中山道(加納宿→河渡宿→美江寺宿→赤坂宿→垂井宿)
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今回の中山道歩きの最終日は垂井宿まで。もう坂はないが街道沿い、宿場跡には見所も多く、まあ飽きることなく歩き通せた。勘違いして「小紅の渡し」に乗り損ねたのがちょっと悔やまれるが。
【ルート地図】
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マンションでも建つのか?
西番所跡 《地図》
「谷汲」は西国三十三観音霊場の満願寺、第33番札所谷汲山華厳寺のこと。岐阜から赤坂までの中山道で北に向かう街道があれば、それはほとんど谷汲参道だそうだ。
このあたりの茶店で名物の「だらり餅」が売られていたそうだ。どんな餅だったのか?
終戦後まで街道沿いに松並木があったという。
乙津寺の北側に「小紅(おべに)の渡し」(孝行娘が嫁ぐ時、渡し船から川面を鏡にして紅をさしたことに由来するという。)は今も運行中で無料らしい。今はない中山道の「河渡の渡し」と同じと思っていて乗り損ねた。
「鏡島の弘法さん」で親しまれている寺。日本三躰厄除弘法大師。
堰のようなもので川面に段差ができている。河渡の渡しは橋より下流にあった。
愛染明王だが地元では馬頭観音として信仰が篤い。
一里塚跡 《地図》
実際にはもう少し西側にあったようだ。
小祠は松下神社で左に戦災で欠けた碑が立つ。
石の地蔵が2体祀られているようだ。
お堂は新らしく建替えられたそうだ。
村人、旅人を守ってきた延命地蔵。文化6年(1809)の建立。
民家の前に説明板が立つ。
中山道は直進、谷汲道は右折。
ここも「谷汲」とある。
鎌倉時代後期の遊行僧で、粗末な身なりで鉦を叩き、般若心経などを説いたという。ここを入ると五輪塔がいくつも並んでいる。その内のどれかだろう。
美江神社 《地図》
旧町内の日吉、八幡、貴船、神明宮を合祀している。
大鳥居の脇に高札場があった。
神社の境内に復元
天平仏の十一面観音像は、戦国時代に斉藤道三によって稲葉山城下の守護として現岐阜市の美江寺に移された。
戦国末期に美濃国土岐氏の武将だった和田氏の本拠地。応仁・文明(1460)の頃、和田八郎が城を構えた。土岐氏を退けた斉藤道三と反目し、天分11年(1542)9月の夜戦で焼失した。校庭の西隅に城壁(模型)と碑があるが見逃した。
建物は平成3年に取り壊され碑のみが立つ。
千手観音堂《地図》
美江寺宿の西口にあり、「下の観音堂」として親しまれてきた。
新月橋は、はじめは寛文7年(1667)に勧進によって築造されたという。
自然居士の作と伝える千体仏を安置。
大月浄水公園 《地図》
最近整備された公園のようだ。
終戦直前までの中山道
良縁寺 《地図》
呂久の渡しの船中で、「落ちて行く身と知りながらもみじ葉の 人なつかしく こがれこそすれ」と詠んだ。
揖斐川新川付替工事完成により東へ移り現在の揖斐川水流となり、呂久の渡しは終わった。
中山道は新橋を渡り右(西)へ曲がり堤防上へ上がる。
平野井川対岸の神明社の前が「柳原一里塚跡」《地図》
中山道からはかなり離れている。鳥居の左側に説明板と碑が立っているようだ。
昔はぐねぐねと三度も廻って西へと向っていたので「三回り半」と呼ばれたというが・・・。
石塀に囲まれた一つの家のようだ。
弘法大師爪彫薬師堂 《地図》
薬師像は見えず。
このあたりの中山道は前の「三回り半」よりも曲がりくねっていたのだろうか?
加納薬師如来とは北方向1kmほどにある香林院か円受寺のことか?
他の宿の番所、木戸などに当たるもの。
赤坂本陣公園になっている。
今は榎屋旅館で営業中?
大垣藩家老の家に生まれた戸田三弥と赤坂宿出身の幕末の蘭医学志士所郁太郎の墓がある。
「お嫁入り」とは和宮の降嫁のこと。
兜塚のすぐ先。
県内最大の前方後円墳
善光寺への道標が多いのも納得。
「ひるめし」→「ひるいい」→「ひるい」
「小栗判官照手姫」の伝説の地
青墓町に残る義経にまつわる伝説
左の五輪塔が遊女となった照手姫の墓。
右奥に現在の美濃国分寺
寺子屋としても使われたようだ。
後ろは大神宮の石灯籠
平尾御坊道標と地蔵
北に600mほどで平尾御坊願證寺がある。
つっかえ棒で立っている地蔵堂
馬頭観音堂の格子戸から覗くと、観音さんの頭上に馬の頭が。観音さんは重そうな顔をしているようにも見えるが気のせいか。
垂井宿からは美濃路といわれる名古屋宿までの街道が分岐している。この道標は中山道にある道標中、7番目くらいの古さという。
相川橋から相川 《地図》
人足渡し場跡・垂井宿の東の見付け跡
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