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2009年11月 2日 (月)

中山道(熊谷宿→本庄宿)

2009年10月23日

籠原駅(JR高崎線)・・・(国道17号)・・・旧中山道(県道264号・263号)・・・明治天皇小休所跡・・・鬼林稲荷社・・・馬頭観音・・・熊野大神社前・・・木曽御嶽山遥拝所・・・愛宕神社・・・国済寺・・・自性院六地蔵・・・日吉大神荒神社・・・庁鼻和館(こばなわやかた)外郭土塁跡・・・みかえりの松・原郷交差点・県道47号・・・東常夜灯・・・長福寺・・・行人橋(唐沢川)・・・本住町交差点・県道69号・・・金胎寺・・・(国道17号)・笛を吹く武者像・城址公園通り・・・深谷城址公園・・・本住町交差点・深谷宿・本陣跡(飯島印刷所)・呑龍院・西常夜灯・・・(高崎線)・・・清心寺・平忠度の供養塔・・・(高崎線)・・・宿根交差点・・・瀧宮神社・国道17号・・・正明寺・・・源勝院・・・高島秋帆幽囚の地・・・普済寺・・・岡部六弥太忠澄の墓・・・宝登神社(小祠)・・・旧道・・・島護(しまもり)産泰神社・・・中宿歴史公園・・・豊見坂・百庚申・八坂神社・・・(国道17号)・・・滝岡橋(小山川)・・・(県道45号)・・・道祖神・・・八幡大神社・宝珠寺・・・長屋門・・・子育地蔵堂・・・長屋門(内野歯科)・・・傍示堂跡あたり・円満寺・・・新泉橋(元小山川)・・・(国道17号)・県道392号・御堂(みと)坂・・・不動坂・・・本庄駅

 美濃の中山道から戻り、武州の中山道の続きをまたトロトロと歩く。今日のコースは歩道が分離していない所が多く、あちこち道路工事中で歩きにくかった。清心寺から出た所でカメラが写らなくなってしまい、携帯電話で撮るはめになった。思っていたよりも距離があり、本庄駅に着いたのが5時近く。ここから電車で帰宅するのもけっこうしんどい。そろそろ日帰りは無理になるだろう。

 中山道(鴻巣宿→熊谷宿)』の続き。
   本庄宿は、『本庄市の坂』(2007年3月14日)にも記載。

  【ルート地図

 写真をクリックすると拡大します。

Img_1906 明治天皇小休所跡 《地図

Img_1907 旧道(県道264号)

Img_1909 馬頭観音

両方ともかなり風化している。

Img_1913 熊野大神社参道

Img_1915 木曽御嶽山遥拝所

Img_1916 愛宕神社 《地図

Img_1922 国済寺黒門

ここは13世紀末に上杉憲英が築いた庁和鼻(こばなわ)の館跡。28ヘクタールに及ぶ広大な敷地だったという。房憲の時に深谷城を築き移転した。

Img_1918 山門

Img_1921 説明板

Img_1925六地蔵と道祖神(国済寺と国道17号の間)

六地蔵はここにあった国済寺の塔頭の自性院にあったもの。

Img_1924 説明板

Img_1929 日吉大神荒神社

近江の日吉神社より分祀した国済寺の鎮守。後年、荒神社を合祀した。

Img_1927 由緒

Img_1932 庁鼻和館北西隅外郭土塁跡 《地図

土塁の跡形らしきものは残らず。

Img_1930 説明板

Img_1937 みかえりの松(二代目) 【ルート地図】の30

深谷宿の遊郭(英泉画) 遊女と別れた旅人が、振り返りつつ江戸へ向った松。遊郭はどのあたりにあったのか?

Img_1938 説明板

深谷宿の東の入口

Img_1942 旧家

Img_1943 米屋

Img_1952 笛を吹く武者像 《地図

市制40周年を記念して立てられたもの。

Img_1958 北川千代文学記念碑「お父さんの村」

Img_1959 説明板

Img_1953深谷城址公園 【ルート地図】の31

上杉房憲が築城し、庁和鼻の館からここに移った。

Img_1954 公園内から石垣

Img_1963 造り酒屋の藤橋藤三郎商店

レンガ造りの煙突がいい。

Img_1966 本陣跡(細川印刷所)

上段の間、次ぎの間などが残るというが未公開。

Img_1967 説明板

「七ツ橋」という造り酒屋のようだが、今は営業していないようだ。

Img_1974 家並み

Img_1975 滝澤酒造 《地図

Img_1981 西常夜灯・呑龍寺

中山道で最大級の常夜灯という。

Img_1984 説明板

Img_1993 清心寺

Img_1988 薩摩守忠度の供養塔(清心寺境内)

源平の一ノ谷の戦で、岡部六弥太に討たれた平清盛の弟、平忠度の供養塔。岡部六弥太が建てたものという。山陽道の明石にも「忠度塚」がある。

Img_1987 説明板

  ここから先は携帯電話で撮った写真でほとんど拡大しない。

1 源勝院

岡部藩主の安部家の菩提寺

2 由緒

4高島秋帆幽囚の地 《地図

実際は客分扱いだったそうだ。

3 説明板

Photo_5 普済寺

Photo_4 岡部六弥太忠澄の墓 《地図

墓石を煎じて飲むと子が授かり、乳の出がよくなりといわれ、墓石が削られたという。

岡部氏は武蔵七党の猪俣党の出身。岡部六弥太忠澄の祖父の忠綱が岡部氏を名乗った。源平一ノ谷の合戦で薩摩守忠度を討ち取り名を上げた。

Photo_3 説明板

Img_1911 こんなポスタ-も中山道沿いに貼ってあった。

Photo_7 島護(しまもり)産泰神社

安産の神として、底の抜けた柄杓が奉納される。

Photo_6 説明板

Photo_8 中宿歴史公園 【ルート地図】の32

復元された奈良時代の校倉造の、年貢を一時貯蔵しておくための倉庫。

Photo_11 豊見坂 【ルート地図】の33

八坂神社、百庚申の前へ下る坂。

Photo_10 坂下近くに百庚申(左上は八坂神社)

万延元年(1860)の庚申の年に、有志13人で建てられたもの。

Photo_12 説明板

Photo_3 八幡大神社

手前に双体道祖神などがまとめられて置かれている。

Photo_4 説明板

ぼやけて読めない。

Photo_5 宝珠寺

入口に2体の地蔵さんが並ぶ参道。

Photo_2 助郷用の元長屋門か?

Photo 子育地蔵(小祠)・庚申塔・塞の神など

Photo 長屋門(内野歯科) 《地図

新しい門のように見える。

Photo_2このあたりは傍示堂という地名。武蔵国と上野国との境界(昔の)に傍示堂があったそうだ。

右は八坂神社の小祠らしい。中山道はこの手前を左にカーブして新泉橋を渡る。

Photo_6 御堂(みと)坂 【ルート地図】の34

小字名の「御堂(みとう)」からの名。御堂は寺のお堂ではなく、沢の入口などにつけられる「ミト」で、本庄台地を河川(女堀川?)跡が切り崩した、小さな谷状の出口。この「ミト」に御堂の字をあてたものと思われる。『地名と歴史』

Photo_3 坂の途中の庚申塔(文化元年(1804))と馬頭観音(宝暦13年(1763)に宿内の馬方が建立)

文政11年(1828)牧西村の無宿人勇吉が、仲間の無宿人が唐丸籠に入れられ佐渡に水替人足として送られるのを、ここで待ち伏せて破って助けだした。結局は逃げ切れず越後の新井宿で捕まり、御堂坂の下で磔になったという。

Photo_5 不動坂 《地図

大正院前の上って下る緩やかな坂。大正院不動堂と不動剣による坂名。

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