« 四国遍路道(阿波国-10) | トップページ | 出雲街道②(觜崎宿→千本宿→三日月宿) »

2009年6月23日 (火)

出雲街道①(姫路→飾西宿→觜崎宿) 

2009年6月14日

Img_3192_2 姫路駅・・・十二所通り・・・十二所神社・お菊神社・・・光明寺・・・国道2号・姫路城埋門跡・白鷺橋(船場川)・・・西国街道(山陽道)・・・善国稲荷神社・・・琴平神社・・・(姫新線)・・・船越神社・金比羅神社・秩父山公園・・・(姫新線)・・・来法寺・・・下手野の道標・・・国道2号・・・夢前(ゆめさき)橋(夢前川)・・・県道724号(因幡街道)・・・青山の道標・山陽道分岐地点・・教専寺・・・(姫新線)・・・(余部駅)・・・飾西交差点・・旧道・・・飾西(しきさい)宿・・・飾西公園・・・県道5号・・・長池・・・県道724号・・・(山陽自動車道)・・・姫路西IC東交差点・・・車石歯痛地蔵・・・国道29号・・旧道・・・稲荷大明神・・・(国道29号)・吹上橋(大津茂川)・(伊勢茶屋)・・・姫路西霊園・・・追分峠旧道・・・稲荷神社・・・追分の道標・・・県道724号・野部の縁切り地蔵・・・旧道・・・鳥井橋(林田川)・・・荒神社・・・(神岡小学校)・・・素麺神社・・・県道724号・・・そうめんの里・・・(水谷商店)・・・旧道・・・(姫新線)・・・觜崎(はしさき)宿(上の写真)・・・東觜崎駅(姫新線)→姫路駅

 大和と出雲を結ぶ出雲街道を西国街道(山陽道)との分岐の姫路から何回かに分けて歩く。播磨国(兵庫県)~美作国(岡山県)~伯耆国(鳥取県)~出雲国(島根県)へと北西に進む古代からの幹線道路で、古くは鉄、租庸調の品々を運んだ道、後鳥羽上皇、後醍醐天皇の隠岐への配流の道、江戸時代には参勤交代の道でもあった。街道沿いの宿場跡に立ち寄りながら、なるべく旧道、あるいはそれらしき道筋を歩きたいところだが、どうなることやら、梅雨の合間の蒸し暑い中を旅立つことにする。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_2979 十二所神社 《地図

疫病の流行に里人が苦しんでいたところ、一夜にして12本の蓬(よもぎ)が生え、そこに少彦名神(医薬、病気平癒の神)が現れて、この蓬で疫病を治癒すべしとの神託を下した。すると疫病は止み、里人の病は癒えた。感謝した里人が少彦名神を祀ったという。

 

Img_2980 お菊神社(十二所神社内)

「播州皿屋敷」で有名なお菊さんを祀る。東京では「番町皿屋敷」で、落語「皿屋敷」がある。

暗夜行路』(志賀直哉)の一節に「彼(謙作)は歩いて暗い境内(お菊神社)をただひと回りして、そこを出た。お菊虫という、お菊の怨霊の虫になったものが、毎年秋の末になると境内の木の枝に下がるというような話を車夫がした。明珍の火箸は宿で売ると聞いて、彼はそのまま俥を宿のほうへ引き返さした。彼は宿屋で何本かの火箸と、お菊虫とを買った。その虫については口紅をつけたお菊が後ろ手に縛られて、釣る下げられたところだと番頭が説明した。」とある。『皿屋敷』によれば、お菊虫は、播州で1795年(寛政7)におこった虫(アゲハチョウの蛹(さなぎ))の大発生がお菊の祟りであるという巷間の俗説で、これもお菊伝説に継ぎ足された部分であるという。十二所神社では戦前に「お菊虫」と称してジャコウアゲハのサナギを箱に収めて土産物として売っていたことがあったという。「暗夜行路」に出て来るお菊虫とは違うようだが。

 

Img_2981 由緒

 

Img_3586 お菊井戸(姫路城内)

姫路城トリビアンPART2』の、12・13

 

Img_3585 説明板

 

Img_2984 姫路城埋門跡(国道2号(山陽道)と船場川の交差点)

城の南西の隅櫓の門。

 

Img_2985 説明板

 

白鷺橋を渡って国道2号の一本北側の道に入る。

Img_2990 善国稲荷神社

 

Img_2991 琴平神社

 

Img_2996 西国街道の新しい道標

 

Img_2995 街道沿いには昔の面影は薄いが、所々に旧家が残る。

 

Img_2999 地蔵堂

 

Img_2998 地蔵さん

 

Img_3000 船越神社 《地図

秩父山公園(60m)の中にある。埼玉の秩父と関連があるのか? 手前は姫新線の踏切。

 

Img_3007国道2号からはたいして離れていないが閑静な家並みの道だ。

 

Img_3012 道標(下手野3-6)

ここから夢前川に出て、因幡河原(姫新線の鉄橋下あたり)から川を川越人足の歩行渡しで渡っていた。文化8年(1811)には仮橋が架けられた。

 

Img_3010 円光大師二十五霊場は、法然上人(円光大師)の誕生から入滅までの遺跡地である25霊場のこと。

 

Img_3011誕生寺(岡山県久米郡久米南町)は法然上人の生誕地で、津山線の誕生寺駅の北西1km足らず。ここからは100km以上? 《地図

 

Img_3013 旧家

 

Img_3016 夢前橋(夢前川)を渡り右へ因幡街道(県道724号)に入り北に向う。

 

Img_3023 青山の道標(安政2年(1855))【ル-ト地図】の①

山陽道(左折)との追分で、出雲街道はここを北上し、飾西宿に入る。

 

Img_3022 「右 因州 伯州 作州 雲州 往来」

出雲街道は佐用宿までは因幡街道と同じ道筋で、「因伯雲作往来」といった。

 

Img_3021 「左 備前 九州 金毘羅 宮嶋往来」 「すぐ姫路 大坂 京 江戸 往還」で山陽道のこと。

 

Img_3026_2射目崎(いめさき)明神

この先の飾西交差点から右へ飾西宿へ向う。

 

Img_3028 旧家

 

Img_3043 道標 【ル-ト地図】の②

佐伯商店前の三叉路の所

 

Img_3042 「右 書写山」

西国三十三観音霊場の第27番書写山円教寺のこと。ここから北東に5、6kmか。《地図

 

Img_3039読めない、情けない。

コメントを頂き(下記)、「是より志よしゃ(書写)道」と分かりました。

 

Img_3033 書写山への道を少し行くとここにも道標が立つ。

 

Img_3045 飾西宿 【ル-ト地図】の③

姫路から一里十八丁(6km程)

右は清酒「寿老」蔵元の鍬田家。酒造蔵の赤レンガ煙突があるはずだが見当たらず。老朽化して取り壊したのだろうか?

 

Img_3046

 

Img_3050 笠寺

 

Img_3047 説明板

 

Img_3049 薬師如来像

伽羅の木で造られているという。

 

Img_3051_2 本陣(中山助太夫家)

飾西宿の成立は寛永年間(1624~44)で、姫路藩領→龍野藩領→幕府領→相模小田原藩領→幕府領→大坂城代戸田忠寛(下野宇都宮藩)領→幕府領→幕末となる。
宝暦10年(1760)の家数は83軒・人数417人、明治24年には家数102軒・人数514人。

 

Img_3052 本陣の門

このまま崩れてしまうのか。

 

Img_3060 長池

姫新線が向こうを走る。

 

Img_3063 北向地蔵堂 【ル-ト地図】の④

 

Img_3069 県道724号

正面の山陽自動車道をくぐる。

 

Img_3072 車石歯痛地蔵 【ル-ト地図】の⑤

姫路西IC東交差点のところ。由来不明

 

Img_3074 国道179号を少し進み、右に旧道に入る。【ル-ト地図】の⑥

 

Img_3076 静かな道となる。

 

Img_3077 ?神の祠

 

Img_3079 家並みに入って行く。

 

Img_3081 稲荷大明神 【ル-ト地図】の⑦

 

Img_3082 石段の右脇の、「峯相山寺趾登山口指導標」の石柱。ここから北方向2.5kmくらいに峰相山(244m)、峰相寺がある。

 

Img_3085 火の見に半鐘と拡声器

 

Img_3088_2 とんがり山(256m)か

峰相山→とんがり山のルートがあるようだ。

 

Img_3092 吹上橋の手前で西に向う。

このあたりを伊勢茶屋という。旅人相手の茶屋があったのか。

 

Img_3095 古い家並みに入る。

立て場(人足、駕籠かきなどの休憩所)があったのもこのあたりか。

 

Img_3098追分峠へ登って行く。やっと坂道散歩らしくなってきた。

姫路西霊園(右)に沿って上る。舗装された道が続くと思いきや、いきなりフェンスが立ち塞がる。

 

Img_3099 行き止まりかと思った。鍵は掛かっておらず、「立入り禁止」にもなっていない。かまわず直進だ。この先に道が続いていることを願うのみ。

 

Img_3100 街道の両側には石積みが残っているというが、左の柵の中は石積みだったか?

 

Img_3101 反対側にもフェンスが

追分自治会の注意板が付いている。

 

Img_3102歩きづらい道を行く。

 

Img_3103 前方が明るくなってきて一安心

 

Img_3105 下に集落が見えてきた。

 

Img_3106旧道らしき家並みに入る。

 

Img_3107 稲荷社 【ル-ト地図】の⑨

近くに茶屋前池がある。

 

Img_3110 正面に追分の道標が立つ。ここまでの道筋は正解だったようだが。【ル-ト地図】の⑩

 

Img_3113 追分の道標

「左 作州 雲州 道 東觜崎 千本 三ケ月」が出雲街道で、觜崎・千本・三ケ月(三日月)は宿場名。

 

 

Img_3112_2 「右 因州 伯州道」 

北に因幡、伯耆へ向う道でこれも因幡街道。出雲街道と一緒に進み、佐用宿から北に平福宿、大原宿へ向う因幡街道が一般的か。

 

Img_3116 縁切り地蔵 【ル-ト地図】の⑪

由来の初めは男女の縁で、賭け事、酒など諸事の悪縁を切ってくれるという。

 

Img_3115 由来

 

Img_3117 縁切り地蔵さんは扉の中

 

Img_3118 県道724号から右に旧道に入る。

 

Img_3130 荒神社 【ル-ト地図】の⑫

鳥井橋(林田川)を渡って右に川沿いに曲がったところ。荒神社の脇に道標が立つ。

 

Img_3125 道標

「右 姫路 書写 神戸 大阪 すぐ 林田 安志 道」

 

Img_3126 「右 林田 安志 左 因? 雲? 道」で左が出雲街道のルート

 

Img_3135素麺神社 【ル-ト地図】の⑬

 

Img_3136 播州手延素麺「揖保乃糸」の守護神。そうめん業者の信仰が厚く、例祭では夏の猛暑と商売繁盛を祈るという。

素麺は食べるから猛暑を祈るのは止めてほしいよ。

Img_3134 そうめんの里

日曜で館内は混んでいた。暑い中を昼飯も食べずにここまで歩いてきてかなりバテた。冷やしそうめんで遅い昼食とする。

 

Img_3138 水谷商店(正面)から左に旧道へ入り觜崎宿へ 【ル-ト地図】の⑭

 

Img_3141 觜崎(はしさき)宿 

飾西宿から二里十八丁(9.8km程) 揖保川をはさんで東岸を觜崎宿村(現龍野市)とい、飾西村からの荷物を継ぎ立て、西岸の觜崎村(現新宮町)は千本駅からの継ぎ立てを行った。

揖保川に沿って左岸に連なる山並みが鶴の嘴(くちばし)のように見えることから、この山を鶴嘴山といい、その嘴にある村を觜崎(はっさき)というようになったそうです。「嘴崎」でなく「觜崎」と口遍を削ったのは何故なのか?

 

Img_3144 本陣(松原五郎右衛門家)

 

Img_3145 脇本陣

本陣より立派に見える。

 

Img_3190 東觜崎駅(姫新線)

 

|

« 四国遍路道(阿波国-10) | トップページ | 出雲街道②(觜崎宿→千本宿→三日月宿) »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

材料物理数学再武装って結構面白かった。全体最適の上に凸の曲線がエクセルでも計算できたよ。

投稿: 姫路軸受 | 2023年10月 1日 (日) 01:07

安来といえばプロテリアル安来工場ですか。なにやら省エネ型焼鈍プロセスで、今年の全国発明表彰、朝日新聞社賞で表彰されていましたね。

投稿: グリーンものづくり | 2023年8月21日 (月) 18:31

博士は大物のブラスチック金型の熱処理の大家でもあり、焼入れの冷却時のCAE解析で、重要な半冷時間パラメーターなんかも論文で、参考になります。

投稿: ダイヤモンド富士 | 2022年4月25日 (月) 19:50

まあ、播磨は司馬遼太郎にゆかりあるところですからね。

投稿: マルテンサイト | 2022年3月18日 (金) 18:25

ダイセル イノベーションパークの久保田邦親博士(工学)ですね。なんかノーベル賞候補に上がっているすごい方ですね。

投稿: ものづくり | 2021年9月29日 (水) 20:42

射楯兵主神社って素敵なところですね。

投稿: サステナブル | 2021年6月27日 (日) 16:51

なんだかドクターXみたい。

投稿: サステナブル | 2021年5月30日 (日) 18:54

安来から姫路に来たダイセルの某工学博士のダイヤモンド理論の開発秘話は、ドラマチックな話が散見されますね。

投稿: プラスチック関係 | 2021年1月 1日 (金) 13:22

東觜崎旧屋敷は旧 I 邸でしょうか。祖母の実家かも

投稿: ひろ | 2014年7月25日 (金) 12:29

 そう読めますね。ありがとうございます。

投稿: 坂道散歩 | 2013年5月21日 (火) 18:07

道標の字は写真が不鮮明ですが、多分「是より志よしゃ(書写)道」でしょう。

投稿: | 2013年5月19日 (日) 11:42

初めまして
ずいぶん以前の書き込みの所に コメントを載せて すみません。
たまたま生まれ故郷の歴史などと思い 検索していたら 我が実家が載っていたので 驚くやら 恥ずかしいやら 嬉しいやら・・・
飾西 旧家で載せてもらっていますが 旧家ではありません。ただ古い家です。
昭和5年に建てたと聞いています。
今も兄家族が住んでます。

投稿: シキサイ | 2013年3月 3日 (日) 08:14

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 出雲街道①(姫路→飾西宿→觜崎宿) :

» フーガ(日産) [フーガ(日産)]
フーガ(日産)についてコンテンツを作成しております。よろしくお願いします。 [続きを読む]

受信: 2009年6月23日 (火) 12:02

» 三沢光晴リングに散る!斎藤彰俊涙の土下座!バックドロップ写真の週刊プロレス大増刷 [三沢光晴リングに散る!斎藤彰俊涙の土下座!バックドロップ写真の週刊プロレス大増刷]
三沢光晴リングに散る!斎藤彰俊涙の土下座!バックドロップ写真の週刊プロレス大増刷!アントニオ猪木、小川直也もコメント [続きを読む]

受信: 2009年6月24日 (水) 20:27

« 四国遍路道(阿波国-10) | トップページ | 出雲街道②(觜崎宿→千本宿→三日月宿) »