出雲街道⑤(土居宿→勝間田宿)
2009年6月18日
美作土居駅・・・門尻橋(山家川)・・・一里塚跡・・・国道179号・・・土居浄化センター・・・山城橋(山家川)・・・(姫新線)・・・(県道86号)・・・恵美坂・恵美坂陸橋・・・(中国自動車道)・・・県道365号(中国自然歩道)・・・後醍醐天皇御口漱の泉・・・杉坂・杉坂峠・杉坂関所跡・・・県道365号・・・恵美坂・・・県道86号・・・仁の坂・・・山城大橋(山家川)・・・国道179号・・・旧道・・・供養塔・地蔵(大師?)堂・・・城近坂・・・国道179号・・・旧道・警固屋坂・・・北向地蔵堂・・・江見金宝稲荷大社・・・大還橋(吉野川)・・・(姫新線)・・・国道179号・・・旧道・・・(老人ホーム作東寮)・・・(中国自動車道)・・・峠の地蔵堂・・・大曲りの大師堂・・・楢原宿人舛跡・・・火之神社・・・笠懸の森・笠懸橋・・・豊国神社・・・おかやまファーマーズマーケット・・・新姿見橋(中国自動車道)・・・みちしるべ地蔵・・・岡神社・・・勝間田宿・・・勝間田駅(姫新線)→津山駅
土居宿から万ノ乢越え以前の出雲街道の道筋だった杉坂峠へ向う。中国自然歩道のルートになっている県道365に出て、緩やかな上りを播磨の方へ2~3kmほど引き返すと杉坂峠で少し旧道を上ると杉坂史蹟として整備・保存されている。同じ道を戻り県道86号の仁の坂を下って国道179号沿いに行くと交差点に杉坂峠への元禄の道標があるはずだが見当たらず山側の旧道に入る。この道は田園の中の少し起伏のあるのどかな道で、城近坂を下り国道179号に出て、すぐに警固屋坂(上の写真は坂下方向)の急坂となって上り、江見(宿)へと下って行く。ここも江見庄、江戸時代は幕府の直轄領として栄えたところで家並みに往時の面影を残している。
旧出雲街道は大還橋で吉野川を渡り、姫新線、国道179号を越えて今在家の集落を斜めに北西方向に中国自動車道の方へ上って行く。この道は分かりづらいが事前に何度もシュミレーションしたお蔭で、まあすんなりとクリアーできた。ただ暑さでバテ気味で、一貫清水などいくつかの見所を見逃した。一ノ乢近くで中国自動車道をくぐり北側に出ると、大蛇?がとぐろを巻いて死んでいた。(死んでいるように見えた。) 道の北側に峠の地蔵堂、その先の大曲りの小高い所に大師堂がある。自動車道を挟んで楢原パーキングエリアがあるあたりだ。
なおも中国自動車道に沿って行くと舗装道路となり、道祖神などが立つ辻を過ぎて、楢原(宿)へ入る。ここの家並みも街道筋らしい昔の姿を留めている。楢原の町並みを出て、中国自動車沿いを行くと火之神社で、その先が後醍醐天皇ゆかりの笠懸の森だ。笠懸橋を渡り、豊国神社へ寄る。この先、旧道は自動車道を挟んで途切れ途切れに残っているようだがはっきりしない。新道は予想外に長いきついアップダウンが続く。ここまでお茶とお菓子で歩き続けてきてかなり疲れてきた。やっとおかやまファーマーズマーケットにたどり着く。売店で地ビールとソーセージを買い、遅い昼食代わりで休憩だ。エネルギーを補給し、やっと人心地がついていざ出発だ。新姿見橋を渡って下り、道しるべ地蔵、岡神社から勝間田宿を抜けて勝間田駅に向った。ちょうど16時21分発の津山行きに間に合った。勝間田宿は次回ゆっくり歩くことにする。
【ルート地図】
写真をクリックすると拡大します。
勤皇志士の元の埋葬地。埋葬というより投げ捨てられたのだろう。後に四つ塚に改葬された。
土居の一里塚跡(正面の木の所)
国道179号の道脇
県道365号だが車はあまり通っていない。この道は中国自然歩道のルートになっている。
「是より播州? 右山みち」 後ろに「宝暦十一年」(1761)とある。
隠岐へ配流の途中、ここで泉の水を飲んだという伝承の地。標柱の文字は消えかかっている。
峠が近くなり少し傾斜を増す。
兵庫県佐用町へと下る
今は峠からの眺望はない。
元弘3年(1333)隠岐に流される後醍醐天皇を奪還しようと児島高徳がここで挙兵したが、すでに天皇一行は院庄(津山)付近まで行っていて失敗。これ以前の船坂山でも護送のルート読み違いで失敗。こんなヘマばかりをやらかした男だが、戦前は忠臣、国民的英雄として、尋常小学唱歌にも「児島高徳」として歌われた。
仁の坂(坂下方向) 《地図》
山城大橋、国道179号へ下る県道86号
「杉坂史蹟→」の標識がかかるこの交差点に、元禄2年の道標があるはずだが見当たらず。どこかに移設されたのか。元禄の頃にはもう万ノ乢越えの道が開かれていたのに杉坂峠への道標が設置(もとは旧道沿いにあった。)されたということは、依然として杉坂峠を越える古い出雲街道も通行量の多い、重要な道だったのだろう。
手前は行き止まり。
正面に供養碑と小堂が立つ。
右上の石柱は何か?
安永2年(1773)に半四郎夫婦が建立。
「遍照」と書かれた板が掛かっているから弘法大師像かも。
城近坂となって下って行く。「じょうきん」か「しろちか」どっちだ? 《地図》
城とはどこなのか?
坂下近くの左側に新しい道標が立つ。
城近坂の坂下から国道179号に出て、すぐに左へ上る坂。
竹田村の八幡を京八幡より警固してきた者の子孫が石切となってここに住まった故に警固屋坂というようになった。
京八幡とはどこなのか、いつの頃の話なのか? この坂はけっこうな急坂だ。
馬場山公園の中にある。大社にしては小さな造りだ。
ここを上ったら墓地を抜けまた江見稲荷に出てしまった。
まだ新しそうに見えた。
平安時代に江見庄の中心となり、江戸時代中期には幕府の直轄地となった。
向う岸にも立派な屋根が並ぶ。
江見駅の近く
このあたりの民家にお茶堂、一貫清水があるという。暑さと疲れで探すのも、聞くのも億劫になり通り過ぎてしまった。
ここで小休止
楢原は宿ではなかったのでは。
行基が西国行脚の時、出雲街道峠村日の平に自作の地蔵尊を建立(現在の宝聚山仏法寺の奥の院)したといわれる。仏法寺は美作江見駅の近くにある。ここが奥の院なのか。ちょっと見すぼらしいが。この地蔵が行基の自作の物ならここには置かないだろう。自作と伝える物でも。
貞治元年(1362)に入定した仏法寺住職の空念上人は穴を掘り、その底で念仏三昧に入った。その塚の上に建てられた宝筐印塔。中国自動車道の工事でここに移設された。
反対側は楢原パーキングエリア
人舛とは何なのか?
神体は大石というが、あっただろうか?
ここも後醍醐天皇ゆかりの地。笠懸とは流鏑馬みたいなもの。
昔は渡し舟があり、今も「渡里」という地名が残る。
地ビールとソーセージで1050円だったか。ビールはあまり冷えてなく、ちと高いが暑さでバテ気味の体には恰好の栄養補給となった。
一本手前の道に姿見橋のあった(ある)のか? 石碑と説明板が設置されているようだが。出雲街道は姿見橋から轟池へ続いていたのだろう。
道しるべ地蔵(荒手地蔵) 《地図》
轟池の傍らにあった6体(3体?)の地蔵の中で唯一残っている地蔵。くらしき道(林野)とかみや(上相)への道標にもなっていた。地蔵の後背に「右くらしき道 左かみ??道」とあるようだ。轟池は1970年代に埋立てられた。姿見橋、轟池も後醍醐天皇のゆかりの地。
分かりづらい文章だ。
王子大権現から文明12年(1480)惣社岡神社となったという。
岡神社の隣り
岡神社から下った所。
電車の時刻と、いい加減に疲れたので勝間田宿の散策は次回とした。
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