結城市(茨城県)
2009年6月26日
東結城駅(JR水戸線)・・・観音堂・・・大杉殿・・・乗国寺・・・貴布禰神社・・・大勝寺・・・松月院・・・結城家御廟・・・結城城跡(城跡公園)・聡敏神社・あじさい坂・・・源翁和尚の墓・・・県道35号・・・安穏寺・秋葉龍神神社・・妙国寺・・・光福寺・・・金福寺・・・弘経寺・・・毘沙門堂・・・神明神社・・・孝顕寺・・・称名寺・・・常光寺・・・健田須賀神社・・・薬師堂・・・住吉神社・・・結城観光物産館・・・観光物産センター・結城駅
滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」の物語の発端「結城合戦」の地で、日光東往還と結城街道が交差する結城宿、見世蔵の並ぶ「紬の里」の結城を歩きました。
【ルート地図】
*参考:【結城市HP観光】
写真をクリックすると拡大します。
東結城駅
無人駅だがスイカは使える。
結城合戦で敗死した12代結城持朝の菩提を弔うため、宝徳元年(1449)に13代成朝が建立。
本宮は京都市の貴船神社で祭神は雨水を司る神、止雨の神の高龗(たかおかみ)の命。社殿によれば結城家2代朝広が康元元年(1256)に創建したという。
結城家初代朝光から16代政勝までと、妙仙・明朝・と無銘2基の花崗岩製の五輪塔が20基並ぶ。
結城合戦で戦死した11代氏朝(手前中央)・12代持朝(前方正面)の墓
ここで幕府軍を相手に1年以上も戦った。「南総里見八犬伝」は父親と一緒に結城側で戦った里見義実(よしざね)が、死を決意した父親と別れて主従三騎で三浦半島へ落ち延び、房総の安房へ渡るところから始まる。
「結城埋蔵金伝説」がある。この一画に今でも莫大な埋蔵金が眠っているかも。
田んぼから城跡に上る緩やかな坂。
江戸時代の結城藩水野家の藩祖水野勝成を祭神とする。文化13年に福山聡敏神社(福山八幡宮境内)より勧請。水野勝成を「聡明俊敏」と讃える社名。
源翁和尚の墓 【ルート地図】の8
「九尾の狐」の那須の殺生石を杖で砕いたことで有名。死んだのは陸奥国(福島県)の示現寺。
落語『九尾の狐』
応安4年(1371)に結城家8代直光が源翁心昭(和尚)を招き禅宗に改宗し中興開山した。
結城紬の問屋
早見晋我の墓と与謝蕪村が晋我の死を悼んで詠んだ「北寿老を悼む」の詩碑ある。
蕪村の「北寿老仙を悼む」の詩碑。
もとは結城紬問屋・肥料商
もとは農業資材関係の店
弘経寺との間に御朱印堀の一部の跡が残っている。
文禄4年(1595)18代結城秀康の長女松姫の菩提を弔うために創建。以来一度も焼失していない寺。浄土宗関東十八檀林(宗派の学問所)の一つ。
落語『鈴振り』
石灯籠の台石は道標になっている。右側が「右 小山 左 さかい」 左側が「向 水戸海道」で、ここで日光東往還と結城街道が分れて行く。
結城水野家の菩提寺。開山は独放曇聚(どっぽうどんしゅう)禅師、開基は結城家15代政朝。
由緒
門前の阿弥陀如来像の「金仏さん」で親しまれている時宗の寺。
もとは乾物屋
もとは穀物商
結城家ゆかりの須賀神社と、この地方一帯を開発したという竹田氏ゆかりの健田神社が合祀された。
現在は干瓢商店舗兼住宅
もとは穀物商
結城紬の問屋兼住宅
NHKTV「鳩子の海」のロケ地
現在は喫茶ギャラリー
もとは米穀肥料商
現在はイベントやCMのロケ地等で利用
扁額には、「辻薬師如来」とある。
もとは穀物・紡績商
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コメント
セレンディピティさんという楽天ブログをやっている方と連絡をとりたく、こちらのブログにたどり着きました。ご存知ないでしょうか。
投稿: 藤井 | 2020年10月11日 (日) 19:43