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2009年9月26日 (土)

奥州街道(三戸宿→五戸宿)

2009年9月15日

Img_8283 本八戸駅(JR八戸線)→八戸駅(青い森鉄道)→三戸駅・・・住谷橋(馬渕川)・・・旧道・・・馬暦神社・唐馬の碑・・・処刑場(首切場)跡あたり・・・(国道4号)・・・府金坂・・・地獄沢土橋跡・・・稲荷神社・・・馬場坂・・・県道143号・・・小向橋(猿辺川)・・・若宮八幡宮・・・聖寿寺館跡(本三戸城跡)・・・南部霊屋(たまや)・三光寺・・・北沢川・・・県道233号・・・旧道・長坂・・・水道記念碑・・・庚申塔分岐・・・隧道分岐・・・嶺の薬師入口・・・牛立場坂・・・十和田山碑・・・高山峠(277m)・・・雨宮坂・・・水無坂・・・稲荷大明神・・・水梨清水・・・並木の松・・・佐野坂・・・新橋(浅水川)・・・県道233号・・・宝福寺・・・八幡宮・・・明治天皇休憩所跡・・・旧道・・・地蔵坂・・・庚申塔・二十三夜塔・・・十峰庵・・・鞍越(くらごし)坂(クラカケ坂)・・・鳥内清水・・・鳥内(とりない)坂(鳥谷内坂)・・・一里塚跡・・・明治天皇休憩所跡・・・御大典記念碑・・・ひよどり坂(旧街道の旧道)・・・国道4号・・・稲荷神社・五戸消防団屯所・・おんこ坂・・・江渡家住宅・・・高雲寺・・・専念寺・・・さ・くら屋旅館

 昨夜はかなりの雨が降って、今朝の空もどんよりしている。青い森鉄道は学生の貸切通学電車のようだ。女子学生が「今日の天気予報で雨、降るって言ってた。」 外を見ると窓ガラスに大粒の雨が流れている。雨中の街道歩きを覚悟して、三戸駅で雨具を着て出発するが、馬暦神社へ向う旧道に入る頃には雨は上がってくれた。このまま高山峠を越えるあたりまでは降らないでと願うばかりだ。

 天気はいまいちだが、今日は国道、県道歩きは少なく、坂も多いので気分がいい。府金坂を上り、馬場坂を下り、小向橋を渡って北へ、聖寿寺館の堀割跡という若宮八幡宮沿いの道を上って突当たりを左へ、聖寿寺館(本八戸城)跡、南部霊屋に寄る。戻って果樹園の中の農道を進み、県道233号に出てしばらく北方向に行き、右へ高山峠への旧道の長坂に入る。いくつかの分岐を過ぎると、だんだん足元の雑草が多くなって道筋もはっきりしない所もある。それよりも雨を被った雑草に膝まで濡れ、靴の中までびっしょりになったのには参った。

 牛立場坂、十和田山碑を過ぎると高山峠で、展望台で早い昼飯で小休止。曇っているが寒くなく、北方向にしか眺望はきかないがむろん我一人で静かだ。ここからすぐに雨宮坂、水無坂で、林道を浅水まで下って行く。水無坂に水梨清水があるものだと思い込んでいてあちこち探し、少し下ってまた引き返したが見当たらず、もう涸れてしまったのかとあきらめかけていたら、水無坂からだいぶ下った所にちゃんと水梨清水はあった。そんなに簡単に涸れてしまうはずがないよ。まったく。相変わらずいい加減な男だ。

 下りの途中の道標のない左右の分岐でどちらか迷い、左右両方の道を一周半も上り下りしてしまった。(左の道が旧道・ここがてっきり佐野坂と思い、坂標が立っているのを探したため。佐野坂はもっと下った所にあった。この間小1時間、大汗かきのくたびれ儲け、くたびれ損か。水梨清水はあきらめても、佐野坂はあきらめないのがせめてもの救いか、ただの「坂おたくか」だろうよ。) 

 林道から集落に出て、また道を間違えたがなんとか佐野坂(上の写真)にめぐり合い、下って浅水川を渡って県道233号に出ると、左手の小高い所に八幡宮がある。だいぶ時間もロスしたし、遥拝で済まそうかとも思ったが、ここは浅水城跡だし上ることにする。途中から子どもの歓声が聞こえ出した。何かのイベントがあるのか、上って正解、境内で南小学校の生徒が奉納相撲の大会の真っ最中だった。生徒や父兄の観客も多く、「物言い」がついたりしてなかなか本格的だ。しばし観戦していたが、まだ先が長いので二回戦の途中で失礼する。

 県道から北に入り、地蔵坂、鞍越坂を上って下ると鳥内清水で、うまい水でのどを潤し、鳥内坂の上りにかかる。明治天皇休憩所跡で小休止し、交差点に御大典記念碑のある槍沢へ向う道を突っ切り、五戸町の市街へ向う。この先、国道4号の二本柳橋を越えて進むのが旧道だが、橋の手前で左に、ひよどり坂を下るのが旧道の旧道だ。下って国道4号をくぐって進むと小社の先で「おかん坂」の途中に出る。稲荷神社に寄り、隣のモダンな造りの消防団の建物を見て、「おんこ坂」を上る。坂沿いの江渡家は「おんこ」の生垣に囲まれた風格満点に旧家だ。坂上から新町の交差点で旧道を横切り、さらに上って今夜の宿の「旅館さ・くら屋」に向った。いい旅館だった。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_8106 雨上がりの旧道を北に向う。

Img_8110 馬暦神社

唐馬の碑(中央)・紅梅号の碑(左)

紅梅号は日本の馬だろう。

Img_8108 唐馬の碑(馬頭観音)           

オランダ人が徳川吉宗に献上したペルシャ馬が南部藩に下付された。その春砂(はるしゃ)号を供養する馬頭観音(寛保3年(1743)の建立)。

「から花の陸奥に散る春砂哉」と「子の花や住谷に開く春の駒」の句、左側面に「異国春砂追善 鹿毛二白九歳長四尺九寸五分」と刻まれているそうだ。

千葉県流山市の「オランダ様の坂」にも、徳川吉宗から小金原の牧に送られたペルシャ馬28頭を供養する馬頭観音(元文2年(1737)建立)が祀られている。流山市の方が頭数も多く、馬頭観音の建立も少し古い。『流山市の坂-6』に記載。

Img_8107 説明板

Img_8118 江戸時代の処刑場(首切場)跡あたり(府金坂の手前)

畑の中に供養碑(文化8年)の供養碑がある(あった)というが、今は畑は無く、きれいなグループホーム「ひまわり」の建物になっている。このあたりが首切場だったのをご存知だろうか。知らぬが仏よ。

Img_8122 府金坂(坂上方向) 【ルート地図】の175

Img_8125 坂下方向

左は馬渕川と馬渕橋

Img_8126 坂上方向

Img_8127 地獄沢土橋跡

このあたりは三戸町と南部町の境で小さな沢が流れていた。地獄とは処刑場と関係がある名なのか?

Img_8131 稲荷社

今にも崩れ落ちそうな鳥居が並ぶ。社殿はどうなっているのか。

Img_8133 府金坂の坂上

何の「待合処」(跡)?

Img_8137 馬場坂を下る。(府金橋から続いて下る坂)

Img_8140 坂下方向

下って県道143号に突当たる。

Img_8141 下って県道143号に突当たり右へ。

正面に「天明飢饉の供養塔」 (天明4年(1784)建立)

Img_8144_2 小向橋(正面)を渡って左(北)に上る。直進(東)するのは 八戸街道で交差点には追分石(右者八戸道 左者五戸道)があった。今は南部町中央公民館に移されているそうだ。

Img_8147 北へ上る奥州街道

坂の途中の左に八幡宮がある。

Img_8168 聖寿寺館跡(本三戸城跡) 《地図

南部氏の居城で、ここから三戸城(三戸古城)→福岡城(九戸)→盛岡城(不来方)へと移って行く。

Img_8166 南部霊屋の覆堂

中に南部利康の霊屋(たまや)がある。

Img_8157 説明板

Img_8162 三光寺の大イチョウ

高さ約22m、周囲約9.5m、樹齢約800年という。

Img_8171 北に入る旧道。

Img_8175 農道となる。

Img_8179 下って小さな北沢川を渡って県道233号へ出る。

Img_8183 県道を500mほど上り、右へ高山峠越えの山道に入る。

Img_8184 長坂の長い上りが始まる。 

坂ではなく山道と思えばたいしたことはない。

Img_8186 このあたりは気分のいい道だが。【ルート地図】の181

Img_8189 左に水道記念碑

Img_8191 庚申塔分岐を左に行く。

どれが庚申塔なのか分からず。

Img_8195 だんだん下草が多くなって道が見えにくくなる。

Img_8196 前が開けてきた感じだ。

Img_8197 倒木が道を塞ぐ

Img_8202 隧道分岐

隧道は南部町と五戸町の境の県道233号のトンネル

Img_8289 案内図①(浅水の集落入口に掲示されている。)

(左から)牛立場坂~十和田山碑~高山峠・駕篭立場~雨宮坂水無坂

Img_8290 案内図②

水無坂~並木の松~佐野坂地蔵坂

Img_8291 案内図③

地蔵坂~クラコシ(鞍越)坂~鳥内坂~御大典記念碑

Img_8206 嶺の薬師(少彦名神社)入口

道はあるのか、草で覆われているのか?

Img_8207 牛立場坂あたりだろう。

荷を背負った牛がここいらで一休みしたのか?

Img_8208 十和田山碑の木柱

Img_8209 十和田山碑(嘉永6年(1853)造立)

木柱がなければ気がつかないかも。

Img_8212 駕篭立場へ一息

Img_8217 明治天皇御駐蹕所(ごちゅうひつしょ)記念碑

Img_8216 東北御巡幸記

明治天皇に随行した新聞記者の岸田吟香のもの。

説明書に、「安達の婆の伝説」・「逆さ栗」・「出刃洗い場の滝」が載る。

Img_8215 高山峠の駕篭立場の展望台

Img_8218 八甲田方向

Img_8222 雨宮坂あたり

Img_8223 水無坂を下る。

Img_8224【坂標】

Img_8226 「安達ケ原の鬼ババ伝説」

ここから南東方向が伝説の地で、水田の中に根姥大明神の祠があり、落差10mの「出刃洗いの滝」、安達の婆が刺した杖が根づいたという「逆さ栗」(しだれ栗)があるらしい。

「安達の鬼婆伝説」は、主君の病気を直すため、自分の娘を殺し生肝を献上したという女の話。 福島県二本松の「安達ケ原の鬼婆伝説」に似ている。類似の鬼婆の伝承は日本各地に伝わっているという。

Img_8228 下りの気分のいい道

Img_8235 稲荷の小祠

Img_8237 水梨清水。

Img_8238 冷たいうまい水だった。

Img_8245 林間コースを行く。

Img_8266 工事中の道になる。これが奥州街道

Img_8263 並木の松

Img_8275 開けた所に出る。

Img_8276 「おんこ」の生垣か?

Img_8279 佐野坂を下る。【ルート地図】の184

佐野はこのあたりの地名。

Img_8282【坂標】

Img_8281 きれいにカーブして浅水川へ

Img_8287 佐野坂を下って、浅水川を渡り高山峠方向を振り返る。

Img_8298 宝福寺

Img_8299 説明板

Img_8303 八幡宮(浅水城跡)の丘

浅水城は南部一族の南氏の居城。戦国期の一族内紛の時、南氏は南部信直に属したため、南部晴政の攻撃を受けた。九戸政実の乱では九戸方の櫛引氏の攻撃を受けたが南盛義はこれを撃退し、さらに櫛引城を攻めようとしたが、法師岡の合戦で激戦の末討死した。

Img_8313 八幡宮

Img_8309 由緒

Img_8310 社殿の前で南小学校の生徒の奉納相撲

Img_8317 県道から北へ地蔵坂の上りとなる。

Img_8318 地蔵坂(坂上方向) 【ルート地図】の187

地蔵さんは見当たらなかったが。

Img_8319【坂標】

Img_8320 細い道となる。

Img_8323 青面金剛像(宝暦14年(1764))・二十三夜塔(安政4年(1857))

Img_8328 右側が開けてくる。

Img_8333 十峰庵

秋には積もった落葉を南小学校の生徒が清掃するそうだ。

Img_8334 奥州街道の案内板

Img_8338 八幡宮で相撲を取っていた南小学校が街道の右下に。

Img_8339 鞍越坂(クラカケ坂ともいう) 地蔵坂から続いて、上って下る坂。

鞍へ上って越して、下る坂。

Img_8345【坂標】

Img_8343 下りとなる。

Img_8349 鳥内(とりない)清水(右下)

Img_8350標識

Img_8351 細いが絶えずきれいな清水が流れている。ここでも一杯飲む。

Img_8352 鳥内坂へ向う奥州街道

Img_8353 鳥内坂(鳥谷内坂ともいう)

Img_8356【坂標】

Img_8359 坂上方向

Img_8373 明治天皇小休所跡(右側)

Img_8374 明治天皇小休所跡

ここであたしも小休止、小・・・。それは不敬罪かも?

Img_8376 説明板

Img_8378 松の先の槍沢への道の交差点に御大典記念碑

Img_8380 御大典記念碑

表に「御大典記念 右槍沢」 裏に「昭和三年十一月廿日 槍沢部落一同」

Img_8382 国道4号の二本柳橋へ

Img_8383_2 ひよどり坂(坂下方向) 【ルート地図】の192

二本柳橋の手前で左に入る。奥州街道の旧道の旧道。坂名の由来が分からず。

Img_8384 ひよどり坂(坂下方向)

Img_8385 坂下方向

Img_8389 国道4号をくぐって上る。

Img_8398 稲荷神社

旧郷社で、享保18年(1733)に京都の伏見稲荷を勧請し、天明8年(1788)正一位を授与されたという。

お狐さんの前に猿顔の狛犬が鎮座する。

Img_8399 五戸消防団屯所(稲荷神社の隣り)

教会風の建物だ。

Img_8396 説明板

Img_8394 おんこ坂(坂上方向) 北東に上る坂。 《地図

「おんこ」はイチイ科の常緑針葉樹で、五戸の町の木。当地方の生垣によく用いられている。

Img_8401 後ろは江渡家住宅の「おんこ」の生垣

Img_8404 坂上方向

左に高雲寺、右に専念寺

Img_8420 坂下方向

Img_8412 江渡家の表門

Img_8406 江渡家住宅 《地図

現在も居住している旧家。

Img_8405 説明板

Img_8424旅館さ・くら屋 【ル-ト地図】の193

「さくら」は、五戸名物の馬肉の「さくら」と「桜」、間の「・」ここらで一休みの点。

この旅館は安いし、料理もうまい。お薦めの宿だ。

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