中山道(熊谷宿→本庄宿)
2009年10月23日
籠原駅(JR高崎線)・・・(国道17号)・・・旧中山道(県道264号・263号)・・・明治天皇小休所跡・・・鬼林稲荷社・・・馬頭観音・・・熊野大神社前・・・木曽御嶽山遥拝所・・・愛宕神社・・・国済寺・・・自性院六地蔵・・・日吉大神荒神社・・・庁鼻和館(こばなわやかた)外郭土塁跡・・・みかえりの松・原郷交差点・県道47号・・・東常夜灯・・・長福寺・・・行人橋(唐沢川)・・・本住町交差点・県道69号・・・金胎寺・・・(国道17号)・笛を吹く武者像・城址公園通り・・・深谷城址公園・・・本住町交差点・深谷宿・本陣跡(飯島印刷所)・呑龍院・西常夜灯・・・(高崎線)・・・清心寺・平忠度の供養塔・・・(高崎線)・・・宿根交差点・・・瀧宮神社・国道17号・・・正明寺・・・源勝院・・・高島秋帆幽囚の地・・・普済寺・・・岡部六弥太忠澄の墓・・・宝登神社(小祠)・・・旧道・・・島護(しまもり)産泰神社・・・中宿歴史公園・・・豊見坂・百庚申・八坂神社・・・(国道17号)・・・滝岡橋(小山川)・・・(県道45号)・・・道祖神・・・八幡大神社・宝珠寺・・・長屋門・・・子育地蔵堂・・・長屋門(内野歯科)・・・傍示堂跡あたり・円満寺・・・新泉橋(元小山川)・・・(国道17号)・県道392号・御堂(みと)坂・・・不動坂・・・本庄駅
美濃の中山道から戻り、武州の中山道の続きをまたトロトロと歩く。今日のコースは歩道が分離していない所が多く、あちこち道路工事中で歩きにくかった。清心寺から出た所でカメラが写らなくなってしまい、携帯電話で撮るはめになった。思っていたよりも距離があり、本庄駅に着いたのが5時近く。ここから電車で帰宅するのもけっこうしんどい。そろそろ日帰りは無理になるだろう。
*『中山道(鴻巣宿→熊谷宿)』の続き。
本庄宿は、『本庄市の坂』(2007年3月14日)にも記載。
【ルート地図】
写真をクリックすると拡大します。
明治天皇小休所跡 《地図》
両方ともかなり風化している。
愛宕神社 《地図》
ここは13世紀末に上杉憲英が築いた庁和鼻(こばなわ)の館跡。28ヘクタールに及ぶ広大な敷地だったという。房憲の時に深谷城を築き移転した。
六地蔵はここにあった国済寺の塔頭の自性院にあったもの。
近江の日吉神社より分祀した国済寺の鎮守。後年、荒神社を合祀した。
庁鼻和館北西隅外郭土塁跡 《地図》
土塁の跡形らしきものは残らず。
深谷宿の遊郭(英泉画) 遊女と別れた旅人が、振り返りつつ江戸へ向った松。遊郭はどのあたりにあったのか?
深谷宿の東の入口
笛を吹く武者像 《地図》
市制40周年を記念して立てられたもの。
深谷城址公園 【ルート地図】の31
上杉房憲が築城し、庁和鼻の館からここに移った。
レンガ造りの煙突がいい。
上段の間、次ぎの間などが残るというが未公開。
「七ツ橋」という造り酒屋のようだが、今は営業していないようだ。
滝澤酒造 《地図》
中山道で最大級の常夜灯という。
源平の一ノ谷の戦で、岡部六弥太に討たれた平清盛の弟、平忠度の供養塔。岡部六弥太が建てたものという。山陽道の明石にも「忠度塚」がある。
ここから先は携帯電話で撮った写真でほとんど拡大しない。 |
岡部藩主の安部家の菩提寺
実際は客分扱いだったそうだ。
岡部六弥太忠澄の墓 《地図》
墓石を煎じて飲むと子が授かり、乳の出がよくなりといわれ、墓石が削られたという。
岡部氏は武蔵七党の猪俣党の出身。岡部六弥太忠澄の祖父の忠綱が岡部氏を名乗った。源平一ノ谷の合戦で薩摩守忠度を討ち取り名を上げた。
安産の神として、底の抜けた柄杓が奉納される。
復元された奈良時代の校倉造の、年貢を一時貯蔵しておくための倉庫。
八坂神社、百庚申の前へ下る坂。
万延元年(1860)の庚申の年に、有志13人で建てられたもの。
手前に双体道祖神などがまとめられて置かれている。
ぼやけて読めない。
入口に2体の地蔵さんが並ぶ参道。
長屋門(内野歯科) 《地図》
新しい門のように見える。
このあたりは傍示堂という地名。武蔵国と上野国との境界(昔の)に傍示堂があったそうだ。
右は八坂神社の小祠らしい。中山道はこの手前を左にカーブして新泉橋を渡る。
小字名の「御堂(みとう)」からの名。御堂は寺のお堂ではなく、沢の入口などにつけられる「ミト」で、本庄台地を河川(女堀川?)跡が切り崩した、小さな谷状の出口。この「ミト」に御堂の字をあてたものと思われる。『地名と歴史』
坂の途中の庚申塔(文化元年(1804))と馬頭観音(宝暦13年(1763)に宿内の馬方が建立)
文政11年(1828)牧西村の無宿人勇吉が、仲間の無宿人が唐丸籠に入れられ佐渡に水替人足として送られるのを、ここで待ち伏せて破って助けだした。結局は逃げ切れず越後の新井宿で捕まり、御堂坂の下で磔になったという。
不動坂 《地図》
大正院前の上って下る緩やかな坂。大正院不動堂と不動剣による坂名。
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