中山道(中津川宿→大井宿)
2009年10月11日
中津川駅(JR中央線)・・・旧中山道・・・茶屋坂・・・中津川宿・・・四ツ目川橋・・・中津川橋・・・石屋坂・・・駒場村の高札場跡・・・東山道道標・・・米田川石柱・・・中山道道標・・・上宿橋(前川)・・・小手ノ木坂・東山道坂本駅あたり・双頭一身道祖神・・上宿(中津)の一里塚跡・・・中山道上宿休憩所・・・会所沢の石仏群・・・小石塚の立場跡・嵐讃岐供養塔・・国道257号・19号合流点・・・六地蔵川・六地蔵石憧・・・坂本八幡宮参道・千旦林学校跡・・・千旦林村の高札場跡・・・東巣橋・・東巣橋馬頭観音・・・弘法大師堂・・・中平神明社・・・将監塚・・・三ツ家の一里塚跡・・・馬頭観音・・・馬の水飲み池・・・坂本立場跡・坂本坂・・・坂本橋(坂本川)・・・坂本観音堂・・・尾州白木改番所跡・・・茄子川小休止所篠原家(茶屋本陣)・秋葉道常夜灯・・・石拾坂・茶屋跡・茄子川焼跡・・・中山道碑・・・(恵那市)・広久手坂・馬頭観音・・・岡瀬澤の永代燈・・・筋違橋(濁川)・・・庚申塔・・・甚平坂・馬塚・犬塚・甚平坂公園・根津神社・・・関戸一里塚跡・・・正善寺前・県道401号・・石塔坂・長石塔・・・寺坂・(中央自動車道)・菅原神社・旧道・・・上宿石仏群(痰切地蔵・徳本碑)・・・山本用水・・・(明智鉄道線)・・・南無阿弥陀仏の碑・・・五妙坂・大井宿・高札場跡・・・上横橋・・・延寿院(横薬師)・・・大井宿本陣跡・・・市神神社・・・白木番所跡・・・阿木川(大井橋)・・・恵那プラザホテル
熊谷宿から37の宿場を中抜きして、中津川宿から美濃の中山道を歩く。なぜか、坂が多いからだけの話。名古屋から中央線に乗り換え、ちょうど昼頃に中津川駅に着く。快晴で気持ちのいい日だ。茶屋坂を下って新町交差点を渡ると、古い造りの店の中に人だかりができている。日曜で中山道歩きの人たちかと思いきや、「すや」で栗きんとんを買う客たちだった。そういえば駅前には、「栗きんとん発祥の地」碑が立っていたっけ。
四ツ目川を渡り中津川宿の中心部に入る。中山道歴史資料館に寄ってみたが、310円の入場料の割には展示の内容は物足りなく感じた。古い家並みの残る宿を抜け、中津川を渡り、名号碑や馬頭観音が並ぶ石屋坂を上る。高札場や道標を見ながら上宿橋を渡ると小手ノ木坂の上りとなる。坂上の石造物群の中に、双頭一身道祖神がある。双体は珍しくないが、双頭を見るのは初めてだ。すぐ先の小公園が上宿一里塚跡で子どもの遊び場になっている。
1kmほど行くと左に小石塚の立場跡と右に嵐讃岐の供養塔がある。そのすぐ先の国道257号と19号の合流点を抜け、六地蔵石憧が立つ集落の間の静かな道を進み、坂本八幡宮の参道の先で左に旧道へ入る。陽射しを正面方向から浴びで半袖でも暑いくらいだ。坂本立場跡からちょっといい雰囲気の坂本坂を下る。(上の写真) 茶屋本陣の篠原家を過ぎて石拾坂を上ると、中山道の碑が立つ先で広久手坂となり恵那市に入る。筋違(すじかい)橋を渡り、根津甚平ゆかりの甚平坂を上る。坂上に小さな根津神社があり、ここからは大井宿へと下って行く。
石塔坂を下り途中で県道から離れ、菅原神社の前の石段坂の寺坂を下り、明智鉄道のガードをくぐって五妙坂を下ると横薬師の延寿院に出る。ここを左へ曲がると本陣跡で、大井宿の中心部へ入って行く。古い家並みの間を枡形を右へ左へ進み、広重の中山道の絵の掛かる大井橋の所で今日の終点とした。
【ルート地図】
写真をクリックすると拡大します。
高札場、常夜灯、庚申塔、二十三夜塔、成田不動尊の小祠が並ぶ。
左から右へカーブして旭ケ丘公園の方へ上って行く。中津川宿へは淀川町へと下る。
栗きんとんの「すや」
もとは元禄年間に江戸から下ってきた武士が始めた酢の店、「十八屋」だったそうだ。9月から2月の限定販売。
従来の土蔵づくりと明治以来のコンクリ-ト工法が混在した珍しい建物。大正3年の建築。
間家は尾張徳川家の御用商人で、白木、白木製品、塩の販売で当時東濃随一の豪商といわれた。
小休憩所になっている。
左奥は恵那山(2189m)だろう。
ここあたりが中津川宿の中心部
中山道歴史資料館(本陣跡向い側)
ここは脇本陣森家跡
建物は残らず駐車場になっている。
奥の「上段の間」が「明治天皇行在所跡」だろう。
現在は曽我家住宅
隣りは栗きんとんの「川上屋」。柿の美きんとんもある。店の右脇に「右 木曽路」の道標が立っている。
屋根に卯建(うだつ)が上がる商家。
ここは中津川宿の西口の下町で、中津川を渡り宿を抜けて行く。
歌川広重の『中津川の情景)』
石屋坂(正面左へ上る)・右は津島神社参道(駒場(こまんば)道)
正面に「津島神社参道」の石柱が立つ。
右に名号碑と馬頭観音(3)が並んでいる。
東山道は古代、近江と陸奥を結ぶ官道で、駅は四里ごとに置かれる官用の人馬の継ぎ立て場。東山道は土岐駅から大井駅を経て坂本駅に入り、神坂峠を越えて信州阿智駅へ向った。
小手ノ木(こでのき)坂 《地図》
正面の石段、左から回り込む未舗装の道、右にも車道あり。
苗木道は苗木城跡へ通ずる道
右肩に「是より苗木道」とある。もとは苗木道との分岐に置かれていたのだろう。
塚上には、「中津一里塚址」の石柱が立っている。
四国遍路道の「お遍路休憩所」を思い出させる。
小石塚の立場跡 《地図》
この先で国道257号が国道19号に合流する。
坂本八幡宮参道 《地図》
千旦林学校跡(左)
旧道に戻ったらズボンに何かの植物のとげのような種子?がビッシリ刺さって取るのに一苦労した。
写真は中津川宿方向
地元や中山道の往来人の信仰が篤かった延享2年(1745)建立の馬頭観音が祀られている。
「坂本坂」が載っている。
遠州秋葉道の分岐点
いしひろい坂?・せきじゅう坂?
左に馬頭観音と地蔵
「是より大井」とある。
広久手坂 《地図》
「くて」とは湿地帯のこと。大井宿→大湫(おおくて)宿→細久手宿と続く。
右に馬頭観音
源頼朝の家臣、根津甚平に由来する坂で、①子授け「妊(はらみ)観音 ②「八重羽のきじ」退治伝説がある。
ここには子授けの「妊(はらみ)観音」(長国寺)伝説が記載されている。
根津甚平の「八重羽のきじ」退治伝説で、馬と鷹と犬を供に、化け鳥のきじを追いつめたが犬と馬は力つき倒れた。その後、甚平と鷹はどうなったのか、桃太郎の鬼退治ようにめでたく、きじ退治とはならなかったようで、伝説、昔話としては変わっている結末だ。怪鳥のきじは今も飛び続けているのかも。
右は甚平坂公園
左に根津神社
右が関戸宝篋印塔で、根津甚平の墓、供養塔という。
「八重羽のきじ」伝説が記載されている。ここでは鷹も倒れたと書かれている。馬は出てこない。
長国寺の住職が建てた平和祈願の石柱
石塔坂(県道401) 《地図》
正善寺前を下る県道401号。
菅原神社前から下る旧道の石段坂。
上宿の8人の女講中が建てたもの。
痰切(たんきり)地蔵や徳本の碑などが並ぶ。
寺坂から続いて大井宿の中心部へ下る坂。
大井宿高札場(左)
大井宿本陣跡 《地図》
屋号が「菱屋」だった。
奥に本陣・右が中山道ひし屋資料館
もとは本陣の脇門で、明治になって庄屋の古屋家に移された。
戦争で八十八ヵ所は未完成とは・・・。
欄干に広重の中山道の絵が掛けられている。
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