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2009年11月 1日 (日)

中山道(加納宿→河渡宿→美江寺宿→赤坂宿→垂井宿)

2009年10月15日

岐阜駅・・・加納天満宮・・・加納宿脇本陣跡・・・秋葉神社①・・・秋葉神社②・・・西番所跡・・・秋葉神社③・・・馬頭観音堂・・・西厳寺・・・阿賀多神社・(加納一里塚跡)・・・多羅野(だらり)八幡神社・天満神社・・・乙津(おっしん)寺(鏡島弘法)・鏡島稲荷神社・・・神明社・・・天満宮・・・南無地蔵尊堂・・・・河渡(ごうど)橋(長良川)・河渡の渡し跡あたり・・・馬頭観音堂(愛染堂)・・・河渡宿・一里塚跡・杵築神社・慶応橋(天王川)・・・馬場の地蔵・・・糸貫川・本田地蔵堂・・・中川橋・・・本田代官所跡・高札場跡・・・五六橋(五六川)・・・(樽見鉄道)・・・道標・美江寺宿・一里塚跡・高札場跡・美江神社・美江寺観音堂・美江寺城跡・・・千手観音堂・(新月橋)犀川・・・千躰寺・・・神明神社・・・長護寺川・・・大月浄水公園・・・鷺田橋(揖斐川)・・・良縁寺・・・白鳥神社・・・即心院・・・蓮生寺・・・小簾紅園(おずこうえん)・呂久の渡し跡・・・地蔵堂・新橋(平野井川・大垣市)・・・素盞(スサノオ)神社・・・三回り半道標・・・境橋(曽根排水路)・・・東の川橋・・・三ツ屋交差点・・・弘法大師爪彫薬師堂・・・稲荷神社・・・長徳寺・・・聖観音道標・・・七回り半道標・・・西浦橋・・・加納薬師道標地蔵・・・東赤坂駅(養老鉄道)・・・菅野橋(菅野川)・・・白山神社・・・青木一里塚跡・・・多賀神社・・・赤坂大橋(杭瀬川)・・・赤坂宿・赤坂港跡・浅間神社・御使者場跡・西濃鉄道市橋線跡・子安神社・・・兜塚・御使者場跡・廃線跡・・・昼飯(ひるい)大塚古墳・・・如来寺・・・(東海道線)・・・国府山延長寺・・・円興寺・・・白鬚神社・・・照手姫水汲み井戸・・・青墓よしたけ庵・小篠竹の塚・・・美濃国分寺跡・・・教覚寺・・・青野一里塚跡・・・平尾御坊道標・・・喜久一九稲荷・・・垂井追分道標・・・相川橋(相川の人足渡し跡・東の見付け跡)・・・垂井駅(東海道線)

 今回の中山道歩きの最終日は垂井宿まで。もう坂はないが街道沿い、宿場跡には見所も多く、まあ飽きることなく歩き通せた。勘違いして「小紅の渡し」に乗り損ねたのがちょっと悔やまれるが。

  この先は『中山道(垂井宿→柏原宿』へ続く。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_1483 脇本陣跡は工事中

マンションでも建つのか?

Img_1488 西番所跡 《地図

Img_1490 馬頭観音堂(西番所跡の先を右に入った左側)

Img_1492_2 道標も兼ねている馬頭観音

「谷汲」は西国三十三観音霊場の満願寺、第33番札所谷汲山華厳寺のこと。岐阜から赤坂までの中山道で北に向かう街道があれば、それはほとんど谷汲参道だそうだ。

Img_1495_2 多羅野(だらり)八幡神社・天満神社 【ルート地図】の①

このあたりの茶店で名物の「だらり餅」が売られていたそうだ。どんな餅だったのか?

終戦後まで街道沿いに松並木があったという。

Img_1496 周辺案内図

乙津寺の北側に「小紅(おべに)の渡し」(孝行娘が嫁ぐ時、渡し船から川面を鏡にして紅をさしたことに由来するという。)は今も運行中で無料らしい。今はない中山道の「河渡の渡し」と同じと思っていて乗り損ねた。

Img_1511 乙津寺(おっしんじ) 《地図

「鏡島の弘法さん」で親しまれている寺。日本三躰厄除弘法大師。

Img_1513 由緒

Img_1521 地蔵堂(河渡橋近く)

Img_1528 河渡(ごうど)橋から長良川上流(小紅の渡し)方向。

堰のようなもので川面に段差ができている。河渡の渡しは橋より下流にあった。

Photo_2 長良川の鵜飼(英泉)

Img_1539 小祠のあたりが「河渡の渡し跡」

Img_1532 馬頭観音堂(愛染堂)

Img_1534 縁起

Img_1535 馬頭観音

愛染明王だが地元では馬頭観音として信仰が篤い。

Img_1540 河渡宿 

Img_1541 一里塚跡 《地図

実際にはもう少し西側にあったようだ。

小祠は松下神社で左に戦災で欠けた碑が立つ。

Img_1544 上部の欠けた碑

Img_1543 説明板

Img_1547 杵築神社

Img_1557 馬場の地蔵堂

石の地蔵が2体祀られているようだ。

Img_1560 本田地蔵堂 【ルート地図】の②

お堂は新らしく建替えられたそうだ。

Img_1561 説明板

Img_1562 村人、旅人を守ってきた延命地蔵。文化6年(1809)の建立。

Img_1564 旧家

Img_1569 代官所跡

民家の前に説明板が立つ。

Img_1570 説明板

Img_1571 旧家

Img_1575 高札場跡

Img_1574 説明板

Img_1582 右に道標が立つ。

中山道は直進、谷汲道は右折。

Img_1583 道標

ここも「谷汲」とある。

Img_1584 案内図

Img_1588 美江寺一里塚跡

Img_1590 自然居士の墓入口

鎌倉時代後期の遊行僧で、粗末な身なりで鉦を叩き、般若心経などを説いたという。ここを入ると五輪塔がいくつも並んでいる。その内のどれかだろう。

Img_1591 造り酒屋布屋

Img_1605 美江神社 《地図

旧町内の日吉、八幡、貴船、神明宮を合祀している。

大鳥居の脇に高札場があった。

Img_1601 高札場

神社の境内に復元

Img_1603 美江寺観音堂(美江神社境内)

天平仏の十一面観音像(国重文)は、戦国時代に斉藤道三によって稲葉山城下の守護として現岐阜市の美江寺に移された。

Img_1607 美江寺城跡(左の中(なか)小学校の所)

戦国末期に美濃国土岐氏の武将だった和田氏の本拠地。応仁・文明(1460)の頃、和田八郎が城を構えた。土岐氏を退けた斉藤道三と反目し、天分11年(1542)9月の夜戦で焼失した。校庭の西隅に城壁(模型)と碑があるが見逃した。

Img_1609 本陣跡

建物は平成3年に取り壊され碑のみが立つ。

Img_1619 千手観音堂《地図

美江寺宿の西口にあり、「下の観音堂」として親しまれてきた。

Img_1621 千手観音

Img_1624 新月橋(犀川)から千手観音堂

新月橋は、はじめは寛文7年(1667)に勧進によって築造されたという。

Img_1625 千躰寺(正面)

自然居士の作と伝える千体仏を安置。

Img_1635 大月浄水公園 《地図

最近整備された公園のようだ。

Img_1641 宿の石柱の立つ遊歩道

Img_1636 説明板

Img_1637 案内図

Img_1638 美江寺宿(広重)

Img_1639 松並木(美江寺宿方向の写真)

終戦直前までの中山道

Img_1644 太陽、雨、風など遮るものはない今の明るい中山道。

Img_1645 富有柿

Img_1654 鷺田橋から揖斐川

Img_1660 良縁寺 《地図

Img_1658_2 白鳥神社

Img_1667 船頭頭(がしら)の馬淵家

Img_1672 小簾紅園(おずこうえん)(和宮ゆかりの公園)

呂久の渡しの船中で、「落ちて行く身と知りながらもみじ葉の 人なつかしく こがれこそすれ」と詠んだ。

Img_1670 説明板

Img_1674 呂久の渡し跡 【ルート地図】の③

揖斐川新川付替工事完成により東へ移り現在の揖斐川水流となり、呂久の渡しは終わった。

Img_1673 説明板

Img_1682 地蔵堂(新橋の手前)

中山道は新橋を渡り右(西)へ曲がり堤防上へ上がる。

Img_1688 平野井川対岸の神明社の前が「柳原一里塚跡」《地図

中山道からはかなり離れている。鳥居の左側に説明板と碑が立っているようだ。

Img_1692 中山道三回り半道標

昔はぐねぐねと三度も廻って西へと向っていたので「三回り半」と呼ばれたというが・・・。

Img_1693 和風と洋風の家

石塀に囲まれた一つの家のようだ。

Img_1701 岐阜経済大学が右手に

Img_1704 弘法大師爪彫薬師堂 《地図

薬師像は見えず。

Img_1710 道標聖観音菩薩

Img_1712 善光寺と谷汲山華厳寺への道標

Img_1716 七回り半道標

このあたりの中山道は前の「三回り半」よりも曲がりくねっていたのだろうか?

Img_1721 加納薬師道標

加納薬師如来とは北方向1kmほどにある香林院か円受寺のことか?

Img_1719 地蔵さんの下が道標になっている。

Img_1734 青木一里塚跡(左の民家の前に石柱が立つ。

Img_1742 赤坂宿御使者場跡

他の宿の番所、木戸などに当たるもの。

Img_1744 赤坂港跡 【ルート地図】の④

Img_1740 杭瀬川、赤坂港(広重)

Img_1756 説明板

Img_1746赤坂港会館

Img_1762 本陣跡

赤坂本陣公園になっている。

Img_1759 説明板

Img_1763 家並み

Img_1766 ここにも「谷汲街道」道標

Img_1769 説明板

Img_1771 旧家

Img_1775 脇本陣跡

今は榎屋旅館で営業中?

Img_1777 説明板

Img_1779 「中山道赤坂宿五七」商店

Img_1780 妙法寺

大垣藩家老の家に生まれた戸田三弥と赤坂宿出身の幕末の蘭医学志士所郁太郎の墓がある。

Img_1781 説明板

Img_1782 お嫁入り普請探訪館

「お嫁入り」とは和宮の降嫁のこと。

Img_1784 説明板

Img_1788 兜塚・御使者場跡

Img_1790 説明板

Img_1794 何の線路だったのか?

兜塚のすぐ先。

Img_1795 雑草に覆われている。

Img_1800 昼飯大塚古墳

県内最大の前方後円墳

Img_1804 整備中

Img_1805 整備後はこのようになる。

Img_1806 現在の航空写真

Img_1821 如来寺

Img_1817 由来

善光寺への道標が多いのも納得。

Img_1820 「昼飯町」の由来

「ひるめし」→「ひるいい」→「ひるい」

Img_1830 旧家

Img_1833 照手姫の水汲み井戸 【ルート地図】の⑤

小栗判官照手姫」の伝説の地

Img_1834 説明板

Img_1841 青墓よしたけ庵

Img_1838 説明板

青墓町に残る義経にまつわる伝説

Img_1839 説明板

左の五輪塔が遊女となった照手姫の墓。

Img_1855 美濃国分寺跡

右奥に現在の美濃国分寺

Img_1852 説明板

Img_1851 伽藍配置

Img_1861 教覚寺

寺子屋としても使われたようだ。

Img_1858 縁起だが

Img_1862 教覚寺、国分寺への道標を兼ねた常夜灯

Img_1865 青野一里塚跡

後ろは大神宮の石灯籠

Img_1870 平尾御坊道標と地蔵

北に600mほどで平尾御坊願寺がある。

Img_1879 地蔵堂(手前)・馬頭観音堂(奥)

つっかえ棒で立っている地蔵堂

Img_1875 馬頭観音堂の格子戸から覗くと、観音さんの頭上に馬の頭が。観音さんは重そうな顔をしているようにも見えるが気のせいか。

Img_1883 垂井追分道標

ここから垂井宿と東海道の宮宿を結ぶ「美濃路が分岐している。この道標は中山道にある道標中、7番目くらいの古さという。

Img_1885 説明板

Img_1889 相川橋から相川 《地図

人足渡し場跡・垂井宿の東の見付け跡

Img_1891 説明板

Img_1892 説明板

Img_1898 垂井駅

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