顔振峠→越上山
2010年1月27日
吾野駅(西武秩父線・10:22)・・・国道299号・・・弁財天(高麗川)・・・吾野宿・白鬚神社・独楽の館・・・吾野橋(高麗川)・・・長沢集落・・・高山不動尊分岐・県道61号・・・山道・二十二曲り・・・風影集落・・・平九郎茶屋・顔振(かあぶり)峠・・・見晴台・・・諏訪神社・・・金毘羅神社・・・越上山(おがみやま・566m)・・・諏訪神社・・・阿寺集落・・・間野集落・十五丁石・いぼとり地蔵・・・新田集落・地蔵尊・ホタル生息地・・・夕市場橋(虎秀川)・・・福徳寺・・・国道299号・・・東吾野橋(高麗川)・・東吾野駅(14:10)
【地図】
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吾野駅から国道を右へ進んだ所。
高麗川の名にも残るように、このあたりは渡来系の人々によって開かれた地。この神社ももとは「新羅神社」だったのかも。
秩父街道の宿場として賑わった通り。今も古い家並みが残っている。
渋沢平九郎(渋沢英一の義弟)は飯能戦争で敗れた旧幕府軍の振武軍の隊士で、顔振峠を越えた黒山で自刃した。写真ではなかなかのイケメンだ。
義経主従の奥州落ちにゆかりの峠だが、義経らは北陸道を通ったらしい。金沢にも義経・弁慶伝説の瓶割坂、弁慶坂があった。「金沢市の坂-2」に記載。
「かあぶり」は、「こうぶり」と発音するのだろう。
ここから6~7分
いつ頃のことなのか。日付ぐらい入れろよ。クマも愛嬌があり過ぎはしないか。
「お諏訪さま」と親しまれ、10月の例大祭には獅子舞も奉納されるという。
かつては東京の方まで見晴らしがきいたというが、今は木々に囲われ眺望はない。
越上(おがみ)の由来には、①「お神山」、②越辺川の上の山、③雨水を司る龍蛇神の高龗神(たかおかみ)を祀った「おかみ山」からなど。先日、日光街道の今市宿で高龗(たかお)神社に出会ったばかりのせいか③の説に賛同したくなる。
路上に大きく書かれた「駅→」に気づかずに直進したら民家内に入ってしまった。私みたいな見知らぬ訪問者が多くて、路面に道筋を標示したのだろうか。
左は諏訪神社への「十五丁目」標石・右奥は「いぼとり地蔵」の小堂
だいぶ風化している。
左へ曲がれば「ユガテ」、鎌北湖方向
武蔵野三十三観音霊場の第30番。左に阿弥陀堂
阿弥陀堂と中の厨子の両方が国の重文ということのようだ。前面の精巧な蔀戸(しとみど)、屋根のそり具合がなんとも美しい。もとは茅葺きだったそうだ。飯能市の国の重文はここを含め3件。
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