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2009年12月13日 (日)

日光御廻り道②

2009年12月10日

鷲宮駅(東武伊勢崎線)・・・新道橋(青毛堀川)・・・鷲宮駅入口交差点・・・県道410号・・・鷲宮町郷土資料館・・・金山橋(葛西用水路)・・・宝泉寺池・日光御廻り道・・・稲荷神社・・・馬頭観音・甲子供養塔・・・(加須市)・川口前橋(葛西用水)・・・洗磯神社・・・川口橋(葛西用水)・・・古門樋橋(中川)・国道125号・(栗橋町)・・・天満宮・・・宝聚寺・旧道・・・香取神社・・・(国道125号)・・・八幡神社・定福院・・・県道316号・・・大日如来堂・・・(国道125号)・・・宝蔵院・・・松永神社・・・島中領用水路・・・(東武日光線)・(JR宇都宮線)・・・仲一地蔵・・・栗橋宿・日光街道合流点(県道60号)・・・栗橋駅(東武日光線)

 前回の続きを歩く。鷲宮神社門前通りの県道410号の電柱には青テープが巻かれている。昭和22年のカスリーン台風の時の水位だ。郷土資料館ではその時の利根川の氾濫による被害状況のフィルム映像が見られる。宝泉寺池の西側から左へ日光御廻り道に入る。葛西用水と中川が接近する川口橋あたりで、やっと北西から北東、東へと進路を変えて栗橋宿へと向って行く。

 古門樋橋からの国道125号は、大型車が切れ目なく続く爆音酷道だ。北へ南へと除けながら進み、大日如来堂の先で国道をくぐり、宝蔵院の前を通り、東武日光線をくぐり、宇都宮線の踏切を渡ると栗橋の町並みに入る。駅前入口の交差点を直進し、少し細い道に入ると仲一地蔵尊の先で日光街道とぶつかる。ここが日光御廻り道ならぬ大回りの遠回り道の終点だ。この先、栗橋宿の中心部を通り、利根川を渡る日光街道は先月の20日に歩いたばかりだが、もう随分たったようでなんだか懐かしい。北へ延びていく街道をしばし眺めて栗橋駅へ向った。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_2736 カスリーン台風(昭和22年9月)の時の水位

利根川の堤防の決壊で電柱の青テープの所まで浸水した。栗橋町では2mにも達した所もあるそうだ。鷲宮町では死者96人、農作物は全滅した。

Img_2734 電柱に張られているシール

Img_2737 鷲宮町郷土資料館(町立図書館の2階)

カスリーン台風の時の利根川の堤防決壊による洪水、濁流のフィルム映像は一見の価値あり。

Img_2739 宝泉寺池から日光御廻り道に入る。【ルート地図】の①

ここはかつては中島堤と呼ばれた堤上の道。右奥の茂みは稲荷社。

Img_2741 稲荷神社 

お狐さんがちゃんと出迎えてくれる。

Img_2744 馬頭観音と甲子(かっし・きのえね)供養塔(右・文化13年(1816)の建立) 《地図

甲子供養塔は、甲子または子の日に夜遅くまで起きていて精進供養(祭祀)をする子待の行事、甲子待ともいい、礼拝本尊は大黒天(大国主神)だそうだ。

Img_2752 葛西用水沿いを北に向う。ここは加須市川口で、昔は川口の渡しがあり、対岸の高柳を経て奥州へ向う古道の道筋と推定されている。

Img_2754 洗磯神社 【ルート地図】の②

川口村の鎮守。由緒碑によれば、川口の地名は平安末期の武蔵七党の一つの横山党の河口八郎の名とともに歴史に現れるという。

Img_2756 由緒碑

Img_2761 葛西加用水與八圦(よはちいり)之碑(川口橋を渡った右側)

ここは中川と葛西用水が最も接近する所で、中川に設けた圦樋(いりひ・取水、排水の水門)で取水し、その水を葛西用水路に加えて下流でも使えるようにしていた。この圦樋は與八圦と呼ばれ、天保12年(1841)から昭和2年の中川改修まで設置されていたそうだ。「與八」は人の名か?

Img_2763 すぐ右を中川が流れる。

Img_2768 天満宮

古門樋橋を渡って国道125号沿いの右側

Img_2775 宝聚寺の鐘楼門の山門

物見櫓として建てられていたものを慶安2年(1649)に移築したとの伝えがある。幸手城主一色直朝の開基で、古河公方ともゆかりの寺。

Img_2774栗橋八福神の吉祥天

一般の七福神に吉祥天を加えて八福神としている。

Img_2781 羅漢入口

羅漢とは定福院のこと。

Img_2784 八幡神社 《地図

Img_2783 説明板

Img_2798 定福院 【ルート地図】の③

参道から境内まで一般の人が彫った羅漢がぎっしり、500体近くあるそうだ。11月3日には羅漢祭りがある。栗橋八福神の布袋尊。門前の提灯に八幡山とあるから隣りの八幡神社の別当寺だったのだろう。

Img_2786 子どもを抱いた女人の羅漢?もいる。

Img_2797 ふくべから酒をついでもらってご機嫌なおっちゃんもいる。

Img_2789 これは正真正銘の「いぼ(取り)地蔵」なのだ。

「境内はえせ羅漢だらけで、これじゃ存在感が薄れてしまうよ」

Img_2790_2はずれて下に立て掛けてある。昨今は「いぼ取り」はもう古く、はやらないか。

Img_2809_2大日如来堂 《地図

左に十九夜塔(文化14年(1817))、庚申塔などが並ぶ。

Img_2811 国道125号をくぐる。

Img_2813 宝蔵院

左に庚申塔などの石造物が並ぶ。

Img_2816 この庚申塔は青面金剛の脇に2人の若い女人のような童子を従え、邪鬼の下にも2人の夜叉がいて、その下に三猿を配している珍しいもの。正徳4年(1714)の銘がある。

Img_2814 やさしい顔立ちの若そうな地蔵さん

Img_2824 聖如意輪観自在菩薩(文化8年(1811))の建立。

Img_2827 松永神社

社殿は新しい。

Img_2832 東武日光線をくぐり、JR宇都宮線の踏切を渡る。

Img_2833 直進して栗橋宿の日光街道との合流点に向う。

Img_2835 仲一地蔵尊(右) 【ルート地図】の④

この道は通称「野ら道」というそうだが、今でもそう呼んでいるのだろうか。

Img_2840 民家の玄関脇に仲一地蔵の堂があり、ちょっと入りづらい。

寛延3年(1750)の洪水で流れてきた地蔵を祀っている。「仲一」は人の名ではなく、ここの以前の町名の仲町一丁目からきているのだろう。

Img_2837 地蔵堂新築記念碑

Img_2843 正面が日光街道との合流点 【ルート地図】の⑤

その向うに利根川の土手が見える。

Img_2846 日光街道栗橋宿

先月の20日にここを通って利根川を渡り、中田宿、古河宿、野木宿へ向った。

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