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2009年8月27日 (木)

奥州街道(笠石宿→郡山宿)

2009年8月18日

鏡石駅(JR東北本線)・・・西光寺・・・国道4号・・・旧道・須賀川一里塚・・・(東北本線)・・・須賀川宿・・・千日堂・・・南の黒門坂・・・大町よってけ広場・・・軒の栗庭園・・・軒の栗可伸庵跡・・・芭蕉記念館・・・十念寺・八天宮・・・二階堂神社(須賀川城址)・・・神炊館(おたきや)神社・・・弘法壇坂・・・千用寺・・・普應寺・・・北町坂・・・岩瀬の渡し坂・・・雷神社・・・中宿橋(釈迦堂川)・・・鎌足神社・岩瀬の森(跡)・・・上人坦橋(東北本線)・・・宝来寺・・・白石坂・森宿一里塚跡・・・筑後塚供養塔・・・県道355号・・・滑川橋(滑川)・・・子安観音堂・・・(東北本線)・・・(水郡線)・・・(東北新幹線)・・・笹川宿・八雲神社・・・蛍橋(荒川)・・・熊野神社・・・東舘稲荷神社・・・耳語(ささやき)橋(笹原川)・・・日出山宿・・・日出山神社・・・小原田(こはらだ)宿・・・香久山神社・・・(東北本線)・・・文化通り・・・麓山公園・麓山(はやま)神社・市立中央図書館・・・郡山宿・如宝寺・一心坂・・・金透坂・金透小学校・・・善導寺・・・・安積国造(あさかくにつこ)神社・・・郡山道路元標・・郡山宿本陣跡・・・郡山駅(JR東北本線)

  【ルート地図

 芭蕉は『おくの細道』に、「かげ沼と云ふ所を行くに今日は空曇りて物影うつらず。」と記す。鏡石町には沼が多く、かげ沼(鏡沼)では蜃気楼が見られたようだ。しかっりと2つの塚の残る須賀川一里塚を過ぎ須賀川宿に入る。この宿で芭蕉は7泊も滞留している。さすが見るべきものもかなりの時間を費やす。北町坂、岩瀬の渡し坂を下り宿を抜け釈迦堂川を渡り、歌枕の「岩瀬の森」の鎌足神社の前から上人壇橋で東北本線を越える。このあたりは開発により旧道の道筋は消滅している。

 上人壇橋を渡って右に回り込むように下って旧道に入ると白石坂の上りとなる。坂の途中に森一里塚跡が残り、坂上から波打つような上り下りを繰り返して柏城小学校の先で筑後塚供養塔の前に出る。ここは鎌倉時代の官道の東山道の道筋にあたり、近世に奥州街道として整備されたようだ。供養塔の前を下り、県道355号に出て東北本線沿いを北に進む。小さな滑川を渡り、清陵情報高の先の小社の石段で線路と県道を見ながら一休み。

 子安観音堂の先で踏切を渡り県道に出てしばらく行くと郡山市となり笹川宿に入る。道筋には商店、車の通行も増えて賑やかになってくる。東に路地を入ると阿武隈川近くに篠川城(篠川御所)跡の東舘稲荷神社がある。采女伝説の耳語橋、歌枕の笹原川には往時のロマンの香りはない。日出山宿を過ぎ、小原田宿に入ると香久山神社の参道入口に立派な塀と茅葺きの旧家が構えている。

 旧道から離れ、麓山公園の中央図書館に寄る。如宝寺前の「はやま通り」が、一心坂ということを道沿いのスナック「一心坂」の看板で知った。思いがけず新しい坂を一つゲットして疲れも忘れた。坂沿いの一段高い所の金透小学校へ上る坂が金透坂だ。坂と言っても一般道ではなく生徒用の通学路だが、明治時代には蒼々たる連中が上った由緒ある坂なのだ。郡山の鎮守の安積国造神社から旧道の郡山道路元標の所に戻り、郡山本陣跡から郡山駅に向った。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_6805 西光寺 《地図

右は葉書の語源の「たらよう(多羅葉)」の木。利尿作用があり、健康茶にもなるそうだ。

Img_6802 由緒

Img_6806 説明板

Img_6819 須賀川一里塚(江戸方向) 

日本橋から59番目の一里塚。左が東塚、右が西塚。街道の両側には松並木が続いていたという。

Img_6815 説明板

Img_6823 千日堂(南の黒門跡の手前)

Img_6822 説明板

Img_6825 何の店か? 明治乳業の看板が架かっているが。

Img_6826 人は住んでいないようだ。

Img_6832 南の黒門坂 南の黒門跡(写真右の東北電力前)から北に下る坂。 

黒塗りの木戸があり、番小屋が置かれていた。午前4時開門、午後10時閉門。早寝、早起き健康の元。

Img_6829 「すかがわ坂物語」の説明板

Img_6830 説明柱

Img_6836 「大町よってけ広場」の説明板

東京オリンピックでマラソン銅メダルの円谷幸吉は須賀川生まれ。大ヒットした「ゴジラ」の特撮映画監督の円谷英二も同郷人。

Img_6845 軒の栗庭園

芭蕉の「世の人の 見つけぬ花や 軒の栗」にちなむ庭園。

Img_6842 説明板

Img_6844 芭蕉と曾良

Img_6843 等躬

芭蕉は相良伊佐衛門(等躬)宅に7泊した。

Img_6852 軒の栗 可伸庵跡

可伸とは、「おくの細道」で芭蕉が「世の人の 見つけぬ花や 軒の栗」と詠んだ「世をうとう僧」のこと。

Img_6850 説明板

Img_6853_2 八木甚本店?

何の店だったか。今は営業していないようだ。

Img_6855 フジ薬局(芭蕉記念館のはす向い)

長い建物で両端が入らず。

Img_6860 この蔵もフジ薬局のもの?

Img_6863 説明板(蔵の前)

Img_6858芭蕉記念館(八幡町・市役所の前)

芭蕉が参拝した八幡社・岩瀬(がんらい)寺などがあったあたり。

Img_6867 町中には所々に「物語ボックス」が立っている。

Img_6875 十念寺

芭蕉が訪れた寺の一つ。円谷幸吉の墓がある。健脚祈願でもしようと思ったが止めといた。

Img_6874 説明板

Img_6876芭蕉句碑(十念寺境内)

「風流の はじめや 奥の田植唄」

安政2年当地の俳人市原たよ(多代)女が建立。

Img_6872 市川多代女辞世の句碑(十念寺境内)

Img_6871辞世の句

Img_6877 俳句ポスト(22カ所に設置)

一句ひねろうと思ったが、首と頭をひねっても何も出て来ず、すごすごと退散。

Img_6880 二階堂神社

ここは須賀川城の本丸があった所。

須賀川城は二階堂家の重臣守谷筑後守の内通により伊達政宗に攻められて落城した。この時の戦死者の霊を弔うために「松明(たいまつ)あかし」の行事が始まったという。

Img_6881 説明板

Img_6882 二階堂氏居城時代の須賀川城と町割図

Img_6887亜欧堂田善生誕之地(須賀川市保険センターの所)

西洋の技法を取り入れたわが国初の銅版画家。

Img_6886 説明板

Img_6901 神炊館(おたきや)神社

須賀川の総鎮守。『曾良旅日記』には、「十念寺、諏訪明神へ参拝」とある、今でも「お諏訪さま」で親しまれている神社。

Img_6892 由緒

Img_6900 奥の細道碑

Img_6894 説明板

Img_6902 三八稲荷(右)・天満神社(岡天神)(左)

天満神社には数学者の岡潔も祀られている。須賀川とどういう関わりがあるのだろうか?

Img_6903 説明板

Img_6905 説明板

Img_6904 須賀川城外濠跡説明板

天満神社の裏側の竹薮に濠跡らしき窪みが残っている。

Img_6910 弘法壇坂 神炊館神社の北側を西に下る坂。

坂の途中の交差点南側に弘法大師堂がある。

Img_6909 説明板

Img_6912 坂下方向

坂下近くで東北本線をくぐる。

Img_6914 坂上方向

Img_6929 北町坂の坂上の八百屋さん

Img_6931 北町坂(坂下方向) 《地図

北の黒門があったあたりか。

Img_6926 坂上方向

坂の途中に新しい立派な石の坂標が立つ。

Img_6932 坂下方向

Img_6939 岩瀬の渡し坂 北町坂から続いて曲がりながら下る坂。《地図

奥州街道の岩瀬の渡し場へ下る坂だった。

Img_6942 説明板

Img_6941 坂下方向(北町坂の途中から)

Img_6943 坂下方向

Img_6944 歌碑(坂下近くの民家の塀の前)

「岩瀬の渡し 水越へて みつまき山に 雲ぞかかれる」 (詠み人知らず)の歌だろう。 みつまき山は岩瀬の森をいうそうだ。

Img_6949 中宿橋から釈迦堂川

釈迦堂川の由来となった釈迦堂(跡)があるはずだが見つからず。歌碑(前の写真)の近くにあるようだ。

Img_6952 鎌足神社 《地図

ここは古くからの歌枕の「岩瀬の森」で、紀貫之も「陸奥や岩瀬森の茂る日に一声くらき初時鳥(ほととぎす)」と詠んでいる。都から岩瀬の森を想像して詠んだのだろう。当地に8日間も滞在し、歌枕の好きな芭蕉翁だが岩瀬の森を訪れた様子はない。等躬も案内しなかったのは何故なのか。芭蕉の時代には岩瀬の森も往時の面影はなく、歌枕ではなくなっていたのかも。現在の地名では鎌足神社の所は上人坦で、上人壇廃寺の所が岩瀬森となっている。昔はこの付近一帯に森が広がっていたのだろう。

岩瀬は養老2年(718)に陸奥国から独立して「石背の国」となり、須賀川はその国府があった所だが、わずか8年後の神亀3年(726)に陸奥国に再編入されたそうだ。

Img_6953 説明板

写真だと読めない箇所が多い。その場でしっかり読むべきだった。

藤原鎌足の子孫の波多野筑後守が建久元年(1190)に鎌足の霊を奉斎したというものか。最後に前述の紀貫之の歌が載る。波多野筑後守についても分からず。二階堂氏の時代に伊達政宗に内通して、須賀川城を落城させた守谷筑後守がいるが時代が違う。

Img_6956 上人壇橋から旧道(正面奥に伸びる道)

橋を渡った左側の第二中学校の隣りに上人壇廃寺跡がある。

Img_6960 宝来寺前の石造物(旧道に入ってすぐの左側)

Img_6961 宝来寺

Img_6969 白石坂(坂上方向) 北に上る坂。 

正面が森一里塚跡

Img_6971 森一里塚跡(東側)

多くの石造物が集められている。

Img_6972 坂下方向

西側(右)の塚の跡形も残るようだ。

Img_6977 坂上近く

Img_6985 柏城小学校

天正11年(1582)の滑川合戦の舞台となった柏館跡

Img_6991 筑後塚供養塔

阿弥陀信仰の盛んな鎌倉時代末頃に建てられた双式阿弥陀三尊来迎浮彫供養塔など四基の板碑。もとは南の柏城小学校の所にあった。筑後塚の由来は須賀川の二階堂氏の家臣で伊達政宗に内通した守谷筑後守が、戦いの後に主君を裏切ったとして伊達政宗によりこの地で成敗されたことによる。

Img_6990 説明板

Img_6995 左に下る旧道

鎌倉時代の官道の東山道で近世には奥州街道となった。

Img_6997 旧道沿いの馬頭観音など石造物

Img_7000 下って国道355号に出て、滑川、東北本線を渡り笹川宿(郡山市)へと入って行く。

Img_7031 東舘稲荷神社 《地図

ここは足利満直の篠川城(篠川御所)跡

Img_7034 理髪店

ちょんまげでも結われそうな床屋さん。

Img_7037 耳語橋(ささやきばし)から笹原川 《地図

采女となって都へ向う里長の娘の春姫と恋人の太郎がこの橋の上で泣く泣く愛をささやいたという采女伝説の橋。

郡山市と姉妹都市の奈良市の猿沢池のほとり、辷(すべり)坂の坂下に采女神社があり、伝説の采女が祀られている。采女伝説もここのとは違う話になっている。「奈良市の坂-2」に記載。

Img_7039 ささやき公園(耳語橋のたもと)に歌碑が立つ。

Img_7040 歌碑

「あさか山 影さえ見ゆる 山ノ井の 浅き心を 我が思はなくに」 春姫の歌

永承6年(1051)「前九年の役」の追討に向う源頼義がこの地にさしかかった時には橋は朽ち果てて渡れず、「あづま路の ささやきの橋 なか絶えて ふみ(文)だに今は 通わざりけり」

「みちのくの 音無川に わたさばや ささやきの橋 しのびしのびに」と詠んだと伝える。

Img_7056 小原田宿

香久山神社の参道入口の所

Img_7055 旧家

Img_7057 門から中を失礼して茅葺きの屋根を撮る。

Img_7062 思わず「すみません」と謝ってしまいそうだ。

Img_7066 如宝寺

Img_7068 いぼなし鐘

通常の鐘は、上半部に「乳」(ち)と称するいぼ状の突起を多数並べるが、この鐘は「乳」のある位置に梵字が鋳出されている。文化3年(1806年)の改鋳。

Img_7073 一心坂(坂下方向) 如宝寺門前の「はやま(麓山)通り」(通称一心坂通り)で西へ上る坂。 

ちょうど「スナック一心坂」があったので気がついた坂。このあたりは傾斜はほとんどない。夜にこのスナックを覗いてみようかとも思ったが忘れてしまった。

Img_7086 金透坂 金透小学校へ上る坂。通学用の坂で一般道ではない。《地図》(道の標示はない。)

Img_7083 坂の途中に二の宮金次郎

今の若者は本ではなく、携帯電話を見ながら歩いている。

Img_7079金透小学校

校名は木戸孝允が「朱子語録」の中の一説から命名したそうだ。

Img_7080 坂下方向

「金透小学校スクールアメニティ通路整備工事」には、「そしてこの金透坂は、明治天皇始め、明治時代における日本の発展を担った大久保利通、伊藤博文、岩倉具視など蒼々たる人物が登りました。ある時は、この坂を補修する為に諸先輩の方々が鞄を背い日和田の小和滝まで行って小石を拾い、それをつめて学校まで運び坂を補修したとも聞いております。」とある。なかなか由緒深い坂なのだ。

Img_7100 安積国造神社参道

旧奥州街道の道路元標の手前から入り、国道4号に分断されて神社へと続く。

Img_7095 安積国造神社拝殿

郡山の総鎮守

Img_7099 神楽殿

Img_7102 郡山道路元標

Img_7101 説明板

Img_7105 郡山本陣跡(碑) 《地図

左のビュ-アネックスホテルの所。「魚民」の看板下に「郡山宿本陣跡」碑がある。右手前は道路元標

Img_7104「 旧奥州街道 郡山宿本陣跡」碑

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