬戸内海沿岸地方で盛んだったようで、各県の荒神社の数は、岡山(200社)、広島(140社)、島根(120社)、兵庫(110社)、愛媛(65社)、香川(35社)、鳥取(30社)、徳島(30社)、山口(27社)。ここは岡山県に近く荒神信仰が盛んなのだろう。

Img_3293 西栗栖駅

Img_3297 西法寺

Img_3306 姫新線の踏切を渡り県道44号を上る。

Img_3307 相坂荒神宮

ここも荒神社

Img_3315 相坂(国道179号)

揖保郡(現たつの市新宮町)と佐用郡(佐用町)のあいだの坂ということではなく、播磨風土記の「阿為山」(あいやま)によるという。

Img_3320 相坂峠

承久の変で隠岐に流される後鳥羽上皇がこの坂で詠んだ歌 「立ち帰り越しゆく関と思はばや都に聞きし逢坂の山」

上皇は再び都に帰れると思っていたようだ。逢坂は東海道の京都への入口の逢坂の関で歌枕の地。「百人一首」の蝉丸の「これやこの 行くも帰るも分かれては 知るも知らぬも逢坂の関」で有名。

Img_3322 相坂峠から下り

左に地蔵堂

Img_3325 説明板(相坂峠)

Img_3329 姫新線と一緒に佐用町へ下って行く。

Img_3333 地蔵堂

Img_3335 三日月宿へ右に入る。

北条時頼が諸国回国の途中、この地に三ヶ月滞在したことによる地名という。『佐用郡誌』

Img_3339 三日月宿 【ルート地図】の④

千本宿から二里(8km程)) 

左が本陣織田家。武家屋敷や陣屋がある乃井野とはかなり離れている。

Img_3343 本陣(右)の祖は織田信長の弟の信包(のぶかね)だとか。

Img_3352 右が本陣、左は盤筒男神社

Img_3348 盤筒男神社

手すりのない、蹴上げの高い石段を180段ほど上り、その後この木の根を跨いで到着。汗が噴出してきた。

Img_3353 明光寺?

Img_3363 三日月とうふ

Img_3371 旧家(三日月とうふの前の田んぼの向こう側)

本陣より立派だ。

Img_3367 どういう旧家なのか?

Img_3369 門から失礼して

Img_3374 慶運寺山門

Img_3378 よろづや商店

ここも昔の雰囲気がある。

Img_3386ここは 「地蔵尊の町」で毎年8月23日に行われる夏祭り(地蔵盆) には、1万人以上の人が花火や各種イベントを楽しんでいるそうだ。

Img_3379 日限地蔵尊

Img_3385 由来の記

Img_3380 右が地蔵堂

Img_3384 日限地蔵さん

Img_3387 新橋(志文川)を渡り、三日月藩乃井野陣屋館の方へ上る。

Img_3390 「餌差町」の標柱が立つ。

Img_3391 ここは「宿居町」

Img_3402 中之町の家並み

このあたりは武家屋敷跡

Img_3413 三日月藩乃井野陣屋門 【ルート地図】の⑤

城を持てない小藩の城代わりの藩主の屋敷。元禄10年(1697)、津山藩森家の改易に伴って、その分家である森長俊が三日月の地に移住。佐用郡や宍粟・揖保郡の一部を含む1万5千石の藩主となる。以後明治までの174年間、城下の乃井野地区は政治・文化の中心地として栄えた。森家は織田信長に仕えた森長定(蘭丸)の流れをくむ家系。

Img_3418 説明板

Img_3417 案内図

Img_3421 通用御門

Img_3427 門の裏側

藩主の屋敷などは復元されていない。

Img_3432 烈祖神社

三日月藩の祖先を祀る神社。

Img_3428 廣業館跡

寛政5年に建てられた三日月藩の藩校の一部。

Img_3430 由来記

Img_3434 日岡八幡神社

平安時代に奉られ、鎌倉・室町時代には多くの社領を持ち、赤松円心(即村)で有名な赤松氏の保護が厚く、江戸時代以降は、三日月藩森家から多くの寄進を受けていた。

Img_3443 石段上から

Img_3440 神門から拝殿

Img_3449 ?の清水

「播磨十水」の一つだが調べても分からず。枯渇寸前で汚れていてもちろん飲めない。

Img_3448 石碑

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Img_3489姫路城

Img_3520 「見晴し坂」の標示板

矢印方向に道はなく城壁だ。

Img_3521 「見返り坂」の表示板(前の写真の裏側)

同じ坂で、上る時は「見返り坂」、下る時は「見晴し坂」としているのだろう。まあ見晴しがきく、見返りたくなるほどの坂ではないが。

Img_3523 見晴し坂か(坂下方向) 《地図

西の丸の化粧櫓の東側を二の丸の方へ下る坂。

Img_3525 見返り坂(坂上方向)

右が化粧櫓

Img_3515 化粧櫓

千姫が暮らした部屋

Img_3512 貝合せを楽しむ千姫

猫(写真で見ると本物のようだ)の後ろに煙草盆がある。

Img_3513 説明板

Img_3542国宝・世界遺産

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2009年6月23日 (火)

出雲街道①(姫路→飾西宿→觜崎宿) 

2009年6月14日

Img_3192_2 姫路駅・・・十二所通り・・・十二所神社・お菊神社・・・光明寺・・・国道2号・姫路城埋門跡・白鷺橋(船場川)・・・西国街道(山陽道)・・・善国稲荷神社・・・琴平神社・・・(姫新線)・・・船越神社・金比羅神社・秩父山公園・・・(姫新線)・・・来法寺・・・下手野の道標・・・国道2号・・・夢前(ゆめさき)橋(夢前川)・・・県道724号(因幡街道)・・・青山の道標・山陽道分岐地点・・教専寺・・・(姫新線)・・・(余部駅)・・・飾西交差点・・旧道・・・飾西(しきさい)宿・・・飾西公園・・・県道5号・・・長池・・・県道724号・・・(山陽自動車道)・・・姫路西IC東交差点・・・車石歯痛地蔵・・・国道29号・・旧道・・・稲荷大明神・・・(国道29号)・吹上橋(大津茂川)・(伊勢茶屋)・・・姫路西霊園・・・追分峠旧道・・・稲荷神社・・・追分の道標・・・県道724号・野部の縁切り地蔵・・・旧道・・・鳥井橋(林田川)・・・荒神社・・・(神岡小学校)・・・素麺神社・・・県道724号・・・そうめんの里・・・(水谷商店)・・・旧道・・・(姫新線)・・・觜崎(はしさき)宿(上の写真)・・・東觜崎駅(姫新線)→姫路駅

 大和と出雲を結ぶ出雲街道を西国街道(山陽道)との分岐の姫路から何回かに分けて歩く。播磨国(兵庫県)~美作国(岡山県)~伯耆国(鳥取県)~出雲国(島根県)へと北西に進む古代からの幹線道路で、古くは鉄、租庸調の品々を運んだ道、後鳥羽上皇、後醍醐天皇の隠岐への配流の道、江戸時代には参勤交代の道でもあった。街道沿いの宿場跡に立ち寄りながら、なるべく旧道、あるいはそれらしき道筋を歩きたいところだが、どうなることやら、梅雨の合間の蒸し暑い中を旅立つことにする。

  【ルート地図

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Img_2979 十二所神社

疫病の流行に里人が苦しんでいたところ、一夜にして12本の蓬(よもぎ)が生え、そこに少彦名神(医薬、病気平癒の神)が現れて、この蓬で疫病を治癒すべしとの神託を下した。すると疫病は止み、里人の病は癒えた。感謝した里人が少彦名神を祀ったという。

Img_2980 お菊神社(十二所神社内) 【ルート地図】の①

「播州皿屋敷」で有名なお菊さんを祀る。東京では「番町皿屋敷」で、落語「皿屋敷」がある。

Img_2981 由緒

Img_3586 お菊井戸(姫路城内)

姫路城トレビアン』の、12.「伝説の播州皿屋敷」・13.「お菊井戸」

Img_3585 説明板

Img_2984 姫路城埋門跡(国道2号(山陽道)と船場川の交差点)

城の南西の隅櫓の門。

Img_2985 説明板

白鷺橋を渡って国道2号の一本北側の道に入る。

Img_2990 善国稲荷神社

Img_2991 琴平神社

Img_2996 西国街道の新しい道標

Img_2995 街道沿いには昔の面影は薄いが、所々に旧家が残る。

Img_2999 地蔵堂

Img_2998 地蔵さん

Img_3000 船越神社

秩父山公園(60m)の中にある。埼玉の秩父と関連があるのか? 手前は姫新線の踏切。

Img_3007国道2号からはたいして離れていないが閑静な家並みの道だ。

Img_3012 道標(下手野3-6)

ここから夢前川に出て、因幡河原(姫新線の鉄橋下あたり)から川を川越人足の歩行渡しで渡っていた。文化8年(1811)には仮橋が架けられた。

Img_3010 円光大師二十五霊場は、法然上人(円光大師)の誕生から入滅までの遺跡地である25霊場のこと。

Img_3011 誕生寺(岡山県久米郡久米南町)は法然上人の生誕地で、津山線の誕生寺駅の北西1km足らず。ここからは100km以上? 《地図

Img_3013 旧家

Img_3016 夢前橋(夢前川)を渡り右へ因幡街道(県道724号)に入り北に向う。

Img_3023 青山の道標(安政2年(1855)) 《地図

山陽道(左折)との追分で、出雲街道はここを北上し、飾西宿に入る。

Img_3022 「右 因州 伯州 作州 雲州 往来」

出雲街道は佐用宿までは因幡街道と同じ道筋で、「因伯雲作往来」といった。

Img_3021 「左 備前 九州 金毘羅 宮嶋往来」 「すぐ姫路 大坂 京 江戸 往還」で山陽道のこと。

Img_3026_2射目崎(いめさき)明神

この先の飾西交差点から右へ飾西宿へ向う。

Img_3028 旧家

Img_3043 道標 《地図

佐伯商店前の三叉路の所

Img_3042 「右 書写山」

西国三十三観音霊場の第27番書写山円教寺のこと。ここから北東に5、6kmか。《地図

Img_3039読めない、情けない。

コメントを頂き(下記)、「是より志よしゃ(書写)道」と分かりました。

Img_3033 書写山への道を少し行くとここにも道標が立つ。

Img_3045 飾西宿 【ルート地図】の②

姫路から一里十八丁(6km程)

右は清酒「寿老」蔵元の鍬田家。酒造蔵の赤レンガ煙突があるはずだが見当たらず。老朽化して取り壊したのだろうか?

Img_3046

Img_3050 笠寺

Img_3047 説明板

Img_3049 薬師如来像

伽羅の木で造られているという。

Img_3051_2 本陣(中山助太夫家)

飾西宿の成立は寛永年間(1624~44)で、姫路藩領→龍野藩領→幕府領→相模小田原藩領→幕府領→大坂城代戸田忠寛(下野宇都宮藩)領→幕府領→幕末となる。
宝暦10年(1760)の家数は83軒・人数417人、明治24年には家数102軒・人数514人。

Img_3052 本陣の門

このまま崩れてしまうのか。

Img_3060 長池

姫新線が向こうを走る。

Img_3063 地蔵堂

Img_3069 県道724号

正面の山陽自動車道をくぐる。

Img_3072 車石歯痛地蔵 【ルート地図】の③

姫路西IC東交差点のところ。由来不明

Img_3074 国道179号を少し進み、右に旧道に入る。

Img_3076 静かな道となる。

Img_3077 ?神の祠

Img_3079 家並みに入って行く。

Img_3081 稲荷大明神 《地図

Img_3082 石段の右脇の、「峯相山寺趾登山口指導標」の石柱。ここから北方向2.5kmくらいに峰相山(244m)、峰相寺がある。

Img_3085 火の見に半鐘と拡声器

Img_3088_2 とんがり山(256m)か

峰相山→とんがり山のルートがあるようだ。

Img_3092 吹上橋の手前で西に向う。

このあたりを伊勢茶屋という。旅人相手の茶屋があったのか。

Img_3095 古い家並みに入る。

立て場(人足、駕籠かきなどの休憩所)があったのもこのあたりか。

Img_3098追分峠へ登って行く。やっと坂道散歩らしくなってきた。

姫路西霊園(右)に沿って上る。舗装された道が続くと思いきや、いきなりフェンスが立ち塞がる。

Img_3099 行き止まりかと思った。鍵は掛かっておらず、「立入り禁止」にもなっていない。かまわず直進だ。この先に道が続いていることを願うのみ。

Img_3100 街道の両側には石積みが残っているというが、左の柵の中は石積みだったか?

Img_3101 反対側にもフェンスが

追分自治会の注意板が付いている。

Img_3102歩きづらい道を行く。

Img_3103 前方が明るくなってきて一安心

Img_3105 下に集落が見えてきた。

Img_3106旧道らしき家並みに入る。

Img_3107 稲荷社 《地図

近くに茶屋前池がある。

Img_3110 正面に追分の道標が立つ。ここまでの道筋は正解だったようだが。

Img_3113 追分の道標

「左 作州 雲州 道 東觜崎 千本 三ケ月」が出雲街道で、觜崎・千本・三ケ月(三日月)は宿場名。

Img_3112_2 「右 因州 伯州道」 

北に因幡、伯耆へ向う道でこれも因幡街道。出雲街道と一緒に進み、佐用宿から北に平福宿、大原宿へ向う因幡街道が一般的か。

Img_3116 縁切り地蔵 《地図

由来の初めは男女の縁で、賭け事、酒など諸事の悪縁を切ってくれるという。

Img_3115 由来

Img_3117 縁切り地蔵さんは扉の中

Img_3118 県道724号から右に旧道に入る。

Img_3130 荒神社

鳥井橋(林田川)を渡って右に川沿いに曲がったところ。荒神社の脇に道標が立つ。

Img_3125 道標

「右 姫路 書写 神戸 大阪 すぐ 林田 安志 道」

Img_3126 「右 林田 安志 左 因? 雲? 道」で左が出雲街道のルート

Img_3135素麺神社 【ルート地図】の④

Img_3136 播州手延素麺「揖保乃糸」の守護神。そうめん業者の信仰が厚く、例祭では夏の猛暑と商売繁盛を祈るという。

素麺は食べるから猛暑を祈るのは止めてほしいよ。

Img_3134 そうめんの里

日曜で館内は混んでいた。暑い中を昼飯も食べずにここまで歩いてきてかなりバテた。冷やしそうめんで遅い昼食とする。

Img_3138 水谷商店(正面)から左に旧道へ入り觜崎宿へ

Img_3141 觜崎(はしさき)宿 【ルート地図】の⑤

飾西宿から二里十八丁(9.8km程) 揖保川をはさんで東岸を觜崎宿村(現龍野市)とい、飾西村からの荷物を継ぎ立て、西岸の觜崎村(現新宮町)は千本駅からの継ぎ立てを行った。

揖保川に沿って左岸に連なる山並みが鶴の嘴(くちばし)のように見えることから、この山を鶴嘴山といい、その嘴にある村を觜崎(はっさき)というようになったそうです。「嘴崎」でなく「觜崎」と口遍を削ったのは何故なのか?

Img_3144 本陣(松原五郎右衛門家)

Img_3145 脇本陣

本陣より立派に見える。

Img_3190 東觜崎駅(姫新線)

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2009年6月11日 (木)

四国遍路道(阿波国-10)

2009年5月17日

徳島駅(JR牟岐線)→羽ノ浦駅・・・秋葉神社・・・天神社・・・取星寺(番外霊場)・・・羽ノ浦駅→徳島駅(JR徳島線)→下浦駅・・・石井廃寺跡・・・厄除坂童学寺(別格二十霊場第2番)・・・城ノ内橋(渡内川)・・・地福寺・・・石井駅(JR徳島線)→徳島駅・・・徳島中央公園・徳島城跡・清玄坊神社・・・徳島市立図書館

 昨日で今回の阿波国の遍路道歩きは予定通り終了した。余った1日を番外霊場の取星寺、童学寺と徳島駅北側の徳島中央公園の散策にあてた。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_2925 羽ノ浦駅(JR牟岐線)

Img_2894 取星寺への上り口の「星荒神」の石柱

Img_2897 平和大観音

Img_2900 少し上る

Img_2901 妙見山 取星寺(番外霊場) 《地図

龍山で修行中の大師が秘法を修して天空に現れた悪星を失墜させ、落下した星体を当地に納め、本尊(虚空蔵菩薩)と妙見大菩薩(北極星を神格化した神)を刻んで堂宇を建立したという。

このあたり一帯は岩脇公園で、《地図》の青雲城(城郭風の老人憩の家)あたりが戦国時代に藤原高則(三枝紀伊守)の岩脇砦跡。

ここから北西に約10kmの「星の岩屋」(5月12日巡拝)も、大師が秘法を修して悪星を失墜させた霊地で、やはり妙見菩薩を安置している。両者とも19番の奥の院ともいわれる。

Img_2902 由来記

Img_2914 境内図

Img_2910 大師堂

Img_2916 阿弥陀堂

紫雲庵から移された鎌倉初期の阿弥陀如来像(県重文)を安置する。

Img_2906 明現神社

大師が刻んだ妙見大菩薩を祀る「妙見宮」で、明治になって明現神社と改称され、祭神も天御中主神(妙見信仰と習合される。)に改められた。

Img_2917 縁起

Img_2907 三宝荒神社

Img_2911 新四国霊場への上り口

文化11年(1814)に住職の快典上人が着手し、以後3代にわたって続行完成させたという。

Img_2909 由来記

Img_2928 下浦駅(JR徳島線)

Img_2935 石井廃寺跡

奈良時代初期の創建といい、粟一族の私寺と推定されている。説明板の後方の小高い所が童学寺で、俗に童学寺跡ともいう。

Img_2934 説明板

Img_2939 童学寺ため池

小雨が降っている。正面が童学寺

Img_2943 堂学寺山門 《地図

壁には落書きがひどい。

Img_2951 男女十九歳厄除坂から本堂へ

『解説編(へんろみち保存協力会)』には、「飛鳥時代の古刹で、大師が16才の時に当寺に逗留し学問に親しんだ。「いろは四十八文字」もこの寺で創作したという。」とあるが、16才は遅すぎやしないか? その頃にはとうに普通の学問は身につけていただろう。大師はこの寺で7才から15才くらいまで過ごしたという説もある。

Img_2955 切支丹灯篭

竿石(さおいし・普通は台石の上にあって火袋をささえる柱状の石)の上部が十字にかたどられているというが、そう見れば見えるか。 寛永の末頃の奉納という。切支丹弾圧が強まった時期だ。

Img_2946 説明板

切支丹灯篭の特徴を記している。

Img_2957 大師堂

Img_2971 地福寺

藤の寺として知られ、国分尼寺から移されたという礎石があるという。

Img_2972 石井駅(JR徳島線)

Img_1144 徳島城鷲の門(復元)

Img_1142 説明板

Img_1145 城内図①

Img_1146 城内図②・徳島城説明板

Img_1140 下乗橋から太鼓櫓方向

Img_1139 説明板

Img_1138 太鼓櫓

Img_1155 蜂須賀家政銅像

Img_1154 説明板

Img_1175 本丸のある城山方向

前の建物は徳島城博物館

Img_1164 本丸跡(標高61m)

天守は一段下の東二の丸にあった。藩主は城山の麓の御殿で暮らしていた。

Img_1165 説明板

Img_1161 清玄坊神社(本丸跡)

Img_1162 由来

阿波藩から現代まで清玄坊一族は徳島にゆかりがあるようだ。

Img_1163 本丸跡から眉山(280m)方向

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2009年6月 9日 (火)

四国遍路道(阿波国-9)

2009年5月16日

民宿あづま・・・国道55号(土佐浜街道)・・・牟岐トンネル・・・八坂トンネル(210m)・・・草鞋大師(番外霊場)・・・内妻大橋・・・内妻トンネル(253m)・・・古江トンネル(144m)・・・福良坂・福良坂・・・鯖大師(別格二十霊場第四番)・・・粟浦の坂・・・太田トンネル(94m)・・・(浅川駅)・・・遍路休憩所「香峰」・・・(阿波海南駅)・・・海部大橋(海部川)・・・(海部駅)・・・那佐湾・乳ノ崎狼煙台跡・島弥九郎事件跡・・・大師庵・・・(阿佐東線)・・・道の駅宍喰・・・県道309号・・・愛宕神社・愛宕城跡・・・宍喰駅(阿佐海岸鉄道阿佐東線)→海部駅→JR牟岐線→徳島駅・・・徳島ワシントンプラザホテル

 今回は八坂八浜を大坂峠、松坂峠越えの旧遍路道を行かずに国道55号をいくつものトンネルを抜けてひたすら歩く。歩き遍路にも出会わず単調な道は面白味がない。やはり歩き遍路は遍路道を歩くべきか。鯖大師、去年泊まった海山荘を過ぎ、八坂八浜を終え伊勢田川橋を渡り、浅川港沿いではなくここも国道55号を進む。浅川駅のそばで牟岐線をくぐってゆるやかにかなり上って行く。下って再び牟岐線をくぐり阿波海南駅前を通り、海部川を渡り海部駅を過ぎて那佐湾に出る。道の駅宍喰」の手前で県道309号に入り、土佐の国境に近い宍喰川の手前で打止めにして宍喰駅から徳島駅に向った。

  【ルート地図

  *八坂八浜の旧道、旧遍路道歩きは『四国遍路道(徳島県-2)』・『四国遍路道(徳島県-3

  写真をクリックすると拡大します。

Img_2783 八坂トンネル

八坂八浜を旧道、旧遍路道でなく国道55号のトンネル歩きは味気ない。

Img_2785 草鞋大師(番外霊場) 【ルート地図】の①

台座に「草鞋供養」と刻まれている。江戸時代のものらしい。大坂峠にあったものを、ここに遷座した。難所の八坂八浜を無事通過できるよう、旅の安全と息災を祈願して、新しい草鞋を供えた。この大師像が盲目の相であることから、眼病平癒を祈願し続けた遍路がこの地で大師に祈願し続け不治の眼病が治ったといい、それ以来、眼に霊験のある大師といわれるようになった。

Img_2792 内妻浜

Img_2816 鯖大師(別格二十霊場第四番) 【ルート地図】の②

Img_2813 境内図

Img_2823 大綱浜(大砂海水浴場)

Img_2839 浅川駅を過ぎると国道55号は緩やかに上って行く。

Img_2846 遍路休憩所「遍路小屋第一号 香峰」

泊まれそうだが、宿泊禁止のようだ。

Img_2854 海部駅

Img_2859 那佐湾

先端が乳ノ崎

Img_2862 那佐湾沿いを国道55号を行く。

古くからの天然の良港で、神功皇后が新羅出兵の途中、風波を避けて那佐の港に入り風待ちをしたと伝える。

湾というより大河の河口という感じだが、この先で湾の終点となる。

Img_2864 二子島

長宗我部元親の弟、島弥九郎と海部軍との古戦場。

Img_2160 2つの石碑が並ぶ

Img_2157 乳ノ崎狼煙台

Img_2158 島弥九郎事件跡 【ルート地図】の③

Img_2865 自転車外人遍路が追い抜いて行った。

Img_2866 大師庵(右)・青面金剛童子堂(左端)

ここで小休止、去年歩いた時には気づかず通り過ぎた。

Img_2868 青面金剛童子

さほど古くなさそうに見える。なぜ上に石を乗せているのか?

Img_2878 阿佐東線をくぐる。

Img_2879 道の駅宍喰温泉の手前で国道55号から県道309号に入り宍喰駅に向う。【ルート地図】の④

Img_2882 愛宕神社 【ルート地図】の⑤

屋根にブルーシートとは情けない。

Img_2884 愛宕神社の森

ここは愛宕城跡というが調べても分からず。

Img_2886宍喰駅から

正面は八坂神社の森、その左は宍喰中学校か。

Img_2887 阿佐海岸鉄道阿佐東線の車内

海部駅でJR牟岐線に接続して、牟岐駅からそのまま特急電車となって徳島駅へ。

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2009年6月 7日 (日)

四国遍路道(阿波国-8)

2009年5月15日

Img_2722 国民宿舎うみがめ荘・・・八幡神社・・・厄除橋(日和佐川)・・・23番薬王寺男厄坂・女厄坂・還暦の坂・・・国道55号・・・県道36号・・・(長田橋・日和佐川)・・・(西河内中央橋)・・・(柳瀬橋)・・・落合橋(日和佐川)・・・西山橋・・・泰仙寺(23番奥の院)・・・落合橋・・・国道55号・打越寺・・・山河内トンネル(124m)・・・(JR牟岐線)・・・寒葉坂・・・辺川駅(JR牟岐線)・・・小松大師(番外霊場)・・・牟岐橋(牟岐川)・・・長尾屋跡(山頭火宿泊宿)・・・道・・・牟岐駅・・・民宿あづま

 厄除橋からは薬王寺の瑜祗(ゆぎ)塔の、瑜祗塔からは日和佐の町並み、海の眺めがいい。早朝の薬王寺は遍路の姿もなく静かだ。国道55号を北へ少し戻り日和佐川沿いの県道36号に入る。ここから川沿いに左回りで落合橋を目指す。道標も人通りもなく何となく不安な道だが、途中民家の前で掃除をしているおばさんに、「奥の院へ行きなはるか、ご苦労さん」、バイクにのって通勤する女性からも話しかけられ元気づけられる。

 落合橋を渡りのどかな田園の中を進み、西山橋で県道から離れる。墓地の下から泰仙寺への上りが始まる。350mの高さまで上るので墓地の一角にリュックを置いて身軽で上ろうかとも思ったが大した高さでもなし、これが今回最後の上りなので、これも修行のうちとそのまま上り始める。丁石もある遍路道で足元が悪い所もあるが(上の写真)、 意外に早く20分もかからず方丈下の石段に出た。ここで350mの高さがあるのだろうか。薄暗く、静かで、寂れて荒れていてなかなかいい空間だ。普通の札所ではこうはいかない。薬王寺からここへ避難したという薬師如来さんも、この寂しい雰囲気に耐え切れず薬王寺へ戻って行ったのだろう。

 しばし静寂な境内で佇み、元の道を引き返し落合橋を渡り右に国道55号へ向う。だらだら下って行くのと思っていたが、けっこう凹凸のある道だった。国道へ出ると、白衣をきた連中が活気もなく、ただぞろぞろと歩いているのにぶつかる。20人以上か、荷物は杖くらいで軽装だ。後で聞いた話だとバスで来ている団体遍路で、途中のある区間だけを歩いているらしい。何も歩道もないこんな国道を歩かなくてもいいじゃないか。こんな連中の先も後もいやなので、打越寺でしばし休む。

 今日の宿は予定では八坂八浜の内妻荘だったのだが、泰仙寺回りの時間がどれくらいかかるか分からないので、余裕を持って手前の牟岐駅そばのあづま荘にした。結局、思ったほどに時間はかからず、この分だと早く着き過ぎてしまう。一度歩いた道だし、国道歩きは寄り道して見るべき所も少なく、時間があり過ぎるのもつらい。長い寒葉坂を下って、無人駅の辺川駅のベンチで昼寝とした。特急は通過するが、ここに停車する普通電車は1時間以上来ない。ベンチで気持ちよく寝そべっていると、ざわざわと人声が、さっきの団体遍路だ、トイレを借りに来たらしい。どこまで俺を邪魔する気だ。

 さっさと駅を立ち去り、小松大師から国道に出て、小さな流れ沿いの立入り禁止の資材置き場で再度、休憩だ。ここなら当分大丈夫と思っていたらすぐにトラックが入ってきた。地元の運転手のおじさんと雑談しながら木材を運び出すのを手伝う。といっても軽そうなやつを3本だけだが。遍路にあまり興味のない地元の人と話すのも面白いものだ。後はだらだら、ゆるりゆるりと宿へ向った。

 民宿あづまは牟岐駅前の国道沿いにある。話好きなおかみさんだが、どうも私には苦手なタイプだ。今夜の泊り客は、近くの現場で作業をしている常連の会社の4、5人と、若い女性の歩き遍路が一人づつ、それに私だ。若い女性の一人は随分遅くなって着いたようだ。暗い国道をよく歩けるものだ。夜遅くまで携帯で大きな声で長話をしている。こっちは遊んでいるのだからいいようなもの、仕事で明日も早い連中には迷惑なことだ。あまり人のことなど気にせずに、気ままに歩いていた方が、楽に八十八カ所を歩き通せるのかもしれない。まあ、いろんな遍路がいるよ。予定通り内妻荘まで行っていればよかったものをと悔やみながら、あまり歩いていないせいもあり、なかなか寝つけなかった。

  【ルート地図

 写真をクリックすると拡大します。

Img_2689 大浜海岸の朝

5月中旬から8月上旬に海亀が上陸して産卵する。今年上陸したうみがめは、5月12日現在1頭のみで産卵はしていないようだ。

Img_2690 厄除橋から日和佐川

正面に薬王寺の瑜祗塔

Img_2691 23番 医王山薬王寺山門 【ルート地図】の①

厄除け寺として名高い。

Img_2695大師堂

Img_2696 本堂

Img_2692「文治元年(1188)に薬王寺が焼失した時、本尊の薬師如来が飛び出して、玉厨子山に飛び去った。その後、本堂が再建され、新しい本尊が安置されると、玉厨子山に避難していた本尊が戻ってきて後向きに本堂へ入った。「この後向薬師」を拝すため本堂の裏にも賽銭箱が置かれている。実際には本堂が焼けて本尊も焼けてしまったと思い、代わりに新しい本尊を作ったら、後から元の本尊が出てきたのだろう。

Img_2694 瑜祗塔から日和佐川、立島、うみがめ博物館日和佐城(右の丘上だが逆光で見えず)方向。

Img_2699_2 日和佐川沿いを進む。

Img_2711 落合橋を渡り、県道36号を23番奥の院泰仙寺へ

Img_2715 田園が広がっていて、のどかで静かなところだ。

Img_2717 車の往来もない県道36号

Img_2718 西山橋を渡る。

泰仙寺への案内板が立つ。

Img_2720 泰仙寺への上り口

Img_2726 23番奥の院 玉厨子山泰仙寺 【ルート地図】の②

文治元年(1188)に薬王寺が焼失した時、本尊の薬師如来が飛び出して、この地にとどまり輝いたという。少し荒れて寂れている。石段の右上は方丈。

Img_2729 本堂

Img_2728 下に大師堂

Img_2733方丈

Img_2738 泰仙寺への道標

落合橋を渡り右へ、国道55号へ向う道沿い。

Img_2739 国道55号へ向う。

Img_2742 打越寺 【ルート地図】の③

阿波国の8つの駅路寺の一つ。札所では6番安楽寺だけ。

Img_2743 縁起

8つの駅路寺が記されている。

Img_2749 休憩所だったか?

Img_2754 寒葉坂峠を越えて、国道55号の寒葉坂の長い下りが続く。【ルート地図】の④

Img_2764 JR牟岐線(下り牟岐方向)

辺川駅そばから

Img_2771 小松大師 【ルート地図】の⑤

370年くらい前、大阪難波の里に住む石工が、来客から注文を受けた「三尺あまりの弘法大師座像石仏」を彫刻して仕上げ、引渡しを待っていたところ、夢枕に立った大師から再三にわたり「石仏を阿州小松の里に送るように」との霊告を受け、船便に託してこの地に送り届けて来た仏像であり、霊験あらたかなりという。

Img_2774 廃材置場で一休み

Img_2778 山頭火が泊まった宿の長尾屋跡(石碑が立つ)

左の旧家は米屋だろう。

Img_2777昭和14年11月3日の日記

宿に酒は置いてなく、山頭火は数町遠くの酒屋に飲みに行った。「酒好き、酒飲みでないと、とうてい解るまい。」とある。拙者にはよう解るよ。

Img_2780 民宿あづま

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2009年6月 5日 (金)

四国遍路道(阿波国-7)

2009年5月14日

  民宿山茶花・・・平等寺新橋(桑野川)・・・月夜橋(南川)・・・県道284号・・・月夜御水大師(番外霊場)・・・国道55号・・・鉦打坂薬師堂・鉦打大師堂・・・鉦打坂・鉦打トンネル(301m)・・・明月橋(福井川)・・・弥谷観音(番外霊場)・・・国道55号・・・県道25号・・・中内橋(福井川)・・・辺川休憩所・・・由岐坂峠・由岐坂トンネル(104m)・由岐坂・・・田井ノ浜・・・(JR牟岐線)・・・木岐トンネル(182m)・・・白浜休憩所・・・山座峠休憩所・・・県道25号・・・恵比須洞・恵比須神社・・・恋人岬・・・国民宿舎うみがめ荘

 桑野川を渡り、県道を小学生と挨拶を交わしながら南に行く。Q君が追い抜いて行った。県道が大きく左にカーブする所を直進すると月夜御水庵だが、ちょっと分かりにくい。前回もそのまま車道を進んで、引き返した記憶がある。今日は入り口らしき所に車が止まっていて余計に分かりにくい。立ち止まってしばし確認していると、おばあさんが大きな手振りで、「お遍路さん、こっちこっち」と教えてくれた。やはりここを直進するのだ。車道を進んで行くQ君に大声で教える。別に車道を行っても少し大回りになるだけなのだが。

 月夜御水庵の先で県道に出る。車の通らない静かな道だ。ゆるやかに下り、遍路道標に従い国道55号に上ると小さな鉦打坂薬師堂と鉦打大師堂が安置されている。いずれも福井ダムの建設に伴いここに移設されたものだ。鉦打坂トンネルを抜け、国道から離れ福井ダムの明月橋を渡り、弥谷寺へ向う。福井ダムが出来るまでは暗い谷沿いにあったのが、今は小高く明るい所へ移転されている。弥谷寺観音堂下の誰もいない広い駐車場の休憩所で、昼寝には早いが横になってくつろぐ。静かで、日影で、5月の風が気持ち良くしばしまどろんだ。

 国道55号に出てしばらく進み、県道25号へ入る。前回は国道をいくつもの恐怖のトンネルを抜けて23番薬王寺まで行ったが、今回は海側の道を行く。こちらの道の方が車の往来も少なく全然歩きやすい。由岐坂峠、由岐坂トンネルを過ぎて下って行くと、道端に「カニに注意」の標識が立っている。こんな高い所から海まで、「カニ(蟹)の横ばい」で歩いて行くのは、八十八カ所の歩き遍路よりすごいと感心させられたが、後でこんな注意標識でカニ(アカテガニ)が保護できるのかと疑問になった(後述)。

 由岐駅方向への下り坂で、おばさんから手作りの巾着と飴をいただく。久し振りに海を眺めながら田井の浜で小休止。木岐駅手前の民家の前に座っていたおばあさんから小さなビニ袋に入った10個の5円玉いただく。おばあさんはきっとここを通る歩き遍路を昼間の間待っていてお接待をしているのだろう。初巡の時は、お接待がもの珍しく、有りがたく、一つ一つ鮮明に記憶していたが、2巡目になるとお接待は当たり前のように感じてきてしまったのか、ここまで何度もお接待を受けてきたのを忘れかけているようで、慣れというものは恐ろしく情けない。

 木岐トンネルを抜け、海からの風が冷たいくらいの2階建て?の白浜休憩所で一息つく。山座峠を越え、恵比寿神社、えびす洞の遊歩道を一周し、なんてこともない恋人岬から日和佐港、大浜、日和佐城を眺め前回も泊まった国民宿舎うみがめ荘に向った。ロビーでMT氏が新聞を読みながら生ビールをうまそうに飲んでいる。23番薬王寺も打ち、日和佐城(現在休館中で城内へは入れない。)まで上って来たそうだ。足のマメの具合もだいぶよくなってきて調子もよさそうだ。

 久し振りに大きな風呂でくつろぎ、夕食はMT氏、OT夫妻や顔見知りの歩き遍路と一緒だ。Q君は日和佐駅近くのビジネスホテルへ泊まったようだ。明日は通し遍路のOT夫妻、33番雪蹊寺までの区切り打ちのMT氏は国道55号を室戸岬を目指す。こちらはそろそろ今回の終点が近づいてきた。明日は薬王寺から国道55号を少し戻って県道36号を日和佐川沿いに23番奥の院の泰仙寺へ上り、国道55号の山河内駅そばの打越寺へ出て、国道を牟岐町まで行く予定だ。もう3人に追いつくことはないだろう。お互いのここまでの苦労をねぎらい、明日からの奮闘を期して最後の晩餐とした。

  【ルート地図

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Img_2539 月夜御水大師の大杉(逆さ杉) 【ルート地図】の①

樹齢約1000年といい、すべての枝が一度下を向いてから、上に伸びていることから逆さ杉といわれる。

Img_2541 説明板

Img_2542 月夜御水大師(番外霊場)

大師の杖により湧き出した加持水。ここで三日月とともに野宿したので、この地を月夜という。湧き水はなかったようだが、見逃したか。

Img_2543 由来

Img_2544 月夜御水大師の先の池

池というより、どんよりしていて沼という感じ。

Img_2545 車道を行くが車の往来はない。

Img_2546国道55号方向へ下って行く遍路道。

Img_2549 国道55号へ上る。

この辺は道標をしっかり見ないと間違えそうだ。

Img_2550 鉦打坂(かねうちざか)薬師堂(右)・ 鉦打大師堂(左)

薬師堂は享保4年(1719)の建立。もとは旧土佐街道沿いにあったが、福井ダム建設の際にここに移転した。

Img_2552 薬師堂由来

Img_2553 大師堂由来

Img_2555 大師堂内

これも福井ダム建設の際に、ここに移された。

Img_2557 鉦打(かねうち)坂 【ルート地図】の②

Img_2559 鉦打坂・鉦打坂トンネル

Img_2562 明月橋(福井川のダム湖)を渡って弥谷(いやだに)寺へ

Img_2565 福井ダム

弥谷観音はダムに沈んだ弥谷にあったのだろう。

Img_2567 遊歩道を下って石造物へ

これらの石造物も福井ダム建設で、元のところからここへ集められた物だろう。

Img_2568 笠地蔵

弥谷七不思議、「不二地蔵・笠地蔵・四寸通し・硯石・ゆるぎ石・日天月天・胎内くぐり」の一つ。

Img_2569 日天・月天

Img_2571 弥谷(いやだに)観音(番外霊場) の石段 【ルート地図】の③

弘仁6年(815)当地を訪れた弘法大師は、岩に本尊の如意輪観世音菩薩を刻み、岩窟で17日間厄除の護摩供を修した。満願の日に七不思議を遺す。福井ダム湖に沈んだ弥谷にあった時の縁起話だ。

Img_2580 愛嬌満点の阿弥陀如来さんだ。

Img_2572 ゆるぎ石

弥谷七不思議の一つ

Img_2578 観音堂(阿波坂東観音霊場第1番)

本尊は如意輪観音

Img_2577 由来

Img_2581 国道55号へ出る。

Img_2583 国道55号から離れ、県道25号に入る。

Img_2591 県道25号

車もあまり通らず歩きやすいが、だんだん暑くなってきた。

Img_2593 阿南市から美波町へ入る。

電柱脇に昔の郡界標が立つ。

Img_2594 郡界標

那賀郡と海部郡、現在の阿南市と美波町か

Img_2598 左手遠方に海が見え出した。

Img_2599 由岐坂、由岐坂トンネル 【ルート地図】の④

Img_2603 「カニ注意」の看板

「アカテガニ」は海に近い石垣や山林の斜面の穴に棲み、6月から9月の月夜に産卵のため海や河口に移動する。道路を横断中に轢死するカニが多いのだろう。ここはまだかなりの高さで海からも遠い。ここから海までカニ歩きでたどりつくのは大変だ。種族維持本能とはいえ恐れ入谷の鬼子母神だ。

歩行者、地元の人ならともかく、運転手がこの標識に気づき、文字看板まで読んで標識の意味を理解してカニが横断するのを守れるだろうか。ましてカニが産卵のために海辺、河口に移動するのは月夜という。真っ暗でないとしても小さなカニを見つけ、それを避けて運転するのは無理というものだ。文字看板には、「カニに注意」他の看板を設置するなどして、自然環境保護に取り組んでいます。」とある。標識は無いよりあった方がましといった程度の物で、横断するカニを守る有効な手段がない(考えつかない)のだろう。自然環境保護に取り組んでいるという姿勢をアピールするための行政のアリバイづくりだ。

Img_2604 「アカテガニ」横断注意

Img_2610 由岐駅の方へ下って行く。

ここでおばさんから手作りの小さな巾着袋と飴の接待を受ける。

Img_2613 田井の浜が見えてきた。

Img_2617 田井の浜

Img_2619 田井の浜海水浴場

まだ海水浴客はいない。

Img_2634 白浜休憩所

一段高くなっていて見晴らしも良く涼しい。しばし休憩。

Img_2637 石灯籠

「准指定」文化財、准なんてけちな、ややこしい指定だ。合併して美波町となってからはどうなったのか。

Img_2636 説明板

Img_2641 山座峠への遍路道

Img_2646 山座峠休憩所

Img_2652 峠から下って

Img_2653 入江に出る

Img_2659 えびす洞へ

Img_2673 恵比寿洞神社へ上る。

Img_2663 恵比寿洞神社

恋愛成就、夫婦和合の神さんだと。

Img_2662 恵比寿神社から日和佐湾

Img_2668 恵比寿洞 【ルート地図】の⑤

県内一の海蝕洞、今日は波も穏やかで押し寄せる波音は轟音とまでは言えない。

Img_2658 説明板

Img_2675 立島(左上)・国民宿舎うみがめ荘(正面右)・日和佐城(うみがめ荘の右上)・大浜・ホテル白い燈台(手前右)・その向こう側が恋人岬

Img_2680 恋人岬

Img_2686 岬の名前も、しゃれた休憩所もお遍路には似合わないか。ここにいた若い女性も私の姿を見たら早速退散した。

Img_2681 浪切不動明王

Img_2688 国民宿舎うみがめ荘

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2009年6月 3日 (水)

四国遍路道(阿波国-6)

2009年5月13日

民宿金子や・・・水呑大師・・・20番鶴林寺(500m)・・・八幡神社・・・地蔵堂・・・(県道283号)・・・県道19号・・・神光本宮・・・水井橋(那賀川)・・・若杉山遺跡・・・21番太龍寺(520m)・・・舎心ケ嶽(530m・番外霊場)・・・太龍寺山(ふだらく山・618m)・・・ふだらく峠・・・持福院・・・国道195号・・・(八鉾八幡神社)・・・道の駅わじき・・・大根峠(200m)・・・22番平等寺男坂・女坂・・・民宿山茶花

 今日は焼山寺と並び、阿波の3難所といわれた鶴林寺、太龍寺から22番平等寺までだ。距離はたいしたことはないが高低差はある。昼のおにぎりを頼むのを忘れ、近くのコンビニまでパンを買いに行ってから出発する。鶴林寺へは緩やかに上って行くが、水呑大師を過ぎたあたりから傾斜が増す。MT氏、OT夫妻に追いつき、石畳の暗い参道から山門をくぐる。

 境内で一休みした後、一緒に太龍寺へ向う。階段状の下りは急で、けっこう長い。MT氏が遅れ始めた。下りの方が足が痛むという。県道19号まで下り、那賀川を水井橋で渡り、若杉山遺跡を過ぎたあたりから太龍寺への上りが始まる。ここも林道は緩やかだが、後はきつい上りとなって山門へ通じる舗装道路へ出る。今は22番平等寺へはここまで戻って下るコースが一般的なようだ。

 中門を抜け大師堂から本堂へ逆回りをし、石段を下ってロープウエイ駅で小休止してから大師の修行場の舎心ケ嶽へ向う。岩上の大師の背中を拝んで(眺めてか)から、ふだらく峠越えの遍路道に入る。途端に、「遭難者が後を絶ちません。引き返してください。」の立て札だ。ふざけるな、ここは遍路道で道標もついている。かまわず上って行くと、持福院とふだらく山(太龍寺山)への分岐に出た。ついでだからと山頂まで上ってみる。ここから持福院への遍路道まで下れるはずだが道跡が見えず分岐まで引き返す。途中、落葉の積もる中を道を見失い、あらぬ方向へ入ってしまう。危うく今日も遭難者の一丁上がりというところか。

 分岐まで戻り、落葉の積もった、少し荒れた山道を下って行く。いらぬ立て札のせいでここを通る遍路も減り、こんな険路道になってしまうのだろう。道端にはちゃんと昔からの丁石も立っているというのに。何度も滑ったり、バランスを崩したりしてどうにか持福院へ着いて、お堂の下で休憩とする。しばらくすると上からがさがさと音がして、求職青年遍路(Q君と呼ぶ)が下りて来た。彼も立て札は気になったが戻るのも癪なので、この道を来たという。しばし話してみると、Q君はイケメンで、やさしい感じのする好青年だ。この若さで一人で歩き遍路をしているのだから芯も強いのだろう。なぜ就職できないのか、きっと遍路中に何かを見つけ、気づいて自分に合った仕事に就職できることだろう。

 国道195号に出て、だらだらと上って行く。ちょうど暑い盛りで陽射しも強く、車道歩きはつらい。道の駅わじきでまた小休止をして大根峠越えに向う。たいした峠ではないが、疲れてきた体と足にはこたえてくる。前方にOT夫妻の姿が見えてきた。奥さんの方が元気だ。旦那はバランスが悪く、足取りも重いが奥さんは軽快だ。フルマラソンで奥さんの方が早く走るという、その差が歩く後ろ姿に出ている。「またお会いしましたね。」と声を掛け、先に大根峠を越えて平等寺へ向った。

 今夜の宿の山茶花はすぐ隣りだ。平屋建てで、今夜の泊まりはOT夫妻、Q君、中高年歩き遍路が一人づつ、そして私の5組、6人、これで満員という。ラッキーだった。昨夜、私より少し後で電話したMT氏はここに泊まれずに新野駅そばの旅館を紹介してもらい、ここから車で送迎してもらうことになった。この宿は今回の遍路道歩きで、私としては一番気に入った。おかみさんが切り盛りし、応対もてきぱき、はっきり、料理もうまく、夕食後もおかみさんを交え長い時間、歓談?した。酒も入り、飲めないQ君も席を立たず、みんなでわいわいがやがやと、ちょっと長すぎて悪いな、もうそろそろお開きにしないと、誰もが?思い始めた頃、Q君が気をきかせて、「ビール、もう一本」。それを言っちゃあおしまいよ。案の定、おかみさんの鶴の一声、「ここは宴会場じゃあないんだから」、真にごもっとも、一同、さあーとお開きで、各自の部屋にお引取りの運びとなった。

 少し飲み過ぎたのと昼間の疲れから明け方までぐっすりだった。次回もこの宿に泊まるコース設定にしようなんて随分先のことまで考えてしまうほど気分のいい宿だった。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_2380 20番鶴林寺への遍路道に入る。

Img_2383いい感じの遍路道を上って行く。

Img_2384少し上ったところから。

Img_2388 かに

アカテガニではないようだ。

Img_2391 水呑大師

大師の加持による湧き水だろうが、詳しいいわれは分からず。

Img_2389 湧き水は今も飲めるようだ。

Img_2395 鶴林寺前の石畳

Img_2397 20番 霊鷲山鶴林寺山門 【ルート地図】の①

山号は釈迦説法の霊場のインドの霊鷲山に見立てたもの。後ろは六角堂

Img_2398 山門

Img_2399 本堂

Img_2400 鶴林寺は、「おつる」とか「つるさん」と呼ばれ親しまれている。

Img_2402 三重塔

Img_2403 本尊降臨の杉

雌雄2羽の白鶴に守護されて、黄金の地蔵菩薩がここに降臨したという。その黄金像を胎内に納める大師の作という本尊の地蔵菩薩像は国宝に指定されている。

Img_2408神戸のOT夫妻が下って行く。

前が奥さんで2人ともフルマラソンを走る市民ランナーだ。奥さんの方が早いそうで、歩きを見ていてもそれが分かる。

Img_2415八幡神社

Img_2416 地蔵堂

Img_2420 神光本宮

どういう神社なのか?

Img_2424 水井(すいい)橋(那賀川)

Img_2425 那賀川

ゆったりと流れている。昔は渡し舟で渡ったらしい。

Img_2430 若杉山遺跡

弥生時代の終わりから古墳時代にかけ、顔料「水銀朱」の原石の辰砂を採掘し、石杵や石臼などの石器を用いてこれを朱に加工していた。

Img_2432小さな流れ沿って太龍寺へ上る。

Img_2434 石段が続く

Img_2439 21番 舎心山太龍寺山門

「西の高野」と呼ばれ、大師が虚空蔵求聞持法を修した地。寺名は修行中の大師を守護した、大龍(竜神)からという。

Img_2446 説明板

Img_2445 中門(鐘楼門)

Img_2447 大師堂

Img_2449 説明板

Img_2455 本堂

Img_2454 説明板

Img_2456ロープウエイ駅

Img_2458 舎心ケ嶽へ

Img_2460 ロープウエイの架線下をくぐる。

Img_2461舎心ケ嶽参道

ここからは大師が迎えにくるという。

Img_2464 舎心ケ嶽の大師像 【ルート地図】の②

本来は、「捨身ケ嶽」で大師が虚空蔵求聞持法を捨て身で修練したところ。

岩上の大師は虚空蔵菩薩の化身の東方の明けの明星を拝している姿。

Img_2462由来碑

Img_2467 大師

鎖を伝わって大師さんの所まで行けそうだが、無信心な私など近づいても喜ばれそうもないのでやめとく。

Img_2466 ふだらく(補陀洛)山、ふだらく峠越えの遍路道。

Img_2469 ここは遍路道だよ、変な看板を立てるな。

Img_2468 太龍寺方向

Img_2472 正面方向に上って行けばよい。

Img_2477分岐点の道標

ついでだから山頂まで上ってみる。

Img_2475 ふだらく山からロープウエイ、太龍寺方向

Img_2476 山頂(618m) 【ルート地図】の③

ここから持福寺への遍路道に下りる道がありそうだが見当たらず、分岐の道標まで戻る。途中、落葉で道を見失い少し方向違いへ下ってしまった。危ない、危ない。

Img_2479 持福寺への遍路道に入る。

落葉で滑りやすい所や荒れていて歩きづらい所もある。

Img_2481 丁石が立っている昔からの遍路道なのだ。

Img_2486 気分のいい所もある。

Img_2488 持福院護摩堂 【ルート地図】の④

屋根の下で休んでいたら、求職青年遍路が下りてきた。

Img_2493 持福院から国道195へ

Img_2501 国道沿いの休憩所

Img_2502 国道沿いの「道の駅わじき」

Img_2508 大根峠(200m)へ

Img_2512 林間を上る。

Img_2517 峠は近い

Img_2518 峠あたりの石仏

Img_2519 大根峠から下りとなる。

Img_2523 下って車道へ出る。

Img_2524 ここにもうまそうな黒毛和牛

Img_2529 22番 白水山平等寺 【ルート地図】の⑤

大師が祈祷に使う水を求め井戸を掘り、一切の衆生を平等に救済するため、こう名づけたという。

Img_2530 男坂

上に本堂

Img_2533 女坂

Img_2534 大師堂

Img_2531 本堂には、イザリ車やギブスなどが納められているという。これらもその類か。

Img_2535 白水の井戸(本堂の石段下)

大師が掘った井戸でどんな日照りでも枯れることはないという。

下の扉を開いて湧き水を汲む。大師が掘った時は乳白色の水だったというが、今は普通の水だろう。万病に効き、開運の霊泉だそうだ。

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2009年6月 1日 (月)

四国遍路道(阿波国-5)

2009年5月12日

徳島ワシントンプラザホテル・・・国道438号・・・(金刀比羅神社)・・・(二軒屋駅・JR牟岐線)・・・若宮神社・・・国道55号・・・沖須賀橋(冷田川)・・・大野橋(園瀬川)・・・三軒屋橋(新川)・・・大松川橋・・・勝浦川橋・・・(JR牟岐線)・・・接待場跡・・・大師御杖の水(番外霊場)・・・県道136号・・・八幡神社・・18番恩山寺・・・弦巻坂・・・弦張坂・・・釈迦庵(番外霊場)・・・県道136号・・・お京塚(番外霊場)・・・塩瀬橋(立江川)・・・19番立江寺・・・白鷺橋(立江川)・・・県道28号・・・櫛渕八幡神社(櫛渕城址)・・・県道22号・・・沼江大師(胎蔵寺)・・・県道16号・・・(民宿金子や)・・・星谷橋(勝浦川)・・・(県道212号)・・・星の岩屋(250m・番外霊場)・・・仏陀石(310m・番外霊場)・・・民宿金子や

 昨日はよく眠れた。6時半前にホテルを発ち徳島市街地を南へ、二軒屋駅の先でJR牟岐線を渡り国道55号へ出る。この国道とはこれから長いつき合いとなる。いくつもの川を越え徳島市から小松島市に入る。今日の目当ては、義経ゆかりの弦張坂、弦巻坂、19番立江寺の黒髪堂のお京の「肉付き鉦の緒」、番外霊場の星の岩屋の裏見の滝だ。どれもあまり期待はしていないが、最後の星の岩屋の先の仏陀石までは300mほど上るので少し足早に進む。

 小松島警察署の先で国道55号から離れ大師御杖の水に寄り、また国道に出て少し先で右に県道136号へ入る。このあたりは義経ゆかりの地で、「義経ドリームロード」の案内板が掛かっている。何が「ドリーム」なのだろうか。義経は夢とか野望などには無縁な男だったと思うのだが。18番恩山寺は大師の母ゆかりの地で、母の玉依御前の剃髪所が残っている。どうも今日は髪の毛に縁があるようだ。

 恩山寺から下って、うまそうな黒毛和牛?の牛小屋の間を入ると、竹薮の中の道になる。これが弦巻坂と弦張坂で義経ゆかりの坂名だ。今回の遍路道歩きで始めて坂名も由来も、坂道散歩らしいに坂に出会えた。ここにも「義経ドリームロード」の標示板があるが、竹薮の中の「竹の子ロード」の方がふさわしいか。途中、舗装道路に出て、すぐ先を入るのだがうっかり舗装道路を歩き始めたら農作業のおじさんが大声で教えてくれた。確か前回も間違えたような気がする。

 弦張坂下の釈迦庵から県道136号に出て南にお京塚に寄り、立江川を渡って、阿波の関所寺の19番立江寺に着く。目当ての黒髪堂には真っ黒で、艶のあるお京の黒髪が安置というより飾られている。亭主を殺して情夫と逃げたなんて話は古今東西にごろごろある。鉦の緒に髪が巻きつき、懺悔して許されるくらいならお京さんは後を絶たないだろう。今もお京さんは、あちこちに出没中だ。ほらあなたのそばにも・・・・。

 懺悔の値打ちもない私だがお咎めもなく関所寺を過ぎ、白鷺橋を渡って県道28号を進む。今日も陽射しが強くだんだん暑さも増してきた。途中の櫛渕八幡神社では、2人組歩き遍路がフウの大木の影で休んでいた。今日はこちらと同じで民宿「金子や」までという。早く着き過ぎてしまうと思うのだが、星の岩屋へは行かないようだ。

 県道22号へ出ると沼江大師の先のコンビニの前にHK氏が座っていた。昨日は17番井戸寺から徳島市街地を抜け、勝浦川まで来た時には真っ暗になり、心配して宿から迎えが来たそうだ。今日は勝浦川まで車で送ってもらって戻り、そこから歩き続けているという。20番の鶴林寺を打ち、その先の廃校舎で野宿遍路のSZ氏と泊まる約束という。徳島の市街地で買った寝袋を持っていた。荷物が増えるのはいかがなものか。50才台のHK氏は上りが苦手がようで、これから暑くなる中を鶴林寺までの上りが心配だが、なんとか歩き通してもらいたい。

 しばらく休んでお先に出発する。少しピッチを上げたせいか12時半前には金子やに着き、玄関に荷物を置いて星の岩屋、仏陀石に向う。ここから片道4km強か、上りはあるが4時過ぎには帰って来れるだろうとの計算だ。勝浦川を渡り、県道212号を越え上って行く。車道が大きくカーブしてすぐに山道に入るのを間違って車道をどんどん上ってしまい、ついには下りになっておかしいと気づく。けっこうなロスタイムだが何とか星の岩屋へ着いた。境内は人影もなく静寂そのものだ。裏見の滝の流れは細く、水量も少ないので滝音すら響かない。涼しい岩窟から滝を裏から眺めていると汗も引っ込んだ。

 ここから仏陀石からはひと上りだ。途中で中津峰山への道を右に分けて上り、少し下った所に仏陀石がある。なんとなく寂れて荒れた感じがいい。帰りに県道212号近くの星谷寺へ寄ろうと思ったが見当たらず、近所のおばさんに聞いてその方向へ行くが、民家ばかりで犬には吼えられるし、探すのもめんどうになってあきらめる。そういえばこのあたりは「星」のつく家が多いと聞いたので、2,3民家の表札を見たが星はついていない。あまり他家の玄関前をうろつくのも怪しまれそうで、これも簡単にあきらめた。

 まだ4時前なので勝浦川沿いでのんびりと休憩してから金子やに向った。この宿は、鶴林寺、太龍寺への基点として好都合なのだろう、ほぼ満員の状態だった。隣りの部屋にはOT夫妻、3階にはMT氏、求職青年遍路や他にも顔なじみがいて楽しい夕食だった。MT氏は昨日は徳島駅前の旅館に泊まり、足のマメの痛さは相変わらずで、サンダルを買って平坦な所は歩いてきたそうだ。まだやる気充分なようで安心した。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_2153 金刀比羅神社

藍商人や海上関係者の信仰が厚い徳島城府の鎮守。石灯籠は藍商人が金にあかせて造った日本一の大きさの自慢物。

Img_2158 若宮神社

Img_2171 大松川橋から

Img_2178 接待場跡

Img_2179 案内板

Img_2180 大師御杖の水(番外霊場) 【ルート地図】の①

大師が四国巡錫のみぎり、飲み水を求めたが塩辛い水だった。里人の難渋を救おうと、杖で清水を湧き出ださせた

後ろの小屋に電動モーターが置かれている。湧き水を汲み上げ田んぼに供給しているのか。

Img_2183 由来

Img_2189 千羽ケ嶽のお豊とお君の墓

どんないわれがあるのか分からず。

Img_2187 「義経ドリームロード」

このあたりは義経一行に関わる史跡が多い。

Img_2190 義経上陸の碑

平家追討のため義経一行は摂津の渡辺からこの地に上陸し、大坂峠を越えて屋島に向った。近くの義経が源氏の白旗を立てたという旗山には義経の大銅像と妙見神社が祀られ、旗山の西に弁慶の岩屋がある。

Img_2191 碑文

Img_2195 18番 母養山恩山寺山門

山号寺号ともこの寺を訪ねてきた、大師の母の玉依御前にちなむ。今はこの山門へ通じる旧遍路道は途中で途切れて廃道になっているようで、山門をくぐらず「びらんじゅ」のところへ出てしまう。仁王さんも立っていなかったようだ。

Img_2194 びらんじゅ(毘欄樹)

女人禁制のこの地に、大師は女人開禁の秘法を修して母公を迎え入れた。その時の記念樹として大師が植えたという。

Img_2196 説明板

Img_2197 大師の母、「玉依御前ゆかりのお寺」の石柱

Img_2199 大師堂・大師御母公剃髪所(右)

大師堂の左下は今年大学を卒業した求職青年遍路で、今回はここから巡り始めているそうだ。

Img_2204 牛小屋の間を通り、弦巻坂、弦張坂から釈迦庵へ

Img_2206 黒牛小屋

Img_2210 弦巻(つるまき)坂 【ルート地図】の②

ゆるやかに上って行く、ここも「義経ドリームロード」だ。

Img_2213 由来

Img_2212竹林の中を行く弦巻坂

Img_2214 石仏の前をゆるやかに上る。

Img_2223 弦張(つるはり)坂

釈迦庵の方へ下って行く。竹の子がニョキニョキ

義経一行は弦張坂を上り、弦巻坂を下り大坂峠越えで屋島に向った。

Img_2229 由来

Img_2226 坂下近くの右に釈迦庵

Img_2236 坂下から釈迦庵方向

Img_2230 釈迦庵(番外霊場) 【ルート地図】の③

Img_2233 仏足石

奈良の薬師寺の仏足石(釈迦の足の裏の形)を写したと物といい、四国最古という。

Img_2232 説明板

Img_2237 県道136号へ向う遍路道

Img_2240 県道136号に出て、お京塚へ

Img_2241 お京塚(番外霊場) 【ルート地図】の④

大坂新町で芸者だったお京は、夫を殺し情夫と四国巡拝中に、立江寺の鉦の緒が頭髪が巻きつき取れなくなった。懺悔したお京はここに庵を結び、一心に地蔵尊を念じ当地で余生を送った。

石柱、小堂が木の葉で隠されうっかりすると通り過ぎてしまう。

Img_2242 小堂内

右に大師像

Img_2247 塩瀬橋を渡って立江川沿いを進む。

Img_2250 19番 橋池山立江寺

罪人や邪心のある者は、ここで必ず大師のおとがめを受けるという、「阿波の関所寺」 関所寺は他に、27番神峰寺(土佐国)、60番横峰寺(伊予国)、66番雲辺寺(讃岐国)。

Img_2252_2 略縁起

Img_2253 本堂

Img_2254 大師堂

Img_2255 天井絵

観音堂だったか。本堂にも天井絵が描かれている。

Img_2257 黒髪堂

Img_2258 由来

Img_2263 堂内の黒髪

享和3年(1803)にお京が納めたという。今にもお京さんが振り向いて、艶然と微笑むような生々しく、真っ黒で、艶っぽい黒髪だ。髪が巻きついた鉦(かね)の緒も一緒にあるのかよく見えず。この髪もお京さんの物なのか、由来話そのものも疑えばきりがないが。

Img_2271 白鷺橋

立江寺の縁起にかかわる橋。由来碑によれば、「橋の上に白鷺の姿を見ることなく渡った者は善男善女である。」 普通とは違って面白い。私みたいな善男でなくても白鷺の姿は見えなかったが。

Img_2248 由来碑

Img_2269 立江寺奥の院案内図(白鷺橋を渡ったところ)

「星の岩屋」、「取星寺」(5月17日巡拝)も奥の院といわれる。奥の院は一つに限らず、いくつあってもいいと思うだが、なんとなくすきりしない。

Img_2284櫛渕八幡神社

寛仁元年(1017)に後一条天皇が石清水八幡宮に櫛渕一帯の領地を寄進したため、その別宮の一つとして祀られるようになったという。社殿上の峰続きに秋元氏の居城だった櫛渕城跡がある。

右がクスノキ、左がフウの木

Img_2287 フウの木

Img_2286 説明板

Img_2293 切通しの間を下る県道28号

Img_2298 沼江大師(胎蔵寺)

Img_2301 子宝、安産、縁結び、開運にご利益あり。

Img_2315 星谷橋を渡って星の岩屋へ向う。

Img_2320 星谷橋から勝浦川

Img_2321 星の岩屋への案内図

Img_2329 途中から

Img_2332 車道から離れ山道に入る。

Img_2335 星の岩屋(番外霊場) 【ルート地図】の⑤

大師が悪星を失墜させるため、七昼夜秘法を修したところ。本尊は十一面観世音菩薩。

Img_2336 「四国第十九番奥の院」とある。

Img_2340裏見の滝

石仏の並ぶ岩屋の中から流れ落ちる滝を拝む。水量は少なく雨が降っている感じだ。妙見菩薩を安置してあるのはどこか? 確認するのを忘れた。

Img_2346 シャワーのカーテンという感じ。

Img_2352 外から見ると細いがけっこう高い滝

中央の岩窟内から眺めれば「裏見の滝」となる。このあたりの地名は猪王滝というようだ。猪王の由来は何なのか?

Img_2357 仏陀石へ

Img_2373 道標

右に行くと中津峰山(773m)を経由して、番外霊場の如意輪寺へ通じているが、徳島市の五滝、多家良からの方がハイキングコースとしては整備され、一般的のようだ。次回に行ってみよう。

Img_2362 仏陀石(番外霊場)

巨岩上の73の仏像

Img_2361 由来

Img_2363 穴門だろう。

Img_2364 穴門上の宝篋印塔まで行ってみる。

Img_2370 宝篋印塔だろう。

台石の四面に仏陀石の由来を詳述しているというが見えず。

Img_2307 東林庵薬師堂(金子やの前)

大師が太龍寺で修行の折、ここに滞在し薬師如来を祀ったという。

Img_2308 縁起

Img_2306 民宿金子や

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