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2009年11月17日 (火)

日光街道(越谷宿→粕壁宿)

2009年11月16日

南越谷駅(JR武蔵野線)・・・国道4号・・・照蓮院・・・旧道・・・八幡神社・・・有瀧家住宅(タブの木の家)・・浅間神社・・塗師屋・鍛冶忠商店・市神社・・・大沢橋(元荒川)・・・越ケ谷御殿跡・・建長元年の板碑・稲荷社・・・宮前橋(元荒川)・・・久伊豆(ひさいず)神社・天嶽寺・・・地蔵堂・地蔵橋(葛西用水路)・・・(古峰神社?)・・・大沢1交差点(県道3号)・・・旧道・・・照光院・・・香取神社・・・北越谷第5公園・・・宮内庁埼玉鴨場・・・大林寺・・・東武伊勢崎線踏切・・・阿弥陀堂・・・(国道4号)・・・下間久里香取神社・・・国道4号(陸橋入口交差点)・・・戸井橋(新方川)・・・大枝香取神社・歓喜院(武里観音)・・・武里駅入口交差点・会之堀川・・・女帝神社・・・雷電神社(建御雷神社)・・・称名寺・・・備後一里塚跡碑・・・善巧寺・・・藤塚橋(大落古利根川)・・・(東武野田線)・・・東町大下稲荷社・・・八坂神社・・・一宮交差点・・・東八幡神社・・・東陽寺・・・かすかべ大通り・・・源徳寺・・・郷土資料館・・・本陣脇・本陣跡あたり(ロビンソンデパート前)・・・田村家・・・粕壁宿説明板・・・永嶋商店・・・(寺町)・普門院・最勝院・・・妙楽院・・・玉蔵院・・・春日部駅(東武伊勢崎線)

 時々陽が射す曇り空の下、風がなく暑くも寒くもなく歩くのには手頃の日だ。照蓮院から左に旧道に入ると宿場風情の家並みが残っているが、越谷宿の案内板、説明板などはない。市神社の先、大沢橋の手前から街道からはずれ越谷御殿から宮前橋を渡り、長い参道の久伊豆神社、隣りの天嶽寺に寄り、地蔵橋から旧日光街道に戻る。旧道といっても車の往来が多く、歩道も分離していない歩きにくい道だ。

 下間久里香取神社の先で国道4号に出る。ちゃんと歩道はついているが単調な車道歩きが続き飽きてきて街道から離れ、武里駅入口交差点から会之堀川を渡り東に入り、女帝神社、雷電神社、称名寺へと国道の東側を歩く。国道に戻り、見落としそうになった備後一里塚を過ぎ、右に入り藤塚橋で古利根川を眺め、一宮交差点先の東八幡神社と向いの芭蕉ゆかりの寺、東陽寺に寄る。芭蕉は1日で千住からここまで来たのだ。昔の人の健脚ぶりには脱帽だ。

 旧日光街道は一宮交差点から西(左)に曲がって「かすかべ大通り」の粕壁宿に入って行く。本陣や脇本陣などは跡形もないが、古くからの商家に宿場の面影が感じられる。街道は寺町の手前で右に曲がり新町橋を渡るが、直進して春日部の名にちなむ墓のある最勝寺など寺町をざっと回って春日部駅に向った。

  【ルート地図

   写真をクリックすると拡大します。

Img_0677照蓮院

武田勝頼の遺児、千徳丸の供養塔がある。

Img_0679 説明板

Img_0684 行徳屋建築店(右)・白屋旅館(左)

このあたりから古い商家の家並みや旧家が残っていて宿場の面影を感じさせるが、説明板、案内板などは見当たらない。越谷市は日光街道、越谷宿には無関心のようだ。

Img_0688 横田診療所のレトロな建物。

Img_0691 有瀧家の黒板塀 《地図

「タブの木の家」と標示されている。この道は赤山街道で赤山陣屋(城址・川口市赤山)から北東に進み、この先は久伊豆神社脇を通り、県道越谷野田線に出て、新方橋、古利根川を渡り、松伏町の大川戸の杉浦陣屋跡へと続いている。

Img_0697 タブの木は樹齢400年以上。

Img_0694 説明板

Img_0708 浅間神社 《地図

ケヤキ、懸仏(かなえぼとけ)(富士山と大日如来を型取った円形銅板の仏)は越谷市の有形文化財

Img_0710 塗師屋

小泉市右衛門宅。漆を扱っていた店で屋号を塗師屋。かつては呉服店だったが、 今は閉店している。

Img_0711 鍛冶忠商店

ここは開業している。

Img_0714 旧家

Img_0716 金田金物店

Img_0718 市神社

越谷宿は元荒川、古利根川多くの用水に囲まれた湿地帯で、農産品よりも工芸品の達磨、雛人形、桐たんす作りで発展した。 宿の街道沿いには六斎市が立ち賑わっていたのだろう。

Img_0726 越ケ谷御殿跡 【ルート地図】の①

家康の時に建てられ、秀忠も鷹狩の際に立ち寄った御殿。明暦の大火で全焼した江戸城の再築のため、御殿は解体され資材として運ばれてしまった。

Img_0727 説明板

Img_0724 御殿跡前の元荒川

近世以前の荒川は利根川の支流で、寛永6年(1629)の荒川の瀬替えによって、荒川が入間川に付け替えられるまでは、元荒川は荒川の本流だった。このあたりは『葛西用水⑥』でも歩いている。

Img_0729 建長元年(1249)の板碑

「弥陀一仏」の種子(梵字)が彫られた越谷市内で最大、最古の板碑。

Img_0730_2 説明板

Img_0734 久伊豆(ひさいず)神社参道

「くいず」と読んで、クイズ番組参加者の信奉があるとか。

Img_0744 出店はたたまれず残っているが参拝者はまばら。(散歩人は多い。)昨日は七五三で賑やかだったか。

鷹狩りの時に徳川将軍家が参拝したという。社紋「立葵」はその際に将軍家より奉納されたと伝える。

Img_3343 説明板

Img_0749 庚申塔道標(寛政12年(1800)の建立・久伊豆神社参道左側)

「はしの方江戸 川かみかすかべ みや乃方さしま 川志も二がう半」

Img_3346 敷石建立供養塔道標(寛政9年(1797)建立) 参道の右側。前の庚申塔道標の斜め前。

右側面に「是より野田道」

Img_3348 足を縛られた狛犬。対のもう一匹も縛られている。

狛犬の足を結ぶ「足止め」をすると、家出をしたり悪所通いをする者が家に必ず帰ってくるという。

Img_0738 庚申塚(久伊豆神社参道入口と天嶽寺参道入口の間)

延宝元年(1673)の文字庚申塔や元禄8年(1695)の青面金剛庚申塔がある。

Img_0739 天嶽寺参道側にも道標を兼ねた猿田彦大神塔(左端)や六十六部供養塔(右端)が並ぶ。

Img_0740 猿田彦大神(文化4年(1807)建立)

正面下にに「南こしがや 北のじま いわつき」、右側面に「東志めきり まくり かすかべ」

Img_0741 六十六部供養塔(宝暦8年(1811)の建立)の台座

「かハしもニがう半 川かみかすかべ」 ニがう(郷)半は今の吉川市、三郷市のこと。

Img_0735 天嶽寺総門

開山は太田道灌の伯父の源照。後北条氏の城砦だったこともあったという。

Img_0736 説明板

Img_0753_2 山門

二階建てだが鐘楼門ではないようだ。鐘楼は右に。

Img_0760 地蔵堂(地蔵橋脇) 【ルート地図】の②

Img_0757 扉の前に貼ってある紙の一部。

由来が書いてあると思ったがそうではない。地蔵堂を建てた人たちの中の一人が書いたもののようだ。

「昔、地蔵にゆかりのある子孫が石仏の下に宝物を埋めたら雲か霞のように消え失せた。・・・」とある。そりゃあそうだろうよ。

Img_0759 堂内の地蔵

右奥に貼ってある紙には、「・・・元文2年(1737)の建立で安産、子育の地蔵・・・」と書かれているようだが、はっきり見えず。中央の板碑のような石板に浮彫りされた地蔵のことをいうのだろうか。

Img_0766 香取神社 《地図

Img_0768 由緒

Img_0769 力石・安産の石

Img_0774 宮内庁埼玉鴨場

下々の者は寄せ付けない、市民とは隔絶された空間への冷たい門だ。鴨猟は行っているが、捕った鴨は食べずに放鳥しているというが・・・・。

Img_0777 庚申塔(宝永7年(1710)の銘) 東武線の踏切手前

ここのはちゃんと屋根付の祠内だが。

Img_0781 踏切を渡った左側にいくつもの石仏、庚申塔などまとめられている。というより捨てられているという方が当たっているか。

Img_0787 下間久里香取神社 《地図

例大祭に奉納される獅子舞は埼玉県の無形民俗文化財。

Img_0786 説明板

Img_0793 大枝香取神社 【ルート地図】の③

Img_0795 由緒略記

Img_0798 歓喜院(武里観音) 大枝香取神社の隣り

Img_0800 庚申塔・地蔵の祠(女帝神社への途中)

左は「石橋建・・・」?

Img_0807 女帝神社

往古から平方南の里神社として祀られてきた神社という。

Img_0809 雷電神社(建御雷神社)

Img_0810 左に地蔵の石祠

雷電神社から称名寺への道。日光街道(国道4号)の東側の道。祠内には石造地蔵が2体。

Img_0822 備後一里塚跡碑(備後北交差点のそば) 【ルート地図】の④

日本橋から8つ目の一里塚。ぽつんと立っていてうっかりして通り過ぎそうになった。

弘法大師が備後国(広島県)に安置した観音像が関東に移る際に行方不明になった。それがこのあたりで見つかったのが地名の由来という。観音像は今は勝林寺にあるそうだ。

Img_0826大落古利根川葛西用水・藤塚橋から) 《地図

江戸時代初期の利根川東遷事業で利根川が東京湾から太平洋に注ぐ河川に付け替えられる以前の利根川の流路。。「大落」(おおおとし)とは農業排水を落とすとの意。

Img_0836東八幡神社参道

Img_0846 拝殿

境内には「松の樹稲荷大明神」をはじめ、8つもの小社がある。ゲートボール場もある。

Img_0839 説明板

Img_0842 力石

左から65貫目・60貫目・100貫目(375kg)・?貫目

中山道桶川宿の稲荷神社には三之宮卯之助が持ち上げたという610kgの大石がある。ただし仰向けに寝て足で持ち上げていたらしい(「足指し」という方法)。『中山道(上尾宿→鴻巣宿)』(2009年10月3日)に記載。ここの100貫目の石は手で持ち上げたのだろうか?

Img_0840 説明板

Img_0867 東陽寺

奥の細道で芭蕉が泊まったとされる寺。山門右脇に「伝芭蕉宿泊の寺」碑が立つ。泊まったのはこの先の観音院との言い伝えもある。

Img_0860曽良の随行日記」の碑

「廿七日夜、カスカべニ泊ル 江戸ヨリ九里余」

Img_0870 本陣跡あたり(ロビンソンデパート前のかすかべ大通り)

何の標示もない。

Img_0869 郷土資料館

今日月曜は休館日。

Img_0873 田村家(本家)

右前に大きな道標が立つ。

Img_0874 道標

大きく彫られた文字で、「西南いハつき」・「東 江戸」・「北 日光」のようだ。

Img_0881 田村荒物店(分家) 

表の街道から裏の古利根川まで延びている。

Img_0884 粕壁宿説明板(問屋場跡あたり) 《地図

本陣1軒、名主3軒、向屋場1軒、旅籠45軒、寺院8軒、商家、農家など159軒の宿規模。(「向屋場」は「問屋場」の間違い。郷土資料館に確認した。春日部市ではなく、町内会で立てた案内板らしい。) 問屋場は田村家が勤めていた。

Img_0887 永嶋商店

慶長年間(1596~1614)創業という米屋。屋根上に鍾馗像

Img_0892 最勝院 【ルート地図】の⑤

最勝院の前には、明治26年に千住馬車鉄道の始発駅が設けられていた。

Img_0891 説明板

Img_0898 境内の鳥居は奥の春日部重行の墓のためのものだろう。

Img_0895 春日部重行の墓

鎌倉時代のこの地方の領主だった春日部重行は南朝の忠臣で足利尊氏との戦いに敗れ、京都で自刃したという。重行の子の家縄が遺骨を持ち帰り葬ったのがこの塚と伝わっている。

この地は、春日部→粕壁→春日部に戻った

Img_0894 石碑

Img_0900 成就院

Img_0903 成就院先の小社 《地図

何を祀ってあるのか分からず。

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