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2009年6月27日 (土)

出雲街道③(三日月宿→佐用宿→平福宿)

2009年6月16日

Img_3743 姫路駅(姫新線)→三日月駅・・・国道179号・・・新橋(志文川)・・・旧道・・・(姫新線)・・・市ノ上交差点(国道179号)・・・旧道・・・薬師堂・・・十二世神社・・・国道179号・・・六地蔵・・・卯ノ山峠・・・太田井橋(千種川)・・・法覚寺・・・旧道・・・国道179号・・・釜須坂・・・佐用坂・・・旧道・(智頭急行電鉄)・・・上町交差点・・・佐用宿・・・上町交差点・龍山神社・・・国道373号(智頭街道・因幡街道)・・・(智頭急行)・・・(中国自動車道)・・・(智頭急行)・・・宮本武蔵初決闘の場・六地蔵・金倉橋(佐用川)・・・天神橋・平福宿・道の駅「宿場町ひらふく」・・・平福駅(智頭急行)→上郡駅(JR山陽本線)→姫路駅

 昨日と同じ電車で、乗っている中学、高校生も同じ顔ぶれだ。小間切れ運転で播磨新宮からは佐用行きに乗り継ぐ。この電車も佐用高校の生徒の貸切状態だ。三日月駅から国道179号の卯ノ山峠、釜須坂と2つ峠を越えると佐用宿で、ここが出雲街道と因幡街道の分かれ目だが、佐用宿には宿場の面影はあまり残っていない。

 国道373号を北に進み佐用川、智頭急行に沿いながら因幡街道随一の平福宿に向う。戦国時代に城下町から宿場町に生まれ変わり、今も町並み、家並みに往時の面影を残す平福宿をのんびりと一回りする(上の写真は佐用川端からの眺め)。道の駅「宿場町ひらふく」でゆっくり昼食休憩をして、まだ2時前だが今日は早めに切り上げて、智頭急行で上郡へ出て姫路に向った。それにしても暑い日が続く。今日は30度くらいあったようだ。明日は荷物一式背負って万能峠を越えて美作国の土居宿へ入る。まあ暑くても雨に降られるよりはましだろう。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_3606 三日月宿方向

旧道から国道179号に出たあたりの歩道から。下は姫新線

Img_3612 薬師堂

Img_3613 十二世神社 【ルート地図】の①

天神七代、地神五代を祀る神社

Img_3616 十二世神社

ここあたりは新宿という地名で、西の塔垣内には新宿廃寺跡があり、古代の中川駅の地と推定されている。

Img_3622 国道179号の卯ノ山峠への上りとなる。

左に六地蔵の祠

Img_3623 六地蔵

Img_3625 卯ノ山峠へ

Img_3628 峠から千種川、播磨徳久駅の方へ下る。

Img_3630 太田井橋の「全国名水百選 千種川」の標柱。昭和60年度の選定。

Img_3631 千種(ちくさ)川

それほどきれいとは思えない流れだが。「ちくさ」と濁らないのは清流だから?

Img_3634 太田井橋を渡って右に曲がり県道53号を200mほど行くと左に分岐した道脇に道標が立っている。

Img_3636「右 山さき ちくさ 道」

山崎、千種の方向からすると元は県道53号沿いか、分岐の所にあった道標だろうか?

Img_3641 播磨徳久駅の手前で旧道に入る。

Img_3644 崩れかけた塀と門の旧家

Img_3652 釜須坂 【ルート地図】の②

播磨徳久駅前の交差点から上る国道179号。戦国時代の戦さの攻防に登場する坂だ。

Img_3655 坂上近く

峠を一つ越える感じで、佐用坂が佐用宿へと下って行く。峠に名前はついていないようだ。

Img_3661 佐用坂

釜須坂の坂上から佐用宿へ下る。左に姫新線が通る。

Img_3667 国道179号から離れ、智頭急行電鉄のガードをくぐって左に 入る。

Img_3697 佐用宿の家並み

Img_3696佐用宿

Img_3672 佐用宿(佐用駅方向) 【ルート地図】の③

左に「松江藩役所並本陣跡」碑

Img_3675 「史蹟 雲州松江藩役所並本陣跡」碑

役所並本陣とは普通の本陣とは違うのか。後ろは佐用町の庁舎。

Img_3680 旧家

Img_3681 野村呉服店(左書)

Img_3683家並み

Img_3669 龍山神社

Img_3715 平福宿へ国道373号(智頭街道・因幡街道)を北に向う。佐用宿からは5km足らずだ。

右は佐用川

Img_3792 平福宿案内図

Img_3724 平福宿の入口近く

Img_3727 宮本武蔵初決闘の場と六地蔵(金倉橋のたもと) 【ルート地図】の④

時は慶長元年(1596)、金倉橋のたもとで、13歳の武蔵は新当流の達人有馬喜兵衛に初勝負をいどみ一刀のもとに倒したと伝える。また、ここは江戸時代の刑場跡で、供養のために六地蔵が建てられたという。

Img_3728五輪書の一節」の碑

Img_3726 説明板

Img_3725 説明板

Img_3741 利神(りかん)城址(373m)

雲を突く偉容から「雲突城」と呼ばれた。本丸、二の丸、大坂丸などの石垣群が昔の姿を偲ばせるという。40分ほどで登れるようだが、この暑さではご遠慮申し上げた。

下は智頭急行の殿町トンネル

Img_3779 由来記

文中に釜須坂が記されている。池田輝政がこの城の見分の途中で釜須坂にさしかかるや、北方の城郭群の偉容さに驚き、引き返して利神城の即刻の破却を厳命したという。もちろん江戸幕府を恐れてのこと。

Img_3733 平福宿

佐用川から

Img_3736 定番の写真スポット

Img_3745

Img_3766 平福宿の家並み 【ルート地図】の⑤

慶長・元和年間(1596~1623)に現在の町並みが形成され、その後、因幡街道随一の宿場町となる。街道に沿う町並みは昔ながらの姿で、南北に1.2kmほど続く。連子窓、格子戸の平入りの家々、佐用川の石垣に並ぶ白壁の川屋敷、川座敷、土蔵群は平福ならではの景観。

Img_3773 鋳物師瓜生原家

蔀帳(ぶちょう)造りの縁台で土地の老人がくつろいでいる。

Img_3772 説明板

Img_3778 昭和の初め頃まで居住していたという。

Img_3781 平福陣屋門・代官所跡

平福は利神城の廃城後、松平氏の旗本領となり代官支配となった。この陣屋門は元治元年(1864)に代官、佐々木平八郎が建てたもの。

Img_3782 説明板

Img_3794 正覚寺

江戸時代後期から地蔵菩薩を祀り、子授け・子育ての霊験あらかたで、近在近郷、関西方面からもお参りが絶えないという。

Img_3798平福郷土館

牢屋敷跡に建てられたようだ。土日と祝日しか開館していない。

Img_3800 案内板

Img_3804 家並み

Img_3805

Img_3806たつ乃屋醤油本店

元禄10年(1697)創業の三年熟成の自然醤油に老舗。

Img_3807

Img_3809 教岸寺

本堂は明治6年利神小学校として使われた。

Img_3812 宮本武蔵ゆかりの旧田住邸

武蔵は父の後妻、よし子に育てられた。武蔵が7歳の時に父が死去し、義母(よし子)は平福へ帰り田住政久の後妻となる。幼少時代の武蔵は当家で養育され、武芸も学んだといわれる。

Img_3813 説明板

Img_3817 左が田住家

Img_3820

Img_3822 金刀比羅神社

海の守護神がなぜ平福で祀られているかは不明という。

Img_3823 本陣跡

鳥取池田藩の本陣跡に、陣屋門をイメージした木造本瓦葺きの建物を、平成8年に整備。

Img_3824中はスサノオ神社のお旅所になっている。

Img_3830 左が本陣

Img_3825 道の駅「宿場町ひらふく

Img_3791 「黒豆ごはんセット」550円也は安い。 ビールは別よ。

Img_3838 平福駅(智頭急行電鉄)

鈍行しか止まらない。2つ先は武蔵の生まれ故郷の「宮本武蔵駅」

Img_3845 一輌の車内には2人しか乗っていなかった。

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