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2010年1月28日 (木)

顔振峠→越上山

2010年1月27日

吾野駅(西武秩父線・10:22)・・・国道299号・・・弁財天(高麗川)・・・吾野宿・白鬚神社・独楽の館・・・吾野橋(高麗川)・・・長沢集落・・・高山不動尊分岐・県道61号・・・山道・二十二曲り・・・風影集落・・・平九郎茶屋・顔振(かあぶり)峠・・・見晴台・・・諏訪神社・・・金毘羅神社・・・越上山(おがみやま・566m)・・・諏訪神社・・・阿寺集落・・・間野集落・十五丁石・いぼとり地蔵・・・新田集落・地蔵尊・ホタル生息地・・・夕市場橋(虎秀川)・・・福徳寺・・・国道299号・・・東吾野橋(高麗川)・・東吾野駅(14:10)

  地図》(①吾野宿・②顔振峠・③諏訪神社・④越上山・⑤福徳寺)

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Img_6351_2 高麗川の大岩上の弁財天

吾野駅から国道を右へ進んだ所。

Img_6355_2 白鬚(しらひげ)神社

高麗川の名にも残るように、このあたりは渡来系の人々によって開かれた地。この神社ももとは「新羅神社」だったのかも。

Img_6356吾妻宿の家並み 《地図》の①

秩父街道の宿場として賑わった通り。今も古い家並みが残っている。

Img_6366_2 独楽(こま)の館(手前の古民家)・「東郷せんべい」若松屋

Img_6361古民家の門を入ると左の部屋に独楽が展示されている。

Img_6370_2 顔振峠へ右へ県道61号に入る。

Img_6373_2 緩やかに上って行く。

Img_6374_2 右へ山道に入る。

Img_6378_2 岩場も少しはある。

Img_6387_2 地蔵などの石仏

Img_6389_2 明るい日向の斜面の風影集落

Img_6392_2 摩利支天堂

Img_6396_2 説明板

Img_6397_2 平九郎茶屋

渋沢平九郎(渋沢英一の義弟)は飯能戦争で敗れた旧幕府軍の振武軍の隊士で、顔振峠を越えた黒山で自刃した。写真ではなかなかのイケメンだ。

Img_6399_2 顔振峠から 《地図》の②

義経主従の奥州落ちにゆかりの峠だが、義経らは北陸道を通ったらしい。金沢にも義経・弁慶伝説の瓶割坂、弁慶坂があった。「金沢市の坂-2」に記載。

Img_6402_2 由来碑

Img_6403_2 説明板

「かあぶり」は、「こうぶり」と発音するのだろう。

Img_6401_2 見晴台への道

ここから6~7分

Img_6405_2 馬頭観音などが並ぶ旧峠上(505m)

Img_6408_2 木の根道を上る。

Img_6412_2 見晴台から

Img_6414_2 越上山か?

Img_6417_2 「クマ出没警告板」(諏訪神社への参道入口)

いつ頃のことなのか。日付ぐらい入れろよ。クマも愛嬌があり過ぎはしないか。

Img_6418_2 気分のいい道だが、何となく不安でもある。

Img_6422_2 諏訪神社 《地図》の③

「お諏訪さま」と親しまれ、10月の例大祭には獅子舞も奉納されるという。

Img_6424_2 左へ越上山・ユガテ方向

Img_6426_2 何の鳥居か?上ってみる。

Img_6427_2 金毘羅神社だった。

Img_6431_2 左へ越上山へ

Img_6434_2 けっこうな岩場だ。

Img_6435_2 山頂手前から

Img_6441_2 ここを越えると山頂

Img_6437_2 越上山山頂(566m) 《地図》の④

かつては東京の方まで見晴らしがきいたというが、今は木々に囲われ眺望はない。

越上(おがみ)の由来には、①「お神山」、②越辺川の上の山、③雨水を司る龍蛇神の高龗神(たかおかみ)を祀った「おかみ山」からなど。先日、日光街道の今市宿で高龗(たかお)神社に出会ったばかりのせいか③の説に賛同したくなる。

Img_6447_2 諏訪神社まで戻り、東吾野駅へと下る。

路上に大きく書かれた「駅→」に気づかずに直進したら民家内に入ってしまった。私みたいな見知らぬ訪問者が多くて、路面に道筋を標示したのだろうか。

Img_6449_2 右へ曲がってしばらくは林間のコースを下る。

Img_6455 車道に出て下って、このあたりは間野集落。

左は諏訪神社への「十五丁目」標石・右奥は「いぼとり地蔵」の小堂

Img_6456_2 昭和5年に建てられたもので、そんなに古いものではない。

Img_6458_2 いぼとり地蔵尊

だいぶ風化している。

Img_6460_2 ここ新田集落にも地蔵堂

左へ曲がれば「ユガテ」、鎌北湖方向

Img_6461_2 よだれ掛けの童顔の地蔵さん

Img_6467_2 馬頭観音

Img_6471_2虎秀川のホタルの生息地

Img_6482_2 福徳寺 《地図》の⑤

武蔵野三十三観音霊場の第30番。左に阿弥陀堂

Img_6481_2 国指定重要文化財の阿弥陀堂

阿弥陀堂と中の厨子の両方が国の重文ということのようだ。前面の精巧な蔀戸(しとみど)、屋根のそり具合がなんとも美しい。もとは茅葺きだったそうだ。飯能市の国の重文はここを含め3件。

Img_6475_2 境内の裏手からユガテへの「飛脚道」がある。

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2010年1月26日 (火)

日光西街道(壬生通)④(板橋宿→今市宿→)・日光街道(鉢石宿→日光東照宮)

2010年1月22日

Img_6346 宇都宮駅(JR日光線)→下野大沢駅・・・日光西街道(国道121号)・長坂・・・地震坂・・・十石坂・・・室瀬一里塚跡・・・追分地蔵・日光街道・・・今市宿(蔵助地蔵・報徳二宮神社・浄泉寺・瀧尾神社)・・・杉並木公園・・・高龗(たかお)神社・・瀬川一里塚跡・・・大日如来堂・・・生岡神社参道・・・砲弾打込杉・・・戊辰戦争隊士の墓・・・並木太郎・・・銀杏杉・・・明治天皇七里小休止所跡・・・麻疹地蔵・筋違橋(志度淵川)・・・異人石・・・(JR日光線)・・・東武日光駅・・・稲荷神社・西行戻し石・・・龍蔵寺・・・鉢石宿・鉢石・観音寺・・・日光橋(大谷川)・・・日光東照宮・二荒山神社・・・東武日光駅

 昨日とはうって変わって、冷えたビールのようにきーんとくる寒い朝だ。手袋をしていても指の先の感じがなくなってくる。これが今時の本来の寒さなのだろう。杉並木の間の国道121号を行く。けっこうカーブもあり、通勤時間帯のせいか車も多くて歩きにくく、並木の外の踏み跡を通ったりしながら進む。木の根、折れた枝、落葉を踏みながらの歩きはいい運動で体はポカポカになる。見覚えある追分地蔵の交差点へ出て一休み。まだ時間はたっぷりある。途中で、資料メモを落としてしまいちょっと困ったが、昼過ぎには日光東照宮へ着いた。帰りは特急スペーシアだから早い。次ぎはどこを歩こうかと考えているうちにうとうと。すぐに春日部駅に着いてしまった。

  【ルート地図

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Img_6109 長坂

緩やかに上って地震坂、十石坂へと続く。ちょうど通勤時間帯のせいか車が多く、のんびりと歩いてはいられず、左上の踏み跡を歩いたりする。

Img_6113 地震坂 【ルート地図】の①

もとは街道は右の土手にあったが、地震による地すべりで杉並木とともに西の方へ移動してしまった。たしかに杉並木が乱れている。別名を「地すべり坂」

Img_6111 説明板

Img_6112 坂下方向

左側(東側)の土手が高く、ずいぶんせり出している。

Img_6122 十石坂 【ルート地図】の②

昔はもっと急坂で、日光東照宮造営の際に、大石鳥居を奉納する黒田長政一行がこの急坂で難儀し、人夫たちに食べさせた米が十石にもなったという。

Img_6126 室瀬一里塚跡

壬生通り最後の一里塚跡

Img_6140 追分 【ルート地図】の③

ここで右から来る日光街道と合流する。分岐に追分地蔵堂がある。

Img_2057 追分地蔵堂

右が日光西街道

Img_2063 追分地蔵

地蔵というより大仏のようにでかい。

Img_6147 蔵助地蔵(玄樹院参道入口) 《地図

弘治3年(1557)に大工の蔵助が造立したもので、今市に残る最古の地蔵菩薩像というが、座像で首も欠けているせいか地蔵のようには見えないが。

Img_6144 報徳二宮神社

薪を背負いながら本を読む二宮の金ちゃんには親しみを感じるが、神様にまで祭り上げられてしまうと、もうこちとらとは縁のない雲上人だ。

Img_6145 由緒

Img_6156 今市宿の家並み

玄関前にふくろうの石像が2つ。

Img_6157 薬師如来は地蔵?

Img_6158 浄泉寺薬師堂・左に「そば喰い稲荷」

本堂は焼失したようだ。慶安4年(1651)、日光山に向かう家光の棺がここで小休止したという。

Img_6159 そば喰い稲荷(沢蔵司稲荷)

油揚げでなく、そばが好物なお狐さんとは珍しいね。さっき昼飯に入った居酒屋風の店では、外人さんがうどんを茹でていた。それは別に珍しくはないか。

Img_6160 由来

Img_6161 説明板

利子を活用した稲荷維持のための永久計画というが、明治維新で立ち消えになってよかったのでは。永久の計画なんてありえない。ましてお金が絡んではなおさらだ。

Img_6162 瀧尾(たきのお)神社

今市宿の西の入口で、木戸があった。

Img_6164 由緒

Img_6169 高龗(たかお)神社 《地図

神護景雲元年(767)創建と伝う古社。祭神の高龗神(たかおかみ)は雨水を司る竜神。

Img_6173 瀬川一里塚跡 【ルート地図】の④

日光街道最後の一里塚

Img_6180 江連家住宅(杉並木公園内)

小倉村の名主家を解体移築。

Img_6177 説明板

Img_6178 水車

今市では杉線香の生産が盛んでその動力として、また米つき、粉引きにも水車が利用されていたそうだ。

Img_6182 報徳仕法農家

今はそばが食べられる。

Img_6185 大日如来堂

ここも「今市宿地蔵めぐり」の一つ。

Img_6188 杉の根元を冷たい流れが通る。根は大丈夫なのだろうか?

Img_6189 砲弾打込杉説明板

砲弾痕の写真は木の間違った部分を撮ってしまって失敗weep。←いい年こいて絵文字なんか入れるなよ。

Img_6192 羽黒山修験の錫杖頭(がしら)の龍蔵寺跡らしい。

今は薬師堂だけが残る。堂の前の木の下に石の梵鐘が置かれたままというが見逃した。

Img_6196 薬師堂から日光連山の山並み

Img_6205 戊辰戦争隊士の墓(街道の右側)

標柱の左下が旧幕府軍の大草保助、右が広田銊太郎の墓。

Img_6211 生岡(いきおか)神社参道(跡) 《地図

右に「生岡神社」の石柱。左手前に「生岡大日道」の石柱。弘法大師が草庵を結び、大日如来を祀ったという。「上野(うわの)の子供強飯式が神事として伝わる。

神社と弘法大師の取り合わせは愉快だ。昔の神仏混交の当たり前の姿だろう。今は参道の間をJR日光線が通っていて、ちょうど電車が通過して行く。

Img_6209 線路のガードレールの切れ目から線路を渡ると参道らしき階段が上っているが、ここから遥拝で済ます。今の参拝ルートは日光街道を西に進み、迂回して車道を神社まで行くのだろう。

Img_6214_2 並木太郎(街道の右側)

それほどずば抜けて高いとも見えない。説明板がなければ気づかないだろう。

Img_6215 説明板

Img_6218 銀杏杉(別名を人生杉)

根が広がり張っているのだ。根の病気ではないようだ。

Img_6217 説明板

Img_6220 明治天皇七里小休止所跡(街道の左側)

Img_6227 麻疹(はしか)地蔵 《地図

筋違橋の左手前下。はしかにかかった時は橋の下をくぐれば治るという俗信。橋下→はしか

この俗信はつい最近に出会ったばかりだが、どこだったか忘れた。ぼけ封じ地蔵にでも参らねば。

Img_6233 異人石(街道の左側)

明治の頃、この石に腰掛けて異人さんが杉並木を鑑賞していたという。

Img_6232 説明板

Img_6242 稲荷神社

境内の左側に「西行戻し石」がある。

Img_6243 由緒

Img_6247 西行戻し石(右) 【ルート地図】の⑤

左の木の前の石は西行の歌碑。「くろ(黒)髪山」=男体山=二荒山

Img_6245 説明板

秩父の古道沿いに「西行戻しの坂」がある。登場するのは少年でなく、娘だが話も歌もよく似ている。「秩父巡礼道-1

奥州街道の白河宿には「宗祇戻し(の橋)」があり、逸話も大同小異だ。「白河市の坂

Img_6249 西行も遥拝した男体山

Img_6252 龍蔵院観音堂

下野坂東観音三十三ヵ所第33番。結願寺ということだ。

Img_6253 二十三夜尊

Img_6277 鉢石 《地図

日光開山以来、旅人の道標となった「鉢を伏せたような石」で、ここの地名の由来にもなった。

Img_6276 説明板

Img_6257 鉢石(はついし)宿の家並み

本陣は2軒で、入江家は、「御宮御菓子屋、本陣兼帯」といわれ日光御用達の菓子屋だった。今は「そば処 今要」。 もう1軒は高野家で、ゆば屋「さんフィールド」の駐車場の裏というが、資料メモを落としてしまい両方とも未確認。

Img_6266 宮前だんご

創業は享保8年(1723)

Img_6268 湯沢屋

まんじゅう店

Img_6269日光湯葉のふじや

Img_6270「志そまきとうがらし」の落合商店

Img_6273 吉田屋

ようかんの店

Img_6341 観音寺

一番上の写真は門前から参道。

Img_6344 説明板

日本語の説明板は見当たらず。

Img_6280

神橋の手前

国の有形登録文化財のようだ。

Img_6282 神橋(しんきょう)

渡るのには料金がかかる。

Img_6283 並木寄進碑

Img_6284 説明板

Img_6290 三仏堂

Img_6296_2 五重塔

Img_6300 日光東照宮

三神庫

Img_6318神厩舎

「見ざる 言わざる 聞かざる」の三猿

Img_6314 陽明門

Img_6320 二荒山神社楼門

Img_6323 拝殿

Img_6324 由緒

Img_6328 化け灯籠

Img_6327 説明板

Img_6337深沙王堂

日光山開山の勝道上人を助けた毘沙門天の化身の深沙大王を祀る。

Img_6338 由来

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2010年1月25日 (月)

日光西街道(壬生通)③(楡木宿→奈佐原宿→鹿沼宿→文挟宿→板橋宿)

2010年1月21日

楡木駅(東武日光線)・・・成就院・・・奈佐原宿・・・光明寺・・・猿田彦神社・・・押原神社・・・鹿沼宿・(鳥居跡・雲龍寺・薬王寺・本陣跡・大日如来堂・今宮神社・鹿沼城址・星宮神社・塩なめ地蔵(松源寺))・・・御成橋(黒川)・・・下野不動尊・呑龍寺・・・並木寄進碑・・・小倉一里塚跡・・・延命地蔵尊・文挟宿・・・二荒山神社・・・板橋一里塚跡・三本石・・・板橋宿(本陣跡・福生寺・栖克神社)・・・下野大沢駅(JR日光線)→宇都宮駅・・・ホテルサンルート宇都宮

 春のようなぽかぽか陽気で、上着を脱いで歩いても暑いくらいだった。見どころの多い鹿沼宿から日光連山の眺めのいい御成橋を渡り、杉並木の間を壬生通り最後の板橋宿まで行く。去年の11月から日光関連諸道を歩いてきたが明日はいよいよ今市宿で日光街道へ入り、本丸の日光東照宮へ討ち入りだ。今日は宇都宮へ泊まり、ビールを飲んで餃子を食べながら明日の作戦を練って、早めに寝ることとしよう。

  *参考:『鹿沼観光だより

  【ルート地図

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Img_5878 成就院の「しだれあかしで」 【ルート地図】の①

2代目の木で「とちぎ名木百選」。

Img_5888 奈佐原文楽用具収蔵庫

Img_5889 説明板

Img_5901 ここを左に曲がって東武日光線を越えると、「泣き相撲」で有名な生子(いきこ)神社がある。

説明板の後ろはもみやま保育園。園児の何人かは、赤子の時に「泣かせ相撲」で泣かされたことだろう。親が3500円も払って、なぜわざわざ泣かされるのか。人の世の不条理を初めて味わったことももう忘れたのか、「泣き相撲」のおかげで元気に育ったのか、大声を上げて無邪気に遊んでいる。

Img_5891 「泣き相撲」のいわれ

説明不足の感じがするが。

Img_5902 光明寺

山門には屋台彫刻と同じ見事な彫り物が施されている。

門は閉まっていて寺の回りをうろついていたら、怪しまれたのか寺の奥さんから「お参りですか」と声を掛けられた。仏像泥棒が多いので閉めているのだそうだ。

Img_5903この寺には確かに鎌倉時代の仏像があるようだが。

Img_5907 「○道」?

猿田彦神社への参道の意なのか?

Img_5908 猿田彦神社

Img_5911 押原神社

平将門の乱の際に、平定盛、藤原秀郷が戦勝を祈願したという。

境内左手に「竜神の泉」があるというが気がつかなかった。

Img_5912 由来

Img_5916 鳥居跡(とりいど) 《地図

源頼朝が日光山の遠鳥居を建てた跡。今は正面の分岐点に二荒山神社の小祠が建つ。ここから鹿沼宿で、右は旧来からの田町通りで、左が鹿沼宿が整備される時に造られた内町通りで、ここを進む。

Img_5919 説明板

Img_5923 雲龍寺

「鈴木石橋の墓」がある。鈴木家は本陣家で、石橋の開いた私塾の門下生に寛政の三奇人の一人の宇都宮宿で生まれた蒲生君平がいる。今でも地元では「石橋(せききょう)先生」と敬われているそうだ。

Img_5924 説明板

Img_5941 鈴木石橋①

Img_5943

Img_5927 中野屋酒店

Img_5948 大坂屋箒屋店

「鹿沼屋台夢箒」のとおり、2階からもほうきがぶら下がっている。 鹿沼箒は鹿沼の名産で、「箒屋千軒」とも呼ばれていたが、今は数軒だけとか。

Img_5965 旧家

Img_5929 薬王寺

Img_5930 説明板

Img_5933三代将軍家光公「鎧塔」

左が由来碑のようだが、読むのを忘れ写真も撮らず、どんな由来があるのか分からず。日光社参の折に家光が献じたものにしては少し粗末の感じがする。家光の鎧(よろい)をここに掛けたのか? 日光社参に鎧をつけては行かないと思うが。

Img_5935 大日如来堂

大日如来像は33年に一度の開帳らしい。

Img_5937 本陣跡の「石橋のさと」公園 《地図

左隣の街道に面している鈴木内科が本陣家。

Img_5939 説明板

Img_5944 本陣鈴木家の蔵

Img_5959 仲町屋台公園の屋台展示収蔵庫 《地図

鹿沼の彫刻屋台

Img_5958 説明板

Img_5957 仲町屋台

白木彫刻屋台だがガラス越しの見学。屋台造りが過熱して、「彩色彫刻黒漆塗屋台」にまで出現し、ついには幕府から華美禁止令が出されてしまった。それならばと、白木の彫刻のより絢爛華麗な彫刻屋台を造り出したそうだ。

Img_5960 掬翠(きくすい)園

明治から大正時代の鹿沼屈指の麻商だった長谷川唯一郎の造営の庭園。鹿沼の三名園で現存する唯一のもの。泉池?に水がないせいか、殺伐とした感じがする。

Img_5968 今宮神社

鹿沼城の鎮守。毎年10月の例大祭には、絢爛豪華な彫刻屋台が繰り出す。

Img_5979 由緒

Img_5977 鹿沼城址(御殿山公園の本丸跡の野球場) 【ルート地図】の②

大永3年(1523)の宇都宮氏と皆川氏の川原田合戦で、皆川氏を援けた壬生綱房が天文元年(1532)に築城。

Img_5975 説明板

Img_5989 星宮神社 《地図

小さな社だが地元の彫物師の彫刻で飾られている。屋台の彫刻と同じ技術なのだろう。

Img_5988 説明板

Img_6000 塩なめ地蔵堂(松源寺) 【ルート地図】の③

元禄年中(1688~1703)に大谷石で造られた延命地蔵で、塩を供えて願掛けをするとご利益があるという。

Img_5999 お堂の前の袋入りの塩

堂内にも塩が積まれている。

Img_6003 松源寺先の旧家

Img_6012 御成橋から日光連山

左が男体山

Img_6022 歩道が分離していて歩きやすい道を行く。

Img_6028 並木寄進碑 《地図

Img_6029 説明板

Img_6031 杉並木の間を行く。

むろん車も通るのであまり楽しくはない。

Img_6038 小倉一里塚跡 【ルート地図】の④

Img_6040 反対側の塚

Img_6046 追分の廻国念仏供養塔道標(右の木の根元) 《地図

国道121号の文挟(ふばさみ)交差点の所。手前が壬生通で右が鹿沼方向、正面方向(道標の左方向)はJR日光線の文挟駅へ。

Img_6048 「右鹿沼 出流 岩舩 左大谷 田下 宇都宮 道」

宝暦12年(1762)の建立

Img_6052 延命地蔵堂(前の道標のすぐ先の左側)

このあたりから文挟宿なのだが宿場の面影や家並みは残っていない。

Img_6053 延命地蔵尊

冬で赤い毛糸の帽子とセーターか。一年中この恰好では可哀そうだよ。

Img_6056 文挟宿「問屋場」跡

今も看板に「問屋」と標示している。この向い側が本陣跡らしい。

Img_6059 二荒山神社

鳥居の前に昭和24年12月の大地震の「震災復興記念碑」が立つ。この時の地震は街道にも被害を与え、杉並木がずれて街道も一部分移動してしまった。そこは明日歩く「地震坂」となって今でも名をとどめている。

左は江戸時代に飢饉などに備え、村民が共同で建てた食料備蓄倉庫の郷倉。

Img_6072 レストラン「例幣使」はつぶれたようだ。すぐ先が板橋一里塚。

Img_6073 板橋一里塚・三本石・小祠 【ルート地図】の⑤

Img_6074「三本石」

どんな由来か?

Img_6077小祠内

弥勒菩薩?

Img_6085 板橋宿の本陣大貫家跡地

この先に大貫屋酒店がある。後ろは板橋城があった城山(443m)。板橋城は永正年間(1504~1520)に宇都宮一族の日光山遊城坊が設けた里坊の館だった。その後、天文年間(1532~1554)に後北条氏が同盟軍の壬生氏のために派遣した板橋将監がこの城を拠点とした。壬生氏の滅亡とともに板橋氏も滅び廃城となったという。

Img_6088 栖克(すみよし)神社

祭神は祭神は中筒男命

Img_6089 福生(ふくしょう)寺

Img_6091 参道入口の本多正盛の墓

東照宮造営の副奉行で、同僚と争論して自刃。

Img_6090 説明板

Img_6092 昔風の旧家が集落はずれにぽつんと建っている。

この先で杉並木の間の道となる。

Img_6097すぐに上り坂となるが、これは地震坂ではない。歩道がなく歩きづらい道だ。しばらく進み、右へ曲がって街道から離れて下野大沢駅に向った。

Img_6104_2 二宮尊徳像

下野大沢駅のそばの小公園内

 

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2010年1月23日 (土)

日光西街道(壬生通)②(壬生宿→楡木宿)

2010年1月19日

壬生駅(東武宇都宮線)・・・壬生宿(蘭学通り・脇本陣跡・本陣跡)・・・舟町通り・・・雄琴神社・・・壬生城址公園・・・蘭学通り・・・興光寺・・・国道352号・・・東雲橋(黒川)・・・高館橋(江川)・・・愛宕塚古墳・・・(県道2号)・・・車塚古墳・・・牛塚古墳・・・県道2号・・・神代橋(黒川)・・・壬生寺・・・常楽寺・・・国道352号・・・(北関東自動車道)・・・(県道221号)・・・金売吉次の墓・・・稲葉一里塚跡・・・梅林天満宮・・・金毘羅神社・・・判官塚古墳・・・磐裂根裂神社・・・北赤塚一里塚跡・愛宕神社・・・磯山神社・・・(東北自動車道)・・・追分交差点(日光例幣使街道合流点)・国道293号・・・楡木宿・・・(東武日光線)・・・神社橋(小藪川)・・・楡木神社・・・楡木駅(東武日光線)

  ルート地図

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Img_5709 壬生宿「蘭学通り」説明板

Img_5686 脇本陣松本家(松本内科医院) 《地図

Img_5688 長く続く松本家の黒板塀

Img_5707 旧家

Img_5713 本陣(足利銀行手前を左に入った所)

ここも松本家。奥に古い家屋と土蔵が見える。古い門が残っているそうだが見逃したか。

Img_5728蘭学通り 【ルート地図】の①

電線がなく、広く明るい空が気持ちいい。

Img_5725 蘭学通り

左は石崎家の長屋門で今は店が何軒が入っている。

Img_5732 三村屋履物店

Img_5723 淀川肥料店

Img_5734

Img_5714

Img_5702 舟町通り(左に雄琴神社、その先の東武宇都宮線の踏切を渡り黒川へ通ずる) 《地図

黒川の壬生河岸から壬生城下への重要な産業道路として賑わった通り。

Img_5700 由来碑

Img_5697 雄琴神社随神門

近江の雄琴神社に初代壬生氏の祖の小槻今雄が祀られている。そこから分霊、合祀した壬生の総鎮守社。

Img_5696 由来書

Img_5698 説明板

Img_5716 壬生城址公園 《地図

Img_5717 大手門(復元)

Img_5719 説明板

Img_5720 本丸跡

内部に御殿があり、江戸時代初期には将軍の日光社参の宿舎に使われた。天守や櫓は築かれなかった。

Img_5730 興光寺

徳川家光の通夜が行われ、「葵」の紋が贈られた寺。山門屋根の紋は「三つ葉葵」だろう。

Img_5729 由来書

Img_5745 愛宕塚古墳

壬生城の鬼門除けの愛宕神社の建つ後円部から前方部方向。

黒川左岸の段丘上に築かれた古墳時代後期の壬生地域の首長3代の墓の一つ。愛宕塚古墳→牛塚古墳→車塚古墳の順で築造された。

Img_5743 愛宕神社

Img_5739 説明板

Img_5740墳形図

Img_5749 車塚古墳

直径82mの円墳。南側に横穴式石室が開口している。

Img_5764 説明板

Img_5765 墳形図

Img_5751 凝灰岩の巨大な一枚岩を箱型に組み合わせた横穴石室

石室は前室と玄室からなり、羨道は壊されて残っていない。大谷石で造られた最も古いの建造物(石蔵)の一つだろう。

Img_5752 玄室内の奥壁

玄室の奥行きは3m。がっしりしていて今でも十分寝泊りできそうだ。

Img_5753 石室内から

Img_5769 牛塚古墳

帆立貝形の前方後円墳だが墳形ははっきりしない。

Img_5766 説明板

Img_5767 墳形図

Img_5776壬生寺山門

「慈覚大師誕生地」の門柱が立つ。後ろはライシャワー元駐日大使の手植えの桜。

Img_5775 境内                      

樹齢350年のイチョウ・右に大師堂・正面奥に円仁産湯の井戸・その左は六地蔵堂

Img_5779 慈覚大師円仁産湯の井戸

日光例幣使街道の岩船町にも誕生地があった。

Img_5780 説明板

Img_5786 常楽寺(壬生城主の壬生家・鳥居家の菩提寺)

小像さんが出迎えてくれる「像楽寺」か。

Img_5789 由来書

Img_5791 県道2号を渡ると用水脇に歩道がついていて歩きやすい。

Img_5803金売吉次の墓(正面の小さな松の下に石が2つ積んである)と吉次の守護仏の小観音堂の覆い屋(右後ろ) 【ルート地図】の②

「奥の細道」の旅で芭蕉と曽良はここを通って、畑の中にこの墓を見ている。吉次は奥州街道白河の境の明神あたりで強盗に襲われ殺害され同地に葬られたともいわれ墓もある。

Img_5798 説明板

Img_5802 これが吉次の守護仏という観音堂だろう。(後ろの覆い屋の中)

Img_5804 稲葉の一里塚跡

金売吉次の墓のすぐ先

Img_5805 説明板

Img_5811 石の小鳥居と小祠に鉄の大釜の取り合わせはどういう意味か、別に意味などないか。(稲葉小学校前歩道橋の左先)

Img_5815 梅林天満宮

Img_5820 金毘羅神社

北赤塚バス停の所

Img_5825 判官塚古墳 【ルート地図】の③

右が後円部で、南側に土に埋まりかけた横穴式石室が開口している。義経が冠を埋めたので冠塚ともいわれる。

Img_5826 説明板

Img_5827 石室

全長5.9mの両袖型の横穴式石室式。

Img_5831 石室内部

右袖が見える。

Img_5824 磐裂根裂(いわさきねさき)神社

この地域に多い、開墾・農耕の神社。

Img_5837 北赤塚一里塚跡 【ルート地図】の④

右に旧道らしき道が残っている。

Img_5844 旧道を行くと左に愛宕神社がある。

Img_5842 愛宕神社

Img_5849 磯山神社

例幣使街道を歩いた時は遥拝で済ませたが、今日は参ろうぞ。参道はあじさいがぎっしり並ぶ。花の時期に祭礼があり、夜間もライトアップされ見事という。

Img_5851 由緒

Img_5852磯山神社

Img_5855 説明板

Img_5854 夫婦杉(境内)

高さ約41m、樹齢400年以上の双幹の杉。

Img_5859 東北自動車道をくぐると日光例幣使街道との追分が近づく。

Img_5861 追分交差点 【ルート地図】の⑤

左からの日光例幣使街道と合流。地元ではこの先、今市までも日光例幣使街道と呼び、地図の表記も「日光例幣使街道」となっている。日光西街道、壬生通よりは何となく格調が高いからだろうか。

ここから先、楡木駅までは昨年12月30日に歩いたばかり。

Img_4629 分岐点の道標

右 中仙道 左 江戸道」

Img_5865 楡木宿に宿場を感じさせる建物は少ない。

Img_5867 楡木神社

40分ほどの電車待ちの間に寄ってみた。手前は神社橋(小藪川)

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2010年1月22日 (金)

日光西街道(壬生通)①(喜沢の追分→飯塚宿→壬生宿)

2010年1月18日

小山駅(JR宇都宮線)・・・日光街道(県道265号)・・・喜沢の追分(喜沢東交差点)・日光西街道(県道18号)・・一里塚跡・・・小山ゴルフクラブ内古墳・・・東島田子育地蔵尊・・・大日山美術館・・・扶桑歩道橋・・・半田橋(姿川)・・・七面堂・妙典寺・飯塚宿・・台林寺・天満宮・・・摩利支天塚古墳・・・琵琶塚古墳・・・伝紫式部の墓・・・しもつけ風土記の丘(防人街道・下野国分尼寺跡・下野国分寺跡)・・・県道18号・・・飯塚一里塚跡・・・紫雲寺・・・花見ケ丘交差点・・・県道44号・・・蓮華寺・・・県道18号・・・御成橋(黒川)・・・壬生一里塚跡・・・縄解地蔵尊・・・(東武宇都宮線)・・・壬生宿・蘭学通り・・・脇本陣跡・・・壬生駅(東武宇都宮線)

 日光西街道(壬生通)は、日光街道(奥州街道)の喜沢の追分から北西に入り、飯塚宿、壬生宿を経て楡木宿で日光例幣使街道と合流し、奈佐原宿、鹿沼宿、文挟宿、板橋宿を通って今市宿で再び日光街道と出会う。宇都宮宿経由の日光街道よりは2里ほどの近道となる。「奥の細道」の旅で芭蕉はこの道をたどり、「室の八島」に参詣して日光へ向った。芭蕉らよりはゆっくり、のんびりと日光を目指す。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_5498 喜沢の追分(喜沢東交差点)【ルート地図】の①

日光街道は直進し、右へ細い旧道に入る。日光西街道は斜め左に曲がる県道18号。

Img_5503 小山ゴルフ場の間を抜けて行く。

ゴルフ場内に一里塚、古墳群が残っている。

Img_5507 日光街道西一里塚跡(西側の塚)

ゴルフ場内にある。

Img_5504 説明板

Img_5515桑57号墳(復元) 一里塚の先の左側

もとは全長36mの帆立貝形古墳で、5基の喜沢古墳群の主墳だった。出土した歯から被葬者は30歳前後の女性と判明した。『探訪とちぎの古墳』

卑弥呼と同じシャーマン、巫女的な首長だったのだろう。

Img_5511 説明板

Img_5512 説明板

Img_5516 東島田子育地蔵尊 《地図

右の坐像の地蔵は享保12年(1727)の建立。

Img_5520 地蔵などの石仏4体

子育地蔵のすぐ先の街道の左側

Img_5525 大日山美術館

古い農家を移築、改築した絵画、版画、陶芸品などの美術館だそうだ。

Img_5528 扶桑歩道橋脇の馬頭観音、庚申塔など

Img_5540 半田橋から日光連山

Img_5545 七面堂

「末法鎮守七面大明神」の石柱が立つ。向い側は妙典寺。

Img_5550 飯塚宿の家並み

宿場の面影は残らず。

Img_5553 旧家

この向い側の空き地が鈴木本陣跡

Img_5556 右のそば屋「よろずや」の向い側が脇本陣の谷田貝家だそうだが今は普通の民家になっている。

Img_5559 台林寺

Img_5564 天満宮

「奥の細道」の旅で芭蕉と曽良はここから思川の河原へ出て、室の八島(大神神社)へ向ったようだ。

Img_5571 摩利支天塚古墳(前方部の斜め後ろから)

全長117mの栃木県で最大規模の前方後円墳

Img_5575 説明板

Img_5574 墳形図

Img_5579 後円部上の 摩利支天

Img_5594 琵琶塚古墳(後円部上から前方部方向)

全長123mの栃木県で最大の前方後円墳

Img_5589 説明板

Img_5590 墳形図

Img_5607 伝紫式部の墓 【ルート地図】の②

「伝承」ともいえない由来話だ。小さい方は侍女の墓だと辻褄合わせのような話があるが、大きさに差はないように見える。

Img_5606 説明板

Img_5608 しもつけ風土記の丘・天平の丘公園案内図

Img_5614 防人街道

伝紫式部の墓の南側からから東へ国分尼寺跡の方へ通じている。

Img_5631 説明板

Img_5622 下野国分尼寺跡

南大門跡あたりから

Img_5629 説明板

Img_5627 伽藍配置図

国分尼寺に塔はない。

Img_5642 下野国分寺跡

右の木の後ろが七重塔跡

Img_5636 説明板

Img_5637伽藍配置

Img_5645 飯塚一里塚跡 【ルート地図】の③

小ぶりだが2基残っている。

Img_5643 説明板

Img_5646 紫雲寺

寛政元年(1789)に尾張国からの女人二人(お似呂さん)の関東二十四旧蹟巡拝者が国分寺の親鸞上人済度の「蛇骨経塚」が荒廃しているのを嘆き、壬生城主の鳥居丹波守に願い出て、篤信の越後の農夫を開山として開基した寺という。

Img_5647 由緒碑

関東二十四旧蹟は親鸞上人ゆかりの地で、「蛇骨経塚」はその一つだろう。

親鸞上人大蛇済度の伝説は、「鎌倉時代の初め頃、浮気した夫とその相手を食い殺した女が大蛇と化して里人を苦しめていた。この地を訪れた親鸞上人がこの大蛇を済度し、大蛇は菩薩の姿となって往生した。」 大蛇の骨を経典と一緒に埋めたのが蛇骨経塚で、この先の花見ケ丘交差点を左に入った蓮華寺にある。大蛇が往生した時に空から蓮華の花が降ってきたので蓮華寺で、花見ケ丘の地名が起こったとか。

Img_5653 紫雲山蓮華寺

本堂は改築工事中で境内に入るのは遠慮したが、蛇骨経塚(境外か?)と、今は涸れた「大蛇済度の池」があるというのを後で知った。

Img_5664 壬生一里塚跡 【ルート地図】の④

壬生城の城主は将軍の日光社参の際にはここで出迎えたそうだ。

Img_5666 説明板

Img_5668 花之木神社

Img_5670 縄解地蔵堂 【ルート地図】の⑤

壬生に初めて城を築いた、小槻彦五郎胤業が京都から勧請して祀った地蔵尊。縄解きは、苦しみから解放される事で、信仰によって罪ある者さえ解放されるという意。京都市中京区壬生寺の「延命地蔵尊」、三重県名張市(壬生村)の「縄目地蔵尊」とともに、日本三体地蔵尊と呼ばれている。4月にお祭を開催。子授け・安産・子育・冤罪に霊験あらたかという。

地蔵さんは33年に一度の開帳。庶民の守り仏なのだからそんなけちなこと言わないで欲しいよ。

Img_5682 壬生宿の旧家

Img_5684 交番の向い側の旧家

この先の壬生宿の中心の蘭学通りは次回歩く。

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2010年1月12日 (火)

日光東往還⑤(結城宿→多功宿→日光街道追分)

2010年1月11日

結城駅(JR水戸線)・・・結城宿・・・神明神社・神明橋(吉田用水)・・・県道146号(結城石橋線)・・・(小山市)・おやま縄文まつりの広場(寺野東遺跡)・小山工業団地・・・(県道214号)・・・(下野市)・別処山古墳・百体観音堂・・・星宮神社・・・仁良川交差点(県道44号)・・・薬師堂・・・満福寺・・・仁良川上公民館(大日如来堂・八坂神社・大杉神社)・・・愛宕神社・・・(国道4号)・・・薬師寺小学校・・・龍興寺(道鏡塚)・・・雷電神社・薬師寺八幡宮・・・安国寺・六角堂・下野薬師寺跡・・・御鷲山古墳・・・下多功交差点(国道352号)・多功宿・・・星宮神社・・・西念寺・・・天満宮・・・(県道71号)・・・(東北新幹線・宇都宮線)・・・日光街道(国道4号)・・・星宮神社・・・旧道・・・日光街道合流点・・・日光街道・・・石橋駅(JR宇都宮線)

  *結城宿は、「結城市の坂」(2009年6月26日)に記載

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_5254結城宿の家並み

休日で8時を過ぎたばかりで閑散としている。去年じっくり散策しているので、さあーっと通り抜ける。

Img_5264 神明神社 《地図

Img_5260 右端は地蔵らしからぬユニークな顔をしている。頭部は新しくつけたようだ。(鳥居の右側)

Img_5267 男体山か?

Img_5291 寺野東遺跡説明板(おやま縄文まつりの広場) 【ルート地図】の①

工業団地造成の際に発掘調査され、平成16年に開園された旧石器時代から平安時代までの集落や墓地の国指定遺跡。

Img_5285 環状盛土遺構

中は削平され窪みとなっている

Img_5289 説明板

Img_5279 寺野東13号墳(直径25mの円墳)

向こう側はガイダンス・資料館

Img_5293 小山工業団地を抜けて行く。

Img_5299 雑木林の間もある。

Img_5317別処山古墳(右が前方部) 【ルート地図】の②

古墳時代後期の全長35mの前方後円墳。

Img_5305 説明板

Img_5311 反対側(南側)に長さ約3.4mの横穴石室が開口している。

Img_5320 百体観音堂(別処山古墳の東側)

Img_5319 説明板

Img_5321 百体観音

十一面観音の両側に聖観音・如意輪観音・馬頭観音が並ぶ。安産・子育ての守護仏として女人の信仰を集めているそうだ。

Img_5322 十九夜塔(右)・御輿舎

Img_5326 星宮神社 《地図

Img_5332 仁良川集落の長屋門

Img_5334

Img_5346 地蔵と十九夜塔

栃木県には女人講中建立の十九夜塔が多い。

Img_5339宝篋印塔

後ろは一つの堂に大杉神社と八坂神社、その後ろが薬師堂

薬師如来は33年に一度の開帳だそうだ。

Img_5338 説明板

Img_5341 薬師堂説明板

Img_5347 長屋門

Img_5348 旧家

Img_5349

Img_5353ここは 旧佐竹藩仁良川陣屋を移転改築した小学校跡だそうだ。

Img_5362 満福寺

左はヤブツバキの木

Img_5356 もう咲いている

Img_5358 満福寺阿弥陀堂(正面)

Img_5365 大日如来堂(左)・八坂神社、大杉神社

仁良川上公民館の敷地内

Img_5369 愛宕神社

Img_5381 龍興寺山門

6千万円かけて造ったとか。

Img_5382 略縁起

Img_5384 「道鏡について」

方や悪名高き道鏡も、ここでは誇り高き高僧だ。歴史の真実を歪曲しているのはどっちやら。

Img_5390 道鏡塚(古墳) 【ルート地図】の③

もとからあった古墳を道鏡の墓と見立てているのだろう。右の木は樹齢500年という「シラカシ」の木

Img_5393 雷電神社(左)・薬師寺八幡宮(右)

Img_5394 雷電神社由緒

Img_5395 八幡宮参道

Img_5396 八幡宮参道

昔はこの神木に梟(ふくろう)が棲みついていたという。「福郎」・「福来郎」・「不苦労」か。よく考えるよ。

Img_5398八幡宮由緒略記

Img_5406 安国寺 《地図

ここが下野薬師寺の中心部だったという。

Img_5404 説明板

Img_5409 下野薬師寺礎石

東塔跡付近から発掘されたもの。

Img_5410 説明板

Img_5415 薬師寺西回廊跡の復元

正面は回廊建物の復元

Img_5423 西回廊を右に曲がると講堂跡。

Img_5417 伽藍配置

Img_5422 六角堂

Img_5420 説明板

Img_5434御鷲山(おわしやま)古墳(前方部西南角から) 【ルート地図】の④

古墳時代後期(6世紀末)築造の全長約63mの前方後円墳。古墳前の十九夜塔には花が供えれている。

Img_5429 説明板

Img_5441 長屋門

Img_5445 下多功バス停の所

Img_5451 星宮神社 《地図

Img_5453 道標(宿多功バス停の交差点)

Img_5461 西念寺

地蔵堂と「上三川七福神」の寿老人堂

Img_5460 元気そうな寿老人

Img_5463 天満宮 《地図

ここは多功廃寺跡とか。

Img_5468 左に東北新幹線と宇都宮線が近づいてくる。

Img_5471 車道は線路沿いを北に進む。街道は左斜めに横切っていたが、今は直角に曲がって新幹線のガードをくぐり、一度日光街道に出なければならない。 《地図

Img_5479 街道はここへ通じていた。《地図

今は「この先行き止まり」だが、昔、街道はこの先で前の写真の所へ通じていたのだろう。ちょうど宇都宮線が通って行く。

Img_5483 日光街道との追分(合流点)に向う。正面の高架は北関東自動車道

Img_5486 パチンコ店「イクサム」の裏側から左にカーブして日光街道へ出る。もとは直線的に進み、日光街道と北関東自動車道の交差下へ通じていたのだろう。

Img_5488日光街道と合流点、追分(わかさり) 【ルート地図】の⑤

ここから南へ日光街道を進み、星宮神社、鞘堂地蔵尊、下古山一里塚跡、石橋宿から石橋駅へ出た。

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2010年1月10日 (日)

日光東往還④(谷貝宿→仁連宿→諸川宿→武井宿)

2010年1月9日

東武動物公園(東武伊勢崎線) バス→境車庫・県道126号・・・県道17号・・・(古河市)・谷貝宿・延命地蔵堂・香取神社・聖観音堂・長屋門(ひいらぎ幼稚園)・・・山田十字路・・・妙厳寺・東漸寺・・・仁連(にれい)宿・・・諸川宿・向龍寺・脇本陣跡・染谷喜重商店・大橋醤油店・諸川郵便局・・・西仁連木川・(結城市)・七五三場(しめば)集落・・・大戦防交差点・武井宿・・・大日如来堂・・・三蔵神社・・・作ノ谷交差点(長屋門)・・・繁盛塚橋(吉田用水)・・・稲荷神社・・・(国道50号)・・・結城駅(JR水戸線)

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_5111庚申塔か?

Img_5117 ここにも風化した石仏が

Img_5118 延命地蔵堂

Img_5120 延命地蔵尊

Img_5121 谷貝宿の家並み

古い家はあまり見かけなかった。

Img_5122旧家

Img_5123 農家

Img_5124 香取神社

Img_5127 聖観音堂 《地図

Img_5131 聖観音像

Img_5136 長屋門 【ルート地図】の①

「ひいらぎ幼稚園」の入口になっている。テレビアニメの「忍たま」のキャラクターが並んでいる。

Img_5148東漸寺の樹齢 の500年のボダイジュ(菩提樹) 【ルート地図】の②

葉っぱがないと寂しい感じだ。

Img_5149 旧家

Img_5157 諸川宿の家並み

Img_5165 向龍寺の門前

「當宿内」は諸川宿のことだろう。

Img_5164 板碑

最後列の中央の板碑が室町時代後期の古河市指定の文化財。

Img_5161 説明板

Img_5166 商家

Img_5168 米穀肥料染谷喜重商店

大正7年の創業だからそれほど古くはない。

Img_5172大橋醤油店

Img_5175 長屋門(脇本陣跡小林家)

Img_5179大橋醤油店旧店舗

Img_5178 大橋醤油店

香ばしい匂いが漂ってきて思わず店に入りそうになった。「醤油ビン」を買ったらこの先の歩きがつらくなる。

Img_5185 白い蔵造り風の建物は諸川郵便局

Img_5186 諸川郵便局

Img_5188 隣りの旧家

Img_5190西仁連木川を渡り、結城市の七五三場(しめば)集落に入る。

「七五三」は「しめなわ(七五三縄・注連縄)を作っていた所から由来する地名のようだ。

Img_5192「歴史の道 鎌倉街道」の立て看板

Img_5214 大戦防(だいせんぼう)交差点 【ルート地図】の③

このあたりに「台仙坊」という寺の宿坊があり、字名でもあった。慶応4年(1868)に官軍と結城藩の激しい戦いがあり、その後に「大戦坊」と字が変わったという。

Img_5216武井宿の家並み

宿場の面影はない。右に名号塔が立つ。

Img_5219 長屋門

Img_5221県道の西側に入ると畑が広がっている

Img_5225 大日如来堂 【ルート地図】の④

前を通るのは鎌倉街道か。

Img_5226 古い街道の雰囲気がある道を行く。

Img_5227 「鎌倉街道」の案内板が立つ。

直進して三蔵神社へ向う。

Img_5231 三蔵神社

青い社殿が変わっているか?

Img_5234 長屋門

Img_5238 長屋門 【ルート地図】の⑤

作ノ谷交差点の所。長くどっしりとして黒光りしている。門の内側に入れるが建物はないようだ。

Img_5241 正面から

Img_5245 稲荷神社 《地図

Img_5248 吉田用水沿いを結城駅へ

Img_5251 結城駅

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2010年1月 9日 (土)

日光東往還③(関宿→境宿)

2010年1月8日

川間駅(東武野田線)バス→関宿幼稚園前・・・諏訪神社・諏訪橋・・・はやま工業団地・・・地蔵堂・・・吉祥寺・・・元町香取神社・・・雲国寺・・・中井橋・・・(関宿小学校)・・・県道17号・・・関宿・実相寺・大龍寺・明王殿・・福寿院・・・宗英寺・・・稲荷神社・・・昌福寺・・・鈴木貫太郎記念館・・・県道26号・・・関宿関所跡・香取神社・・・薬師堂・・・国道17号・・・光岳寺・・・香取神社・・・関宿城博物館・・・境大橋(利根川)・・・境宿・三峰神社・八坂大神・吉祥院・高木書店・県道126号・・・実台寺・・・境車庫バス停→東武動物公園駅(東武伊勢崎線)

  ルート地図

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Img_4951 諏訪神社 【ルート地図】の①

近くの常敬寺の阿弥陀堂には、手の甲を合わせて印を結ぶ阿弥陀如来像が安置されているそうだ。

Img_4955 西高野からはやま工業団地を抜け、関宿元町、関宿江戸町へと進む。

県道17号を東高野、席宿台町へと行く道筋もある。

Img_4957左に江戸川が近づく。

Img_4958 右に地蔵堂

Img_4960 花柄模様の衣をつけている地蔵さん。正月用で普段は赤い前掛け姿なのだろうか?

Img_4967 吉祥寺

長禄年間(1457~59)頃、簗田氏が関宿城を築城した際に、水海(茨城県総和町)から移されたという。

Img_4969 香取神社

後ろは江戸川の土手

Img_4973 雲国寺 【ルート地図】の②

昔は100m近くもあったという長大門は江戸川の河川改修で削られてしまった。

Img_4974 周辺案内図

Img_4982 実相寺

Img_4983 説明板

Img_4989 大龍寺

猿島坂東三十三ヵ所観音霊場の第2番。右は十九夜塔(文化13年(1816)建立)

Img_4990 「明王殿」の扁額が掛かっている。

Img_5004 いちょうの古木の右下に文化3年建立の「二十三夜塔」

Img_5000 福寿院

猿島坂東三十三ヵ所観音霊場の第1番

Img_4999 説明板

Img_5011 宗英寺

Img_5008 説明板

Img_5010 創建当時のものという山門の「葉紋」

Img_5013 稲荷神社

Img_5016 昌福寺参道の右側の蔵造りの民家

Img_5019 昌福寺不動堂

堂回りに彫刻

Img_5018 説明板

Img_5020 左側

馬に乗る仙人? 不動明王とは縁もゆかりもなさそうだが。

Img_5021 右側

こちらは龍に乗っている。

Img_5027 鈴木貫太郎記念館

終戦時の内閣総理大臣

Img_5028 周辺図

Img_5029 説明板

Img_5035 関宿関所跡碑(正面の分岐点) 【ルート地図】の③

Img_5040 香取神社

この先の右側の土手沿いに周辺図⑧の「納谷の首切り塚」と呼ばれた処刑場跡があって石碑が立っているはずだが見当たらず。

Img_5042 薬師堂

「瑠璃殿」の扁額が掛かる。「薬師瑠璃光如来」だろう。

Img_5046 光岳寺参道

お堂は無いのかと思ったが参道は正面の地蔵の前を右に曲がり本堂まで続いている。

Img_5049延命子育地蔵

徳川家康と異父弟の松平康元の生母の於大の方の守護仏という。地元では「金仏様」と親しまれているとか。
於大の方の生誕地は、『師崎街道②』に記載。

Img_5048 由来

Img_5050 光岳寺

山門に寺紋の「三つ葉葵」の垂れ幕?下がり、門柱にも紋がついている。

Img_5052 説明板

Img_5061 何の鳥か?

Img_5077 関宿城へ

右の利根川の土手下に、関宿城の鬼門除けの「三軒家鬼門除け稲荷」の小祠がある。

Img_5065関宿城博物館 【ルート地図】の④

館内は明るくきれいで、展示品も見やすい。

実際の関宿城は500mの南方向にあった。幕末まで城主だった久世氏は文京区の鷺坂に下屋敷があった。

Img_5066 説明板

Img_5068筑波山

天守閣から

Img_5071 雪化粧の日光男体山

Img_5072 赤城山

Img_5082 境大橋から利根川下流方向

Img_5088 八坂大神

堂内は物置みたいな状況。

Img_5092 吉祥院

願いが成就したときに塩を奉納するという「塩地蔵」があるそうだが見逃した。

Img_5096 境宿の家並み

Img_5099 高木書店(左側)

Img_5102高木書店 【ルート地図】の⑤

もとは筆屋だったそうだ。

Img_5098 今もちゃんと営業している。

Img_5105 中央名店街通り

Img_5107旧家

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2010年1月 8日 (金)

日光東往還②(山崎宿→中里宿)

2010年1月7日

梅郷駅(東武野田線)・・・流山街道(県道17号)・・・下妻街道分岐地点・・・鏡円寺・・・(東武野田線)・・・花井神明神社・・・菅原神社・・・中根十字路(県道46号)・・・宮崎市民の森・中央の杜・野馬土手跡・野田市役所・・・旧道・・・国道16号・・・流山街道・・・西岸寺・・・中里交差点(国道16号)・中里宿・満蔵寺・愛宕神社・・・トステム工場・・旧道・・・・流山街道・・・新宿交差点・・・喜八屋・・・須賀神社・・・関宿支所・旧道・日枝神社・・・流山街道・・・(宝球花(ほうじゅばな)橋)・・・八坂神社・・・柏寺香取神社・・・関宿幼稚園バス停→川間駅(東武野田線)

  【ルート地図

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Img_4796 流山街道から分かれ右へ入り東武野田線を渡る。

下妻街道も流山街道を進む。

Img_4797 鏡円寺

山門は線路の方を向く。本尊は延命地蔵尊で、「お地蔵様の寺」というように境内には地蔵が多く並んでいる。

Img_4805 花井神明神社 【ルート地図】の①

Img_4804 由来書

Img_4816 菅原神社

Img_4815 坐像の庚申塔(天明7年(1787))は珍しいか。(神社参道左側)

Img_4820 中根十字路の先の高札場跡あたり

右奥は市民の森、野馬(除け)土手跡

Img_4829 宮崎市民の森・中央の杜(右)

Img_4831 森の中は野馬土手を保護するための散策路がついている。

江戸時代中期までは庄内牧と呼ばれた野馬の放牧場だった。

Img_4842 野馬土手跡(野田市役所前) 【ルート地図】の②

Img_4838 説明板①

Img_4839 説明板②

Img_4841 説明板③

Img_4843 日光東往還説明板

Img_4851 右から国道16号が近づく。

Img_4852 旧道

左に馬頭観音。このあたりに首塚と呼ばれた20mほどの古墳があったというが見当たらず。

Img_4853 新旧の馬頭観音

Img_4857 農家

Img_4862 のどかな道

Img_4865 木々の間を抜ける。

Img_4866水溜りに氷が張っている。千葉県も冷えるのだ。この先で国道16号に出る。

Img_4869 国道16号から離れ、左に流山街道に入る。

Img_4879 西岸寺 【ルート地図】の③

門前に開基の「呑龍上人雷除名号」碑が建っている。

Img_4884 中里交差点(国道16号が上を通る)

中里宿へと入るが。

Img_4886 満蔵寺(中里交差点を渡った左側) 

中里宿には宿場の名残りは何も見当たらず。

Img_4887 愛宕神社 【ルート地図】の④(中須賀神社となっている)

鳥居は野田市で2番目に古いそうだ。

Img_4894 旧道の分岐に2基の庚申塔

Img_4895 庚申塔

左は明和4年で、右側面に「右ハせきやどミち」、左側面に「左のミち」、(関宿、野道)

右は明治20年のもので、右側面に「北はほうしゆ花 せきやど」 (宝珠花)

Img_4899庚申塔の後ろにも小社がある。

Img_4903 庚申塔道標

川間ゴルフ場先の街道沿い

Img_4904 「右せきやど」

Img_4905「左・・・・」?

Img_4913 墓地入口右側の「不許葷酒入堂」の石柱(木間ケ瀬南交差点の先の右側)

ここは禅宗の浄善寺跡らしい。

Img_4910墓地入口左側の庚申塔・子待塔(左から2番目・文化12年)・十九夜塔

子待塔とは、甲子の夜、大黒天を祀り、講中で甲子待の供養行事のために造立した「甲子待塔」のこと

墓地内に「中郷新四国八十八所」?の35番の大師堂もある。

Img_4917 喜八屋(新宿バス停)の所。

Img_4918 須賀神社

Img_4920 空き地に石仏がぽつんと、寂しげに埋まりかけている。

Img_4921 手前のは石畳の名残か?

Img_4926 日枝神社 【ルート地図】の⑤

Img_4927 左の狛犬の台座

「関根名人」とは、東宝珠花生まれの将棋第13世名人、関根金次郎のこと。

Img_4928 神社前の墓地

Img_4931 将棋の駒の関根金次郎の記念碑。墓もある。

Img_4932 江戸川の土手へと向って行く。

Img_4933 江戸川の土手から宝球花(ほうじゅばな)橋

北西の冷たい強風に立ち向かって歩く。

Img_4938 八坂神社

新しく再建されていた。

Img_4941 柏寺香取神社

Img_4943 昔は松並木だっだあたり

若い松が分離帯に植えられている。再び松並木になるのはいつの日か。

Img_4944 二本松の先のバス停「関宿幼稚園」で今日の終点とした。

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2010年1月 7日 (木)

日光東往還①(水戸街道追分→山崎宿)

2010年1月6日

南柏駅(JR常磐線)・・・水戸街道(県道261号)・稲荷神社・・・八坂神社・・・追分・・・常磐線跨線橋・・・旧日光街道入口交差点(国道6号)・・・稲荷神社・柏第2小学校・・・豊四季駅南口交差点(東武野田線)・・・(県道278号)・・・つくばエクスプレス(おおたかの森駅)・・・流山警察署入口交差点・・・西初石ふれあいの森・・・初石駅入口交差点・・・日光街道大橋(常磐自動車道)・・・江戸川台駅・・・浄信寺・慈眼院・・・(流山街道東深井中学校入口交差点)・浅間大神・・・八坂神社・道六神・・・流山街道(県道5号)・・・駒形神社・・・運河駅・・・運河橋・利根運河・・・山崎貝塚・・・湯の郷・十社子安大明神・・・海福寺・・・山崎交差点・下妻街道合流地点・・・山崎宿バス停・常夜灯・・・秋葉社・・・福寿院・木戸跡あたり・・・梅郷駅(東武野田線)

 日光東往還は日光街道の脇往還の一つで、水戸街道の小金宿を経て柏の追分からこの街道に入り、山崎宿、中里宿、関宿、境宿、谷貝宿、仁連宿、諸川宿、武井宿、結城宿、多功宿を通り雀宮宿で日光街道に合流する。正式には関宿通多功道、別名を関宿道、久世街道、結城街道とも呼ばれていた。現在の千葉県柏市→流山市→野田市→関宿町(利根川)→茨城県境町→古河市→結城市→栃木県小山市→下野市→(宇都宮市)へと歩く。

 今日のコースはつくばエクスプレスの開業などで開発が進み、昔の街道風情は味わえない。「歩き初め」の足慣らしとして早めに切り上げた。それにしても水戸街道との追分から初めの宿の山崎宿まで15kmほどもあるのは何故なのだろうか。

  【ルート地図

  *参考:『千葉県歴史の道調査報告書 5』(千葉県教育委員会)

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Img_4843 日光東往還説明板

Img_5067 道筋

Img_4641 八坂神社

Img_4640 松並木説明板(八坂神社境内)

Img_4644水戸街道を進む。

昭和50年代までは松並木が残っていたそうだ。

Img_4645 追分

日光東往還は左に曲がり、常磐線を跨線橋で越える。

Img_4648 「旧日光街道入口交差点」

国道6号は左右の道、日光東往還は直進

Img_4654 小祠

Img_4656 大師像?

「五十一番」とあるが、「新四国利根運河霊場」ではないようだ。

Img_4660 稲荷神社

境内に大きな「豊四季開拓百年記念碑」が建っている。

Img_4662 柏第二小学校

このあたりは野馬(除け)土手跡。

Img_4676 つくばエクスプレス

右が「流山おおたかの森駅」、このあたりは開発中の寒々しい風景でなじめない。

Img_4679 旧道に入ると少し昔風の通りになって一安心。

Img_4681 この沼も埋められてしまうのか?

Img_4684 庚申塔

流山警察署入口交差点から街道から右に入った所。

Img_4682 旧家も所々に残っている。

Img_4689 西初石ふれあいの森

森というにはちょっとおこがましいが。

Img_4693 初石駅そばの旧家

Img_4696 日光街道大橋 【ルート地図】の①

下を常磐自動車道が通る。

Img_4699 右を東武野田線が通る。

Img_4703 江戸川台駅への並木の歩道

Img_4706 右に小祠

「新四国利根運河霊場」の69番。

Img_4709 緩やかにカーブしていて旧道っぽい感じ。

Img_4711 浄信寺

Img_4712 説明板

Img_4718 慈眼院

Img_4719 説明板

Img_4723 右下の小祠は「利根運河八十八ヵ所」の62番と74番(慈眼院境内)

Img_4725 小祠

新四国利根運河霊場の31番

Img_4727 大師像

Img_4728 流山街道を横切って直進

Img_4729 浅間大神(右の石塔)・小祠は新四国利根運河霊場の52番)

Img_4733 道六神・成田山不動塔・御嶽山・馬頭観音など 【ルート地図】の②

Img_4737 成田山不動塔(文政11年)は側面が道標になっている。

右側面に「我孫子 花乃井大青田 深いみち」、左側面に「今上みち」

Img_4734 旧日光街道説明板

Img_4738 道六神(左)・馬頭観音

道六神は道祖神で、道陸神とも表す。

Img_4748 駒形神社

源義家が奥州征討の際に駒をつないだというクスノ木の切り株は今はないようだ。

Img_4749 馬頭観音(元文4年(1739)の銘)

運河駅の手前の左側

Img_4757利根運河から運河橋、東武野田線 【ルート地図】の③

明治時代に開削された利根川と江戸川を結ぶ運河。

Img_4758 説明板①

Img_4759 説明板②

Img_4761 六十六部供養塔など石仏群

Img_4766山崎貝塚(国指定遺跡) 【ルート地図】の④

Img_4767 説明板

Img_4774 十社子安大明神(「湯の郷」の前)

十社とは?

Img_4775 昔風の商店

Img_4776 旧家

農家か

Img_4777 海福寺

Img_4779 境内に七福神が揃っている。

Img_4782 旧家

山崎交差点で下妻街道が合流する。

Img_4783 山崎宿バス停 【ルート地図】の⑤

少し先に常夜灯は昭和の初めまでは街道の中央に立っていたという。

Img_4785 秋葉社

Img_4792 福寿院門前あたりが高札場跡。

Img_4793 山崎宿の家並み

宿場の面影はない。

Img_4794 小さな野田市の「まめバス」

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2010年1月 4日 (月)

日光例幣使街道⑤(富田宿→栃木宿→合戦場宿→金崎宿→楡木宿)

2009年12月30日

新大平下駅(東武日光線)・・・富田宿本陣跡(富田交差点)・県道11号・・・八坂神社・・・宗光寺・地蔵堂・・・星宮神社・・・樋下稲荷神社・・・永久橋(永野川)・・・川連天満宮・川連城跡・・・県道11号・・・熊野神社・開明橋(巴波川)・・栃木宿・・・一乗院・・・県道3号・・・(東武日光線)・・・合戦場宿・・・六基子育延命地蔵尊・・・升塚・普門地蔵堂・・・旧道・・・延命地蔵堂・・・県道3号・・・(北関東自動車道)・・・猿田彦神社・・・県道3号・・・豊年神社・・・琴平神社・・・金崎宿・・・旧道・・・小倉橋(思川)・・・国道293号・・・磐裂根裂神社・・・追分交差点(壬生道)・・・楡木宿・・・楡木駅(東武日光線)

 参考:「蔵の街」栃木宿と太平山は、『栃木市の坂』(2008年4月2日)

  ルート地図

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Img_4368 富田宿の旧家

Img_4372 碓氷クリニック

Img_4373 モチノキ(碓氷クリニックの庭)

樹齢300年という。雌雄2本の珍しいものだったが雄の木は枯れたそうだ。

Img_4375 旧家

Img_4376旅籠屋島田屋安兵衛跡

Img_4379 宗光寺

寺といっても正面の堂だけ。手前に馬頭観音などの石仏が並んでいる。

Img_4388 馬頭観音(天明3年)・覆い屋の下は如意輪観音と馬頭観音

Img_4380 地蔵堂(宗光寺と同じ敷地内)

Img_4390 地蔵

Img_4391 星宮神社

鳥居の前に狛犬でなく庚申塔が左右に並ぶ。

Img_4394 樋下正一位稲荷 《地図

小社だが三つも鳥居がある。

Img_4397 右に旧道へ入る。《地図

この先の旧道ははっきりとは残っていない。すぐ左に上部の欠けた石灯籠がある。

Img_4402 「太平山」と刻まれた上部のない石灯籠(常夜灯?)から太平山を望む。ここが遥拝所だったのだろう。

4年ほど前の写真には上部も写っている。最近、倒れたのか壊されたのか。

Img_4416 永久橋から永野川 【ルート地図】の①

冬は仮橋で、それ以外は徒歩で渡った。一年中渡れる橋ができたので「永久橋」と命名したのだろう。

正面は採土で削られた山。今でも採掘の音がここまで聞こえてくると、近くの民家のおばさんが言っていた。一山崩してしまうのか。昨日見た岩舟山、秩父の武甲山と同じように。

Img_4421 川連(かわつれ)天満宮

正月の用意に余念がない。ぶらぶら街道歩きなんかしている時ではない? 

Img_4423 川連城跡(天満宮の隣り) 【ルート地図】の②

城の遺構は残っていない。

Img_4424 説明板

Img_4426 JR両毛線をくぐる。

Img_4429 用水沿いの旧道

Img_4432 この案内標柱で右に曲がる。《地図

「東へ(約三百メートル)旧沼和田村川間の分去れから左へ巴波(うずま)川大橋を渡り栃木町を経て日光・宇都宮方面へ」とある。 このように例幣使街道は進んでいく。

この後、3本の案内標柱が立っている。

Img_4454 ここが県道31号との合流点の「分去れ」で左に曲がって北に開明橋の方へ進む。《地図

Img_4463 開明橋から熊野神社 【ルート地図】の③

Img_4461 熊野神社境内の地蔵・庚申塔

地蔵は顔の部分をつながれている。

Img_4470 栃木宿の街並み

Img_4476

Img_4481

Img_4486 万町交番も蔵造り 《地図

ここの交差点を左に曲がる。

Img_4488 交番の向いの桜井肥料店

Img_4491 右下に「日光例幣使街道」の石柱が立つ。

左の建物も国の有形登録文化財。

Img_4495 昔風情のある通りを進む。《地図

Img_4506 屋根がたわみ、少し傾いているか

Img_4509 正面分岐に新しい道標が立つ。《地図

ここに栃木宿の北木戸があった。

Img_4510 右が日光道、左が足尾道

Img_4518 合戦場宿

磐根神社へ曲がる角の旧家 《地図

Img_4521 磐根神社

開拓、開墾、農耕の神

Img_4523 小平浪平の生家 《地図

日立製作所の創業者

Img_4529 合戦場宿本陣跡秋田家(小平浪平生家隣り)

Img_4526 脇本陣跡林家(本陣の前)

いずれも建物は新しくなっている。

Img_4530 六基子育延命地蔵尊

民家の庭先にある。

Img_4532 六体の地蔵が浮彫り

6地蔵が2列、3列に並ぶものは多いが、このような配置のものは初めて見た。

Img_4534 升塚への道案内板が右にある。

Img_4535 升塚 《地図

合戦場の由来となった大永3年(1523)の川原田合戦に戦死者を弔う塚。

Img_4537 説明板

Img_4540 升塚の上から

普門地蔵堂、薬師堂、六地蔵、十九夜塔の小祠などが並んでいる。

Img_4542 普門地蔵尊

Img_4548 街道沿いの大谷石の蔵

Img_4550 この先を右に行く。《地図

Img_4553 延命地蔵堂

ここを過ぎて県道に戻る。

Img_4556 地蔵さんへ正月の餅が差し入れられている。

Img_4555 延命地蔵尊

Img_4564 猿田彦神社

Img_4566 十九夜塔などが並ぶ一角。

右は何の小祠か?

Img_4571 豊年神社

Img_4572 重要文化財薬師如来道標

左に365m?だが、薬師像は拝めないらしいのでパス。

Img_4577 琴平神社

Img_4580 境内の庚申塔、勝善神(牛馬の守護神)、白雲山と三者三様だ。

「白雲山」とは何か? ここの手前にもあったが。

Img_4592金崎宿

旅館、遊郭風の旧家

Img_4596 本陣跡の古沢家

Img_4599宮崎商店の前で右に旧道に入る。《地図

Img_4603 小倉橋を渡った土手上から思川 【ルート地図】の④

ここも冬は仮橋で渡った。

Img_4605 磐裂根裂(いわさくねさく)神社 【ルート地図】の⑤

右に屋根が見える。根を裂き磐を裂く開拓、開墾、農耕の神。磐根神社の正式名だろう。

Img_4609 磯山神社

今日はここから遥拝の遥拝ですます。

Img_4610 安産地蔵(磯町交差点の右側)

Img_4619 旧家

Img_4623 長屋門

Img_4626 追分

Img_4629分岐点に立つ道標は磨り減っている。

右 中仙道 左 江戸道」

Img_4631 右が例幣使街道、左が壬生道(日光西街道)

ここが日光例幣使街道の終点。ここからは壬生道で今市宿まで続き日光街道と合流する。今は地元ではこの先も例幣使街道と呼んでいるようだ。

Img_4635 楡木(にれぎ)宿本陣跡? 《地図

左隣の「焼きまんじゅう店の主人に聞いてみたが、隣りではなく、「4、5軒先らしいが、よく分からない」という返事だった。

Img_4637 楡木駅

この時間電車は1時間に1本。焼まんじゅう、どら焼ともう一つをほうばりながら40分以上待った。5時近くでさすがに冷えてきた。

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2010年1月 3日 (日)

日光例幣使街道④(天明宿→犬伏宿→富田宿)

2009年12月25日

孫太郎神社・・・天明宿本陣跡・・・大雲寺・・・引地観音・日枝神社・観音山公園・・・浄泉寺・・・西宮神社・・・(両毛線)・(東武佐野線)・・・城山公園・佐野城址・・・一向寺・・・真光寺・・・妙顕寺・・・八坂神社・・・昌福寺・・・鷲宮神社・・・犬伏宿本陣跡・・・新町薬師堂・米山古墳・・・(東北自動車道)・・・関川橋(三杉川)・・・(両毛線)・・・県道67号・・・追分地蔵堂・・・三鴨神社・・・星宮神社・・・稲荷神社・・(県道11号)・・・旧道・・・和泉天満宮・・・(県道11号)・・・富田宿(南木戸跡・玉正寺・本陣跡)・・・新大平下駅(東武日光線)

  ルート地図

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Img_4130 孫太郎神社 《地図

藤原秀郷の8代の子孫の足利家綱の再建という。

Img_4131 縁起

Img_4132 天明宿の家並み

大坂屋菓子店(左)

Img_4133 小沼呉服店

Img_4135 天明宿本陣跡(群馬銀行前) 【ルート地図】の①

Img_4134 説明板

Img_4145 観音寺(左)・日枝神社(右)

寺社の境界もなく、昔の神仏混交のまま。観音寺は下野坂東三十三観音霊場の第27番札所・佐野坂東三十三ヵ所の第1番引地山日向寺(引地観音)。色々あってややこしい。

Img_4146 観音山公園から

東武佐野線が通る。下は両毛線。

Img_4148 西宮神社

Img_4149 由緒

Img_4160佐野城址本丸の石畳と石垣(復元) 【ルート地図】の②

Img_4159_2 説明板

Img_4167 本丸から北出丸

橋の下は堀跡で、正面のテラスあたりに隅櫓があったと推定。

Img_4161 説明板

Img_4173 一向寺の日限地蔵尊

Img_4181 真光寺

地蔵、馬頭観音(左端)、遊女哀悼碑(木の後ろ)

Img_4179 哀悼碑

Img_4186 妙顕寺

屋根が大きく傾斜がきつい。

Img_4189 鷲宮神社手前の旧家

Img_4196 犬伏宿の家並み

Img_4197 旧家

Img_4202 本陣跡の犬伏小学校の前の旧家

Img_4209_2新町薬師堂・米山古墳(薬師堂の後ろ)

真田父子の「犬伏の分かれ」の地とされる。
真田氏ゆかりの上田城下は『善光寺街道(北国街道)②』、松代城下は『北国街道松代道①』、九度山は『高野山町石道』に記載。

Img_4210 説明板

北関東最大の全長336mの前方後円墳とあるが、昭和57年で、全長約47mの帆立貝形古墳と考えられている。丘陵全体が古墳ではなく、古墳は北端の頂部に築造されている。

Img_4215 庚申塔(東北自動車道の手前)

Img_4218 馬頭観音(関川町公民館の前)

Img_4222 関川橋から三毳山(みかもやま) (229m) 

万葉集に歌われた山。東山道が通り、三鴨駅家(うまや)、三香保関が置かれていたという。

Img_4227 追分地蔵堂 【ルート地図】の③

例幣使街道は県道67号を直進してすぐに岩舟町に入る。

Img_4230 台石は道標になっている。

「右 日光道」・「左 いわ舟 にっこう似ぬける道」 左へ行けば日光に通ずる近道があるのか?

珍しい青の前掛けをしている。地蔵堂の左にも石の道標が立つ。

Img_4235 慈覚大師誕生地への道標(岩舟町に入ってすぐの右側)

ここから近いようだ。円仁の像、堂、産湯の井戸があるようだ。円仁は壬生町の生まれの説が一般的か。『慈覚大師 円仁誕生の地としての岩舟

Img_4239 三鴨神社 《地図

Img_4241 岩船山(172m)

江戸時代から岩舟石を採掘され、形が変わってしまっている。岩舟地蔵尊の高勝寺がある。

Img_4244 星宮神社 【ルート地図】の④

Img_4249 旧家

Img_4251 道標(昭和3年に建てられたもの)

「岩舟停車場・・・」 ここを北に入れば両毛線の岩舟駅。

Img_4264 静和郵便局の手前で左に曲がる。

Img_4265 和泉天満宮 《地図

Img_4274 県道11号を2度横切り、例幣使街道の標識の所から富田宿へと入って行く。

Img_4275 ?社 《地図

ここに南木戸があったそうだ。

Img_4281 玉正寺参道

Img_4283玉正寺

山門前を県道11号が横切っている。

Img_4284 本堂

大同年間(西暦806年~809年)の創建という。境内は広く建物は新しくきれいだ。

Img_4362富田宿本陣跡 【ルート地図】の⑤

和久井家

Img_4289 交差点の南側の土蔵

これも和久井家の敷地内のようだ。

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2010年1月 2日 (土)

日光例幣使街道③(太田宿→八木宿→梁田宿→天明宿)

2009年12月24日

パールホテル太田・・・県道2号・・・富士重工工場・・・追分地蔵・・・県道213号・・・(東武伊勢崎線)・(東武小泉線)・・・女体山古墳・・天神山古墳・・・長岡橋(鶴巻川)・・・馬洗い場跡碑・・・地蔵堂・・・賀茂神社・・・台の郷の辻・・・県道128号・・・旧道・・・韮川用水路・・・八坂神社・・・新宿の辻・・・辻地蔵・勢至堂・・・新宿橋(矢場川)・・・八木宿(宝性寺・本陣跡・廓街道・ニ柱神社・母衣輪神社)・・・(東武伊勢崎線)・・・勝光寺・・・(国道50号)・・・簗田宿・長福寺・・・川崎橋(渡良瀬川)・・・川崎天満宮・・・(県道128号)・・・樋詰橋(尾名川)・・・出流川橋・・・村上大橋(旗川)・・・県道223号・・・高田橋(旗川)・・・元三大師・・・一本松地蔵・岡崎山古墳群・・・両社神社・・・地蔵(旗川渡河地点)・・・白旗橋(旗川)・・・(両毛線)・・・才川・・・(両毛線)・・・菊沢川・・・(県道270号)・(県道67号)・・・中橋(秋山川)・・・天明宿(佐野厄除大師・観音寺・星宮神社)・・・ホテルサンルート佐野

 追分地蔵の所から少し回り道をして、女体山古墳、天神山古墳に寄ってから例幣使街道に戻る。歩き始めて2時間もたたないうちに腰が痛くなる。そのせいで注意力が鈍るのか、この先何度も道を間違える。鳥居のない賀茂神社へ行くつもりが、鳥居のある賀茂神社へ行ったり、出流橋から一本松地蔵へ出るはずが、旗川を渡って県道223号に出てしまったりした。

 今日は天明宿(佐野)までの予定だったが、手前の富田駅であきらめようかと弱気にもなってきた。手打ちそば屋でうまい鴨南蛮うどんを食べて一休みしたら、気力、体力が戻ってきて、元三大師から一本松地蔵に大きく遠回りしてなんとか佐野まで歩くことができた。佐野厄除け大師に今日の厄払いを願い、暗くなった天明宿の町並みを抜けホテルに向った。賽銭も上げない厄払いは当てにできないから、佐野ラーメン、ぎょうざ、ビールを腹に供えて明日に備えるとしよう。

  【ルート地図

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Img_3877 追分の子育地蔵・道標 【ルート地図】の①

Img_3879 子育地蔵と廻国供養塔道標

「右 たてはやし こか道 左日光道 やき さの駅」

「館林・古河・八木・佐野」

Img_3880_2説明板

Img_3884 天神山古墳

東武小泉線の跨線橋から。

東日本最大の全長210mの前方後円墳

Img_3885 女体山古墳

全長108mの帆立貝形古墳。天神山古墳が男体山古墳。

Img_3889 女体山古墳

帆立貝のような墳形が分かる。

Img_3891 説明板①

Img_3892 説明板②

Img_3890 古墳の位置

Img_3905 天神山古墳

県道から後円部

Img_3899 説明板

Img_3912 馬洗い場跡碑

手前に小さな水路がある。

Img_3913 地蔵堂

Img_3914 頑固爺さんのような地蔵に睨まれた。

Img_3921 台の郷の辻 《地図

例幣使街道は左へ行く。

Img_3916 石柱と道標

「北 丸山桐生道」・「東 福居佐野道」・「南 龍舞小泉道」・「西太田道」

福居は八木宿のこと。

Img_3922 鳥居のある賀茂神社

「鳥居のない賀茂神社」へ行くつもりだったのだが。《地図》(右上の韮川小学校の東側、鳥居のない賀茂神社は左下)

「昔、日光例幣使の一行が石原の賀茂神社で休んでいると犬が激しく吠えるのでその首を切ってしまった。すると首が鳥居に跳ね上がってそこにいた蛇に食いついた。犬に助けられたことを知った例幣使はその犬を手厚く葬り、鳥居も外してしまったという」 

 犬に吠えられたくらいで首を切るとは乱暴な例幣使一行だ。坂道散歩では犬に吠えられるのは日常茶飯事のこと。そんなことをしていたらもう何百匹の犬の首を切っていたことだろうよ。

Img_3923 狸の親子に化かされて道を間違ったのかも。

Img_3930矢場交差点で左折し、その先で右折し旧道に入る。手前に新しい道標。

道路に面した方に、「この先 桜山跡」とある。桜山とは?

Img_3932 ここにも道標

Img_3933 矢場工業団地の裏側を行く殺風景な旧道。《地図

Img_3937 八坂神社

左の「村社八坂神社」の石柱下の台石は道標

Img_3936 台石の道標

Img_3935 説明板

Img_3939 旧道と県道128号の合流地点 《地図

例幣使街道と館林道の分岐で、ここにあった道標は左前方の勢至堂前にある。

Img_3938 説明板

Img_3940 勢至堂 【ルート地図】の②

辻地蔵の台石が道標になっている。

ここは《地図》では長浜観音堂となっている。

Img_3942堂内の勢至菩薩

Img_3946 案内板

矢場川の新宿(あらじゅく)橋を渡った所。

Img_3949 宝性寺

八木節創始者の堀込源太の墓。墓地ではなく参道にある。

Img_3948 説明板

Img_3955 八木宿本陣跡寺山商店 【ルート地図】の③

一本北側の通りには昭和の初めまで遊郭があり、「廓街道」と呼ばれていたそうだが、今は全くその面影、痕跡はなかった。

Img_3956 道標

「南・・・・」読めず。

Img_3960 ニ柱(ふたはしら)神社

Img_3965 島岡印刷所

女郎屋跡か?

Img_3968 母衣輪(ほろわ)神社

Img_3969 由緒

Img_3972 旧家

庄屋の大黒屋か? 右下に「こばた」とあるから煙草も売っていたのだろう。

Img_3975 旧家

Img_3985 簗田宿の家並み

簗田宿は総戸数105軒の小さな宿場だったが、本陣が2軒で飯盛女も多くいた。今は昔の面影はない。

Img_3987 長福寺 《地図

Img_3988 説明板

Img_3989 簗田戦争東軍戦死者追弔碑

旧幕府軍は簗田宿で飯盛女と遊んでいるところを官軍に急襲され戦死者64名という屈辱的な敗戦をきっした。物見遊山、女遊びをしながら官軍と戦ったたのは、遠足気分だった奥州街道の二本松藩の二本松少年隊と同じで、これじゃあ官軍に勝てるわけがない。

旧幕府軍の「東軍」を刻む碑は少ないそうだ。

Img_3995 川崎橋(渡良瀬川)

昔は船で渡り、例幣使は対岸の川崎天満宮に必ず参じた。今は橋を渡って大回りして天満宮に向うが、橋を渡り、直接土手を下りらればすぐだが。

Img_4000 川崎天満宮手前の地蔵

Img_4004 川崎天満宮

左は渡良瀬川の土手。

Img_4002 説明板

玉村宿本陣に歌を残している綾小路有長がここでも歌を詠んでいる。(三首目)

Img_4005 今渡ってきた川崎橋のガードくぐる。《地図

Img_4007 首の欠けた地蔵?・庚申塔

ここを右に曲がる。

Img_4008 道脇の石仏

Img_4011 正面のムロオカ産業の手前で左に曲がり、県道128号に出て、尾名川、出流川を越えた所までは間違えずに進んだが、そのまま直進して旗川の村上大橋を越えて県道223号の「吾妻小北」の交差点に出てしまった。出流橋から村上大橋へは新しくできた道ようだ。

Img_4018 ここからは例幣使街道からははずれている。

直進して旗川の村上大橋を越える。車道も歩道も新しい。《地図

Img_4023ここでやっとどこを歩いているか分かった。県道223号の交差点。

Img_4024 新しい広く立派な地蔵堂

Img_4025 庚申塔

Img_4027 そば屋で小休止して、元三大師への道から例幣使街道の一本松地蔵を目指す。

Img_4030 長屋門

Img_4035 高田橋を渡り、旗川沿いに元三大師(正面)に向う。

Img_4038 元三大師(寺岡山薬師寺)

厄除け料は何段階もランクがある、営利商業主義的な寺でなじめない。

Img_4041 一本松地蔵(右上の小堂) 【ルート地図】の④

ここでやっと例幣使街道に戻り右に曲がる。

Img_4045 説明板

Img_4044 地蔵は顔まで赤い布をかぶせられていて可哀そうだ。

Img_4047 岡崎山古墳群(一本松地蔵の前の小高い所)

標柱は立っているが、あまり整備、保存はされていないようだ。

Img_4051 道標(2基) 《地図

国道67号との合流点。このあたりに一里塚があったらしい。

Img_4052 説明板

Img_4054 両社神社

Img_4056白旗橋手前の旧家

Img_4059 地蔵 《地図

旗川の渡河地点の土手脇。寛文10年(1670)の例幣使街道の整備時期に建てられた古いもの。

Img_4058 説明板

Img_4060 旗川

冬は水が枯れ、夏は浅瀬を歩いて渡った。正面の橋はJR両毛線。

Img_4062街道は白旗橋を渡り左折、右折し免鳥、花岡の集落を抜けて佐野宿へ向う。

Img_4063 右を走る両毛線

Img_4066 芦畦(あしぐろ)の獅子舞収蔵庫

Img_4065 説明板

Img_4067 旧家

Img_4072 旧家

Img_4086 才川、菊沢川を渡り秋山川に突当たる。

Img_4087 今は少し右側の中橋を渡って天明宿へ 《地図

Img_4100 佐野厄除大師の金銅大梵鐘

こんな物まで造って、儲かってしょうがないのだろう。

Img_4091 説明板

Img_4093 田中正造の墓

手前は石川啄木の歌碑

Img_4092 説明板

Img_4094 石川啄木の歌碑

Img_4096 銅鐘(明暦4年(1658))

こっちの方が断然いいと思うよ。

Img_4095 説明板

Img_4097 本堂

今日は道を間違えたりしてあまりついてなかった。その厄落しと明日の無事を願ったが無理だろう。賽銭も上げないのだから。

Img_4104 天明(てんみょう)宿の家並み

Img_4105 米屋

Img_4108 右端は「味噌まんじゅう」の新井屋

Img_4111新井屋 

 

Img_4119

Img_4117 小屋根付き看板を掲げる「土佐屋」

Img_4118 長屋風の民家

Img_4126 星宮神社 【ルート地図】の⑤

天明宿の鋳物師が奉納した享保20年(1735)の銅の明神鳥居。

天命(てんみょう)家次という鋳物師が朝廷に鉄の灯籠を献上したところ、それが天をも明るくしたとして、天明という苗字を贈られたという。『天明のいわれ』 

以来、天明の鋳物師として全国に知られるようになった。例幣使街道が整備された時には佐野藩は改易となり、佐野城も廃されていたので、佐野宿ではなく天明宿になったのだろう。

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2010年1月 1日 (金)

日光例幣使街道②(境宿→木崎宿→太田宿)

2009年12月23日

伊勢崎駅前 バス→堀口町・・・国道354号・・・昌雲寺・・・道満橋(韮川)・・・東京福祉大・・・豊武神社・・・大正寺公民館・・・伊勢崎織物発祥地碑・・・三ツ橋伝説地・三ツ橋牛打の松と芭蕉句碑・・・飯玉神社・延命寺・・・子どもの森公園・・・忠治茶屋・・・旧道・右赤城・・・国道354号・・・菅原神社・・・武士橋(広瀬川)・・・法光寺・・・長谷川たばこ店・旧道・境宿(乳母の懐・一本松稲荷・・嵯珂比神社・長光寺・愛染院・織間本陣跡・境稲荷神社)・・・県道312号・・・女塚薬師道しるべ(女塚会館)・・・法楽寺・・・(東武伊勢崎線)・・・子育地蔵尊・・・三ツ木橋(早川)・・・(国道17号)・・・石田川・・・矢抜神社・・・来迎寺・・・三本辻地蔵尊・・・医王寺・・・木崎宿(問屋場跡・本陣跡地・貴先神社・長命寺・色地蔵)・・・高寺川・・・県道312号・・・常楽寺・・・威光寺・・・聖橋(聖川)・・・椿森橋(虻川)・・・(東武桐生線)・県道2号・・・永盛橋(八瀬川)・太田宿(木戸跡あたり・長念寺・東光寺・春日神社・高山神社・本陣跡)・・・パールホテル太田

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_3608 昌雲寺 《地図

お辞儀をしているような石仏が出迎えてくれる。境内に「従是南本庄」・「従是北一丁伊勢崎」の領界石の文字庚申塔があるそうだ

Img_3615 豊武神社

Img_3617 二十二夜塔の如意輪観音の台座が道標になっている。

台石左側面に、「右ちヽぶ」・「左日光」、以前は例幣使街道沿いにあったもの。

Img_3616 説明板

Img_3620 道標(大正寺公民館敷地内)

「東日光道」・「南本庄道」 これも以前は街道沿いにあったものだろう。

Img_3625 宏洞松本翁頌徳碑

Img_3624 説明板

Img_3660 周辺案内図

Img_3628 分岐点に立つのが案内図の「万延元年の道標」と猿田彦大神の円柱。《地図

Img_3634伊勢崎織物 大絣(おおがすり)発祥の地」碑(豊受歯科の所)

Img_3629 三ツ橋伝説地 《地図

右側に細い水路があるだけで橋はない。子どもが麻疹(はしか)にかかったとき、橋の下をくぐると早く治るという俗信は知らなかった。橋下(はしか)を通り過ぎるから、はしかの病いも治るか?

Img_3630 説明板

Img_3642 三ツ橋牛打の松と芭蕉句碑と向松庵記念碑(三ツ橋伝説地の向い側)

「三ツ橋伝説」の栄朝禅師が牛に乗り、松の枝を鞭にして牛を打ちここまで来た。この松が根づいたので「牛打の松」。

芭蕉句碑(文政8年(1825)建立)は、「涼しさやすぐに野松の枝の形」

Img_3639 「向松庵」記念碑

Img_3647 飯玉神社

Img_3645 由緒

Img_3648 延命寺

例幣使の休憩所となった寺。伊勢崎佐波観音霊場の第一番

Img_3649 説明板

Img_3650 説明板

Img_3654街道沿いの庚申塔・甲子塔(左端)

十干十二支の甲子(きのえね)の晩に大黒天を祀り、豊作や商売繁盛を願う民間信仰を甲子待ちという。庚申待ちは徹夜、月待ちは月の出までを原則とするのに対して、これは子の刻(深夜12時)までとする。子待ちともいう。

Img_3663 子どもの森公園の「ぼうけん山」

冬休みなのに園内はガランとしていた。まだ時間が早いのかも。

Img_3666 公園のすぐ先の庚申塔、道祖神(左端)

Img_3670忠治茶屋 【ルート地図】の①

Img_3671 店内

Img_3672 焼きまんじゅう一串130円

大きいが小麦粉でふわふわしているので食べやすい。

Img_3673 忠治茶屋のすぐ先で、右赤城へ右に曲がる。

Img_3678 右赤城

中山道の清水坂の「右富士」では今は富士は見えないが、ここからの赤城はまだ見える。

Img_3676 説明板

Img_3681 道標

「東日光道」

Img_3689 菅原神社

右の猫は人なつっこく、にゃあ~にゃあ~と後を追ってくる。左は警戒心が強く、頭を撫でようとしても首を引っ込めてしまう。でも相棒がこっちへ歩いてくるので仕方なく後からついてくる。

Img_3690 由緒

Img_3692 武士橋(広瀬川)

昔は「竹石の渡し」の舟渡しだった。

Img_3696 法光寺

新四国八十八ヵ所霊場第21番札所

Img_3697 長谷川たばこ店の前から旧道に入る。《地図

Img_3699 「乳母の懐」あたり

居眠りをしていて起こされた例幣使の一言に由来。輿(こし)に揺られてくるとは贅沢な話だ。今でも国道とは大違いの眠くなるような静かな道。

Img_3698 説明板

Img_3701 一本松稲荷 【ルート地図】の②

八海山と呼ばれていた築山で、一里塚だったともいうが、定かではない。左の赤い鳥居が一本松稲荷。

Img_3703 説明板

Img_3713 二十二夜観音堂(境小学校の前)

Img_3714 嵯珂比(さかい)神社

Img_3716 由緒

Img_3718 境宿の説明板

嵯珂比神社の境内に立っている。

Img_3719 枡形の名残か。

Img_3720 長光寺

伊勢崎佐波観音霊場の第32番

Img_3721 説明板

Img_3728 愛染院鐘楼門

Img_3726 説明板

Img_3725 二十二夜塔道標

台座に「右本庄 秩父道」、「左中瀬 江戸道」とあるそうだ。

Img_3724 説明板

Img_3731 境宿の織間本陣跡碑(アバンセ駐車場前)

寛文2年(1662)に伊勢崎藩士鶴田弥太夫の家を当地に移築した。

寛政3年(1791)江戸から信州に向う途中の小林一茶が織間本陣の主人で俳人の専車を訪れたが不在で、「時鳥(ほととぎす)我が身ばかりに降る雨か」の一句を残して立ち去ったという。

Img_3732 後ろの説明板は文字が消えかかって読みづらい。

Img_3735 織間本陣の以前の飯島本陣は今は飯島歯科になっていて説明板や標示はない。

Img_3740 板倉薬局

Img_3745 水戸屋菓子店

左下に「かりやど」の石柱が立つ。「かりやど」は仮宿で、境宿は幕末近くの文久3年(1863)に正式な宿場となるまでは、柴宿と木崎宿の間(あい)の宿だったことを意味しているようだ。

旧道はこの路地を右に入る。

 

Img_3748 東町の廻国供養塔道標

ここが例幣使街道、世良田道(館林方面)、江戸道(深谷方面)との交差点だった。

Img_3749 説明柱

Img_3752 境稲荷神社 《地図

Img_3753 説明板

Img_3754 境内の芭蕉句碑

Img_3759 女塚薬師道しるべ 《地図

例幣使街道沿い→法楽寺→現在地と移動しているが、天明8年(1788)の物とは思えないほどきれいで新そうに見える。「右薬師湯泉道」・「左太田 日光」と刻まれている。

Img_3760 説明板

文中の「右薬師湯泉道」の、源頼朝も入湯したという「女塚薬師鉱泉」の一つの「旅館東荘」の廃屋が、ここから500mほど南東に残っているそうだ(2004年9月の話だから今はないかも)。少なくとも昭和30年代までは営業していたらしい。一晩で手拭が真っ黄色になるほどの成分を持つ鉱泉で、胃腸病、痔疾、神経痛、リュウマチス、眼病等に特効があったそうだ。

Img_3763 法楽寺 《地図

すぐ先で東武伊勢崎線を渡る。

Img_3765 庚申塔

Img_3767 子育地蔵尊(三ツ木橋手前)

左は享保10年(1725)の庚申塔

Img_3770 三ツ木橋から早川

対岸のゴルフ練習場では球を熱心に打っている。何が面白いのか、さっぱり分からん。向うもこっちを見れば同じことを言うだろう。

Img_3781 矢抜神社 《地図

新田氏ゆかりの神社のようだがよく分からず。

Img_3788 来迎寺

明治元年の火災による焼失を免れた鎌倉時代末期の仏頭が保存されているという。右は糸ひばの木

Img_3794 三本辻地蔵 【ルート地図】の③

Img_3792 説明板

Img_3791 左が辻地蔵

Img_3795 医王寺

大枝が切り取られたイチョウは葉も落ちて寒々しい。昔は境内は樹木が鬱蒼として、こうもりが飛び交っていたという。

Img_3796 説明板

Img_3798 「日本誉」蔵元山崎酒造

Img_3799 「木崎宿」の新しい石柱

Img_3804 問屋場跡(さいとう接骨院)、手前の空き地が茂木本陣跡地。

Img_3806 貴先神社

大穴牟遅(おおあなむち)命の后(きさき)、須勢理比売(すせりひめ)命を祀り、その后から社名が生まれたという。后→木崎(貴先)

Img_3810 長命寺

Img_3811 色地蔵堂 【ルート地図】の④

もとは子育地蔵だったが、木崎宿の飯盛女の信仰が篤く、色地蔵と呼ばれるようになった。

Img_3815 説明板

Img_3814 色地蔵さん

ニコニコとはいかないまでも、男がすき間からのぞいているので嬉しそうな顔をしている?

Img_3822 広々とした殺風景な旧道を行く。

Img_3832 常楽寺

Img_3838「群馬泉」の島岡酒造 《地図

Img_3842 旧家(島岡酒造の前)

Img_3846 旧家

Img_3847 威光寺

新田義興の墓という篋印塔はどれか分からず。

Img_3848_2説明板

「太平記の里」と書かれ周辺の案内図も載っている。

Img_3859永盛橋を渡った右に「旧日光例幣使街道」の石碑。このあたりに太田宿の木戸があったそうだ。《地図

Img_3867 春日神社

Img_3870高山神社  《地図

祭神は「寛政の三奇人」の一人、高山彦九郎。(奇人とは「優れた人物」という意味で、奇妙な変人ではない。あとの二人は林子平と蒲生君平)

境内は広く高山公園になっている。社殿は石段を180段ばかり上った小高い所にある。

Img_3872 本陣跡碑 【ルート地図】の⑤

本陣の建物は昭和58年に全焼したそうだ。

Img_3873元旦の実業団のニューイヤー駅伝はここを通るのだ。学生も実業団も駅伝ばかりに力を入れるから日本の長距離界(特に男子)は世界から遠くに離されてしまった。

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