奥州街道(白河宿→笠石宿)
白河駅(東北本線)・・・白河宿・・・皇徳寺・・・国道294号・・・白河宿本陣跡・・・(東北本線)・・・津島神社・・・田町大橋(阿武隈川)・・・向寺の坂・・・三柱神社・・・聯芳(れんぽう)寺・・・会津街道分岐・仙台藩士戊辰戦没之碑・・・旧道・遊女志げ女の碑・・・国道4号・・・旧道・大清水(跡)・・・高橋川・・・国道4号・安珍堂・・・旧道・根田宿・・・岩崎橋(栗ケ作川)・・・国道4号・・・旧道・愛宕神社・・・根渡神社・・・国道4号・・・旧道・小田川宿・・・小野薬師堂・・・宝積院・・・馬橋・・・(東北自動車道)・・・八幡神社(岩窟切岸城址)・・・夫婦坂・武光(たけみつ)地蔵・・・太田川宿・・・常願寺・・・愛宕神社・・・新池・・・(国道4号)・・・踏瀬(ふませ)宿・・・慈眼寺・・・踏瀬松並木・五本松並木・・・卯右衛門茶屋跡・文七茶屋跡・・・五本松橋(あぶくま高原通り)・・・七曲り峠・七曲り坂・・・大和久(おおわく)宿・・・山王寺・・・執心地蔵尊・・・中畑新田宿・・・幸福寺・・・(県道44号)・・・矢吹宿・・・大福寺・・・矢吹神社・・本陣跡・・・北町地蔵尊・・・国道4号・・・旧道・久来石(きゅうらいし)宿・・・熊野神社・笠石宿・・・宝泉院・・・笠地蔵堂・・・北原稲荷・・・鏡石駅(東北本線)
今年の東北は梅雨明けも、盛夏もなくこのまま秋を迎えるのだろうか。東京は残暑真っ盛りというのに、白河駅を降りた途端に風の違いを感じた。奥州街道を白河宿から二本松宿までの坂道散歩だが、このくらいの暑さなら何とかなりそうだ。手始めに皇徳寺に小原庄助さん(墓)を訪ね、街道を北に出発する。
阿武隈川を渡り、だらだらと向寺の坂を上って下り、戊辰戦争の傷跡の碑、大清水跡を見ながら国道4号に出ると小高い所に「安珍生誕之地」・「安珍之里」の碑が立っていて、安珍堂にはやさしく気の弱そうな安珍さんが座っている。根田醤油の前から旧道の根田宿に入る。人影、車もない閑静な家並みを抜け、国道4号に出てしばらくしてまた旧道に入ると小田川宿で入口に小野薬師堂がある。ここも静かな通りで、立派な家並みが続く。家並みが途絶え、東北自動車道が左手に近づくとガードの所に八幡神社の石柱が立っている。側面に「岩窟切岸城址」とある。ガードをくぐって行って見ると社殿の背後が岩窟切岸城址のようだが説明板もないので詳細は分からず。
旧道に戻って田園の中を進むと夫婦坂の上りとなる。途中、左手に武光地蔵がどっしり座っている(上の写真は武光地蔵の下あたりから坂下方向)。太田川宿へ下り、細い石段を愛宕神社へ上る。やっぱり暑い。社殿(小祠だった)からの眺望を期待したが木々が繁っていまいちだった。新池の手前には民家の裏側を通る未舗装の旧道が残っている。上り下りを繰り返しながら新池の前を通り、国道4号を渡り踏瀬宿へ入ると一部に松並木が残っている。茶屋跡前からあぶくま高原通りを越えるとすぐに七曲り峠で、七曲り坂となって大和久宿へと下って行く。右手に東北本線が近づき、町並みもだんだん賑やかになって矢吹宿へと入る。ここは栄えた宿場だったようで見るべきものが多かった。
矢吹宿の北の北町地蔵から国道4号に出てしばらく進み、左に旧道に入ると久来石宿できれいで立派な家並みが続いている。旧道は国道4号を渡り、熊野神社あたりから笠石宿となる。笠地蔵は民家の脇にある。うるさく吼える犬を怒鳴りつけ、堂内の笠地蔵(実際は石を乗せた板碑)をすき間から見るが暗くて見えない。写真を撮って見てなるほどと納得。ミニ風車の立つ鏡石駅で今日の街道歩きの終わりとした。
【ルート地図】
写真をクリックすると拡大します。
小原庄助の墓(皇徳寺境内の羅漢山人の墓の隣り)
辞世が、「朝によし昼になほよし晩によし 飯前飯後その間もよし」で、戒名は「米汁呑了信士」 呑み了(お)えたなら徳利は寝かせればいいものを。この墓の石を削って飲むと下戸も上戸になれるとか。
旧東海道の箱根の小枯木坂の坂下には、「雲助徳利の墓」がある。『箱根の坂-2』(2008年4月22日)に記載。
老舗通りに染物屋が数軒並んでいる。
本陣芳賀家跡 《地図》
後に福島県立病院へと発展する白河医術講義所(白河県立病院)跡
清酒「白陽」の大谷酒造
酒造業の「岩淵屋」で生まれた国語学者。今はお茶屋になっている。
白河だるまは、今から約360年前の城主丹羽長重の頃から旧正月14日の「市神祭」で、縁起物として売られてきた。
向寺の坂(坂上方向) 田町大橋を渡り、北方向に緩やかに上る奥州街道。
聯芳寺の向いの坂か、聯芳寺へ向う坂の意か?
枝垂れ桜が見事な寺
坂上から会津街道との分岐の女石へ下る。旧道は切通しの上の方を通っていて、地蔵や回国供養碑が残っているそうだ。
仙台藩士戊辰戦没之碑 《地図》
戦争の犠牲となるのはいつも弱い者だ。
「上水道紀念」?、ほかに馬頭観音が幾つか草むらに半分埋まっている。そばやの前には道標が立っているというが見逃した。
「安珍清姫」物語の安珍は当地(根田)の生まれ。安珍の墓は堂の下を西に行った東北自動車道をくぐった所にある。
もとは道成寺にあったもの。女の執念に焼き殺されても仕方ないような優男(やさおとこ)の像だ。道成寺は『熊野古道(紀伊路⑧)』に記載。
「安珍歌念仏踊り(奥州白河歌念仏踊)」は今でも踊られているようだ。【YouTube】
根田醤油合名会社(根田宿の入口)
創業200年の老舗、簡易郵便局も兼ねている。
石段が崩れかけていて危険なのか、鉄の階段には施錠してあり上れない。
ひっそりとした佇まいでいい雰囲気だが、薮蚊に食われ長居はできない。
小野薬師堂(小田川宿入口)
小野小町伝説の地で、奥州街道を往来する旅人が参拝し、道中の無事、安全を祈願したという。
豪勢で、端正な家並みが続く。
「岩窟切岸城址」とある。東北自動車道をくぐって向う。
社殿の後ろに垂直に切り削られた崖が切岸で、その上に中世の城砦があったのか。鎌倉の大切岸を思い出した。
上って下る向き合う坂で夫婦坂か?
仙台藩の居合い抜きの達人の侍が、奥州街道を急ぎ江戸に向う途中、夜更けの夫婦坂にさしかかった。すると前方に妖しい女の影が出た。侍は一刀のもとにこれを斬り捨てた。江戸からの帰り、再びここを通ると、道端に二つに切断された石地蔵が転がっていたという。土地の者はこの石地蔵を斬りつけた刀が竹光だったので「武光地蔵」とも、「化け地蔵・首切り地蔵・二身堂地蔵」とも呼んだ。近年まで、そばに切断された下半身があったという。
これは地蔵像ではなく薬師像という土地の人もいるそうだが、どう見ても地蔵にも薬師にも見えず、田舎の人の良さそうなお百姓のおっさんだ。
正面は愛宕神社の丘
愛宕神社 《地図》
急で細い石段を上るとこんな小さな社だった。
左上に石造物が並ぶ。
新池 《地図》
新池の手前には民家の裏側を通る未舗装の旧道が残っているが写真を撮り忘れた。
検断と問屋を兼ねていた箭内家。現在は白い土蔵と門柱が残る。
踏瀬松並木から続いている。
軒を連ねて、旅人の休み処として繁盛してきたが、明治の中頃の鉄道開通により街道がさびれて店じまいとなった。道はあぶくま高原道路の上を越し、七曲り峠から七曲り坂を蛇行しながら下って行って大和久宿へ入る。
峠といってもたいした高さではない。
樹齢200年という黒松。松並木は赤松で、黒松は海岸に多く珍しいらしい。
左側は、「幾星霜・・・・」後は読めず。由来が書かれているのではないようだが。
左は「しあわせ観音」
慶応元年(1865年)創業の造り酒屋。店先に代表銘柄の「自然郷」の幕を垂す。
昭和40年代まで産婦人科の建物として使用されていた。夜はライトアップされるそうだ。
門だけが残るのみ。
丸い体で、プロレスラーみたいな顔つきだ。
道の両側に東側、西側の字名が残っている。
笠石宿の入口
地蔵ではなく、石を乗せた板碑
唱歌「牧場の朝」のモデルとなった岩瀬牧場が駅の東2kmほどにある。
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