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2009年12月20日 (日)

赤山街道-2(大宮道②)

2009年12月15日

Img_3124 与野駅(JR京浜東北線)・・・中山道・・・新都心大橋・・・赤山通り・・・石橋供養塔道標・・・(国道17号)・・・台の坂・・(JR埼京線)・・・赤山橋(鴻沼川)・・・稲荷社・薬師堂・・子育地蔵尊・甲子塔道標・(県道165号)・・・赤山通交差点(新大宮バイパス)・・・御屋敷山(円阿弥陣屋)跡・やしき坂跡あたり・円阿弥雑木林跡・・円阿弥竹林跡・・・八幡通り・・・(新大宮バイパス)・・・県道165号・・・上町氷川神社・・・(県道56号)・・・庚申塔道標(三橋T字路)・・・供養塔道標(老人憩の家前)・明法不動尊神・・・(国道17号)・・・県道56号・・・茶堂(観音堂)・・・旧道・・・並木橋(鴨川)・・・鳶(とんび)坂・庚申塔道標・・・県道56号・・・慈眼寺(水判土観音)・県道57号・・・第六天神社・・・金山堂・金山神社・代官堀(備前堀)跡・・・永田陣屋跡(上の写真)・・・コミュニティセンターバス停→大宮駅  

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_3002 与野駅から中山道を少し北に進み新都心大橋を渡る。

車道、歩道、エレベーター付き

 

Img_3004 説明板

 

Img_3006 「赤山通り」に入る。

 

Img_3007 右は下落合小学校

 

Img_3008 石橋供養塔(与野東中学校の正門前)

宝暦6年(1756)の高沼導水路に石橋(旧高谷橋)が架かったことを記念して建てられたものをここに移設。今も前を鴻沼排水路が流れている。

 

Img_3009 説明板

 

Img_3024 赤山橋(鴻沼川) 【ルート地図】の⑦

石橋供養塔(享保11年(1726))の建立

 

Img_3027 稲荷社と薬師堂

 

Img_3031 薬師堂

堂内の薬師像は見えず。

 

Img_3033 ①子育地蔵・②甲子供養塔道標(右の高い石柱)・③道標(手前の低い石柱) 《地図

②甲子塔(天保13年(1842)) 正面に「引又二里」・「川越四里」、右側面に「おおみや十五丁」・「原市三里」・「一ノ宮鳥居前十丁」・「岩槻三里」、背面に「中山道七丁」。
「一ノ宮鳥居」は大宮の氷川神社、「引又、川越」とあり、このあたりからは川越道と呼ばれていたようだ。引又は現在の志木市あたり。
③道標(寛政年(1796)) 正面に「右秋葉大○」、「左石尊大○」 大権現で「権現」が下に埋まっているのか? 

 このあたりまでが一般に赤山街道と呼ばれているが、その延長上の御屋敷山、永田陣屋への道を行く。

 

Img_3041 赤山通交差点(新大宮バイパス)

ドンキホーテなどの安売り量販店が並び、怪獣が出迎えてくれる。

 

Img_3042 やしき坂・御屋敷山跡あたり 

 

Img_3045 同じような新しい家が建ち並ぶ御屋敷山跡

伊奈半左衛門の円阿弥陣屋跡で、以前は円阿弥の雑木林、ずっと昔は縄文時代の住居があった御屋敷山遺跡。

 

Img_3017 案内板

「武蔵野の面影を良く残しています」とある。今は「武蔵野の面影」なんて全くありゃしないただの住宅街。絶え間なく自然を破壊していく人間の開発力?は空恐ろしい。

 

Img_3047 円阿弥の竹林跡

正面右は淑徳与野高校。

ここから八幡通りを進み、円阿弥通りを横切り、県道165号まで戻る。途中左に曲がり円阿弥通りを進み、茶堂へ出る近道も赤山街道の一つだろう。

 

Img_3050 氷川神社 《地図

本殿は宝永6年(1709)の再建。

 

Img_3054 神輿

宝永7年(1710)に寄進、奉納されたもの。

 

Img_3055 供養塔道標(氷川神社境内)

もとは神社前の三叉路にあったもので、左側面に「従是左川越」、右側面に「従是右大宮道奥州道」 享保4年(1719)の建立。

 

Img_3057 右側面

 

Img_3061 青面金剛庚申供養塔(正徳6年(1716))

氷川神社前の道沿い

 

Img_3064 庚申塔道標(三橋T字路) 《地図

右側面「これより東 大ミヤ道」、左側面「これより南 与乃道」

 

Img_3065 説明板

西へは並木橋(鴨川)→水判土観音(慈眼寺)→佐知川→川越で、永田陣屋前を通る川越道。

 

Img_3067敷石供養塔道標(老人憩の家前)

右側面「西 川ごへ 南引又大山 道」、左側面「南 与の 江戸」・「東 大ミや いわつき」

 

Img_3070 説明板

 

Img_3072 明法不動尊(善?)神の扁額が(老人憩の家の左隣)

不動は神?

 

Img_3074 歩道橋を渡り県道56号に入る。

 

Img_3079 茶堂 

これはひどい。境内は荒れ放題でお堂は壊れかけている。

満福寺持ちの観音堂で千手観音像を祀る。徳川家康がここで小休止した時に里人が茶をふるまったことから家康が茶堂と名づけたという。

満福寺はこんな状態で放っておくのか、それとも今は満福寺とは関係がないのか。千手観音は今でも堂内に安置されているのだろうか。

 

Img_3075 説明板

 

Img_3077 敷石供養塔(茶堂前)

通行量の多い川越道に敷石をした記念に寛政12年(1800)に建てられたもの。

 

Img_3080 説明板

 

Img_3082 旧道へ入り並木橋へ

 

Img_3084 並木橋から鴨川 【ル-ト地図】⑧

京の鴨川とは比べようもないが・・・。

 

Img_3085 鳶(とんび)坂(坂下から) 

北へ清河寺(せいがんじ)、上尾、平方へと続く古道の坂。

 

Img_3089 坂上方向(赤山街道(川越道)は左(自動車の手前から)に曲がる)

このあたりを鳶貝戸(とんびがいと)と呼ぶそうだが、鳶貝戸の由来は説明板には記載がない。説明板の石橋供養塔道標は撤去されたようで見当たらず。

 

Img_3087 説明板

 

Img_3091 庚申塔は正徳5年(1715)の建立。

 

Img_3097 慈眼寺(水判土(みずはた)千手観音)

慈覚大師円仁が東国布教の折に開山、天長3年(826)創建の天台宗の古刹。古くから観音霊場「水判土観音」として信仰を集めた。自然上の要塞の地形に位置し、戦国時代は軍事的拠点としての役割を担ったため幾度も戦火に焼かれ、また復興した。江戸時代は徳川家康の民心安定策の一環として寺領十石を安堵された。

 

Img_3099 第六天神社

 

Img_3109 金山堂(右)・金山神社(左) 《地図

 

Img_3101 金山堂説明板

 

Img_3105 金山神社説明板

 

Img_3107 代官堀(備前堀)跡

金山神社の北側

 

Img_3116 永田陣屋跡 【ルート地図】の⑨

伊奈半左衛門忠次が荒川の河川改修の際に構築したものを、重臣の永田家が拝領した。土屋陣屋、伊奈陣屋とも呼ぶ。

今でも水堀が廻っている。

 

Img_3112 説明板①

 

Img_3121 陣屋門

 

Img_3119 説明板②

 

Img_3123 陣屋前の松並木と水堀

 

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コメント

赤山街道・大宮道を歩きました。茶堂はだいぶくたびれていましたが健在でした。煙突が出ていたので誰かが住んでいて手入れができないんでしょうか。御屋敷山跡は住宅が立ち並んで場所が特定できませんでした、

投稿: 狸上人 | 2022年2月 3日 (木) 18:46

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