仙台市の坂-3(塩釜街道①)
2009年7月29日
仙台駅・・・宮城野通り・・・榴岡(つつじがおか)天満宮・・・国道45号・旧道・原町・陽雲寺・・・原町3丁目交差点・国道45号・・・梅田川・・・(東北本線)・・・県道8号・・・大蓮寺・・・旧道・・・比丘尼坂(上の写真)・・・(国道4号)・・・耕田寺・・・今市橋(七北田川)・・・東光寺・・・県道35号・・・おくの細道・十符の菅・・・八坂神社・・・旧道・・・岩切駅(東北本線)→仙台駅・・・仙台市歴史民俗資料館・・・県道137号・・・宮城野公園総合運動場・・・県道137号・・・陸奥国分尼寺跡・国分尼寺・・・陸奥国分寺跡(国分寺薬師堂・白山神社・準胝観音堂・・・県道235号・・・常林寺・・・石名坂・・・閻魔堂横丁・・・姉歯横丁・・・真福寺・・・愛宕橋(広瀬川)・・・七曲り坂・・・大満寺・虚空蔵堂・愛宕神社・・・愛宕大橋(広瀬川)・・・仙台駅
時々どしゃ降りとなる中、途中で何度も雨宿りをしながら、塩釜街道を「おくの細道」の由来の歌枕の地、十符の菅まで行き、電車で仙台駅に戻り、歴史民俗資料館で見学兼雨宿り兼調べ物をして小降りとなった頃、これも歌枕の地で芭蕉も杖をひいた木ノ下の陸奥国分寺跡を訪ねた。
先日歩いた石名坂へ出て閻魔堂横丁を通り、姉歯横丁から愛宕橋を渡り、七曲り坂へ出て虚空蔵堂へ上り、愛宕神社までの雨中の坂道散歩です。
【ルート地図】(塩釜街道・岩切駅まで)
*『塩釜街道②』へ続く。
写真をクリックすると拡大します。
もとは仙台七崎の一つ玉手崎の東照宮の地にあった。境内には多数の句碑、歌碑が並ぶ。榴岡は歌枕にも詠まれたツツジの名所。元禄2年(1688)5月7日(陽暦の6月23日)の梅雨の晴れ間に、芭蕉は、仙台の俳人北野加之(かし)の案内で曽良とともに、東照宮、榴岡天満宮、木の下の薬師堂(陸奥国分寺跡)などを訪れた。
塩釜街道に入ると原町の辻標がある。【ル-ト地図】の①
「原町は明治二十二年の南目、若竹、小田原三村合併で成立した町名であるが、古くから塩竃街道沿いに細長い町場を形成し、城下東方では最初の宿駅として藩政期の絵図にもその名が記されている。西端には藩の米蔵や材木蔵が置かれ、明治~大正期には代官所跡が宮城郡役所となった。昭和三年に仙台市と合併した。」『辻標』
昭和4年の創業の銭湯
道標(原町苦竹の道知るべ石)《地図》
嘉永6年(1853)に建てられたもので、「西 御城下」、「北 塩可満松嶋」とある。ここを左折して北進する。
比丘尼坂(坂下から) 小鶴1丁目と燕沢3丁目の間を北から東に上り、カーブして北方向上る。【ルート地図】の②
「平将門が滅ぼされた時、その妹が相馬御所をのがれてこの地にたどり着き、比丘尼となって庵を結び、道行く人々に甘酒を造って売ったと伝えられる。この甘酒はのちのちまで伝わり、案内の湯豆腐や今市のおぼろ豆腐、今市足軽が内職として作った今市おこしなどとともに塩竃街道の名物となった。」『辻標』
平将門の生き様からは尼になって甘酒を造って売ったという妹は思いもつかないが、何となく微笑ましい由来話だ。
右が比丘尼坂、原町へ向う旧道
天保3年(1832)の建立、中央下は慈母観音像。
今市地区は原町宿につぐ塩竃街道の宿場町で、仙台藩の足軽の居住地でもあった。
正面が東光寺
道標 《地図》
「石巻街道から岩切若宮で分岐する街道である。多賀城市南宮~市川間で砂押川を渡り、多賀城政庁跡の北を通り、塩竃市大日向・赤坂を経て塩竃神社に至る。赤坂橋をわたると元禄頃の遺構とされる越後屋があり、塩竃詣の客に土産品を売っていた。母屋は藩公の休息所とされたが、腐朽が甚だしく昭和52年に解体された。」
東光寺背後の斜面の石窟の奥壁の磨崖仏を剥ぎ取ってここに安置、保存したようだ。「あかぎれ」の由来は何だろう?
県道37号の清風荘の手前で右に入り、「おくの細道」、十符の菅へ
中世以来、陸奥の歌枕の地として知られていた。
「みちのくの十符の菅薦七符には君を寝なして 三符(みふ)に我寝む」
ここが「おくの細道」で、「奥の細道」の書名の由来となった。 《地図》
『かの画図にまかせてたどり行けば、おくの細道の山際に十符の菅有。今も年々十符の菅菰を調へて国守に献ずと云へり』と本文にある。
十符の菅を栽培していた(いる)菅守の家は右奥らしい。十符の菅とは、網目が十筋の菅薦の材料となる上質なものいわれる。
青麻神社への表参道(左に入る)
頭に瘤(こぶ)があり、「瘤とり神社」といい、「いぼ取り」にもご利益があるそうだ。
塩釜街道(直進)・石巻街道(左折) 左の建物は日本新生キリスト教会岩切集会所
「従是 右しおがまミち 一り二十五丁 左まつしまミち 三り二十七丁」 安永3年(1774)の建立
芭蕉らも真っ直ぐ、壺碑(つぼのいしぶみ・多賀城碑)へと向った。
向い側の「毛糸のタカノ」店
塩釜街道は今日はここまでとし、岩切駅から仙台駅に向かう。
仙台市歴史民俗資料館(旧第四連隊兵舎)《地図》
天狗坂 (渋谷区)のゆかりの天狗煙草の支店が仙台にもあったのだ。
陸奥国分尼寺跡 《地図》
陸奥国分寺跡の仁王門
国分寺の南大門の位置に建てられた。
『奥の細道』には、「日影ももらぬ松の林に入て、ここを木の下と云とぞ、昔もかく露ふかければこそ、みさぶらひみかさとはよみたれ」とある。この日は快晴だったようだ。この地は古今集東歌にある、「みさぶらひ 御笠と申せ 宮城野の 木の下露は 雨にまされり」に由来する歌枕の地。天平の頃の鬱蒼とした木立にそびえる七重塔、七堂伽藍は跡形もなく、芭蕉の頃の「日影ももらぬ松の林」の面影はないが、今日は雨で境内は薄暗く、ひっそりと静かで落ち着いた風情が漂っている。
仙台三十三観音の第25番札所
「あやめ草 足に結ん(むすばん) 草鞋の緒」
大淀三千風供養碑
芭蕉が仙台を訪れた時、三千風は旅に出ていて会えなかった。
姉歯横丁の辻標 《地図》
「荒町から土樋の真福寺門前までの南北一町程の横丁をいう。若林城普請に伴う寛永五年(1628)以降の城下の東南方面への拡張期に、土樋とともに割り付けられた。侍屋敷が置かれたが、居住者に姉歯八郎右衛門という者がいたことから、この呼称となった。明治の末葉には愛宕橋まで通じている。」
耐震偽装で世間を騒がせたあの姉歯さんを思い出した。
七曲り坂(坂上方向) 国道4号の越路交差点の北側から曲がりながら西方向に緩やかに上る。 《地図》
愛宕山と大年寺山の間を沼を避けて通る、越路(こえじ)の古道で鹿落坂へと続いて行く。
この先で新道に合流してしまう。
虚空蔵堂→愛宕神社からここへ下りて来るつもりだったが、国道4号の方へ下りてしまった。
青葉山→経ケ峰→愛宕山へと移ってきた。南の高台から仙台城下を守護してきたのだろう。
大満寺のHPによれば、堂内の千体仏が仙台の地名のルーツという。
十二支の守り本尊が奉安されている。小生の亥は阿弥陀如来さん。
水子供養の地蔵
神門右に「日本最大の大天狗」、左に「日本最大の烏天狗」が座っている。
天狗は、愛宕大神のお使いで、大天狗は愛宕太郎坊といい天狗の中でも最高位の天狗。烏天狗は大天狗の命を受け善道をつかさどるそうだ。
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