奥州街道奥道中(仙台城下→富谷宿)
2009年7月28日
仙台駅・・・芭蕉の辻・・・(広瀬通り)・・・(定禅寺通り)・・・村境榎稲荷神社・・・玄光庵(仙台七福神)・熊野神社・・・旧検断所屋敷・・・青葉神社・・・東昌寺(マルミガヤ)・・・光明院(支倉常長の墓)・・・(仙山線)・・・日浄寺・天神社・・・堤町まちかど博物館・御仲下改所跡・・・県道22号・・・青笹不動尊・・・(仙台文学館)・・・虹の丘入口交差点・日向坂・仙台藩刑場跡・・・(地下鉄八乙女駅)・・・七北田橋(七北田川)・・・善正寺・・・ニ柱神社・・・市名坂・・・七北田宿・七北坂・・・浄満寺・・・(愛宕神社)・・・丁切根・・・国道4号・泉消防署・・・(東北自動車道)・・・大曲坂・・・金玉神社・・・国道4号・・・さるはな坂・(富谷町)・・・大清水石盥・・・ゆっぽ・・・熊谷寺・・・日吉神社・薬師堂・・・一枚沖交差点・・・富谷宿(八雲神社①・熊野神社・中宿・恋路の坂・富谷の茶畑・毘沙門堂・本陣跡・内ケ崎三郎生誕の地・脇本陣跡・内ケ崎家別邸・御所橋(西川)・代官松・八雲神社②)・・・富谷学校バス停→仙台駅
奥州街道は仙台より北、津軽の三厩(みんまや)までは奥道中と呼びます。仙台市の隣りの富谷宿(富谷町)まで、奥道中のほんの一部の坂道散歩です。
芭蕉の辻から北へ、ビルの間の朝早く静かな通りを北へ向う。北四番丁通り(作並街道)を越えると、古い家並みもちらほら見え始める。旧検断所屋敷の先で青葉神社にぶつかり右へ、北山五山の東昌寺の境内から光明寺へ入る。仙山線をくぐって旧道を行くと日浄寺の先に堤町まちかど博物館がある。博物館といっても堤焼の店だった建物で、登り窯が残り、水がめや土人形などが展示されている。館長さんから丁寧な案内、説明をしていただき、お茶までご馳走になってしばし雑談した。旧道は御仲下改所(おすあいどころ)跡の先で県道22号と合流する。
青笹不動尊に寄り、仙台文学館前を過ぎ、青葉区から泉区に入ると旧道は日向坂の上りとなって県道沿いに左に上って行く。坂上を行くと仙台刑場跡で、薄笑いを浮かべているような地蔵の顔が不気味だ。地下鉄八乙女駅を過ぎ、七北田(ななきた)川を渡ると七北田宿だが宿場町を偲ばせるものは少ない。市名坂交差点を渡ると七北坂の上りとなり、両側の旧家が昔を感じさせる程度か。浄満寺の先の丁切根(ちょうぎね)の二股を左に入り下ると国道4号でしばらく単調な国道歩きとなる。
東北自動車道をくぐった先の交差点から旧道は右に入り大曲坂となって上って行くが、道沿いには何もないただの退屈な車道で疲れが増す。ただ国道4号と合流する手前の道を右に行くと金玉神社があるのが唯一の救い?か。国道に出て下るのがさるはな坂のようだ。富谷町に入ってすぐの大清水.石盥(せっかん)からは今も水がしたたり落ちていた。坂下から右の崖上に並ぶ新しい住宅を見ながら進むと、あけの平団地で旧道は右へ団地の中を行くようだが、新しい団地の中の道には何も残っていないようで、国道の左側の熊谷寺から日吉神社、薬師堂に寄ってから富谷宿へと向った。
一枚沖交差点から右に入り緩やかに上り、宿場の入口の小高い八雲神社に寄り、富谷宿へと入る。ここは本陣跡をはじめ、宿場の町並みがよく保存され見ごたえがある。目あての恋路の坂なんてのもあって疲れも忘れる。この坂の由来となったお二人さんも、後日調べてみるとなかなか面白い。ゆっくりと散策して、宿の北の出入り口の八雲神社を最後として、富谷学校前バス停から仙台駅行きに乗った。やっぱりバスは涼しくて早い。1時間ほどで仙台駅に着いた。でも料金は800円也、やっぱり歩きは安い。
【ルート地図】
*この先は『奥州街道(富谷宿→古川宿)』へ続く。
写真をクリックすると拡大します。
芭蕉の辻(仙台城の大手から東西に延びる大町通りが奥州街道と交差する辻) 【ルート地図】の1
道標(里程標):「北 津軽三厩迄 四十五次 百七里二十二丁 奥道中」・「南 江戸日本橋迄 六十九次 九十三里 奥州街道」
芭蕉の辻の由来は碑文によると 「①かってここに芭蕉樹があった。②繁華な場所ゆえの「場所の辻」の訛ったもの。 ③藩祖伊達政宗が重く用いた芭蕉という虚無僧が一時居住していたため。」などさまざまだが、松尾芭蕉の名は出でこない。芭蕉は「奥の細道」の旅で元禄2年(1689)5月4日(陽暦6月20日)に仙台に至り、この辻の北側の国分町の大崎庄左衛門方に泊まっている。
正式には「札の辻」で、この辻の西 大町3丁目の道路の中央に幕府の指令による忠孝・切支丹・捨馬などの制札が掲げられていた。
今は殺風景なビルの間の通りだ。まだ7時前で車、人の往来も少ないが。
右側の塔のような建物は七十七銀行で、後に精養軒、日本銀行仙台支店として利用されたが、昭和20年7月10日の仙台空襲で焼失。市電が走っている。
村境榎稲荷神社 《地図》
由緒碑によると、もとは荒巻村と小田原村の境にあったようだ。
元禄8年(1695)創業の仙台駄菓子の老舗
玄光庵は仙台七福神の寿老人
仙台藩祖伊達政宗を祀る明治7年に建てられた新しい神社。
北山五山(仙台城の鬼門を守る寺)の一つ。
通常は楕円形だそうだ。
支倉常長の墓(光明寺境内)
右はソテロ(慶長遣欧使節団の案内人の宣教師)の墓。光明寺も北山五山の一つ。
堤人形・松川ダルマ製作所 《地図》
現在は「堤町まちかど博物館・佐大ギャラリー」
このあたりは江戸時代の中頃から昭和20年代にかけて、焼物一色の街で、水がめ、どんぶりなどの生活用具や、堤人形で親しまれている土人形を作っていた。次第に周囲に住宅、団地が増え、黒煙を吹き出す登り窯は敬遠され、昭和40年代には堤焼の窯の火は消えた。
堤焼の水がめなどを、まちかど博物館の館長、佐藤達夫氏に案内、説明していただいた。
仙台藩が城下に持ち込まれる商品から税を取った番所。東の原町、西の八幡町、南の河原町とここ北の堤町に設置された。はっきりした場所が分かっているのはここだけという。建物は老朽化して危険なため平成13年に取り壊された。
仙台藩七北田刑場に引かれて行く囚人が青笹の生い茂る泉で末期の水を飲まされたという。
天保9年(1838)の作
このあたりは切通された道で両側には樹木が多い。往時は一面の青笹が茂っていたのだろう。
日向(ひなた?)坂(坂上方向) 県道22号の虹の丘入口交差点から県道沿いに北に上る。 【ルート地図】の6
読み方は「ひなた」か? 東側が開けて陽射しを受けているからか?
178年間で百姓、町人など5300~7000人もの刑を執行したという。中には無実や軽い罪で処刑された庶民も多くいたことだろう。南無・・・
左の地蔵は丸く肥った薄気味悪い顔のように感じる。
七夕の短冊にいろんな願い事が書かれている。
中央の馬櫪神(ばれきじん)とは「馬の守護神で両足で猿とセキレイを踏み、両手に剣を持った姿が描かれる。」というが、ここのは文字だけで、この後の道筋でもいくつか見かけたが全部文字だけの物だった。馬頭観音の神さまバージョンか。
市名坂(坂下方向) 南東に緩やかに下る泉ケ丘通り。《地図》
ここは七北田(ななきた)宿の下町で市が開かれていたのか。
だいぶ老朽化している。補修しているのだろうか?
ここにあった旧家の屋号で、宿場の出入口の木戸の役目とその鍵番をしていたらしい。
大曲坂 国道4号の大沢二丁目バス停近くの交差点から北に入り、曲がりながら北西方向に上る。【ルート地図】の9
今でも大きく曲がる坂ではあるが旧道の面影はないただの坂。
道沿いには何もない。北側にケーズ電気の大きな建物があるが。
金玉とは座頭の名で残念? 勾当の位とは盲人の官位で、検校→勾当→座頭の順。勾当台公園も盲目の狂歌師、花村勾当の屋敷があった所。
さるはな坂(坂下方向) 大曲坂から続いて富谷町へ下る国道4号。《地図》
右上はシンフォニータワー(富谷配水池)で展望台もある。
坂名の由来不明
新妻豊前という武士が、病気で倒れた家臣ののどを潤すために、持っていた槍の先で岩を掘ったところ冷水が湧き出たといわれている。富谷の茶とともにこの街道を行き交う人々から親しまれ、愛されてきたという。
弘法大師の杖で湧き出た泉は各地にあるが、武士の槍は珍しいか。
ひと風呂浴びて、生ビールでも飲みたいところだが、じっと我慢で通り過ぎる。
富谷宿の南の入口の高台
もとは現在地より東にあったが、元和6年(1620)に富谷宿が開設された時に宿場の入口に移設された。
宿場通りの面影が残っている。
富谷新町八景案内板
恋路の坂(中宿の通りから南に入り、緩やかに上る路地の坂) 【ルート地図】の15
大正時代のアララギ派の歌人、原阿佐緒とアインシュタインの弟子の物理学者、東北帝国大学教授石原純が恋の逢瀬をした坂という。
原阿佐緒は純粋、多感、美貌の抒情歌人で波乱に富んだ生涯を送った。『原阿佐緒記念館』のHPには阿佐緒の写真や石原純との「恋愛事件」の顛末などが載っている。東京の八王子市と町田市の境にも「恋路の坂」があるが悲恋の哀しい物語の坂。ここの坂の二人の恋路の行く末も、幸せとはならなかった。
享保20年(1735)の創業
地酒「鳳陽」の内ケ崎酒造店
右が本陣
天保14年(1843)創業の「佐忠」が、明治末期に呉服店として建てた土蔵を改修した。
明治天皇が東北巡幸の折、小休止したそうだ。
敷地面積3500㎡の回遊式庭園のある邸宅。
代官所の玄関前にあった樹齢200くらいの松。代官所は富谷小学校となり、今は中央公民館。
富谷宿の北側の入口の高台
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