赤山街道-4(越谷道②)
2009年12月17日
越谷駅(東武伊勢崎線)・・・赤山街道・・・(日光街道)・・・観音横丁・観音堂・・・新橋(逆川)・・・宮前橋(元荒川)・・久伊豆神社・・・久伊豆通り・・・県道19号(越谷野田線)・・・定使野橋(新方橋)・・・寿橋(大落古利根川)・・・松伏交差点・県道10号・・・松伏町役場・・・かかり火公園交差点・・・地蔵堂・・・大川戸神明社(天照皇大神宮)・・・まつぶし緑の丘公園・・・八幡神社・・・大川戸杉浦陣屋跡あたり
赤山街道の越谷道を分岐点の観音堂前から杉浦陣屋跡までたどる。車の通行の多い県道歩きで、最終地点の杉浦陣屋跡も跡形もなく、くたびれ儲けの街道歩きとなった。→(記事の最後近くに「杉浦陣屋跡」説明板の追加記事あり)
*参考:『赤山街道総合調査報告書 Ⅱ(越谷道をたどる)』(川口市教育委員会)
【ルート地図】
写真をクリックすると拡大します。
左の灯籠前に①庚申塔道標(寛政12年(1800))、右の灯籠の後ろに②敷石建立供養塔道標(寛政9年(1797))が立つ。
①の右側面、「はしの方江戸 川かみかすかべ」・「みやの方さしま 川しも二がうはん」で、「ニがうはん」は「二郷半」で吉川市、三郷市。
②の右側面、「是より野田道」
参道入口の庚申塚と、隣りの天嶽寺参道前にも道標を兼ねた庚申塔などが並んでいる。『日光街道(越谷宿→粕壁宿)』に記載。
県道から右に入った用水路そばの2基の庚申塔道標の小祠(正面右) 《地図》
右側面に「左ふどう道」、右側面に「右乃だ道」
左は元禄17年(1704)の庚申塔
このあたりは『葛西用水⑤』でも歩いた。
寿橋から古利根堰(大落古利根川) 【ルート地図】の④
かがり火公園予定地内の道標(堂面橋交差点の左側) 《地図》
写真の右下の小さな石柱。もとは県道越谷野田線と春日部松伏線の分岐の間の路傍にあったもの。公園の工事が始まるとこの道標はどうなるのだろうか。
『赤山街道総合調査報告書 Ⅱ(越谷道をたどる)』では、「右 かなす[ ]」となっている。
「左 うおぬま」 庄和町魚沼か。
『赤山街道総合調査報告書 Ⅱ(越谷道をたどる)』では、「左 ふと[ ] 」となっている。
「天照皇大神宮」の扁額が掛かっている。
一部分開園した整備中の公園。平成10年度に26.5haの総合公園として計画されたというからもう10年以上も経っているのにまだ完成しないのか。
何本もの幹が束なっているように見える。
地蔵菩薩道標(右下・明和2年(1765)) 《地図》
これを見つけるのに行ったり来たり苦労した。さらにここを左に入った所に杉浦陣屋跡があると思ってウロウロしていたら、赤ん坊をおんぶしたお母さんから、怪しまれたのか、「何かお探しですか」と声を掛けられ、杉浦陣屋跡はカインズホームの所にあったが今は面影はないと教わった。
正面に「むかふ かすかへ」、右側面に「むかふ こしがや」、左側面に「むかふ ほう志花」
春日部、越谷、宝珠花、のこと。
カインズホームが杉浦陣屋の敷地だった。→(カインズの南側の県道80号沿いに「史跡 杉浦陣屋跡」の説明板が立っている。)「北葛飾郡四国八十八ヶ所巡り⑧」(2024年11月12日)に記載。
杉浦陣屋は慶長5年(1600)の構築。会津の上杉討伐の途中、小山評定で引き返した徳川家康が大川戸に立ち寄り、この地に陣屋を構築するように命じたものを、杉浦定政が直接造成し拝領したという。
今も杉浦家があるかは確認しなかった。
「杉浦家の菩提寺は古利根川反対側(越谷市大松)清浄院にあり。」とのコメントをいただきました。(2011年2月12日)
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コメント
杉浦家の菩提寺は古利根川反対側(越谷市大松)清浄院にあり。
投稿: | 2011年2月12日 (土) 22:09