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2009年7月12日 (日)

古河市(茨城県)

2009年6月29日

Img_4994 古河駅(JR宇都宮線)・万葉歌碑・・・西光寺・・・浄円寺・・・八幡宮・・・日光街道(県道261号)・高札場跡・本陣跡・・・金刀比羅宮・・・竹駒稲荷神社・・・宝輪寺・・・尊勝院・・・脇本陣跡・・・神宮寺・・・よこまち柳通り・・・徳星寺・・・正隣寺・・・本成寺・・・野渡貝塚・・・下宮八幡宮・・・雀神社・・・永井寺・・・頼政寺・水神宮・・・渡良瀬川・・・三国橋・・・古河城本丸跡・・・国道354号・・・香取神社・・・(国道354号)・・・鳳桐寺・・・総合公園(富士見塚・御所沼・天神橋・古河公方館跡・芋ころがし坂・目洗い弁天池・徳源院跡)・地蔵堂・虚空蔵堂・浅間神社・・・日光街道・・・稲荷神社・・・御茶屋口門跡・・・(古河歴史博物館・文学記念館・鷹見泉石記念館(全部休館日))・・・長谷観音・・・子ノ神社・・・福法寺・・・妙光寺・・・宗願寺・・・正定寺・・・福寿稲荷神社・・・武家屋敷通り・・・天満宮・・・日光街道・・・大聖院・・・古河駅

  参考:『古河市HP 史跡と寺社

  【地図

 日光街道の古河宿、南総里見八犬伝の名場面、八犬士の犬塚信乃と犬飼見八(のちの現八)が死闘を演じた古河城芳流閣の地、茨城県古河市を訪ねました。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_5043 万葉歌碑(東歌の中に収録されている相聞歌二首 作者不詳)

まくらがの 許我(こが)の渡りの からかじの 音高しもな 寝なへ児ゆえに

逢はずして 行かば惜しけむ まくらがの 
許我こぐ船に 君も逢はぬかも

Img_4810 説明板

Img_4818 高札場跡

このあたりが古河宿の中心地で、斜め前に本陣があった。

Img_4820 説明板

Img_4822 古河宿本陣跡 

Img_4823 金刀比羅宮

文化11年(1814)建立の社殿は2006年に焼失し、2007年この小さな社が再建された。

Img_4824 由来碑

Img_4833 尊勝寺

初代古河公方の足利成氏が、鎌倉から古河に移るとともに祈願所とした。永禄7年(1564)当時、古河公方領が現在の東京都品川方面にまで及んだことを示す足利義氏充行状がある。

Img_4834 神宮寺 

宝徳元年(1449)に良宥上人が鎌倉で開いた寺で、古河公方足利成氏に伴って古河に移った。室町時代の作である十一面観音座像がある。

Img_4835 由来

Img_4842 常夜灯道標

正面に「左日光道」、右側面に「東筑波山」、左側面に「右江戸道」と刻まれている。もとは二丁目の突当たり(神宮寺の方へ曲がる所)にあった。文久元年(1811)の建立

Img_4843 説明板

Img_4849_2 よこまち柳通り

遊郭があったという。

Img_4865正麟寺

古河城主小笠原氏の開創。「新訳和蘭国全図」を著した鷹見泉石の墓がある。

Img_4861 家並み

Img_4869 本成寺の赤門

Img_4879 野渡貝塚跡(栃木県野木町)

野渡の狐塚の標高20~21mの河岸段丘上の縄文時代前期(約5000年前)の貝塚。

Img_4878 説明板

消えてしまってこれじゃあ読めないよ。

Img_4883 下宮八幡神社

天文年間(1532~54)に旧栃木県谷中村字下宮の守護神として創建。明治時代の足尾銅山鉱毒被害で村人は移住、離散した。大正2年に現在地に遷座し、平成5年に改築した。

Img_4884 由緒

Img_4891 雀神社 

初代古河公方、足利成氏が尊崇し、天下泰平、国土安穏、武運長久を祈ったという。夏の祭礼には「ささら獅子舞」が奉納される。

Img_4889 由来

Img_4890 雀神社

清和天皇の貞観元年に出雲大社より勧請したと伝える。祭神は大己貴命・少彦名命・事代主命の三柱。「雀」の由来は、①昔、このあたりを「雀が原」といったことから。②「国を鎮めの神」といったのがスズメになった。

Img_4895 延命地蔵

Img_4898 永井(えいせん)寺

寛永3年(1626)に古河城主の永井直勝が創建

Img_4901 頼政神社

もとは古河城内南端の竜崎郭(頼政郭)にあった。頼政郭とは、宇治平等院の戦いで敗れ自刃した、源三位頼政の首塚のこと。

Img_4912 渡良瀬川(下流方向)

河川敷が広がり川の流れは細い。前方は新三国橋

Img_4918 古河城本丸跡 

渡良瀬川は幾度も改変されている。ここは今は河岸の利根・渡良瀬サイクリングコースで正面は新三国橋。その先で利根川に合流する。八犬伝の時代には渡良瀬川は利根川とは合流していなかった。(平行して江戸湾に流れ込んでいた。) 芳流閣から死闘の末、渡良瀬川へ落ちた犬塚信乃と犬飼見八は、小舟で下総の行徳に流れつく。(もちろん物語上の架空の話)

Img_4917 本丸跡から見ると草っ原が広がっている。

Img_4925 香取神社

屋根の色がなんともいい感じ。

Img_4931 古河総合公園案内図

下の方に古河公方館跡、その右の茶畑の右に、「芋ころがし坂」

Img_4933 孔雀小屋

なんで孔雀なのか?

Img_4936 御所池

Img_4940 古河公方館跡 

右は旧中山家住宅(延宝2年(1674)頃の建築)

Img_4946 旧飛田家

県内の曲がり家形式の農家の中でも最も古いもので、建築年代は18世紀前半頃と推定。

Img_4948 芋ころがし坂(坂下方向)

坂名の由来は何なのか? 隣りは茶畑だし。

Img_4956 目洗い弁天池

Img_4958 弁天さん

Img_4978 徳源院跡(古河公方義氏墓所)

義氏の娘、足利氏女の法号により徳源院と称した寺の跡。

Img_4973 説明板

Img_4962 子育て地蔵堂

Img_4961 説明板

Img_4963 もとは徳源院内にあった。氏女の守り本尊ともいわれていた。

木像とは思えない滑らかさと艶がある地蔵さんだ。顔も道端に立つ石の地蔵さんと違って優美で気品がある。

Img_4965 虚空蔵堂

狛犬は山門を入った右の浅間神社(鳥居が見える)のものか。まさに神仏混交だ。

Img_4967 由来

Img_4969 浅間神社

Img_4982 日光街道松並木跡

江戸時代には、ここから5kmもの松並木が続いていたという。

Img_4981 説明板

Img_4988 御茶屋口門跡

徳川将軍家の日光社参の際の休憩所の「御茶屋」があった。ここは将軍が宿城の古河城に入る「御成口」だった。御茶屋破却後は「御茶屋口番所」が置かれた。

Img_4986 説明板

Img_4993鷹見泉石記念館

鷹見泉石は江戸時代の古河藩の家老、蘭学者。

Img_4999 長谷観音

古河城の鬼門を守る仏で、歴代古河城主の祈願所。本尊は木像十一面観世音像。鎌倉、大和の長谷寺とともに日本三大長谷の一つというが、2ケ寺に比べるとかなり小さな寺

Img_5006 福法寺

山門は古河城の乾門を移築。

Img_5007説明板

Img_5009蛭子神社

古河七福神の恵比寿

Img_5010 妙光寺

徳川家康の側室のお万の方碑。房総勝浦の勝浦城址にはお万の方の像が立つ。『伊南房州通往還⑤』に記載。

Img_5013 馬頭観音

享保3年(1718)年の建立で市内最古の馬頭観音

Img_5012 説明板

Img_5015 宗願寺

親鸞上人の関東での高弟の一人、西念房が開いた寺。茨城県指定文化財の親鸞上人木像などがある。

Img_5017 正定寺

江戸時代初期の大老土井利勝の開いた寺で、土井家歴代の墓所。古河七福神の弁財天。古河八景の「正定寺の晩鐘」。鐘堂はなかったようだが、見逃したか。

Img_5018 弁財天堂

Img_5019 お使い姫の蛇だらけ

Img_5024 福寿稲荷神社

古河七福神の寿老人

Img_5029 旧武家屋敷の土塀

Img_5030 今も個人の住宅

Img_5037 大聖院

古河公方足利晴氏が妻の兄北条氏康のために開基。古河七福神の弁財天

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