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2009年12月30日 (水)

日光例幣使街道①(倉賀野宿→玉村宿→五料宿→柴宿)

2009年12月22日

倉賀野駅(JR高崎線)・・・養報寺・・・九品寺・・・旧中山道(県道121号)・・・追分(下町交差点)・日光例幣使街道(県道136号)・・・(高崎線)・・・(国道17号)・・・白銀橋(粕川)・・・日本原子力開発機構・・・国道354号・・・不動山古墳・・・(群馬の森)・・・鎌倉橋(井野川)・・・旧道・・・国道354号・・・(関越自動車道)・・・大橋(滝川)・佐渡奉行街道合流地点・・・万福寺・稲荷神社・・・玉村宿(泉屋井田酒造(上の問屋跡)・玉村八幡宮・家鴨塚(称念寺)・下の問屋(大黒屋)跡・木島本陣跡の歌碑)・・・佐渡奉行街道分岐地点(下新田交差点)・・・工業団地・・・川井厄除薬師・・・旧道・・・常楽寺・・・五料宿・五料関所跡・・・五料橋(利根川)・・・柴町八幡神社・・・柴宿本陣跡・雷電神社・満善寺)・・・観音堂(夜泣き地蔵)・・・八郎神社・・・那波城址碑(名和小学校)・・・飯玉神社・・・名和小学校前 バス→伊勢崎駅・・・サンホテル伊勢崎

  参考:『玉村町の歴史』・倉賀野宿は『中山道(新町宿→高崎宿)』に記載。

  【ルート地図

   写真をクリックすると拡大します。

Img_3568 日光例幣使街道の由来(柴宿本陣跡の近くにある説明板)

分かりやすい説明文だ。

Img_3414 養報寺

Img_3410 五体石仏

鎌倉時代末期の地蔵菩薩などの石仏。だいぶ風化しているが素朴で荒々しい力強さを感じさせる彫り方に見える。

Img_3409 説明板

Img_3416 九品寺

倉賀野五郎善行の開基で、倉賀野氏ゆかりの寺。南北朝後期の作という善光寺式三尊像がある。中山道との追分にある閻魔堂は元は阿弥陀堂で、その阿弥陀像はこの寺に安置されているそうだ。

Img_3417 説明板

Img_3422 追分 《地図

右は中山道の江戸方向、左が日光例幣使街道。分岐点に閻魔堂、道標が立つ。

Img_3432 不動山古墳 【ルート地図】の①

後円部上に不動堂がある。墳形はかなり崩されている。

Img_3434 説明板

Img_3436 舟形石棺の身の部分

不動堂の後ろにある。蓋はどこへ持ち去られたやら。

Img_3437 堂内の不動明王

Img_3442 鎌倉橋で井野川を渡る。

雪を被った上毛の山が見える。

Img_3443少し下流の旧鎌倉橋の橋脚の一部。ここから旧道が少しだけ残っている。《地図

Img_3446 旧道と国道の合流地点あたりに一里塚があったらしい。

大橋(滝川)を渡った所で北から佐渡奉行街道が合流し、玉村宿を東進し下新田交差点で南に右折して行く。

Img_3454 万福寺(左)と稲荷神社が並んでいる。

ここはもう玉村宿だ。

Img_3455 井田酒造泉屋酒店 《地図

玉村宿の上の問屋の和泉屋。玉村宿は例幣使街道中で最も規模が大きく、旅籠は50軒ほどで飯盛女も多くいた。

例幣使の一行は、毎年4月11日の夕方玉村宿に到着し、翌朝、次ぎの宿泊地の天明(てんみょう)宿(栃木県佐野市)に向け出発した。

Img_3457玉村八幡宮随神門

建久6年(1195)、源頼朝が鎌倉鶴岡八幡宮より勧請建立という。本殿は国の重文だが、この門の方が気に入った。

Img_3471 家鴨(あひる)塚 【ルート地図】の②

中風の国定忠治に生血を飲まれた不運なアヒルを供養するための塚。有名人の忠治でなかったなら、わざわざアヒル一羽のために供養塚も立てなかったろうに。幸運なアヒルかも。でもアヒルの生血は中風に効くのだろうか? 効かなければやっぱり不運なアヒルだ。

Img_3472 由来

Img_3476 下の問屋跡の加賀美家宅

Img_3478 町田酒造

「太平人」の蔵元

Img_3483 玉村町道路元標(町田酒造の前)

Img_3481 木島本陣跡歌碑 《地図

帰路も東海道でなく中山道を通った例幣使の歌碑。よほどいいこと、うまい話でもあって中山道が気に入ったのだろうか。例幣使にはいい加減な者も多く、商人をにわか作りの家来に仕立てて商売をしてピンはねをしたり、宿場で入魂料(じっこんりょう)といって多額の心付け金をせびったりしたという。「お主もワルよのぉ-」の悪代官ならね悪例幣使が横行していたようだ。この歌碑の参議有長はどうだったかはいざ知らずだが。徳川将軍の江戸から日光社参は19回だが、京からの日光例幣使は正保4年(1647)から慶応3年(1867)まで、221年間一度の中断もなく続けられた。例幣使は日光東照宮に祀られている徳川家康なんかはどうでもよく、道中の旨み、楽しみ、金儲けが目当ての道行きだったようだ。ちなみに「ゆすり」の語源も例幣使からという。詳しくは『独りしゃべりで

Img_3482 説明板

Img_3485 原本屋商店

Img_3487 高札場跡(左)

例幣使街道の説明が書かれている。

Img_3489 説明板

Img_3495 街道沿いの旧家の蔵

Img_3502 石仏群(上飯島交差点の手前の民家の前) 《地図

このあたりに玉村宿の下の木戸があった。

Img_3512 川井厄除薬師 《地図

Img_3517 工業団地の間を抜けていく旧道

Img_3520国道との交差点の案内標識

Img_3530 常楽寺

左の常楽寺の石柱の左下に小さな道標。

Img_3525 道標

「利根川渡船 玉村町小泉道」・「烏川渡船 神保原本庄町道」

Img_3532 五料宿は短い宿で、家並みにも往時の姿はとどめていない。「五料」は、柴渡船の転覆で死んだ西光寺の稚児千代寿丸の御霊の供養からといい、新田義貞の子の義興の御霊から由来するともいわれている。

Img_3539 五料関所跡 【ルート地図】の③

例幣使街道で唯一の関所だった。左右に関所門跡の沓石が残る。(白いガードパイプの下) ここを通って正面の河原に出て、渡し船で利根川を渡った。

Img_3537 説明板

Img_3543 五料の渡し跡あたり

今は左の五料橋を渡って伊勢崎市へ入る。

Img_3551 振り返ると左後方に雪化粧した浅間山が見える。一瞬富士山かと思った。天明の噴火では五料宿、柴宿とも大きな被害を受けた。利根川を火砕流が流れ下ったという。

Img_3554 柴町八幡神社 《地図

Img_3555 説明板

Img_3571 柴宿周辺図

天明地蔵は夜泣き地蔵のこと。

Img_3558 柴宿の旧家の蔵

Img_3565 柴宿本陣跡

一本松がせり出していて本陣を主張しているので見逃すことはないだろう。

Img_3563説明板

Img_3574 雷電神社 《地図

右は天明3年(1783)の浅間山の噴火の熔岩の塚

Img_3577 民家の蔵

だいぶ傾きかけているが、いつまでもこのままでいて欲しい。

Img_3580 満善寺

平成17年に建立された新しい山門と本堂。伊勢崎佐波観音霊場の第9番。

Img_3581 説明板

Img_3582 説明板

Img_3590 観音堂

Img_3587 夜泣き地蔵(天明地蔵・天明4年の建立)・鎌原地蔵(左) 【ルート地図】の④

天明3年の浅間山噴火の犠牲者を供養する地蔵。鎌原は噴火で一瞬のうちに埋めつくされた吾妻郡鎌原(かんばら)村のこと。

Img_3585 夜泣き地蔵の由来

Img_3589 鎌原地蔵の由来(地蔵の台座)

Img_3592 長屋門

Img_3594八郎神社 《地図

八郎とは祭神の群馬八郎満胤命(ぐんまはちろうみつたねのみこと)。鎮西八郎為朝ではなかった。

Img_3600 那波(なわ)城址碑 【ルート地図】の⑤

名和小学校の校庭脇に立っている。城主の子の縄(那波)無理之助は上杉勢に城を囲まれ脱出し、武田信玄に仕え長篠の戦いで討ち死したとか。

Img_3599 説明板

Img_3602 飯玉神社

この先の社殿前に細い注連縄が張られていて通行禁止になっていた。

Img_3601 説明板

Img_3606 クイーンズヒル迎賓館フォレストキャッスル 《地図

まだ開業して1年ほどの教会風の結婚式場のようだ。(日光例幣使街道とは全く無関係)

Img_3607 朝はこんな感じ。

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