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2009年7月13日 (月)

新宿区・港区・渋谷区の坂

2009年7月3日

四谷三丁目駅(地下鉄丸の内線)・・新宿通り・・・津の守坂・・・仲坂・・・女夫坂・・・本性寺・・・外苑東通り・・・(信濃町駅)・・・(港区)・安鎮坂(権田原坂)上・・・青山通り(国道246号)・・(カナダ大使館)・高橋是清記念公園・・・薬研坂・・・稲荷坂上・・・円通寺坂・・・三分坂・・・さくら坂③・サカス坂・・・福吉坂・・氷川公園・・・転坂・・・南部坂・・・氷川坂上・・・氷川神社・・・本氷川坂・・・檜坂・・・乃木坂・・・青山霊園・・・姫下坂(北坂)・・・根津坂・・・南青山4丁目交差点・・・大松稲荷・・・表参道・青山通り・・・(渋谷区)・(子どもの城)・・・明治通り・・・渋谷消防署・フランス坂・・・オルガン坂・・・スペイン坂・・・間坂・・・渋谷駅

 梅雨の合間の久し振りの都心の坂道散歩です。新しい坂は太字の5坂です。23区別の坂数では、港区が127坂、文京区が126坂で、港区が1坂多くなりました。

  【地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_5058 津の守(つのかみ)坂(坂下方向) 《地図

坂上の西脇に松平摂津の守の屋敷があったのでそれを略してこう名づけた。別名を小栗坂、坂下は靖国通りの合羽坂下交差点。

Img_5063 仲坂 

荒木町12と13の間を北に上る石段。

Img_5064 左下に「仲坂」の坂標

右下には「昭和七年六月竣工」の石柱が立つ。

Img_5068 坂上から

Img_5072 女夫坂 《地図

下って上る向き合う坂。この形の坂は、「相生坂」・「薬研坂」・「夫婦坂」・「向坂」など呼び名も様々。

Img_5076 北向き毘沙門天(本性寺)

北向地蔵はあちこちにあるが。

Img_5075 由来

Img_5079 薬研坂 《地図

中央が窪んで両側の高い形が、薬を砕く薬研に似ているために名づけられた。別名を何左衛門坂。

Img_5081反対側から

Img_5088 円通寺坂 《地図

右に円通寺

Img_5090 三分(さんぷん)坂 《地図

急坂のため車賃を銀三分(100円余)増した。坂下の渡し賃一分に対していたとの説もある。「さんぶ」では四分の三両になるので誤り。

Img_5104 赤坂サカスの案内図

さくら坂・サカス坂の位置:中央近くで北方向に上るのが「サカス坂」、サカス坂の坂上で西から東に下っているのが「さくら坂」

Img_5095 さくら坂③

両側におよそ100本の桜が植えられている。これで港区には、さくら(桜)坂が4つになった。

Img_5097 坂下方向

Img_5102 サカス(Sacas)坂(坂下方向)

「akasaka Sacas」を右から読むと、SACA・SAKA・SAKAと3つの坂。坂の街、港区ならではの名前か。

Img_5110 坂上方向

Img_5111 福吉坂 赤坂2-15と2-17の間を南に上る石段。

旧町名の赤坂福由吉町による坂名

Img_5122 旧町名由来板(氷川公園に設置)

Img_5114 坂上方向

Img_5117 福吉坂改修工事碑

Img_5119 坂下方向

Img_5125 転(ころび)坂 《地図

急坂で道が悪く、通行する人たちがよく転んだためこう呼んだ。

Img_5128 南部坂(坂下方向) 《地図

江戸時代初期に南部家中屋敷があったためといい、「忠臣蔵」の「南部坂雪の別れ」で有名。

Img_5131 坂上方向

Img_5138 氷川神社

Img_5137 本殿

Img_5142 本氷川坂 《地図

Img_5146 檜坂(坂下方向) 《地図

檜が多く、檜屋敷と呼ばれた山口藩毛利邸(檜町公園)に沿う坂。

Img_5150 坂上方向

Img_5163 乃木坂 《地図

乃木将軍の葬儀と同時に幽霊坂から改められた。

右奥が乃木神社

Img_5172 姫下坂(坂下方向) 

渋谷長者の姫と白金長者の息子の恋物語伝説の坂。この坂については、「港区の坂-8」(2006年2月28日)に詳述。

Img_5174 坂上方向

右は青山墓地で昼間でも人通りの少ない寂しい坂。今は夜に姫が下れば、けしからん輩が現れる「痴漢坂」、私が下ればお化けが出る「幽霊坂」か。

Img_5176 青山の庚申塔

Img_5175 説明板

Img_5177根津坂(坂上方向) 《地図》(標示は北坂)

左が根津美術館

Img_5188フランス坂 

ファイヤー通りから渋谷消防署とハローワ-ク渋谷の間を西へ渋谷区役所前交差点へと上がるイエローストリート。

代々木公園からのデモ隊がここでフランスデモでもしたのか。バスティーユ通りとも呼ばれる。渋谷消防署をバスティーユ監獄とでも見立てたのか。イエローストリートの由来は何なのか? 

Img_5187 坂上方向

Img_5190 坂下方向

Img_5193 オルガン坂(坂下方向) 井の頭通りの東急ハンズ前の交差点からパルコ前交差点へ上がる坂道。《地図

通りの周辺に音楽関係の店が多かったところから命名されたという。
東急ハンズ前の階段がオルガンの鍵盤に見えるから、という説もある。

今は音楽関係の店も多くもなく、東急ハンズ前の階段もオルガンの鍵盤には見えないと思うが。

Img_5196 スペイン坂(坂上方向) パルコパート1裏のペンギン通りから井の頭通りへと下る坂。 

喫茶「阿羅比花」(あらびか)の店主が写真で見たスペインの風景に心ひかれ、店の内装 をスペイン風にした。昭和50年にパルコからこの坂の命名を依頼され、「スペイン坂」とした。
この先の石段は往来人が多すぎて写真は撮れず。港区のスペイン大使館のところにもスペイン坂がある。

Dsc03187 「スペイン坂」の坂柱

Dsc03188 朝のスペイン坂(2005年11月17日撮影)

右が喫茶「阿羅比花」か?

Img_5197 間坂(坂上方向) 井の頭通りから公園通りへロフト沿いに上る坂。 《地図
平成元年、ロフトが一般公募により命名。
渋谷駅と公園通りとの間・ビルとビルの間・「まさか」という語呂のよさ・間という漢字が人と人との関わり合いをイメージするとの理由から。

Dsc03183 朝の間坂(2005年11月17日撮影)

Dsc03184 「間坂」の坂柱

坂の途中の左側にある。

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