古河市(茨城県)
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参考:『古河市HP 史跡と寺社』
【地図】
日光街道の古河宿、南総里見八犬伝の名場面、八犬士の犬塚信乃と犬飼見八(のちの現八)が死闘を演じた古河城芳流閣の地、茨城県古河市を訪ねました。
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まくらがの 許我(こが)の渡りの からかじの 音高しもな 寝なへ児ゆえに
逢はずして 行かば惜しけむ まくらがの 許我こぐ船に 君も逢はぬかも
このあたりが古河宿の中心地で、斜め前に本陣があった。
文化11年(1814)建立の社殿は2006年に焼失し、2007年この小さな社が再建された。
初代古河公方の足利成氏が、鎌倉から古河に移るとともに祈願所とした。永禄7年(1564)当時、古河公方領が現在の東京都品川方面にまで及んだことを示す足利義氏充行状がある。
宝徳元年(1449)に良宥上人が鎌倉で開いた寺で、古河公方足利成氏に伴って古河に移った。室町時代の作である十一面観音座像がある。
正面に「左日光道」、右側面に「東筑波山」、左側面に「右江戸道」と刻まれている。もとは二丁目の突当たり(神宮寺の方へ曲がる所)にあった。文久元年(1811)の建立
遊郭があったという。
古河城主小笠原氏の開創。「新訳和蘭国全図」を著した鷹見泉石の墓がある。
野渡の狐塚の標高20~21mの河岸段丘上の縄文時代前期(約5000年前)の貝塚。
消えてしまってこれじゃあ読めないよ。
天文年間(1532~54)に旧栃木県谷中村字下宮の守護神として創建。明治時代の足尾銅山鉱毒被害で村人は移住、離散した。大正2年に現在地に遷座し、平成5年に改築した。
初代古河公方、足利成氏が尊崇し、天下泰平、国土安穏、武運長久を祈ったという。夏の祭礼には「ささら獅子舞」が奉納される。
清和天皇の貞観元年に出雲大社より勧請したと伝える。祭神は大己貴命・少彦名命・事代主命の三柱。「雀」の由来は、①昔、このあたりを「雀が原」といったことから。②「国を鎮めの神」といったのがスズメになった。
寛永3年(1626)に古河城主の永井直勝が創建
もとは古河城内南端の竜崎郭(頼政郭)にあった。頼政郭とは、宇治平等院の戦いで敗れ自刃した、源三位頼政の首塚のこと。
河川敷が広がり川の流れは細い。前方は新三国橋
古河城本丸跡
渡良瀬川は幾度も改変されている。ここは今は河岸の利根・渡良瀬サイクリングコースで正面は新三国橋。その先で利根川に合流する。八犬伝の時代には渡良瀬川は利根川とは合流していなかった。(平行して江戸湾に流れ込んでいた。) 芳流閣から死闘の末、渡良瀬川へ落ちた犬塚信乃と犬飼見八は、小舟で下総の行徳に流れつく。(もちろん物語上の架空の話)
屋根の色がなんともいい感じ。
下の方に古河公方館跡、その右の茶畑の右に、「芋ころがし坂」
なんで孔雀なのか?
右は旧中山家住宅(延宝2年(1674)頃の建築)
県内の曲がり家形式の農家の中でも最も古いもので、建築年代は18世紀前半頃と推定。
坂名の由来は何なのか? 隣りは茶畑だし。
義氏の娘、足利氏女の法号により徳源院と称した寺の跡。
木像とは思えない滑らかさと艶がある地蔵さんだ。顔も道端に立つ石の地蔵さんと違って優美で気品がある。
狛犬は山門を入った右の浅間神社(鳥居が見える)のものか。まさに神仏混交だ。
江戸時代には、ここから5kmもの松並木が続いていたという。
徳川将軍家の日光社参の際の休憩所の「御茶屋」があった。ここは将軍が宿城の古河城に入る「御成口」だった。御茶屋破却後は「御茶屋口番所」が置かれた。
鷹見泉石は江戸時代の古河藩の家老、蘭学者。
古河城の鬼門を守る仏で、歴代古河城主の祈願所。本尊は木像十一面観世音像。鎌倉、大和の長谷寺とともに日本三大長谷の一つというが、2ケ寺に比べるとかなり小さな寺。
山門は古河城の乾門を移築。
古河七福神の恵比寿
徳川家康の側室のお万の方碑。房総勝浦の勝浦城址にはお万の方の像が立つ。『伊南房州通往還⑤』に記載。
享保3年(1718)年の建立で市内最古の馬頭観音
親鸞上人の関東での高弟の一人、西念房が開いた寺。茨城県指定文化財の親鸞上人木像などがある。
江戸時代初期の大老土井利勝の開いた寺で、土井家歴代の墓所。古河七福神の弁財天。古河八景の「正定寺の晩鐘」。鐘堂はなかったようだが、見逃したか。
古河七福神の寿老人
古河公方足利晴氏が妻の兄北条氏康のために開基。古河七福神の弁財天
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