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2009年12月21日 (月)

赤山街道-3(越谷道①)

2009年12月16日

新井宿駅(埼玉高速鉄道)・・・県道161号・・・源長寺・・・県道161号・・・赤山交差点(首都高速川口線)・・・赤山陣屋跡・山王社・・・赤芝東横断ボックス(東京外環自動車道)・・・安行植物園・西立野道標・・・西福寺・・・県道161号(越谷鳩ヶ谷線)・・・花山下東交差点・旧道・・・県道161号・・・天満宮・・・伝右橋(伝右川)・・・二つ橋交差点・旧道・・・一ノ橋(綾瀬川)・・・県道161号・・・大沼大明神・・・県道324号(蒲生岩槻線)・・・辰ノ口橋交差点・・・県道161号・・・(草加バイパス)・・・(JR武蔵野線)・・・三ツ谷地蔵・・・越谷駅西口・(東武伊勢崎線)・・・(日光街道)・・・観音堂・・・越谷市役所・中央市民会館・・・観音寺?・・・八幡宮・・・稲荷神社・・・庚申塔道標・・・しらこばと橋(元荒川・葛西用水)・・・不動橋・・・大聖寺・・・日枝神社・・・県道52号(越谷流山線)・・・大相模久伊豆神社・・・浄音寺・・・(東埼玉通り)・・・水神社跡・・・下妻街道合流地点・・吉川橋(中川)・・・延命寺・・吉川交番前交差点・下妻街道分岐地点・吉川道(岩槻慈恩寺道)合流点・・・吉川道・・・鷲神社・・・吉川駅(JR武蔵野線)

 赤山陣屋の四ツ門の一つ越ケ谷口から赤山街道の越谷道を行く。日光街道を越えた観音堂先の分岐点からは、①北東へ久伊豆神社から大広戸の杉浦陣屋跡へ向う道筋と、②東方向に元荒川の南側を吉川へと向う道筋があるが、今日は吉川へのルートをたどった。出発が遅く、迷ったり間違ったりしたので思ったより距離があり時間がかかった。吉川駅に着いたのは5時近くであたりはすっかり暗くなっていた。

*参考:『赤山街道総合調査報告書 Ⅱ(越谷道をたどる)』(川口市教育委員会)

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_3134 源長寺

伊奈家の菩提寺

Img_3127 説明板

Img_3140 水車が回っている。

赤山陣屋本丸跡前の農家

Img_3144 御陣山稲荷

意外と小さな祠だった。

Img_3150 東堀跡

Img_3155 山王社 【ルート地図】の① (地図では日枝神社となっている)

Img_3157 説明板

Img_3161 あかしば保育園

幼稚園、保育園と広い敷地と立派な建物。ここが今の赤山城か。

Img_3165 外環自動車道をくぐる。

Img_3189 西立野道標(正面の石塀の前) 《地図

Img_3190 正面に「百堂母○道是より二丁」、右側面に「こしケ谷道」、左側面に「いしがみ道」

「百堂」は百観音の西福寺のこと、「いしがみ」は石神。

Img_3172 西福寺百観音堂 【ルート地図】の②

西国、坂東、秩父の百観音信仰の寺。

Img_3171 説明板

Img_3187 三重塔

元禄6年(1693)に完成した県下で一番高い木造の建造物。

Img_3173 説明板

Img_3196 天満宮 《地図

ここ安行藤八では、「夏祈祷」の獅子舞が行われる。

Img_3197 説明板

Img_3212 一ノ橋(綾瀬川) 《地図

二つ橋の手前から県道を離れ大きく東方向に迂回する。それは新栄団地付近が大沼と呼ばれる沼地で、綾瀬川氾濫時の遊水地の役割を果たしていた場所だったから。

Img_3219 大沼大明神 《地図

武主大名神、兵(もののふ)神社ともいう。①戦国時代に戦に敗れ落ち延びた戸塚の城主がこのあたりで没した。里人はこれを憐れんで武主大名神として祀った。②戦国時代に築城の荷物を積んだ船が、大沼を渡る際に大風で難破し沼底に沈んだ。里人は兵神社を勧請し供養した。

このあたりは大沼と呼ばれた沼地だった。

Img_3223_2 三ツ谷地蔵 【ルート地図】の③

谷中村三ツ谷集落西川家の覚心法師が諸国を遊行中、元文2年(1737)に悪人に襲われ死去した。西川家では供養塔墓石を屋敷内に建立したが、以来不幸が重なったため当地へ移したという。地元ではこれを「三ツ谷地蔵」と呼び、娘が嫁ぐ時、赤子が生まれた時、子どもの帯解祝いには必ず参拝をしたという。

Img_3229 東武伊勢崎線をくぐる。右は越谷駅でこのあたりは「赤山1丁目」。

Img_3233 日光街道との合流点手前の有瀧家の黒板塀

Img_3234日光街道合流点 《地図

Img_3239 観音堂 【ルート地図】の④(地図には金毘羅神社になっている)

Img_3238 正観音菩薩の石柱が立つ。

Img_3240 馬頭観音道標(左・文化10年(1813))・徳本供養塔(右・文政5年(1822)) 観音堂境内

右側面に「大さがミ道」、左側面に「のだ せうない道」

「大さがみ」は大相模不動の大聖寺、「のだ せうない」は野田、庄内。かつては観音横丁の突当たりの分岐点に立っていたのだろう。今日は「大さがみ道」を通り吉川の延命寺まで行く。

Img_3813越ヶ谷御殿跡 《地図

逆川(葛西用水)が元荒川を伏越でくぐった所。

Img_3814説明板

Img_3816板碑(建長元年(1249))

越ヶ谷御殿跡の50mほど東側の稲荷神社の隣。

Img_3817説明板

Img_3247 分岐点から越谷市民会館前を通って元荒川の土手沿いの方へ。

Img_3250 観音寺?(右側)

Img_3251 八幡宮(右側を少し入った所)

Img_3253 稲荷神社(右側)

Img_3261 庚申塔道標 《地図

右側面に「これより上じおんじ迄三里半」、左側面に「これより左吉川へ壱里 大さがみ門 これより右市川まで五里」

「じおんじ」は岩槻の慈恩寺で、この道も江戸川区、葛飾区、三郷市、吉川市から続く、(岩槻)慈恩寺道のルートの一つ。『岩槻慈恩寺道』参照。

Img_3902正面

Img_3901説明板

Img_3266 しらこばと橋と瓦曽根堰

Img_3264 説明板①

Img_3265 説明板②

Img_3279 大聖寺(だいしょうじ)山門

小山評定の後、関ケ原へ向う家康は当寺に立ち寄り太刀一振を寄進したそうだ。

Img_3278山額の「真大山」は松平定信の筆という。

Img_3271 説明板

Img_3280境内の茶店

虹だんご」とはしゃれた名だ。時間に余裕があれば食べたかったが。

Img_3282 タブの木

正面の東門から続くのが旧道

Img_3287 庚申塔

もとは本堂裏手の元荒川の土手上にあったという。

Img_3288 日枝神社 《地図

Img_3294大相模久伊豆神社

この地は武蔵七党の一つ野与党の大相模次郎能高の本拠地という。ここでも与野党逆転か??

Img_3293 説明板

Img_3298塞神塔道標(享和3年(1803)) 《地図

正面の生垣の下

Img_3299 塞神塔

右側面に「野道」、左側面に「吉川道」

これはずっとここにあるのだろう。

Img_3303 浄音寺

Img_3309_2吉川橋手前の堂

左下中央のが庚申塔道標(万延元年(1860))か?

それなら、右側面に「江戸みち こしがや道」、左側面に「よしかわ成田十五里」とあるはずだが摩滅しているのと、薄暗くなりかけてきて判然とせず。

Img_3307 ここに水神社があったのだが。 《地図》にも載っている。ここは元荒川と中川の合流点。水神の祟りは恐いぞ。

Img_3316 吉川橋から中川下流方向

Img_3318 延命寺 【ルート地図】の⑤

武蔵国新四国三十三霊場の第一番札所

Img_3320 説明板

Img_3321庚申塔道標(右端・文化2年(1805))

右側面に「右松ぶし ほうし花道」、左側面「左こしがや 江戸道」 「松ぶし」は松伏町、「ほうし花」は江戸川沿いの春日部市宝珠花のことか。

もとは吉川橋を渡って80mの所を左折して20mの所に東を向いて置かれていたそうだ。この先の吉川交番前交差点の先で左折し、北に向う道は下妻街道で、吉川交番前交差点で右折し、南に向かう道は吉川道(岩槻慈恩寺道)で、三郷市、葛飾区、江戸川区へと続く。

Img_3332 鷲神社

Img_3335 吉川駅

バスの行き先の「エローラ」は松伏町にある音楽ホール。

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