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2009年10月 3日 (土)

中山道(浦和宿→大宮宿→上尾宿)

2009年9月28日

JR浦和駅・・・旧中山道(県道64号)・・・成就院・・・(新浦和橋)・・・浦和橋(JR京浜東北線)・笹岡稲荷・・・浦和宿石橋跡・供養仏(国道17号常盤9交差点)・・・(JR京浜東北線)・・・薬師堂・・・(北浦和駅)・・・廓信寺・・・針ケ谷陣屋跡あたり・・・旧中山道(県道164号)・庚申塔・・・一本杉仇討ち跡・・・半里塚跡(大ケヤキ・与野駅東口交差点)・・・ケヤキ並木・・・お女郎地蔵・火の玉不動・高台橋・下原刑場跡あたり・・・(さいたま新都心駅)・・・氷川神社一の鳥居・・・塩地蔵・子育地蔵・・・涙橋跡・・・大宮宿紀州鷹場本陣北沢家跡(高島屋)・・・大栄橋交差点・・・東光寺・・・氷川神社表参道・・・天満神社・・・氷川神社・宗像神社・・・多子稲荷・・・四恩寺・・・(東武野田線北大宮駅)・・・旧中山道・・・大山道道標・・・八百姫大明神・・・石上神社・・・馬頭観音・三界万霊塔・・・東大成の庚申塔・・・(東北・上越新幹線)・・・(宮原駅)・・・天神社・天神橋跡・・・加茂神社・・・(国道17号)・・・宮原小学校のセンダン(栴檀)の木・・・南方神社・・・庚申塔・・・上尾陸橋・・・愛宕神社・・・上尾宿脇本陣井上家・本陣林家跡・・・氷川鍬神社・・・上尾駅(JR高崎線)

 中山道を浦和宿から上尾宿まで、埼玉県の中心部で昔の街道風情など望むべくもないが、街道沿いを右へ左へ見所も多く、坂のない坂道散歩を楽しんだ。

  【ルート地図

   写真をクリックすると拡大します。

Img_9247 笹岡稲荷(浦和橋の手前から・下はJR京浜東北線)

榎の大木(鳥居の左側か)は浦和の一里塚にあった榎を移植したものか、その子孫という。「浦和の一里塚」は昭和初期までは、浦和橋より少し南のにあり、街道の両端の五間四方の塚に榎木が植えられていた。浦和橋を架ける際、取り払われ跡形もないようだ。

Img_9249笹岡稲荷神社

Img_9253 浦和宿石橋跡・供養仏 【ルート地図】の①

浦和橋の南側で中山道から分岐し、浦和宿から与野に通じる与野道で、この付近に宝暦12年(1762)に道普請で悪水を渡る石橋が架けられた。石橋は大正末期の悪水埋立てにより、取り払われた。

Img_9251 「道普請供養仏」

左側面に「是よ里 与の川越道」とあり道標を兼ねていた。

Img_9250 説明板

Img_9254 元町薬師堂

Img_9258 庚申塔(廓信寺境内角)

もとは中山道の北浦和東口交差点にあったもの。右は明和2年(1765)、左は元分3年(1738)の造立。

Img_9257 移設碑

Img_9267 廓信寺仁王門

「一本杉の仇討ち」(後述)で討たれた元丸亀藩・河西祐之助の墓がある。

カヤの木」は市の天然記念物。

Img_9259 阿弥陀像

Img_9264 元亨の板石塔婆

元亨4年(1324)の銘があるという。

Img_9260 説明板

Img_9268 針ケ谷陣屋跡あたり(針ケ谷1丁目)

岩槻城主高力清長の浦和領1万石の代官で、廓信寺を開いた中村弥右衛門吉照の陣屋がこのあたりにあった。

Img_9275 庚申塔(大原陸橋東交差点南側脇)

正徳4年(1714)の造立

Img_9279 「一本杉の仇討ち」跡(正面に「一本杉」と彫られた小さな石柱が立つ。) 【ルート地図】の② 

文久4年(1864)1月23日の朝に、水戸藩家臣・宮本鹿太郎とその後見人3名が、千葉周作門下の元讃岐丸亀藩の浪人河西祐之助を父の仇として討ち、4年越しの本懐を遂げたという仇討ちの現場。 河西は乗り合わせた舟中で宮本の父と口論となり、その命を奪ってしまい、その後、僧となるために江戸へ下る途中であった。 河西を哀れんだ村人が供養塔を建てたが、今はそれも失われ、「一本杉」と刻まれた石柱と小さな杉の木?が残るのみ。

Img_9281 大ケヤキ(与野駅東口交差点)

樹齢300年以上で、浦和宿と大宮宿の間の半里塚の役目を果たしてきた。
2010年5月19日に倒木の危険があるとして、伐採されてしまった。

*与野駅の改札口前に大ケヤキの幹の輪切りが保存され、西口広場には後継樹が植えられている。

Img_2287大ケヤキの幹の輪切り

Img_2285後継樹

大ケヤキの種から育てたものだそうだ。『朝日新聞の記事

Img_9286 さいたま新都心を行く中山道

旧道の面影は皆無。

Img_9289 ケヤキ並木

このケヤキは昭和42年の埼玉国体の際に植えられたもの。

Img_9291お女郎地蔵と火の玉不動(高台橋の手前) 【ルート地図】の③

面白い由来話があるが近くに下原刑場があり、処刑者供養のために建立されたものか。

Img_9292「火の玉不動」(左)は寛政12年(1800)、「お女郎地蔵」は天保6年(1835)の建立。由来話がつながっているのが面白い。かなり風化しているが火の玉不動はちゃんと剣を持っているようだ。

Img_9297 由来話①

Img_9295 由来話②

Img_9299 高台橋説明板

お女郎地蔵、火の玉不動ゆかりの橋だが、今は用水が暗渠になっていて橋とは気づかずに通り過ぎてしまう。

Img_9305 氷川神社表参道の一の鳥居 《地図

社殿までは2kmほどある。ここが元の中山道だった。街道が神域を通るのは不敬とのことで、寛永5年(1628)に関東郡代伊奈忠次により現在の中山道がつくられ、その両側に宿民を移転させて大宮宿をつくったという。

Img_9306 「武蔵国一宮」の石柱が立つ。

Img_9309 塩地蔵(左)・子育地蔵(右) 《地図

Img_9312 塩地蔵

この地蔵さんの親孝行娘二人の由来話はハッピーエンドとなっている。塩が供えられている。

Img_9310_2 由来話

Img_9314 子育地蔵

Img_9316ご利益があればどこにでも、賽銭でも塩でも置くのが日本人か。

Img_9318 ここは大宮駅近くの目抜き通り、よく持ちこたえて頑張っているよ。

Img_9319 旧家

Img_9320 紀州鷹場本陣北沢家跡(向いの高島屋の所)

高島屋の屋上に北沢稲荷、向い側のすずらん通りに内倉本陣跡が残っているようだ。

Img_9321東光寺

もと大宮黒塚にあり、平安末期、京都鞍馬寺の東光坊宥慶が黒塚の鬼婆を法力で退散させ、鬼婆に殺された人々を葬る為に、この地に庵を結んだと伝える。黒塚は福島県二本松の「安達ケ原の鬼婆」伝説地で、登場する僧も「東光坊祐慶」とそっくり。地名が同じなので寺伝に鬼婆伝説を加えたのだろう。

Img_9322 境内の地蔵さん

鬼婆よりもずっと親しみがわく顔だ。

Img_9326氷川神社表参道

お宮参りの家族、外人の参拝者、散歩、ジョギングを楽しむ人などが行き交っている。

Img_9329 由緒

Img_9331 楼門

Img_9332 舞殿から拝殿

Img_9340 多子稲荷大明神

祭神は倉稲魂命

Img_9343 四恩寺

閻魔堂は「お女郎地蔵」に登場した大泥棒の神道徳次郎(真刀徳次郎)の隠れ家だったとか。徳次郎を捕まえたのが「鬼平」こと長谷川平蔵で、処刑されたのが高台橋近くの下原刑場という。

Img_9346 安政7年(1860)の道標 《地図

隣り(北側の赤柴魚店)の間に古道が通じていた。

Img_9345_2説明板

Img_9347 大山、御獄山と昔の人は健脚だった。

Img_9350 八百姫大明神 【ルート地図】の④

人肉を食べて800歳まで生きたという八百比丘尼がここにしばらく滞在し、松を植えたという。

これじゃ犬小屋と間違えそうだ。

Img_9351 若い人形は八百比丘尼の生まれ変わりか。

Img_9352 石上神社

疱瘡の神で、戦前までは露店が出るほどの賑わいだったという。

Img_9353 説明板

Img_9357 右側手前に馬頭観音、その先に三界万霊塔 《地図

道標と道中安全祈願、道中での死んだ旅人、牛馬の供養塔を兼ねていただろう。

Img_9355 馬頭観音(天保3年(1832)造立)

「此方 せいふ(菖蒲)四り半 きさい(騎西)五り半」とあり、菖蒲、騎西方面への道標を兼ねていた。

Img_9359 三界万霊塔(安永6年(1777)の造立)

「右 原市道」

Img_9363 東大成の庚申塔(猿田彦の小祠) 《地図

道の神、旅人の神で、道祖神とも同一視される猿田彦と庚申信仰が一緒になったのか。

Img_9365 庚申塔(元禄10年(1697)建立)

地元では耳と眼の神様。22名の女性の名が刻まれているという。

Img_9364 説明板

Img_9367 天神社(バス停「天神橋」の所)

ここには川が流れ(今は暗渠)、天神橋と呼ぶ石橋があった。立場茶屋が置かれ、「天神橋の立場」と呼ばれていた。 茶屋は島屋と福島屋の2軒が有名で、特に島屋は参勤交代時の加賀前田家の休憩所に使われた。

Img_9374 加茂神社

京都の上賀茂神社を勧請したと伝える旧加茂宮村の鎮守。

Img_9371 由緒

Img_9377宮原小学校のセンダン(栴檀)

開校(明治6年)当時の教師が郷里の高知から苗を持ってきて植えた木。樹齢は130年くらいか、それより開校から今年で136年の方がすごいよ。校歌にもこのセンダンが歌い込まれている。生徒全員「栴檀は双葉より芳し」だろうよ。

Img_9376 説明板

Img_9378 南方神社

吉野村の鎮守で、地元では「お諏訪さま」の名で親しまれている。

Img_9380 こじんまりした社殿

境内は広く子どもの遊び場になっている。

Img_9385 魂霊社?

Img_9384 堂内

何の神像?

Img_9387 庚申塔(寛政12年(1800))

上尾市に入った所

Img_9390 旧家

Img_9396 愛宕神社

南角に庚申塔(享保7年(1722))がある。

Img_9399 旧家

Img_9406 上尾宿脇本陣井上家

屋根瓦を塀に使っているようだ。

上尾宿には本陣が1軒、脇本陣が3軒あった。

Img_9401 氷川鍬神社 【ルート地図】の⑤

Img_9400 由緒

Img_9403 ニ賢堂(じけんどう)跡(氷川鍬神社境内)

南宋の朱子と菅原道真から名づけられた「郷学」の学舎跡

Img_9402 ニ賢堂説明板

Img_9404 神社の前の上尾宿本陣林家跡はコンビニなどのビルになっていて跡形もない。

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