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2010年1月23日 (土)

日光西街道(壬生通)②(壬生宿→楡木宿)

2010年1月19日

壬生駅(東武宇都宮線)・・・壬生宿(蘭学通り・脇本陣跡・本陣跡)・・・舟町通り・・・雄琴神社・・・壬生城址公園・・・蘭学通り・・・興光寺・・・国道352号・・・東雲橋(黒川)・・・高館橋(江川)・・・愛宕塚古墳・・・(県道2号)・・・車塚古墳・・・牛塚古墳・・・県道2号・・・神代橋(黒川)・・・壬生寺・・・常楽寺・・・国道352号・・・(北関東自動車道)・・・(県道221号)・・・金売吉次の墓・・・稲葉一里塚跡・・・梅林天満宮・・・金毘羅神社・・・判官塚古墳・・・磐裂根裂神社・・・北赤塚一里塚跡・愛宕神社・・・磯山神社・・・(東北自動車道)・・・追分交差点(日光例幣使街道合流点)・国道293号・・・楡木宿・・・(東武日光線)・・・神社橋(小藪川)・・・楡木神社・・・楡木駅(東武日光線)

  ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_5709 壬生宿「蘭学通り」説明板

Img_5686 脇本陣松本家(松本内科医院) 《地図

Img_5688 長く続く松本家の黒板塀

Img_5707 旧家

Img_5713 本陣(足利銀行手前を左に入った所)

ここも松本家。奥に古い家屋と土蔵が見える。古い門が残っているそうだが見逃したか。

Img_5728蘭学通り 【ルート地図】の①

電線がなく、広く明るい空が気持ちいい。

Img_5725 蘭学通り

左は石崎家の長屋門で今は店が何軒が入っている。

Img_5732 三村屋履物店

Img_5723 淀川肥料店

Img_5734

Img_5714

Img_5702 舟町通り(左に雄琴神社、その先の東武宇都宮線の踏切を渡り黒川へ通ずる) 《地図

黒川の壬生河岸から壬生城下への重要な産業道路として賑わった通り。

Img_5700 由来碑

Img_5697 雄琴神社随神門

近江の雄琴神社に初代壬生氏の祖の小槻今雄が祀られている。そこから分霊、合祀した壬生の総鎮守社。

Img_5696 由来書

Img_5698 説明板

Img_5716 壬生城址公園 《地図

Img_5717 大手門(復元)

Img_5719 説明板

Img_5720 本丸跡

内部に御殿があり、江戸時代初期には将軍の日光社参の宿舎に使われた。天守や櫓は築かれなかった。

Img_5730 興光寺

徳川家光の通夜が行われ、「葵」の紋が贈られた寺。山門屋根の紋は「三つ葉葵」だろう。

Img_5729 由来書

Img_5745 愛宕塚古墳

壬生城の鬼門除けの愛宕神社の建つ後円部から前方部方向。

黒川左岸の段丘上に築かれた古墳時代後期の壬生地域の首長3代の墓の一つ。愛宕塚古墳→牛塚古墳→車塚古墳の順で築造された。

Img_5743 愛宕神社

Img_5739 説明板

Img_5740墳形図

Img_5749 車塚古墳

直径82mの円墳。南側に横穴式石室が開口している。

Img_5764 説明板

Img_5765 墳形図

Img_5751 凝灰岩の巨大な一枚岩を箱型に組み合わせた横穴石室

石室は前室と玄室からなり、羨道は壊されて残っていない。大谷石で造られた最も古いの建造物(石蔵)の一つだろう。

Img_5752 玄室内の奥壁

玄室の奥行きは3m。がっしりしていて今でも十分寝泊りできそうだ。

Img_5753 石室内から

Img_5769 牛塚古墳

帆立貝形の前方後円墳だが墳形ははっきりしない。

Img_5766 説明板

Img_5767 墳形図

Img_5776壬生寺山門

「慈覚大師誕生地」の門柱が立つ。後ろはライシャワー元駐日大使の手植えの桜。

Img_5775 境内                      

樹齢350年のイチョウ・右に大師堂・正面奥に円仁産湯の井戸・その左は六地蔵堂

Img_5779 慈覚大師円仁産湯の井戸

日光例幣使街道の岩船町にも誕生地があった。

Img_5780 説明板

Img_5786 常楽寺(壬生城主の壬生家・鳥居家の菩提寺)

小像さんが出迎えてくれる「像楽寺」か。

Img_5789 由来書

Img_5791 県道2号を渡ると用水脇に歩道がついていて歩きやすい。

Img_5803金売吉次の墓(正面の小さな松の下に石が2つ積んである)と吉次の守護仏の小観音堂の覆い屋(右後ろ) 【ルート地図】の②

「奥の細道」の旅で芭蕉と曽良はここを通って、畑の中にこの墓を見ている。吉次は奥州街道白河の境の明神あたりで強盗に襲われ殺害され同地に葬られたともいわれ墓もある。

Img_5798 説明板

Img_5802 これが吉次の守護仏という観音堂だろう。(後ろの覆い屋の中)

Img_5804 稲葉の一里塚跡

金売吉次の墓のすぐ先

Img_5805 説明板

Img_5811 石の小鳥居と小祠に鉄の大釜の取り合わせはどういう意味か、別に意味などないか。(稲葉小学校前歩道橋の左先)

Img_5815 梅林天満宮

Img_5820 金毘羅神社

北赤塚バス停の所

Img_5825 判官塚古墳 【ルート地図】の③

右が後円部で、南側に土に埋まりかけた横穴式石室が開口している。義経が冠を埋めたので冠塚ともいわれる。

Img_5826 説明板

Img_5827 石室

全長5.9mの両袖型の横穴式石室式。

Img_5831 石室内部

右袖が見える。

Img_5824 磐裂根裂(いわさきねさき)神社

この地域に多い、開墾・農耕の神社。

Img_5837 北赤塚一里塚跡 【ルート地図】の④

右に旧道らしき道が残っている。

Img_5844 旧道を行くと左に愛宕神社がある。

Img_5842 愛宕神社

Img_5849 磯山神社

例幣使街道を歩いた時は遥拝で済ませたが、今日は参ろうぞ。参道はあじさいがぎっしり並ぶ。花の時期に祭礼があり、夜間もライトアップされ見事という。

Img_5851 由緒

Img_5852磯山神社

Img_5855 説明板

Img_5854 夫婦杉(境内)

高さ約41m、樹齢400年以上の双幹の杉。

Img_5859 東北自動車道をくぐると日光例幣使街道との追分が近づく。

Img_5861 追分交差点 【ルート地図】の⑤

左からの日光例幣使街道と合流。地元ではこの先、今市までも日光例幣使街道と呼び、地図の表記も「日光例幣使街道」となっている。日光西街道、壬生通よりは何となく格調が高いからだろうか。

ここから先、楡木駅までは昨年12月30日に歩いたばかり。

Img_4629 分岐点の道標

右 中仙道 左 江戸道」

Img_5865 楡木宿に宿場を感じさせる建物は少ない。

Img_5867 楡木神社

40分ほどの電車待ちの間に寄ってみた。手前は神社橋(小藪川)

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